マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2012.09.18
XML
 伊是名島 

 4年前の7月、私は沖縄本島の西海岸を縦断した。140kmを3日間で走ったのだが、最終日は最北端の辺戸岬から名護市への55kmの逆走。朝の8時過ぎには既に気温は33度になり、路上は40度を越す。その猛暑の中で、私は2度意識を失いかけた。いわゆる熱中症だ。走り始めて間もなく東シナ海に浮かぶ2つの島が見え出した。私はてっきり伊是名島とその南にある無人島とばかり思っていた。

 だが、どうも解せない。2つの島が離れ過ぎているのだ。あんな所に島があったのだろうか。ひょっとして私は幻の島を見ているのではないか。無事縦断を果たした後も、私はまだ夢を見ているような気持ちだった。沖縄の地図を確認して納得したしたのはその数カ月後、あれは伊平屋島(いへやじま)と伊是名島(いぜなじま)だったことにようやく気づいた。

 伊平屋島にはクマヤ洞と言う岩窟がある。日本の神話で天照大神が隠れた「天の岩戸」の沖縄版だ。そして伊是名島は、不思議な伝説を持つ島だ。あの2つの島が同時に見えるのは、沖縄本島最北部の西海岸だけ。それも道路がクネクネと曲がっているために、偶然走っている私からも見えたのだろう。その伊是名へ私は1度だけ行ったことがある。

 沖縄本島の北部、本部半島の付け根に運天港がある。那覇からだと100km近く離れているだろうか。そこへ原付で行き、30km沖にある島へフェリーで渡る。伊是名は美しい島だった。ピラミッド型をした三角山の頂上には伊是名城(いぜなグスク)があるのだが、残念ながら金網が張られ、山に登ることは出来なかった。県の指定文化財なのだ。

 そこから暫く行った山道を登って驚いた。海の中と山の中に2つの直立した岩山が聳えていたのだ。海中の岩は「海ギタラ」で山中の岩が「陸ギタラ」。陸ギタラの天辺には祭祀跡があるらしい。どうして古代の人があの危険な岩に登れたのか、なぜそこに登って祈る必要があったのか私にはどうしても理解出来なかった。

 リュウキュウマツの姿が実に美しく、清らかと言う表現がぴったりだった。その島で「神アシャギ」を初めて見た。アシャギは「足上げ」が訛ったもの。つまり神様が棲む家なのだ。何にも無い藁ぶきの小屋が、とても神々しく見えた。人口1500人、周囲17kmの円形に近いこの島で、第二琉球王朝初代王尚円(1415-1476)となった金丸が生まれた。

 百姓だった金丸が20歳の時に島を追放されたのは、田圃の水を盗んだからとも、島中の若い女性が彼に言い寄ったからとも伝えられている。仕方なく彼は首里王府に赴き、そこで百姓になった。だがある時たまたま城を出た王の目に止まり、城で働くことになる。4代の王に仕えて信頼を増した彼だが、4代目の尚徳王の怒りを買って隠居する。だが王は急死し、幼い王では政治が不可能になる。

 重臣達が金丸の元を訪れ、王になって欲しいと頼む。金丸はその願いにより尚円と名乗り王位に就く。明治初期まで約400年続いた第二琉球王朝がこうして始まった。正史にはそうあるが、実際はクーデターだ。百姓の若者がまさか30年後に王になるとは誰が思っただろう。琉球史でも他に例がない不思議な話だ。

 伊是名島には尚円王の誕生地が「みほそ所」として祀られ、県の文化財となっている。「ほそ」は「へそ」の古い呼称。「ほぞを噛む」として日本語にも残っている。つまり胎盤を埋めた場所だが、島を追放された男の胎盤が残っている訳がない。歴史が支配者に有利なように書き替えられる典型だ。島出身の版画家、名嘉睦稔製作による尚円の銅像が伊是名港に立っている。

 この島では毎年10月に「いぜなトライアスロン」が開かれる。スイム2km、バイク66km、ラン20kmのローカルルールだが、その大会が終わって選手が乗り込んだフェリーが島を離れる時、岸壁から若者が海に飛び込むようだ。それが別れを惜しむ南の島独特の儀式。不思議なあの島を再び訪れることはないが、思い出は私の胸に深く刻まれている。<続く>





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012.09.18 08:10:22
コメント(8) | コメントを書く
[心のふるさと「沖縄」] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR


© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: