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2020年03月20日
くれは水辺公園句碑巡りウォーク順路2
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「凩に匂ひやつけし 帰り花」(こがらしに においやつけし かえりばな)
句意「季節外れの狂い咲きの花が、草木を枯らす凩にも色艶をつけたのか、この庭園は寂しく冬枯れた中にもどこか全体に潤いが漂っている。 」
元禄4年(1691)冬の作。美濃・大垣で詠まれています。
「旅がらす 古巣は梅に なりにけり」(たびがらす ふるすはうめに なりにけり)
句意「自分は旅烏のように所定めぬ漂泊の身。久しぶりに故郷にもどってみると、懐かしいこの古巣は今も昔も変わらず梅が咲き
「冬の広場」の東屋の近くにあります。貞享2年(1685)春の伊賀上野での作
「比古呂耳く支 烏も雪の 朝可奈」(ひごろにくき からすもゆきの あしたかな)
(句意)鳴き声のやかましさに、日頃は憎く思っている烏も、雪の朝、真白い樹々の枝に黒く点々と止っているのを見ると、コントラストに風情を感じるから不思議なものだ。
元禄3年(1690)冬の作。大津、義仲寺(木曽寺)での作
句碑が真っ黒です。句碑のまわりに、雪が積もれば、句に詠まれた情景になるのかもしれません。
「春なれや 名もなき山の 朝がすみ」(はるなれや なもなきやまの あさがすみ)
句意
ああ、もう春なのかなあ。こんな名もない平凡な山々にもうっすらと霞がたなびいてる。
前回の句碑から東へ道路を越えたところにあります。
貞享2年(1685年)芭蕉42歳の作。季語「霞」で春。2月中旬、『野ざらし紀行』の旅で帰郷していた芭蕉が、伊賀上野から奈良に至る山々の情景を詠んだ途中吟
同じ句を刻んだ碑は、伊賀市三軒家の旧大和街道近くにもあります。
甲子吟行の句の前詞に「奈良へ出る道ほど」とあり、碑の左下には「芭蕉庵桃青」と刻んであり『野ざらし紀行』の本文そのままです
「木のもとに汁も奈ま須母桜か奈」(きのもとに しるもなますも さくらかな)
春の広場に入った所の句碑
句意は「桜の木の下で花見をしていると、そこに花びらが次々と句意は「桜の木の下で花見をしていると、そこに花びらが次々と降ってきて、おかげで汁椀といわずナマスといわず花びらで一杯になってしまう。なんと豊かな花の一日であろうか。」。
元禄3年(1690)春の作。伊賀上野の藤堂藩士:伊賀忍町の小川風麦邸での俳席で詠まれたものです。「汁もなますも」は当時の慣用句で「何もかも」という意味だそうです。
元禄3年3月2日作 この句は、土芳の『三冊子』に「軽み」を発見した句とする記述があります。
「ひばり鳴く 中の拍子や 雉子能声」(ひばりなく なかのひょうしや きじのこえ)
対岸に向かった所の句碑
句意は「ひばりのさえずる春の日、その鳴声に合いの手を入れるように雉子が拍子をつける。実に長閑な春のさかりである。」
元禄2年春と元禄3年説がある。2年なら江戸、3年なら伊賀辺りでの作ということになる。
のんびりとした春の田園を詠んでいるところから、伊賀の作説が有力か。
「杜若 に堂りやにたり 水の影」(かきつばた にたりやにたり みずのかげ )
句意は「杜若が水に映った影は本物そっくり。花も影もまことによく似ているものだ」
寛文6年(1666)夏、芭蕉翁23歳、若き時期の作。
芭蕉が仕えていた藤堂新七郎家の嫡男、良忠(蝉吟)が寛文6年(1666年)4月25日、25歳で死去しているのでその直後でしょうか。
何に似ているかといえば杜若はそもそもアヤメ(菖蒲)に似ているので、その花びらが水に映っている姿などは尚更だというのでしょう。
「はつ真瓜 たてにやわらん 輪にやせむ」(はつまくわ たてにやわらん わにやせむ)
元禄2年(1689)夏の作。「奥の細道」の道中、山形県酒田で詠まれたもの。芭蕉翁は、瓜が大好物だったそうです。句意は「初物の真瓜をたてに割ろうか輪切りにしようか。はやく食べたい。」で、弟子達に対し「句なき者は喰う事あたわず」と戯れて発句を促したものだそうです。その場では
「初真桑四つに断たん輪に切らん」
と詠んだそうで、この句碑は推敲後の句です。
「老の名乃 阿里登も知らで 四十雀」(おいのなの ありともしらで しじゅうから)
まず「夏の広場」へ、公園の東側にありますが、句碑はさらにその広場の東の端にあります。
元禄6年(1693)秋の作。句意は「かわいらしいシジュウカラ。その名称に「40歳」と初老を意味する文字がついている事も知らず、機敏に飛びまわり、楽しそうに囀っていることよ。」。芭蕉翁は「老い」を感じ始めていたのでしょうか。この句を詠んだ翌年に亡くなっています。元禄6年10月9日頃江戸での句
「一里は皆花守の子孫かや」(ひとざとは みなはなもりの しそんかや)
(真蹟懐紙/猿蓑)
(句意)「この村里の人は、みんな(平安時代、桜の季節になると、帝に献上される桜の木を守る役目を負っていた)花守の子孫なのであろうか。桜を大切にしていることだ。」
元禄3年(1690年)春 奥の細道の旅を終えた元禄二年歳末の芭蕉は近江(膳所義仲寺)で越年。翌三年正月三日に伊賀に帰り、しばらく在郷。三月下旬(陽暦五月初旬)に、ふたたび義仲寺に出る途中でこの句を得た(土芳筆『全伝』)
寛弘の時代(1004年から1012年)
上東門院彰子が、興福寺の八重桜を京の都に移植しようとしたところ、南都の僧徒らがこれに異を唱えた。普段無骨で有名な僧徒らにも美を愛でる心があったかとして感服した女院はこの計画を撤回して、伊賀の国余野の庄に花垣をつくりここにこの桜を植えて、以後開花の時には宿直をおいて警護させたという。以来ここを「花垣の庄」というというのである。花垣の庄は、伊賀上野から名張への途中
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Last updated 2022年07月20日 21時01分19秒
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