マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2015.07.07
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カテゴリ: 日本史全般
<十三湖と十三湊の興亡>


 五所川原市の「立ちねぶた」のポスター ねぶた2.jpg

 6月27日土曜日。ホテルの送迎バスで鰺ヶ沢駅に送ってもらい、9時1分発弘前行きの電車に乗る。9時31分五所川原駅到着。ここが五能線の本来の始発駅で、五所川原~能代間なので五能線。素早く駅前のバス乗り場と発車時間を確認し、駅に戻ってトイレと買い物を済ませる。雨だ。今日は大変な一日になるはず。予め窓口で切符を買ってバスに乗り込む。行き先は「中の島公園入口」。距離が34kmもあることを、この時はまだ知らない。


津軽半島.jpg

 古い地図だが、良く目を凝らして欲しい。下部中央に五所川原市がある。私が乗ったバスが向かうのは地図の上の方。津軽半島の日本海側の湖が十三湖(じゅうさんこ)で、中世の都市十三湊(とさみなと)があり、安藤氏(安東氏)の貿易港として栄えた。遠路雨の中を訪ねるだけの価値があると、私は判断していた。帰路は途中で下車し、有名な縄文遺跡を訪ねる予定。今日の訪問先は2つだが、地理の見当がまるでつかない。


十三000.jpg

 バスは曲がりくねった田舎道をグルグル廻り、長い旅の末にようやく十三湖の姿が目の前に現れた。雨で霞んだ湖水。ここが安東水軍の根拠地か。11時10分、中の島公園入口に到着。1時間25分の旅。五所川原で雨に濡れた体は、すっかり冷え切っていた。帰りのバス乗り場と休憩できる場所を運転手に聞いて下車。外は猛烈な風雨だった。さて帰りのバス時間までどうしたものか。


十三0-2A.jpg 中の島に架かる橋

 傘を差して雨宿り出来そうな場所を探すと、仮の長屋のような店舗があった。小窓が開いて「休んで行きな」と女性が招く。他に休めそうな場所はない。私は礼を言って中に入った。どうやら観光客相手の店のようだ。トイレの場所を聞いたら、外との返事。再びバス停の方に戻ると全身ずぶ濡れ。靴の中まで水浸しになった。店に戻って「しじみラーメン」を頼む。しじみはここの名産。きっと体も温まるはず。


十三0-4.jpg

 私がわざわざここに来た話をすると、店にいたもう一人の女性が、あの橋を渡った島の中に資料館があると教えてくれた。ここで発掘の手伝いもしたことがある由。それは良いことを聞いた。バスの時間まで少ししかないが、是非行ってみたい。リュックを店に預け、大きめの傘を借りて250mほどの橋を渡った。強風で傘が煽られる。壊れてはいけないと、必死になって傘を抑えて歩く。安物のビニール合羽の上から容赦なく雨が叩く。びしょ濡れのズボンと靴。やはり妻を連れて来なくて正解だった。きっと怒って一人で帰り出すに違いない。


0-2市浦歴史民俗資料館.jpg

 ここが市浦歴史民俗資料館。この時は所属が分からなかったが、どうやら五所川原市の飛び地のようだ。だから駅前から長距離バスが出ていた訳だ。若い女性が窓口にいたが、学芸員ではないとのこと。色々尋ねたいことがあったのだが、仕方なく一人で館内を巡った。そして驚嘆。何とそこは私が長年疑問に感じていた中世都市十三湊と安藤(安東)氏に関する資料の宝庫だったのだ。こんな小島になぜ?バスの時間は大丈夫?これはもう自分の直感で、写真を撮りまくるしかない。


 航空写真 1-5-2遺跡.jpg

 写真は上下逆さま。南北の位置が反対で右側が日本海だ。湖に突き出た半島が十三の集落で、この場所に安藤氏が権勢を振った中世都市があった。下の小島がこの中の島で、縄文時代以降の遺跡がある。湖の周囲、左下には奥州藤原氏関係の寺もあった。安藤氏が治める前は、平泉の藤原氏の勢力下にあったようだ。


1-6発掘.jpg1-7-1安東氏.jpg

     左側は発掘調査の模様。右側は十三湊を治めた安東盛季の像。

 貿易港としての十三湊の歴史はかなり古く、湊の帰属と富を巡って、古代から争いが続いて来たようだ。だが栄華を誇った中世都市、そして北前船が出入りした湊と町は、いつしか地震の津波や湖に流れ込む岩木川の土砂で夢と消えた。今は静かな風景の地下に、かつての街並みが眠っているのだ。


1-02.jpg

 これは十三湊を中心とした環日本海交易図。この港にはかつて中国の貿易船や北前船が出入りして、様々な商品が取り引きされていた。岩手県平泉に古代文明を築いた奥州藤原氏の富の一部は、きっとこの湊からもたらされたに違いない。日本海を通じて、ここから西日本まで中国やアイヌの品々などが届けられていたとは、なかなか信じられないだろうが。


1-8中国船.jpg1-14青磁.jpg

 左側は中国船の模型(朝鮮半島沖で沈没したものの復元)。右は中国渡来の青磁。


1-23中国の貨幣宋銭など.jpg1-9蝦夷錦.jpg

 左側は中国などの貨幣。右側は蝦夷錦(えぞにしき:中国渡来の衣服)


1-4.jpg1-11アイヌ.jpg

 左側は中国地方の中世都市で、西廻り航路による交流があった湊。中でも広島県福山市の「草戸千軒」は発掘調査の結果、巨大な中世都市であることが判明している。私は「しまなみ海道ウルトラマラソン」(福山市~愛媛県今治市:100km)の際に、その傍を走って通ったことがある。右側は商取引の準備に励む蝦夷が島(北海道)のアイヌ。


船5十三湖と北前船.jpg

       十三湖と北前船。


十三0-1.jpg旅1しじみ汁.jpg
       左側は湖岸風景。右側は十三湖の特産であるしじみ汁のパック。

 私は夢中で写真を撮り続け、再び橋を渡って店に戻った。礼を言って傘を返し、バス停に向かう。時間は間にあったが、全身ずぶ濡れ状態。体は冷えたが、予想外の大収穫に私は興奮していた。バスの運転手に「濡れて寒い」と言うと、ヒーターを入れてくれた。ここからこの日2つ目の訪問先に向かう。<続く>





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Last updated  2015.07.07 11:03:45
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