マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2011.05.11
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カテゴリ: 東日本大震災
 「東日本大震災」が起きて、今日が2カ月目になります。3月11日(金)から仙台市内は停電となり、地震と津波による被害の様子は携帯ラジオでしか知ることが出来ませんでした。それも仙台港に10mの大津波が来襲。仙台空港が津波に襲われ、旅行客達はビルの3階に避難したことなどを断片的に聞いただけでした。



 連休中の5月3日、私はマウンテンバイクに乗ってとある港町を訪ねました。名取川の河口にある名取市ユリ上(ユリは門の中に水)です。往きは名取川の右岸を走りましたが、ユリ上が近づくにつれ、河原には津波で運ばれて来た瓦礫が目立つようになり、「仙台東部道路」から先の住宅地はほとんど津波で破壊されていました。

 それがユリ上の集落に入ると風景が一変し、まるで廃墟と化しています。田圃のようになった地面に折り重なる自動車。動いている人影は自衛隊の捜索隊くらい。彼らは行方不明者を必死に探しているのです。ある個所からはロープで塞がれていましたが、私は抜け道からユリ上の港町に入りました。ロープは空き巣狙いの阻止のためです。クール

 海岸部の住宅はほとんど津波で破壊され、残っている家も1階は目茶目茶です。特に港と貞山堀沿いの一角は、コンクリート製の建物が全壊しています。ほとんどが水産加工場です。あれだけ密集していた住宅が全部無くなって、ずっと先の方まで丸見え状態でした。1月のマラソン会場である「サイクルスポーツセンター」までは行きませんでしたが、海岸沿いのため恐らくは大変な被害を受けたものと思われます。

 帰路は違う道路を通りましたが、消防署や中学校なども大変な状態。私の従兄もユリ上の病院に入院していたのですが、津波で亡くなっています。警視庁の機動隊が交通規制をしていたため裏道を通ってユリ上大橋に出、通行止めの橋を渡って対岸に出ました。橋の上には小規模の亀裂と陥没が見られました。

 橋を渡ると仙台市若林区。左岸の堤防上から藤塚、種次、今泉の集落を見ながらペダルを踏みましたが、やはり津波による瓦礫が凄く、とても農業は出来ない状態でした。津波は「仙台東部道路」の土手でかなり食い止められたと聞いてましたが、土手のない橋脚部分から浸水した個所もあり、予想以上の惨状でした。

 海水に浸かった田圃は後何年か稲作は無理のようで、市域の半分が津波にやられた岩沼市など4つの市では、農家の集団移転計画もあるようです。また海水に浸かった田圃の跡地を使って、「水耕栽培」による野菜作りを考えている企業もあるようです。他の被災地では、瓦礫の中から拠り出した木材を燃料として再利用する試みも行われていると聞きました。

 私が訪れたのは広大な被災地のほんの一部だけで、県下には未だに水道やガスが回復してない悲惨な地区や、まだ見つかってない遺体が多数あります。福島原発の放射能汚染のために避難している方々の苦労も大変なものでしょう。そのことを決して忘れず、被災者の方々に一日も早く安寧の日が訪れるよう祈りたいと思います。





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Last updated  2011.05.11 17:20:29
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