マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2020.12.24
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<マックス爺の失敗>

  月桃の花

 記紀には女性器(ほと)に関する神話がいくつか出て来る。1つはある女神が火の神を産んだ時、ほとを火傷して死ぬ。もう1つは三輪山の大物主の妻モモソヒメが箸でほとを突いて死ぬ神話。これは禁じられた大物主の正体を見たせいか。姫が箸でほとを突いて死んだのが「箸墓古墳」と呼ばれる所以。出産が死につながる危険性の象徴が「ほと」かも知れない。そんな大変な仕事を女性は古来続けて来たのだ。



 普天間宮前からバスに乗り、那覇の古島からモノレールに乗り換えて那覇空港へ行った。古島駅付近には長男が卒業した興南高校がある。長女の首里高校、長男の興南高校、そして次男の城北小学校と、沖縄勤務時代に子供たちが通った学校の近況が分かって良かった。果たして3人の子供たちは、沖縄当時のことをどう思っているのだろう。さてこの後私は那覇空港で、思わぬ事態に遭遇する。

  空港の土産物店

 時間のあるうちに土産物を買って、キャリーバックに詰めておこう。そうすれば最終日に慌てなくて済む。日持ちの悪いお菓子は選ばず、中国から伝わった「くんぺん」(薫餅)なら現代版クッキーなので日持ちするはず。首里の菓子店が閉店しガッカリしていたが、空港で売っていたとは意外だった。喜んで代金を支払おうとし、小銭入れがないことに気づき青ざめた。

   プルメリア   

 小銭はなくしても良いが、小銭入れには家の鍵と、キャリーバッグの鍵を入れていた。これじゃ荷物の整理どころか、帰宅しても家に入れない。さあ困った。一体どこで落としたのだろう。古島での乗り換え時が一番可能性が高い。ではバスかモノレールか。とも角一旦旭橋へ戻ろう。あそこならバスターミナルにもモノレールの駅にも連絡が可能だ。そして最初に行ったのはモノレールの旭橋駅。



 駅員に事情を話すと、早速古島駅に連絡してくれた。そして私に聞く。落とし物の色とサイズ、中に何が入っているかと。答えるとそれと全く同じ遺失物が駅に届いている由。礼を言って古島駅に向かう。私の推理はこうだ。もしバスの車中で落としたなら、音がして気づいたはず。それでモノレールに懸けてみたのだ。古島駅で受け取った小銭入れは、びしょ濡れ状態。きっと駅前で急いだ時に落としたのだろう。

    那覇空港   

 空港へとんぼ返りし、土産物店へ行った。経緯を聞いて驚く店員たち。一番驚いたのは自分自身。まさか雨の駅前で落としたとは。それを拾ってわざわざ駅に届けてくれた方に感謝。まさに奇跡だ。再び旭橋駅に戻って、先刻の駅員に無事受け取った報告とお礼。そしてがっちりと握手。きっと水溜りに落ちたせいで「音」がしなかったのだ。それにしても「2日通用券」がこれほど役立つとは。ウィンク

  首里の龍潭池

 風呂に入り、その間に靴と傘を乾かした。入浴後は着替えと荷物の整理。お陰で無事バッグも開けられた。予備の鍵はバッグの中だから全く役立たず。しかし2つとも鍵が見つかって本当に良かった。小銭入れは23年前オーストラリアへ出張した際の自分用のお土産で、カンガルーの革製。その特徴が早期発見につながったのだろう。どうもありがとう。やはり沖縄では不思議な何かが起きる。

     現在の三重城   

 居酒屋「赤とんぼ」へ行ったが、まだ開店前。そこで真っ直ぐ西に向かい、「三重城」に行った。多分30年ぶりのはず。昔はもっと粗末な拝所に供え物が置かれ、それを乞食が食べていた。それほど当時の沖縄は貧しかった。今では過去の面影はどこにもない。三重城は(みーぐすく)と呼ぶが城ではなく、「見る場所」。正しくは王朝時代に船を見送る場所で、そのため聖地の拝所となった。

  かつての三重城

 ネットで探したら、古い時代の写真が見つかった。これは雰囲気が良く出ていて、船を見送る場所だったことが一目瞭然だ。ここは那覇港の先端に近い場所、王朝時代にはわざわざここまで見送りの人が来て、別れを惜しんだ。それほど当時の航海は危険性に満ち、貿易も江戸上り(えどぬぶい)も命がけ。だからこそ園比屋武御嶽で礼拝し、姉妹は経血で染めた「てぃーさじ」で兄弟の無事を祈ったのだ。

     王朝時代の進貢船    
  比較的最近の三重城

 琉球王朝時代の進貢船は中国が造って琉球に与えた。そこまでした理由は、琉球が持ち込む「硫黄」のせいだ。火薬製造に欠かせない硫黄が中国にはない。そこに琉球の進貢船による貿易の利点があったのだ。ただし当時の航海は命がけで、だからこそ乗組員たちは首里城の園比屋武御嶽(そのびやんうたき)で礼拝し、乗組員の姉妹は経血で染めたティーサジを兄弟の肩に掛けたのだ。

 進貢船は中国や東南アジア諸国との貿易のみならず、江戸幕府の将軍の代替わりや、琉球王の就任挨拶のための「江戸上り」(えどぬぶい)にも使用した。幕府にとって琉球は中国との誼(よしみ)をつなぐ手段であり、直接の支配者だった薩摩藩にとって琉球は文字通りの「金蔓」で、琉球を征服した理由の一つとなった。かくして琉球の「大航海時代」は生まれた。




 さてようやく開店時間となって「赤とんぼ」に行くと、S店長がカウンターに私のための予約席を用意してくれていた。これは嬉しい心配り。ここへ来るのはその日が最後なので、いつもとメニューを少しだけ変えた。



 ゴーヤチャンプルーは定番だが、飲み物はオリオンビールから。やはり沖縄へ来たら、一度はこのビールを飲まないとね。



 てびち(左)と豆腐よう(右)は定番。ただし赤とんぼのてびちは塩味で色は白いのだが、写真は全てネットからの借用(カメラからPCへ取り込めないため)なので、実際は他店のもの。どうもスミマセン。



 この晩は珍しい物を注文。左は「スク豆腐」と言い、堅い島豆腐にアイゴの稚魚の塩漬け(すくがらす)を載せたもの。食べたのは20年ぶりくらいか。右は島ラッキョウ。実際はもっと細くて辛みが強烈。S店長はわざわざその塩漬けも出してくれたが、それでも結構辛かった。3日連続で店に通い、すっかり親しくなったS店長。笑顔の彼も撮ったのに、ソフトの不調でまだ載せられないのが残念。ゴメンね!!



   <ソーメンチャンプルー(左)と沖縄のお守り「さんぐぁー」(右)>

 泡盛はコップ1杯だけで、ソーメンチャンプルーもハーフサイズに。連日の「取材活動」でクタクタな体を休めようとの考え。S店長は最後に、沖縄のお守り「サングァー」を手渡してくれた。見たのはこれが初めて。実際サングァーの効き目はあった。だが強烈な島ラッキョウの力が優った。深夜逆流する胃液を堪え、何度もげっぷをして凌いだ。かくして那覇の最後の夜は更けて行く。<続く>





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Last updated  2020.12.24 00:27:36
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