マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2017.11.11
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カテゴリ: 人生論
<光と影>



 「人間はなかなか死なないもんだね」。義姉が言った。隣には今にも死にそうな兄が車椅子に座っている。でもこれは決して皮肉ではない。もう40年間も兄の看護をして来た義姉だからこそ言える言葉。2回の脳出血と5回の脳梗塞に耐え、この歳まで生き永らえた兄。近代医学と手厚い医療行政のお陰で、何とかここまで来れたと言う気持ちが、義姉の述懐に繋がったのだろう。



 先日地区の文化祭に行こうとして止めた。パンフレットに前妻の名前を見つけたためだ。理由は分かった。この公民館の配下にある町内会の数は4つ。きっと前妻は役員から出品を依頼されたのだろう。だが彼女は調停離婚を決めて家を出た。役員は彼女の絵を出品したが、離婚したことを知り作品を我が家に返さなかったのだ。去るなら静かに去って欲しかったのだが。



 私はここ2年年賀状を出さなかった。いや前妻との諍いに悩み、到底出す心境になれなかったのだ。夜も眠れなくなり、アルコールや睡眠薬のお世話になった。離婚することを知った友人が、「お互いに譲歩したら」みたいなことを年賀状に書いて来たのでさえ不愉快。生活を共にした者でなければ、相手の狂気が分からない。これは認知症に付き合った家族と、そうでない者の差と同じだと思う。愛が無ければなおさらだ。




 今、少しずつパソコンに住所を入力している。年賀状を出さない間に不調になったパソコン。幸い2年分の年賀状は捨てないでいた。その間に亡くなられた知人もおり、今後のためにも住所録を整理する必要があった。私の気持ちがようやくそこまで落ち着いたと言うべきかも。閉ざされた心が、少しは社会性に目覚めたようだ。



 少し前、大学時代の級友たちと酒を飲んだ。彼らは定年退職後も第2、第3の就職をした成功者。収入も多く、保険は3割負担。今でもかつての役職を鼻にかけている。一方私は退職後ハローワークで職を見つけ、肉体労働者になった。離婚後は年金分割の身。現役当時から不器用でゴマを磨る能力もなかったし、職業柄彼らとは異なる考え方をして来た。そのことに全く後悔はないし、死は誰にも平等だと思っている。




 居間のカーペットを入れ替えた。前妻が残したペラペラのものが鬱陶しかったのだ。換気扇の掃除のため業者を呼んだ。まだ汚れてないから清掃は不要とのこと。揚げ物は全くしていないが、何だかホッとした。先日はお正月の「お節料理」を外注した。自分ではとても作れないためだ。東京での会合の際、次男と会う約束をした。長男とはまだ連絡がつかないが、少し気持ちが明るくなった。





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Last updated  2017.11.11 06:27:40
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