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中秋の名月も見ることが出来ず。その上、明日は、雨予想!昼間の晴れはなんだった??
2010年09月22日
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晴れると良いのですが…。恥ずかしいことにここを見るまで,イイオカスワローがトウケイニセイの半姉だったと気がついていなかった(涙)イイオカスワローは、ずっと、コリムプリンスのレース中の外傷による大敗と秋田騎手の好騎乗で大差の逃げ切り勝ちをしたこの年の紅一点だったと思い込んでいました。血統的にもエースツバキの仔と走る背景があったんですね。ひきつけて先頭で直線に入ったイイオカスワロー・秋田実大差で優勝のイイオカスワロー優勝イイオカスワロー父スイフトスワロー母エースツバキ<Reform》騎手秋田実調教師中澤文男、馬主瀬川良成、生産者浦河田中堅一今や、場内でトークショーを開くほど雄弁となっているが、現役時代には、余計なことは一切語らない騎手出した
2010年09月21日
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全休日だったのですが、戸塚記念ハーミアの写真を渡しに行った松田厩務員が、ちょうど当番で、厩舎にで仕事をしていたので、渡すことが出来ました。と戸塚記念の話をしていたら、「馬見る」と言ってくれたので…ハーミアです能力試験合格で、新馬戦に出走予定の二頭能力試験〇セイントカロンハーミーアのの下でブラックタキシード産駒ベアトリス
2010年09月19日
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今、騒がれている、大横綱双葉山が連勝を新鋭安藝ノ海に69で止められ、次の日も両国に敗れ連敗したときに口をついた言葉だったといわれている元は荘子。font>--------------------白鵬の人一倍稽古に励み、横綱の品格を真摯に守ろうとする言動、成績などから、白鵬は、すでに大横綱の域に達していると思えるのだが、マスコミの「さあ、双葉山の69越えだ!」と軽々しく論調する姿勢には、大馬鹿やろうとしか!白鵬にとっても、大相撲ファンにとっても。そうとしか思えない。白鵬の悲劇は、好敵手が、全く存在しないという点である。低レベル世代の三冠馬に光が当たらないように。同じ69連勝でも質が大いに違ってくる。双葉山の場合には、玉錦、清水川、沖津海、玉ノ海などの好敵手がおり、その上、番付の片やを占めていた出羽の海一門が当時としては珍しいインテリ力士笠置山をリーダーに、「いかにして双葉山を倒すか!」という作戦会議まで行なわれていたのだから。その中で、笠置山が見抜いた(ビデオなんて便利なもののない時代にですよ!!!)「双葉関は、どうやら右目が見えにくいようだ」←これは、引退してから双葉山自身が「子供の頃に吹き矢が目に刺さって失明した」と言っており。知っていたのは、立浪親方夫妻だけだった。それを全く引退まで感じさせなかった偉大なウp粉綱であった。新鋭の安藝ノ海に総大将の笠置山が、「左からの攻めを指示」。見事、外掛けの奇襲で70連勝を防いだのだった。翌日の新聞に「巨星、落つ!」の大見出しとともに双葉山が土俵に倒れる写真が掲載されていた・昭和十一年一月(東前頭三枚目)●新海(蛸足の新海といわれた足技の名人)〇武蔵山(横綱)〇清水川(名大関の名をほしいままにした名力士)〇鏡岩 (猛牛の異名あり)〇男女ノ川(巨漢)●玉錦(稽古熱心で闘志の横綱)〇?ノ裏=記録の始まり〇出羽湊〇綾昇〇笠置山(出羽の海部屋、打倒双葉山作戦会議座長)〇駒ノ里・昭和十一年五月(西関脇)〇新海〇両国〇駒ノ里〇笠置山〇出羽湊〇綾昇〇玉ノ海〇鏡岩〇玉錦〇男女ノ川〇清水川・昭和十二年一月(東大関)〇両国〇玉ノ海〇和歌島〇磐石〇笠置山〇出羽湊〇桂川〇鏡岩〇清水川〇大邸山〇男女ノ川・昭和十二年五月(東大関)〇土洲山〇綾川〇前田山〇和歌島〇海光山〇九州山〇五ツ島(十五年一月と十六年五月と双葉山を連覇した)〇玉ノ海〇磐石〇大邸山〇清水川〇玉錦
2010年09月19日
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いつもお世話になっている大牟田のタウン誌「月刊みれにあむ」から嬉しいメールが届きました> 先日(17日)荒尾競馬で、偶然にも大井の石川駿介騎 > 手が期間限定騎乗で> 来ていました。デビュー5年の若手で、まだ20勝だ > そうです。> 10月に大井に帰るそうです。九州競馬(佐賀・荒 > 尾)で、8勝したそうです。> >がんばれのインタビューしましたよ。> >「騎乗回数も1日6~7回と多く、流れやス > ピード感覚など勉強になった」荒尾競馬場にて17日
2010年09月18日
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馬券は、相変わらず的中しませんが、プレゼント応募でこれが当選しましたネオユニバースのクオカードですデムーロ騎手のガッツポーズやゴール写真、肩掛けをかけた写真などが印刷された豪華な台紙に入っていた
2010年09月17日
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レコードプレーヤーがなくなっているので、聴くことが出来ません(涙)オスカーピーターソンの一枚です。当時、輸入版で買いました当時から読めませんでした!未だに。敵性語ですから…曲目だと思います。演奏時間が書いてありますから……サテンドール?20年も前に聴いたのですから演奏内容も覚えていません。CDにしてもらいます
2010年09月16日
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あるレースです上下ともこの笑顔「してやったり!」だったのでしょう?一方の「あ~やっちゃった」だったのでしょうか?二人の騎手の表情からこのレースでの結果と二人の騎乗馬の人気の差が判る気がしませんか?これだけをヒントに、このレース名(正式名称)と優勝馬と2着馬を当ててください的中者に先着三名に、良いことがあるかも??
2010年09月16日
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〇トウインクルレデイ賞坂井英光・ヒロアンジェロが三角で仕掛けて、先に先頭に立ち内から伸びたエロージュと外から伸びたフサイチミライを押さえて優勝。フサイチミライは連覇ならず。テイエムヨカドーは重賞連覇ならず
2010年09月15日
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セントライト記念は、自分の好きな馬が勝ってくれているレースなのですどうせ、古い馬しか出ないんだろう?そのとおりです・モンタサン・アサカオー・クリシバ・ベルワイド・スルガスンプジョウ・プレストウコウ・モンテプリンス・ホスピタリテイ・ローゼンカバリーなかでも、ホスピタリテイは強烈。アズマハンターを問題にせず勝ちましたから。秋になると嘗ては、必ず言われた「第二のアカネテンリュウを探せ!!」のアカネテンリュウは北海道で夏場に力をつけた史上最大の上がり馬。
2010年09月14日
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咲きました鉢にに移植して三年。今年の猛暑で咲いたのか
2010年09月14日
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第三十九回戸塚記念ビクトリースガの捲くりに乗ったハーミアが快勝荒山厩舎所属のハーミア、松田厩務員は、ダービー馬グレードショウリを担当していた方
2010年09月14日
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メルマガの連載で「夜に競馬」トウインクルレース初日について書くので、写真ヲここに先にアップしておきます初日の日刊競馬です。写真は、模擬レース当日のものです記念の第一回トウインクルコンサートのゲストは早見優さんでした早見優さんにサインを頂きました。レコードを持って行き頼みました。(えっ!!この人が、どうしてアイドルのレコードを持っているんだ!!!という驚きの表情でしたが、サインしてくれました)☆花火も祝トウインクルの仕掛け花火馬のことを考えた、音のしない花火でした
2010年09月14日
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枠服時代の写真が載っていて懐かしい
2010年09月13日
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平松現調教師や寺嶋調教師、など、懐かしい顔が…。
2010年09月12日
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昭和58年東京ダービー直線セレブレーションを交わしたサンオーイ大差で優勝したサンオーイ
2010年09月11日
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いつも見ているブログ ここにサンオーイのことが書かれていたので、「セレブが可哀相」という東京ダービーの観戦記を書いたことを思い出したので、書き込みます---------------------- ☆駆け引きは戦い(昭和58年東京ダービー) 昭和58年のクラシックレースは 結果的には好敵手セレブレイションを圧倒した形だが、その影には策士赤間清松と名人佐々木竹見との騎乗馬を知り抜いた神経戦があったのだ。羽田盃で三角すぎで先頭に立ち逃げ込みを図った佐々木竹見=セレブレイションだったが直線で豪脚を繰り出した赤間=サンオーイに交わされ4馬身差の2着に終わっただけに竹見騎手がどう騎乗するのかも興味の的だった。レースは先行脚質の馬が順当に前を進みスローで流れて行った。スタンド前でセレブレイションはいつのまにか3番手に上がっていた。サンオーイの方はじっくり中団の後ろにいた。「ゆっくりした流れだったので三角あたりで後方の馬がどっと来るのが嫌だったので…」という佐々木竹見騎手のセレブレイションが向う正面で一気に前を行くダイシュンエイなどを交わして先頭に立つ。方やサンオーイは「佐々木君の気性から”早めに行くだろう”と思っていたし、長距離は計算が立つ」の赤間清松騎手の言葉どおりゆったりと構えていた。先頭に立ったセレブレイションは先行した馬たちが脚を無くすのに反し余力十分で差を広げて行った。そこに内を突いて追ってきたのがサンオーイ2番手に上がって四コーナーを回る。直線セレブレイションとサンオーイの差はかなりあった。「自分の馬の手応えに慌てませんでした」という赤間清松騎手。馬を内から外に出して追い上げる。ゴールまで残り200メートルのハロン棒の手前でサンオーイがセレブレイションに並び掛ける。佐々木竹見の秘術とセレブレイションの抵抗も此処までだった。サンオーイが一気に抜け出すとぐんぐんと加速、見る間に差は開いていきゴールでは実に7馬身。最後は控える余裕もあったのだから「そんなにまで叩きのめさなくてもいいんじゃ!」と見ていた筆者は思った。後日、赤間騎手が雑誌で、このとき多分地方では初めてでしょうガッツポーズしてゴールしたんですよ」と語っていたが、当方には、その記憶はありません
2010年09月11日
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名人田中道夫現調教師がいます。寺嶋正勝現調教師もいます
2010年09月11日
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謝明方調教師の名もあります
2010年09月10日
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ハッタダイドウで大井遠征した石川昇騎手や牝馬の稲田彰宏騎手《自分のイメージ)などが載っていてとても懐かしいです
2010年09月10日
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良く眠れて言いのだが、自力の体温調整が出来ないためか?朝から頭痛が酷い!病後の方や高齢者は室内温度変化にに注意してください
2010年09月10日
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昭和56年表紙です
2010年09月09日
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8日に達成。区切りの勝利クイズとしては1番が山口勲騎手でしたので一番人気?木村健騎手は二番となりますNARの頁
2010年09月09日
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昭和49年発行の名著です最後に良い文章がある<願いを込める”よき伴侶であれ”好むと好まざるとにかかわらず、競馬は今や日本の都会人の中にどうしようもなむ食い入っている。ボクがあえて「ギャンブル」といわずに「競馬」といったのは、あきらかに競馬には他のギャンブルと異なる要素があるからである。そしてそれは競馬の持つロマンチシズムであり、また「その状況でもっとも正しいものを選び出してゆく」ものだからでもあった。だからボクは競馬における「受賞競走」は、あきらかに他の一般のレースとは異なったところに存在し、その存在そのものが、即ち競馬自体の存在価値に等しいものだとさえ言ったのである。選挙などでは、過半数に従うルールなのである。多くの人たちがハイセイコーの単勝と言ったらそれに従うルールなのである。こうした空しさは、少なくとも国民の半数近くが、。感じているに違いない。だから人々は競馬に向かうののだ。 競馬では、誰がなんと言おうと自分で選べるのだ。他にもレースはあるギャンブルもある。しかし競馬は、その競走馬の性目の短さがサイクルの速さとなり、その絶えず変化する様相がいつも異なる決定をわれわれに迫ってくる。そしてわれわれは常にあるサラブレッドと同体化せざるを得ない。これに代わるものはちょっとないのである。それだけにボクは、単に3-6だ5-8だと騒ぐのではなく。文字通り「考える競馬」の場を提供したかったのである。
2010年09月08日
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日本調教師・騎手名鑑など多くの著書のある氏の昭和45年9月発行の本であるその中に、「調教や宿の思い出」という項があって、「宿は中山では山門前の角庄、府中では大国魂神社前の松本、横浜では、なんとか川のそばの日米ホテルと決まっていた。はじめのころは人力車を頼み、人力車がなくなってからは自動車を頼んでおき日支事変が始まって自動車が不自由になってからは、中山では角庄の板前の自転車を借りてたり歩いたりしていた。戦後は、その宿がみんななくなってしまった。府中の松本も、中山の角庄も料理屋兼旅館であったが、旅館のほうを止めたので、再び競馬の仕事をはじめたときには、調教を見るための宿に困ってしまった。府中では、安倍正太郎君に頼んで、森末之助君の厩舎に泊まれるようにしてもらった。馬場に行くのに二、三分でいけるので、とても助かった。何しろ調教の時間は早いし冬などは寒いし、雨が降ったときなどは、とても遠くからでは間に合わないし、厩舎に泊まれば、なにかと馬の話を聞くのに便利だった。水曜日の午後三時ころに厩舎に行き午後の運動などを見て、馬の様子を見、木曜日の追い切りを見るのは、色々な点で都合が良かった。このごろ《当時)は午後の運動も三時には終わっているが、前には運動は惨事ころから始まって五時コロに厩の仕事が終わるようであったから、運動を見た後で厩を回って馬の調子などを馬手さんや、調教師、騎手に聞くので泊まるトコが厩舎なら都合が良かった。私は府中では田中和厩舎《師がなくなってからは荒木厩舎》、中山では鈴木信厩舎をより所にして四手色々な話を聞いた。田中厩舎には、小西、阿部正君が鈴木信厩舎には石毛、松永君がいて、聞きたい話は何でも聞き、みんな親切に教えてくれたし説明もしてくれた。柴田恒厩舎にも調教やドノ厄介をかけた。府中で之日吉寮の利用は、余り、他の社の人間で混まないだろうと思うときだけにし、天皇賞やオークスとかダービーとか特別のレースがある前の追い切りの時には、そういうときには藤本邸や課が武見君のところに厄介になる。朝馬場bに行くときに加賀君が自動車に乗せてくれるので大いに助かっているし、加賀君は、多くのレースに出ているし、レースの話をきくのがとてもさんこうになるからである。柴田恒さんの奥さんが入院したところには、幸いなことに野平祐二君の家が出来た。その二階の部屋が佐々木猛調教師をして「井上御宿」と書いてあるんでしょう」と笑われるほど世話になった。私は、これまでもそうだが、この馬で勝てるだろうかとぴう事は聞かないでいる。馬の調子とか手応えについては執拗に聞くが、野平君なり加賀君の乗る馬で、勝てるかどうかということは聞かないし、聞かないでも、自然に相互関係がわかってくる。オールカマーの調教のとき野平祐二君がローレルに行っていたときには二本柳俊夫君が「祐二君がいないから井上さん、僕の家にお出でなさいよ」と言ってくれたので柳君の家に厄介になった。その前に一度柳君のところに泊めて貰ったことがあったが、そのときには、アズマテンランがオールカマーに勝った。」というようなことが書いてあった調教師と騎手に絶大な信頼がなければ不可能であろう。
2010年09月07日
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・第一ステージ盛岡競馬場で10月4日・第二ステージ門別競馬場で10月14日〇出場予定騎手・服部茂文(北海道)・小林俊彦(岩手)・戸崎圭太(大井)・坂井英光(大井)・的場文男(大井)・今野忠成(川崎)・吉原寛人(金沢)・東川公則(笠松)・岡部誠 (名古屋)・川原正一(兵庫)・岡崎準(福山)・赤岡修次(高知)・山口勲 (佐賀)・杉村一樹(荒尾)
2010年09月06日
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書棚から古い本を出して読む「馬券戦法」という本で著者は専門紙”競友”社長でNHK解説者だった小畑昌男氏<昭和三十八年八月発行>かれこれ50年ほど前の本著者のあとがきに【この本は昨今の(当時)競馬書のように一攫千金の夢を託す人たちを目当てに書かれた本ではありません】とあるように馬券本ではない。地方競馬についても書かれていて面白い資料が会ったので、書いておきます。☆38年1月1日から3月5日までの地方競馬成績表一位荒山徳一(大井・森田)255戦41勝2着42回、3着25回二位松浦備 (大井・小暮)278戦39勝2着35回、3着41回三位佐々木竹見(川崎・下山)268戦34勝2着43回、3着33回四位宮下哲朗(船橋・宮下公)193戦34勝2着43回、3着25回五位赤間清松(大井・小暮)157戦25勝2着24回、3着20回六位加藤徳明(川崎・鈴木定)205戦22勝2着22回、3着23回七位佐々木吉郷(川崎・鈴木定)161戦21勝2着19回、3着12回八位竹山隆(大井・田中利)136戦21勝2着16回。3着14回九位須田茂(大井・田中利)126戦20勝2着15回、3着25回十位朝倉文四郎(大井・森田)141戦20勝2着11回、3着16回ーーーーーーーーーーーーーーーーー十一位永田旭(川崎・八木)157戦18勝2着26回、3着22回十二位鈴木富士雄(大井・森田)87戦18勝2着5回、3着13回十三位木村和男(船橋・木村)74勝2着17回、3着10回十四位大和田明(川崎・長谷川蓮)134戦14勝2着18回、3着14回十五位佐々木国広(川崎・井上)89戦14勝2着12回、3着6回十六位赤沼武雄(浦和・横山)84戦12勝2着11回、3着12回十七位高柳恒男(大井・安藤)68戦12勝2着10回、3着3回十八位勝又衛(川崎・小笠原)100戦11勝2着12回、3着9回十九位溝辺正(船橋・三間)41戦11勝2着3回、3着7回二十位藤田安弘(大井・小暮)135戦10勝2着14回、3着14回*佐々木竹見騎手の所属が、下山となっていますが、違うはずです。青野厩舎から一時的にも移籍したことはないと思います。青野先生と下山先生、確か同い年だったとは思いますが…。小畑氏ほどの方でも地方競馬に関して、この程度の認識だったようです。決定的に、違っている記事がこれ!-----------昭和37年地方競馬が、中央競馬の売り上げを超えている。このようにブームを起こしている地方競馬であれば、騎手の収入も中央競馬の騎手より上回るのは当然。M騎手の月給は二十万円といwれています。中央のベテラン騎手の3,4万円と比較したら、平社員と重役級の違いがあります。事実、中央の騎手たちの大半は府中や中山の厩舎内で寝起きしていますが、地方の騎手になるとほとんどが自家用車で大井、川崎、船橋、浦和へ通勤しています。事実誤認です!小畑氏ほどの方でも地方競馬に関して、この程度の認識だったようです。
2010年09月06日
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富里あづま寄席柳家喜多八師匠です。「船徳」と「お直し」の二席を熱演なさいました日向ひまわり(旧神田ひまわり)師匠(講談)「牡丹灯篭より”お札破がし”」と「出世馬くろう」の二席を熱演されました。もっとも怪談のほうは寒気がしましたが…
2010年09月05日
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富里市七栄にあった、パン工房〇〇のパンバイキングランチです全粒粉ロールとめろんパンの切り分けです。これに、アイステイー(ガムシロ、ミルク抜き)を頼みました
2010年09月05日
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サンデー○○だけが……決してない■近代競馬の基礎確立に貢献した名種牡馬たち <続き>◎ダイオライト《ダイオフォン----------------------------------(オーモンド系)昭和十年輸入 昭和十七年から三年間 チャンピオンサイアーの座についた。っ最初の三冠馬セントライトを出した功績は大きい。代)セントライト(三冠馬)ダイエレク(皐月賞)バンナゴール(桜花賞)ハマカゼ(桜花賞)タイレイ(桜花賞)テツザクラ(菊花賞)グランドライト(天皇賞)ヒロサクラ(天皇賞)トヨウメ(天皇賞)ヒデヒカリ(皐月賞)オーマツカゼ(京都牝特)レオ(阪神四歳特別)クリチカラ(目黒記念)トシシロ(種牡馬実績のみ)◎セフト《テトラテーマ-----------------------------(ヘドロ系) ヴォリュース昭和十二年輸入 日本にスピード競馬を持ち込んだ種牡馬でスピードとスタミナを兼ね備えていた名種牡馬。昭和二十二年から五年間チャンピオンサイアーの座を維持した。代)トキノミノル( ダービー・皐月賞など10戦10勝)ハヤタケ(菊花賞)シーマー(天皇賞)ボスとニアン(ダービー・皐月賞)ハイレコード(菊花賞)ミスセフト(桜花賞)トサミツル(桜花賞)スウヰイスー(桜花賞・オークス)ヤシマヒメ(オークス)キングナイト(オークス)コマミノル(オークス)タカクラヤマ(天皇賞)ダイニカツフジ(京都大障害)スヰフト(京都大障害)イッセイ(優勝6回カブトヤマ記念)*トキノミノルは10勝の内レコード勝ちが7回と桁違いのスピードを見せた。さらに破った相手がミツハタ、イッセイ、ハタカゼとなればトキノミノルも強さは計り知れない。馬主の大映社長永田雅一氏は菊で三冠達成の後、”米国遠征 ”を考えていたと言われるが夢に終わった。ダービーのあと破傷風による敗血症で忽然と世を去ったトキノミノルはクロカミの馬主であり作家の吉屋信子女史をして『幻の馬』と言わしめた◎クモハタ《トウルヌソル------------------------------------(ハンプトン系) 星旗昭和十一年生まれ ダービー馬である。内国産種牡馬として、抜群の成績を残した。昭和二十七年から六年間チャbbピオンサイアーの座に君臨した。昭和二十八年に伝染性貧血と診断され殺処分された。代)カツフジ(天皇賞)ニューフォード(菊花賞・天皇賞)ヤシマドオター(桜花賞・天皇賞)ハタカゼ(天皇賞・目黒記念・サマーS<共に75キロ>)キヨフジ(オークス・公営川崎記念・桜花賞・ワード賞)ミツハタ(天皇賞・目黒記念<73キロ>)クインナルビー(天皇賞)、メイヂヒカリ(菊花賞・天皇賞・中山グランプリ)ケニイモア(中山大障害2回)クロシオ(中山大障害)その後、トサミドリ、ヒンドスタン、ソロナウエーの時代へと移るのである。*メイヂヒカリの強さは菊花賞と第一回中山グランプリで証明される。ダービー不出場の鬱憤を晴らすが如くダービー馬オートキツを10馬身千切った菊花賞 。豪華な顔ぶれがそろった第一回中山グランプリ(有馬記念)ではキタノオー・ハクチカラ・ミッドファーム・ダイナナホウシュウ等を楽に退けたこの実力から球節炎冴え起こさなければ必ず三冠馬になれた
2010年09月03日
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忘れてはいけない!!!■近代競馬の基礎確立に貢献した名種牡馬たち◎インターグリオー《チルドウイック-------------------------------------(セントサイモン系) カメオ明治40年に 小岩井農場が基礎牝馬20頭と共に輸入した馬 。他馬に比して一流馬の数は少ないが、シカシブラッド・メア・サイアーとしては優秀で多くの種牝馬を残した。このインターグリオーの値は一万円を超え当時の小岩井農場の一年分の経常収入の七分の一程度であったと言われている。代表産駒 レッドサイモン(母フラストレート・目黒優勝内国産馬連合)シノグ(福島御賞典)シンコイワヰ(目黒優勝内国産馬連合)インターグリオ(目黒優勝内国産馬連合)トクホ、ペットレル(両馬・目黒優勝内国産馬連合)◎ダイヤモンドウエッデイング《ダイヤモンドジュビリー------------------(セントサイモン系) ウエッドロック明治四十二年輸入 父のダイヤモンドジュビリーは英国三冠馬代)ゴールドウイング(阪神御賞典)マツカゼ(小倉御賞典)ラレード(目黒御賞典)バンザイ(目黒御賞典・横浜連合二哩など13戦11勝)ヤンングナカヤマ(目黒御賞典)コウエイ(目黒御賞典)ダークメード(目黒優勝内国産馬連合)イヤアブリ(新潟特別)*ラレードとバンザイが登録すると毎度二頭立てになってしまった。◎イボア《ハクラー---------------------------------------------(ダッチストン系) レデイゴウ明治四十三年輸入 繁殖牝馬に恵まれず、したがって種牡馬賭しての後継馬は少ない。シカシブラッド・メア・サイアーとしては、かなりの成績を上げた。サラ系との配合が多かった 。バイクワ(牝・函館御賞典)タケゾノ(牝・函館御賞典)カンダ(前名コヒメ牝・札幌御賞典)ムットン(牝・函館御賞典)シコク(札幌御賞典)エイ(牝・目黒優勝内国産馬連合・阪神御賞典)レデースバットン(阪神連合二哩)エキストラ(牝・横浜御賞典)ヨシトミ(横浜御賞典・阪神連合二哩)タマチップ(牝・阪神御賞典)イロハ(目黒優勝内国産馬連合)エリザベス(牝・目黒連合二哩)パンジー(中山秋季特別)クヰンホーク(牝・目黒御賞典・目黒優勝内国産馬連合)タマカゼ(阪神連合二哩)◎コイワヰ(チャツウオース----------------------------------------(セントサイモン系) エナモールド明治四十一年生まれ持込(輸送中に生まれたため日本の領海内で生まれたので内国産扱いとなったという逸話が残る。馬券禁止時代の名馬で45勝もした馬。小岩井農場で明治四十年に輸入した基礎牝馬の一頭エナモールドの仔代)アケボノ(阪神御賞典)チェリーダッチェス(横浜御賞典)イワヰ(横浜御賞)キングフロラー(目黒御賞典)ハクショウ(阪神御賞典・阪神連合二哩・中山四千米)カノウ(目黒優勝内国産連合)カイモン(福島特別)◎ガロン《ガリニュール---------------------------------------------------(スターリング系) フレーア(セントフラスキン)大正元年輸入m個の馬の功績は大きく名血と言っても過言ではない。産駒で種牡馬となった中では ナスノ、アラタマ、ケンコン、第七ガロンが光っている。また優秀な牝馬にも恵まれブラッド・メア・サイアーとしてもわが国の競馬に貢献した。代)ナスノ(横浜御賞典・目黒優勝内国産連合)エツリュウ(福島御賞典)キンテン(目黒御賞典)カタロン(阪神御賞典)ロメオ(阪神御賞典)カーネーション(目黒御賞典)タチバナ(目黒御賞典)クヰンフローラ(福島御賞典)アスベル(横浜御賞典・阪神連合二哩)コロネーション(横浜御賞典)ガエイ(福島御賞典)スターリング(目黒優勝内国産連合)ピュアーゴールド(目黒御賞典・目黒優勝内国産馬連合外10戦9勝着外1*この着外であるが、当時の雑誌に「20馬身の出遅れで一旦はアオバの2着に迫るも敗れ仲住与之助騎手はファンから疑惑の目で見られた」とある。◎ チャペルブラムプトン《ベッポー-------------------------------------(マッチェム系) キスメット大正八年輸入、輝かしいチャペルブラムプトン時代を築いた。代)トニー(横浜御賞典)チャペル(福島御賞典)アストラル(目黒御賞典・各内国産古馬目黒)スズカゼ(阪神御賞典)プリモス(横浜御賞典)ウヰンナー(目黒御賞典)キタノホシ(目黒御賞典)オールマイン(阪神御賞典)ヤマヤス(横浜御賞典・阪神農林省賞典)ケンシュン(横浜御賞典)ハッピーチャペル(目黒御賞典)ハクヨシ(横浜御賞典)クモカゼ(目黒優勝内国産連合)ワカクサ(横浜御賞典)目黒連合二哩)ケンキン(目黒連合二哩)ニッポン(横浜特別)アスコット(阪神農林省賞典)ハクシュン(京都牝馬連合二哩)ケンシク(京都牝馬連合二哩)*クモカゼ母が内国産アングロアラブの第二アルバートでアラブ血量(7・8125パーセント )なので今で言うところの準サラ である。力と素質は十分にあった馬だが繁殖では遂に日の目を見なかった。四白の温和な美しい馬体の馬で競馬服?が黄色と黒縞のダンダラだったため「虎の皮・虎の皮」の声援でファンに人気があった。当時の名馬ナスノがクモカゼを見つけるといつも噛み付カンばかりにいきり立ち盛んに闘志を燃やしていたと伝えられている。最も手ごわいライバルとしてナスノがクモカゼを意識していた。其のせいかクモカゼは11回対戦して一度もなナスノに勝っていない。但し、最後の一戦以外は常にクモカゼが重量を背負っていたことを附記しておく。最後に、成績表を見ると一度だけアラブ系の競走に出走しているが当時はアラブ血量が少しでもあれば出走できたようである。アラブ血量が正式に文章になったのは昭和三年のことである。*ワカクサは昭和5年から6年にかけ関東を中心に関西でも活躍した。種牡馬としても期待されたが、ハクショウと同様朝鮮の蘭谷牧場へ贈られ日本での実績はない。◎ポートランドベー《ビルオブポートランド---------------------(セントサイモン系) リトルプリムローズ(ローヤルハンプトン)*大正元年輸入、父のビルオブポートランドはセントサイモンの直仔だがのど鳴りの欠点があった。代)マツミドリ(横浜御賞典)クイック(小倉御賞典)ミフク(阪神御賞典・阪神連合二哩)◎トウルヌソル《ゲインズボロー--------------------------------(ハンプトン系) ソリスト昭和二年シアンモアと共にクラシック創設に貢献した。その産駒でダービーを制した馬は六頭に達した。父のゲインズボローは英国三冠馬である。代)ワカタカ(ダービー)トクマサ(ダービー)ヒサトモ(ダービー、天皇賞)クモハタ(ダービー)イエリュウ(ダービー)クリフジ(ダービー・菊花賞・オークス)クリヤマト(皐月賞)ソールレデイー(桜花賞)テツバンザイ(オークス)イサヲ(阪神御賞典)キンチャン(阪神御賞典)アトランタ(目黒御賞典)ダイナモ(阪神御賞典)イワヰカブト(横浜御賞典)ハッピーマイト(天皇賞)トキノチカラ(天皇賞)◎シアンモア《バッカン----------------------------------------(スペキュラム系) オルラス昭和三年輸入トウルヌソルと共にクラシックレースに貢献した。其の産駒にダービー馬三頭を出す。代)カブトヤマ(ダービー・福島御賞典)フレーモア(ダービー)ガヴァナー(ダービー)ハクセツ(中山四千米・横浜御賞典)デンコウ(阪神御賞典)アカイシダケ(横浜御賞典)ゼネラル(阪神御賞典)チャレンジャー(横浜御賞典)タイホウ(横浜御賞典)エツフォード(阪神御賞典)スターカップ(小倉御賞典)アルバイトのちクリヒカリ(皐月賞・天皇賞)ヤマイワイ(桜花賞)アステリモア(オークス)ロキーモア(天皇賞)ミナミモア(天皇賞)◎月友《マンノウオー-------------------------------------------------(マッチェム系) 星友(米国)昭和七年輸入 父は米国の名馬。四才時故障のため未出走に終わったが、種牡馬としてはA級。代)カイソウ(ダービー)ミハルオー(ダービー・天皇賞)オートキツ(ダービー)ツキカワ(桜花賞)タカホマレ(目黒記念)ミツマサ(オークス)ツキヤマ(中山大障害)アシガラヤマ(中山大障害)◎プリメロ《ブランドフォード----------------------------------------(スターリング系) アサシー昭和十一年輸入 父のブランドフォードは英国でもダービー馬四頭を出した代種牡馬である、その直仔プリメロの輸入は深く大きい意義を持つ。プリメロはダービー馬を四頭出したほかに孫にも二頭のダービー馬が出た。ミナミホマレの産駒のゴールデンウエーブとダイゴホマレである。奇しくもこの二頭地方競馬出身である。代)ミナミホマレ(ダービー)タチカゼ(ダービー)クモノハナ(ダービー・皐月賞)アズマライ(菊花賞)トキツカゼ(皐月賞・オークス)ケゴン(皐月賞)ブランドソール(桜花賞)ヤシマベル(桜花賞)ハヤカゼ(京都四歳牝特)シラオキ(函舘記念) *シラオキはコダマ・シンツバメの母となる◎ダイオライト《ダイオフォン------------------------------------(オーモンド系) ニードルロック昭和10年輸入 昭和17年から3年間チャンピオンサイヤーの座についた。最初の三冠馬セントライトを出した功績は大きい。 セントライト(三冠馬)、ダイエレク(皐月賞)、バンナゴール(桜花賞)、ハマカゼ(桜花賞)、タイレイ(桜花賞)、テツザクラ(菊花賞)、グランドライト(天皇賞)、ヒロサクラ(天皇賞)、トヨウメ(天皇賞)、ヒデヒカリ(皐月賞)、オーマツカゼ(京都牝特)、レオ(阪神四歳特別)、サチヒカリ(中山大障害)、ヒロハタ(小倉記念)、クリチカラ(目黒記念)、トシシロ(種牡馬実績) ☆船橋競馬に「ダイオライト記念」あり。◎セフト 《テトラテーマ----------------------------------------(ヘドロ系) ヴォリュース 昭和12年輸入 日本にスピード競馬を持ち込んだ種牡馬で、スピードとスタミナを兼ね備えていた名種牡馬。昭和22年から5年間チャンピオンサイヤーの座を維持した。 トキノミノル(ダービー・皐月賞)、ハヤタケ(菊花賞)、シーマー(天皇賞)、ボストニアン(ダービー・皐月賞)、ハイレコード(菊花賞)、ミスセフト(桜花賞)、トサミツル(桜花賞)、スウヰイスー(桜花賞・オークス)、ヤシマヒメ(オークス)、キングナイト(オークス)、コマミノル(オークス)、タカクラヤマ《天皇賞)、イッセイ(カブトヤマ記念)、ダイニカツフジ(京都大障害)、スヰフト(京都大障害)◎クモハタ 《トウヌルソル-------------------------------------------(ハンプト 星旗 昭和11年生まれ ダービー馬である 。内国産種牡馬として、抜群の成績を残した。昭和27年から6年間チャンピオンサイヤーとして君臨した。昭和28年に伝染性貧血<伝貧>と診断され殺処分された。秋の重賞「クモハタ記念 』に名を残したが、国営では 、あっさりとこの重賞を廃止してしまった カツフジ(天皇賞)、ニューフォード(菊花賞・天皇賞)、ヤシマドオター《桜花賞・天皇賞)、、ハタカゼ(天皇賞)、キヨフジ(オークス、公川崎記念・ワード賞)、ミツハタ(天皇賞)、クインナルビー(天皇賞)、メイヂヒカリ(菊花賞・天皇賞・中山グランプリ)ケニイモア(中山大障害二回)ヤマカブト《中山大障害)、クロシオ(中山大障害)この後、トサミドリ、ヒンドスタン、ソロナウエーの時代に移るのである
2010年09月03日
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ちゃんこ花田を潰したお兄ちゃんじゃありません。”土俵の鬼”と呼ばれた栃若で一時代を築いた初代若乃花(二子山理事長)です!昭和三十一年秋場所十二勝二不戦敗一休み<場所前に愛児を亡くすという悲劇を乗り越え十二日目まで全勝したが急病で休場するも千秋楽には出場を決めたが、再び休場したため二不戦敗という珍記録に。この場所の話は映画にもなった!「数珠をかけた土俵の鬼」?だったか…呼び戻し(仏壇返し)という荒業で豪快に相手力士を土俵に叩きつけたこともある
2010年09月01日
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といえば萩の月なんてことではなく福永二三雄調教師と月村泰男氏とイナリワンを思い出します第一回(平成六年)この年から重賞に格上げになった第一回の優勝馬が10戦無敗で挑戦した月村氏の持ち馬で福永二三雄調教師管理のツキノイチバン(父はミルジョージ)だったつきのイチバンの左側、月村氏、その横が福永二三雄調教師第二回(平成七年)51キロのツキフクオ(父イナリワン)ーが差し切り優勝。馬主の月村泰男氏と福永二三雄調教師の連覇。イナリワン産駒の初重賞制覇このドラマを演出したのが、主戦ジョッキーの騎乗停止で急遽乗り替わった名手森下博騎手のテン乗り優勝だった
2010年09月01日
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蒲郡競艇場での第五十六回MB記念です。久し振りのSG優勝!おめでとうございます!スタートと1マークで決まったベテランの技術49歳中年の星!!!!1988年日本選手権連覇の時代に直接頂いた宝物です
2010年08月29日
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一番乗りで区切りの勝利に到達NARの頁誰が一番にクイズ、一番は佐賀の山口勲騎手出した
2010年08月28日
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蒲郡競艇場での第五十六回モーターボート記念五日目11レース「準優勝戦」です。優勝して欲しい!病と戦いながらもトップレーサーの地位を保っている凄さには頭が下がります!1988年「日本選手権」連覇を果たした時代に頂いた色紙です!!「努力」が光っています。
2010年08月28日
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九州産馬NO1決定戦であるJRA交流「霧島賞」霧島賞優勝馬テイエムヨカドーと森泰斗騎手[右回りが下手な馬で、道中かかってしまいましたが上手く走ってくれました」森泰斗騎手は1998年に宇都宮競馬場でデビュー(所属は足利競馬場、佐藤和伸厩舎)2000年に一旦騎手免許を返上するも、2001年に佐藤和伸厩舎の厩務員を経て足利競馬場で再デビューしたのに2003年に足利競馬場の廃止に伴い、宇都宮競馬場に移籍。さらに2005年に宇都宮競馬場の廃止に伴い、同年に船橋競馬場に移籍し船橋競馬場で再デビューしている。北関東時代の成績は3451戦265勝。2002には 地方通算100勝を達成 2003には JRAでの初騎乗 をしている2010には 地方通算500勝達成北関東競馬廃止の被害者の筆頭といえる騎手履歴です。それだけにこれからの活躍を期待したいと思います大川充夫アナウサーのブログです写真は大牟田のタウン誌「月刊みれにあむ」から頂きました!
2010年08月28日
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名古屋の岡部誠騎手が25日1勝、27日2勝を加えました。これで、兵庫木村健騎手と並び名古屋・岡部誠騎手もあと五勝となりました。一番乗りクイズも人気だ他二人の騎手の争いに絞られてきたようです。と思ったのですが(汗)佐賀の山口勲騎手がいつの間にかあと三勝としていました5・5・3いい勝負です!佐賀が二日間、園田が一日八月開催が残っています。名古屋は、来月の14日まで開催なく笠松も来月6日まで開催なしです
2010年08月28日
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大井でお会いできた名人・渡辺正人元騎手 下メルマガより転載 セイユウに続いて、73キロ背負って、目黒記念をレコード勝ちしたミツハタについても 、伺ってみました。若造に嫌な顔をひとつもせず、『よく知ってるねえ、強い馬だったんだけどね。ダービーまでは、トキノミノルというとてつもなく速くて強い馬が居てね勝てなかったんだ。皐月賞、ダービーでは1着トキノミノルで、2着はイッセイという馬だったんだ。この馬も強かったね。いや~速かった。ミツハタという馬はステーヤーだったんだ。2000メートルを越えるレースでは、イッセイに負けなかった。73キロでレコード勝ちした目黒記念のことはよく覚えていますよ 。何しろ、馬に跨った途端、「ミシって音がしたんだ。それでも馬は丈夫だしっかりと立っていた。三分三厘から追い出そうとしたら、自分がナマリをたくさん背負っていたんで、バランスを崩し追う事が出来ず手綱を掴んでいるのがやっと。事実、馬の力だけで勝ったんだよ。その前の中山で73キロでアタマ負けちゃったんで、馬が覚えたんじゃないかな?73キロの背負い方を…。賢くて強い馬でしたミツハタは、天皇賞じゃ最後の一ハを11秒台で走って 勝ったんだよ
2010年08月27日
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大井でお会いできた名人・渡辺正人元騎手 上《メルマガより転載》大井競馬場広報室で、成績調べをしていたときに部屋に入ってきた人が…。室長と話しているときに、独特の正人節でしたので、判りました。話が終わったところで、思い切って渡辺正人騎手にアラブの怪物セイユウ( 最終戦となった58年11月23日の天皇賞・秋(7着)。このレースを含め、ラスト7戦を渡辺騎手が騎乗)のことを伺った 「アラブだと思って乗ったら、とんでもなかったよ。歩様は不恰好だったけどね。あの天皇賞だって、スタートしてすぐに引っ掛けられて脚を痛め、他の馬の迷惑にならないように外々を回ったんだ。それでちゃんと走り切ったのだから。、まともだったら…と思うよ」 このあと、73キロ背負って目黒記念をレコード勝ちした名馬ミツハタについても伺った。 下に続く
2010年08月26日
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ひろさちや著↓
2010年08月25日
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サッポロのっけてラー油です。ご飯が進んで困った!
2010年08月25日
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巨人ファンには到達できない勝ち負けに(博打は別)あくせくする必要の無い心境。「阪神ファンと仏の心」以来購入したひろさちや著の阪神ファンに贈る本
2010年08月24日
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初の生放送ということで楽しみに見たのだが……タンホイザー、ローエングリーンでさえ、いくら予算激減と言っても、スーツ姿じゃ情けなくて、さらには、自分に才能があると思っている演出家のチープな演出。さらにはチープな舞台設定にセットワーグナー・オペラはどこに行った??ワルキューレには、まだ、救われたが…--------☆それに比べたら歌舞伎は偉い。さすがに日本の伝統芸術だ!市川猿之助の佐藤忠信の豪華な衣装。玉三郎の静御前の豪華絢爛な衣装。時代設定舞台も、スーパー歌舞伎でもそのままである。歌舞伎も歌劇も時代歴史を伝える重要な役割があるはず。2011には復活したバイロイト音楽祭とワーグナーの楽劇が見たいと痛切に【義経千本桜】を見ていて思った。
2010年08月24日
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札幌記念といえば、ダート巧者の活躍の舞台でした。大雪ハンデとともに優勝馬の馬名を見るだけでもわくわくしてくるアポオンワード、マーチス、ヒデカブト、アポスピード、ハクホウショウ、グレートセイカン、ローラーキング、ランスロット、テルノエイト、マークリシルバー、キタノリキオー、芝に変わってからだが、北斗ベガの名もある。2着馬の中には、サンオーイ、キングハイセイコー、サンチャイナといった地方の名馬の名も見出せる!競馬ファンイはお馴染みのコーヨー、リキエイカン、メジロアサマ、トウショウボーイ、オサイチブレベスト、プリテイキャスト、の名も見える右回りの芝の2000メートルの札幌記念には、未だになじめない!**北ホクトベガ以降の馬については、優勝馬の馬名さえも、浮かんできません去年でさえ判らん
2010年08月22日
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コンビニで見つけました茨城県のリスカという会社が作っています味見はしていません。これ一個で216Kcalもありますので……。
2010年08月20日
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兵庫の木村健騎手が17日に1勝。あと五勝とした佐賀の山口勲騎手も18日4勝の固め打ち
2010年08月18日
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☆関東栃木レモン通称を「レモン牛乳」というようです。レモンという名とは裏腹に、甘くて飲みやすいミルクです。
2010年08月18日
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寄ってきました今年も健在でしたハイセイコー食堂の店名についてご主人にお尋ねしてみたところ…何の屈託もなく「競馬が好きだからさ!!」との答えでした。その言葉を裏付けるように、店内には、オグリキャップや馬の絵馬などが飾られています
2010年08月17日
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明日、朝から湯治に出かけてきますので、18日まで更新できません。携帯から出来ませんので…。「ハイセイコー食堂」に寄ってみるつもりです…
2010年08月14日
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