マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2007.06.04
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<東京国立博物館にて>

 東京八重洲通り往き高速バスの車中では、スポーツ新聞や「ランナーズ」を読んで寛いだせいか、1時間ほどまどろむことが出来た。これで2週間続いた残業や、日頃の寝不足や「いわて銀河」の疲れが解消したように感じた。幕の内弁当を食べ、終点の八重洲通りに着いたのは12時45分頃か。

 上野駅で降り公園口から東京国立博物館に向かう。「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」の入場券は1200円。入場までには30分ほど並ぶようだ。東洋館の前から本館まで長蛇の列。待ってる途中、東洋館の軒先に2つの石棺があるのを発見。一時的に列を抜けて見に行くと、そのうちの一つは何と仙台市太白区鹿野1丁目にあった「一塚古墳」出土との標識。

 解説板には埃が被って字が読めない。この古墳跡は国道286号線沿いの長町中学校テニスコートの横にあることは前から知っていた。今朝自転車通勤の途中に解説文を読むと、6世紀頃の古墳とある。明治期に古墳は壊されたが、石棺には副葬品として鏡、玉類、耳環などが納められていたようだ。近くにはこれも明治期に壊された二塚古墳と言うのがあったようだ。こちらは名前から推察すると前方後円墳だったかも知れない。

 ようやく本館内の特別室に入る。ここには彼の傑作の一つである「受胎告知」が飾れていた。何せ観覧客が多くて、なかなか絵の傍まで近づけない。近くへ行ってもじっとして観ている訳には行かず、とうとう押し出されてしまった。絵の大きさは縦が1m、横が2mほどのごく小さなものだ。寺院の一室に飾られていたようだが、元来右手前から見上げるような角度で観るように描かれているとか。つまり真正面から観ると、マリアの右手が異常に長く見えてしまうらしい。

 これで終わるのでは勿体無いので2階に上り、縄文時代から古代にかけての美術品だけを急いで観て来た。ここはもう5、6回も観てるところだ。次に平成館に向かう。ここにはダ・ヴィンチが研究した各分野の成果が展示されている。イタリアルネッサンス時代に活躍したダ・ヴィンチは稀代の天才と言われ、画家、彫刻家、科学者、技術者、哲学者と色んな一面を持っていることで知られている。

 彫刻家としてのダ・ヴィンチは、ある時高さが人間の8倍もある巨大な馬を鋳造しようとした。必要な工程を実現するため、まず工場建築計画を立案する。CGで再現された映像を見たが、余りのスケールとその緻密さに度肝を抜かれた。残念ながらこの計画はパトロンだった王の死によって実現は叶わなかった。

 通常ヨーロッパ人の書体は左から右に綴られるが、彼の場合は右から左に、しかも裏表逆に綴る特殊な筆跡だ。また彼は飛行船、ヘリコプター、人力飛行機などを発明し、よりリアルな絵や彫刻を造るため、死者を解剖して人体の仕組みまで研究したことでも知られる。それらの研究は描かれた絵と特殊な書体とが奇跡的なくらいはっきりと残されている。私はかなり前のNHKの番組でそれらのことも知っていた。

 今回博物館の構内で初めて見たものがある。その一つは「法隆寺宝物館」。ここには古代の豪族が自家の護身仏とした小型の仏像がたくさん収容されていた。2つ目は黒門。これは江戸時代の大名家の門で、後に東宮(皇太子の居所)の門として転用されたことがあるとか。そして3つ目が東洋館。前に博物館を訪れた際、この建物は既にあったが入館する暇が無かったようで、今回が初めての観覧だった。

 インドインダス川流域の古代ギリシャの影響が残る仏像が特に秀逸だった。中国の青銅器文化には圧倒された。器の形ごとに特殊な漢字が存在すること自体、高度な文明の証だし、権力の凄まじさを実感できた。また磁器、陶器の上品さには言葉も出ない感じだ。朝鮮半島の古代文化には我が国の源流を感じられるものもあった。ともかく展示品の数の多さには驚かされた。いつか改めてゆっくり観覧したいものだ。結局東京国立博物館には4時間もいて、隣接する寛永寺へ寄る暇がなくなったのが残念だった。





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Last updated  2007.06.04 21:44:14
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