マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2013.03.31
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 冒険の走り旅(1)

 トイレは済ませた。薬も飲んだし、気になるドラマ「純と愛」も観た。クラス会は前夜のうちに「流れ解散」し、ゴルフ組や遠方から来た友は既にホテルを去っている。恩師の部屋を訪ね、これから走って帰ると挨拶。「近くなんだから、たまには奥さんと一緒に遊びに来いよ」と恩師。彼は私達夫婦の仲人でもある。それには直接答えず、「先生も体に注意してお過ごし下さいね」と別れる。手術後は少し弱気になった恩師が、何だか気がかりだ。

 ホテルを1歩出た途端に冷気。半袖、ハーフタイツでは少し寒いくらい。軽く体操をしている私を、2人の級友が見つめている。1人は千葉の佐倉市へ帰るS木。陸上の選手だった彼は、今でも走ることに関心があるようだ。山形の鶴岡市に帰るS藤は、高校当時から老け顔。「そのうち六十里越えに挑戦してみたら」と彼。そこは夏まで深い雪が残る月山の中腹を通るとても厳しい峠道で、確かにそこを走るのは私の長年の夢でもあった。

 手を振る2人を見ながら、いよいよスタート。眼下には小さな島々が浮かんでいる。その海を眺めながら、国道まで一気に下る。そこから仙台とは逆方向の北に向かう。国道45号には歩道がない個所があり、かつ交通量が多いことは、自宅から石巻市までの夜間走(約60km)で経験済み。その危険を避け、今日は初めての道を走るのだ。

 JR松島海岸駅手前で左折し、県道144号線へ。いきなりの上り坂だ。まだ酔いが残る老人にはきつ過ぎる。リュックの重さは3kgほど。今年は宮城県気仙沼市から岩手県一関市までの50km、宮城県大崎市から山形県大石田町までの62.5km、そして自宅から福島県相馬市までの63.5kmの峠越えを計画中で、リュックを背負ってのランに慣れる必要があった。

 ここは数年前の「みちのくラン」で少しだけ走った。途中から左に入ると「西行戻り松公園」がある。漂泊の歌人西行法師は生涯に2度奥州平泉を訪れているが、ここ松島山中の起伏が激しいため、戻って舟に乗ったとの伝説がある。だが北面の武士であった西行が、この程度の山など越せないはずがない。

 そう言えばホテルの裏側は判官山。もちろん兄頼朝の追手から逃げて、平泉の藤原氏を頼った九郎判官義経が由来だ。この伝説も真偽のほどは不明。観光客を呼ぶため、後世になって作った伝説が結構多いのだ。いきなりの登りと寒さで、酔いはとっくに醒めている。気温は5度ほどだが、頭や額から汗が滴り落ちる。

 小さな峠を越え、三陸道の下を潜り抜けると県道8号線。ここから左折して南下する。三陸道とほぼ並行するこの道は、交通量が驚くほど多い。だが、歩道が整備されて心配はなさそう。丘の上にぽつぽつと梨農園が見える。ここ利府町の町長は高校1年時の同級生で、確か6期連続当選のはず。道の両側には幾つもの梨の直販所。ここは昔からの梨の産地なのだ。

 腹具合がどうもおかしい。今朝の寒さで冷えたのだろう。さて、どこまで我慢出来るかが問題だ。役場前を無事通過。東北新幹線の車両基地を横目で眺めながら走って行くと、橋のたもとに「砂押川」の標識。これは多賀城市へと流れる川。仙台市が近いこの辺りはすっかりベッドタウン化し、映画館まであった。

 途中から旧道に入る。利府町を抜けると仙台市の宮城野区。11時過ぎ、岩切の八坂神社で最初の休憩。境内には冠川神社の小社。これが塩竃神社境内にある志波彦神社の本宮だ。冠(かむり)は本来神降り(かみおり)だった由。冠川は七北田川の中世時代の呼称で、当時はここまで舟が上り、常設の市が開かれていた。さらに古代は国府多賀城へと向かう交通の要衝地。この付近に多い「しわ」の地名は「諏訪」と関係はないのだろうか。<続く>


クリスマスローズ(赤).jpg

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Last updated  2013.03.31 04:33:09
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