マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2013.01.10
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カテゴリ: 人生論
 「新年あけましておめでとうございます。昨年は、5月末、中国北京に行ってきました。早朝の天安門広場や天壇公園に走って行き、じい様、ばあ様たちの太極拳に参加しました。万里の長城に行きました。2000年以上前、電気やガスや何の動力もない時代、しかも敵と戦いながら万里に及ぶ壮大なものを作りました。その時の土木工事に比べれば難しいことではないと思いました。まだまだ見たこともない所、見てみたい、行ってみたいです」。

 「10月初めに東京の24時間マラソンに参加しました。ちょうど2年ぶりに大会参加しました。私は6時間半で走れなくなり、約60kmでリタイヤしました。日本の24時間マラソンのトップの方々の走りを見ることができ、感動しました。ボランティアの方々がランナー以上に一生懸命されていたのが印象的でした」。

 「11月初めより通勤ランを再開しました。2010年6月末より環境を変え、その半年前から通勤ランをしていませんでしたので、約3年ぶりの再開となりました。今は夜の難波、四ツ橋を抜け、今まで知らなかった大阪の街を走っています。12月1日誕生日。フルを越え、年齢もいよいよウルトラマラソンが始まりました。2013年1月1日。六甲摩耶山からスタートします」。

 「身体の具合はいかがでしょうか。元気で動けることに感謝します。色々なことにチャレンジ出来て幸せです。感謝します。いつまでもお元気で!」。


 神戸のNさんから戴いた1800文字の年賀状の全文である。写真は元旦の摩耶山から見た初日。そして眼下には神戸の港が見える。その横の小さな写真は「リヤカー」の文字。

 彼と初めて出会ったのは12年前。金沢の兼六園前の「佐藤桜」の前だった。そこは名古屋から金沢まで走る「ネーチャーラン」250kmのゴール地点。お互いに知人のランナーのゴールを迎えようとしていたのだ。私は当時57歳。彼は30歳で、ウルトラマラソンに憧れる青年だった。知り合ったきっかけはとある「掲示板」。私は毎日のように書き込んでいたが、彼は確か2、3度だけ。

 会ったのもその時のただ1度だけだったのに、未だに年賀状のやりとりが続いているのは、転勤族だったかつての私の「日記」を、読んでくれていたからだと思う。彼はその後精進して、「ネーチャーラン」や「スパルタスロン」を何度も完走するエリートランナーになった。私もそのイメージを強く持っていたのだが、どうやらここ2、3年の間に大きな心境の変化があったようだ。

 レース参加は2年ぶりだったと言う。それも60kmでのリタイヤ。それで3年ぶりに通勤ラン(帰宅ラン)を始めたのだろうか。それにしても長い柄のついた小さなリヤカーは何なのだろう。とても軽そうな作りなので、きっと押しながら(あるいは引っ張りながら)走るためのものではないか。ここ数年、それを持ってどこか旅をしていたのかも知れないなどと勝手な想像をしている。

 最後の文節は、私が手術したことを知り、あて名側に書き加えたもの。小さな文字で丁寧に書かれた1800文字の文章は、彼の人柄を良く表わしている。決して目立たない彼。しかし芯がしっかりした素直な青年だ。長い人生にはこんな風に「立ち止まる」こともある。その時に何を考え、何に気づいて再出発するかが大切だと思う。

 「元気で動けることに感謝します。色々なことにチャレンジ出来て幸せです。感謝します」。何と清々しい心境だろう。その気持ちがあれば、どこに向かっても困難を乗り越えることが出来るだろう。自分の子供くらいの年齢のNさんだが、良い友人を持てて幸せ者だとしみじみ思うのである。これだから人生は面白い。





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Last updated  2013.01.10 08:41:15
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