マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2013.01.23
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カテゴリ: 俳句
 伊佐須美神社の境内に入って驚きました。何とそこには長い階段のある高層の神殿の絵が描かれた看板があるのです。なぜこんな神殿を作ろうとしてるのだろう。そして神門には垂れ幕がかかっています。通常参拝客はその内側には入れず、その場所で礼拝するらしいのです。そう言えば添乗員さんがバスの中で、参拝の前に宮司から講話があると話していました。何だか様子がおかしいと思いながら中へ入って行きました。

 案内された先は透明なビニールが架けられた小屋。中は結構広く、椅子が並んでいます。最前列に座ると、目の前に禍禍(まがまが)しい「パワーストーン」のようなものが積み上げられています。右手には白装束の男性。だが神職のような雰囲気はなく、御神籤やお札を売る係みたいな感じなのです。にやけた神職が話したことは大体次のようなことでした。

 この会津は第10代崇神天皇の御代、大毘古命(おおびこのみこと)と建沼河命(たけぬなかわのみこと)の親子の四道将軍が、北陸道と東海道に別れて陸奥の国の蝦夷を征伐に来た際に、偶然ここで出会ったために「会津」と言い、この神社は歴史に残る最も古い神社であること。岩代の国の一宮であること。会津藩の歴代の藩主が信仰した神社で、皇室からの参拝もあること。

 元々は御神楽岳に鎮座し、その後博士山や明神ケ岳を経由して、現在地に落ち着いたこと。神殿と拝殿が焼け、高さ33mの神殿を造るのに20億円かかること。建築の許可は下りているが、施工はゼネコンではなく地元の宮大工を使いたいことなど。1口3千円のお布施をいただければ、署名した紙を神殿に奉納出来ること。仙台の歓楽街では暫く飲んでないが、仙台の神社に大学の級友がいることなどでした。

 「なぜ高層の神殿を造るのですか」。胡散臭い神職に私は質問しました。彼の答えは「勉強すれば分かりますが、三内丸山遺跡も出雲大社も昔は高層だったんですよ」。そんなことは考古学ファンなら百も承知。三内丸山の楼閣は神殿との説もあり、栗の巨木で出来ていること。柱を内側に6度傾かせて強度を保っていること、基礎は後世の古墳と同じ粘土と砂を交互に突き固めた版築(はんちく)と言う工法を用いていること。

 出雲大社の初期の神殿は確かに高層だったこと。こちらは栗の丸太3本を鉄製の箍(たが)で1本にまとめ、それを高さ40数mにまでつなぎ、その上に神殿が乗っていたこと。階段は浜辺から続いていたこと。2、3回は建て直したがいずれも台風などで破壊されたこと。境内の地中から「証拠」となる古い柱の根元が出土したこと。日本の古い建築物には「雲太和二京三」と言う言葉が残っているが、これは出雲大社の神殿が国内で一番大きな建物だったことを意味していることなどです。

 私が聞きたかったのは、「この神社が元々高層でもなかったのに、何故そんな必然性があるのか」と言うことなのですが、彼には通じなかったようです。帰宅後ネットで検索したら、この神社の悪評がさる掲示板に載っていました。やっぱりなあ。2千円の「パワアーストーン」を買った人も少なかったようでした。あまり有難味を感じなかったのでしょう。

 神職の態度は今一でしたが、境内にはどこか神々しい雰囲気があるのも確か。ここの薄墨桜は、とても香りが強いので有名みたいだし、神門に納まった親子の四道将軍の神像も珍しいものでした。でも高層の神殿は難しいように思いました。巨額な建設費が集まるかどうか。地元の宮大工に手が負えるかどうか。高層にするには長い階段が必要なので、境内が狭過ぎる感じがします。あっけに取られた神社でしたが、鎮座していた山から次々に神様が移動した話は興味深いものがありました。<続く>


  大層な 禰宜一人ゐて 雪の宮             禰宜(ねぎ):神官の一役職


  伊佐須美の 薄墨桜 雪の中


  将軍の 親子神像 雪の宮


  雪の宮 四道将軍 神門に





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Last updated  2013.01.23 10:04:06
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