伊賀へいらっしゃい

伊賀へいらっしゃい

2023年07月13日
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江戸時代の伊賀山城国境幕府裁定時に大河原地区が主張した「かう谷川限」の神谷川、今は小山川と呼ばれる場所です。
島ヶ原村が主張した「浅子川限」とは現在のJR月ケ瀬口駅を西に2km程行った所です。

この川とは5km程離れています、元禄十年(1697)の裁定で中間の現在の県境とされている場所になりました。



新島ヶ原大橋を伊賀上野から越えた小山川を挟んで西側にある行者堂です。

行者堂には自然石の岩屋の中に役行者(えんのぎょうじゃ)像が祀られています。
同じ岩屋の左隣に不動明王が祀られています。





山城国大河原村(現、京都府相楽郡)と伊賀島ヶ原村(現、伊賀市島ヶ原)の間で争われ国境として提示された柳生藩と藤堂藩の間で折衝が進められたが柳生藩は一万石の小藩で三十二万三千九百五十石の藤堂藩とは不利とみたのか京都淀藩に裁定を願い元禄十一年(1698)に幕府の評定所で裁決され結果妥協点として中間のこの地を国境とした。
柳生は現在奈良県奈良市柳生町

「従是東伊賀国」これより東伊賀国

「従是西山城国」これより西山城国

の二本杭、国境が定まった後二本の杭を合わせて杭されたとあります。






伊賀側の主張した「浅子川限」の浅子川、山道に入り木津川との合流点(弓ヶ渕)を探しましたが途中の道までしか行けませんでした。





押原地区を流れる「浅子川」この地区辺りは現在でも商圏域は伊賀市です。





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Last updated  2023年07月23日 09時08分45秒
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