マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2021.03.20
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カテゴリ: 東日本大震災



  八戸市種差海岸

 あれほど激しかった「東日本大震災」なのに、東北でもほとんど被害を受けなかった県がある。青森県、山形県での死者は各2名で、秋田県では全く犠牲者がなかった。それだけ太平洋側での津波や、東京電力福島原発事故による被害が甚大だった証だろう。

  東北六魂祭   

 福島県では原発があった大熊町や双葉町の帰還困難地域、及び近隣の市町村の住民が県内外での避難生活を余儀なくされ、大変な不便さや困難に直面している。それにも関わらず、翌2012年から東北六県は持ち回りで「六魂祭」を開催して来た。それは東北六県が一致協力して乗り越えて行こうとする決意の表れだった。青森の「ねぶた」。盛岡の「さんさ踊り」。仙台の「七夕」。秋田の「竿灯祭り」。山形の「花笠まつり」。そして福島の「わらじ祭り」と壮観だ、私は福島市と小岩井牧場内で開催されたミニ版と2回観た。

  政府主催追悼式

 「東日本大震災」からまる10年を経過した今年の3月11日。政府主催の追悼式が東京で開催され、天皇陛下、皇后陛下などが列席された。今回は特に新型コロナ感染症のパンデミック中の開催のため列席者を制限し、政府主催としては今回が最後の追悼式とのこと。




 それにしても大きな地震と津波。そして10年経った今でも、まだ余震が起きると言う凄まじさ。顧みれば私はこれまで「新潟県沖地震」、「阪神淡路大震災」、「宮城県北部地震」、「東日本大震災」、「宮城県沖地震」などを体験した。小松左京の「日本沈没」ならずとも日本列島自体が災害列島なので、今後も災害に遭遇する可能性は高いが、極力冷静に臨みたいものだ。



 福島原事故で故郷を失った方を2人知っている。その避難先で「福島で放射能汚染した」と差別された子供の話も聞いた。津波に巻き込まれて、油臭い海水を飲んだ人の話。津波の犠牲者の指を切って指輪を盗み、避難所のトイレ付近に潜んで女性を襲うために他県から来た犯罪者の実話も聞いた。除染工事現場で働き、がんで死んだ後輩。可燃物にコンクリート片が1個混じっていただけで、搬送した瓦礫全体を送り返して来た九州のとある自治体。



 避難先の仮設住宅で身を寄せ合った同じ集落の人や、孤独死した人。買い物難民の住民のため、苦労して被災地にスーパーを開いた人。温泉の洗い場で隣り合った男の人は、体をブルブル振るわせていた。津波で何度も海中に沈んだ恐怖が消えないと言う。私は彼の手を強く握ったが、いかついオジサンの手はそれでもまだ震えていた。あのオジサン、あれから一体どう暮らしているか。



 あの大震災を契機に何人かのブログ友と別れた。経験が異なれば恐怖や不安の実感がないのは当然だ。それでも被災者たちの哀しみや苦しみに少しは思いを致してほしいと願う。あれから復興は進んで、被災地からほとんどの残骸が姿を消した。だが未だに帰還困難地ではイノシシなどの野生動物が横行し、除染してない地区では農業が出来ず、農産物や海産物には放射能汚染の風評被害があるのが現実だ。



 あれから10年。自宅の敷地跡で手を合わせる父子や、砂浜に書いた「魂」の字を丸く囲んだ青年の姿。震災直後から今日まで、果たして彼らはどんな生活を送って来たのだろう。妻を失った夫。夫を失った妻。親を失った子や、子を失った親。家族を全て失って一人で生きている人。彼らの大切な思い出の品や、家族の写真は見つかったのだろうか。昨夜もトレンディ風な震災物語「ペペロンチーニ」を観た。話の舞台は女川町だと風景で分かった。草なぎ剛と吉田羊主演で。とても良いドラマに仕上がっていた。



 「東日本大震災」の津波が到達した最奥部には、「津波到達地」の石碑が建設された。また海岸部の建造物には、津波が届いた高さの表示箇所が多い。平野内陸部の津波到達地点には、桜の苗木を植樹した箇所が複数あり、それを繋ぐと「津波到達範囲」が分かる。大地震と大津波の記憶が風化しないよう次代に受け継がれて行く古い時代からの「記念物」が東北には多く、子孫に対する強い警告となっている。



        <雪の蔵王連峰と白石川河畔の「一目千本桜」>

 私は奥羽山脈を越えて山形県まで練習で走ったことが何度かあった。仙台の自宅から関山トンネル経由天童市まで(56km)、二口峠経由山形市山寺まで(53km)3回、笹谷峠経由JR山形駅まで(55km)、JR白石駅~金山峠経由山形県上山市(55km)、蔵王エコーライン経由山形市蔵王温泉まで(77km=累積高低差は3千m以上)。自宅~国見峠経由JR福島駅(80km)は最長だった。

   唐桑半島折石の奇岩

 宮城県内のレースで出場したのは蔵王高原(20km)、仙台国際ハーフ、あぶくまリバーサイドマラソン(ハーフ)2回。東北ブロック新春マラソン(ハーフ)。少ない理由は私がウルトラマラソン志向で練習でも20~30kmは走れためレース代金がもったいため。また転勤と異動で故郷にいなかったためでもあった。老化でもう長く走るのは無理だが、全都道府県を走破したのが良い思い出だ。



 東日本大震災の翌年、わが家は都市ガスを廃止してソーラー発電と「オール電化」に変更した。震災で都市ガスが35日間もストップしたための防衛策だ。ただし売電価格は来年から一気に下落するが、十分「元」は取ったはず。また女房が家を出て独り暮らしになったのが、大いなる変化。去る者は追わず。これからも老体を騙し騙ししながら、出来るだけ元気で長生きしたいものだ。

 震災と言う重たいテーマに最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。心からの御礼と読者諸氏のご健勝を祈念して結びとします。<完>






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Last updated  2021.03.20 09:39:56
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