マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2011.06.28
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カテゴリ: 俳句



   荒梅雨や里を護りて石敢当       川上雄善


 梅雨の真っ最中。雨が激しく降っている村里。その路地の「石敢当」があたかも村を護るように立っている。


 沖縄の本来の宗教が「原始神道」だったことは前にも記した。小高い嶺、暗い洞穴、大きな岩や樹木、そして泉水や古いグスクなどが信仰の対象になった。山の上から海に向かって祈る老婆の姿を観た時は驚きだった。海の彼方には「ニライカナイ」と言う極楽浄土があると沖縄の人は考えていた。

 沖縄本島の北にある伊是名島を訪ねた時、静謐なわら小屋を見つけた。これは「神アシャギ」と呼ばれる家。神足上げ=つまり神様が立ち寄る神聖な家なのだ。もちろん伊勢神宮のような大きさもなく、ごく粗末な造りだがその神々しさは驚くばかり。また拝所(うがんじゅ)や御嶽(うたき)のような祈りを捧げる神聖な場所には、必ず香炉が置かれている。

 そこに供える御香(うこー)は日本の線香とは違って強い香りもしなければ、火もつけない。お神酒代わりになるのが泡盛。首里城の守礼門の近くに園比屋武御嶽(そのびやんうたき)があるが、これは旅立ちの時に無事を祈る場所で、近寄ると強い泡盛の匂いがする。

 仏教が沖縄に伝わったのは1300年代と遅く、それも王や貴族など上流階級のもので、庶民には馴染みが薄かった。それでも清明祭(うしーみー)=春の彼岸には墓前に親戚一同が集ってご馳走を食べる風習がある。各家庭では火の神(ひぬかん)を祀るのが一般的だったようだ。

 琉球王国が中国の冊封体制下に入ると、文化や宗教も中国の影響を強く受ける。久米村(現在の那覇市久米)には中国人の居住区があった。彼らは貿易船に乗り組み通訳をした。当時の中国は遥かアラビア半島まで航海していたのだ。久米の中国人はやがて琉球に帰化するが、孔子廟などは子孫にも伝わった。

 句中の石敢当(沖縄では「いしがんどう」、鹿児島では「せきかんとう」)も中国の風習。魔物(まじむん)が棲む三叉路やT字路の突き当たりには、魔除けのために「石敢当」と彫った石碑や石板を置いた。「石敢当」は後漢時代の武将の名前と言われている。強い武将の名前で魔除けをするという考えだ。これは福建省の風習だ。

 中国には聖地泰山の頂上にも「泰山石敢当」の石碑があるようだ。最も古い石敢当は父母の冥福を祈るもので、虎の姿を模した石敢当もある由。把竜船(ドラゴンボート)の競漕など中国から伝わった文化や食べ物も多く、琉球王国から中国へ向かう使者は、中国風の名を別に持っていた。因みに私が沖縄に行った際に立ち寄る居酒屋の名前も「石敢当」だ。





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Last updated  2011.06.28 17:49:13
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