マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2021.03.15
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カテゴリ: 東日本大震災
~私と茨城県~ 

         茨城県の地図   

 茨城県の旧国名は常陸国。これで「ひたちのくに」と読む。現在では電機メーカーの日立が有名だが、それもこの国名に由来する。私は研究学園都市のあるつくば市(当初は桜村など6か町村)と県庁所在地の水戸市に合わせて11年間住んだ。故郷の宮城県に次いで長く住んだ県なので、想い入れは強い。今では「つくばエキスプレス」が走り、高層ビルが建ち並ぶつくば市も元々は貧相な松が生い茂る原野だった。

  筑波山と霞ケ浦

 私が茨城県で思い出すのが筑波山と霞ケ浦だ。筑波山は関東平野に聳える秀麗な独立峰で、筑波山神社があり万葉集の和歌にも謳われた古代から神聖な山だった。霞ケ浦は利根川の下流域にある淡水湖で、私たちが筑波に移住した昭和40年頃は土浦から潮来(いたこ)まで観光船が巡航していたし、土浦市から筑波山方面には「筑波鉄道」が走っていた。

 つくば市は3人の子供たちにとっては故郷みたいなもので、彼らはそこで生まれ、そこで育った。私がランニングを始めたのもつくば勤務当時で、当初は3km走るのがやっとだった。それから43年目になり、走った距離は10万kmを超えて地球3周目に入りその後全都道府県走破も達成した。茨城県のレースは、つくばマラソン2回、勝田マラソン4回、かすみがうらマラソン2回でいずれもフルマラソン。

     特急ひたち   

 つくばマラソンの前身である「筑波研究学園都市マラソン」を3度走ったが、当時は30kmのロードレースだった。練習では主に筑波研究都市内を走り、水戸では千波湖が練習コースだったが、水戸から石岡市までの約30kmを練習で走ったのが良い思い出だ。茨城県で思い出すのが常磐線。東京へ行く時も、仙台へ帰る時も良く利用したので今でも駅の名前は良く覚えている。

  大洗港

 3.11における茨城県内の最大深度は6強で、死者は24名だったようだ。恐らくは大洗港や高萩港、北茨城港など海岸部における津波による犠牲者だったのではと推測している。そして県北の海岸部では福島原発の事故による放射能汚染の風評被害もあったのではないだろうか。北部の港では冬場のアンコウ漁が有名で、市場に吊るされていたグロテスクな姿を思い出す。

    五浦海岸六角堂   

 明治期に岡倉天心、フェノロサ、横山大観らが関係したと言う県北五浦(いずら)海岸の六角堂が、最後の職場が管理していると聞いて驚いた。直ぐ海の傍なので津波の被害がなかったが心配だ。農学部が阿見町に、工学部が日立市にあり何度か訪ねたのも良い思い出。観光では焼き物の町笠間や、鹿島神宮のある鹿嶋市、袋田の滝などへ行った。茨城県は道路が四方八方に延び、きっと古代から交通の要衝だったのだろう。そんな印象が強い。<続く>





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Last updated  2021.03.15 09:21:29
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