マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2011.03.25
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◎3月21日(月)春分の日<震災11日目>

 朝食後、愛犬を庭に放って草取り。前夜も眠れてはいないが、体を動かすうちに少し緊張がほぐれる。やはり人間には休養が必要だ。地震の後で姿を消していたヒヨドリが、数日前から再び庭に来出した。ヒヨドリに啄まれたチヂミ菜でも食べられないこともないが、そのうちトウが立ったのを摘もうと思う。

 草取りの後、畑の始末。結局「仮設トイレ」を使ったのは4回。その跡も含めて均す。玉ネギ畑に他から7本の苗を移植し追肥。淋しい庭にフユシラズが咲いているのには気づいていたが、ツルギキョウとクリスマスローズが新たに咲き出した。スイセンの蕾がかなり大きい。枯れたと思った福寿草が生きてたし、牡丹の赤い芽が元気そう。どうやら春も近そうだ。

 近所のスーパーに並び、幾つかの食品を買う。従弟宅を弔問する際の供え物にするためだ。果物は買える個数が制限。亡くなった方へは申し訳ないが、こんな非常時には生きている人のための食品が良い。従弟の家でもその方が有難いはず。だがそのことでも妻と口論になり、結局代金はもらえなかった。

 従弟の家に行くのは2度目。転勤で31年間仙台を離れた間に、すっかり街の様子が変わっている。途中の町ではガス漏れの調査中だった。迷いながらも従弟の家に辿り着く。久しぶりに見る従弟は、堂々たる親父の顔になっていた。長男の嫁はうつ病で別居中の由。長男もその影響を受けて失職中とか。従弟の苦労が偲ばれたが、決して弱みは見せなかった。

 霊前に線香を手向け冥福を祈る。とても出来た妻だったと従弟。叔父叔母の位牌にも手を合わせた。彼から今回津波で亡くなった従兄の話も含め、親戚の被害状況などを聞く。塩竃市や松島町の被害が少なかったのは、松島の島々が防波堤代わりになったからとのこと。福島原発への津波の高さは14mだったようだ。

 帰宅後、愛媛時代の部下H岡さんから電話。有難いことだ。所属走友会の掲示板を見たら、津波などで家族が全財産を失った会員が4人居られ、義捐金と援助物資を募集中との案内があった。黙ってるけどみんな苦労してるんだ。私もこんなことくらいで負けてはいられない。

 復興まで数カ月かかるとされたガスの供給は、民間会社の新潟からのパイプラインを活用し、1カ月ほどで開通出来ることを知った。これは思いがけない朗報だった。元気を出すためにも、この日からブログのコメント欄に返事を書くことにした。皆さんご心配いただき、ありがとうございま~す♪






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Last updated  2011.03.25 17:51:13
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