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先日の日記でチラッと書きましたが、意味のわからない人がいるかも知れないので、これについて書いておきます。
もともと、これは小澤征爾さんがカラヤンから指導を受けているときに言われたことです。
小澤征爾さんは、斉藤秀雄さんから室内楽や交響曲の指揮の方法について指導を受け、国際指揮者コンクールで優勝してプロの指揮者になるキッカケを掴みました。その後も色々なコンクールやオーディションに合格して世界的な指揮者の元で勉強する機会を得ました。
そしてカラヤンから指導を受けたときに言われたのが、お前に足りないのはオペラだということでした。
そして、カラヤン曰く「指揮者にとって交響曲とオペラは車の両輪みたいなもので、どちらかだけだと前に進めない。例えば、モーツァルトの作品の半分はオペラだ。オペラをやらなければモーツァルトを半分しか理解してないことになる」。
そして、小澤さんはオペラを猛勉強して好きになり、サイトウキネンフェスティバルを開催することになったときにもメンバーにオペラを提案しますが皆乗り気ではなかったそうです。
つまり、ソリストや室内楽奏者にとっては、自分の演奏が花形なわけです。ところが、オペラというのは舞台があり歌があり演技がある。それに引き換え、楽器隊はライトも当たらない舞台下で伴奏するだけですからね。
ところが、小澤の説得でオペラをやったら、メンバーの意見ががらりと変わり、みんなオペラが大好きになったそうです。それは、音楽の幅が広がることを喜べるほど、皆が優秀な音楽家だったからだとか。
曰く「オペラというのは、演技者の演技を見、歌を聴き、そこにあわせなければいけない。演奏中に考えなければいけないことがたくさんある。でも、それが合ったとき、お互いが素直に喜び合える。室内楽に戻ったときには、今までよりも、より深く相手の音を聴くようになり、それが、自らの成長につながった」と。
その後、僕は何かにつけバランスを重視するようになりました。その際に「車の両輪」と思うわけです。
例えば、「アコギとエレキ」「ロックとフォーク」「ライブと録音」「頭脳作業と肉体作業」「パソコンと手書き」「カバーとオリジナル」「自炊と外食」といった具合に、どちらかだけではなく、どちらもという考え方になるわけです。
これはカラヤンの言葉を知ったからというよりも、生来、僕の性格がそうだったんだと思います。昔よくいわれた「ビートルズかストーンズ」「拓郎か陽水」「パープルかツェッペリン」「カシオペアかTスクエア」「聖子か明菜」などなど、どれも、僕はどちらにも良さがあるという考え方でしたからね。
その頃は、自分のことをコウモリと称していました。
その童話は最終的にコウモリはどちらからも見捨てられて仲間はずれになりました。それが怖くて「ビートルズ、拓郎、パープル、聖子」と自分を偽っていました(笑)。実際、どちらかを選べといわれたらこういう答えになります。それに、先ほどの例でも、どちらかを選べといわれれば「アコギ、ロック、録音、頭脳、パソコン、オリジナル」になると思いますけどね。
でも、今はコウモリ的な考えが実は車の両輪だと思うようになりました。実際、幅広く音楽を聴いたり、色々なバンドで演奏したり、曲を作ったり庭を造ったり、パソコンで長文の日記を書いたり手書きでノートをとることが自分に向いていることがわかりました。そうなると、自分の行動を評価する理論として車の両輪というのはうってつけです。
ということで、車の両輪理論の長い説明を終わります(笑)。