マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2013.05.26
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 ヤマネコの島 西表を走る  ≫



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                     ≪ 西表島のホテル ≫




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                      ≪ ホテルの施設 ≫




 2泊目のホテルは西表島の西北部にあった。そこまでバスで1時間ほど。ホテルに着くなりランニングスタイルになり、走りに行く。交通量を考え、島の最奥部に向かう。つまり南だ。夕暮れが近いが、初めてサングラスをした。人っ子一人通らない道は何だか不思議な感覚。ともかく暑い。まだ気温は30度あるだろう。たちまち汗が噴き出す。歩道はあるが、道路脇の樹木が邪魔。そこで車道を走り、車が来た時だけ退ける。「ホテル建築反対」の看板があった。どこにでも難癖をつける人はいるのだ。




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                        ≪ 浦内川 ≫



 浦内川の橋から引き返す。これは翌日に撮った写真で明るいが、実際はもっと薄暗い。上が海側で、下が山側。河口のため川幅がかなり広く、マングローブが茂っていかにも亜熱帯らしい。山側の写真の左手に小さく写っているのがカヌー乗り場。この川の上流までカヌーで行けるし、海を漕ぎ渡って南の船浮湾まで行くことも可能。ともかく冒険の匂いがプンプン漂う川だ。





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                     ≪ ヤマネコ注意の看板 ≫


 走ったのは40分弱。距離にして5km程度だろう。それでも長年の夢だった西表島でのランニングを実現出来た。道路脇にはこんな看板も。イリオモテヤマネコに注意するよう、ドライバーに呼びかけるもの。いかにも西表にふさわしい光景だ。




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                       ≪ 西表の夕食 ≫




 夕食時に私が選んだのは、八重山ソバ、ラフティー(ブタの三枚肉)、ジューシー(雑炊=焚き込みご飯)、ガザミ(カニ)のサラダ、オオワタリ(大型のシダ類)の若葉の天ぷら、もずくの酢の物、野菜のチャンプルー、ナカミ(ブタの腸)のお吸い物、珍しいヤギ肉のしゃぶしゃぶなど。また食後はアイスクリーム、ぜんざい(沖縄のは冷たい)、ワラビ餅、メロン、スイカ。そうそう、波照間の泡盛「泡波」の残りも飲んだ。まさに至福のひとときだった。

 食後はホテルの従業員の勧めで浜辺へ出た。西の空に夕日が沈む。西表の落日は、私が経験した中で最も西側。もう2度とここに立つことはないだろう。生きているのさえ不思議。西国浄土とは、こんな所だろうか。ふ~む?





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                    ≪ 最果ての西表の夕日 ≫




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                     ≪ イリオモテヤマネコ ≫




 ロビーでは青年が「ヤマネコ学校」を開いていた。天然記念物イリオモテヤマネコに関する講義だ。この青年もヤマトンチュ。つまり内地からこの島に来て、単独でイリオモテヤマネコの研究をしている。そんな彼をホテルが雇い、どうやら「スペシャルメニュー」として売り物にしているみたい。ヤマネコはまだ沖縄の島々がアジア大陸と繋がっていた頃に渡って来た。だがその後切り離されたため、止むなく島に残ったのだ。

 似たような仲間に九州のツシマ(対馬)ヤマネコがいる。イリオモテヤマネコの生息数はわずか100頭ほど。彼らは夜行性で、道路に出たところを車に轢かれるケースがある。それを少しでも避けようとしたのが先刻の看板。彼らがイノシシの赤ん坊のウリボウを食べることは知っていたが、どうやら集団で成獣をも襲うみたい。そうして彼らは何千万年もの間、この島で生き残って来たのだ。

 「ヤマネコ学校」の終了後、三々五々若い宿泊客がロビーに集まって来た。一体何事が始まるのか。「夜のジャングル探検ですよ」。講師の青年はこともなげに答えた。なるほどねえ。確かにスリルに満ちた夜のジャングル探検は、好奇心の強い若い旅人には魅力。必ず「売り物」になるからホテルも雇う訳だ。その後私はホテルのパソコンを使い、旅先からのブログ更新を試みた。

 翌朝の起床後、私は再び走りに行った。今度は北へ向かってみよう。走っている途中に「星砂ビーチ」への道路標識発見。ほほう、これは面白い。折角ここまで来たのだから、訪ねてみない手はない。ところが遥か沖合に小さな島が見えた。あれは間違いなく鳩間島。夢中になって写真を撮った。




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                        ≪ 鳩間島 ≫




 鳩間島は西表島の北方に浮かぶ、人口わずか51人の小島。沖縄勤務時の同じ宿舎に鳩間島出身の方がいた。経済学専攻のO助教授で、彼はとても温和な人。ところが今春、鳩間島出身の教授がR大の学長に選出されたと聞いてビックリ。沖縄を去って23年経つが、名前は同じO先生。小さな島から2人も研究者が出るのは困難なので、きっとあのO先生だと思うのだが、確証はない。思わず感慨に耽っていたら、来た道が分からなくなってしまった。お~い、一体俺はどっちへ行けば良いんだ~!!<続く>





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Last updated  2013.05.26 09:51:22
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