マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2013.09.23
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カテゴリ: 芸術論
 もし好きな画家を3人上げるとしたら、私の場合はシャガール、ルオー、クレーだろう。ジョルジュ・ルオー(1871-1958)はフランスの野獣派に属する画家で、重厚な人物画が得意だし、パウル・クレー(1879-1940)はスイスの画家で、軽快な抽象画が得意だ。



空飛ぶ人.jpg シャガールの絵の一部


 初めてシャガールの絵を観たのは、小さな美術全集だったと思う。例の宙を飛ぶ人物や動物の絵だ。なぜ人間や動物が宙を漂っているのだろう。ともかく最初から不思議な印象を受けたことは間違いない。彼がロシア出身のユダヤ人であることや、フランスに帰化してフランス風の名前に変えたことはその後知った。だが彼についての知識は、わずかにそんなものでしかなかった。



シャガール.jpg M.シャガール


 そんな折、宮城県美術館で『シャガール展』が開かれることになった。私は散歩を兼ねて往復6km以上歩いて観に行った。展示作品は本邦初公開の作品173点を含む250点で、その数の多さに先ず圧倒された。今回来たのは彼の後半生の作品のようで、絵画、陶器、ガラス画、ステンドグラス、彫刻、バレー衣装など、実に多彩なものだった。入場料は1500円で、カタログが2500円だったが、好きな画家の作品がいつでも観られると思ったら、決して高くは感じない。

 マルク・シャガール(1887-1985)は現在のベラルーシ生まれのユダヤ人で、何度かパリで絵を学んだ。ロシア名はマルク・ザハロヴィチ・シャガルとのこと。第2次世界大戦が始まると、ナチスドイツによってユダヤ人は迫害される。彼もユダヤ人の妻と共にアメリカに渡り、そこを活躍の場とする。空を漂う人物は、きっと祖国を追われたユダヤ人の哀しみを表わしているのだろう。

 大戦が終わると彼は再びパリに移り、1950年南仏サン・ポール・ド・ヴァンスを終の住処とし、フランスの国籍を得る。空に漂う恋人達の画風から、彼は「愛の画家」と呼ばれているが、生涯夫人を愛し続けた。だが最愛の夫人が亡くなると、やはりユダヤ人の女性と結婚したようだ。

 1973年。南仏ニース市に「国立マルク・シャガール美術館」が設立された。まだ画家が生存中に国が特定の画家専門の美術館を建てたのは初めてのことらしい。美術大国フランスでも、異例中の異例だったのだろう。これで老齢の画家は何の心配もなく美術活動に打ち込んだ。晩年は寺院のステンドグラスやパリ・オペラ座の天井画を手掛けた。それらは今回の展示で初めて知ったことだった。カタログからこっそりと、幾つかの作品を紹介しよう。



オペラ座天井画.jpg オペラ座の天井画



ステンドグラス1.jpg ステンドグラス1



ステンドグラス2.jpg ステンドグラス2



彫刻.jpg 彫刻(大理石)



皿.jpg 絵付けした皿



壺.jpg 壺(焼き物)



バレー衣装.jpg バレー衣装のデザイン



輪回しをする道化師.jpg 「輪回しをする道化師」(1966)


 同じように晩年フランスに帰化した画家には、レオナール・フジタ(藤田嗣治 1886-1968)がいる。彼もパリで絵を学び、第2次世界大戦時は日本に帰国して戦争画を描いたが、戦後その批判を受けるとフランスに帰化した。夫人はフランス人だったが、最後は日本の婦人と結婚した。彼も地方に住み、カソリックに改宗した後は寺院の美術化に専念している。

 大好きな画家の展覧会を観られるくらい幸せなことはないだろう。生涯フランスに行くこともなければ、彼の名を冠した美術館を訪れることもないと思う。だが手元には、1冊の分厚いカタログが残った。そこには1人の画家の魂が籠った芸術作品が溢れている。「芸術の秋に、俺はなんと幸せ者なのだろう」と、男は1人呟くのである。





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Last updated  2013.09.23 09:33:09
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