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平成19年度「"まなび、ふれあい、まちづくりプロジェクト"」という企画にMAMIEは応募した。"まなび、ふれあい、まちづくりプロジェクト"MAMIEが提案した企画が第1次選考を通過。いよいよ、第2次選考の対象となり、通知がきた。また、忙しくなるが、「平成19年度"まなび、ふれあい、まちづくりプロジェクト"」へ向けて準備を進める。MAMIEの目標は聴導犬のイベントを実施することである。絶対実施させよう。絶対成功させよう。聴導犬の普及にMAMIEは社会貢献をめざす。
2007年07月27日
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今日、息子からメールがあった。そう。息子は今日は修了式で、友人と家でキャッチボールをして、窓が割れたらしい。私はキレた。先月息子はボールを家の中で投げたため蛍光灯が割れたばかりだ。息子「ガラスがわれちゃった、ごめんなさい!」私「家のまど?」息子「うん」私「帰りたくない!だって一枚何万するねん!歌も塾も教室すべて辞めなさい!前は蛍光灯をボールで壊して今度は窓?アホ!」息子「ごめんなさい!わかった」私「冷蔵庫はあきらめます。そして私は今日は帰りません。生きていたくもりません!」そう、私はヨドバシカメラで新しい冷蔵庫の下見をしてきたばかりだ。財布の中には10万位入れていい冷蔵庫を買おうと胸に秘めながら。息子「いつかお金払うからお願いします」私「いつかって・・・いつ払ってくれるんだ?泣きたい!泣きたい!何故私を苦しめるの?なんでこうなっちゃったの?」危機感を感じない息子に危機感を与えるために私は悲劇のヒロインになったつもりでメールを打つ。息子「友達と遊んでて割ってしまった」私「だからって謝ればすむと思ってんの?」息子「いや、心から反省してます。なんでもするから許してください!」私「ルール守らなかったのでこうなるねん。何度止めてもまたやるから同じ繰り返しになるわ。だから納得できん!」そうそう、そうやって息子を追い詰めるのがいい薬だ。二度と同じ過ちを犯さないように。息子「これからはルールを絶対守ります。守らなかったら習い事を全部やめます。ほんとすいません」息子「帰ってきてやたのむ!」私「いや、そういわれても変わらないあんたがいるからこそ、もう無理やね。今日は帰りたくないから」そうやって追い詰めるのだ、息子よ、お前の救い道はない!息子「友達もべんしょうすると言ってます」私「・・・割れた窓を写メールして」あ、お友達もいるのね、どんな状況なのかわからないから写真を見て判断しよう。息子「今から学校にいく」私「待て待て!割ったのは学校の窓か?」そうだとしたら、学校の窓は家の窓より安く済むかもしれない。息子「ちがう 今から学校にいく」私「なんで、学校行くねん!」息子「部活」私「部活だって、ムカつくわ!」期待させるような言葉を打たないでよ!キレてしょうがない私。息子「わかったいかないわ」私「行ってええわ!私は泣きたいから泣かせてくれ!お金が出て行くから」うううっ・・・冷蔵庫がぁ。シャープの冷蔵庫が・・・消えてゆく。息子「友達がべんしょうって言ってるんだけど」私「友達は関係ない!これはあんたの責任です。家でボール投げることを許したあんたが一番悪い」息子「すいません俺が悪かった」息子「許してくださいとは言わないけど許してほしいごめんなさい!これからは絶対にしない!あとは家で話す」私「・・・どの部屋の窓なん?」息子「テレビのあるほうの右の窓」私「最悪やわ」うううっ・・・。一番新しい窓じゃないか!家の中で一番。しかもよく使う部屋の窓!仕事で疲れた私はそこの窓を開けてお酒を飲む部屋じゃないかぁあああ!息子「すいません」私「帰りたくない」もちろん、息子には長らく反省してもらうわ息子「帰ってきてください!お願いします」私「・・・友達の親から連絡はあった?」息子「友達お母さんにあやまりたいからって家に来てる」私「お友達は遅くなるから家に帰りなさいね。お友達は悪くないから。家の人に心配かけるから」息子「友達がいつぐらいになるだって」私「今梅田なのであと40分。可哀想だから帰ってあげてや。怪我はなかった?」息子「ボクしました」私「・・・ボクしました?何を?」息子「けが」私「知らん!そんなん、あんたが悪いやろ!怪我して当たり前や!だいだい野球はね、外でやるもの!家でやるな!」息子「はいすみませんでした」私「それは何度も言ってたこと!繰り返しのあまりこんな結果になったのよ!友達まで巻き込んで情けない!」息子「ごめんなさい」私は雨にうたれながら家に帰り着いたところ、急いで帰ってくれた主人と息子、お友達が立ってた。私「只今、帰ってきました」お友達は私の顔を見て今にも(T_T)しそうな顔をして、腰の力が抜けそうな感じだった。それを見て私は心配になって私「大丈夫だよ、大丈夫だよ。すべてはこの子のせいだから」私「この子は天使の顔をした悪魔だから」お友達はよくやった。逃げもせず、私の帰りを待ってくれた。お友達「べんしょう・・・します。ごめんなさい。すみません」私「いいえ、二人とも勉強になったと思って、今までのことは水に流しましょう」息子のお友達を車で家まで送り、家で待ってくれたおばあちゃんに挨拶して私はおばあちゃんの前で二人に「野球は家の中でやるのではなく、外や公園でやること。中学生だから、自分の意思でしっかり責任を持ってやってください!」と伝えた。それから私と主人は車の中で息子をお説教。お説教後、3人でラーメン食べた後、家に帰った。雨が降り続いてる。割れたガラスを眺めて息子は目を真っ赤にしてた。息子が泣いたのは主人から注意を受けたからだ。主人いわく、「怪我がなかったからよかったけど、大きな怪我をしたらお母さんが責任を持つことになるんだよ。家の中のことだから」そこでチャイムが。あれれ?と思ったら見知らぬ女性が。下で私のお財布が落ちてたらしい。わざわざ私の家まで届けてくれたのだ。財布の中には10万円が無事に入ってた。私も腰の力が抜けた。「いい人がいるもんだな・・・あの女性にはお礼の高級のお菓子を届けよう」「いい人がいるもんだ」
2007年07月20日
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経理の本を一冊購入した。これなら私も得意になるだろうと期待もあって。今日2時間ほど読みあさった。うふふ、これで私も経理が読めるような人間になれるわ。と思ったけど・・・読み終えたとたん、「何の内容だったけ?」「何が言いたいんだろう?この本」そんなわけで明日読み直し。私の脳みそは拒否してたようでした。心は読むぞ、理解するぞ!と張り切ってるのに、脳みそは拒否してたそ~です(T_T)しくしく。明日もまた頑張って言葉を追って理解しますわ。
2007年07月19日
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障害児の母親たちが、子供の将来を考えてる姿をみると励まされてしまう。フォローしたくなる。私の母がたったひとりで私を育ててきたからである。母は相談する相手は少なかっただろう。誰よりも気丈で、凛としてた母。自分の考えを貫いてきた母。私はそんな母に応えようとして、プレッシャーが大変だった私。そんなわけで学校での私、家に帰ったときの私は二重人格だった。すべては母に応えるようにしたかった。昨日、障害児の母親が子供に「プレッシャーが大きくて、子供が爆発したのよ」と告白。「いつかは子供さんもわかってくださいますよ」かつて私もそうだった。苦しかった。でも今となってはこの苦しみもいい経験になった。「先のことを親は見てるのだから、あれこれといいたくなりますよね。子供は先は見えてないし、考えたこともないから、親がフォローしながらプレッシャーかけないで子供に対応するのはとても難しいものですよ」「そうやって子供とぶつかって話し合うということはとてもいいこと。子供だって感情をぶつけたいからね。」そういう親子のかかわりがあってもいい。ぶつかってもいい。私もずっと何度か毎日のようにぶつかってきたか。ただ、ひとつだけ心残りがある。それは母親として私に優しく抱きしめてくれなかったこと。母は気丈な人だったし、父の妻として役割(船長の妻)が大きかったから心から「優しい人」になれなかった。開き直ったかのように心を鬼にして私をひっくり返すほど厳しく言葉を指導。両足を引っ張って吊り上げられたこともあった。耳を引っ張って2階まで走ったこともあった。手足をなわとびで縛られて、中庭や押入れに放棄された。それは大人になって自分が母親になって母の気持ちが理解できた。今は楽になっただろう。父も他界し、私も自立して、母は好きな恋人と一緒に暮らしてる。私から見た母はとても波乱万丈。最終的には静かに恋人と一緒に今まで経験できなかったことをひとりの女性として生活を送ってる。そういう母を私は守ってあげたいといつも考えている。そういう面でやはり障害児の母親にエールを送りたくなる。自分の母親はひとりで苦しんでいたのを私はみてきた。いつも私の頭に残るのは母の横顔だった。私の手を引っ張って追い詰められた母の横顔。泣いてるわけでもないけど、私が言葉を覚えないと「お母さん、死ぬかもしれない」という恐怖感があった。ご飯の名前をいえないと食べれない。言葉をうまくいえないとお母さんが鬼になる。そんな日々を送ってきた私にとって子供らしいことは何もなかった。けれどそれは今の私にとって役立ってる。「母の苦しみと子供のプレッシャー」子供は母親にできるだけ応えたいのだ。先は見えてないが。そして母親は将来を考えて子供を叱り付ける。どちらも気持ちはよくわかる。わかるのだ。
2007年07月19日
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みんなはそれぞれ、楽しみがある。私は趣味といえば働くことなのだが(T_T)今は読書に凝ってる。みんな「えええええええ~っ」と言うが、実は狭いところで本を読むのが大好き♪社交的で営業もどちらかというと得意な方、喋りだしたら止まらない、マイペースなB型と見られがちだが・・・・・実はA型。ひとりになると、おとなしく読書でもして、アロマとか香を匂わせて、リラックスしたい。だが、我が家には男が二人。そんな空気を作りたくても作れない。だから風呂場でひとりになって、ゆっくりと読書タイムを作ってるのです・・・週末にはアマゾンでいろんな本を注文したり、インターネットで話題の本を調べたりしてます。マミースタッフの福田ちゃんやMIKI8194さんみたいにぎゃあぎゃあ、ミーハーになりたくてもなれない。そこまで夢中になれるのか、不思議です。
2007年07月17日
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お客様からリクエストがあった。「牡丹」の絵である。調べてみると、中国では掛け軸でよく牡丹の絵が見かけます。牡丹の花は結婚運を上げると伝われております。つまり、牡丹の絵は幸せを招く花です。結婚したい女性なら、それを飾っておくといいでしょう。牡丹の絵を自分の部屋、もしくは寝室に飾ることをお勧めします。久しぶりの風水画の制作でした。1日中時間がかかってしまいました。肩がこりました・・・・。でも難しい花びらを重ねることができ、これで落ち着きました。最近、風水画の売れ行きがいいようです。何故かな・・・?でもこの風水画が売れるたびに聴導犬に寄付できることがとてもうれしいです。この絵の売上げの一部は聴導犬に寄付されます。来年、聴導犬に寄付することをイメージしながらこの絵を願いを込めて作成しました。次は・・・・朱雀(南)・龍(東)・虎(西)・北(亀)を作成する予定です。頑張ります! 風水絵のネットショップはこちらです。
2007年07月15日
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《認定14号聴導犬が誕生》6月に認定14号となった聴導犬が沖縄県で貸与されました。聴導犬の名前は「まつ」(雄6歳)の雑種犬です。第1号の美音は、リタイヤしていますのでこれで国内で活躍する聴導犬は13頭となりました。まだまだ聴導犬の数は少ないです。「まつ君、がんばれ!!」 まつ君、沖縄での活躍、頑張ってね。そうそう、昨夜テレビでNHK教育テレビジョン番組"ろうを生きる 難聴を生きる"で、「聴導犬普及を目指して」が7月14日に放送された。わずか15分の放送。私はしっかりと見てた。「わぁ~水越さん、かっこぃい♪」日本聴導犬普及協会の水越さんが出てきた。これからの日本。聴導犬が増えますように!理解が深まりますように!あ、そうそう。レポートをまとめなくては!聴導犬のデモを大阪で実施できるように明日のマミーの会議で打合せする。大阪で聴導犬のデモ、そしてビデオDVDとなり多くの方々に理解していただけるように・・・。 水越さん、頑張ってるね!
2007年07月15日
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私は聴覚障害者だが、中学生、高校生のとき50点のヒアリングはとても困った。教師にも訴えたが、「とりあえず"勘"でやってみて」と言われた。 英語はあきらめて他の試験を頑張ってなんとか高校合格したのだが、息子の英語の期末テストを見たとき丸々ヒアリングではないか。今の聴覚障害児はどうしてるのだろう? 私は聴覚障害者だが、個人的に英語は嫌いじゃない。 英会話学校にも1年プライベートレッスンに通ったほどだ。 聞こえなくてもね、英語というものに触れたいための手段だった。
2007年07月10日
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今「ラッキーウーマン」漫画化へ資料集め中。これを進めると、不思議なことに疲れがぶっ飛ぶ。ワクワクした気分と新たな希望が私を元気にさせる。ラッキーウーマンの資料はいつも持ち歩いてる。「必ず実行させる」という気持ちを保つため。HP制作の仕事、パソコン教室への実行、さまざまな企画書を持ち歩いてるけど。。。けれど、中でもラッキーウーマンの資料は大切にしたい。そこには奥が深い。このマンガには多くの障害者に勇気を与えるものとして私にとってたったひとつの作品にしたいものである。日本の障害者すべて、いや、世界の障害者すべてに希望を与えたい。というわけで時間をかけながら念入りに資料を集めている。私の周りにはなんというすばらしい人ばかりだろう。懸命に生きてる人たち。私はその人を目の前にしてペンを持つ。私にマンガを描くチャンスを与えて下さって、生きる糧を与えて下さって、ありがとうございます。その「ありがとう」という気持ちを何倍の気持ちに変えて、世界中の障害者たちに勇気を与える作品に集中したい。ひとりひとりの歩いてきた道に私も勇気を与えられる立場として、ペンを取らせて頂くことを感謝いたします。まるで水を得た魚のように私の頭の中は新しい作品の資料がたくさん並んでいます。いろんなマンガの世界が今までと違い、背景が広がっていく。たった一枚のマンガの紙切れにはしたくない。その人の生きてきたものを人々の頭の中に残るようなマンガのページにしたい。そんなストーリーにするにはいろんな漫画を見る必要がある。
2007年07月09日
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今日は仕事が終わって私はおじの家に訪れた。おじの顔を見に行った。少しやせているが、元気そうだ。おじはガンだ。来年手術の予定である。おじといっても私の血のつながったおじではない。ただ、私はこのおじには忘れないご恩がある。数年前、私はたったひとりで子供を引き取るために調停や家庭裁判所に訪れるほど、必死な時期があった。けれどひとりではなかった。おじは私が耳が不自由だから「大切なことを聞き逃してはいけない」と私の行くところには必ず現れた。仕事を休んでおじは私を後ろから後押しをするように、見守ってくれた。そのおじが今ガンに冒されてる。数年前私がひとりで酒を飲み続けてる姿を見たり、または一人で泣き続けてるのを見守ってくれたおじ。おじは私のために分厚い法の本を買って目を通してた。私はそんなおじに向かって「私、子供を引き取るだけを考えて生きる」「それでこそ、美紀ちゃんだよ」とおじは最後まで一緒に戦うことを約束してくれた。「ただ、何かあっても悔やんではいけないんだよ。」「裁判っていうのはね、勝ちと負けの世界だから」「どちらかが地獄を見るのが裁判だから」私はこう口を開いた。「たとえ負けても私は訴え続けてきたという母親の気持ちが記録となり、あの子が母親は自分を見捨ててなかったということだけでも感じ取ってくれたら」その言葉でおじは私を信じてくれた。裁判中に私は6ヶ月ぶりに3歳の息子と会うことを許された。息子は時間になると「帰りたくない」と泣き疲れて私の背中で寝てしまったのである。私は寝てる息子をおんぶしてこのまま逃げちゃいたいという気持ちでいっぱいだった。しかし、逃げてはいけないと自分の心に誓った。息子が起きると笑顔で私は息子と別れた。「運命って皮肉やね」という私の一言におじは「いつか、いいことがあるよ」と励ましてくれた。その絆があったことを私はしっかり覚えてる。だから大切な人なのである。今日は七夕の日。「おじの手術がうまく行きますように」と願いをこめた。息子はそんな過去があったとは思わないだろう。けれど、私はしっかりと覚えてる。息子のためにおじやみんなが立ち上がって頑張ってくれたんだよ。私もあんたを思わなかった日はない。今わかってくれとはいわない。大人になって、子供を持つ親になってそのときにわかってくれたらいい。どんなに自分が幸せか、感じ取ってくれたらそれでいい。私はおじに感謝をせずにいられないのもこの絆があったからこそ。大切な人である。長く生きてほしい。私の父も他界し、母もそんなに丈夫ではない。誰よりも健康だったおじ。この人だけは大丈夫だろうと思っていた私。そんなに甘くなかった。七夕の日。願いを込めて私の祈りが届きますように。神様、どうか、この人を守ってください。
2007年07月07日
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暑い夏には弱い私。鹿児島県生まれなんだが、暑い夏に負けてしまう。体力をつけようと思ってるので、近いうちにジムに通いたいと考えている。気持ちよく働きたいし、体もどうも年齢が重ねるときついと感じてきた。マンガを描くのに不健康ではやっていけない。徹夜もできなくなってきたし。以前は3日寝なくても大丈夫だったけど、今はもう無理だ。気持ちはあるけど、体がついていけなくなった。1週間に1度は2時間泳ぎ続ける目標を作りたい。2年前はジムに通ってて、2時間泳ぎ続けてきたため、体は元気だった。海外の飛行機に乗っても足は大丈夫だった。ジムの結果だろう。また海外に行きたいのでその前にジムに通って泳ぎ続けます。
2007年07月06日
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期末テストが終わって中学生の息子はスマイル。今週はテストの結果がわかる。帰ってきた息子のテンションで悪かったか、よかったのかすぐわかる。息子は単純だなぁ・・・。英語はハイテンションだった。クラスで4番らしい。(50人クラス?)そりゃ、英語は小学校1年からずっと英会話に通ってたから成績がいいのはいやでも勉強してたから頭に入ってるやし・・・理科は勉強してなかったので成績は悪かった。そりゃ、当然やで。でも私は「今度からは勉強すればいい成績がとれるからね」と冷静。すると息子は「全部揃ってないから、平均点がわかんねぇから決まってから言えよ!」と逆ギレ。「・・・・」と私は息子をみつめた。視線が今まで下線だったのに、今は上線。そう、息子は私より大きくなった。この春から夏にかけて、どどど~んと伸びてしまった。顔も身体もおにいちゃんになってゆく。しかし、心はまだ未熟だな。ふふふふ。と微笑むと、息子は「気持ちわりぃ!」と部屋にこもった。最近わかった。息子は逆ギレするのは自分が悪いのわかってるから怒るやんな。ま、長い目で見守りますわ。
2007年07月04日
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