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世界的なピアニスト「中村紘子」さんのインタビュー番組を見ました。
録画しておいたのを期待してみたのですが、イマイチでした。
インタビュアーが雑誌の編集長代理だったのですが、もう少し、質問の仕方、編集の仕方があったと思うのですが、僕が知りたかったことを聞いてくれなくてガッカリでした。音楽に興味のない人が見ても楽しめる内容にしたいと言っていましたが、いかにもマスメディアの考えそうなことですね。もうそんな時代じゃないのになあ。
でも、収穫もありました。
3歳からピアノを始めて、日本の音楽教育を受けてきた彼女は、「早く正確に弾く技術」を叩き込まれたそうです。で、史上最年少の15歳で日本音楽コンクールで優勝。ところが、18歳でアメリカに留学したら、全て否定されてしまったとか。
その当時(戦後まもなくの時代)、日本人の音楽家は「きちんと弾くが個性に乏しい」「まるで機械」と評されたそうです。音楽にとって大切なのは、「その作品を通じて、自分が何を聞き手に伝えたいかであり、技術はそれをするためのものにすぎない」というのが海外の考え方で、彼女は3年間の努力の末、ショパン国際ピアノコンクールで4位入賞という結果を残したんだとか。
さて、前に題名のない音楽会という番組で「三味線」を取り上げていました。
三味線を団体演奏する上で、やってはいけないことは「体を動かしてリズムをとること」「笑うこと」「演奏者同士が顔を見合わせること」だそうです。これは西洋的な音楽の表現方法とは間逆のようなものです。
僕はこれが文化の違いなのだと思います。カップルが公衆の面前でキスできる西洋と、人前で一緒に歩くことすら憚られた日本とでは、表現方法も当然違うはずです。
技術を身につけた彼女は史上最年少で日本のコンクールに優勝しました。これは、日本の芸術に対する評価が「正確に弾く」ことこそが、日本的な表現方法だったから最高の評価を受けたのでしょう。とすれば、彼女が世界を目指さず、日本のトップでいることに満足すれば、そのままでよかったはずです。現に、今でも「正確に弾く」ことこそが目的という人はたくさんいます。これは日本にあったやり方かもしれません。
ただし、時代は変わりました。今や日本人でも、地下鉄の中でイチャつくカップルは珍しくありません。昔、憲法を学んだときに、ポルノ規制と表現の自由との関係を考えるとき、国民性とか実情を勘案すべきであり、外国では規制していないのだから日本でも規制すべきでないという考え方は成り立たないという見解がありました。その学者は「もし、将来、日本でも公衆の面前でカップルがキスするようになれば、わいせつの概念も変わるだろう」といっていたのを思い出しました。
となると、「早く正確に弾く」というのは、日本でも評価されなくなるのでしょうか。僕は単純にそうとはいえないと思います。国民性がそう簡単に変わることはないと思うからです。現に、現在の日本の音楽は正確この上ないコンピューター的な音楽が溢れています。機械的な歌声(ボーカロイド)なるものも流行っています。僕のスタジオの利用者も、いまだにメトロノームを使って練習し、録音し、ライブにまで使っているとか。
日本においては、先ほど三味線のところで書いたとおり、感情を抑え、淡々とした演奏をすることで感情を込めるという演奏をしたほうがウケるのかもしれませんね。
他方、世界で活躍し、日本でも評価の高い演奏家は、ほとんどが感情豊かな表現力のある演奏をしています。ジャズの新星といわれた上原ひろみさんなどは、そこまで顔を崩したり、感極まったような表情をして恥ずかしくないのかと思いますが、見ている側には、やっぱり感情が伝わるし、何度でも見たいと思わせます。
音楽の楽しみ方は多種多様で、三味線型の演奏を好む人もいれば、西洋風の表情豊かな演奏を好む人もいるのでしょう。今まで、僕は西洋的な演奏を目指すべきと書いてきましたが、考えを改めます。自分のやりたい方法でやるのが一番だと思います。性格に合わない方法や不得手な方法で苦しむより、まずは、楽しく音楽することですからね。
さて、現在、貸しスタジオ中です。いつも、貸しスタジオ中にラウンジに待機しているときは、こうして日記をアップするようにしています。待機時間が長いので、文章も長くなります。ここに書いていることも思いついたままなのでまとまりがありません。いずれ、これらをまとめて、フリーページにアップしようと思います。