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愚痴を言ったり作った物を見せびらかすための自分のことしか考えてないblogです。カテゴリーの分類もいい加減になっていることに昨日気づきました訪問してくださる方々に深くお詫びしときますだ。答えの出ない誰にも言えない不満や不安なことを書くと気持ちはかなり楽になります。愚痴って友に話して下手なアドバイス貰ったりすると余計腹が立つ場合もあるし、特に家族のことは知り合いには話すべきじゃないと思うのです。そんな訳で、今日は理解不能な息子の行動について愚痴らせていただきます。m(_ _)m「期待させて悪かったけど、やっぱり就職は無かったことになった。」と言われました。フム・・・そんなことになるのではと思っていたが・・・・・良い年ぶっこいたバイト野郎は有り難い就職のお誘いを断ってしまいましたお誘いがあったのは息子含め2人だったのですが、もう1人の方が不採用になりました。誘っておいて不採用って意味が分からないデバッカーとして担当するタイトルを社に来て仲間として全て見て欲しいと言われてました。ほぼ息子一人でやっていて、イベントなどで忙しい時の助っ人がもう1人の方でした。半年間は情報漏れをふせぐため同業種に就いてはいけないとバイト先との契約があるので、派遣社員として行くって話だったのが、面接してからと言われ結果不採用だそうです。面接して決めるのなら初めから入りたい会社の試験受ける方が良いと言う息子 モットモダでも・・・まだ息子は断られた訳じゃない・・・面接受けるだけでも良いじゃないか・・・先方は派遣じゃなく本採用を考えて面接したいのかもしれない。カモシレナイカモシレナイ欲しいのは息子だけなのかもしれない・・・そうに違いないと思えるのは親バカだから親としては、早いとこバイトなんか辞めて面接でもなんでも受けて欲しい、しかも息子は就活の面接は嫌いじゃないし、良い経験になったと以前に話ていたから、不採用になった同僚のことなんて気にしないで受ければ良いと思う、そいつに問題があったのかもしれないし・・・でも・・・もう行かないと決めてしまった息子は何歳までバイトを続けるつもりなのか・・・・私世代が考える幸せと息子世代の幸せは違うようです。四捨五入で還暦になる私の今の生活は、昔の私と旦那の答えであって、昔もっと頑張ってればもっと良い答えがあっただろうけど、まあこんなもんかと思ってます。息子は答えが出る頃にどんな生活をしているのか・・・子供は親より賢く強く優しくなるのが理想なのだから、子供に蓄えを残すのは間違いだと思う、でもお金があれば嫌な仕事を我慢しなくても良いのになんてことも思ってしまう。宝くじに当たりたいな。一等があたったら家族全員ダメ人間になる気がするけど
2017.01.31
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毎日最低3時間は仕事だと思って縫い物しています。 テッシュカバーが山になっとるのです その一部 以外とかさばる これはバッグの底板を入れて閉じる前の物達です。出てる糸はプッチンしないで結んで隠します。 乙女やんな物から婆チックな物まで色々 以前に買いすぎて後悔したカーテン端切れ一生分が またまた大活躍でなかなか良い味出してくれました ほぼ使い切ったけど、まだまだ予定数に足りません和柄はタグを選ぶのが難しいことに気づきました。殆どのタグが英字なのでシックリきません。皮タグも合わないし、レースやリボンも合わない。オリジナルタグ注文しちゃうかと思ったけど、検索で出た店はどこも注文は100枚単位これを作ることをライフワークにするなんてことは微塵も考えてないので100枚も要らねー綿テープに手書きで平仮名一文字(あ)とか(み)とか書くだけでも可愛いかもと考え中です。 試作をかさね使用感を確かめた結果。 マチ付き底板入りでポケットは2つあれば十分ってことになりました。 開けやすい様に蓋は少し短めにしてます。 すでに身近なとこで何個か売れていて喜ばれているので、 そこそこ売れるのではないかと・・・トラヌタヌキノカワザンヨー しかーし・・・これ以上同じ物作ると吐きそう
2017.01.30
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先週は(暫くは実家に行くことは無い)と書いてましたが、あれからまた呼ばれて行きました先週はベットの横の壁に断熱材を貼って、余ったおまけの薄い発泡スチロールで上の方の空いた部分をふさいできたのだけれど、その上の薄いのが浮いてきて気になると電話がきましたベットの横だけで十分だと思ったけど、余ったから取り合えず上も塞いでおいたわけで、気になるなら剥がしちまえ・・・と思ったけども・・・がっちりべったり貼り付けてきました。片道2時間もかかるとこ日帰りは嫌なので泊まり、泊まったのでついでに物置の整理もしてきました。いつか使うつもりだと言う10年経っても使うことは無いと思える物がごっそり丈夫だから取っておいたビニール袋とか・・・キッチンに貼るつもりのシートとか・・・使っているゴミ箱とサイズの合わないゴミ袋箱に入ったままのミキサー数年前に買い置きしてそのまま忘れたらしきテッシュとトイレットペーパーゴミはゴミ使える物は取り出しやすく、貰える物は貰って物置スッキリ隙間出来たのでキッチンで邪魔になってたラックを収めてそれも整理してきました。ゴミの山ができたけど、母は広くなって使いやすくなったと喜んでました。カタズイタネー数年経てばまたゴチャゴチャになると思うけどね私は長年、休みの取りにくい仕事をしていたから、すぐ駆けつけることはできなかったのが、リタイアしたことで、いつでも来てもらえると思わせてしまったようです。だから・・・注文が沢山きすぎて忙しいとプチ嘘ついときましたシバラクコレナイヨ「流石だね」と母に言われました。ウン・・・まあね・・・
2017.01.26
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実家の壁の断熱材貼り作業は無事終わりました。初めての壁紙貼りでしたが想像していたよりずっと簡単に出来て、ぱっと見は本物の壁ですひんやりしてた北側の壁が、触っても冷たさを感じなくなって室温が上がりました。このボードを4枚買って、一枚だけ縦割りにしてもらいました。【節電】 発泡スチロール ボード 板 1820×910×30 【断熱材】商品に傷がつかないためなのか、同じサイズの薄いボードで挟んで送られてきて、おまけ貰ったと思って残さず使いました。サッシの下や風呂とトイレの冷気が吹き込む冷たい窓を塞ぐ物も簡単に外せる様に作って、あちこち塞いできたので、かなり暖かくなったはずですしっかりと厚みがあり貼ってしまえば発泡スチロールの境目も分からなくなりました。のり付きだから簡単に貼れて、そばで見ていた母が「器用だね~。」と何度も言ってましたが、多分誰でも簡単に貼れる代物ではないかと思えますやっと実家のゴタゴタが片付いて暫くは行かなくても大丈夫そうです。母の怒りも静まってました・・・つーか愚痴電話かけてきたことも忘れてましたこれからは仕事だと思ってせっせと縫い物をしなきゃいけない・・とは考えてます。それに最近作る物が思った通りに形になってくれることが多くて、少し調子に乗ってる私です調子に乗ってるので後回しになってた物をさっさと縫ってしまいました。 微妙な色違いの買い物袋ホルダー 入口は形状記憶ワイヤーが入っていて、 底の口はゴムですぼめてあります。 皮で飾ってみました タグ付けるより面白く仕上がったずっと後回しにしていた友の注文でした。(お待たせ)ってメールしたらすぐに来て「今回は払う」と千円出し。「要らないのは今度取りに来るから、使えそうなの取って。」と置いてってくれました。 大量の毛糸 レース糸あるどツボな色の糸もある 仕事で知り合った毛糸虫のご老人が、在庫大放出中だそうで、その一部だとか。本もいっぱいあったけどあまりにも昭和だから貰わなかったそうな ショーワソダチガショーワヲイヤガルカ今日は時間が無いから今度ネタ持って来ると言い残して帰って行きました。ネタってなんだろう
2017.01.17
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爺神は無事退院しました姪に荷物持ちを頼んだら喜んで引き受けてくれて、爺と婆を病院から連れ帰ってくれました。帰宅してすぐに母から喜びの電話あり、元気いっぱいの様子で安心したのですが、夜になっていつもの愚痴電話かかってきました私しか愚痴る相手がいないから、言えばスッキリするのでしょうがこっちはすごいストレス爺神は帰宅するなりゲーム三昧でホットカーペットで寝てしまいベットに行けと言っても唸るだけで起きようとしないのだと。「じゃあ隣に布団ひいてやれば転がるだけで布団に入れるから風邪引く心配もないでしょ。」「腰が痛いから布団引くの辛い」そして、まったくお父さんはあーでこーでと愚痴が続く「あんたからきつく言ってやってよ」父は私の言うことしか聞かない、でも分かったと返事をするだけで反省はしないし行動を改めることもしない、返事をするだけ他の人の苦言には返事もしない。私はそれで良いと思っている。もうすぐ90になる何時死んでもおかしくない爺はなにも我慢などしなくて良い。同じ様に母もイライラせずに放っておけば良いと思う。でもこんな考え方をするのは冷たい性格だからかもしれない普通なら心配するとこかも取り合えずホットカーペットは弱にして毛布でもかけてやれと言うと「それで大丈夫かね」心配なら布団ひいてやれと思うが口には出さず。「抗生物質が効いてるから風邪はひかないでしょ。」と適当なこと言っとく今日は娘と様子を見に行くことになっていたけれど、大変だから来なくて良いと言う母。孫が心配して何度も来てくれたのに、爺が健康になろうとしないことに腹が立って仕方無い様子。来なくて良いと言うなら行かないが、孫は我儘爺が面白くて好きだから会いに行くだけで、心配だから何かしてあげようとして行くのではない、だから、爺が我儘だから来なくて良いって考えは大間違い。でも言っても分からないと思うので言わない。母は仕事は真面目だったし人にも優しい、友達も多くて母を悪く言う人は居ない。真っ直ぐな性格で冗談は一切通じず、思い込み強すぎてネガティブな考えに囚われやすいレシピ通りで工夫は飽きれるほど出来ない。父は不真面目で遊びが優先、他人とは距離をおくので親友が1人いるだけ絶望的な状況でもポジティブで、医者の注意も聞かない、レシピは読まない。何故60年近くも連れ添うことが出来たのか不思議な2人これまでも父は何度も入院している、危篤状態になったことも2回ある。母はその度に心配のあまり自分まで体調が悪くなり、酷い時は精神状態までおかしくなり、看病どころか家事も出来なくなってしまう。2人共に体調が戻る頃には爺神の怒りが爆発酷い夫婦喧嘩別れる切れるの大騒ぎを何ども繰り返してる母に言わせれば、私がこれほど心配して祈っていたのに優しさと感謝が足りない。父は、おまえが頼りにならず何も出来ないから俺ばかりが苦労する。どっちも間違っちゃいないしどっちも怒るのも無理は無い子供の頃からバカ夫婦だと思ってた。でもどっちが悪いって訳ではない。反面教師になって、私はそこそこ良いとこ取りしたと思ってる冷血漢になった気もするけどね。角部屋で壁が冷たいので断熱材(発泡スチロール板)を買って、土日に息子と貼りに行きます。両面テープで貼り付けて上から壁紙を貼る予定。今回の材料費は交通費も含め請求するつもり施工費も貰おうかな。感謝の気持ちは金額で表して貰う方が愚痴電話が減りそうな気がする。
2017.01.11
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従姉の話は何度か書いてますが、従姉の結婚が決まった時は私は中学生で、式場でのドレス選びなどに連れて行ってくれて、結婚って楽しそうだと思わせてくれました。私は絶対式に呼ぶと言ってくれましたが、親戚が多すぎて相手方との人数が合わず、まだ幼い従弟2人と本家で留守番しました。広い家の中を3人でドタバタ走り回って腹いせにあちこち開けて食べ物を探し、お菓子を全部開けてやりました。従弟達と大笑い式が終わり皆が帰ってくると、当たり前ですが姉は居らず、凹んだのを覚えてます姉に息子が出来ると遠方にいましたが新幹線で会いに行き、1週間居座って毎日遊びに連れて行ってもらってました。目に入れても痛くないとはこれのことかと思うほど赤ちゃんが可愛くて2人目の出産で姉が帰ってくると、仕事サボって毎日会いに行き、産後も暫く本家にいたので、その間に2才になったボクチンと遊びまくりました。私の名前をはっきり発音できず、特撮ヒーローの怪人みたいな名で呼ぶのが可愛くて当時の私の一番大切な大事な子でした。このオジちゃんと結婚するよと旦那の写真見せたら「こんなヤチュちらない」とすごく怒ったのがまた超可愛かった私にも息子が産まれて見せに行くと、ヤキモチなのか遠くでつまらなそうに見ていてその様子がまた可愛かった子供達はどんどん大きくなり、正月も旦那の実家を優先するので会う機会は減り先日の告別式で会ったのは15年ぶりぐらい、37才になってましたなのにまだ私を怪人名で呼ぶもんだから、愛しさがこみ上げてハグ ボクチ~ン「やっぱりこうするんだ」と笑いながらハグ姉の子供達も仕事が一番の行かず貰わずと聞いていたけれど、最近になって全く興味が無かった結婚を真面目に考える様になったとか「やっぱり葬式とか出ると孫がいた方が良いと思うんだ、親が寂しいだろうなって・・・。」娘をヨロシクもう30ですけど ボクチン爆笑
2017.01.09
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伯父の告別式は親族が久しぶり集まって和やかでした。7人兄弟だった爺神も残る兄弟は2人だけ、子供世代は皆家族をもって、孫世代も殆どが成人すると、寂しいことだけど集まるのは葬式ぐらいです子供の頃は盆暮れになると、本家に皆集まっってスゴイ騒ぎでした。小姑鬼千匹の本家の伯母は30人は居た親族の食事を朝昼晩と義妹を従えて作ってました。伯父達は奥の部屋で酒飲んで騒ぐだけ、それで良しとされた時代今になって皆が口を揃えて言う事は伯母ちゃんは偉かった伯父も伯母のところへ逝きました。 来んなって言われてるかも私は通夜でも告別式でも(正月から嫌だな)と不貞腐れ気分になってしまって、(四十九日は1人で行けば1万ですむけど、家族揃っていたらそれなりに包まなきゃな)なんて不謹慎にもお金のことを考えたりして、少しも悲しいと思えなかったのが、出棺ですと言われ棺桶の蓋を閉じられる時に、一瞬頭が空っぽになり途端に声出して泣いてしまいました 火葬されると消えてしまう様で嫌でした。泣きながらマスカラが落ちてパンダになると思ったけど涙が止まらなかった。ウツクシクナイタツモリしかし、遠縁の一才児が心配そうに私を見上げているのに気付いたらピタっと涙は止まり、すぐ笑顔になれました。葬式に子供が居るとほっとする、命が繋がっていくと思えます。私が伯父にしてもらったことを忘れないのと同じ様に、私が遊んであげたことを忘れないでいてくれる従弟妹達がいて、その子供達も親と同じ様に私をお姉ちゃんと呼んだりする コッパズカシイガ・・・葬式なのにホンワカした温かさを感じられるのは繋がりがあってこそでしょう。告別式の後は仕事終わりの娘と待ち合わせして爺神の様子を見に行きました。久しぶりに会った親戚の様子など話し、良いお葬式だったと告げると爺神は笑顔で聞いてました。母は疲れからか風邪をひいてしまい、感染ると大変なので、早く退院したければ7日、でも10日までいる方が安心と言ってくれた担当医に10日までお願いしてきました。爺神は退屈で早く帰りたいから不機嫌になってしまい「俺が1人で手続きして帰る、金だけ預かってきてくれ」娘「着替え無いよ、パジャマはレンタルだからパンツで外出たら捕まるぞ。救急車の次はパトカーのお世話になっちゃうぞ。変態爺」爺神爆笑して機嫌直るその後は、病院と実家を行き来しながら、寒すぎる父の部屋のカーテンを厚手の物に掛け替えたり、片付けの出来ない母に苛つきながらキッチンや冷蔵庫の整理をして過ごし、どうすればもっと快適になるか、退院後に寒い思いをしなくてすむかあーすればこ~すればと悩んで、百均うろうろしてる内にあっという間に3日経ち昨夜帰って来ました。退院したらまた世話をしに行くことになっています。やっぱりホビーショーの出店は無理っぽい
2017.01.08
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皆様あけおめで御座います。m(_ _)m新年を迎え明るい話題で始めたいとこですが、凹みまくる散々な年末年始になりました。まず27日に母から電話あり、爺神が軽い肺炎で入院したと告げられました病院は休みになってしまうから家にいて悪化すると手遅れになる恐れがあるので、入院した方が安心だろうってことでした。しかし老衰で死んでもおかしくない歳なので、入院してるから安心とも言えず、母の声は不安でいっぱいのようでした。明後日そっちに行くと言うと声がぱっと明るくなり「良かった」次の28日は留守番する旦那と息子のために買い物に行ってから、弟家の3女と約束したバッグを縫いました。これがまた会心の出来だったけど写メは忘れる4女と約束した縫いぐるみの洋服も作ろうとしたとこに・・・今度は父方本家の伯父が入院したと連絡来て一瞬爺2人の合同葬の絵が浮かぶ二度目の心筋梗塞やばいやつです。土産作る精神状態じゃなくなり4女の土産は無し ゴメン29日は面会時間すぐに皆で伯父を御見舞に行きました。「パパ」と呼ぶと唸るような返事をしてくれて、意識は有る様子だけど息は絶え絶え私は本家の伯父をパパと呼んで父はお父さんと呼んでました。従兄は昨日入院した時はもっとしっかりしていたと言い、看護師さんを呼んでどんな状態なのか聞こうとするが、忙しいのかすぐには来ないこっちは不安で狼狽えるけど、看護師さん達は淡々と仕事をしていて、心配無い状態だからそうなのか、それともこいつらに慈愛の精神が無いからなのか分からない。側でうろうろしていても役には立たないし病人も疲れるだけなので、また来ると声をかけ病院を出て、私はそのまま電車に2時間揺られ爺神の見舞いに行きました。小声でしか話せなくなっていましたが、顔色も機嫌も良く想像していたよりずっと元気でした。伯父さんがまた心筋梗塞だと言うとショックを受けたようだけど、息子と娘が大晦日から会いに来るからと言うと笑顔になりました。病院はすごく綺麗で病室も快適「良い正月が迎えられそうじゃん。」爺神かすれ声で笑うその夜、従姉から伯父の訃報が伝えられ暫く放心・・・・・涙が出ないのが不思議。母「お父さんにも何かあったらどうしよう」その言葉にイラっとしてしまう大丈夫だと言って欲しいだけなのだろうから「大丈夫。」と言っておく。三十日は母と弟夫婦と3女も一緒に御見舞に行き訃報を伝えました。母がショックを受けないように伯父はしっかりしてたと嘘を言っていたので、大声は出ないが切れる爺神でも3女が居てくれたおかげですぐに落ち着きました。従兄に聞いた通りの経緯を伝えて、告別式は何時になるかまだ連絡は無いと話すと「お前は大丈夫か?」と聞かれ「大丈夫じゃないよ正月に爺2人の葬式はヤだよ。」と私爺神は笑い過ぎてむせる笑い死にするとこだった大晦日は母と弟と3人で見舞いに行き、4日通夜で5日告別式と聞いて、病院のディールームで斎場の場所を確認したり花を頼んだりあーだこーだ話し合い。その後息子達と入れ替わりで私は帰宅家に入った途端に疲れが出て頭ズキズキ 年越し蕎麦食う元気も無くすぐ就寝元旦は遊びに来れたら電話すると言ってたママ達からは連絡は無く ラッキー 寝正月娘からナマコのさばき方はこれであってるか見てくれとムービーチャット送らてきて、聞いてるそばから刻んで食べてる娘 「切る前に多めの塩をかけて軽く転がすんだよ。」娘「ヌメッとしてるけど美味しいよ」ムービー撮りながら爆笑してる息子の声がする大好きな爺が入院しても2人はいつもと同じ、この子達のためにしっかりしなくてはなんて、もう考えなくても良い歳になっている。私が泣き崩れたらきっと息子が支えてくれて、娘が力の付く物を作ってくれる順番通りに逝くことは幸せなことでもある、長生きしてくれた伯父に感謝頑張ってくれてる爺神にも感謝そんな思いで気持ちの切り替えが出来たつもりでいたら、連絡先の分からない従弟に電話しといてと頼まれて、誕生日が2週間違うだけの大親友でもある従弟に電話する「正月から・・・ゴメン」すぐに訃報だと悟った様子で「何があった」と沈んだ声で聞かれ、状況を説明。「大丈夫か?」と聞かれ「少し落ちてるな」と返事「俺も去年死にかけたんだ。」心不全で意識無くなりその後多臓器不全にもなって医者も諦めた状態から何故か復活したんだそうな今では薬が効いて元通りだとか。勘弁してくれよそれは順番が違うよ、それはキツすぎるよ・・・ヤバイよ嫁が泣いて泣いて大変だったそうで、嫁の願いが通じたのかも。まだ若い嫁と小学生の子供が居ることがパワーになったのでしょう・・・だとしたら2週間早く産まれた私の方が先に逝くよ。それが道理だよ私ってばまだ歳より若くて綺麗だから死ぬのは勿体無い、だからお前も生きろ。爺達と同じぐらいボロクソになるまで生きてもっと私と遊ぶのだ・・・・告別式に出たら、また実家に行き爺神が退院してから困らないように片付けてきます。まだ正月番組で笑う余裕がありますが、ジワジワと寂しさが深まってくる気がします。
2017.01.03
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