2011年12月24日
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カテゴリ: 秋山真之伝記
 海軍大臣「八代六郎」中将は、大ナタを振るってシーメンス事件を処理してしまうと、

 さっさとその職を「加藤友三郎」中将に譲って、現場に復帰したのですが、

 「秋山真之」少将は海軍省で軍務局長としての業務を継続しました。


 日本海海戦では、絶妙の連携をみせた加藤と真之ですが、

 軍政方面ではうまくいかなかったようです。


 加藤が、

 『秋山もいいけれど、もう少し俺をたててくれないと困るよ』

 と愚痴ったという話は、多分この時期のことであったのでしょう。


 当時、真之は、

 『日本の海軍のことはもうこれで宜しい。

 これからは支那問題、大亜細亜洲の問題だ。』

 と、語ったとされていて、

 これは、文字通り捉えることもできるのですが、

 「日本海海戦以上の功績を挙げることは、軍令系統では(今が平時であるから)できないから、

 軍政系統に活路を見出したい。」

 という、日露戦争後の苦悩の中で、

 やっと見出すことができた方向性であったのかもしれません。


 同じ松山人で、俳人の「河東碧梧桐」(カワヒガシ、ヘキゴトウ)は、

 本当は「小結」程度の実力しかないのに、

 「横綱」になってしまった「力士」の苦悩を「真之」に当てはめていて、

 真之が軍務局長の職を引き受けたのもこの苦悩ゆえだと考えていたようです。


 碧梧桐は、次のように述べています。

 『軍務局長のごとき吏務は、

 もしこの人(真之のこと)が徹底していたならば、

 容易に承諾すべき地位ではないからだ。


 果然、そのために、「頓挫」というほどではなくても、

 多少の暗影をその智嚢の上に投げられてしまった。』


 真之の苦悩は、軍務局長を勤めることによりさらに深まってしまったようですが、

 それを解決しようにも、真之の時間は、あと2年しか残っていなかったのです。





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最終更新日  2011年12月24日 16時06分11秒
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