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ようやくスタジオが終わりました。
母屋に戻って、スタジオで書いた日記を読み直したら、ちょっと誤解を招きそうなので補足しておきます。
僕は体罰を肯定していますが暴力は否定しています。
殴り合いの喧嘩をしたのは、多分、小学生の頃までです。
中学生の頃は体格もよくなって、部活のせいか体も引き締まっていて、なおかつ、その当時、空手や拳法の漫画や映画が流行って、僕も本を買って勉強したり、習っている同級生から教わったりしました。
そのせいか、血の気の多い連中も僕に手を出すのは怖いといって避けられていたので殴り合いの喧嘩というのはしませんでした。
その後は全く穏やかな人生を送ってきているので人に手を上げたことは一度もありません。
先ほどの日記に体罰肯定と書いたのは、もし、僕が教師をしていたらということです。
僕が教師にならなかったのは、その当時から、もう体罰は禁止されていたからです。
僕が教育実習をしたのは都会の中学校でした。今から30年前ですが、もう荒れていました。
子供同士の喧嘩やいじめもひどくて、僕は加害者である生徒に対する怒りを隠せませんでした。
もちろん、体罰はできないのですが、すごくひどい言葉で注意をしました。それでもいうことを聞いてはくれませんでしたが、その後、自分の言葉に対する自己嫌悪におそわれました。もし、体罰などしたら、もっとひどい自己嫌悪を感じたことでしょう。
昔は愛の鞭などといいましたが、愛がなければ、本当にその子のことを思わなければ手など上げられません。でも、もし教師になっていたら自分の職業を失わないため、やっぱり無視するような教師になっていたでしょう。それはそれでいやな人生だと思います。ならなくてよかったです。
僕はならなくてよかったといっていればすみますが、現役の教師はそういうわけにいきません。日々問題のある生徒を指導する立場にあるわけですからね。だから、その教師たちに指導するためのツールとしての体罰を認めてあげてほしいと思うのです。
そのためには体罰を認めるための要件をしっかり定め、サッカーのように教師にイエローカードをもたせたらどうでしょう。そして、レッドカードが体罰。それは他の生徒がみている場所で、規定どおりの体罰にとどめておく。僕は子供に対する体罰は結構効果的だと思っています。少なくとも僕には効果的でした。子供の頃は先生のいうことを聞かなくて、よく拳骨をもらったり、ビンタされたりしましたが、さすがにそこまでされるということを聞いていましたからね。今にして思えば、その先生は僕に対して本気で指導してくれていたんだと思います。すごいですね。多分、僕が教師になっても真似できないんじゃないかな。
以上、体罰についてはこのくらいにしておこうと思います。何しろ、社会は体罰禁止の風潮ですからね。僕ももちろんそれに従います。信条は変えないとしてもね。