マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2021.03.12
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カテゴリ: 東日本大震災
~暮らしの中のあの日~



 目が覚めると既に8時。急いで着替え、バス停へ行く。市役所県庁方面へのバスは8時31分。それだけ確認し、それまでに何が出来るかを考える。先ず布団を干す。次に朝食の準備。必要な書類をリュックに。ついでにお茶とお菓子もリュックに入れた。それから朝食。朝ドラを観てる暇はない。準備したご飯も3分の1ほどを食べて終了。急いで歯を磨き、薬を飲んだ。それからトイレとゴムの木を外に。

  仙台駅前

 急いでバス停に行くと7,8名が並んでいた。少し遅れ来たバスの前方座席に座って新聞を読む。まあかなり読めた。仙台駅前で降りて前方の高いビルへ。エレベーターで5階へ。そこが区から今年指定された申告の場所。県民税市民税の、申告の期限が迫っていた。必要な書類を整えていた。後は係の人に聞きながら書けば良いと判断。私がもらった札は6番。と言っても実質は1番だった。5人は既に済んでいた。

   仙台市地下鉄東西線   

 係の女性が書類を確認しながら画面に入力してくれたため、私はただ座っていただけ。折角計算した「医療費控除」は少額のため対象外とのこと。昨年以降に規則が変わったようだ。残念だが仕方がない。最後に提出した帳票を返してくれたが、申請書はもらって来なかった。後で確認するためもらった方が良かったかと後悔。帰路は地下鉄に乗った。終点の駅から歩いて坂道を下る。

  郊外風景

 地下鉄の駅から歩くのは久しぶり。30分ほど坂道を下る。暖かい春の日が心地よい。新しい団地での新築工事が進んでいる。裏道を通ってわが家へ。そして裏の塀の脇から畑へ下りて玄関へ。書類を整理後、食べ残した朝食を平らげ、申告会場へ持参した「くるみゆべし」も食べた。これで重荷が一つ降りた感じ。街へ出るのは正直怖かった。連日コロナ感染者が出ていたからだ。家にいたら安心なのだが。



 この日はあの「東日本大震災」発生からまる10年目。そんな日に出かけなくても良さそうなものだが、申告の締め切りが迫っていたため、私はこの日を選ばざるを得なかった。無事申告出来て良かった。それもほとんど待たず、何の障害もなく帰宅出来て良かった。2万人以上の死者と行方不明者を出した、あの未曽有の大災害。被災地に住む私たちはこのところ連日のようにテレビであの映像を見せられた。

  災害当時(右)と復興後の街並み(左)

 見なければ見ないでも済んだが、私はその特集のほとんどを観た。わが家は大した被害を受けなかったが、それでも地震保険は下りた。極力適用するよう政府から保険会社への働きかけがあったようだ。わが宮城県内は一番多くの死者が出、私の従兄弟も津波で死んだ。だから番組を観るのは県民として当然の勤めとも思う。どれだけ大変な思いをした被災者と遺族がいたことだろう。その筆舌に尽くせない苦難の日々を思う。<続く>





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Last updated  2021.03.12 00:00:10
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