マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2008.04.03
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 東京での最先端の仕事は確かに自分にとって勉強になった。だが日本で一番権威がある大学の、さらに権威がある学部の事務職員までがそれをかさにして威張っているのを見ているうちに、次第に嫌気が差して来た。そんな時にこれまで国内では例のない新しい大学創りを目指す筑波大学のことを知り、そこへ移ることを決心した。だがドイツ文学会やフランス文学会などは「筑波大学法案」に反対しており、閑静な筑波の地にもデモの波が押し寄せた。

 筑波研究学園都市のある土地は元々関東ローム層の極めて貧しい地味で、ひょろひょろした松しか育たない不毛の地でもあった。だからこそあれだけのまとまった土地が国有地として確保出来たのだろう。人工の新しい都市を創る計画は壮大ではあるが、急に文化の乏しい地に転勤したため精神のバランスを崩す人も結構多かった。

 そして元々4千人ほどしか居なかった村がたちまち新住民で溢れ、3万人近い日本一人口の多い村になった。学園都市には全国から様々な人が集まった。だからそこで話される言葉も多様だった。それに現地の人が大量に採用され、「だっぺ」と言う茨城弁がそちこちで聞くことが出来た。これは仙台弁だと「だべ」(だろう)に当たる。土くさい匂いがする言葉だ。

 私の3人の子供のうち上の2人は東京勤務の時に生まれたのだが、次男はこの地で誕生した。3人の子供達にとっては10年住んだこの筑波が、故郷みたいなものだろう。全国から集まった優秀な職員の子供達は当然優秀で(我が家は兎も角大笑い)、学力テストをしても県下で一番の成績を上げるのがしばしば。だから「通信簿」のつけようがないし、帰国子女も多いため子供の方が英語の発音が良く、学校の先生方の悩みも深かったと聞いた。

 さて、標準語に慣れ切った生活も、徳島県の鳴門への転勤で様子が一変した。新しい任地はサツマイモ畑が広がる本当の田舎だった。それに言葉が全然違う。要領の良い長女はたちまち土地の言葉を覚えて仲間入りしたし、次男は小学校1年生で地元の野球チームに入ったため、直ぐに仲間と打ち解けることが出来た。だが口の重たい長男だけは「いじめ」にあって人知れず悩んでいたようだ。

 徳島県南部の人は陽気で明るい大笑いし、県の西部の山間部はおっとりぽっしてるらしい。だが関西に最も近い鳴門はがさつで遠慮が無い土地柄怒ってるで、自分から飛び込まない限り仲間にはなれない雰囲気が強かった。関西からの移住者は結構多かったが、私のように東北・関東から転勤した職員は少なく、考え方が封建的な地元の人とはずいぶん喧嘩をしたものだった。

 「冷やこいなあ」。寒い朝に地元の婦人が洩らした一言には、南国の風情を感じた。仙台弁なら「しゃっこいごどなや」と言う感じだろうか。比べてみればイントネーションや言い回しが全然違うけど、元々は全く同じことを言っていると思う。ただそれがそれぞれの土地柄で変化しただけの話。それに例え話す言葉は違っても、人間の持つ感情には共通性があるのだ。<続く>





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Last updated  2008.04.03 20:17:47
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