マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2019.02.01
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~灼熱の道 1回目その2~

  崇元寺山門

 2日目。ホテルで朝食を摂った後、ランシャツ、ランパンに着替えて走り出す。荷物は宅急便で名護市のホテルに送るよう依頼していた。32度以上の猛暑の中、リュックを背負って走ったらエネルギーのロスにつながる。少しでも体の負担を軽くしようと思ったのだ。国際通りを北へ直進し、安里三差路で左折。国道58号へと向かう。崇元寺の山門が懐かしい。中は戦火で焼かれ、石門だけが残されている。



 今回の計画はこうだ。初日は本島最南端の摩文仁から那覇まで走った。この日はその続きで那覇から名護市までを走る。コースは西海岸沿いに伸びる国道58号線。左上に「こぶ」のように見える半島が本部半島。2日目の今日はその付け根の名護に1泊。第3日目はかつての部下に最北端の辺戸岬まで送ってもらい、そこから名護市まで逆走して繋ぐ。名護から辺戸へ走っても、その後の交通手段がないためだ。



 これが国道58号線。那覇市内だと片側5車線ほどもある。8時半ぐらいまでは何とか走れていたがそれでも暑い。道の東側に寄って極力日陰を走ろうとするのだが、太陽が真上に上がるとそれも無理になった。浦添市を抜けるとビルはない。特に米軍のキャンプ地前などは見通しが良いため、直射日光が容赦なく照り付ける。やはり判断が甘かったか。こうなったら猛暑の中を40km以上歩くしかない。



 「嘉手納ロータリー」は無くなり、直線になっていた。米軍が統治していた時代の名残で、右側通行の米軍のジープや軍用トラックには好都合だったのだろう。読谷村の楚辺まで来ると「ゾウの檻」が見えない。対中国用のレーダーだったのだが、今はもっと高性能の装置が出来たのだろう。間もなく喜名。そこから左折すると座喜味譲がある。世界文化遺産の美しい城跡。懐かしい思い出だ。



 坂を下ると恩納(おんな)村。この村は細長い上に海岸線が曲がりくねっているため、想像以上に距離がある。ある集落で休憩して靴下を脱いだら汗でビショビショ。それを道路に干したら、5分でカラカラに。路上は50度ほどあるはず。歩くのすら殺人的行為。沖縄の人は決してしない。恩納の中心部に来て笑う。「おんな売店」の看板あり。別に女性を売ってる訳じゃなく村の名。昔は恩納ナベと言う歌人がいた。


           <名護市許田(きょだ)海岸>

 恩納村の大学院前を通過。次第に濃くなる闇。街灯はなく、歩道に飛び出している叢が不気味。ハブは夜行性なので、いつ這い出るかも知れない。ゾッとしながらのラン。気温は28度程まで下がり風も感じる。何とか暗がりを脱出して許田の海岸に。ここは名護市の入り口。堤防のため雑草がない。チヌ(黒鯛)狙いの釣り人が何人か。あの岬を回ればゴールのはず。残りは6km程度か。<続く>





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Last updated  2019.02.01 00:00:25
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