マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2007.12.06
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<私設エードにて>

 沖縄戦犠牲者の慰霊塔がある摩文仁平和祈念公園に別れて再び国道へ戻る。ここからしばらくの間は緩い下り坂。よ~し、後半は少しペースを上げてみるか。昂ぶる気持ちに反して足は全く伸びない。変だなあ。こんなはずではないのだが。でも辛抱辛抱。自分にそう言い聞かせて耐える。

 25km地点にある「ひめゆりの塔」の手前には、長年の走友だったT事務長が私設エードを開いてくれているはず。でも一度もまだそのエードを見つけたことがないのだ。コースの左側に注意しながら慎重に走る。NAHAマラソンの良い所は色々あるが、距離表示が1km毎なのがランナーには何より嬉しい。

 24kmを少し過ぎた所で、誰か女の人が私の名前を呼んだ。振り返るとFさんだった。彼女も走友の1人だがもう7、8年は会ってないはず。傍らにはT事務長と若い女性もいた。挨拶もそこそこに2人と固い握手を交わす。そしてFさんが手渡してくれた冷たいサプリメントを一気に飲み干す。若い女性はFさんのお嬢さんとのこと。その彼女が写真を撮ってくれた。

 本当は落ち着いてペットボトルにアスリートソルトやヴァームの粉末を補充すべきだったのだろう。だが、気持ちが急いて早々にその場を離れた。多くのランナーは「お祭り」のNAHAを楽しむのだろうが、私の場合レースは戦いでもある。ましてこの暑いNAHAを走り切るためには、これまで9回走った経験から相当強い気持ちが必要だと分かっている。

 2人に会えて良かった。それだけでもNAHAを走った甲斐があったと言うものだ。少し元気を取り戻した私を、「徳島大学」のユニフォーム姿の女性ランナー2人が追い抜いて行く。その背中を懸命に追いかける。話を聞くと職員ではなく、公開講座の受講生とのこと。講座の目的は理論と実践に基づき、ホノルルマラソンを完走することらしい。

 筑波大学でそんな授業があるとは聞いたがそれは学生が対象。一般市民を対象とした公開講座でそんなことをしているのは初耳だった。私も20年ほど前に徳島の鳴門で仕事をしていたことを話したが、スピードのある彼女たちにとっては単なる「お邪魔虫」だったようだ。

 「待てよ」。折角沖縄まで来ておきながら膝の故障で仲間の応援に廻った4年前。30km地点に立っていた時も鳴門時代の同僚だった徳島のMさんがあのユニフォーム姿で通り過ぎたっけ。当時はメタボリックシンドロームなんて言葉は無かったが、確か医者の勧めで走り出したと言っていた。今になって思えば、きっと彼も公開講座を受けていたのだろう。

 28km地点の名城(なしろ)ビーチ入り口前から、左手前方一帯にエメラルドグリーンの海が見えた。これだけきれいに見えたのは初めてだと思う。30km地点は糸満市の中心部。大勢の人が沿道で声を張り上げている。31km地点の糸満ロータリーも懐かしい。まもなく右手に白銀堂の建物が見えた。春のハーレー(ドラゴンボートの競争)では、神女がこの山の上から旗を振ってスタートの合図をするとか聞いた。

 ここから数キロは魔の直線コース。苦しさのあまり歩き出すランナーが増え出す。私もどれだけ頭から水を被り、塩を舐め、水を飲み、差し出されるミカンを食べたことか。もう沿道の観衆に手を振る余裕はない。そしてレースに集中するためサングラスを掛ける。33.4km地点の関門を通過。一生懸命手に持って暖かくなったバナナを子供から受け取り、エネルギー源にする。

 35km地点翁長(おなが)バス停の先から左折。那覇空港方面に向かうこの広い道路が緩いけど長い最後の登り坂。疲労困憊したランナーにはもっともつらい場所だろう。だが人家が密集するようになった今は、どこででも水や食べ物が得られる。少し前までこの辺は家並みが淋しく、応援の人が少なかったところだった。

 モノレールの赤嶺駅を過ぎると距離表示がゴールまでの残りの距離に変わり、やがて競技場までの緩く長い下りが始まる。ようやく奥武山公園の森陰が見えて来た。頑張れ~、後一息だ~っ!!<続く>





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Last updated  2007.12.07 14:33:13
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