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ヒロキがチェスを始めて、約一年になります。 前に通っていたアリス小学校でESL中級になったとき、ヒロキ一人が2年生で、ほかのクラスメートは5年と6年生でした。出身国は、インド、エジプト、ドイツ、アルゼンチン、チリ、ブラジルとさまざまでしたが、共通点が一つ、みんなチェスができたのです。お天気が悪かったり、寒かったりすると、昼休みは「中遊び」となりますが、そんな時よくチェスをやっていたようです。この手のゲームは大好きなのにチェスを知らなかったヒロキは、指をくわえて横で見ていたようです。かわいそうだったけれど、親の私達もチェスを知らないので教えられませんでした。 ESLを卒業してウエスト.ウッズ小学校に転校したら、アフタースクール・プログラムでチェスがあることがわかりました。近くのウエスト・ヘイヴン高校のチェスの先生とその弟子が来て、毎週水曜日1時間ほどチェスを教えてくれます。8回で$70と結構いい値段です。 最初は駒の動かし方から教わって、友達同士で試合をしたり、先生の講義を聞いたりして勉強しているようです。最近はそこそこ強くなってきたみたいで、自分よりずっと前に始めた同級生と互角に戦えるようになってきました。一度などは6年生のタシアに勝った! と鼻高々でした。 この日記をリンクしてくださっている、「リッチモンド・ママ」さんの息子さんの海渡クンはヒロキと同じ3年生で、チェスがとても上手で、よくトーナメントに参加して活躍しています。とても楽しそうなので、ヒロキも一度くらいトーナメントに出たいなあと思っていました。 しかしこのあたりはあまりチェスが盛んでないらしくて、特に子供向けのトーナメントはありません。コネチカットでももっと西のほう(フェアフィールド郡)では学校ごとに持ち回りでよくトーナメントをやっているようですが、この地区に英語のできないアジア人親子の我々が行くのは、かなり勇気が要ります。 おとといの日曜日(13日)にヒロキは「2005 Greater New Haven Winter Open」というトーナメントに初出場しました。大人のプロ棋士も出場するような大会ですが、下位の2つのクラスは子供のみです。チェス棋士は自分の現在の棋力を表す「レーティング」という数字を持っていますが、このレーティングを使ってクラス分けされています。今回は、U800/Unreted(レーティング800未満あるいはレーティングなしのクラス)、U1000(1000未満)、U1200(1200未満)、U1600(1600未満)、Open(誰でも参加可能だが、レーティング2701のグランド・マスターや2300以上の「プロ」棋士がゾロゾロ)の5つでした。ヒロキは初出場でレーティングを持っていませんので、U800/Unretedクラスです。 会場に行って、控え室のカフェテリアに座っていたら、偶然、向かい側の席に同じ学校の5年生のマークとお母さんが座りました。彼も初出場だそうです。10時試合開始のはずなのに、ちっとも始まりません。U800/Unretedクラスは60人もエントリーしたので、組み合わせを決めるだけでも大変なようです。たまたま隣に座っていたインド人のおじさんが、「ちょっと練習でもするか」と誘ってくれました。立派な競技用のチェスセットを持っています。ヒロキとマークが練習試合をすると、「ここは、こうしたほうがいい」とか「ここはどうしたらいいか、考えてごらん」とか実に的確にアドヴァイスしてくれました。こんなにチェスの上手なお父さんがいたら、子供は強くなるだろうな、と思ったら、やはり息子さん二人はU1600クラスにエントリーしていました。 10時40分ころコールがあって、廊下に組み合わせ表が張られました。相手はレーティング332です。会場のジム(体育館)にはずらーっとテーブルが並び、チェス盤がセットされています。対局時計はなし(使ったことがないので、なくて安心しました)。ヒロキちょっと緊張気味でしたが、相手の子も同じくらいの学年に見えたので一安心。試合開始前に、保護者は会場を出されます。 控え室で待っていると、早い子は5分ほどで帰ってきます。一応持ち時間は一人30分なのですが、子供だからそんなに長考はしないようです。マークもかなり早く戻ってきました。勝ちました。 15分くらいでヒロキが戻ってきました。顔はすましていますが、スキップしています(笑)・・・初勝利です。相手のヘマで楽勝だったようです。 第2試合開始まで、またまた待たされました。ヒロキの学校からは、他にコナーとサヒルの6年生二人も参加していることがわかりました。二人とも何度かトーナメントに出ていて、少し慣れています。 第2試合は1勝同士の対戦、相手のレーティングは570で、あっさり負けてしまいました。 第3試合は1勝1敗同士の対戦、相手のレーティングは427。試合前にヒロキが「何勝したの?」と聞いたら、「俺は2勝だ!」と答えたのです。そんなはずはない、ともう一回対戦表を見直しても1勝1敗です。どうも強がっているようです。ヒロキに「相手は、ヒロキを怖がらせるためにウソを言ってるんだよー」と、そっと耳打ちしたら、ヒロキは「フーン・・・」と理解できない様子。チェスは、こういうメンタルな駆け引きも大事だということが、まだ解っていません。相手の子は、チェスが強くて大会の会場になっているPeck小学校の子なので、こういうことには慣れているのでしょう。 この試合は、ヒロキが言うには「途中まで負けていたけれど、ワナをしかけて、相手のクイーンを取ったら、相手は”アッ”っと言って、逆転勝ちした」そうです。 第4試合の相手は女の子(レーティング 492)。この子もチェスの強いFland校で、試合前にコーチが「頑張れよ」といった感じで激励の握手をしていきました。試合慣れているようで長考されていらいらしたようですが、ヒロキも「一生懸命考えて」辛勝。 4試合終わって、サヒルが4勝、コナーが3勝、マークが2.5勝。「ヒロキも3勝したよ」と言ったら、サヒルの顔色が変わりました。「ぼくたちウエスト・ウッズ小学校は、トロフィーをもらえるかもしれない!」 最終戦はレーティング 657の中学生に当たってしまい、惨敗でした。相手の子はコールを聞きのがしたらしく、なかなか会場に現れず、もしかして不戦勝? と思ったのだけれど、そうはいきませんでした。 それから、表彰式、すでに夕方4時を過ぎていました。U800/Unretedクラスでは、サヒルが5勝して2位になりました。U1200クラスでは、子供に混じって白髪のおじいさんが3位に入賞していました。 いよいよ、学校対抗の発表です。学校対抗のルールは、それぞれの学校の、U800/UnretedとU1000とU1200クラスの出場者から、勝ち数の多いもの4人を選び、その勝ち数の合計で競います。 まず、3位が発表されました。会場校のPeck小学校です。学校対抗では上位の常連、図書室にはチェスのトロフィーがずらっと飾ってあります。2位はPeckのライバル、Fland校でした。ということは、もしかして・・・? 「学校対抗は僅差の戦いでしたが、1位は、常連校を抑えて、ハムデンのウエスト・ウッズでした・・・。」わざわざ、「ハムデンの」と言わないと、だれもどこの学校かもわからない無名校です。ヒロキたち4人は、小躍りしてトロフィーを受け取りに行きました。すると、もう一人知らない子が駆けてきました。彼もウエスト・ウッズの生徒でした。トップ・ページの写真はそのときのものです。後ろにいるハンサムな青年は、アフタースクールのチェスの先生で、Yale大学の学生さんです。 得点の内訳は、サヒル5勝、マーク3.5勝、コナーとヒロキが3勝の合計14.5点でした。2位は13.5点、3位は13点でした。 もうお気付きと思いますが、優勝したからといってウエスト・ウッズが最強の学校というわけではありません。どのクラスでも、1勝は1勝として計算されます。ウエスト・ウッズは、全員がU800/Unretedクラスへのエントリーでした。強豪校のPeckやFlandからは、上位クラスへのエントリーもたくさんいます。 6年生のコナーが、「トロフィーは月曜日の9時30分に、校長先生のところへ持っていきます。6年生が全員を迎えに行くから、ちゃんと待っているように。」と指示しました。なかなかしっかりしています。 月曜日、校長先生は、たいへん喜んでくださったようでした。トロフィーは、受付の一番目立つところに飾りました。 その翌日(火曜日)、朝の校内放送でこのことが全校に紹介され、ヒロキはクラスメート全員から大きな拍手をもらいました。 ヒロキの順位は、U800/Unretedクラス21位でした。レーティングがいくつになるか楽しみです。
2005年02月15日
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11月の第4木曜日(今年は25日)はサンクス・ギヴィング・デー(感謝祭)です。このアメリカの伝統ある行事は、1621年に行われたピルグリムズとネイティヴ・アメリカンの祝宴に由来することは昨年の日記にも書きましたが、途中中断したこともあり、11月の第4木曜と定められたのは1941年のフランクリン・ルーズベルト大統領の時と、以外に新しいことだとヒロキの宿題を手伝っていて知りました。 ヒロキの学校は、水曜日が半日で終わり、木曜日から日曜日まで休日ですが、今年も我が家は旅行の予定もなく、アメリカ伝統のターキーを食べる予定もなく、という状態でした。 学校で、先生が、「この休暇にどんなことをする予定か?」と一人一人に尋ねたそうですが、「XXに住んでいる、おばあさんの家を訪ねる」「家でパーティーをする」「ターキー・ハンティングに行く(本当に七面鳥狩をするのかは不明)」といった返事がほとんどの中、ヒロキは「ボクは、家の掃除をして、宿題をやります!」という珍回答で、先生も友達も唖然としたようです。 ところが、水曜日の午後、日本人の友人Y子さんから電話があって、「明日、隣の家と合同でターキーを焼いてパーティーをするけれど、いらっしゃいませんか?」とのお誘い。Y子さんのご主人はフランス人で、フランス風の本格的なターキーを、ご主人自らが焼いてくださるとのことで、大いに期待が持てます。 さて、当日の朝、電話が鳴りました。ヒロキの友人キューミン(韓国人)のお母さんです。「今日、暇なら、お昼ご飯に来ない? ターキーを焼くのだけれど・・・」うーん、夕食はすでにターキーの予定が入っていましたが、せっかくなので行かせていただくことにしました。 キューミンの家は隣のアパートで、車で5分くらい。約束の時間は昼の12時。アメリカではふつう15分くらい遅れていくのが常識なので、そのつもりでいたら、12時2分に電話が鳴り、キューミンが「いつ来るの! 早く来てよ!」。韓国人は時間より早く行く習慣なのでしょうか? 聞き忘れました。 キューミンのお母さん曰く、「アメリカにきて2年、初めてターキーを焼くことにして、昨日一番小さいターキーを買ってきた。昼にディナーをしようと、朝5時に起きて準備を始めたけれど、どうもこのターキーを家族4人で食べるのは大きすぎる。キューミンとお兄さんは未だ寝ていたので、自分ひとりで決めて、我が家を招待した。起きてきて、この話を聞いたキューミンは大喜びで、待ちきれないで電話をかけた。」 ターキーとハムを焼いて、コーン入りマッシュポテトとグレービーソースとスタッフィングとサラダと、初めて作ったにしては上出来でした。 でも、キューミンのお父さんもお母さんも、食べながら、「本当はこういうアメリカ料理は、好きじゃないのよねー」。月に一度はニューヨークの韓国人街に買出しに出かけ、普段は韓国料理を食べているそうです。で、登場したのが炊きたてご飯にキムチ! これが実においしい、幸せ! って言う気分です(笑)。キューミンの家には、韓国から持ってきた「キムチ冷蔵庫」があります。普通の冷蔵庫より低い温度で、キムチの保存用に使うそうです。ソウルでは、ほとんどの家庭にこの冷蔵庫があるそうです。 ターキーは半身が完全に余っていました。 さて、夕方はY子さん宅へ。ご主人がフランスのお母さんに電話そして教わったという、トリひき肉とトウフの詰め物入りターキーに、カブやニンジンや芽キャベツの付け合せ・・・アメリカでは見られない豪華な料理を堪能しました。ヒロキはY子さんの子供のN君と、隣のうちのマッキーと広い家の中を駆けずり回り、はしゃぎすぎでどこかに頭をぶつけてたんこぶを作りました。 ここでも、3家族で食べたのに、ターキーは約半分残りました。 翌日は、日本人のOさんがホーム・パーティーに呼んでくださいました。なんと、贅沢にも「シャブシャブ・パーティー」です。 昨年はOさんはターキーを焼いたそうですが、残りものを1週間かけても食べきれず、カレーに入れたり、いろいろ苦労したそうです。今年はもう焼かないことに決めたのだそうです。我が家にとってもラッキーでした(笑)。 翌日学校がないのをいいことに、ヒロキとOさんの娘のEちゃんとは夜中すぎまで遊んでいました。遊んでいると、ちっとも眠くならないそうです。 サンクス・ギヴィング・デーも、もう3回目になりました。最初の年は来たばかりで、ニュージャージーの日系グロッサリーに布団を探しに行きました。結局買わないで、日本から送ってもらったのですが。サンクス・ギヴィング・デーのディナーにとっても興味があったのですが、ついに食べる機会はありませんでした。 2年目は、ヒロキの学校のパーティーで本格ディナーを試食し、満足しました。 3年目の今年は、3回もターキーが食べられて、大満足です。この先、私が自分でターキーを焼くことは決してないでしょう(爆)。
2004年11月27日
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ニュー・ヘイヴンには、「ニュー・ヘイヴン・シンフォニー」というアマチュア・オーケストラがあります。何でも全米で4番目に古いオーケストラなんだそうですが、メジャーになれなかったのは、やはりニュー・ヘイヴンそのものがメジャーな都市になれなかったためでしょう。 しかし、アマチュアながら年に十数回の定期演奏会をこなし、なかなか立派なものだと思っていましたが、今まで聞きに行く機会がありませんでした。 先週たまたまパンフレットを手に入れたら、11月の演奏会の曲目はドボルザークの「新世界より」。春のハムデン・シンフォニー・オーケストラの演奏会でこの曲が大好きになってしまったヒロキが、また聞きに行きたいというので、チケットを買おうと思ったのですが、ニュー・ヘイヴンでの開催分は安い席はすでに売り切れでした。こんなアマチュア・オケなので、$50のチケットはもったいないと思ったのです。 同じプログラムが、今日、Wiltonという町の高校であることがわかったので、こちらに行くことにしました。チケットは$30x2枚と$10x1枚。 本当は夫が忙しいので、ヒロキと私の二人だけで行こうと思ったのですが、Wiltonはうちから40分ほど離れているし、土曜日のコンサートだというのに夜8:00の始まりで、終了時刻は夜10:00を過ぎてしまいそうで、ちょっと一人で行く自信がありません。 案の定、夫は「ちっとも気乗りのしないプログラムだなあ・・・」などとぶつぶつ言いながらの運転です。I-95の17番出口を降りてから、遠いし、暗いし、雨は降っているし、本当に行き着けるのか不安でした。 会場は、Wilton高校のオーディトリウムでしたが、これがすばらしい中ホールで、広い、吹き抜けのあるロビーでは、生徒の美術作品の展示が行われていました。 本日の演奏会のタイトルは、「American Frontiers」。プログラムの最初は、コープランド(Copland)の「ロデオから、4つのダンスエピソード」。コープランドは20世紀のアメリカの作曲家です。初めて聴く曲ですが、アメリカらしくて、とても楽しい曲でした。 次は、実は私が最も期待していた、ガーシュウィン(Gershwin)の「ラプソディー・イン・ブルー」。プログラムにピアニストの名前がありません。代わりに、「George Gershwin, piano roll」と書いてあります。これはいったいどういう意味なのかな? ステージ中央に「YAMAHA」のコンサート・グランドが運ばれました。ちゃんと椅子も用意してあります。指揮者のPakさん(韓国人)が、マイクをとって説明を始めました。「今夜のピアニストは、ガーシュウィンです。ガーシュウィンの録音から、コンピューターを使って、ピアノが自動演奏をできるようにしてあります。この試みは、コネチカットでは初めてです。何しろ、このピアノはとても高いので・・・(笑)。」 ガーシュウィンの活躍した1920年代のアメリカは、自動演奏ピアノが最も発達した時代でした。ガーシュウィン自身もピアニストでしたから、ラプソディー・イン・ブルーのピアノ独奏版を自動演奏ピアノ用に録音しました。これは巻紙に穴を開けて記録するもので、ピアノ・ロールを呼ばれています。 最近このピアノ・ロールからMIDIのデータに変換し、現代の自動ピアノに演奏させたものが、いくつかCDも出ているそうです。さらに、ピアノ独奏版のデータから、本来オーケストラが演奏する部分を除いて、「ピアノ・パート版」が作られ、オーケストラと共演できるようになったのです。まさに、YAMAHAによる、ハイテク演奏会なのです。 Pakさんは、ヘッドフォンをつけて演奏を始めました。最初のピアノ独奏部、ぴったり合っています。椅子には誰も座っていないのに、鍵盤はちゃんと動いて演奏しています。たまに、和音がずれることもあるけれど、かえって臨場感があります。(この曲で、ソリストとオケがぴったり合ったら、かえってわざとらしいと思います。) ガーシュウィンの演奏は、華麗というには程遠く、重くて泥臭いのですが、テンポの動きが実に自由で、とても楽しい演奏です。無人の椅子に、若くして亡くなったガーシュウィンの姿が見え、私は涙が出るほど感動しました。 ヒロキは「ボク、この曲聞いたことあるよ。」以前、日本にいたとき2台ピアノによる演奏を一度だけ聞いたことがあるのですが、よく覚えているものです。 休憩のあとは、ドボルザークの「新世界より」。とにかくこのオーケストラ、上手いです。日本のプロのオケでも、ここより下手なところはいくらでもあります。いったいここのメンバーは、普段は何をしている人なのでしょう? 私は大好きなラプソディー・イン・ブルーの後で、ヒロキは昼間の補習校の疲れが出たのか、二人は少々飽き気味でしたが、夫は一番感動していました。帰りの車の中では、「良かった、良かった、(合計)$70は高くない・・・。」とご機嫌でした。
2004年11月20日
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今年も、なぜかNYヤンキースの試合を見に行かれませんでした。ヤンキースは30日の木曜日に無事地区優勝を決め、金・土・日はカナダのトロントで最終戦です。その、消化試合をわざわざ見に行ったヒマジン(車で7~8時間かかるのですよ!)が、イエール大学の研究者の中にいると聞いて、巨人ファン→松井ファン→ヤンキースにわかファンの夫は内心おもしろくありません。 腹いせに、アメリカン・フットボールの試合を見に行くことにしました。(何の必然性もないのですが・・・。)といっても、プロ・フットボールではありません。お手軽、イエール大学の試合です。一応、アイビー・リーグだから、それなりかな?でも、相手のコルゲート大学は、アイビー・リーグではありませんでした。 イエールのIDカードを見せたら、入場料は無料。無料だから、安い席にしか座れないのかと思ったら、ゴール手前の学生+応援団席を指定されました。 フットボール場はかなり年季の入った建物で、ベンチも傾いて、ボロボロです。会場はガラガラ。応援のブラスバンドもイマイチだし、チアガールも7人しかいなくて、とても地味・・・。 ヒロキの補習校が終わってから行ったので、もう第2クオーターに入っていました。0-7で負けていましたが、すぐに同点に追いつき、その後双方追加点をあげ、前半終了時には14-14の同点でした。 お待ち兼ねの、ハーフタイム・ショウ! なぜか、チアガールが出てこない・・・ブラスバンドだけで、音楽劇をやりました。英語のアナウンスが聞き取れない我々には、何をやっているのか解らない・・・。 そして、第3クオーターに入ったら、相手チームが俄然強くなり(それまでも押され気味だったのですが)、2回も追加点をいれられ、14-28となりました。その時点でもう負けを意識したか、我々の後ろに座っていた学生の一団が、第3クオーター終了にあわせて突然上半身ストリップをして、セキュリティー・ポリスが来ない間に逃げて行きました。どこでも学生は困ったものです。 ヒロキはすっかりあきてしまい、「もう帰る!ボクが見ているといつも負けるんだから!」とむくれて、ベンチにひっくり返っておりました。たしかに、前回のホッケーも、ずっと前の職場野球も負け試合でした。 ところが、第4クオーターに入って、まず1トライ1ゴールを返し、それから奇跡のインターセプトも決まり、残り時間3分40秒でさらに得点して同点に追いつき、相手攻撃を防ぎ、残り1分30秒でフィールドキックで3点追加し、なんと逆転勝利を収めたのです。これらの活躍が、すべて学生席目の前の自陣で起きたので、本当によく見えて、みんな大興奮! 観客総立です。学生全員で鍵束を取り出して、ガチャガチャ鳴らす場面もありました。あとで夫が学生に聞いてみたところ、「オマエの負けは決まったから、鍵を用意して帰れ!」という意味らしいです。 ヒロキもご機嫌を取り戻して、「見に来てホントに良かった!」と言っておりました。現金なヤツです。 夜、テレビで大学フットボールの中継をしていました。さすが、テレビ中継されるだけのことはあって、我イエール大学とは比べ物にならない動きの速さでした。
2004年10月02日
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昨日からめでたくハムデンの学校が始まりましたが、初日は予想どうり、大混乱でした。 朝、スクールバスを待つこと、25分。期待虚しく、また同じバスドライバー。このドライバーさん、時間にルーズで、予定時刻に20分30分と遅れることはざら。そして時々ものすごく早く(予定時刻前)に突然やってきて、だれもスクールバスに乗れない、なんていう事態が何度もありました。バスがあちこちで生徒を乗せてくるのなら遅れるのも解るけれど、100mくらいしか離れていない同じアパートの東口がスタート地点なのです。みんな怒っているけれど、どうしようもないのであきらめています。 帰りのバスも、30分遅れて隣のアパート東口の前に着いたとき「やれやれ、やっと来たか」とホッとしました。しかし、バスはそのまま止まったままで、5分たっても動かないのです。スクールバスは、生徒の乗り降りで止まるときは、車の上についている赤のランプを点滅させ、車体の横にストップサインを出し、車体の前には直前横断を防ぐバーを出します。そして、後ろの車はバスを追い抜いてはいけないし、対向車もバスの前で止まらなければなりません。そんな状態でバスが5分以上も止まっているので、道路は両側に車の列ができて、大渋滞です。 仕方がないので、100m歩いてアパート東口まで行くと、親がむかえに行った子は降ろしてもらえました。ヒロキにどうしたのか聞いたら、「隣のアパートで降りるはずの、スティーブという子が乗っていなかったの、初めから乗っていなかったのか、途中で降りちゃったか、わかんないの・・・」スティーブのお母さんとドライバーさんが、携帯で学校や警察に連絡をとって大騒ぎです。バスはずっとそこに止まったまま。最後にバスを降りる子が何分遅れで家に着いたか、私は知りません。 詳細はわかりませんが、スティーブ君は無事に見つかったようです。ご安心を。 そう言えば、昨年も親友のS君バス乗り間違え事件があったなあ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ さて、本日はハムデンの花火大会です。アメリカ在住の方はきっと、「何で、こんな時期に?」と思われるでしょう。 アメリカの花火大会は、夏の間毎日やっている遊園地や観光地は別として、7月4日の独立記念日に一斉に行われます。今年のように7月4日が日曜日だと、2日から4日までの間で多少ばらつきがあります。 ハムデンも当初7月2日の金曜日に予定されていました。当日午後に激しい雷雨がありましたが、幸い6時前にすっかり雨があがり、湿度100%でもやの立ち込める天候でしたが、まあ花火はできるコンディションだろうと思っていました。7時ころからハムデン・ウインド・オーケストラのコンサートが始まり、会場には9000人ほど集まっていたそうです。我が家は8時半ころ会場に到着。9時を過ぎてようやくあたりが暗くなりだし、そろそろカウントダウンが始まるころだな、と思っていると、なにやら演説が始まりました。市長があいさつでもしているのだろうと、全然聞いていなかったのですが、演説が終わると、「オー、ノー!」とか「オー、マイ ガッド!」という声があがったのです。そして、周りのアメリカ人たちが帰り支度を始めたのです。隣にいた家族連れに聞いたら、花火は中止だ、ということです。どうして? あんまりひどい雨だったので、花火が湿ったのかな? それにしても、だれも大声を出すでもなく、黙々と帰っていく群衆にびっくりしました。夫曰く、日本の某地方だったら、間違いなく暴動が起きるだろうな・・・ のちの「ハムデン新聞」によりますと、花火を請け負った業者がちゃんと準備をしなくて、間違った装置を持ってきたので、安全のため中止にした、のだそうです。同じ業者が請け負ったニュー・キャナンの花火大会も中止になったそうです。この業者は昨年までは何の問題もなかったが、今後はこの業者とは契約しない、とありました。あたりまえだ。9000人もの観衆に申し訳ない、花火はもう一度計画する、という消防署長のお詫びコメントもありました。 というわけで、今日はハムデンの花火大会でした。日が暮れるのが早くなったので、8時半開始。小さな花火も数うちゃ豪華、ってばかりに、きっちり30分間、これでもかと休みなくあげつづけました。もう少しコーディネートすればもっと見栄えがするのに、センスがないんですかねえ、日本の花火大会を見せてあげたいです。でも、芝生の上にシートを敷いて、寝ながらゆっくり見られる花火大会なんて、日本のどこにもないですよね。
2004年09月03日
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ついにヒロキの学校が始まりました!6月22日に2年生が終了し、夏休み実に70日間! 日本の標準的な夏休みの約2倍、何て長いんでしょう! でもやることが多すぎて、あっという間に終わってしまったというのが正直な感想です^^;>。 夏休みまず初めに、行きたい行きたいと思っていたピアノのレッスンに、NYまで行ってきました。本当は休み中にもう一度行きたかったのですが、時間切れ・・・ そして、ヒロキは1週間のお泊りキャンプ、水泳教室1週間、お勉強キャンプ2週間。その間にお友達とスリープ・オーバー2回、プレイデイト数知れず。 家族で州立公園にキャンプに行って、池で泳いだり、魚釣りもしました。お父さんが初めて釣れて、大喜びでした。 また、私の従姉妹が遊びに来て、ヒロキに「Newたまごっち」を持ってきてくれました。これがまた世話の焼けること。 さらに、8月にはドーンと大きな家族旅行(足掛け10日間)をしました。我が家にとって、今年の夏がアメリカ最後の夏になる予定なので、本当に思い切って行ってきました。この辺の話はまたボチボチupの予定です。いつになるやら(笑)。 他にも、この休みのあいだにパーティーが4回、我が家にお客を招いたのが2回、そして、最後の一週間は急に暑くなったので、ここぞとばかりに連続6日間プールで泳ぎました。(母も付き合いました、ダイエットになったかな?)プールつきの家(アパート)に住めるなんて、今だけですからね(爆)。 トップページにも書きましたが、今年のコネチカットは冷夏でした。8月なのに最低気温10℃なんてことがありましたし、最高気温が30℃を超えた日もなかったのでは?と思います。屋外プールで泳ぐのには勇気がいるような日々が続いたのですが、8月28日の土曜日から、急に暑くなりました。夫は、「暑い、死にそうだ・・・」と言っていましたが、最高気温は28℃くらいでした。日本の猛暑に耐えているみなさま、ごめんなさーい。 ヒロキの名誉のために付け加えておきますが、この忙しい日程の中、補習校の宿題プリントと絵日記5日分を仕上げ、英語の本を24冊、日本語の本を28冊読みました。それと同じくらいの量のマンガ(ドラエモン他)も読みました(爆)。英語の本はことに最後の1週間に頑張って、学校から指定された3年生レベルの本を7冊も読みました。この指定図書はハムデン図書館から借りるのですが、夏休みの最後3日くらいにはこのての本がほとんど借り出されて書架からなくなってしまい、みんな「Last-minute」(土壇場)に必死に頑張っているのがよくわかります(大爆)。日本でも、8月31日といえば一日中宿題をやっていたような記憶が・・・ そんなわけで日記更新が滞っておりましたが、また少しずつ書き足したいと思いますので、よろしくお願いいたします。 お泊りキャンプでいただいたごほうび(アワード)です。あおいリボンは一等賞のしるし、副賞は小さな銀色のペンダントです。
2004年09月02日
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グランド・ティートンの山々は、映画「シェーン(Shane)」のラストで、少年が「カム バック! シェーン!」と叫ぶ有名なシーンのバックに出てきます。映画に出てくる丸太小屋は、残念ながら火事で焼けてしまったそうです。Serenaさん御回答ありがとうございました。 さて、本日はいよいよ旅行の目玉、イエローストーン国立公園の見学です。 昨夜遅く到着したにもかかわらず、7時には起床、モーテルの朝食を摂って、8時過ぎには出発。ウエストイエローストーンの小さなグロッサリーストアで水や食料品を調達。 公園入り口のゲートでは、カウボーイハットの制帽とグリーンの制服のパークレンジャーが、入場料の徴収をしたり、チケットのチェックをしています。若い人が多いので、とっても格好良いです。我が家はグランド・ティートンの入り口で入場料$10を払っているので、ここではチケットのチェックのみ。 ゲートを入ってしばらくすると、早くも渋滞・・・イエローストーンでの渋滞は「動物がいる」という意味なので、ワクワクしながら近づくと、道端の枯れ木に大きな鳥の巣がかかっていて、そのすぐそばに巣の主のバルド・イーグル(白頭ワシ)がとまってあたりを睥睨していました。しかし同時に木の下には怖い顔のパークレンジャーがいて、「止まるな! 早く行け!」と交通整理をしているのでした。大事なバルド・イーグルの巣を保護するためでしょう。 道は、マディソン川沿いを通っています。しばらく走ると、川原の草の中にシカの群れが見えました。路駐用に少し広くなっている路肩に車を停めて観察していると、通りがかりの人が「ミュール・ディアだよ」と言うのですが、なんか違うようです。双眼鏡でじっくり観察して、夫と「エルクのメス」という結論に達しました。メスだから、角はありません。 またしばらく走ると、シカの群れが見えました。またエルクのメスでしたが、夫が背の高い草の中にに別の一群を見つけました。こちらは、ミュール・ディアでした。 今日の最初の目的地、オールド・フェイスフルに到着したのはもう10時30分ころでした。ここは、ガイザー(間欠泉)がたくさんあります。ことに、「オールド・フェイスフル・ガイザー」は、約92分間隔を忠実に(フェイスフル)守って噴出するのでとても有名です。おりしも、オールド・フェイスフル・ガイザーの周りに大勢の人が集まっているので、噴出時刻が近いのだろうと思って近くの人に聞いてみたところ、「知らない」との返事。アメリカ人は待つのに慣れっこなので、噴出時刻なんて気にしないようです。待っても最大92分ですから・・・。 しかたがないので、ビジターセンターを探してウロウロ・・・。やっと探し当てたら、噴出まであと5分ということがわかり、急いで戻ってカメラを構えました。噴出は、4万リットルの水を吹き上げているそうですが、そんなに大きくもなく、まあまあです。 あらためてビジターセンターに戻り、本日のほかのガイザーの噴出予想時刻をチェックしました。 オールド・フェイスフル 12時28分pm ±10分 キャッスル 7時pm ±1時間 グランド 1時30分pm ±1時間30分 デイジー 11時45分am ± 40分 リバーサイド 1時45分pm ± 30分よし、今日は運がいい、最大のガイザーの「グランド・ガイザー」が見られそう、その前にデイジー・ガイザーも見られるかな? ちょうどその時、二人の東洋系の子供がパークレンジャーのデスクへやってきました。何かを見せながら、しばらくレンジャーと話をしていました。やがてレンジャーはマイクを手にとると、「みなさん、ここにいるXXと○○は、たくさんのことを学び、ジュニア・レンジャーになりました。お祝いしてください。」ビジターセンターにいた大勢の人の拍手の中、ジュニアレンジャーの印のワッペン(patch)が手渡されました。その様子をじっと見ているヒロキ・・・ワッペンがうらやましいに違いない・・・。「ヒロキもやってみる?」と誘ったら、「やる!」との返事。さっそく「ジュニア・レンジャー新聞」$3を購入し、パークレンジャーから説明を受けます。一応解っているらしい。でも後で新聞を見たら、えー、すごく大変! こんなのヒロキできるの? ヒロキは無事にジュニア・レンジャーになれるでしょうか? さて、デイジー・ガイザーの噴出に間に合うかと遊歩道(トレイル)を歩き始めたのですが、何しろ見るものが多く、おまけに生まれつき水の大好きなヒロキは何を見てもおもしろくて、ちっとも前に進めません。それに、個性的なネーミングがおもしろくて、例えばSpasmodic Gayser(長続きしない、むらのあるガイザー)とか、Spiteful Gayser(執念深いガイザー)とか、実にその様子をうまく表しているので感心してしまいます。もちろんこんな難しい英語の形容詞を我々が知っているはずはなく、看板見ながら辞書引きまくりです。トレイル歩きながら辞書を引いている人は他にいないだろうなあ・・・。 グランド・ガイザーに到着したのは12時10分、もう周りのベンチには人がたくさん集まっています。予想噴出時刻は1時から2時の間のはずなのに、ずいぶん気が早いことだと思ったのですが、これは我々の勘違いで、本当の予想噴出時刻は1時30分±1時間30分、つまり12時から3時までの間でした。これを本当に待つの? どうしようか? などとおやつを食べながら話していると、日本語の子供の声が聞こえて「ねえ、いつまで待つの?」 日本人には本当にたくさん会いました。 のんびりおやつなど食べていると、隣にいるおじさんがビデオをしっかり構えて「スタンバイ」の状態です。ガイザーの噴出直前の兆候は、わかる人にはわかるらしいので、そろそろなのかな? と思ったとたん、噴出しました! 我が家はカメラもビデオもスタンバイしていなかったので、大慌てで取り出して撮影しました。すると、オールドフェイスフルよりずっと近い距離で、お湯の噴出量も多いので、今度はお湯のシャワーが降ってきました。また大慌てでカメラやビデオを濡れないように上着の下に隠したり、大忙しの見学でした。人間はしっかりお湯シャワーを浴びましたが、天気がよくて乾燥しているのですぐに乾いてしまいました。これだけお湯シャワーを浴びたら、次には温泉につかりたい! と思うのは日本人だけらしくて、イエローストーン国立公園は四国の約半分もの面積があるのに、露天風呂がただ一ヶ所あるだけなのです。 予想より早くグランド・ガイザーが噴出したので、リバーサイド・ガイザーの噴出時刻に間に合うことになりました。今度はなかなか噴出しなくて、ずいぶん待ちました。リバーサイド・ガイザーは名前のとおり、川岸にある「コーン・ガイザー」(噴出口が堆積物で山のようになっているもの)です。噴出し始めたら今度はなかなか終わらなくて、次のデイジー・ガイザーの噴出時刻2時に遅れそうになり、あわててデイジー・ガイザーまで移動したけれど、正面に着く前に噴出が終わってしまいました。たった数時間で、噴出予想可能なガイザーを4つも見ることができて感激でした。 名所の「モーニング・グローリー(あさがお)」という名のプールまで行ってから引き返しました。 デイジー・ガイザーのそばのトレイルに大きな動物の死骸があって、もうほとんど骨になって、一部皮が残っているだけでした。何の動物かな? と見ていると、ジュニア・レンジャーのワッペンをつけた少年がやってきて、これはバイソンである、と得意そうに説明してくれました。なるほど、頭蓋骨と角の形から、バイソンであることがわかりました。 キャッスル・ガイザーの横も通りました。今晩7時ころ噴出予定ですが、ちょっとそれまでは待てません。残念です。 炎天下のトレイルを4時間以上も歩いて、ハラペコでクタクタで駐車場まで戻ってきました。本日の昼食は持参です。モーテルで電気釜で御飯をたいて、持ってきているのです。冷えているけれど、そんなことは気にしない。キャンピングエリアでお湯を沸かして、インスタント味噌汁を作って、ふりかけをかけて、おいしい昼食です。 それからまた、オールド・フェイスフル・ガイザーの周りを歩いて、「スチームボードと、マッド・スポットと、スプリングと、ファウンテン・ガイザーとコーン・ガイザーの違い」の書いてある看板を読んで勉強したり、(日本語でも理解できるかどうかあやしい・・・)、「モーニング・グローリーから取り出したゴミのかたまり」を見ました。コインやコーラのビンやこうもり傘などいろいろあります。一年に一度くらい、吸引して掃除をしているそうです。 本当は、世界最大の丸太小屋(?)の、オールド・フェイスフル・インも見学したかったのですが、とても疲れたので、また後日来ようと言うことで帰路につきました。 マジソンで運転を交代して、私が走り始めてすぐ、道路にエルクのオスが出てきました。立派な角がついています。みんな大喜びで車を停めるので、大渋滞です。エルクは堂々と道路を横切り、森の中に入り、しばらくこちらを見ていました。 朝見かけたバルド・イーグルは、今度は少し巣から離れたところにいたので、じっくり観察できました。この辺は14年前の大火災の焼け跡に草が生えて、餌になるネズミがたくさんいるに違いありません。 夕食は、ウエストイエローストーンのただ一件の中華料理店。さるHPで絶賛されていたのだけれど、お味の方は今ひとつでした。帰りに、朝寄ったのとは別のグロッサリーストアに寄ったら、地ビールを特売していました。その名も「ムースのよだれ」。ためしに買ってモーテルで飲んでみたら、なんとなく名前のとおりの味でした。
2004年08月10日
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朝、かなり冷えこんだせいか(暖房入れました!)、ヒロキに蹴飛ばされたせいか、久しぶりの旅行で興奮しているせいか、夫はとても早起きです。ついでに私も起きてしまいましたが、ヒロキはぐっすり眠っています。旅行中に子供に熱を出されて困った、というHPがあったので、今日は無理に起こさず、寝かせておくことにしました。 夫は、朝焼けの名所の「オクスボー・ベンド」というところまで、一人で出かけていきました。 私は、キャビンからほんの30秒ほどの、ジャクソン・レイクのほとりで、朝焼けに染まるマウント・モランを眺めました。本当に静かできれいなのですが、寒いせいか、だれも出てきません。こんなすばらしい景色を独りじめです。 7時過ぎ、やっとヒロキが寝ぼけ眼で起きたころ、夫が興奮して戻ってきました。「ムースがでた!」 オクスボー・ベンドで、朝焼けの写真をとろうとしていたら、後ろ側の山から立派な角のあるオスのムース(ヘラジカ)が降りてきて、道路を渡り、しばらく駐車場に滞在し、やがて川を泳いで渡って、向かい側の森の中に消えていった、と言うのです。ムースのオスは、そんなに見られるものではないので大興奮です。ビデオには川を泳いでいくムースがばっちり写っていました。泳ぎはとても上手です。デジカメの写真はイマイチですが、一応upします。 朝食は、キャンプ・ストーブでお湯を沸かして持参のカップ麺+お茶と果物。キャビンの玄関に座って、外で食べました。空気がおいしいからか、カップ麺でも結構おいしい(笑)。 ステキなキャビンに名残惜しかったのですが、チェックアウトして、まずもう一回オクスボー・ベンドに向かいました。すると、朝 夫が見たムースが向かい側の森の中にまだいて、とても遠くなのですがチラッと見えました。私には角が半分だけ見えましたが、ヒロキには同定できなかったようです。他にも、キツツキ(コゲラ)の仲間や、スズメの巣立ち雛や、鳥はたくさん見つけました。 次に、シグナル・マウンテンという天然の展望台に車で登りました。高いところから見るグランド・ティートンの景色もすばらしかったのですが、花がたくさん咲いていて、夫はそれを撮るのに夢中になり、「キチキチ」と鳴く(音を立てる)バッタがたくさんいて、ヒロキはそれを捕まえようと夢中になりました。こんなことをしているので、我が家は時間がいくらあっても足りません。 シグナル・マウンテンを降りて、ティトン・パークロードをドライブ。途中あちこちに「展望ポイント」があって、眺めもすばらしい_、いろいろ解説もしてあります。たとえば、マウント・モランの頂上には、黒い筋状の縦模様があるのですが、それは山頂近くの亀裂から別の種類の溶岩が盛り上がってきてできたものだそうです。 ジェニー・レイク・シーニックロードを経由して、ジェニー・レイクに到着したときは、もうお昼でした。ここの駐車場は満車で、仕方がないので路駐です。ジェネラルストア(売店)でサンドイッチを買って昼食。 これからジェニー・レイクをボートで渡り(往復$7)、対岸のヒドゥン滝を訪ねるトレールを歩きます。対岸のボートの桟橋の近くの木に、バルド・イーグル(白頭ワシ)がとまって出迎えてくれました。 ヒドゥン滝までは、30分ほどで、滝も大したことはありません。ここは人気のポイントらしく、かなり混んでいました。そこからもう少し登った、インスピレーション・ポイントというところまで登ることにしましたが、途中の眺めが良いところで私は休憩して、ヒロキとお父さんだけが行って来るのを待つことにしました。岩に腰をおろすと、すぐに、岩陰からチップマンクが出てきて、人を恐れる様子もなく寄ってきます。 あまりにかわいいので、ついつい食べ物をやってしまいたくなりますが、ここは国立公園内なので動物に餌をやるのは厳禁です。でも、横にいたおじいさんはビスケットをやっていました・・・。 30分ほどで、ヒロキとお父さんは戻ってきました。眺めは良かったけれど、まあ、それだけ、ということでした。相変わらずチップマンクが餌をくれそうな人を探して、ウロウロしています。ある女の人の足元に寄っていったら、彼女は「You are barking up the wrong tree! 」と言いました。あっ、これは、ヒロキが先週のお勉強キャンプで習ってきたばかりの慣用句だ! 「あなたの考えは間違っているから、あなたは望むものを手に入れられない」というような意味です。 帰りのボートに乗るのに、行列ができていました。一回に20人弱しか乗せないので、4回は待ったかな? また、バルド・イーグルが見送ってくれました。 対岸へ戻ってくると、もう夕方5時でした。ちょっとおなかが空いたのでジェネラルストアに寄ったら、「ハックルベリー・ジャム」というのを売っていたので、パンも買って試食してみました。ブルーベリーに似ていますが少し色が赤く、やや酸っぱい感じです。マーク・トゥエインが書いた「ハックルベリー・フィンの冒険」は知っていましたが、ハックルベリーという植物が実在することは知らなかったです。この辺の特産物らしく、ハックルベリーチョコなども売っていました。 ジェニー・レイクを後にして、有名な観光スポットの「トランスフィギュレーション礼拝堂」へ行きました。祭壇の後ろに大きな窓が設けてあり、十字架の後ろにグランド・ティートンの山々が美しく見えるようにできています。聖公会の教会で、日曜日には礼拝があるようです。もう夕方なのでほとんど人がいない、静かな教会でした。 この礼拝堂を出てすぐ、スネーク・リバーを渡ろうとしたら、橋のたもとに車が数台止まっています。何か動物がいるのかな? 夫が「ムースだ!」と言います。橋を渡ったところで車を止めて、歩いて引き返して観察したら、子連れのメスのムースでした。 それから、ジャクソン・ホール・ハイウエーを北上して、たくさんの「展望ポイント」があるのですが、「スネーク・リバー・オーバールック」というポイントだけ止まって、蛇行するスネーク・リバー越しのグランド・ティートンを見て、先を急ぎました。何しろ今日の宿はウエスト・イエローストーンに予約してあるのですが、ここから少なく見積もっても90マイル(150km)はあるのです。しかも、真っ暗な山道です。それなのに、またオクスボー・ベンドまで戻ってきたら、夫が「最後だから、ちょっとだけ寄っていこうよ・・・」降りたら、対岸にメスのムースがいました。30分前にはクマもいたよ、とそこにいた人が教えてくれました。ここに一日中いたら、たくさんの動物が見られたことでしょう。オクスボー・ベンドを出たのが7時半、幸いまだ結構日が高いです。 グランド・ティートン国立公園を抜けて、フラグ・ランチを過ぎたあたりで、また数台車が止まっていました。私たちも車を止めて降りてみたら、メスのムースでした。かなり近かったのですが、もうかなり薄暗くなっていたので良い写真は撮れませんでした。ヒロキが「メスのムースで道草食ってる場合じゃないでしょ!」と言ったら、ちょうど居合わせた日本人に大笑いされました。 道はよく舗装されてきれいですが、制限速度が35から40マイル/時なので、なかなか走行距離が伸びません。途中スピード違反でつかまっている車を見かけたので、制限速度遵守です。みんなハラペコでクタクタで、ヒロキは途中で寝てしまいました。 ウエスト・イエローストーンのベスト・ウエスタンについたのは夜10時過ぎ、部屋はなんと3階だったので、荷物をおろす前にマクドナルドに行って、ハンバーガーの夕食をゲット(開いてて、本当に良かった!)。ここのマクドナルドはログハウス風のつくりで、「滑り落ちる雪に注意!」という看板がかかっていました。冬にはきっとたくさん雪が降るのでしょう。 宿に戻ったらヒロキがちょうど目を覚ましたので、みんなで荷物を運んで、やっとのことで夕食にありつけました。 グランド・ティートンの山々は、ある有名な映画(古い映画です)に出てくるのですが、わかる人はいますか?ヒント:その映画のラストシーンに出てきます。少年が、叫びます「XXXX・・・・」。正解は、明日の日記に。
2004年08月09日
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朝、3:40に起きました。夜中ヒロキに蹴飛ばされて、ほとんど寝ていない感じです。ホテルから空港までのシャトルバスは30分おきですが、フロント前に4時20分ころついたら、もうかなり乗客が集まっていたので、そのまま荷物を積んで4:30の定刻前に出発しました。いいかげんです。 空港までは約5分。ユナイテッド航空のカウンターは、6時出発の飛行機が、わたしたちの乗るデンバー行きと、シカゴ行きの2機あるので結構込んでいました。 飛行機はボーイング757、約4時間のフライトです。 飛行機の中では三人とも爆睡で、サービスで配られたらしい朝食用のシリアルを取り損ねました(笑)。なので、デンバー空港に到着したときは、ハラペコでした。しかし、デンバーは山岳時間で、コネチカットやニューヨークの東部時間とは2時間の時差があり、午前8時でした。レストランはやっと営業を始めたところでした。「朝食ピザ」という、スクランブルエッグの乗ったピザを食べました。まあ、おいしかったです。 デンバー発10:10のジャクソン・ホール行き(エアバスA319)は、定刻の11:26に到着しました。空港に降りる少し前に、飛行機の窓から、グランドティートンの山々がきれいに見えました。この空港は、デンバー空港と違って、とても小さいです。なんと、グランドティートン国立公園の中にあるのです。 空港でレンタカーを借りました。カローラです。日本車でよかった、なんと言っても操作になれていますから。 まず最初に、グランドティートン国立公園とは反対の方向に走り、ジャクソンの町を目指しました。といっても10分くらいです。ビジターセンターに寄ったら、さまざまな動物の剥製やパネルの展示で、とても充実していました。本やお土産もたくさん売っていました。ヒロキはここで、バイソンの人形を買いました。 そして、ジャクソンの町で買出し。これからの旅程に必要な、クーラーボックスがわりの発泡スチロールの箱、キャンプ用の火器の燃料(ガスボンベ)、トレッキング・ストック、そして食料品・・・。レンタカー会社で教えてくれたグロッサリー・ストア(スーパーマーケット)は、非常に高級感あふれる店で、人口がたった千人というこの町には似つかわしくありません。実は、ここは高級リゾート地で、夏の間だけ人口が何倍にも膨れ上がっているのでした。昼食を食べて、いざ、グランド・ティートンへ出発! あっ、忘れるところだった。ジャクソンの観光名所「エルクの角でできた門」を見てきました。エルクというのは、やや大型の鹿です。オスの成獣には立派な角がありますが、秋には抜け落ちます。それを集めて作ったのがこの門です。町の真中の小さな公園の四隅に、四つの門がありました。 ほかにも、エルクの角のキャンドル立て、とか、エルクの角製椅子(ヒロキ曰く、とてもすわりごごち悪そう)、抜け落ちたエルクの角はいろいろな使い道があるようです。 大分夕方になってきて、時差もあって疲れていたので、あとはグランド・ティートン国立公園のビジターセンターにちょっと寄っただけで、今日の宿泊先の、シグナル・マウンテン・ロッジに急ぎました。 キャビンを予約していたのですが、丸太小屋でした! そして、ベッドや椅子も丸太でできていて、パッチワークのベッドカバーがかかっていて、まるで物語りのお部屋のようです。それでいて、バスルームはバスタブ付の近代的なもの。とても贅沢です。 夕食は、ジャクソン・レイク越しの夕日の差し込む、ロッジのレストラン。ヒロキはパスタ・ミートボールで、私たちはツナサンドとスープを食べました。 夕食後、ジャクソン・レイク沿いを散歩しながら、キャビンに戻りました。とても静かで、きれいなところです。夜9時になっても日が沈みません。案内には「キャビンからは湖は見えません」と書いてあったけれど、歩いて1分ほどで湖のほとりでした。このロッジはインターネットで予約ができなかったので、苦労して英語で電話をかけて取ったのですが、苦労した甲斐がありました(笑)。
2004年08月08日
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昨夜旅行の準備をしていて、普段あまり開けないクローゼットを覗いたところ、壁の下の方にぎっしりカビが生えていました! 壁と床の隙間から、水が漏れていたらしいです。クローゼットの中身を全部リビングルームに引っ張り出して、カビトリをして、カビの被害にあったものを夜中にゴミ捨て場に捨てに行って(幸い大事なものは被害にあわなかったのですが)、今日から旅行に出かけるというのに大騒ぎ! これから家を空けるというのに、部屋中散らかって、これではドロボウが入っても気がつかないでしょう(笑)。全部終わって、シャワーを浴びたら午前3時でした。 午前中は、ご主人を残して日本に帰国した友人が、日本から遊びにやってきたので、ブランフォードという車で30分の町まで会いに行ってきました。Shu君(中1)は約4ヶ月の間にとても背が伸びて、私より背が高くなっていました。アメリカでの1年半は横に伸びる一方だったので(つまり、太っただけ)、やはり日本の生活の方が健康的なのでしょう。 午後は、日本にお帰りになるTGさん御一家の送別会。ポットラックなので、昨日煮ブタを作っておきました。会場を提供してくださったOKBさんには、もう何度も食べさせていて、いつも同じで申し訳なかったのですが、他のメンバーが初めてということで許してもらいました。作るのは簡単で、日本人にはおおむね好評です。 そして、パーティー会場を後にしたのはもう夜9時過ぎ。今日はNYのラガーディア空港近くのホテルを取りました。明日の飛行機が早いからです。ホテルについたのが11時。荷物を開けてパジャマを取り出す余裕もなく、ヒロキはそのまま寝ました。 明日は4時30分出発です。起きられるでしょうか?
2004年08月07日
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なぜだか理由はわからないのですが、ヒロキは大分前から魚釣りに興味を持ち始め、最近の愛読書は「きほんがわかる つり」「川づり入門」・・・両方とも補習校が廃棄したリサイクル本。 ことに、学校のフィールドトリップ(遠足)で、サザンコネチカット大学へ行き、「ハックルベリー・フィンの冒険」の劇を見てからは、自分も一緒にミシシッピ川を冒険して釣りをしているつもりになっています(笑)。 そんな話をしていたら、最近知り合ったYさんが、「それなら、うちへいらっしゃい、庭で釣りができますから。」と誘ってくださいました。自分の家で釣りができるなんて、どんな家なんでしょう? ニュー・ヘイヴンの東へ30分ほどの、ギルフォードという町の、大きな湖のほとりに家がありました。リビングルームの外側にウッドデッキが2段あり、大きなバーベキューコンロがおいてあります。そこから小さな橋が自家用の桟橋につながっています。自家用のカヌーとカヤックがあります。家は、地下室と屋根裏をいれれば4階建ての豪邸ですが、「この辺では、小さな家、と呼ばれていますよ・・・。」確かに、隣の家はお城みたいに大きい・・・。 最初に訪問したのは6月19日でした。ヒロキは新品の釣り竿を持参し、Yさんのご主人に教わりながら組み立てて、張り切って竿を振り込んでいました。しかし、釣れませんでした。ところが、私がYさんの釣りざおを借りて、ちょっと釣りの真似をしていたら、なんと釣れてしまったのです。生まれて初めてです。ヒロキは大いに悔しがりました。キャンプにも釣り竿を持っていきましたが、やっぱり釣れませんでした。 あまりに悔しがっていたので、Yさんがまた釣りに招待してくださいました。今度は家の周りの林の落ち葉の下からミミズを掘り出して持参、用意万端です。 ミミズを針につけて、ちょこっと流したら、さっそく一匹かかりました。記念すべき、釣果第一号です。 魚の名前は、サンフィッシュと言います。食べられますが、これは小さいので、また放流します。キャッチ アンド リリースですね。 この時は私がちょっと竿を支えていたので、完全に一人で釣った、と言うわけではないのですが、その後数分後、ヒロキが突然変な大声で歌を歌いだしたので、「そんな大声出したら魚が逃げちゃうよー」と振り向いたら、また釣れていました。ヒロキ、オオイバリです。 その数分後、「また、釣れた!」。3匹目は赤ちゃんのような小さい魚でした。 Y家の隣の家のリアン君がやってきて釣りはじめたら、ヒロキが釣ったのより大きい魚が釣れました。ヒロキは悔しくて、ちょうどそこにやってきた釣り名人(近所に住んでいるアメリカ人)に教わりながら、何度も挑戦したけれど今度は全然釣れませんでした。 Yさんの奥様はとても料理上手で、たくさん御馳走になって、さあ帰ろう、という夜の10時過ぎ(いくら夏時間でも、すでに真っ暗)、Yさんのご主人が、「魚がはねてるよ、また釣りに行こう」とヒロキを誘います。喜んで夜釣りに挑戦したけれど、やっぱり釣れませんでした。 ちなみに、ミミズを使うとサンフィッシュはよく釣れますが、これは「外道」です。本命のカワカマスやマス(トラウト)は、ルアーで狙うものだそうです。最後の夜釣りで、Fさんが小さなマスを1匹釣り上げました。 お父さんはカヤックを借りて、Mさんと沖まで釣りに出かけましたが、まわりでたくさん大きなマスがはねているのに、結局釣れませんでした。お父さんはまだサンフィッシュすら釣ったことがありません。釣りの才能はないみたいです。
2004年07月10日
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今日はヒロキがキャンプから帰ってくる日です。お父さんは朝5時に目が覚めてしまいました。まるで子供みたいです(笑)。あんまり早く迎えに行くと、「早すぎる!」と怒られそうなので、8時に出発、I-91でマサチューセッツ州のスプリングフィールドまで行き、そこからI-90に乗り換え、2番の出口で降りました。意外に時間がかかってしまい、10:45到着。 もうみんなすっかり帰る仕度をして、カフェテリアに集合していました。リーダーのお兄さんが「ヒロキ、お迎えだよ。」と声をかけたら、すんなりと出てきました。でも、荷物をすっかり積み込んで、お兄さんお姉さんが、口々に「さようなら、また来てね!」と声をかけると、「帰りたくない・・・」と泣き出してしまいました。家に着くまで、ときどきキャンプの話をしながらも、ずーと不機嫌でした。曰く「すごーく楽しかった、みんなと兄弟みたいに一緒に遊んだんだから!」 最初の晩は暑くて、真っ暗で、はじめての2段ベッドに興奮したか、さすがに寝付けなかったようです。みんなでおしゃべりをしていて、ディレクターの先生に叱られたと言っていました。 午前は「ライフル」(その実態はBB弾)、午後はテニスと水泳を毎日楽しんだようです。ボートにも乗りました。 火曜日はハイキングに行き、アメリカで2番目に有名な山「マウント・ワシントン」の中腹のイーグル・ポイントまで行って、「すごくおいしいサンドイッチ」を食べたそうです(ふだん、ヒロキはサンドイッチは嫌いです)。イーグルもたくさん見えたようです。 待望のつりは2度やって、ディレクターの先生曰く「プロのようにさおを振っていた」そうですが、結局釣れなかったそうです。 夜は、「楽しいゲーム」をしたり、「夏祭り」でマシュマロを焼いてたべたりしました。これは「スモアー」と言って、アメリカのキャンプの定番です。 そして最後の晩にはキャンプファイヤーをやって、優秀なキャンパーにはご褒美がもらえました。かたずけが上手とか、いつもニコニコしているとか・・・そして、ヒロキも「返事が大変よい」という理由でご褒美がもらえました。ヒロキのグループ(2-3年生)では一人だけだったそうです。 キャンプで習った歌もいくつか歌ってくれました。中には「コーコケコッコ、夜が明けた・・・」など母の知っている歌もあり、懐かしく思い出しました。落し物や忘れ物をして、リーダーに見つけられてしまうと、バツゲームをしなくてはならず、その踊りも披露してくれました。ヒロキは一度水泳のゴーグルを忘れたけれど、リーダーに見つかる前に自分で回収して、セーフだったそうです。 朝の掃除にも、先生が点数をつけて、あまりに汚かった部屋(4~6年生)はバツとして朝のジョギングが2倍になりました。 辛かったのは、朝6時45分に起きることと、朝の「楽しいジョギング(1.1マイル)」と、食事のサラダを食べることの3つだったそうです。 シャワータイムは一人3分で、結局1週間一度も石鹸を使いませんでした。バスタオルをシャワールームの床に落としてビショビショにして、自分では絞れずにぬれたまま洗濯物の袋に突っ込んで、他の洗濯物が濡れて臭くなっていました(笑)。 心配していた食事は、大好きな牛乳が自由に飲めたので、口にあわないときには牛乳で流し込んでいたようです。時々おかわりがなくなって、「御飯に、カニ玉の汁だけかけて食べたの・・・」。 ヒロキは一度もホームシックにならなかったそうです。「友達のK君はハイキングしながら『ホームシックになっちゃった・・・』と言ったけれど、顔は全然ホームシックみたいに見えなかったヨ。」と言っていました。一人だけ、ずーっとつまらない顔をしていた子がいて、その子は最後の晩だけとっても元気になったそうです。 部屋は男女別にきちんと分かれていて、女子の部屋は廊下のカーテンの向こうで、男子は決して覗いてはいけません。なのに、女子はしばしばヒロキたちの部屋を覗くので、「水着に着替えるときには、ドアをしっかり閉めて着替えた」そうです。一度など友人のK君はシャワーのあとフリチンで走りまわったので、「女に見つかったら、ぶっ飛ばされるぞー」とみんなで取り押さえたんだそうです。 日に焼けて、しゃべり方も少し大人っぽくなって、信じられないことに胸に少々筋肉もついて、一回りたくましくなったヒロキです。でも疲れたのか、家に着いて昼食を食べたらソファで眠ってしまったのでした。
2004年07月09日
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マサチューセッツ州の西部はバークシャー(Berkshire)地方と呼ばれ、ニューヨークやコネチカットの大金持ちの別荘や、超々高級リゾートホテル(一泊、$1500とか)がたくさんあります。また、多くの芸術家が住んでいて、あちこちにアート・ギャラリーがあります。 バークシャーの真中へんにある小さな町、レノックス(Lenox)郊外で、毎年夏に開催されるタングルウッド(Tanglewood)音楽祭は、超一流の音楽家が集まるアメリカ最大の音楽祭として、世界的に有名です。ことに、指揮者の小沢征爾がウイーンに移るまではここで大活躍していたので、日本人には超有名です。 昨年も是非訪れたいと思っていたのですが、ついに行かれませんでした。ヒロキをサマー・キャンプに預けたので、今年はチャンスです。昨日のキャンプ場から、少し道に迷いながら1時間強、タングルウッドの森に到着しました。 今日は午前10時から、「タングルウッド・ミュージック・センター」という、ボストン交響楽団が夏に開く、学生のための音楽学校のメンバーによる演奏会があります。 会場は、その名も「セイジ・オザワ・ホール」と言い、外側はレンガの倉庫のようですが、内部は木を多用した、東南アジアのリゾートホテルのようなつくりです。ホール後部は全開できるようになっていて(まるで、日本の雨戸のように)、後方の芝生からも演奏会が楽しめます。ピクニック用の椅子を持ってきたり、敷物の上に寝そべって音楽が楽しめるのです。本格的な演奏会のときは、内部の良い席は$100、芝生席は$15くらいで売り出しますが、今日は学生演奏なので、どの席でも$10です。開演時間までにほぼ席は埋まり、芝生席にも人はたくさんいました。 学生なので、レベルはどうかな? と少し心配していたのですが、すばらしい演奏でした。たった$10で、バッハの「ブランデンブルグ協奏曲3番」、メンデルスゾーンの「弦楽四重奏(Op.87)」、ストラビンスキーの「2台ピアノによる協奏曲」、アイヴスの「歌」、ストラビンスキーの「ダンバートン・オークス」と2時間半もの充実したプログラムでした。 まだ、開演まで時間があるので観客がまばらですが、最終的には結構いっぱいになりました。写真左側が芝生席です。 今年はこの「セイジ・オザワ・ホール」の10周年記念で、8月1日に小沢征爾が来ます。ピアニストのユンディ・リーも共演するので、きっと日本からのおばさまツアー客でいっぱいになることでしょう。(それにしても、この組み合わせ、商業主義みえみえですね。) その他にも、、五嶋みどりや、ヨー・ヨー・マや、パールマンなど、超有名人のコンサートが目白押しです。 さて、タングルウッドをあとにして、隣町ストックブリッジ(Stockbridge)へ行きました。ここにはアメリカを代表するイラストレーターの、ノーマン・ロックウエル(Norman Rockwell)美術館があります。彼はこのストックブリッジの町を気に入って、晩年の25年間住んでいたので、町の英雄です。彼が1967年に描いたストックブリッジのメイン・ストリートは、今も全くそのままでした。 特別展では、「Mississippi Murder(ミシシッピー殺人事件?)」という作品が展示され、ロックウエルがモデルをどのように使ってこの作品を仕上げたか、習作も並べながら説明してありました。 しかしこの作品、白人二人と黒人一人が銃で撃たれて殺されている絵なのですが、何を意味しているのでしょうか? 家に帰ってから調べてみました。この事件は公民権運動が盛んであった1964年、ミシシッピー州の地方都市フィラデルフィアで、ニューヨークから来た白人の活動家二人(白人)と地元の活動家(黒人)が、地元の保安官(実は彼はKKKのメンバーであった)によって多数のKKKに引き渡され、射殺された事件だったのです。この事件は「ミシシッピー・バーニング」という映画にもなっているそうです。おそらく、事件から40周年を記念して、特別展をしていたのでしょう。 また、1960年ニューオリンズの白人の学校に初めて入学を許可された黒人の少女「ルビィ・ブリッジス」の登校風景・・・4人のU.S.マーシャル(連邦執行官)に護衛されている・・・の絵が印象的でした。 ロックウエルは、顧客のニーズに忠実な「職業画家」であったようで、彼自身が「社会派」だったわけではなさそうですが、とても人気の画家でしたから、社会に与える影響は大きかったことでしょう。 帰りは州道183号、州道23号と、田舎道を時速35マイルで1時間走って、やっとOtisという町につき、そこから州道8号に乗り、コネチカットにはいって8号のハイウエー経由、I-84、I-691、I-91と時速70マイル以上出せるようになり、あっという間でした。地図上では遠回りに見えても、なるべくハイウエーを通ったほうが、結果的に早く着きます。しかも日本と違って、ハイウエーは原則的に無料です。 ヒロキのいない、ちょっと大人の休日でした。
2004年07月04日
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補習校の後、ヒロキをサマー・キャンプに送っていきました。場所は、ニューヨーク州とマサチューセッツ州とコネチカット州の、3つの州の州境に近いマサチューセッツ側の、マウント・ワシントンというところです。1週間のお泊りキャンプです。 せっかくアメリカにいるのだから、アメリカらしいサマー・キャンプを体験させてやりたいと思っていたのですが、アメリカ人のキャンプに入れるには、年齢も小さいし、英語力も今ひとつだし、性格的にもどうかな? と思案していたら、ぴったりのキャンプが見つかりました。日本人のご夫婦が主催するキャンプで、日本語が主体、日本からのキャンパーも受け入れています。説明会を聞きに行ったら、日ごろの現地校での言語や文化のストレスを発散させてください、と言うのです。とてもシンプルで、あまり商業的でないのも気に入りました。費用も、他のキャンプに比べて安いほうです。 ヒロキはもうずいぶん前から大はりきりで、「早くキャンプにならないかなあ。」と心待ちにしていました。 一方、お父さんは、「大丈夫だろうか、心配だなあ、さみしいなあ。」とうるさいのです。そして、研究室の仲間に、「息子が来週からサマー・キャンプに行くんだ・・・」と訴えたところ、若いアメリカ人の学生にはそんな父親の苦悩がわかるわけはなく、みんな自分の少年時代を思い出して、「いいなあ、サマー・キャンプか、また行きたいなあ・・・」と遠い目をしてたそうです(笑)。 ことに、出かける前の二・三日はあまりにお父さんが構う(押さえつけたり、耳を食べたり、からかったりすること)ので、ヒロキは、「もう、今日からキャンプならいいのに! お父さんと離れられる!」と怒っていました。でも、前日は一つのベッドで仲良く眠っている父子なのでした。 さて、補習校から思いのほか遠くて、集合時間に少々遅れてしまったのですが、到着すると若いサブリーダーのお兄さんがすぐやってきて、「こんにちは、荷物はこびます!」と、とてもさわやかに、そしてきびきびと動いてくれます。ヒロキはさっそくサブリーダーさんに教わって、ベッドメイクしたり、同じグループ(1.2年生で7人くらい)とゲームを始めたり、すっとキャンプになじんでいます。心配で、横をうろうろしているお父さんには目もくれません(爆)。こうやって、子供は親離れしていくのですね。お父さんも、子離れしないといけませんよ! この地域にはキャンプ場がたくさんあると聞いていたので、私たちもキャンプをしようとテントを持っていきました。しかし、一番近くにあったのは「プリミティブ(原始的な)・キャンプ場」、つまり「本格的な」装備と経験が必要な、お手軽でないキャンプ場で、しかも駐車場からキャンプサイトまで1km以上も歩かなければならないのであきらめました。「お手軽」キャンプ場を探して、ニューヨーク州に抜けようと走っていたら、道を間違えたらしく、コネチカット州に出てしまいました。また、未舗装の道を30分も引き返して、ニューヨーク州に向かい、ほとんどあきらめかけたとき、偶然にも捜し求めていた「お手軽、オートキャンプ場」を発見しました。受付で尋ねると、幸いなことに70区画のうち2区画だけ空いていました。1区画、手数料込みで$15です。日本のオートキャンプ場と違って、隣の区画とは10m以上離れていて、バーベキュー用の炉や、テーブル、ベンチもついています。湖があって、泳ぐことができて、プレイグランドもあって、温水シャワーの設備もあります。家族連れで、キャンプ場は満員です。 夜中に大騒ぎしているグループがあって少々うるさいのと、明け方かなり冷え込んだことをのぞけば、おおむね快適なキャンプ初体験でした。何しろこの辺はお金持ちの避暑地でもあり、ホテル代はものすごく高いので、一泊$15は魅力的です(笑)。Copake Falls Campground(Taconic State Park)Phone 518-329-3993
2004年07月03日
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今日は 「last day of school」 つまり、学年末です。それぞれの学校の最終学年(地域によって違い、ハムデンは6年生)は卒業し、他の学年は、リポートカード(成績表)をもらったり、担任の先生に贈り物をしたりします。もっとも、旅行や引越しの都合で、今日の最終日を待たずにいなくなったクラスメートも結構います。今日、ヒロキたちは、イヤーブックという写真集にお互いにサインしたのですが、いない子の分はヒロキが代わりに自分でサインしていました(笑)。 今日は私たちにとって、とてもショックな日でした。 ヒロキがESLの生徒だったときに通っていた、アリス・ペック小学校が、今日をもって廃校になってしまったのです! アメリカ全体の景気はさほど悪くないようなのですが、ハムデンはかなりの緊縮財政で、予算削減のニュースばかりです。昨年も、教育予算削減のため、スクールナースを半日勤務にするとか、全日キンダーをやめて、半日キンダーだけにするとか、いろいろ話は出ていたのですが、結局、学校保険を父母負担にするということで(詳細はわからなかったのですが)、大きな変化は免れました。なので、今年も少し前からアリス・ペック廃校のうわさはあったのですが、何とか回避されるだろう、と考えていたのは私だけではなく、当のアリスのPTA会長さん(ヒロキの元のクラスメート・マイケルのお母さん)ですら、楽観視していました。 先週の月曜日、図書館ボランティア長のロリからのメッセージが留守電に吹き込まれていました。「明日の教育委員会のミーティングに出てほしい、人数が多ければ多いほどいいから・・・」とのことだったのですが、夜で、ヒロキを一人で留守番させるわけにはいかないので(違法行為で逮捕されかねません)、残念ながらお断りしました。 水曜日、図書館のボランティアに行くと、図書館司書のミス・ラッシュが、「来年度は、私は2つの学校を掛け持ちしなければならない、ハムデンの小学校は9つから8つになる、今日もう一度ミーティングがあるけれど、たぶん決定でしょう・・・」と言うのです。ミス・ラッシュはかなりゆっくり話してくれますが、英語の聞き取りに自信のない私は、半信半疑でした。 結局、現在アリス・ペックに通っている日本人のOKDさんから「正式な通知が金曜日にありました。」という話を聞いたのが昨日(月曜日)。 もう、今日しかない! ヒロキが生まれて初めて入学したアリス・ペック小学校がこの世に存在するのは、今日だけ!! 今ヒロキの通っているウエスト・ウッズ小学校より、アリス・ペック小学校の方が30分早く始まるので、その時間差を利用して、一家三人であいさつに行くことにしました。 玄関を入ったところで、始業時刻が迫っているのに気づき、オフィスを素通りして、ヒロキが最初に在籍したESLのハンセン先生の教室へ。ハンセン先生びっくりして「あら、もう日本に帰るの?」。そうではなくて、アリス最後の日だからあいさつに来た、と言うと、「そうなのよ、引越しのボックスも昨日届いたばかり、なにしろESLはどこの学校に移るかも決まっていないのよ・・・」。では、私たちが本当に日本に帰るとき、どこにあいさつに行けばいいのか訊ねると、「決まったら電話をするわ」と言ってくださいました。 次にヒロキが最後に在籍したESLのハバード先生のクラスへ。ハバード先生はやたらに元気にしていて、「昨日、あなたの物を見つけたわ!」と、残っていた作文や絵を渡してくださいました。 オフィスに戻ると、学校秘書のミセス・フェザーが、「サインしていかなかったわね、見てたわよ」。はい、すみません、学校内に入る人は必ずサインして、「訪問者」のシールを胸に貼らなくてはなりません。サインをしたら、ミセス・フェザーが「どこへでも、行きたいところへ行っていいのよ」。夫が「いや、あなたとお話がしたいのです。」ミセス・フェザーはびっくりして目を丸くしています。「あなたは、この学校で私が一番初めに会った人です。あなたはとても親切にいろいろ教えてくれました。とても感謝しています・・・」。夫がとつとつとしゃべると、ミセス・フェザーは夫の手を取って泣き出してしまいました。夫も渡米当時の辛い状況を思い出したか、一緒にウルウルしてしまいました。 校長先生や、スクール・ナースのミセス・デイリーにも会うことができました。 アリス・ペック小学校のレギュラークラス約240人の生徒は、来年度から、3マイルはなれたベア・パス小学校に統合されます。ベア・パス小学校は改築されたばかりなので、新しい校舎を楽しみにしている子もいるようです。 図書館司書とチューターは半減され、18人の教師が解雇されるそうです。みんなが納得がいかないのは、「全日キンダー」が残ったこと。キンダー(日本の年長にあたる)には、全日キンダーと、午前か午後の半日キンダーがありますが、どこに入れるかは抽選で決まるのです。ほんのわずかな子だけが「全日キンダー」の恩恵に預かれます。この全日キンダーを残して、アリス小学校をつぶすなんて、だれが見ても不公平だと思うのだけれど、教育委員長曰く、「全日キンダー出身の子は、あとあと成績が良いので、全日をつぶすのがしのびない。」それなら、全員「全日」にいれたら? アリス一校をつぶして削減できるのは、年間わずか50万ドルだそうです。教育予算は合計450万ドル削減しなければならないようで、これからもっともっと問題が起きるでしょう。 それにしても、こんな大事なことが、わずかな時間で決定されてしまうなんて(火曜日のミーティングは7時間かかって、午前2時までやったそうですが)、アメリカの合理主義でしょうか?夫の出身地のN市なんて、市の中心部にある3つの小学校を1つに統合したい、と言い出して、もう4~5年経つけれど、いっこうに決まりません。 ヒロキは、初めて入った小学校がなくなってしまうといっても、親が感じているほどの寂しさはないようです。今を生きるのに精一杯ですから。でも、きっと私たちくらいの年齢になって、もしハムデンをまた訪れることがあったら、きっと寂しさを感じることでしょう。
2004年06月22日
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今日はヒロキの誕生日です。朝7時、「ハッピーバースデー」の歌を歌ってやるともぞもぞ起き出しました。朝食は、大好きなインスタント味噌汁を御飯にかけて、あっという間に平らげました(爆)。7時55分出発、スクールバスは徒歩3分のアパートの入り口まで来ますので、今日はお父さんと待ちました。お母さんはケーキの仕上げに忙しい! アメリカの学校には、日本のような「朝礼」は、ありませんが毎日始業時(8:45)に6年生の当番がオフィスのマイクのところに行き、「今日はX月X日、X曜日です。みんなで、”忠誠の誓い”を唱えましょう。」と放送します。生徒も先生も起立して胸に手を当て、教室内に掲げられたアメリカ国旗を見ながら”忠誠の誓い”を唱えます。ヒロキはESLクラスの時からもう1年以上毎日唱えているはずですが、とっても難しい言葉が多くてちゃんと覚えてなくて、いまだにムニャムニャ言っています。それが終わると、放送は「今日はDデーです(*1)、今日のランチは、Aがチキンナゲット、Bが野菜スープとイタリアンサンドイッチです。」と続きます。(*1 時間割は曜日で決まるのではなく、AデーからEデーまでが順番に回ります。Aデーは体育と音楽、Bデーはコンピューターといった感じ。月曜日に休日が多いための配慮です。) そしてその後、ヒロキのお待ちかね!「5月24日、今日のお誕生日は、ヒロキ・XXとパトリック・XXです。」たまたま今日は月曜日なので、週末の分も「5月23日はXXとXXでした、5月22日はXXでした。お誕生日の子は放送が終わったらオフィスへ来てください。ミスター・タシネリ(校長先生)からプレゼントがあります。」 最近ヒロキはこの放送が聞き取れるようになっていたので、早く自分の番が来ないかと、この日を待っていたのでした(笑)。 放送が終わって、さっそくオフィスに行ったそうですが、校長先生はたまたま別の用事をしていたので、秘書の方がかわりにプレゼントをくれたそうです。金色の鉛筆・・・「校長先生からの誕生日プレゼント」とかかれています・・・と、アイスクリームの券でした。学校では昼食の時に、毎日50セントでアイスクリーム(アイスキャンディー)を食べることができます。 教室に帰ると、先生が「ハッピー・バースデー・ヒロキ」と書いたピカピカ光るステッカーを胸に貼ってくれて、「バースデー・ウォーク」というのをするのだそうです。前にも書いたことがありますが、ヒロキたちの教室は仕切りのない大きな部屋に、1年生が3クラスとヒロキたち2年生が1クラス一緒に入ってるのですが、全員で「ハッピー・バースデー」の歌を歌ってくれて、その歌の間教室中を練り歩くのだそうです。どんな顔をして歩いたのか、見たかったな。 3年生までの低学年には、午前中に「スナックタイム」があります。誕生日の子は、クラスメートにカップケーキとかクッキーを振舞う習慣があります。私も昨日カップケーキを焼いて、朝フロスティングを塗ってチョコレートスプリンクルをかけて仕上げして、10時に間に合うように25個持っていきました。たまたま同じ教室内の隣のクラスがテストをやっていたので、静かーに「ハッピーバースデー、ヒロキ」と言って食べてくれました。 カップケーキはアメリカのケーキミックスを使うと簡単なのですが、それでは主役のヒロキが食べてくれないので、完全な日本のレシピで作りました。試食した夫が「全然甘くなーい、フロスティングがないと、食べられなーい。」と言っていたので、みんな食べてくれるか心配でしたが、結構みんな食べてくれていたようです。なかには、フロスティングだけ食べて残りは捨てた子もいたけれど。それにしても10時に、かなり大き目のケーキに、自分の持参したスナックも食べて、また12時にはランチですから、肥満が心配です。 残ったケーキは、校長先生や図書館の先生や、回りのクラスの先生に配りに行ったそうです。 今日は、いつも月曜日にある英作文の宿題がたまたまありませんでした。ステッカーはそっとはがして、ノートに貼り付け、「ハッピー・バースデー・トゥー・ミー」と自分で自分に歌って、ルンルンの誕生日でした。
2004年05月24日
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日本でもアメリカでも、集合住宅では上階からの水漏れ事件はつきものでして、まして我が家では、夫が独身時代に加害者になったこともあり、お互いさまだとは思っています。しかし、日本と違ってアメリカで事件が起こると、事態はより深刻です。なぜなら、管理人や修理人はいい加減だし、もともとの住宅の構造がいい加減だし、さらに我が家の場合は英語が通じない・・・。 昨日午後6時30分ころ、ピアノの練習をしていたヒロキが「ポタッ、ポタッ」という音に気づきました。練習に集中していない証拠です(^^;)。見ると、リビングルームの壁際の天井から、水が漏れて、たまたまそこにおいてあったプラスチック製のクーラーボックスに当たって音を立てていたのでした。(これがあったので、幸いカーペットは濡れずにすみました。)さあ大変! 雨漏りだ! 管理事務所に電話をかけようとしましたが、さて、雨漏りって英語で何ていうのかな? まず、電子辞書を引きました。「雨漏り」に一致する言葉はないのですが、どうもリーク(leak)でよさそうです。6時30分を過ぎていたので心配でしたが、幸い事務所に人がいました。何とか通じたらしく、メンテナンスの人を行かせる、と言ったようです。30分ほどで、すでに勤務を終えて家に帰っていたと思われるメンテナンスの人が、私服でやってきました。こんなに早く来てくれるのは、アメリカではごく稀なことです。さすが、ハムデンで一番高い家賃を取っているだけのことはあります。 彼は現場を見るなり、これは2階から漏れているので、まず2階をチェックする、と言って出て行きました。どうして2階? 2階の住人はつい先日引っ越して出て行き、無人のはずです。 2階で何かを修理しているような物音が続き、1時間ほどして、また彼が戻ってきました。それによると、2階の住人が出て行ったので、金曜日にカーペットのクリーニングをした。(それは私も知っていました。水と洗剤を使って派手にやります。)カーペットを乾かすために、エアコンを3日間全開にしてまわしたら、エアコンの中に氷ができたらしい。今日エアコンを止めたら、氷が溶け出して、下の我が家へ漏れ出した。彼は氷をできる限りは取り除いたが、全部は取りきれなかった。これから自然に解けて、水が落ちきって、天井が乾いたらまた修理する・・・。(この時は夫が帰ってきていたので、英語の応対は任せました。) 後で夫が2階を見に行ったら(鍵は開けっ放しだった)、エアコンの熱交換器に氷がびっしりついていたそうです。うちのアパートのエアコンは、アメリカで一般的な窓用のものではなく、全室一括管理の集中型です。窓用より高級なタイプですが、全開でまわしたからって内部に氷ができるものなのでしょうか? そうこうしているうち、水漏れはますますひどくなり、だんだん天井の塗装の一部が垂れ下がってきました。引っ張ったら簡単にはがれたのですが、それは荷造り用の透明テープの上にペンキが塗られたものでした。この部分の天井にはすでに修理をした後があったのですが、前回の修理のとき、天井のボードの隙間を荷造りテープで塞いで、その上にペンキを塗ったらしいのです。ハムデンで一番高い家賃でも、この程度です。どうも2階のエアコンは不調で、以前にも水漏れ事件を起こしているらしいです。 荷造り透明テープはさらにはがれてきて、止めてあった天井ボードも下に傾いてきました。まあ、寝室ではないので、落ちても死ぬことはない、と思ってそのまま寝ました。 今朝起きたら、まだ水漏れは続いていますが、天井はそのまま傾いたままで落ちてはいませんでした。10時ころ、昨日の彼が来て、まだ止まらないね、と言って帰っていきました。オイオイ、いったいいつまで、家の中に雨を降らせておく気? 用事があったので出かけて、昼過ぎに帰ってきたら水漏れが止まっていまた。メンテナンスの中で一番優秀(と思われる)スティーヴが来たらしく、書置きがあって、「水漏れは止まりました。明日の朝、天井の修理にきます。」やれやれ、また明日もか、です。 メンテナンスは留守中でも入ってくるし、しかも泥足なので、かなりストレスです。
2004年05月19日
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「ミセス・シスタロのご好意により、今年もタレント・ショーが開催される運びとなりました・・・」という案内があったのは、かなり前のことで、いつだったか忘れてしまいました。昨年在籍していたアリス小学校で、6月にフィールド・デイというのがあって、外でランチを食べて、生徒(主に上級生)がやる音楽会・・・コーラスや、縦笛の合奏や、バイオリンの合奏・・・大変に退屈であった・・・を見たので、またそんなのをやるのかな? と思っていました。 3月下旬に再度案内状が来ました。「タレント・ショーのオーディションをします。このオーディションはプログラム編成のために行うのであって、オーディションに出た生徒は全員タレント・ショーに出られます・・・。」 ヒロキはあんまり乗り気ではなかったのですが、昨年の担任のハンセン先生が、「新しい担任の先生に、ヒロキのピアノは聞かせたの? 是非聞かせなさいね!」と以前おっしゃってくださっていたこともあったので、参加することにしました。 昨年のアリス小学校では、学年末に「スペシャル・アクティビティー」という企画があり、ヒロキはESLの担任のハンセン先生や、レギュラークラスの一年生の担任のブランチャーダ先生やクラスメイトにピアノを披露する機会があり、身に余るお褒めの言葉を頂戴したのでした。 オーディションまで10日しかなかったので、新しい曲をやっている暇はなく、演目はただいま練習中の「バイエル100番」。まあ、曲の構成もしっかりして、見せ場もある曲なのでいいでしょう。 オーディション当日、ヒロキは久しぶりに熱を出して学校を休んでしまい、翌々日の「高学年のための」オーディションにまわしてもらいました。放課後の3:40くらいから始まって、5:00になってもまだ終わりません。ヒロキは演奏は途中で止められてしまい、「大変よろしい、終わったら、その場(ピアノは舞台の下)でビッグ・スマイルをしてお辞儀をして、それから舞台に上がってもう一回お辞儀をする・・・」なんて指示されています。なんか、本格的です。一人(一組)の演目が終わると、ミセス・シスタロがプログラム編成のためにインタビューします。ヒロキは「何年習っているの?」と聞かれたのに、「I don't know・・・」。(困ったミセス・シスタロは、後でメールで私に問い合わせてきました。)オーディションを途中から見た限りでは、歌やダンスが多いようです。後ろの方にはドラムセットがおいてあって、期待できそう・・・ さて、5月の第1週になりました。月曜日はAct1(前半の演者)のリハーサルです。3:40ころから始まって、4:30に迎えに行きましたがまだ全然終わっていません。ヒロキは22番目のようです。なんと左手を1オクターヴ低くひき始めましたが、そのまま続け、途中転調するところで元に戻し、ひやひやしました(笑)。友人のキューミンはバイオリンを弾きますが(バッハのメヌエット3)、マイクを通すのでキンキン響いて聞いていられません・・・。 火曜日はAct2のリハーサル(これには不参加)。 水曜日は全体でのリハーサル・・・いったい何時までかかるのかと心配しながら見に行ったら、この日は個々の演目はやらず、フィナーレの練習だけを延々とやっていました。なんか、すごいことになりそうです。 木曜日は公式の練習はなかったのですが、2年生全体で授業をしているときに、どういう成り行きか、先生が「みんなのタレントを見せてもらいましょう!」と言い出して、ピアノを弾く予定の子だけ4人みんなの前で披露しました。廊下のピアノを使ったそうですが、これがすごいピアノで、ヒロキ曰く「シドーって弾くと、ラシーって音が出るの・・・」(爆)。「ペレタ先生(担任)ボクのピアノにびっくりして、いろいろ質問したよ、毎日どのくらい練習するの?って聞かれたから、1時間って答えたよ(ウソばっかり!)」ペレタ先生に、タレント・ショーに来てください、とお願いしたら、「I try to come.」と答えたそうです。これは、来るのか、来ないのか、どっちなのでしょう? さて、金曜日、いよいよ本番です。7時開演ですが、出演者は6時集合、点呼を受けて最後の注意を聞きます。こういうときのミセス・シスタロはとても怖いのです。怖くないと、これだけの数の(約100人)のアメリカのガキども(日本の子より数倍自分勝手)はまとめられないでしょうね。 入場料 大人一人3ドルを払って会場のジム(体育館)に入ると、すでにステージはきれいに風船や造花で飾り付けてあって、ピアノにも豆電球が巻きつけてあります。 7時、さっきとうってかわって「にこやかな」ミセス・シスタロの司会で、タレント・ショーが始まりました。オープニングは5年生(多分)の女の子の歌、キラキラ光るラメ入りの黒いロングドレスで、歌唱力も抜群、おまけに照明や音響はプロの方が手伝いに来ていて、まさに「タレント・ショー」です! ヒロキは、19番目に登場(リハーサルの後、キャンセルがあって順番が変わりました)。題して「Etude of Ornaments(装飾音の練習曲)」、バイエルには題がないので、私が勝手につけました(爆)。テンポも良く、落ち着いて、リハーサルのときよりずっと上手でした。どうも、ヒロキは本番に強いみたいです。お辞儀も上手にできて、拍手喝采を浴びていました。 途中の休憩で、ペレタ先生にお会いしたら、「ヒロキはすばらしかった、私よりうまいわ、良くやった!」と大変誉めていただきました。ペレタ先生のご主人もいらしていて、ヒロキに「Good job!」と握手をしてくださいました。このご主人、普段、時々教室にもやって来るそうで、ヒロキとは顔見知りでした。 プログラムは全部で50番でしたが、圧倒的にダンスが多く20組ほど。レベルはかなり高度なものから、衣装がかわいいだけのものまでさまざま。圧巻だったのは、インド人のお母さんと子供2人が踊った「インディアン・ランプ・ダンス」、民族衣装も豪華で踊りもすばらしかったです。 バイオリンは4組5人(一組がデュオ)全員が韓国人! このうち、4年生のジェニーは今度ジュリアード音楽院を受験するそうで、別格の演奏です。(毎週マンハッタンまでレッスンに行っているそうです。)ただ、曲がヘンデルのソナタだったので、地味すぎで、アメリカ人にはあまりうけていませんでした。 ピアノは7人、ジェニーのお兄さんのジェイスン(5年生)がベートーヴェンのソナタを弾きましたが、あのボロピアノでもこんなに表現できるんだ・・・と思わせる演奏で、これまた別格。ハリーポッターにでてくる幽霊の格好で、「ハリーポッターのテーマ」を弾いた子がいて、まるでハロウインのよう・・・(爆)。なかには、片手で弾く子もいて、なかなか微笑ましいショーです。 おじいさんのエレキギターの伴奏で、歌を歌った子もいました。エレキギターは年季が入っていて、とても上手だったけれど、歌は今ひとつ・・・おじいさんが、ショーに出たかったのでしょう(笑)。 6年生の男の子のグループは、一人がドラムを叩いて、ブレークダンスをやりました。6年生ともなると、結構格好いいですね。 リハーサルと違ってテンポ良く進行し、いよいよフィナーレです。全員が白か黒のTシャツに着替えて、2人づつ登場し、手を振ったりちょっとしたポーズをとったりして、観客の喝采に答えます。ところが、韓国人のキューイル(友人キューミンのお兄さんで4年生)と組んだヒロキ、東洋人のお二人はこういうパフォーマンスは苦手、ちょこんとお辞儀をして、手を振るのもそこそこに行ってしまいました。写真をとる暇もありません(笑)。アメリカ人はみんな実に堂々としています。 盛況のうちに、ショー終了10:30pm、さすがに疲れました。 そう言えば、クラシック音楽を演奏したのは、バイオリンとピアノとフルートで、韓国人+ヒロキだけでした。(見かけは同じなので、全員韓国人と思われています。)アメリカ人にはクラシック音楽はなじまないのかな? それと、ダンスはジャズダンスやヒップ・ポップばかりで、クラシック・バレエは一人もいませんでした。地域性なのでしょうか? ほぼ一人で(もちろん裏方ボランティアもいますが)、このすばらしいタレント・ショーを切り盛りしていたミセス・シスタロは何者なのか? ヒロキのクラスメイトのスティーブンのお母さんらしいのですが、詳しいことはわかりません。
2004年05月07日
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昨年の夏、我が家のバーベキュー・パーティーにお招きした、OKBさんとMさんは意気投合して、バドミントンをいっしょにやろうということになりました。Mさんは、中学・高校・大学と12年間バドミントン部だったというつわもので、さっそく日本の父親に頼んで、競技用のラケット(ちゃんとガットも張るんですね、知らなかった)を送ってもらいました。なぜって、アメリカではバドミントンは超マイナーなスポーツで、ラケットが手に入らないからです。OKBさんも、日本で買ったラケットのセットを持っています。 大学のカフェテリア横にある、多目的ホールを借りて、本日「イェール大学バドミントン同好会」発足! 大学公認でも何でもありませんが、こう名のってもだれも迷惑しないでしょう(笑)。休日だったので、あまり人通りはありませんでしたが、「何やってんだろ?」という奇異の目で見られます。 私は、ホールの片隅のボロピアノ(なんと、スタインウエイでした!)で、しばらく練習。 ホールを2時間も借りていたので、最後はみんなクタクタ。次回は1時間にしましょう、ということになりました。明日はみんな、筋肉痛でしょう。
2004年03月27日
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カタカナにするとややこしいけれど、何の事はない、成績表と個人面談のことです。 ハムデンの小学校は、三学期制です。でも、日本と違うのは、学期と学期の間に長期休みがないことです。一学期は9月2日に始まって11月14日まで、二学期は翌週の17日に始まって3月5日まで、三学期は8日から6月16日まで(の予定、雪休校のため、繰り下がるでしょう)です。 学期ごとに、リポート・カードが渡されますが、これがまた学期最後の日ではなくて、一学期は12月2日、二学期は3月17日にわたされます。先生には、じっくり成績をつける時間があります。三学期だけは、学期の最終日に渡されます。 リポート・カードは日本と違って、複写式のペラペラの紙一枚ですが、書いてある項目はやたらに多いのです。 まず、「学習に関する態度」という大項目があって、 「学習の習慣 work habits」について、「注意深く聞く」「指示に従う」「作業を時間内に始めて完成させる」「独立して作業する」の四項目、 「社会的な技能 social skills」について「自己コントロールの習慣」「他人の権利を尊重する」「行動の責任を負う」「企画や討論に参加する」「権威者を尊敬し受け入れる」「学校の資産や用具に配慮を示す」の六項目 これらは、1:傑出している Outstanding2:申し分ない Satisfactory3:もっと努力が必要 Need to exert greater effort の3段階で評価されます。 次に、日本でいう「国語」ですが、「Language Arts」という大項目があって、 Book Level でどんなレベルをやっているのかが示され、またもや 「Work Habits/Effort」という項目で、授業態度が明記されます。 Reading だけでも五項目あって、それぞれが何を示しているのかはよくわかりません。ほかに、Spelling(二項目)、Writing、Grammar、Study Skill、Penmanship、Listeningと続きます。次に、「算数」。またもや 「Work Habits/Effort」という項目で、授業態度が明記されます。さらに四項目の評価。「国語」と「算数」に比べ、他の科目は実に簡単な評価で、「Social Study 社会」「理科」「健康」「音楽」「体育」「美術」が、それぞれ一項目だけの評価。 これらの教科の評価は、 E: Excellent 優G: Good 良S: Satisfactory 可NI: Need Improvement 改善が必要の四段階です。高学年になると、「ABCD」の四段階になるそうです。 ヒロキはこれまで4回リポート・カードをもらって来ました。(1年生の1学期は1週間しか在籍しなかったので、もらえませんでした。)最初の成績表は、まあ、見事に「S」の行列(昔、日本の通信簿で「2」ばかり並んでいると、アヒルの行列と言ったものですが、反対向きなので、スワンの行列か^^;)、たまに「G」がある程度。2度目は、だいぶ「G」が増えたけれど、「E」はなし。3度目は、「E」が22項目中の7個もある、すばらしい成績表を取ってきたのですが、これはちょうどESLを卒業して、レギュラー・クラスに移るときだったので、多分に「ご祝儀」が入っています。 今回初めてのレギュラー・クラスでの評価でしたので心配していましたが、「E」5つ取ってきたので、大いに誉めました。「S」もあるけれど、後はほとんど「G」です。「学習に関する態度」は、いつも「大真面目」なのでほとんど「1」ですが、「時間内に・・・」の評価はやはり「3」でした、当然です(笑)。 リポート・カードが渡された翌日から、4日間に渡り、カンファレンスが行われます。働いている親のために、1日か2日は夜に時間が設定されています。 カンファレンスに片親だけが行くと、夫婦仲が悪いか、よほど教育に関心のない家だと思われる、という話を聞いたので、毎回夫婦で参加しています。もっとも、夫婦二人合わせて半人前の英語力のせいでもあります(爆)。実際には、母親だけが来ている姿もよく見かけるので、必ず夫婦で行くものでもないようです。 カンファレンスは一人15分、ヒロキの学校では、全校放送で交代の時間を知らせてくれます。 カンファレンスの内容は、先生に勝手にしゃべらせておくと、「あなたの子供は良くやっている、とても良い生徒だ」なんてことしか言わないので(みんなそうだと言っていますし、前回はそうでした)、今回は、どうしてここはこの評価なのか、とちょっと突っ込んで質問してみました。いろいろ答えてくれましたが、まあ、先生の言っていることは、半分くらいしかわかりません。少しは親が心配している問題点が伝わったかな? ヒロキが学校で書いた作文やペンマンシップのうち、良くできたものを渡されて終わりでした。 教育熱心な韓国人ママさんたちが「リポート・カードどうだった?」って聞いてくるので、「べリー・グッドだったよ」と答えているうち、本当にベリー・グッドな気持ちになってきます(笑)。しかし、日本の小学校でこの成績表だったら、ちょっと顔が引きつるかもしれません(爆)。
2004年03月23日
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ハムデン・シンフォニー・オーケストラの演奏会を聴きに行きました。近所のキニピアック大学のホールです。無料で送ってくる「ハムデン・クロニクル」という新聞に案内が出ていたのですが、曲目はドボルザークの交響曲9番「新世界より」。1曲だけなんて(マーラーの交響曲ならわかるけれど)、変わった演奏会だなあ、と思って出かけてみました。 大学のホールは、ふつう演奏会場として立派なものが多いのに、なぜか、体育館のようなホールで、舞台がありません。3時の開演ぎりぎりに、ヴァイオリンを抱えて急ぎ足でやってくるメンバーあり。オケの平均年齢は優に60歳を超えているのではないか? 演奏が始まって、不安的中! 弦が、ひどい! 調弦も合っていないし、音も鳴らない! 私の出身大学にもアマチュア・オーケストラがありますが、ずーとずーとうまいです。菅やパーカッションはまあまあなのに・・・ 今回は、ハムデン・シンフォニー・オーケストラがソリストを募集したコンクールの入賞者のお披露目を兼ねていて、14歳のピアニストがベートーヴェンのピアノ・コンチェルトの1番の1楽章、17歳のヴァイオリニストがラロの曲、17歳のピアニストがチャイコフスキーのピアノ・コンチェルトの1楽章を弾きました。 第一ヴァイオリンに、日本人のポスドクの女性の方がいて、休憩時間に日本人の友人(彼氏?)と話をしていたので、あいさつに行きました。彼女はほかのオーケストラのメンバーなのですが、助っ人を頼まれて弾いているそうです。この辺では一番悲惨なオーケストラ、とか、ソリストがいないと曲にならない、など、周りが日本語をわからないから言いたい放題言っていました(笑)。 ピアノをみたら、古いYAMAHA製(G7)で、蓋の上から鍵盤の脇の部分にむけて、大きな穴が開けられていました。たぶん、輸送用に蓋を固定したのだと思いますが、あまりの大胆さに唖然! 座席の一列前に、ヒロキより少し小さい女の子がいて、ヒロキのことをじっと見たりしていたのですが、その子のおばあさんがヒロキに話し掛けてきました。孫は4歳で、音楽は大好きなんだ、とか、チェロに友人がいて、85歳だとか、いろいろ話していました。 プログラム前半がいまいちだったので、もう帰ろうかと思ったけれど、ヒロキが「どんな曲か、聴きたい!」というので、聴いていくことにしました。 やっぱり、いいですねえ、「新世界より」名曲です。 最後に、コンクール出場者に賞品が渡されました。ほとんど来ていなかったけれど、20人くらいの名前が呼ばれていました。こんなにたくさんの応募者があったのですね。 演奏レベルはいまいちなのですが、私はいくつかの点で感銘を受けました。オケのメンバーが高齢にもかかわらず音楽を楽しんで、さらに年3回以上ものコンサートをこなしていること。毎年ソリストを募集し(今年は35回目)、若い音楽家にチャンスを与えていること。 もし、私にこんなチャンスがあったなら、絶対に応募しちゃいます(爆)。どんなヘボ・オーケストラであっても、生オケをバックにコンチェルトを弾くというのは、草ピアニスト永遠の夢ですから・・・。
2004年03月21日
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3月17日は、「セント・パトリック・デイ」です。セント・パトリックはアイルランドにキリスト教を初めて伝えた聖人で、ついでにアイルランドからヘビを一掃しました。 この、セント・パトリック・デイを前に、先週の週末はあちこちでパレードが行われました。このパレードは、軍隊のアイルランド人部隊を励ますために、ニュー・ヨークで行われたのが始まりだそうです。ニュー・ヨークのパレードは大規模ですし、ニュー・ヘイヴンでもパレードをやります。昨年は見に行ったのですが、あまりに長くて退屈で、途中で帰ってきました。 本国アイルランドでは、セント・パトリック・デイは国民の祝日ですが、パレードはないそうです。 18世紀にアイルランドは「ジャガイモ飢饉」になり、たくさんのアイルランド人が移民してきました。彼らは、鉄道の線路工夫になったり、兵隊になったりしました。いまでも、警察や消防関係で働く人が多いのだそうです。アイルランド系で最も有名な人は、J.F.ケネディー大統領でしょう。 セント・パトリック・デイを象徴する色は、「四葉のクローバーの緑」です。17日には学校に行くのに、緑色の服を着たり、緑の髪飾りや帽子をつけます。先生も、四葉のブローチやネックレスをつけたり、緑の服です。ヒロキの学校の校長先生は、聖職者みたいにいつも黒い服を着ているのですが、この日はダーク・グリーンのタートルネックのシャツに、緑色で、四葉のクローバーの柄のストールを首にかけていました。とてもおしゃれでステキでした。ヒロキは、オリーブ色のズボンに、緑の迷彩のシャツを着ていきました。まるで、軍隊です(笑)。あいにく鮮やかな緑の服を持っていなかったもので・・・。 授業では、アイルランドの妖精のお話を聞いて、妖精の作文を書いたようです。 夫は研究室の仲間と、アイリッシュ・パブに昼御飯に行きました。メニューは、コーンビーフ+キャベツです。コーンビーフと言っても、日本で売っている缶詰とはちがい、塩漬けの牛肉の塊を煮込んで作ったスープです。私もレシピを見ながら作ったことがありますが、日本人好みでおいしいです。これは有名なアイルランド料理ですが、特別にセント・パトリック・デイに食べるものではない、と教室のアイルランド人は言っていました。他には、アイリッシュ・ソーダ・ブレッドというのが有名です。まだ食べたことはありません。 私のESLの先生の一人は、祖父母がイタリア移民というイタリア系なのですが、「セント・パトリック・デイは有名だけれど、19日はセント・ジョセフ・デイという、イタリアのお祭りなのよ。特別なパストリー(菓子パン)を作るのよ。イタリアン・ベーカリーにあるわよ。」と教えてくれました。 補習校のついでに、いつも行くハーツデール(NY州)のイタリア系スーパーマーケットに寄ったけれど、それらしいものは見当たりません。いつも陽気で、愛想が良いチーズ売り場の店員さんに聞いてみると、それはZeppole あるいは Sfingi という名で、ベーカリーに行けばある、とっても甘くておいしいよ、と親切にベーカリーの場所も教えてくれました。でも、結局そのベーカリーは見つからなくて、ハムデンの我が家のそばにあるイタリアン・ベーカリーに行きました。「Zeppole あります」と窓に貼ってあります。 ショーケースにはたくさんのお菓子が並んでいるのだけれど、名前も値段も書いていなくて、どれがZeppoleだかわかりません。店員さんに「Zeppoleください」と言ったら、目の前にあったのがそれでした。 日本のドーナツ屋さんでも見かけるような、大き目のフレンチくルーラーに、クリームを挟んだものです。チョコとカスタードとチーズクリームの3種類がありました。チーズクリームのものを、特別にSfingiとよぶそうです(写真手前 左)。 アメリカのケーキ類では何度も痛い目にあっているので、見た目、ちょっと警戒しましたが、これはとてもとてもおいしくて、セント・ジョセフ・デイにしか食べられないのは残念です。アメリカ在住のみなさま、ぜひ試してみてください。 ところで、どうしてイタリア人はセント・ジョセフ・デイをお祝いするのか、ESLの先生に尋ねてみました。先生もはっきりとはわからないようでしたが、イタリア人にはジョセフという名はとても多く、自分の誕生日の代わりに、「自分の名の日」をお祝いする習慣があるそうです。イタリア中で何万人ものジョセフさんが、セント・ジョセフ・デイをお祝いするので、大きなお祭りになったようです。横で聞いていたポーランド人の級友が、ポーランドでも「自分の名の日」をお祝いするのよ、と教えてくれました。セント・ジョセフ(St. Joseph)は、イタリア語ではSan Giuseppe と書きます。なんて読むのかな? 私の先生はイタリア系だけれど、イタリア語は全く知らないようです。
2004年03月20日
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昨日は雪が降って、ハムデンの学校は「早帰り」になりました。例によって、テレビの画面に表示されるのですが、今朝はハムデンはなにも表示されていなくて、通常授業の予定でした。しかし、10時ころ突然早帰りと決定され、11時34分にはスクールバスに乗ります。こんな緊急の場合でも、学校から家には全く連絡はなく、もし親が出かけていたりしたら、スクールバスから降りた子供は路頭に迷ってしまいます。 実は昨年も、同様のケースがありました。当時、ヒロキはESLの何も英語が話せない生徒でしたから、担任のハンセン先生は家に電話をかけてくださいました。しかし、その時私は自分のESLの学校に出かけていて留守でした。そこで、ハンセン先生は夫の職場へ連絡をしてくださいました。そのころ、親友のS君のお母さんは、ハンセン先生からの電話を受けて、私のESLの学校に連絡をしてきてくれました。もう、スクールバスが出る時間が迫っていたので、私は慌てて学校に電話をかけ、ヒロキを学校に迎えに行くと伝えました。後で聞いたら、いったんスクールバスに乗ったところへ、先生が伝えに来てくださったそうです。ぎりぎりセーフでした。 学校はお迎えを待つ子供で、大混乱でした。なんと夫も、職場から30分かけて、ヒロキを迎えにやってきました。連絡不行き届きで、二重手間です(笑)。相当年配で、歩くのもやっとのおじいさんが孫を迎えに来て、「全く、バカバカしい!」と怒っていました。確かに、天気予報では雪でしたが、そのときは全く降っていなかったのですから。 そんな経験があったので、今回は天気予報を見て用心していました。10時過ぎ、夫が学校のホームページで「早帰り」を知り、携帯電話で私に知らせてきました。私のESLのクラスには他にも数人小学生のお母さんがいますが、みんなに教えてあげて感謝されました。ヒロキを学校に迎えに行き、一件落着です。 実は昨日「早帰り」になって、とてもとても、ラッキーなのでした。それは、本日「ブック・レヴュー」の宿題の提出日なのですが、まだ仕上がっていなかったのです(爆)。「ブック・レヴュー」というのは、要するに日本でいう「読書感想文」みたいなものです。今回はフィクションを読んで、題名、作者、登場人物、背景、どんな出来事があったか、どんな問題が起こったか、どうやって解決したか、をまとめるものでした。ヒロキはお気に入りのドクター・スースの本「I had TROUBLE in getting to SOLLA SOLLEW」を図書館から借りてきて、2週間くらい前からいっしょに読んだりして、準備をしてきました。ところが、今回は宿題の最後にこう書いてあったのです。「あなたの一番好きな場面はどこですか、ストリー・イン・ザ・バッグを作りなさい。」ストリー・イン・ザ・バッグって何?ヒロキが先生に聞いてきたところ、「近くのスーパーマーケットに行って、大きな紙袋をもらってきて、下の方に穴をあけて、中に登場人物を並べるの。3Dにしてもいいって・・・」よくわからないけれど、こんなのを作ってみました。登場人物や背景の絵はヒロキが書いたのだけれど、アイディアや実際の組み立ては私です。相変わらず「宿題は親懸り」です(笑)。なかなかの出来栄えだと思うのですが、いかがですか?(自画自賛) みんな、どんなのを作ってきたのかな、とヒロキに聞いたら、「本の絵をコピーして、色を塗って貼ったのが多かった」そうです。うーん、手を抜くべきところでは、手を抜いているのね・・・。ブック・レヴュー自体はとてもよい勉強になるので、もっともっと出してもらっても良いのだけれど、工作はもう勘弁してもらいたいです。 そして、今日は雪のため「始業90分遅れ」になりました。こういう時はスクールバスがいつ来るのか予測がつかないのと、このストリー・イン・ザ・バッグを持っていくために、朝ヒロキを学校に車で送っていきました。午後に「栄養学?」の特別授業をやるので、親も見に来て良いとのことで、また学校に行きました。そしてアフタースクール(課外活動)が終わったとき、またヒロキを迎えに行きました。学校まで3往復、一回7.9マイルx3で23.7マイル=37.92kmの走行距離でした。あー、疲れた。 昨日の4時間早帰りと、今日の90分始業遅れで、合計5時間30分授業時間が減りました。これは、ほぼ丸一日の授業時間、6時間49分(昼休みを含む)に迫りますが、これは後で補充されないでしょうね。雪で休業の場合は、夏休みが減って補充されるのですが。
2004年03月17日
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ニューイングランド地方の早春の風物詩に、メイプル・シロップ作りがあります。メイプル楓の樹液を集め、何時間も煮詰めて作ります。これもその昔、ネイティヴ・アメリカンから教わった文化の一つ。 この時期は、「メイプル・シロップ」作りのイベントがあちこちで開かれています。ニュー・ヘイヴンのコモン・グラウンド高校でも開かれるというので、行ってみました。こんなところに高校があったっけ、という、ウエスト・ロックの山の裾にありました。とても小さな高校で、ヒツジ、ウサギ、ニワトリ、シチメンチョウなどを飼っていて、畑もあって、農業高校のようです。裏山のウエスト・ロックへ少し登るとメイプル楓の木があって、すでにタグが打ち込まれて、樹液を採取しています。太い木には3本、細い若い木には1本のタグです。樹液は取りすぎると木が枯れてしまうそうです。 山の中に古い大きな井戸と建物の土台があって、かつてここに、大きなメイプル・シロップ製造工場があったそうです。たくさんのメイプル楓があったはずですが、おそらく木が枯れてしまって、その工場はなくなってしまったのでしょう。現在はこの高校の敷地に3本だけメイプル楓がありました。 樹液は40分の1に煮詰めてシロップにするそうです。煮詰めるところも見たかったのですが、それはやらずに、すでに出来上がったものを試食させてくれました。市販のメイプル・シロップより濃度が薄くて、色も薄い感じでした。味はとてもおいしかったです。 メイプル・シロップは、日本ではホットケーキにかけて食べますが、こちらでは、パンケーキ、スコーンにかけるほか、シリアルにかけて甘い味をつけたりします。お菓子の材料にも使います。肉をメイプル・シロップで煮込んだものが、カナダ名物にあるそうですが、まだ食べたことはありません。100%のものが(カナダ製)369ml(12.5 FL.oz)$4ほどで、日本よりは安いです。
2004年03月07日
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ドクター・スースはアメリカの子供たちに、おそらく最も人気のある絵本作家です。日本でも、英語教育に関心のある方々の間では有名らしいです。独特の絵と、韻を重視し、時には造語や複雑な言い回しを含んだ文章で、日本語に翻訳するのは難しいです。ヒロキも大好きで、毎週のように図書館から借りてくるのですが、ついに夫は読んでやるのに疲れて、「もう、スースは借りてくるな!」と申し渡しました。我が家に最初にスースの本をもたらしたのは、夫なんですが。それでもヒロキはいまだにスースの本を借りつづけています。いったい何冊あるのでしょう?ヒロキは「200冊くらいかな?」と言っていますが、本当のところは知りません。 今日はドクター・スースの100回目の誕生日です。(残念ながら1991年に亡くなっているので、100歳の誕生日ではありません。)ヒロキたちは一ヶ月も前から、クラスごとに巨大な3段重ねのケーキを印刷したポスターを作り、ろうそくの形の紙に、一人が一冊本を読むたびに、自分の名前と本の題名を書いて飾りました。ろうそくは100本にならなくてはいけません。途中、「ボクのクラスは大丈夫かなあ? まだ20本しかろうそくが立っていない・・・」と心配していましたが、ヒロキも4本分貢献し、無事に完成しました。 本日のハムデンの小学校のスクールランチのメニューは「Green Eggs and Ham+Birthday cake」これは、彼の代表作「Green Eggs and Ham」にちなんでいます。Sam-I-am という主人公が相手に緑色の卵とハムを、しつこくしつこくしつこく60ページにもわたって食べろと勧めるお話です。何とも気色の悪いものを勧めるものだ、と思っていたのですが、緑色は子供の嫌いな野菜を象徴していて、嫌いなものでも食べたらおいしいよ、というメッセージが込められているそうです。 本当に緑の卵とハムが出るのかな? と思ったら、「普通の卵とハムだったよ。でもね、午前中にホンモノのGreen Eggsを作ったんだ! スクランブルエッグに緑のフードカラーをいれたの!」なんとも、まあアメリカ的です。 ドクター・スースの作品のビデオをみたり、「Cat in the Hat」の帽子を作ったり、一日中お祭りのようでした。 ケーキのポスターはみんなで投票しあって、一等賞を決めました。隣のクラスが一等賞を取ったようです。ヒロキも自分のクラスには投票しないで、一番素敵だと思った隣のクラスのポスターに投票したそうです。
2004年03月02日
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ヒロキをオペラやミュージカルへ連れて行くたびに(この話は日記に未記入なので、そのうちに書きます)、「ボクはホッケーの方がいいのに!」と文句を言っておりました。どうして他のスポーツでなくてホッケーなのかはわからないのですが。どうせルールも良く知らないので、プロ・ホッケーを見に行くのも面倒だし、その辺のハムデン高校の試合でも見に行くかなー、しかし毎日忙しいし・・・なんて先送りしているうちに今シーズンも終わりに近づいてしまいました。 昨日の夜、というか今日の早朝、たまたまイェール大学の男子ホッケーの試合が夜7時からあることがわかり、突然思い立って行ってきました。後で調べたら、今シーズンの最終戦でした。 当日券大人7ドル子供3ドルが手に入り、喜んでいたらなんと立見席でした。イェールの学生だと無料で着席券がもらえるそうです。 相手はRPI=Rensselaer Polytechnic Institute という大学です。聞いたことないです・・・。でも、相手がこの大学なので、当日券が買えたようです。ハーバードやブラウンなどのIVリーグだと、早々に売切れてしまうらしい。 さて、試合は第一ピリオドの前半こそ、イェールが押し気味でしたが、双方得点なく終了。第二ピリオド開始早々3分までに、相手に2点取られ、さらに終了間際また1点取られました。第三ピリオド開始直後また2点取られ、ここでイェールのゴールキーパーが交代させられました。どうも、最終戦でもう消化試合なので、はじめは控えのキーパーだったらしいです。でも、さらに終了間際に1点追加され、0-6の完敗でした。 会場はほぼ満員で、赤いRPIのユニホームをきた観客も20人ほどはいました。NYからやって来たのでしょうか?(大勝だったので、大喜びでした。)双方20人ほどの編成のブラスバンドが応援をします。チアリーダーやマスコットはいなくて残念。 試合終了後、年間チケットを予約するコーナーを見ていたら、係りのお姉さんがポスターをくれました。今日で全日程終了なのでもう用済みですが、カッコいいので部屋のインテリアになります。 ヒロキの感想・・・おもしろかったけれど、イェールが負けたのでちょっと疲れた。今度は座って見たい。
2004年02月28日
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ヌートリアは南米原産の齧歯目で、ネズミよりはリスに近いらしい動物です。水辺の土手に穴を掘って住んでいます。夜行性で草食性です。 日本では第二次世界大戦前、兵隊用の毛皮を取るために移入され、戦後逃げ出したものが住み着き、岡山県では田んぼに穴をあける害獣として駆除されているそうです。 我が家から歩いて30秒ほどのところに池があるのですが、ここにヌートリアが住んでいます。どうしてここにいるのかは解りません。 最初に発見したのは、私の父でした。夏休みに我が家へ遊びにきた父は、時差ぼけのため早起きで、早朝散歩に出かけました。池を眺めていると、長いしっぽの巨大なネズミが颯爽と泳いでいたのでした。翌日にはビデオを構えた父のために、ヌートリアは手前の土手を上がってきて、全身を見せてくれたのでした。(その後、早朝や夕方何回もヌートリアを見かけましたが、土手に上がってきたのはこの時だけです。) 冬になって池は全面結氷し、その上に雪が積もってすり鉢型の広場ができあがりました。どこまでが地面で、どこからが池だったか境界がわかりません。「土手の上から池に向かって、ソリで滑り降り降りたら楽しそうだよ」とヒロキに言ったら、本当にやりそうになって慌てて止めました。もし氷が割れたら命の保証がありません。 2月に入って暖かくなり、雨が降りました。雨水がまとまって流れたところだけすじ状に雪が融けて、下の芝が顔を出しました。すると、その芝を食べに、リスより大きい動物がやってきたのです。 ドアを開けると、リスはパッと逃げるのに、こいつは逃げません。近づいていくと、すじ状の芝の道をノソノソと逃げていきます。池の方に逃げれば広い逃げ場があるのに、そちら側は少し上り坂になっているので行きません。歩くのは苦手のようです。反対方向のアパートの方へ向かい、ちょうどメーターボックスが開いていたので、その中に逃げ込みました。しばらくこちらを見ていましたが、そのうち丸くなって寝たふりをしていました。 最初、私はヌートリアだとわからなくて、「巨大なドブネズミがでた!」と思ってびっくりでした。写真を撮るのもおっかなびっくりで、腰が引けています(笑)。もっと近づこうと思えば近づけたのですが、もしも跳びかかられたら怖いので、この辺で止めておきました。 メーターボックスのドアは閉めたのですが、隙間があるので、そのうちにどこかへ行ってしまいました。2月18日の日記を書いたので、もし良かったらご覧ください。(画像あり)最古のハンバーガー
2004年02月23日
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「カーペンターズ」知っていますよね?アメリカを代表するポップスの兄妹デュオで、1970年代に大ヒットを飛ばしました。当時10代だった私は、ポップスには全く興味がなかったのですが(^^;)、それでも、「Sing」とか「Yesterday Once More」とか覚えています。1983年に妹のカレンが拒食症で亡くなったときは大学生でした。 彼らがニュー・ヘイヴン生まれであることを、夫が調べてきました。彼らの子供時代の家は、「55 Hall Street, New Haven」だそうです。昨日、補習校の帰りにその場所を訪ねて見ました。ニュー・ヘイヴンの中心地をかなり離れた、閑静な住宅街の中でした。これがその家です。 見たところ、築50年と言ってもよさそうだし、3ベッドルームくらいの小さな家で、若い家族が住んでいたとしても矛盾はありません。でも、本当にこの家なのでしょうか? たまたま、隣の家の住人が帰ってきたので、話を聞いて見ました。すると、「そうだよ、カーペンターズが住んでいたのはその番地だよ。でも、ナンバーが変わったからね。」 そうすると、この家はカーペンターズの生家ではないのかもしれません。でもまあ、この付近に住んでいたことは確かです。一家は1960年代にカリフォルニアに引越しました。 兄妹が通った学校は今も近所にあって、こちらは1924年創立と書いた古い建物が残っていて、間違いありません。 ヒロキと夫はグランドで追いかけっこをして、雪解け水をたっぷり吸った芝生に足をとられた夫は滑って転んで、パンツまでビショビショになりました(爆)。
2004年02月22日
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2月14日(土)から、2月22日(日)まで、一週間ヒロキの学校は冬休みでした。(バレンタイン・デーのパーティーとカード交換は13日の金曜日にやりました。) 2月に入ったら急に日差しが延びて暖かくなって、「冬休み」というというのはなんかそぐわない感じ・・・でも、暖かいといってもせいぜい氷点上になった、くらいの気温で、外遊びはやっぱり寒い・・・出かけるのも億劫・・・ということで、一週間どうなったかというと土曜日 補習校日曜日 何もせず月曜日 午前 掃除、午後ヒロキの補習校の友人(6年生)のシュウ君とお母さん来訪(日本語)火曜日 親友S君と妹、お母さん来訪(日本語)。水曜日 午前 ピアノ、昼 ハンバーガーを食べに行く、午後 OKD姉妹宅(日本人)に呼ばれる(日本語)木曜日 午後 同級生のキューミン(韓国人)来訪(英語)金曜日 親友S君宅へ(日本語+英語)土曜日 補習校+買い物+カーペンターズの生家探し日曜日 ノエル宅に呼ばれる(ノエルのお父さんはフランス人だけれど、家では日本語) 木曜日に同級生のキューミンが来なければ、ヒロキは一週間全く英語を話さないで済みます。アメリカに住んでいたって、こんなもんです。まして、母親の私の言語環境は推して知るべし。金曜日にS君宅へ行ったら中国人の友人も来ていて、日本語英語チャンポンでやっていましたが、英語の質問に日本語で答えたりしていて、ダイジョウブカナ? この程度の英語環境で、現地校のレギュラークラスでやっていくのは本当に大変なことだと、我が子ながら同情してしまいます。 そんなわけで、毎日忙しくて日記更新が滞りました(言い訳です)。
2004年02月21日
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アメリカを代表する料理「ハンバーガー」を、いつ、だれが最初に作ったか、については諸説あるようですが、ニュー・ヘイヴンにあるこの店も、最古のハンバーガー屋さんとして知られています。妹の話によると、最近日本のテレビ番組で放映されたらしいです。 その名も、「ルイスの昼飯屋」。名前のとおりお昼時しか営業していないし、日曜は休みだし、今までなかなか行く機会がなかったのですが、冬休みを利用して行ってみました。 外観はこじんまりしていて、店内も狭くて、とてもレトロな雰囲気で、15人も座ればいっぱいになってしまいそう。メニューはハンバーガーとチーズバーガーと、スープと、デザートのケーキと飲み物だけ。 店員さんのTシャツの背中には、「ケチャップ禁」のマークがついています。普通のアメリカのハンバーガーには、これでもか!、ってくらい大量のケチャップがついてくるのですが、なんとこの店ではケチャップは禁止なのです。(マスタードもなしです。) ヒロキは「ハンバーガー」、私と夫は「チーズバーガー、トマトとたまねぎ添え」を注文しました。しかし、それからさんざん待たされました。それも普通のハンバーガー屋と違うところ。待っている間に、隣のテーブルの親子が食べていたカップスープがおいしそうだったので、注文しました。スープはすぐに渡されます。スープを食べ終わってもまだ待たされて、やっと順番が来ました! どうです? 普通のハンバーガーのイメージと違うでしょう? トーストした食パンにハンバーグが挟んであるのです。パンを焼くトースターはレトロな自動トースターで、ハンバーグも卓上の小さな専用ハンバーグ焼器の直火で焼いているのです。なので時間がかかるのです。 チーズバーガーは、ハンバーグもいい具合にミーディアムに焼けていて、パンもおいしくて、なかなかの味でしたが、ヒロキの注文したハンバーガーはパサパサしていて今ひとつ。ふだんケチャップたっぷりのハンバーガーを食べなれているヒロキは、「ケチャップがないので、おいしくない!」でした。 そうそう、アメリカでBSE(狂牛病)が発生して日本では大変なことになっていますが、アメリカではだれも気にしていません。どこのハンバーガー屋さんも大賑わいです。そもそも、牛肉をたべてBSEにかかる確率よりも、交通事故で死ぬ確率の方が高く、さらにそれより銃で撃たれて死ぬ確率のほうが高いのですから。Louis' Lunch 261-263 Crown Street, New Haven
2004年02月18日
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アメリカのバレンタイン・デーは、愛するものがお互いにプレゼントやカードを贈りあいます。恋人同士でももちろんいいし、夫婦、親子、孫と祖父母、友達同士、先生と生徒・・・ 夫が研究室で、日本では女性が男性に贈り物をする日だ、と説明したら、女性はもらえないの、それは不公平だ、と言われたそうです。 大きなスーパーやドラッグストア(薬や日用品、食品も扱う)の売り場の真中へんには、「季節商品」の売り場が大きく設けてありますが、この時期はピンク一色に埋まります。ふだんは見かけないような、ハート型の容器にきれいに並んだチョコレートをはじめ、いつも売っているドーナツや棒つきキャンディーの外装もピンクのハート模様に変わります。m&mという、日本のマーブルチョコレートそっくりのチョコレート菓子も、いつもはカラフルなのに、バレンタイン版は赤と白とピンクのみが入っていました。 ハート型のアクセサリーも人気があるようです。ヒロキの学校でもハート型のペンダントを斡旋していました(利益をPTAの活動費に当てます)。小さめの縫いぐるみもたくさん並んでいます。赤やピンクのバラの花は、1ダースの束で売っています。 さて、アメリカの小学校では、今日は「友情を確かめ合う日」なんだそうです。具体的には、クラスメイト全員とカードを交換し合います。前もって先生がクラス全員の名前を書いたリストを配り、一人の漏れもないようにカードを作成し、そこにチョコレートやキャンディーなどをつけて配るのです。 アメリカのこうした習慣は、知っている人には常識かもしれないけれど、日本人が少なくて、学校に行っている子供が数えるばかりのこの辺では情報がなかなか得られません。我が家より1年半程前にいらしていたこう君のママは、こう君が通っていたデイ・ケア(幼稚園のようなもの)から、「バレンタイン・デーのカードを用意してください」という手紙を受け取ったものの、何のことだか解らずに、カードを一枚だけ持たせたそうです。デイ・ケアから帰ってきたこう君は、「ボクだけ配るカードがなかった!」と怒っていて、かわいそうなことをしたとおっしゃっていました。 うちは、「カードを配る」ということだけは知っていましたが、どんなカードを配るのかが解らず、スーパーのカード売り場で一番小さいカードを探して、それでも一枚1ドルほどで、クラス全員分(しかも昨年はESLクラスとレギュラー・クラス両方で、全部で30人)ともなるとたいそうな金額でした。小さなお菓子をつけると言う話は前日に聞き、慌ててハート型のチョコレートを買いに行ったのでした。昨年のESLクラスには日本人が3人いたのですが、みんな同じような大きいカードでした。 実は、バレンタイン用の簡易?カードが売っているのです。箱に入って、32枚入りで、1ドルからせいぜい4ドルまで。厚紙に8枚ずつ印刷してあり、ミシン目で切るタイプ。カードのコーナーではなく、季節商品のコーナーでした。今年は早くから丹念にチェックし、ヒロキのお気に入りの「スター・ウォーズ」のきらきら光るカードをゲット! 昨年と違って字を書くのも早くなり、20人分のカードもスイスイ書けました。去年はハートのチョコをつけたけれど、今年は思い切りアメリカ風に「ロリポップ」=棒つきキャンディーを貼り付けました。ヒロキはけして食べないんですが・・・。 先生の分のカードは、市販のものもありますが、近所で買ったら同じカードがダブってしまうだろうと思って、手作りにしました。ピンクの色画用紙に、和紙おりがみでハートを作って貼り付けておしまい。簡単です。先生のカードにはお菓子はつけるのかな? こんな子供向きのキャンディーだから・・・と思って付けていきませんでした。 学校から帰ってきてヒロキが、「ミス・ハラーン(インターンの若い先生、近くのQ大学の学生です)が、私のキャンディーはないの? って言ったから、忘れたから明日持って来る、って答えたの、でも、気になって気になって、勉強できなかった! みんなはちゃんと先生のカードにもお菓子を付けていた!」と怒っていました。今年も大失敗です。やれやれ。 クラス全員と先生3人からいただいたカードとお菓子を並べてご機嫌のヒロキ。お菓子のパッケージに直接名前を書けるようにしたものもあります。
2004年02月14日
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9月2日に新学期が始まって、今日は100日目に当たります。(ちゃんと雪の休校の分は引いてあります。)100日目は大切なことらしいです。昨年は1年生の100日目だったのでとくに大事だったようで、盛大にお祝いのパーティーをしました。100日目プロジェクトとして、「何かを100個使って、何か(絵でも工作でも)を作る」と言う課題が出て、我が家はおりがみ100枚で海の生き物を作り、水族館を作成しました。私も夫も動員して、一週間おりがみ三昧でした。 みんなどういうものを作ってきたかというと、1セント硬貨を100枚使って「100」という数字を作ったり、アイスクリームの棒のようなもので家を作ったり、リボン型のマカロニの家、お菓子でできた家、木工のロケット、モールのオブジェなど、力作ぞろいでした。ジャガイモに100本楊枝を刺したものがあって、いったいこれはなんだろうと考えてしまいました。ハリネズミ? 今年は2年生だからか、違う学校のためか、パーティーはありませんでしたが、100日目プロジェクトはありました。「何か」を100個、袋か箱の中にいれ、ヒントを5つ書いていきます。2年生全員分をカフェテリアに並べ、みんなで袋や箱を振ったり、ヒントを読んだりして、中身を当てっこします。ヒロキのヒントです。1. It’s little.2. It’s round and yellow.ここまでで解った人、すごいです!3. In Japan it is scatterd to sweep ’ONI’ on the eve of the first day of spring.もう解りましたね。’ONI’ を説明するのに、鬼のお面も持っていきました。でも、アメリカ人には難しいでしょうから、更なるヒント。4. It’s food and stuff of MISO or soy-sause.5. It’s been.はい、正解は「soy been」でした、ヒントの中に正解が書いてあるにもかかわらず、正解者は一人だったそうです。1セント硬貨や、紙、カード、ビーズ、ガム、マシュマロ、キャットフード、トウモロコシいろいろあったようです。なかなか当てるのは難しかったみたいです。学校200日目は何をするかって? アメリカの学校は休みが多いので、学校200日目は存在しないのでした(笑)。--------------------------------ところで、先日の「伝記を読んで、発表する」という宿題の後日談・・・2年生全員集まって、発表をしたそうなのですが、作ってきたパペットを持ってカードを読むだけ。母「それなら、一人2分で終わるでしょう?」ヒ「それがねぇ、自分のカードが読めないヤツがいるんだから、先生に読んでもらったりしてる・・・」母「何で自分のカードが読めないの? さてはお母さんに作ってもらったな?」ヒ「そうかもね」母「みんなどんな人を選んだの?」ヒ「レオナルド・ダ・ビンチが二人、マルチン・ルーサー・キングも二人。ジョージ・ワシントン、リンカーン、コロンブス、凧を上げた人(フランクリン)、blindの人(ヘレン・ケラーか?)、初めて大西洋を渡った女性のパイロット、アポロ宇宙船のアームストロング、あとは野球の人とかバスケットの人とか解んないよ! もちろんバーナムはいなかったよ。」とのことでした。やっぱり宿題は、親が手伝っているんですね!
2004年02月12日
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またしても、ヒロキの宿題ネタです、私の生活は彼の宿題中心に回っているもので・・・(笑)。 今ヒロキの学校では、「3月2日のドクター・スースの誕生日に向けて、たくさん本を読みましょう」というプロジェクトをやっています。ドクター・スースについてはまた書くこともあるかと思いますが、子供向けの楽しい本をたくさん書いた作家で、彼の代表作「Cat in the Hat」がこのたび映画化され、日本でも上映される(された?)ようなので、ご存知の方もいるかもしれません。 そこで出された宿題は、伝記を1冊読んで、その人の最も重要な仕事と、その他のエピソード4つをカードにまとめ、主人公のパペットをつくり、教室で自分の学習したことを発表する、というものです。 本当は本を選ぶところからやって欲しいのですが、ヒロキに選ばせると時間ばかりかかってしまうので、先週の土曜日ヒロキが補習校で勉強している間に、ハリソンの図書館で夫と私でいくつか候補を選んでしまいました。ハムデンにももちろん図書館はありますが、こういう宿題が出るとみんなが図書館に殺到して、在庫が少なくなってしまう恐れがあるのです。 どんな本がいいかなあと、子供向けの伝記の置いてあるコーナーで探してみたのですが、本の大きさ形や難易度に関係なく、主人公の姓のABC順で並んでいるのでとても探しにくいです。(アメリカは何でもABC順が好きです。手元に州ごとの地図の本がありますが、これがABC順に、並んでいるのです。例えばコネチカット州の隣はニューヨーク州ですが、隣のページにはないのです。日本の都道府県地図が50音順で、神奈川県の隣のページに香川県が載っているなんて、想像できます?) もう一つ、これは感心したことですが、子供向けの伝記なのに、実にたくさんの人が取り上げられていること。アジア人もガンジー、ネルソンをはじめ、ホーチミン、毛沢東などの名前が見られたので、日本人もないかなあと探したのですが、見つかりませんでした。 何とか見つけ出した本の中から、ヒロキが関心を持っていて、文章がそれほど難しくなく、宿題のカードが書きやすい内容(本によっては宿題用に、まとめのついているものもある)のものを一つ、やっと選び出しました。それが「P.T.バーナム」。 P.T.バーナムは1810年、コネチカット州のベーテル生まれで、19世紀最大の興行師と言われ、ブリッジポート(コネチカットで最大の町)の市長もつとめました。ブリッジポートに「バーナム博物館」があるのですが、私たちが昨年の10月そこを訪れたのは全くの偶然で、ハムデン図書館で近隣の施設の無料入場パスを貸してくれるのですが、別の動物園行きたかったのにそれが予約済みであったため、仕方なく「バーナム博物館」のパスを借りてきたのでした。 古びた、かび臭い博物館には、バーナムのサーカスの全盛期の様子を再現した模型がありました。100両以上の貨車と客車を連ねて全米をまわり、大きなテントには3つのリング(サーカスの舞台)が作られ、今では想像もできないような巨大なサーカスです。現代のサーカスと同様、アフリカゾウの「ジャンボ」など動物もいるし、空中ブランコもありますが、このサーカスの最大のスターは「親指トム」と呼ばれた、身長110cmほどの小男でした。「親指トム」はブリッジポート生まれで、4歳で身長25インチ(62.5cm)しかなかったそうです。バーナムは彼を引き取って、声楽、ダンスなどの教育を受けさせました。トムは頭の回転が速く、ジョークも得意だったのでサーカスの人気者になり、後にはイギリスへ渡り、ヴィクトリア女王に謁見しています。 もう一人(二人)のサーカスの人気者は、チャンとエンの結合体双生児・・・彼らはシャム(現在のタイの一部)で生まれ、14歳でアメリカに来ました。結合体双生児のことを「シャム双生児」ということは知っていましたが、これは彼らのことを指した言葉だったのです。 バーナムはこれらの(まだ他にもたくさんの)身体的特徴をもった人々を見世物にして大もうけしたのですが、一方、出演者にも大いに還元しました。バーナム博物館に飾られている、親指トムと奥さん(彼女も小人)のための特別あつらえの家具や衣装を見ても、どんなにお金がかかっているかが解ります。出演者の中には、大農場を経営するものもいたそうです。 バーナムはある意味で山師であり、イカサマもしました。初期のころの展示品「フィジーの人魚」は、実はニホンザルの上半身に魚の下半身を貼り付けた「日本製」であることを、彼は晩年に白状しています。なので、彼の評価は難しいところもあるのですが、南北戦争以前の世の中で、見世物になるしか生きる道がなかった人々に、十分な対価を払ったことだけでも良しとするべきでしょう。 ヒロキの宿題は、難しい話は抜きにして、最大の業績・・・アメリカで最大のサーカスを作ったエピソード・・・ゾウのジャンボを飼った 親指トムとヨーロッパへ行った 豪華な宮殿のような家を作った(現存はしていません) 下院議員に立候補し、落選したと、無難にまとめ、無事終了しました。 バーナム博物館http://www.barnum-museum.org/博物館自体は再開発されたこぎれいな区画にありますが、まわりには治安の悪い地区もありますので、気をつけてお越しください。
2004年02月08日
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夜半から降りだしたみぞれは朝になっても降り止まず、ハムデンの公立校はまた休校になりました。やれやれ。 毎週土曜日は日本語補習校へ行っていますが、最近はそちらの宿題がやりきれない状態でした。今日は一日空いたので、めずらしく全部の宿題が仕上がりました。 その中の一つ、「アルバムを つくろう」という単元で、「あかちゃんのときの写真をはって、自分があかちゃんの時の事を書く」という宿題がありました。ドキッ! 我が家のような短期駐在の家庭では、荷物は最小限で、たいていのものは日本に残してあります。運悪くハイテク化の遅れた我が家は、ヒロキの誕生したころ(1996年)デジカメを持っていませんでした(汗)。今このパソコンに入っている一番古い写真は、ヒロキが3歳半のころのものです。しょうがないから、それを貼ろうかなぁ、と考えていたら、偶然あかちゃん時代の写真が見つかりました。それは、一眼レフで撮ったプリントを、私の父にメールで送るため、スキャナで取り込んで作成したものでした。 夫は写真が趣味?なので、ヒロキの写真を撮りまくり、一年分がみかん箱一箱以上あります。それを全部アメリカに持ってくるなんて絶対不可能だけれど、デジカメ写真だったらCDに焼いて十分可能です。写真の出来栄えに少々満足がいかなくても、便利さ手軽さで「デジカメの勝ち!」。 今一番欲しいのは、「一眼レフデジカメ」なのですが、それを買ったらますますフィルムカメラの出番はなくなるでしょう。我が家の少ない引越し荷物(たった16箱)のうちの一箱を占領した、一眼レフカメラ本体2台、換えレンズ数本、ストロボ(2台)は、いったいどうなるんでしょうかねぇ・・・
2004年02月06日
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今日は「グランドホッグ・デイ」です。冬至と春分の日の中間に当たる今日、地中で冬眠中のグランドホッグ(ウッドチャックともいい、大型のリスの一種)は一度目を覚まし、巣穴から出てきます。そして、自分の影を見ると(つまり、太陽が出ていると)寒い冬がもう6週間続くので、もう一度巣穴に戻ってしまいます。しかし、自分の影が見えないと(曇っていると)、冬はもう終わりだと思って、そのまま起きているのだそうです。 ドイツ系移民がもたらしたこの行事は、ペンシルベニア州のパンクスタウニー(Punxsutawney)が発祥の地で、何でもペンシルベニアの州知事まで参加して、盛大に、1887年から続いている、この「春占い」の行事を見守るのだそうです。(もちろん、天然のグランドホッグが丁度良くこの日に出てくるとは限らないので、どこからか適当に調達してくるようですが・・・(笑)) 今では東海岸ではずいぶん広まっている行事ですが、西海岸ではどうなのかな? 昨年はこんな行事のことは、もちろん、全く、知りませんでした。ちょうど、楽天の先輩のYoshieさんが早々に日記をupしてグランドホッグ・デイについて説明してくださってあったので、そこで勉強して、学校から帰ってきたヒロキに「大威張りで」(爆)説明してあげました。ヒロキはその時は何にも解ってなくて、「地中に住んでいる動物の話」らしいから、アナグマかな?なんて思っていたみたいです。 今年はさすがにヒロキも、十分理解できたようです。「今日は先生が、グランドホッグ・デイの本を読んでくれたよ!」アメリカの学校の先生は、よく本を読んでくれるみたいです。「明日はグランドホッグ・デイなので、ミスター・グランドホッグは寝坊しないように目覚し時計を7時に合わせました。そうしたら、ラクーン(アライグマ)がミスター・グランドホッグをキッド・ナップ(誘拐)しました! ミスター・グランドホッグは隙を見て逃げ出し、掘って、掘って、堀まくりました。出てきたところは、ちょうど自分の巣穴の前でした。追いかけてきたラクーンは、今度はグランドホッグにつかまりました。どうしてキッド・ナップなんかしたのか?と聞くと、グランドホッグが影を見ないようにするためだ、と答えました。それで、みんなはラクーンを許してやりました。 この騒ぎで、ミスター・グランドホッグは自分の影を見られませんでした。それで、寒い冬は終わりになりました。めでたし、めでたし!」 ヒロキはこの結末に大いに不満です。「グランドホッグは影を見て、もっと冬が続いたほうがいい!」(昨年も同じことを言っていました。)えーっ、今年の1月は、記録的に寒かったのに、もうたくさん! 今日はとてもよいお天気で、グランドホッグは影を見たに違いありません。でも、気温も結構高くて、日差しも伸びて、春が近いなあと感じられる日でした。
2004年02月02日
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今日は抜けるように青い空、お日さまきらきらです。さっそくまたまたソリを持ち出して、近くの公営ゴルフ場へそりすべりに出かけました。このゴルフ場は、ごくなだらかな丘陵地で、コースとしての面白さはあんまりないみたいですが、ハムデン市営なので、日本に比べたら信じられないくらい安くって、しかも空いているのだそうです。まあ、ゴルフをしない我が家には関係ありませんが。 ゴルフ場の芝はパウダースノーにすっかり覆われて、とってもいい感じ! 今年はソリを2台用意したので、3人で順番に滑れてとても楽しい。去年は雪が降ってからソリを探して歩いたのだけれど、どこも売り切れで、10件くらい探したかな? やっと手に入れたソリにはヒモがついていなくて、私がソリに穴をあけて取り付けたのでした。(もう一台は、帰国した方からいただいたもの) 日本でよく見かけるプラスチック製のソリのほか、スノーチューブという、大きな浮き輪の真中が座れるように塞いであるものも人気です。これはまっすぐに滑り降りないで、くるくる回りながら滑り落ちていきます。ほかに、海で使うエアーマットのようなもので滑っている人もいます。どちらもビニール製なので、耐久性はどうなんでしょう? ブレードつきの箱型のかっこいいそりも見かけました。 近くで英語でない言語(スペイン語かな?)でしゃべっている兄弟がいたので、よく顔を見たら、ヒロキが前の学校のESLクラスでいっしょだったチャー兄弟でした。去年も別の場所(イーストロック公園)にすべりに行ったら、フィンコ君というESLのお友達に会いました。ソリさえ持っていれば、安上がりのレジャーなので(タダですから)、人気がありますね。子供だけでなく、大人同士で来ている人たちもいます。 良い天気なのですが、気温は30Fほど(-1℃)で、結構風が強くて寒いです。おかげでいくら滑ってもお尻が濡れません(笑)。雪が融けないからです。しかし、30分が限度です。入れ替わり立ち代わり人は来ますが、みな30分程度で帰っていくので、そんなに混雑しません。 今日はとっても健康的なアウトドアでしたが、実は先週の25日は厄介でした。ヒロキがお友達のサキの誕生会に招待されたのです。前にも書いたことがありますが、この辺の子供たちは自宅ではお誕生会をしません(ものすごい豪邸に住んでいれば別ですが)。前に招待されたところは、プールでした。今度は、「チャッキー・チーズ」という子供向けのゲームセンターです。入場すると150人以上入れる、大きな「ショールーム」に行きます。今日はサキのほか、10組のお誕生会がセットされていました。(2時間後には、別の10組がセットされていました。)ショールームのステージには大きな人形がいて、バンド演奏をします。まあ、安手のディズニーランドみたいです。ネズミのチャッキーの着ぐるみも登場し、歌を歌ってワンマンショーです。そこで、ピザを御馳走になり、食べるのもそこそこにトークンを20個持って、ゲームコーナーへ! お誕生会とはいえ、みんなてんで勝手に好きなゲームをして遊びます(笑)。途中、ケーキに呼ばれたけれど、また食べるのもそこそこにゲーム再開。ゲームの中には得点によってチケットが出てくるものがあり、さらに、ルーレットやスロットマシーン(のようなもの)のようにチケットを得るためだけのものもあります。まるで、子供版カジノです。しかしヒロキはチケットには全く関心がなく、ひたすらカーレースとスノーモービルレースに夢中です。後ろから見ている私は酔ってしまいそうです。日本のセガのゲーセンなどに比べたら、実にショボイのだけれどね・・・ 2時間以上遊んで、結局チケットは17枚ゲットして、最低の15枚用のおみやげ(ちっちゃな飛行機)を手に入れて、ご機嫌なヒロキでした。お友達の中には100枚以上のチケットを手に入れていた人もいました。 このチャッキー・チーズはチェーン店で東海岸では有名なのですが、今まで行ったことはありませんでした。ゲーセンで誕生会なんて、セキュリティーはどうなってるのかな?と心配だったのですが、出入り口で厳しいチェックが行われていました。入るとき、子供とその保護者は同じ色のスタンプを同じ側の手に押されて、出るときはそのスタンプで、「この子供の保護者である」ことが確認されないと出してもらえません。他人の子を連れ出そうとしてもできないシステムです。だから、慣れているアメリカ人の親は、子供だけ残して遊ばせて、2時間たってからまた迎えにきていました。ふだん子供から絶対目を離せないアメリカでは、ママの貴重な自由時間になっているに違いありません(笑)。 子供には大人気のチャッキー・チーズですが、とにかくうるさくて、汚くて(ゲーセンですもの、あたりまえ)、おまけにおなかが空いて(爆)、私は頭が痛くなってしまいました。ヒロキは実は密かに自分の誕生会もここでやりたいと思っているのですが、母は絶対にイヤです! どっかいいところないかなあ?
2004年02月01日
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昨日は雪の予報だったので、学校は早く11時半に終わってしまいました。曇り空ですが、なかなか雪は降り出さず、結局降り始めたのは夜7時過ぎでした。こんなことなら、ちゃんと最後まで授業をすればいいのに・・・。NYの公立校は早々と今日の休校を決めたようで、夜のニュースで放映されていました。ハムデンも休みだろうけれど、TVニュースにはでません(笑)。 朝起きたら、15cmくらい粉雪が積もっていました。まだ完全には止んでいなくて、ふわふわ雪が舞っている感じでした。我が家は丘の上にあるので、除雪がしっかりできていないと通勤が怖いので、夫は少しゆっくり出て行くことにしました。 ヒロキと夫は、飾りをはずして外に転がしてあったクリスマスツリーを、ツリー捨て場まで引っ張っていきました。雪がたくさんあったほうが滑って持っていきやすいからです。クリスマスツリーは一般のゴミとは分別されて、チップにするそうです。(他のゴミはほとんど、いや全くといってよいほど分別されません。生ゴミも紙も、空き缶も空き瓶もいっしょです。一応プラスチックとアルミ缶と新聞紙は分別するようになっているけれど、ほとんど守られていません。) ついでにまた楽しく雪遊びをした二人でした。 この写真は1月15日の休校日に撮ったもの、今はもう少したくさん雪があります。(ヒロキの顔にご注目!)今年になってから、1月12日2時間遅れ、15日休校、16日2時間遅れ、27日早帰り、28日休校です。休校になった分は、夏休みが減ります。---------------------------12月末の旅行記を完成させ、写真なども追加upしましたので、どうぞご覧ください。28日の日記29日の日記30日の日記31日の日記
2004年01月28日
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それにしても、ヒロキのグズには参ってしまいます。この週末、担任のペレタ先生が「ヒロキが学校でやり残した課題」を束にして渡してくれました。その数15枚。中には「ヒロキの英語力では解らなかったのね、仕方がないね」と思われる内容もありましたが、単に「色を塗る」というのもやり終えていません。 ペレタ先生に手紙を書きました。「もし、ヒロキの英語力が不十分で課題がこなせないのなら、家庭教師をつけますから、おっしゃってください。」 ペレタ先生の返事。「ヒロキの英語力はgoodです。彼は与えられた時間を充分に活用していません。彼は課題をしないで、教室の中を見回しているので、注意しています。もっと私の注意が行き届くよう、席を替えました。」実は日本語補習校の先生にも、同じようなことを言われています 。本人曰く、「だって、何やろうか、考えてるんだもん!」先週、日本語補習校の宿題の作文を書くのに、初めの2時間は「考えて」いるので、5行しか書いてなくて、私に唸られて、残りはの30分で30行近く書いていました。私には「考えて」いると言うより、ボーッとしているとしか思えません。 家でも、「手を洗って、歯磨きして、顔洗っていらっしゃい!」 と毎日言われて、この3つがちゃんとできたためしがありません。 楽天の先輩のイグアナさんのアイデアをお借りして、「点数方式」を始めました。時間内にきちんと宿題をやれば、5~10点もらえます。先ほどの3つのうち、一つ忘れるとマイナス1点。他にも、トイレをきちんと流さないとマイナス1点、電気の消し忘れマイナス1点など・・・(ためた点数 1点=1分で、パソコンやTVで遊べます。)しかし、今ひとつ効果なし! 宿題のスピードは少し速くなったけれど、わすれんぼはちっとも治らない。 育て方を間違えたか? いや、親にそっくりといえばその通りです(爆)。「次に何して遊ぼうかなあ」というときだけは、実に頭の回転が速いのですが・・・。
2004年01月26日
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先週ヒロキが学校から帰るなり、「またワシントンDCに行きたい」と言い出しました。このあいだ行ったばかりじゃないの? 今度は何かな? と思ったら、学校でDr.マルチン・ルーサー・キングについて習ってきたのでした。キング牧師はワシントンDCのリンカーン記念堂で有名な演説をしましたが、2003年にリンカーン記念堂の階段に、その有名な一節「I have a dreem ・・・」と刻まれた石がはめ込まれたそうです。おそらく演説から40周年を記念して作られたのでしょう。 キング牧師の誕生日、1月15日を記念して、今日は祝日です。 キング牧師はアメリカの公民権運動の指導者で、ノーベル平和賞を受賞した人だということは知っていましたが、日本ではそれほど有名ではありません。ハリソン図書館で、日本語の子供向け(笑)「キング牧師の伝記」を借りてきて、勉強してみました。 ヒロキが学校で教えてもらった子供時代のエピソード・・・仲良くしていた白人の子供のお母さんが、もう大きくなったから黒人とは遊ばないと言って追い返された・・・も載っていました。(いちおう、ヒロキは英語で理解できたらしい。)わずか40年前、私の生まれたころは信じられないような差別があったのですね。黒人はバスの運転手にもなれませんでした。今ではニュー・ヘイヴンのバスはスクールバスも含めて、運転手はほとんど黒人です。 学校では、「すべての人間は平等」と一生懸命教えています。しかし、人間の意識がそんなに簡単に変わるわけではありません。ヒロキの親友S君の学校は、黒人と白人が半分づつですが、遊ぶときは必ず同じ人種同士だそうです。S君は東洋人で黄色いので、今ひとつどっちのグループにもなじめません。ヒロキのクラスも、白人のグループと、その他・・・アジア人+黒人一人+ヒスパニック一人のグループに自然に分かれています。その他のグループにはESL出身も多く、言葉の問題もあるのだけれど、クラスで一人だけの黒人の子は真のアメリカ人です。ヒロキたちはまだ2年生なので一緒に遊ぶこともあるのですが、これが学年が進むともっと顕著になるそうです。 黒人と白人のカップルを見かけることも、めったにありません。人種によって住んでいる地域もかなりはっきり分かれています。私の住んでいるアパートは大手の会社経営なので、「人種による差別はいたしません、何とか法:何条による」と大きく掲示してあります。そのためか、外国人だらけ(笑)ですが、逆に法律によって禁止されているにもかかわらず、人種による居住拒否をするアパートが存在します。 地域によっても違うのでしょうが、これが「人種の坩堝」「自由と平等の」アメリカの姿です。----------------------ヒロキは午前中お父さんとそり遊び、今日はジャンプ台まで作って、氷点下の気温なのに汗びっしょりになるまでやっていました。午後は、S君の家に遊びに行き、パソコンゲームを堪能しました。S君最近日本語が怪しくなりだし、お母さんはやきもきしています。やっぱり言葉が通じるのは(親子ともども)楽でいいわー
2004年01月19日
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昨夜の雪はとても弱くて、降っているのか止んでいるのか分からないくらいでしたが、今朝起きてみたらフレッシュな粉雪が庭を覆っていました。さあ、1インチ(2.5cm)でも積もればハムデンの学校は繰り下げ始業になりますから、何分繰り下げか確認しなくてはなりません。日本だったら、電話連絡網が回ってくるところですが、アメリカの学校にそんな便利なものはありません。どうやって確認するかというと、TVの地方チャンネルをつけて、画面の下の方に出る字幕で確認するのです。地方ラジオでも放送されますが、ヒヤリングの苦手な我々には聞くのは無理です。朝6時から7時台は繰り返し字幕が流れ、ABC順で出るので、ずーっと見ていればいつかは「ハムデン・パブリック・スクール」というのが出てくるのですが、いつも見ているチャンネル8はコネチカット中の学校の案内を流すので、ものすごい数になります。おまけにコマーシャルの間字幕が中断したりで、なかなか出てきません。めずらしくヒロキが7時前から起き出していたので、ヒロキにTVの番をさせ、こちらはインターネットで検索です。ハムデンはHPを持っており、こちらにも情報はでますが、しばしばTVより更新が遅いのです。さらに、我が家はダイアル回線で、こういう時はつながるのがなんと遅く感じられること!Sのあたりから見始めて、ヒロキが「Aになったよ!」と言ったところでまたコマーシャル、さんざん待たされて、やっと「ハムデン・パブリック・スクール」とでたら、「closed」!ウソー、これっぽっちの雪でー? HPで確認しても、やっぱり「closed」でした…気温は大変低く、朝は0F=-18℃でしたが、10時ころには快晴になり、何で学校が休みなのか信じられない。思いがけない休日になったので、ヒロキは日本語補習校の宿題をあらかたかたずけ(まだ残っているけど)、午後は雪遊び! 気温は上がったといえ12F=-12℃くらい、いつも通るイヌの散歩もまったく来ません。家の前の芝生の庭の2mくらいの段差をつかってさんざんソリ遊び。気温が低く、湿度が低いので雪はさらさらで、ソリは面白いほどよく滑ります。そりに向かって雪玉を(なかなか玉にならないのですが)投げる遊びをヒロキが考案。私の投げた玉が運良く(?)ヒロキの口に命中し、雪を食べたヒロキは怒って、「お母さんの鼻に命中するまでやる!」って、わたしは30回くらい滑らされました。いくら2mの段差とはいえ、そんなに上るといい運動です。至近距離から雪玉を投げているのですが、運痴の親子なのでなかなか当たりません。この寒いのに小一時間もソリに興じていた、お馬鹿母子でした(笑)。雪の深さを測るため持っていったプラスチックの定規が、あまりの寒さに弾力性を失い、ちょっとした衝撃でこなごなに折れてしまいました。
2004年01月15日
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みなさま、お久しぶりです。今さらですが、「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。」さて、昨冬にくらべ、この冬はずいぶん穏やかで、年賀状(?年賀メール?)などにも、「今年は暖冬です」なんて書いてしまったのですが、この最近の寒さは何なんだ…。先週の木曜日あたりから冷え込みだして、土曜日の朝は0F=-18℃! 私は渡米前、日本でも比較的寒い(冷え込む)地方に住んでいたので、一応「最低気温-18℃」の体験はあるのですが、日本の場合最低気温を記録するのは明け方で、人が活動するような時間は少し気温が上がっているのが普通でした。ところが、こちらは日の出が遅いせいか、太陽が非力なせいか(緯度が高い)、補習校に出かける8時前になっても、ちっとも気温が上がりません。家の中は全室暖房で暖かいので「冷凍庫」のなかに出かけていくのには勇気が要ります(笑)。補習校はみんな休まないで来ますが、町はさすがに人出は少なく、いつも混んでいる日系のスーパーもガラガラでした。月曜日の早朝雪が降って(学校は2時間おくれでした)、ちょっと気温は上がり、火曜日(昨日)は少し雨が降って、気温は氷点上だったのですが、今朝はまた0F!スクールバスを待つのも命がけです。きょうはバスが遅れないで来てよかった!送っていって、バス待って、帰ってきて、たった20分ですが、頭の芯まで冷え込みます。目出し帽ならいいのかもしれないけれど、あまり怪しい格好をしていると撃たれないとも限りません。
2004年01月14日
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夕べ遅く着いたので気がつかなかったのですが、ホテルの裏手はすぐ海岸に続いていました。どこまでもどこまでもまっすぐな海岸です。お天気も快晴、朝食後海岸で凧揚げをしました。ペリカンが十数羽、隊列を組んで北へ飛んでいくのも見えました。 あがっているように見えるかな? 本当はちゃんと揚がらなかったのですが・・・なぜ、凧揚げか? それは、「ライト兄弟」の故事にちなんでいます。ライト兄弟も凧揚げをして、飛行機の研究をしたのでした。そう、ここキル・デビル・ヒルズは、ライト兄弟が世界で初めて飛行機を飛ばしたところです。ライト兄弟はオハイオ州の人ですが、ここの地形<アウター・バンク=外側の堤防、と言われ、大陸に並行する細長い島です>が、風向きと風力が一定で、飛行機を飛ばすのに適していると考え、この地を実験場に選びました。当時は砂地の何もないところで、わずかに漁師が住んでいただけのようです。 飛行25周年に立派な記念碑が建てられ、この式典には弟のオービルが出席したそうです。今は記念公園になっていて、復元機(コピー)が展示され、「ここから、飛行機が飛び立ちました」「58秒飛んで、800フィート進み、ここに着陸しました」という石碑があります。でも、重要なものはほとんどスミソニアン博物館が所蔵しているので、写真やコピーが多いです。ライト兄弟が使ったミシンというのが展示してあり、笑えます。 先日の12月17日、飛行100周年を記念して復元機を実際に飛ばすという試みがなされましたが、なぜか失速して数秒しか飛びませんでした。映像は日本でも放映されたようなので、ご覧になった方もあるかもしれません。どこで飛ばしたのか、はっきりとは解らなかったのですが、新しく整地した跡があったので、きっとそこで飛ばしたのでしょう。このとき使った復元機は、オハイオ州の博物館にすぐ持っていかれてしまいました。アメリカは、郷土の英雄をとても大事にしますが、ライト兄弟については、オハイオ州と、ここノース・カロライナ州で「英雄のとりあい」をしています(笑)。両州ともに、その他にこれと言った英雄がいないからです。 記念館の売店で買い物をしたら、店員のお兄さんに「アケマシテオメデトウ!」と言われ、びっくり! 「ボクノ オクサン、ニホンジン、日本時間はもう新年だよ。」そうでした、すっかり忘れていました(笑)。さて昼前、ライト記念公園を後にして、すこしアウター・バンクをドライブ。ここは夏のリゾート地で、貸別荘がたくさんあります。夏の人口は冬の何倍になるのか見当もつきません。ノース・カロライナ州を後にして、帰路につきます。途中、ヴァージニア州の南端のノーフォークという軍港にある、戦艦ウイスコンシンを夫がどうしても見学したいというので寄りました。 戦艦ウイスコンシンは第二次世界大戦中の1944年に建造され、父島に来たこともあったそうです(ほとんど参戦していません)。朝鮮戦争で活躍し、冷戦終了後は目立った活動はなかったのですが、なんとあの湾岸戦争のとき、トマホークを積んでアラビア半島に派遣され参戦したそうです。数年前にこのノーフォークの港に接岸され、博物館になっていますが、まだ退役したわけではなく、「予備役」なんだそうです。「まあ、もう召集されることはないと思うけどね、ボクも、海軍の予備役だったけれど、もう引退したよ」と老ボランティアが、錆の目立つ老朽艦を眺めながら説明してくれました。この船の甲板にはチーク材が張ってありますが、これは建造当時冷房のなかった船室を暑さから守るためだったそうです(その後の改造で冷房はつけられました)。甲板を磨くモップ立て(swab rack)がたくさんあって、なんでもこのモップは海軍で最も重要な道具なんだそうです(デジカメ写真がなくて残念)。 ゆっくり見学して、出発したのが夕方5時過ぎ。ヒロキのリクエストで、ノーフォークのマクドナルドに寄ろうとしたけれど、周りの雰囲気があまりにも悪いので断念。アメリカで知らないところへ行くとき、こういう観察や勘はとても大事です。少し走って、ハンプトンの町でマクドナルドを見つけましたが、ここも雰囲気がいまいちだなあ、と見ていたら、店の人が出てきてドアに「大晦日につき、6時で閉店」の紙を貼り付けました。まずい、今日は夕飯食いっぱぐれか! でも、もう少し走ったら国道60号沿いのこぎれいな24時間営業のマクドナルドが見つかり、無事夕食が食べられました。 それから、ひたすら走る、走る、走る・・・I-64、I-295、I-95、ワシントンDCを迂回するI-495、再びI-95を経て、ニュージャージーターンパイクに入ったころ、日付は変わりました。行きと違って真夜中のせいか、ほとんど走っている車はないし、真っ暗だし、出口と出口の間がとても遠い、ところによっては20マイルも離れているので、とても退屈な道です。飛ばすぐらいしか楽しみがない。ところが、なぜかパトカーがやたらに目に付くのです。一度など、ちょうど一台の車がつかまる現場を目撃してしまった。特別にスピードを出していたようでもなかったのに、どうしてあの車がつかまったのだろう、わかりません。こんなところでつかまったらことなので、制限速度厳守でのんびり走りました。 ニューヨーク州に入って、休憩するところが見つからなかったので、よく知っている補習校に寄りました。補習校のすぐ近くの道端に、大きな鹿がいてびっくり! あんなものにぶつかったらただではすみません。(ときどきハイウエー沿いに死体が転がっています。車も大破のはずです。) 無事、我が家にたどり着いたのは、午前4時15分でした。合計走行距離 1440マイル=2300kmでした。よく走ったな(笑)。
2003年12月31日
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今日はさすがに疲れて、ヒロキも私も朝はなかなか起きられませんでした(笑)。(夫だけがなぜか早起き) 行く行かないで、またもめましたが、やっぱりここまで来たからには行くことにしました。どこへ?さあ、ワシントンDCを出発して、南下開始!I-95を南下して、ヴァージニア州へ入ります。I-95は東海岸の、日本でいえば東名高速のような大動脈なので、交通量はかなりあり結構混んでいます。でも、ヴァージニアに入ったら途中のサービスエリアは、トイレと自動販売機しかなくて、日本の田舎の高速道路みたい(笑)。 ヴァージニアの州都リッチモンドの手前でI-295にはいったら、これがまた林の中の何ーにもないところの広い道で、快適に飛ばせました。I-64に入ってしばらく行くと、「Historical Site」はこちら、の看板が目立ちます。ヴァージニアには、イギリスが最初に作った植民地、「ジェームズタウン」があるのです。 よく知られている「アメリカ建国の歴史」は、1620年メイフラワー号に乗ったピルグリムズがプリマス(ボストンの近く)に上陸した、というもので、私も世界史は全然勉強していなかったので、それしか知りませんでした。実は、メイフラワー号以前に、すでにアメリカにはイギリスの植民地があったのでした。 ジェームズタウンは1607年、イギリスから来た約100人の男たちによって始めて作られた植民地で、当時のイギリス国王(ジェームズ一世)にちなんで、その名がつけられました。実はこれ以前のエリザベス一世女王の時代にも植民地を作ろうとしましたが失敗し、エリザベス一世女王(生涯独身だったので、ヴァージン女王と呼ばれた)にちなんだ地名「ヴァージニア」だけが残ったそうです。 で、運転しながら、そのジェームズタウンに寄るか、寄らないか、(今日の目的地が遠いので、着けるかどうか心配だったこともあり)またまたもめましたが、おもいきってI-64の出口238で降りてしまいました。「歴史的ハイウエー」という妙な名前のいなか道を遠回りして、ジェームズタウンに到着(2時ころ)。入園料大人一人6ドル。 ここはチェサピーク湾に面した半島の一部で、ハリケーンの通り道です。ここを植民地にした人々は約100年ほどは頑張ったのですが、やがてもう少し条件の良い内陸のウイリアムズバーグ(ここにも歴史的テーマパークがあるそうです)に町を移してしまい、廃墟になりました。植民300周年の1907年には立派な記念塔を建て、廃墟を発掘したり、復元したりして、今は歴史公園になっています。当時のインディアン襲撃を防ぐ柵や、教会が復元され、住居跡の土台が発掘されています。イギリス人と政略結婚をさせられたインディアンの酋長の娘「ポカホンタス」の銅像もあります。昨年のハリケーン・イザベラでまたまた大被害に遭い、ヴィジターセンターは浸水して使えなくなっていました。 さて、ジェームズタウンの遺跡を見学して、いざ出発しようとしたら、すぐ隣に博物館があることがわかりました。夫がネット検索で見つけたのは、こちらであることが判明。もう夕方4時を回っていましたが、せっかくなので見学することにしました。入場料3人で約$25。入り口の建物が立派だったので、屋内展示場だと思ったのですが、実は屋外に、ジェームズタウンとまわりのインディアンの集落が復元してあり、当時の服装をした人が案内してくれる、ミニ・テーマパークだったのでした。 インディアンと植民地人と記念撮影。煙っているのは、インディアンが焚き火をしているからです。当時の人々の住居や生活ぶりが、よくわかります。海には最初の移住者が乗ってきた3艘の帆船が復元されています。このうちの一艘は実際にイギリスからここまで航海をしたそうです。船の中にカマドがあって、ここで煮炊きをしたようですが、何ヶ月もの長い航海の間、何を食べていたのでしょうか? ヴァージニアのクオーター(25セント硬貨)には三艘の船が描かれていますが、それはこの船なのです。 大急ぎで見学して、5時過ぎ出発。ニューポートの町から、州道168を経て、ノース・カロライナ州へ。ここのMoyockという町のバーガーキングに入ったら、思いっきり差別された! 店に入っても「いらっしゃいませ」でもないし、20ドル札出したら偽札チェックして、キッズミールの景品に古いおもちゃをくれた。東洋人だから差別されたか、あるいは車のコネチカットナンバーを見られたのかもしれない。聞くところによると、未だに南部の人は北部の人が嫌いだそうです。 夜9時過ぎ、無事目的地のキル・デビル・ヒルズへ到着。ここになにがあるのか、それは明日のお楽しみです。宿はまたデイズ・イン、AAA割引で一泊朝食つき$35なり。夏は$160くらいするようです。
2003年12月30日
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ワシントンメモリアル、朝8時少し前ですが太陽が低く、影が長ーく伸びています。巨大な墓石と言ったのは、だれだ! 高さは169.3mあります。----------------------------実は、昨年も年末の同じ時期にワシントンDCを旅行しました。そのときワシントン・メモリアル(初代大統領ジョージ・ワシントンを記念して建てられた塔、ワシントンDCで一番高い)に登りたかったのですが、整理券が手に入らず断念しました。ヒロキがとても残念がって、それからしばらくワシントン・メモリアルの絵ばかりかいていたので、次回は必ず行こうと約束していました。今回は万全を期し、整理券は手数料を払ってネットで申し込みました。指定時間の30分前の8:30に整理券を受け取らなくてはならないので、ワシントンDCの中心になるべく近くで、それでもけして高くないデイズ・インに宿をとりました。朝7:40に宿を出て、地下鉄で行きました。中心部には駐車スペースがあまりないからです。8時少し過ぎにもう着いてしまい、整理券を受け取ってから近くのホワイトハウスまで行って、大統領のクリスマスツリーを見ました。(ブッシュ大統領はテキサスに行って、留守のはずです)。あまり朝早いためか、クリスマスツリーの周りのフェンスの門に鍵がかかっていて、近くには寄れませんでした。さて、二年越しの願いがかなって、いよいよワシントン・メモリアルに登ります。待っている間、案内の人がいろいろ話をしてくれるのですが、われわれ夫婦はさっぱりわかりません。しかしヒロキは「あのおじさん、面白い話してたねぇ…。」でも、「どんなお話だったの?」って聞いても、「忘れた・・・」って教えてくれません。入り口でお決まりの厳しいセキュリティー・チェック(どこも、空港並です)。夫のベルトのバックルは必ず金属探知機に引っかかり、厳しいボディーチェックです。冬のためか、靴は脱がされませんでした。エレベーターに乗って、いよいよ展望台へ! 窓は小さい上に半分ふさがっていて、さらにガラスがはまっているのですが、東は国会議事堂、北はホワイトハウス、西にはリンカーン記念堂(昨年行きました、巨大なリンカーン像があります)、南にはジェファーソン記念堂としっかり見えました。塔を降りて、アメリカ史博物館へ行き小休止。それから広い博物館の中をあちこち見学しました。100000ドル札というのも見ました。遅い昼食を取ってから、宇宙航空博物館(本館)へ。ここは昨年も行ったのですが、今回再び訪れたのにはわけがあります。ヒロキが夏休みの宿題で読んだ本(英語)の一つが「First Flight」おなじみライト兄弟のお話ですが、この世界最初の飛行機「First Flyer」と、もう一つ「Night Flight」これは初めて大西洋横断飛行をしたリンドバーグのお話で、そのとき使った「Spirit of St.Louis」の両方がこの博物館に展示されているのです。夫は昨年それを見たのを覚えているのですが、ヒロキも私も印象が薄くて、もう一度確認に来たのでした。おりしも、2003年12月17日は、ライト兄弟が始めて飛行機を飛ばして100年目にあたります。昨年は「First Flyer」は端のほうにぶら下げて展示されていたのに、今年は特別展示室が作られ、入り口には「ライト自転車店」の看板が掲げられ、ライト兄弟が作った自転車も展示されています。ライト兄弟が実験に使った風洞とか、飛行の成功を父親に伝えた電報とか、充実した展示でした。かたや、「Spirit of St.Louis」は相変わらず天井からぶら下げてあり、おまけに後ろ向きで正面が見えません(笑)。何年後か、100周年の時には立派な特別展示室が作られることでしょう。夕食はヒロキのリクエストで「ラーメン」ということになり、ワシントンDC在住の友人の案内で、中華街へ行きました。規模は小さいのですが、中華街らしい門もありました。注文したチャーシュー麺は、麺がラーメンとは似ても似つかぬものでしたが、ヒロキはスープの中に麺が入っていればご機嫌です。アメリカではまともなラーメンにはなかなかありつけません。夫はほんの少し中国語ができますが、中国語で「トイレはどこですか?」と聞いたら、きれいなほうのトイレを教えてくれたし、「お茶のお代わりが欲しい」と言うとすぐに持ってきてくれます。しかし、注文をすべて中国語でできるほどの腕前ではなく、客も店員(中国人)もあやしい英語での注文のやり取りは、果たして正しいものが出てくるかなかなかスリリングです。今日もデイズ・インに泊まりました。
2003年12月29日
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ENOLA GAY って書いてなければ、ただのB29です。―-----------------------------スミソニアンの宇宙航空博物館の別館がこの12月に開館し、あの「エノラ・ゲイ」が展示されるということで日本でも話題になったと思います。ワシントンDCのから約40分、郊外のダラス空港の隣にあります。駐車料金は$12取りますが、入場料は無料です。中はとにかく広くて、飛行機がいくつあるかも見当もつきません。コンコルド、B29(エノラ・ゲイ)、ロッキードの世界最速の偵察機、ボーイング707、などが大きい飛行機です。ホンモノのスペースシャトル(ただし練習用で、宇宙へ行ったことはない)もあります。ただなんでも集めて並べてあるというわけではなく、宇宙航空博物館らしく、この飛行機にはどういう意義があるのかがきちんと解説されています。日本の団体がエノラ・ゲイの隣に原爆の被害写真を並べるように要請して却下されたけれど、それはそれで筋の通ったことなのだと思いました。 夜は、ダンシング・クラブという店にカニの丸ゆで(スパイスつき)を食べに行ったのですが、これがまた食べるのに大変で私は疲れきってしまいました。(カニ好きの夫とヒロキは満足のようでしたが…)夜はデイズ・イン、一泊(朝なし)$69。
2003年12月28日
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前日まで行く、行かないでもめておりましたが、結局行くことにしました。8:45出発、15号からタッパンジー橋をへて、303号経由、9W、フォート・リーで少し迷って日系グロッサリー「ミツワ」に寄り、少し早めの昼休憩。ミツワは経営者が韓国人のためか、フードコートは従業員も客もほとんど韓国人でした。品揃えは日本のスーパーに近いけれど、大福餅売っていた店員さんも全然日本語通じなくって、ちょっと購買意欲をそがれました。ミツワから南下して、ニュージャージーターンパイクに入ろうとしたが、迷って、古い町の中をウロウロ…あとで、そこはホーボーケンの町だということが解りました。ニュージャージーターンパイクは覚悟をしていたが、渋滞につぐ渋滞…出口の料金所でまた渋滞、デラウエアメモリアル橋の料金所でまたまた渋滞、橋の上で5時半を過ぎ日はとっぷり暮れてしまいました。その次の有料区間の料金所でさらに渋滞!ボルチモアを過ぎたところで7時半をまわり、適当に降りてバーガーキングで夕食、ワシントンDCの北にあるロックビルの宿「パークイン」に9時過ぎに到着。一泊(3人で)朝食つき(ドーナツやパン)で79ドルです。
2003年12月27日
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最近忙しくて、更新が滞っており、申し訳ございません。明日から、ちょっと旅行に行くことにしました。年内は更新できないと思います。ごめんなさい。では、行ってきます。
2003年12月26日
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「年末恒例の催し物」といえば、日本では「第九」ですが、アメリカでは「くるみ割り人形のバレエ公演」なんだそうです。実に多くの公演があり、トップレベルは、例えば「ニューヨーク・シティー・バレエ」など、入場料も$100以上。庶民的なレベルでは、町のバレエ教室の発表会、お値段$10前後。今日は、ニューヘイブンの町の劇場「シューベルト・シアター」で行われた、「ニューヘイヴン・バレエ」の公演を観にいきました。アマチュアバレー団ですが、オーケストラがこれまたアマチュアながら(ニューヘイブン・オーケストラ)生オケなので、お値段は$43と少し高め。チケットを買った後解ったのですが、偶然ヒロキのピアノの先生のお嬢さんが出演なさっているので、とても楽しみです。金曜の夜、土曜の昼、夜、日曜の昼と4回の公演があって、ゲスト出演の主役(金米糖の精など)はかわりませんが、その他大勢は交代で出演です。一番の端役(ネズミかな)は、バレエ団の生徒だけでなく、一般公募のオーディションもあって、9月ころから練習するのだそうです。こうしないと、4回の公演のチケットが売りさばけないのだそうで、これも日本の市民合唱の「第九」とそっくりだなあ、と笑ってしまいました。(私と夫は、かつて某市民合唱の第九に参加しましたが、チケットは一枚も売らず、悪いことをしました。) 子供中心のバレエ教室の公演ですから、舞台装置も、踊りも、まあまあ、といったところ…でも、一番小さい子供たちが出演すると、まわりのおじいさん、おばあさんたちが、ひときわ大きい拍手をしていて、とてもアット・ホームな雰囲気でした。ひとつ気がついたこと…ニューヘイヴンはハムデンよりもっと「多様な人種の住んでいる地域」なのですが、バレエ団は圧倒的に「白人」優勢でした。でも、ゲストに呼んでいたどこかのプリマは中国出身の中国人で、バレエはけして東洋人に向かないわけではないのですね(足の長さは、負けるけれど)。チャイコフスキーの音楽は親しみやすく、ヒロキもそれなりに楽しめたようです。どの場面が一番だったか、と聞いたら「ネズミと人形の戦い!」 どうして男の子は「戦い」が好きなのかなあ? 夫は「中国の踊り」の音楽が、「どこが中国なんだ!」と文句を言っていました。文句はチャイコフスキーに言ってくださいね(笑)。
2003年12月07日
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大雪といっても、昨年の「プレジデント・デー・ストーム」のときと比べたら、全然たいしたことないし、日本の松本に住んでいたときも、このくらいの雪では休校にならなかったと思うけれど、今日は町中がお休み、って感じです。風が強いのと、気温が低いので、さらさらの雪が地吹雪のようになって、雪は上から下から降ってきます。そんな中、ヒロキは30分も雪遊び! 夫がちょっとだけ付き合って、ついでに雪を浴びせて雪だるま状態にしたので、怒っていました。でも、ソリがやりたくて、家の前の坂でしっかり滑っていました。私は、窓から監督です。やっと、クリスマスツリーができあがりました。先週買いに行っておいてよかった! こういうのって、とってもセンスが要求されるのですね。どうも、お店のディスプレーと比べるとカッコワルイのですが、昨年と比べたら、格段に豪華(^^)ということで、よしとしよう。豆電球は600個くらいつけてあります。トップページに載せました。
2003年12月06日
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天気予報どおり、夕方から雪が降ってきました。かなり激しい降りです。いつもそうなのですが、雪はワシントンDCのあたりから始まり、数時間後ニューヨーク・シティーあたりに降り、また数時間後にこのあたりに降ってきます。ニューヨークのマンハッタンのほうが少し南西にあるのですが、雪が全部マンハッタンに降り尽してしまい、ここハムデンに降らなかったこともあります。どうしてこういうパターンをとるのか、気象学に疎いので解りませんが、これはとっても便利なことです。なぜって、ワシントンDCやマンハッタンが大雪なら、必ずTVニュースで大々的に放映されますから、こちらもそろそろだな、と心の準備、だけでなく、それから食料品の買出しに行って間に合います^^>。メイン州(コネチカットの東北の方)やバーモント州(北の方)に雪が降ったって、ニュースにはなりませんからね(きっと、毎日降っていると思う)。明日は補習校のウオッチング当番(朝の職員会議の間、子供たちを監督する)なので、絶対遅刻ができません。この雪の中、何時間かかるかと心配していたら、補習校は臨時休校になりました。ヒロキは今日親友のS君と遊ぶ約束をしていたので、昨日補習校の宿題を必死に仕上げました。そして、意気揚揚と遊びに行ったのですが、雪がひどくなってしまい、予定の時刻より1時間早く帰ることにしました。もう、ブーブーです(笑)。宿題はまだ残っているのだけれど、全くやりません。さて、今日はちょっと嬉しい知らせがありました。「Yale大学の最低賃金が引き上げられましたので、あなたに新しい最低賃金を支給いたします。」なんにせよ、給料が上がるのは嬉しいに違いありませんが、この「最低賃金」がどのくらいの水準かと申しますと、この給料で4人家族の場合、ハムデンのスクールランチの料金(一食)が$1.75から$0.75に減免されます。つまり、お上が「おまえは貧乏人だ」と認定してくれるわけです(爆)。少し前、「最低賃金を政府機関(NIHなど)並に引き上げるように」という勧告が来たようですが、そこは伝統ある誇り高き私立大学であるYale大学、そう簡単に政府の言うことなんか聞きません(涙)。かくして、政府機関の約6割程度の低賃金は一向に改善されません。今回の引き上げは月$100でした…虚しい、でも嬉しい。この給料でも、発展途上国からきた人にとってはとても魅力なようです。彼らは、この給料で、貯金までしています。夫の同僚のJもその一人です。古くなって値段の下がった肉や、鮮度は悪いが安い魚を買って、毎日毎食カレーを食べます。お弁当だってカレーです。米は20ポンド(約9kg)で$3もしない長粒種です。大学のそばの治安のいまいち(最悪ではない)の古アパートに住み、車は持ちません。奥さんは第二子が逆子で帝王切開だったのですが、その入院のために病院へ行くのに、家から0.75マイル歩いていきました。そうして10万ドルためたら本国に帰り、豪邸を建ててあとはのんびり暮らすのだそうです。そういう目標があるので、頑張れるのでしょうか。
2003年12月05日
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