マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2019.07.07
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カテゴリ: 芸術論
~中国・新疆ウイグル自治区・キジル石窟航海者窟壁画復元~


               <キジル石窟の威容>

 大変な間違いに気づいた。何とタジキスタンの遺跡と新彊ウイグル自治区の遺跡を混同していたのだ。慌てて新彊の部分を削除して、何とか事なきを得た次第。そのためにシルクロードを逆戻りし、東に向かう羽目になった。それも良し。失敗もまた勉強のうちだ。ウィンク



 これが新疆ウイグル自治区の地図。シルクロード好きの人間にはたまらない地名がたくさん並んでいる。ロプノールはかの有名な「彷徨える湖」だ。さて、この地は第2次世界大戦後、中国が内蒙古、チベットなどと同様に略奪した土地。自治区とは名ばかりで、ウイグル族もチベット族も迫害され、急速に中国化されている。その延長が「一帯一路」。第二の絹の道として、中国は覇権を目論んでいる。



 さて、キジル石窟は3世紀の中ごろから8世紀にかけて建造された仏教遺跡で、当時支配していたのは亀茲国。スウェン・ヘディンの探検記を読んでいた私は、この亀茲の名に馴染みがあった。キジルに充てたのだろうが、中国語の詠みは確か「クチャ」と記憶している。


     <同遺跡の前に立つ鳩摩羅什(クマーラジーバ)像と肖像>

 当時の亀茲(きじ)国には1万人余の仏教僧がおり、唐の都では亀茲国出身の僧が仏典翻訳に従事していたそうだ。中でも著名なのが鳩摩羅什(クマーラジーバ)だった。今、その像が同遺跡の前に建立されている。




 第212窟は通称「航海者窟」と呼ばれている。この窟の左右の壁を飾っていた2つの因縁図を、第3次ドイツ探検隊がはぎ取って持ち帰り、第2次世界大戦で一部焼失した。東京芸術大学は現存する壁画と焼失した壁画の双方を復元し、現地の壁画を背景にして石窟のかつての姿を再現させた。以下の写真は、その一部である。なお、明治42年と大正2年の2度、日本の大谷探検隊が現地調査を行っている。



 船のようなものが見える。それが「航海者」の由縁かは定かではない。以下掲載は順不同。










 研究の結果、これらの壁画はインド風ともペルシャ風とも言われ、またヨーロッパ風とも言われる由。シルクロードを経由して各地の宗教、文化、風俗がこの地に伝わった証であろう。











 これらの貴重な壁画をヨーロッパの強国が争って奪い去ったことに驚く。エジプトなどの美術品や考古学資料も同様だ。今回最先端技術を駆使してわが国が行った復元事業は、その汚名をそそぐものになるのではないか。









 復元事業成果物の撮影が入館者に許可され、ブログに掲載出来たのは望外の喜びで、感謝に耐えない。なお展示物以外の関係資料をネットから借用した写真を、参考として以下に掲載する。


           <ある石窟の中央部分を中心に>


           <これははぎ取られた壁画の一部だろうか>

 今回で特別展の展示関係は終了し、次回以降は常設展のコレクションなどを紹介します。





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Last updated  2019.07.07 00:00:21
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