突然、横入りで失礼いたします。

「せんそうについてのかんそう」拝読しました。似たような経験から吐き出される言葉にうなづきました。

 私も80歳を前に、今年の夏は「戦争」のことについていろいろ考えました。これまでもそうでしたが、何故か今年の夏はいつもの夏よりです。

 また訪問させてください。 (2019.08.27 17:03:48)

マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2019.08.19
XML
テーマ: 戦争と平和(55)
カテゴリ: 歴史全般
~8月は日本にとってどんな意味を持つのか~



 8月はなぜか物悲しい時でもある。8月6日はヒロシマの日。9日はナガサキの日。そして15日は玉音放送が流れた終戦記念日。近隣諸国にも大きな迷惑をかけた第二次世界大戦。日本は戦争の当事者であり、かつ連合軍と戦って敗れた敗戦国でもある。この戦争に果たして一体どんな意味があったのか。あるいは無かったのか。その総括を、わたしたちは今どのようにすれば良いのだろう。



 なぜ日本は戦争の当事者になったのか。そのことをわたしは授業で学んではいない。当時の世界情勢は果たしてどうだったのか。日本が経済的に追い詰められ、軍縮を迫られ、苦しくなっていたのは間違いない。アメリカのルーズベルト大統領が強大化する日本を危険国家と見なしていたのは事実だし、彼の判断が日本を戦争へと追い込んだのも事実。拡大主義に陥って大陸に進出した日本は泥沼に足を突っ込んだ。



 大元帥だった昭和天皇に責任は無かったのだろうか。全くないとは言えないだろう。だが彼は立憲民主制における天皇の位置を良く理解し、政治に口出しすることはほとんどなかった由。それでも事態の進展を憂慮し、陸海両軍の責任者に戦争を回避出来ないか問うたと『昭和天皇実録』にある。東京裁判では天皇の戦争責任が問われかけたが、進駐軍が天皇制の意義を認識し、辛うじて責任は免れた。



 対米宣戦布告の遅れは、担当官の寝坊が原因と聞く。どんな理由でも国際法違反だ。ソ連の対日宣戦布告も条約無視の国際法違反。日本は既にポツダム宣言を受け入れていた。千島、樺太、満州へと乱入したソ連兵によって、日本の領土と財産は奪われ、元日本兵はソ連各地に抑留され、シベリア鉄道の敷設作業などに従事させられた。寒さと飢えとでバタバタ倒れ、次々に死んで行った元日本兵たち。



 第二次世界大戦で死んだ日本人は約300万人。だがそれとほぼ同数、他国民を死に追いやった。東アジアの独立と開放を謳った「八紘一宇」、「大東亜共栄圏」は果たして幻だったのだろうか。いや、戦後そこに留まり、その国の独立戦争に加わった兵士も多い。現にフィリピン、インドネシア、インドなどでは独立出来たのは日本のお陰と今でも感謝し、パラオや台湾も日本統治の恩義を忘れてはいない。



 日本の敗因は何だったのだろう。日清、日露戦争で勝ったことによる自信過剰。アメリカの物量を見誤り、戦闘は短期で終結するとの判断ミス。陸海の不和と作戦ミス。物資の圧倒的な不足と空軍力の決定的な不足。戦地の拡大に伴う補給路の長距離化。大本営発表とマスコミの過剰報道と乖離。終戦時期の判断ミス。アメリカは勝利後の日本統治策まで考えていたと言うのにだ。



 欧米列強による植民地経営史は長い。だがどの国もかつての植民地に謝罪した事実はない。日本はどこかを植民地にしたのだろうか。答えは「否」。植民地政策とは、その土地の生産物や労力や富を収奪すること。日本は朝鮮や台湾、南洋諸島を本土並みに整備し、教育や医療、文化のレベルを引き上げ、収奪はしなかった。台湾やパラオが今でも感謝を忘れないのはそのため。ただ中国と半島国家は歴史を歪曲する。



 わたしは思い出す。戦地から帰った父の義足。飢えた少年期。ありがたかった給食。近所にいたパンパンガール。戦車からチョコレートやガムを投げた米兵。進駐軍キャンプのMP。闇屋をしていた父の苦労。女運に恵まれず、40歳で死んだ父。それよりも若くして死んだ英才の姉。戦争で破壊されたわが家庭。わたしはアルバイトをして高校を卒業した。それらがわたしの戦争にまつわる思い出話。



 初代宮内庁長官へ昭和天皇が語った「拝謁記」が最近発見された。天皇は戦争に関する反省と後悔を、自ら公表しようとされた由。だが吉田総理は天皇が示した文案を修正し、天皇もこれに従って反省表明は叶わなかった由。戦後「シンボル」となった天皇の苦悩が良く分かる逸話だ。さて、私の宿題は「満州事変」と「支那事変」。前者は軍部暴走の端緒として、後者は戦争の泥沼化を招いた原因と思うからだが、その実態を知らないままなのだ。



 昨日のレースは無事ゴール出来た。スタート地点から順調に走り出したものの、晴天になるにつれて気温は急上昇し、9km過ぎからは歩くことを選択。そのまま走れば、多分体調を崩すとの判断だ。ゴール手前3kmの路上気温は36度を表示。私の判断は正しかったと思う。当日撮った写真を整理後、改めて完走記を掲載する予定。応援、どうもありがとうございました。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.08.19 07:17:52
コメント(12) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ

利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:せんそうについてのかんそう(08/19)  
無事にレースを終えられておめでとうございます。それにしてもいつも的確な判断と行動で、さすが男性さすが長年のランナーと感心しました。でも帰りの電車では大変でしたね。我が家も長男との食事では、焼酎を控えめにしました。帰りのタクシーでぐわいが悪くなっては困るからです。でもかえっていざ寝せようとすると、その足りない分を欲しがるのですから、全く死ぬまで呑み助です。

ああ大変、戦争についてのこんな文章、ご意見まだ読んだことがありませんので、大変真面目に読ませていただきました。いつも参考になります。私などほとんど何もこんな意見をはっきりと理論正しくなど述べられませんので。

早くからコメントありがとうございます。 (2019.08.19 06:30:44)

Re[1]:せんそうについてのかんそう(08/19)  
マックス爺  さん
ローズコーンさんへ

お早うございます!!
いつもコメントをありがとうございます。

今朝は未明に目が覚め、ブログの修正から始まりました。
興奮と疲労がまだ混在しているみたいです。(;^_^A

普段はあまり飲めないのに、猛暑の中で走ると言う
大事業(今の私にとって)と1年ぶりに走友たちとの
再会が、飲めない酒を飲ませたのでしょうね。馬鹿です。(^_-)-☆

自分としての「戦争の総括」のことは、一度は書きたい
テーマでした。でも情報不足で、ちゃんとした認識は
出来てないのです。それもまた真実ですから。不確実な
認識をそのまま書きました。
それが後期高齢者にとっての「責任」とも思えるのです。

遅まきながら墓参りが出来ました。今朝は昨夜のうちに
済ませた洗濯物を干し、自転車で兄宅へ行こうと
考えています。私たち兄弟も歳を取り、残された日が
段々少なくなって来ましたので。(;^_^A

では、今日もお元気で過ごされますよう。🌸😊
(2019.08.19 07:07:16)

Re:せんそうについてのかんそう(08/19)  
yorosiku!  さん
おはようございます♪
無事ゴール~おめでとうございます👏パチパチ!
当時のアメリカの総合力~素晴らしかったと思います。天皇制については社会学者(ルース・ベネディクト)などが事前に考察。象徴制でソフトランディング。敗戦で封建制が崩壊。自力では無理だったのでは?熱しやすく冷めやすい国民性も お見通し。
(2019.08.19 08:42:35)

Re[1]:せんそうについてのかんそう(08/19)  
マックス爺  さん
yorosiku!さんへ


今日は~!!
いつもコメントをありがとうございます。

猛暑の中のランニング、きつかったですよ~。( ;∀;)
最後の坂道が特にねえ。(;^_^A

ベネディクトは「菊と刀」で有名な学者ですね。
物量と分析力で日本は到底勝ち目がなかったのでしょう。
そう言う科学的な観察が出来なかったのが、戦前の
日本の弱さだったのでしょうね。

そして満州事変のように若手将校の暴走を止めら
れなかった軍部にも大いに問題があったのでしょう。
どこから日本は間違った方向に進んだのかですね。

戦後に植え付けられた民主政治は良いとしても、
「自虐史観」に今も縛られているのは、それだけ
強烈な歴史観の強制だったのでしょうね。そこが
いわゆる進歩人の弱点かもねえ。
(2019.08.19 09:15:22)

Re:せんそうについてのかんそう(08/19)  
Kazu さん
Aさん,こんにちは~

妻も10連休が終わり本日から仕事へ。私も家で一人の四月からの生活に戻りました。

まず,詳細は分かりませんが,マラソン大会完走おめでとうござい
ます。なによりでした。
Aさんのこれまでの経験から無理な場合はリタイア,当然選択した
と思いますので,納得の完走かと。

終戦への思い,私は戦後10年後の生まれなのでそれほど強くあ
りません。物心付いた時は物資もそこそこあり,当然贅沢はでき
ませんでしたが,お腹をすかした経験はなかったかと。
生まれた年代がほんの少し違っただけで,かなりの差があったん
ですね。
(2019.08.19 10:32:04)

Re:せんそうについてのかんそう(08/19)  
無事生還、完走・・おめでとうございます

戦後生まれの私たちは平和しか知りませんから・・

父は学徒動員で飛行機の組み立てをやっていたそうです・・
自分たちの組み立てた飛行機が飛ぶということが信じられなかったそうですわ・・・ (2019.08.19 10:53:48)

Re[1]:せんそうについてのかんそう(08/19)  
マックス爺  さん
Kazuさんへ


今日は~!!
いつもコメントをありがとうございます。

この大会は例の薬莱山からゴールを作並温泉の
岩松旅館に代えたものなんですよ。
だからどこから走っても良く、12時までに
岩松に着くのだけがルールです。

私は去年から参加し、今年も仙山線の愛子駅
から走りました。距離は16.8kmほどです。
まあ暑かったですねえ。そしてほとんど運動をして
いない私にとって、真夏の17kmは地獄そのものです。
それでも歩くような速度だし、何とか行けると
判断しての参加でした。今は昔と違って仙台
明走会の練習会のような有様ですよ。

戦争は直接分からないけれど、戦後間もなくの混乱や
貧困は身に沁みています。何せ食べ物が十分になかった
のですから、これまた地獄でしたねえ。(;^_^A


(2019.08.19 11:07:30)

Re[1]:せんそうについてのかんそう(08/19)  
マックス爺  さん
5sayoriさんへ


今日は~!!
いつもコメントをありがとうございます。

私は戦時中の生まれですが、戦争そのものの
記憶は全くありません。まだ幼児でしたので。
だから記憶にあるのは全てが貧困と飢えに関する
ものばかりです。

それだけ食べ物が無かったのですよ。裏庭の
ネギを盗み、それを刻んで醤油をかけて食べたことが
忘れられません。

お父様のお話も今となってはとても貴重ですね。

(2019.08.19 11:11:35)

Re:せんそうについてのかんそう(08/19)  
こ う  さん
こんばんは

色々考えさせられますね
私が生まれたころは
高度経済成長期
何不自由なく生活できましたから
戦争で多数の方が犠牲になり今の日本がある
そのことを忘れず生きていかないと

昨日のレース
無理せず途中からの歩き
間違いなかったんじゃないでしょうか
本当にお疲れさまでした (2019.08.19 19:07:46)

Re[1]:せんそうについてのかんそう(08/19)  
マックス爺  さん
こ うさんへ


今晩は~!!
いつもコメントをありがとうございます。

そうでしたか。では飢えた経験はないのですね。
私たちは食べたくても食べ物がない時代に
少年期を過ごしました。生卵なんて、とても
貴重で、なかなか食べられなかったんですよ。( ;∀;)

猛暑の中のレースは大変なものでした。
まあゴールの場所と時間が決まっているだけで、
走る距離は自由なのでその点は楽でしたが。

疲労が激しい上に飲んだため、泥酔して仲間に
迷惑をかけてしまいましたよ。(;^_^A
(2019.08.19 19:26:34)

Re:せんそうについてのかんそう(08/19)  

Re[1]:せんそうについてのかんそう(08/19)  
マックス爺  さん
クマタツ1847さんへ


今晩は~!!
ご来訪とコメント、ありがとうございます。

10日も前のブログに、わざわざありがとう
ございます。

どのようにして私のブログにたどり着かれたのか
分かりませんが、ようこそいらっしゃいました。

今後ともよろしくお願いいたします。
(2019.08.27 18:39:45)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: