マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2020.12.23
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  旭橋バスターミナル

 3日目も朝から土砂降り。それでも歴史探訪に行こうとしていた。タクシーでと思ったが、30年前なら1日5千円で貸切出来たが、今は完全なメーター制だろう。中城方面に向かうバスに乗った途中の地名はほとんど覚えていて、口にすると驚く運転手。与那原三叉路から東海岸沿いに北上。この辺の地名も記憶が鮮やか。沖縄本島をランニングでの一周(450km)や、原付で走り回ったことも今は懐かしい思い出だ。


  穂が出たサトウキビ  

 12月からはサトウキビに穂が出て糖度が上がり、サトウキビ刈り(ウジトーシ=荻倒し=サトウキビを荻と間違えた名残)の季節。しかし畑は全て宅地に変貌していた。サトウキビの根をハタネズミが食べに来る。そしてそれを食べにハブが。キビ刈りは激務で、一家総出の結い(ユイ)で行う共同作業が普通。そしてこの季節はハブが冬眠するので安全。そんな風景が見えないのが淋しい。

  サンニン(月桃)の葉

 バスは中城小学校前で停まった。そこは屋根付きの停留所。目の前に月桃の茂み。早速葉をちぎって匂いを嗅ぐ。芳しき香り。沖縄では月桃の葉を防虫剤や紙の原料にし、祭や祝い事では餅を月桃の葉で包む。すると餅もが良い香りになる。それがムーチー(餅)。オーストラリアで沖縄に似た空気を感じたのは、ユーカリの葉の香りのせいと今にして思う。

  中城城全景

 小川と化した坂道を登っていると、タクシー。手を上げて止め行き先を告げる。距離は近いが文句は言われない。豪雨の日にこんな急坂を歩く内地人がいるのに、きっと驚いたことだろう。雨で中城城は見えないが、心の中でしっかり見た。3つの廓と犬走り、アーチ状の石門、降り井戸(うりがー)、護佐丸が王の軍を確認した「除き窓」。滾々と心に浮かぶ城内風景。

  護佐丸の墓   

 王の舅でありながら非業の死を遂げた護佐丸。彼の墓は王族クラス。墓は立派なものをと考えた王の配慮が偲ばれる。山田城(恩納村)で生まれ、父と共に座喜味城(ざきみぐすく=読谷村)に移り、成人後は最後の按司(豪族)である阿麻和利の監視役として中城城城主となった護佐丸の生涯は、王家への忠義一筋だった。2人のライバルは今、伝統行事の「大綱引き」に欠かせない永遠の英雄だ。

  重文中村家住宅

 中村家住宅の駐車場でタクシーを降り、傘を差して住宅を観に行くと扉は閉ざされ、「コロナのため5月から閉鎖しています」の掲示。雨に濡れながら何枚かの写真を撮り、急いで駐車場に戻った。



   <中村家正面入口>         <屋敷内の風景と倉庫(左奥)>

 正面入口の奥に石塀が見える。これは「ヒンプン」と呼ばれる目隠しで、主人と客人はこの右から玄関に向かい、女性と下人は左から入った。壮大な構えを見ると主は百姓ではなく、村長クラスのさむれー(武士階級)だったのだろう。このシリーズの写真は全部ネットからの借り物。それで十分だ。



        <高倉式の倉庫(左)と「フール」>

 収穫した穀物を湿気から守るため、倉庫の第2層に収納。階下は農具置き場と、ヤギなどの家畜小屋。「フール」は沖縄独特の施設で、大便専用のトイレ。上の台に開いた3つの穴から用を足す。下の豚小屋は3つに分かれ。親ブタは自分のスペースだけ、兄ブタは自分のスペース+親ブタまで。そして子ブタはどこへも自由に出入りして餌を食べた。より弱いものへの対策で、仕切の穴は体格に合わせて開けた。



 フールは当時の食糧事情からの考案。明治38年当時、山形県民の食料の98%が米。逆に沖縄では98%がサツマイモ。大家族で毎日大量のサツマイモを食べればどうなるか。それをブタの餌にしたのだ。フールは富裕な家にしかなく、久米島の重要文化財「上江洲(うえづ)家住宅」では、下の豚小屋は残ってなかった。



 中村家のは完全形で現存する唯一のフールだと思う。風葬募も洗骨も沖縄では次第に「恥」と感じたのではないか。ブタを残さず食べるのは沖縄の食文化。朝鮮では大便を道路に放り、それを食料にする犬を人が食べた。ベトナムのトイレは池の上にある。理由は沖縄と同じだ。文化には上下も貴賤もない。あるのはそれぞれの環境に適した暮らしの形。それこそが文化で、世界の文化を比較研究するのが、「文化人類学」。

  普天間宮本殿

 駐車場で1台の自家用車が近づき、運転手さんが私に言った。バス停まで送りましょう。ただし本数の多い宜野湾市に向かいます。これはありがたい。さもなければずぶ濡れになるところ。さらに私は頼んだ。出来たら普天間宮で下ろして下さいと。彼は私の頼みを快く聞き入れた。普天間宮は「琉球八社」の一つだが、私はまだ参詣したことがない。そしてそこへ行きたい理由は別にあった。



 実は本来の神社は地上ではなく地下の鍾乳洞内にあると知り、是非とも見たかったのだ。ノートに名前を記帳し、巫女の案内で入口に向かう途中、「中は撮影禁止です」の注意。「でもネットには画像が載ってますよ」と言うと、彼女は口をつぐんだ。地下は別世界。これこそ沖縄の原始神道の最骨頂で、日本の古代もかくやと思われた。なおノートへの記帳は、「三密」を避けるための配慮だった。

  イザナギとイザナミ

 死んだ妻イザナミが恋しくなって黄泉の国を訪ねたイザナギは、妻に厳しく戒められる。「決して灯りを点けて顔を見ないで下さいと」。だが夫はその約束を破って妻を観た。目の前には顔からたくさんのウジ虫が湧いたイザナミ。これは神話時代の日本に「風葬」があった何よりの証拠。怒った彼女は大急ぎで夫を追った。妻に桃を投げつる夫。モモはは小山となり、垣根となり、それでも追いかける妻。

            桃の核   

 妻は怒って夫に告げる。「私は1日に500人を殺します」と。夫は妻に答え「それなら私は1日に千人の子を産もう」そう言い放ち、黄泉国入口の戸を塞いだ。そのため今も人口が減らないとの神話。しかしなぜ桃の実に神力が宿るのか。私は桃の形に答えがあると考える。桃の実と種(核)は女性器のシンボル。実は沖縄にも桃は神聖な女性器との言い伝えがある。

  姉弟の誓約(うけい)

 種の核を「サネ」と読む。それは女性器を意味する隠語。天鈿女命(アメノウズメノミコト)は天照大神が天岩戸に隠れた際、自分の陰部を曝した。皆がドッと笑うと何事かと天照が顔を出す。その一瞬手力男命が岩戸を開けた。途端に太陽の光が蘇った。さて姉の天照と弟のスサオノは誓約(うけい)する。私が男を生んだら、私が正しい証ですとスサノオ。そしてスサノオはたくさんの男神を産む。


            <山幸彦とコノハナサクヤヒメの結婚>

 兄の大事な釣り針を無くした山幸彦は海神(わたつみ)の国でコノハナサクヤヒメを見染める。姫の父海神の神が山幸彦に言う。もしも姉を妹と一緒に娶れば永遠の命が得られますと。だが山幸彦は醜い姉を嫌った。最後に海神は2つの玉を手渡す、潮を自由に満ちさせる玉と、自由に干し上げる玉。美人の妹だけを竜宮から連れ出し地上に戻った山幸彦は天皇の遠い祖先になったそうな。

  月桃の花

 さて、それらの神話は一体何を物語るのだろう。この世に生と死があり、男と女が存在する理由だろうか。しかしなぜ女性器が神聖なものなのかは謎。そこでもう一つ沖縄の話をしよう。



 赤い花織(はなおり)だが、沖縄には「てぃーさじ」の風習があった。その意味は手拭い。男兄弟が旅に出る際、姉妹は手拭を彼女らの経血で染め、男兄弟の肩に掛けた。女性器と関わる経血が神聖で、男兄弟を守ると信じられた証。私も沖縄から転勤する際に、赤い花織の布を肩に置かれた。ヤマトでは女性を不浄と見なして女人禁制も生じたが、沖縄では女性への神聖視が、後世まで残った。こんな説を唱えるのは私だけだろうが、それはそれで愉快だ。



 さてコノハナサクヤヒメは身ごもり、鵜戸神宮(宮崎県)の窟屋(いわや)で産気づく。絶対見てはいけないと言われるがその禁を破って産屋を覗く山幸彦。そこにいたのは一匹のワニ(当時はサメのこと)だった。



 箸墓古墳の主、ヤマトトトヒモモソヒメの夫は三輪山の神で、毎晩通って来る。絶対見てはいけないと言われたが我慢し切れずに灯を点けると、そこにいたのは一匹の蛇。有名な神話だが大神(おおみわ)神社のシンボルも白蛇。人間と動物の通婚、そして禁忌を破る結末は「鶴の恩返し」とも通じる。沖縄の神社はすっかり大和風に変わった。果たしてそれが良いのか悪いのか。まとまらぬまま紙数が尽きた。実は帰路重大事に遭遇するのだが、書くのは明日にしよう。長文深謝。ではまた。<続く>






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Last updated  2020.12.23 09:43:31
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