伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2020年05月30日
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上野市服部に小宮神社(おみや)がある。
伊水温故(1684)に
  「小宮ノ社  服部村 酒ノ君の霊地也 延喜式伊賀二十五座唯一 正二位 二の宮と号す 服部氏の祖神也」
とあり服部氏の祖神「酒の君」をお祭しているということです。



酒の君とは
仁徳(にんとく)天皇41年(推定353年)紀角宿禰(きのつのすくね) が百済につかわされたとき, 紀角に
百済の王族にあたる酒君が礼を示さなかった。
そのことで紀角が百済王を責めると、王は鉄の鎖
で酒君を縛り捕らえ,日本におくられた。
その後罪をゆるされ,43年天皇から鷹の飼育を命じられました。
鷹甘(たかかい)部のはじまりということです。

呉国から来た人を呉服(くれは)漢国より来た人を
漢服(あやは)と呼んだ。この渡来人が所属した
部署を部(とり)と 言いました。 
それで呉服部(くれはとり)、漢服部(あやはとり)と
書きます。
この部とは衣服をつかさどる者に名付けられこの
先祖を王族出身の酒の君とし この酒の君が伊賀
で領した場所を服部と言います。
服部川をくれは川と呼ぶのは「くれはとり」の
前半をとり、氏の「はっとり」は後半をとったと思われます。



拝殿

服部氏の祖 呉服比売命(くれはとりひめのみこと)を主祭神とする。



拝殿と後に本殿
小宮神社の社紋は丸に並び矢筈(やはず)服部半蔵と同じです。

服部に三流ありそれぞれ家紋が違います

漢服部は平内左衛門相続し平氏       紋は丸に横二つ切り竹矢筈
 呉服部は服部六郎時定相続し源氏       紋は 左ひとつ巴
 敢国服部は一ノ宮の神事を勤める一族で源氏  紋は八つ矢車 

百地氏は七曜星に二枚矢羽根



服部町公民館の石碑
呉服川(くれはがわ)の塘(ほと)り並み
伊予松ふると傳えられ
志を空へ誉れる雄姿

城下   毎年
    名木を知る

側面
ここより南西約700m服部川左岸堤防止の老松指定解除に付き保存施設をこの地に移転し伊予松を植える 上野市

塘つつみ
燧灘(ひうちなだ伊予の海岸)から藤堂高虎が持ち込むが三本のうち一二本が成長し呉羽の老松とよばれた。










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Last updated  2021年10月21日 14時47分54秒
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