マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2021.03.13
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カテゴリ: 東日本大震災
~わがこころの風景~



 2011年3月11日金曜日午後2時46分過ぎ。突然家がグラグラと揺れた。相当に強い揺れでとても立ってはいられない。思わずしゃがみ込み、揺れが治まるのを待った。その時間の長いこと。これだけ揺れたのは人生で初めてのこと。自分では6分ほど揺れていたと思ったのに、実際は3分少々だった由。多分家は潰れる。でも建築したのが軽量鉄骨住宅であることが、最後の支えだった。

 揺れが治まったため、外へ出た。電線がブランコのように揺れている。地面から水が噴き出している。その日は夕方から勤務だったが、自分の判断で行くのは止めた。それで正解だったと思う。潰れてペシャンコになったビル。大量の窓ガラスが割れたビル。陥没した道路。そしてそれから数十分後、海岸では恐るべきことが起きていた。大津波だ。それも繰り返し襲い、多い所では第7波まであったと言う。

          南三陸町防災庁舎  

 マグニチュード9.0。最大震度7強。名称は何度か変わったが、最終的には「東日本大震災」に落ち着いた。最初の震源地は宮城県沖。この後は散発的に余震が起きて、10年を過ぎた今でも宮城県内では震度4程度はざらに起きる。太平洋プレートが、北米プレートとユーラシアプレートの下に潜り込む摩擦が原因で起きた大地震。これまでも数百年間隔で大地震が発生しているらしい。

 フィリピンも交えた4つのプレートが日本列島の真下で交わり合い、沈降と隆起を繰り返している。今回は震源地が徐々に南下し、日本海溝付近で東西200km幅、南北500kmに渡ってプレートが引き裂かれた由。そのために多くの活断層が影響を受けたようだ。わが家ではその日から5日間停電し、6日間給水が止まり、ガスは35日間供給停止となった。当日は雪が降る寒い日だが、当然暖房はない。風呂に入ったのは35日間で3回。近所の温泉の入浴券を1時間半も並んで買った。

  仙台市深沼海岸

 停電のためニュースが聞けず、震災の度合いが不明。この間に海岸部では大変な事態が発生していたようで、後日停電が解消してからニュースを観て愕然とした。海辺の街は壊滅状態で死者や行方不明の人が大勢出たようだ。仙台空港の飛行機が流されて行く様子に呆然。燃える気仙沼の港。仙台市内でも800名近い死者が出たようだ。思っても見なかった大災害。ところがわが家ではほとんど被害はなかった。棚などを道具で固定していたのだ。その防護策が効いて、本が少々落下した程度で済んだ。

 事故後の福島原発   

 恐ろしかったのがその翌週だ。福島原発がメルトダウンしたと言うニュースが飛び込んで来た。原発がある大熊町と双葉町の町民は放射能汚染の恐れがあるため、緊急避難した模様。ところが事故当日の風向きで、放射能汚染した市町村がほかにあったとか。宮城県最南端の町も一部汚染。私は「放射能汚染」を怖れつつ雨に濡れながら自転車で職場へ向かった。食べ物も燃料もなかった。そして冷たいままの布団。それでも命があったのだから良い方。

 この後、大勢の方が寒い避難所暮らしを強いられた。スーパーにも物がなく、ガスボンベ1本を買うのに2時間も並ぶ始末。まさに地獄の日々だった。<続く>






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Last updated  2021.03.13 00:00:10
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