2011年06月23日
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 後部艦橋も組み立てて、船体に装着しました。

 手前のボートデッキに据え付けてあるのは、47ミリ速射砲です。



 艦載艇を組み立てます。

 カッターは、ハセガワのエッチングセット「スーパー」に付属していたレジン製を使うことにしました。

 これは、防水布が被せられた状態が再現されています。

 エッチングパーツの舵を取り付けました。カッターは大きさがそれぞれ違うので、鉛筆で番号を記入しています。



 内火艇(ウチビテイ、内燃機関を動力とする小型艇、モーターボート)は、プラパーツを使います。

 舵だけでなく、スクリューも取り付けました。これで質感が向上すると良いのですが。



塗装は、軍艦色を吹き付けた後、防水布の部分は「セールカラー」を筆塗りして仕上げました。






船体に煙突を据え付けてから、塗装した艦載艇をボートデッキに組み込みました。

艦載艇は、かなりの時間を要したのですが、いざ組み立ててみると、芋が並んでいるみたいで、巨大戦艦のスケール感がさっぱり感じられません。

苦労が報われずガッカリです。




 戦艦「三笠」爆発事故のエピソード

 1905年5月27日に行われた日本海海戦(ツシマ海戦)では、日本海軍は、

 ロシア帝国のバルチック艦隊の戦艦6隻他19隻を撃沈、戦艦2隻他7隻を捕獲するという戦果をあげ、

 失ったのは3隻の水雷艇だけだったのですから、まさしく「パーフェクト・バトル」でした。


 その後、連合艦隊が佐世保に帰港したのは同じ年の9月9日のことです。

 東郷平八郎長官とその幕僚たちは、戦勝報告のため陸路で東京に向かいました。

 水兵はその半数が9日に上陸外泊を許されました。

 その内の一人は佐世保出身でしたので、自宅に帰ったのだそうです。


 自宅を守ってくれていた夫人は、大喜びで夫を迎えたのですが、夫の大好物のウナギは用意されていませんでした。

 2年近く海上生活をおくった夫が最初に食べるウナギはそれ相応の立派なものでなくてはならず、そのようなウナギをどうしても見つけることができなかったからです。


 10日は艦上宿泊で、11日はまた自宅に帰ることができるので、楽しみはそれまでとっておこうと10日の朝、その水兵は自宅を後にしました。

 そして、10日の午後10時過ぎ、「三笠」の火薬庫が爆発し、大音響とともに沈没してしまったのです。

 3度の爆発で沈没した「三笠」は満潮時には煙突が見えて、干潮時には上甲板が見えたそうです。

 日本海海戦の日本海軍の戦死者は117名で、この爆発事故による死者は339名でした。


 ウナギの大好きな夫を亡くした夫人は、遺骨のない仏前に手を合わせ

 「何としてでもウナギを探し出して、食べさせてあげたら良かった」

 と泣き伏したそうです。

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最終更新日  2011年06月24日 00時44分33秒
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