マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2011.01.18
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カテゴリ: 日本史全般
 復元された城 

 「世界ふしぎ発見」で次に出たのが首里城。解説の高良倉吉琉球大学教授は偶然にも伊是名島出身の人だ。県立図書館に勤務した後、浦添市立図書館長を長く務め、「浦添市史」刊行の中心となった。専門は琉球史。彼の話によれば、沖縄の城(ぐすく)はシンメトリーではないと言う。例えば首里城の庭(うなー)は正方形ではなく、歪んだ矩形になっている。

 また、沖縄では極端に角を嫌う。このため石垣の先端は反り返っている由。これはケーシ(返し)と言って、邪気を天に帰す働きを有するとのこと。三叉路の角に石敢当(いしがんどー)を置いて邪気を払うのも同様の理由だそうだ。そして首里城の一角には京の内と呼ばれる祈りの場所がある。沖縄の城は日本の城郭と違って、宗教的な色彩が極めて強いのだ。

 首里城の本来の呼び名はスイムイグスク。スイは首里のことで、ムイは森。ただし沖縄の森は山を意味する。沖縄県内には他にも運玉森などがある。日本にも瓶ケ森(愛媛県)のように「森」がつく山名が幾つかある。「もり」は本来「盛り上がったところ」の意味で、恐らく山よりも古い概念だったのではないか。気高い山の頂に神が降り立つと先祖が考えたのは、既述の通りだ。

 首里城は去る大戦で焼失した。地下に日本軍の総司令部があったため、徹底的な攻撃を受けたからだ。現在の城は平成4年に復元されたもの。復元の際に参考になったのが鎌倉芳太郎が書き写した首里城の設計図と彼が撮影した写真など。彼は香川県の出身で東京芸大の前身である東京美術学校を卒業後、沖縄の高等女学校などで教鞭を取った。陶器や紅型(びんがた)など、沖縄の民芸に深い関心を寄せ、古老とは琉球方言で話せたと言う。

 さらに旧琉球王朝の末裔である尚家の信頼を得、同家所有の美術品や各種資料を自由に閲覧することを許されたようだ。彼が残した詳細な調査資料が、首里城の復元に貢献した訳だ。私が沖縄に赴任当時、首里城復元のための資料調査の方が職場へ訪ねて来られたことがあった。首里城の柱の色が赤か黒かを判断するためだった。

 古老の記憶にあるのは黒なのだが、それでは説明がつかない由。最終的に選ばれた色は赤。柱に塗られた漆の赤は長い年月を経て本来の鮮やかさを失い、徐々に黒く変色したと考えたのだろう。再び色鮮やかな首里城が復元された陰には、誰よりも沖縄を愛した一人の日本人がいたことを忘れてはなるまい。

 芳太郎がかつて教鞭を取った後身の学校で私の長女が学び、戦後首里城跡地に置かれその後移転したR大へ私が赴任したことは全くの偶然ではあっても、私には何故か運命的な出会いのように思えて仕方がない。<続く>





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Last updated  2011.01.18 17:10:02
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