マックス爺のエッセイ風日記

マックス爺のエッセイ風日記

2021.04.13
XML
カテゴリ: 人生論
~凄い男がいたもんだ♬~

  故植村直巳氏

 世の中にはまったく凄い男たちがいたもんだ。トップバッターは、冒険家で登山家の植村直巳氏(1941-1984)。身長162cm、体重60kgの小柄な男が凄いことをやってのけたのだ。彼は兵庫県出身で明治大学農学部卒。明大に農学部なんてあったんだねえ。昭和45年(1970)。彼は日本人として初めて世界最高峰のエベレスト登頂に成功。それは同時に世界初の五大陸最高峰制覇達成でもあった。

  北極点に立つ

 1978年。彼は犬ぞりでの北極点単独到達に成功する。これも単独行では世界で最初の偉業だった。それらのことから彼は「国民栄誉賞」を受賞し、「バラ―ン・スポーツ賞」をも受賞した。しかし彼の挑戦はそれでは終わらなかった最も困難と言われた冬季のマッキンレーへの単独登頂に挑んだのだ。周囲からは危険だから止めたらと忠告されていた。この山は天候が変わりやすく、冬季は特に危険だ。

  デナリ
    植村氏の雄姿   

 登頂には成功したようだ。だが下山途中に彼は行方不明となり、確か今も遺体は見つかってないはず。彼が命を懸けたマッキンレーはその後現地語の「デナリ」と呼ばれている。婚約者がいたと記憶してるが、どうやら結婚はしなかったようだ。恐らくは危険に挑戦し続ける冒険者として、家族に迷惑を掛けたくなったのだと思う。

   植村直巳の記念切手

 彼の偉業を讃えて、デンマーク政府が自国領であるグリーンランドで発行した記念切手。小柄な東洋人が、誰もなし得なかったことに挑戦し、見事に実現した。だが、その代償はあまりにも大きかった。

    関野吉晴氏   

 関野吉晴氏(1949-)は東京都生まれの冒険家、医師(外科医)、文化人類学者(武蔵野美術大学教授)。この人の経歴はまさに異端。一橋大学法学部に入学し、直ぐに探検部を創設。7年間かかって卒業する間に、早稲田大学探検部にも所属し、探検のために必要な文化人類学を学び、現地人の治療に役立ちたいと横浜市大医学部に入学・卒業し医師免許を取得。

  アマゾン川

 1981年アマゾン川源流のペルーで、インカ文明の遺跡を発見。きっかけは確か人工衛星から撮ったアマゾンの写真にインカの遺跡が微かに写っていたことだったはず。その後、アマゾンの源流から河口までを舟で下る一大冒険を決行。それに触発されて、さらにスケールの大きな冒険に挑戦する。




 それは人類が辿った道を実際に辿る壮大な計画で、南米大陸最先端のパタゴニア地方から「反時計回り」に人類発祥の地であるアフリカを目指すもの。1993年から約10年間を要する「グレートジャーニー」で、フジテレビで撮影、編集、放送されたビッグプロジェクトだった。私が特に印象深く感じたのは、シベリア原野での蚊やブヨなどの大襲撃。人類の旅の困難さを思った。

  関野氏の縄文号

 歩けない地域の第一はベーリング海峡。ここは船を使った。と言っても写真のようにとても始末な造りだ。バイカル湖やビクトリア湖ではカヌーを使ったかも知れない。冒険家で、かつ外科医の関野氏の10年にわたる旅は、文化人類学者の彼にとっては貴重なフィールド調査だったことだろう。彼は今、武蔵野美術大学の名誉教授を務めている。



 3人目は寛平ちゃん。「アヘアヘ」や「血い吸うたろか」のギャグで有名なお笑い芸人。吉本新喜劇の大スターがランナーであることを知ってる人は多いと思う。だが、その実力を知る人は少ないだろう。「フルマラソン完走したら給料倍にする」。社長のそんな冗談で始まったマラソン挑戦が、彼の闘志に火をつけた。高知県出身で高卒、生家はとても貧乏だったようだ。若くして大阪に出てからも苦労の連続。

  走る寛平ちゃん

 それに心臓もさほど強くはなかった由。だが実家の祖母ちゃんが長命で、それなら自分もと練習を積み、直ぐに市民ランナーのレベルを超えた。ベストタイムは1998年、49歳の時に出した3時間8分42秒。2008年水と食料14kgを背負って走る「サハラマラソン」245kmを51時間で完走。「24時間TV」では神戸ー東京間600kmを7日間で完走した。

  スパルタスロン   

 ギリシャの「スパルタスロン」を3回完走。距離は246kmだが途中に標高1700m余りのサンガス山があり、夜は盗賊も出る場所。そして日中は30度を超える猛暑で、参加資格も厳しい。私が寛平ちゃんと一緒に走ったのは、大阪の「泉州国際マラソン」(フル)で制限は4時間。直前に膝を傷めていた私は苦戦したが、彼は例のギャグを飛ばしながら、あっと言う間に追い抜いて行った。良い思い出だ。




 そして圧巻だったのが2008年12月17日にスタートした「アースマラソン」。陸地は全て自分の足で走り、海はヨットで渡る。寛平ちゃんヨットは素人で同乗者はいるが、交代で彼も操縦し、見張りもして頑張った。その様子は連日ネットで中継され、私も興奮しながら応援したものだ。その寛平ちゃん。無理が祟ったのか、膀胱がんを発症し、確かアメリカ西海岸で入院手術したはずだ。



  応援に応える寛平ちゃん(左)と、彼が辿ったルート(右)



 人も船も長い旅路でガタガタになり、船はアメリカ大陸横断中に一旦日本に運んで修繕し、アメリカ東海岸からの大西洋横断の際は再びこれで渡った。2年ちょっとを要したが、寛平ちゃんはこの間の仕事を全てキャンセルして臨んだ大事業だった。とも角走って地球一周は人類初の快挙。右は「大阪杯贈呈式」で表彰された寛平ちゃん。さすがにいつもとは様子が違いますね。アヘアヘ。



 さて、最後の登場者が辛坊治郎さん。アナウンサーやニュースキャスターとして著名な辛坊さん。前回は全盲のヨットマンと組んで(左)太平洋横断に挑戦したのですが、三陸沖300kmほどでクジラと衝突して艇が破損し、緊急信号を発信して救助を求め、自衛隊の救難艇に救助されたことがありましたね。あれから何年経ったでしょうか。



 今回は艇を新たに建造して再挑戦するみたいですよ。60代半ば(65歳)のオッサンが、ヨットで太平洋を横断しようするとは良い度胸してますね。しかも今回も同乗者は全盲のヨットマン。2人3脚で協力し、今回は見事成功して欲しいですね。その果敢なチャレンジ精神に大きな拍手を送ります。左上の写真のテロップにだと、先週の金曜日に既に出航した模様。旅の無事と成功を祈ってますよ~!!





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2021.04.13 07:20:16
コメント(2) | コメントを書く
[人生論] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR


© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: