マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2017.12.08
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カテゴリ: 日本史全般
~道と歴史~



 先日購読紙の連載小説が終わった。タイトルは『落花』で著者は澤田瞳子と言う女流作家。歴史描写や文章が優れていたためネットで検索すると、京都大学文学部で日本史を専攻した人。それで全て納得した。時代は平安で舞台は関東平野。平将門の乱と盲目の琵琶法師蝉丸にまつわる奇怪な話だった。読んでいるうちに私はとても驚いた。私が知る場所が幾つかその中に出て来たからだ。



 小説の舞台の一つの常陸国(茨城県)に、私は11年ほど住んだ。将門が襲った常陸国府や常陸国分寺があった石岡市へは水戸市から何度か走ったし、国分寺跡の礎石も観ている。筑波山は研究学園都市から10年間眺め、霞ケ浦は土浦から潮来へ船で往復したことがある。

  当時はまだ関東鉄道筑波線が走っていたし、霞ケ浦の定期観光船も航行。そして筑波こそ、私がランニングを始めた土地。「かすみがうらマラソン」では霞ケ浦の湖畔を、「つくばマラソン」では学園都市の平地を何度か走った。そう言えば将門を祀った神田明神に詣でたことがある。



 蝉丸は百人一首にも出て来る歌人で琵琶の名手。彼が盲目となってから結んだ庵が逢坂の関の付近にある。京都から大津へ抜ける峠道の山中だ。実はその道も走ったことがあり、その際に蝉丸神社を訪ねた。まさに奇遇とはこのこと。転勤しながら各地を走っていると、時にはこんなことにも遭遇する。旅は良い。人生もまた偉大なる旅のように思えてならない。



 先日阿武隈川沿いを歩いた際、コースを選定したFさんがある山の名を口にした。厚樫山(あつかしやま)は福島県国見町にある標高290mほどの低山。宮城県境にほど近い。私がその名前を知っていたのは、自宅から福島市まで80km走った際に、山の直下を通ったため。時間不足で山に登ることは出来なかったが、ここは奥州合戦当時の古戦場のようだ。



 古来より東北は討伐の対象だった。古くは征夷大将軍坂上田村麻呂による蝦夷征伐。そして奥州藤原氏を征伐した源頼朝による奥州合戦。3つ目は江戸幕末の戊辰戦争。東北は官軍に負け、その後暫くの間冷や飯を食わされた。いや、神話時代にまで遡れば、日本武尊による征伐もある。彼が実在の人物か、そしてどこまでを本当に攻めたのかは不明だが、宮城県南部にも白鳥伝説があり、岩手県にまで武尊縁の神楽が伝わっている。



 厚樫山はかつて阿津加志と表記し、ここに奥州藤原氏の砦が築かれていた。現在は国道4号線、東北道、JR東北本線、東北新幹線がいずれも直ぐ傍を通る交通の要衝。攻める頼朝軍は40万騎。それに対して藤原氏の勢力は1万もいないだろう。勝敗は簡単について退却を迫られ、最後は平泉の滅亡で終わった。仏教都市平泉の平和の願いも、豊かな東北を傘下に収める頼朝の野望の前には一たまりもなかった。



 奈良時代に道幅20m近い官道が整備されるが、これは各国府を極力直線でつなぎ、朝廷の指令を伝馬によって地方へと伝えるためのもの。だが、それ以前も細いながら道は各地へと繋がっていた。神話時代も交えて、神武東征、日本武尊や四道将軍による遠征、蝦夷征伐などによって大和朝廷の権力の及ぶ範囲が次第に広がって行ったのだろう。



 それに伴って人と物資が移動し、道はどんどん広がり整備される。東山道、東海道、山陽道、山陰道、南海道、西海道などだ。すると人口がさらに増加して税が増え、その管理のために分国が起きる。出羽国(山形、秋田)は陸奥国から、下野上野は毛野国から。越国は越前、越中、越後に別れ、越前からは若狭、越中からは能登と加賀が分国と言った風に。他にも多くの分国がある。



 新潟県の弥彦神社で驚いたのは、付近の海岸に舟で上陸したのが越後開拓の初めと伝わっていること。弥彦神社が越後国一宮である理由が分かる。海岸沿いの「親不知子不知」の難所は、波が引いた僅かの時間しか通行出来なかったし、江戸時代まで「ツツガムシ病」と言う郷土病が存在した。「つつがない」はそこから来た名前。だから新潟の海岸部では陸路よりも安全な海路が重要だったのだろう。



 福島県の会津地方は、神話時代に親子の四道将軍が片方は日本海側から遠征し、もう一方は太平洋側から入って落ち合ったため会津(あいづ)と呼ばれたとの伝説がある。真偽のほども分からない遠い時代から人々の移動で道が出来、各地に文化が伝わって行った。私が地名や人名に興味を持つのはこのため。これまで地球を2周と7千kmほど走ったのも、そのほとんどが人為的な道の上だ。



 人類はたった1人のアフリカ女性から生まれたとされる。そしてアフリカから長い年月をかけて、世界各地へと拡散していった。氷結したベーリング海峡を歩いて渡ったのは、黄色人種の仲間。それが北アメリカ大陸を縦断して南下し、パナマ地峡を経て南米大陸の最先端にまで達した。そこの原住民にもお尻に青いあざ、いわゆる蒙古斑がある由。時間はかかったもののそんな遠くまで歩いて行った先祖達は凄い。



 茨城在住の頃、道路が色んな方面に繋がっていることに驚いた。広くて平らな関東平野では、古い時代から移動や交流が激しかったのだろう。仙台に帰ってからは、峠を越えて隣県まで走った。戦国時代はその峠を越えて、侍たちが戦った。さて人類の道は、何処へ繋がっているのだろう。地球温暖化や核戦争で破滅に至るのは避けてほしい。やはり平和じゃないと安心して道を歩けないしね。





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Last updated  2017.12.08 06:49:08
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