伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2022年08月09日
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伊賀市上野恵比寿町
蓮池寺までは恵比寿町、蓮池寺は蛭子宮を建て恵比寿神社の始まりとしたので恵比寿町でなければなりません。






服部猪来菩提寺
蓑虫庵三代目庵主菩提所





大正4年(1915年)に旧友生街道よりご遷座された延命地蔵菩薩を祀る地蔵堂、
そして右隣には、木造十一面千手観音像を祀る観音堂もある。観音堂は秘仏として閉められている。








左、些中庵土芳居士供養墓 
「正面」 些中庵土芳居士供養墓
「右面」享保十五年庚戌かのえいぬ(1730)正月十六日時世
「左面」服部半左衛門保英 行年七十四

右 服部猪来墓
法名 「常誉光給禅定門」
左に「池清濯道禅定尼」と刻まれているのは夫人でしょう




蓮池寺は室町時代の永禄年間(1558〜1569)の頃、地元伊賀国印代村の豪族であった田中判官教近(教然大徳)が、 諸国を行脚した折、比叡山光明寺の智聖坊から、阿弥陀如来座像一体と、蛭子像一体を譲り受け、上野南の郊外、蓮池に草庵を結んだのがその始まりです。何故か上野地区の北部生まれの人が南部に庵を結び地名から蓮池寺とした。
慶長十六年(1611)開基として現在地に開いています。
しかし、江戸時代に2度火災に遭い、本堂を失った。その再建もままならぬときに、業火に遭い続け衰微した。それを寛永年間(1624〜1643)の心譽浄林上人の中興、文化年間(1804〜1817)の本堂再建を経て落ち着いた。

本尊の阿弥陀如来は「伊水温故」に行基菩薩の作と伝える。(行基は8世紀の人で伊賀に赴任してはいるが時代に合わない)






蛙方(あほう) 蓮池寺住職 法歴元年(1751)ー文政三年(1820)
京都三条生まれ 寛政十年(1798)に芭蕉翁を慕うあまり当時無住の蓮池寺住職になり本堂を再建(玄長火事で焼失)した。
蛙方は洛北芭蕉堂の高桑闌更(たかくわらんこう)に学んだが服部猪来の師成田蒼虬(そうきゅう)は高桑闌更の弟子なので京都の俳諧仲間だったと考えられます。蓮池寺に葬られています。
法名 「祥蓮社瑞誉蔡華寛堂和尚」





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Last updated  2022年08月16日 16時10分48秒
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