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めずらしく母が自分から医者に行くという。どうしたか聞くと2,3日前から鎖骨の辺りが変に腫れてて痛いんだって。触ったら確かに異様に腫れてる。日ごろあまり自分から医者に行かない人なので、本人も少し心配だったんだろうで、私がいつもお世話になっている外科のM村先生の所に行った。そのM村先生が母を見るなり「うーん、こーゆー膠原病の症状を見たことあるなあ...」って言ったんだって。そうしたら母が「先生っ!うちの事情ご存知でしょう!あたしが膠原病なんてなってる場合じゃないんです!」たしかに先生は私のことも知ってるけど。そんな、怒られても、ねぇ...結果はただリンパが腫れてるだけだったらしい。母のすごい剣幕でいろんな検査もしてもらったらしい。私が思うには、今母は歯が痛い。そのせいで膿がリンパに影響を与えているんではないだろうか。だからM村先生のとこに行くより歯医者さんに行った方がいいのでは、と助言してみた。嫌だけど覚悟を決めて明後日歯医者さんに行くらしい。
2006年11月09日
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月曜日注文した小麦粉が、たった今届きました。よかった間に合った午後からさっそくべーグルの仕込みに入ります。でも、全国的な文化祭とかバザーの時期は先週の連休で終わってるのかもしれないね。私の市は今週末<ゑびす講>という、メイン通りでの歩行者天国があり、そこでは、市民が何を売っても買ってもいいのだ。で、私はそこでべーグルを出品したり、友達と一緒に古着を出したりする。去年は初めて出してみたら思いのほか売れたのでびっくりした。なので今年も気合を入れてべーグルたくさん焼かなければ少しはリピーターがいるし。でも家庭用の電気オーブン2台で焼くからたまにブレーカー落ちるんだよね。しかも電気代すごいし...ま,いっか。
2006年11月09日
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正しく言うとJAバンクのM本くんとK頭くん。いつもは母の定期貯金の集金に来るのだが、今日はいったい何をしに?なんと母の差し金で、私の行く末を案じて、将来設計をご提案しに来てくれたのだ。まあ、私も自分のことをちゃんと自分で考えなければぁとは思ってはいます。そりゃあ独身で障害者なんだから、頼れるのはハッキリ言ってお金だし働くのは難しいっていうのは昨日身にしみて感じたばかりだしね。んなことはともかくとして、なぜJAバンクなのか。理由は簡単、M本くんが小学校の時母の水泳の教え子だったから。ちなみに今彼は28歳だって。彼女なし。もちろん募集中。これは余談。しかもこの市内には大手都市銀行が無い。多分昔から無い。だから昔働いてた時使ってた銀行が近くに無いので大変困っている。今回M本くんは「全部うちにまとめればいかがですかぁー。不便ですよねー。」「ついでに定期預金もうちで初めてくださいね。」ってな感じなのだ。で、ケーキ食べて大笑いして帰っていった。それだけで、まだ今日は定期始めてない。のんきだなーって思った。都会の銀行員ってもっと殺気だってたっていうか違った。前、小さい会社の経理やってた時いろんな銀行員に会ったけど、みんなもっとピリピリしてた。やっぱ田舎は違うなー。農業収入=JAバンクなんでしょ。余裕?農家が多いから。あとは郵便局があればいいから郵貯でしょ。じゃ大手都市銀行なんていらないわな。M本くん達、案外あのコンビやるかもしれない私はK頭くんがタイプだが。
2006年11月08日
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結果報告します。両方の病院とも不採用でした正直な気持ちを言うと、がっかりとほっとしたのが半分。しばらくは、もし採用されていたらマジで前向きに頑張ろうと思っていたし今の生活と変わるなぁなんていろいろ考えていた。やる気満々だ。ただその気持ちも面接を受けてから何日も経つと萎えて来る。だから今日不採用と聞いたとき、ちょっとショックだったけどしょうがないか、と思ってしまった。とほほ...気持ちを切り替えて別の方向に進もう。私が障害者だから障害者雇用促進会に行っただけなんだから。ねえ、私をふつうのニートだと思えばどうよねえ、ねえ。きいーっ開き直ってやるう
2006年11月07日
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今日リハビリ室にすごいおじいさんがいた。ちょっと想像してほしい。身長170センチ85歳くらい痩せ型で白髪、ぐでんぐでんに酔っ払って千鳥足で転びそうになりながらあちらこちら分けわかんないこと言いながら歩き回っている。想像できただろうか。まさに見たところ大酔っ払いなのだが、後ろからリハビリの先生が腰を抑えて付いている。リハビリ室中好き勝手歩き回って部屋に帰った。私は入院生活が長いが、あんなにアグレッシブな痴呆老人見たこと無い。自分がちゃんと歩けないことを自覚してなくて怪我して入院した。だからこれからも歩けないのに歩くんだって。家族にとっては大変なことだよなあ。おじいちゃんは今すごくしあわせなんだろう。ああなっちゃえば。でも家族はどうなんだ。いろんな家族がいると思うが...私だったらって考えた。考えたくない。文章にしてはいけないような気がする。
2006年11月06日
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今、パソコンで小麦粉を注文したら、どこの店も発送まで3日以上かかるという。というのも私はよくパンを作るので、材料を買うのに、より安いところや気に入った物を扱っている店と、3店に分けている。今週末にバザーでまたべーグルをたくさん焼くので、25キロの強力粉を買おうとしたらどこのお店もいつもの日より発送が遅れてますって注文が殺到していますって。思うに、どこも地域でも秋の文化祭とかバザーってするんだよね。で、奥様方はみんな手作りクッキーとか手作りケーキとか手作りパン作って出品するんだ。つくづく感じたこと。日本は豊かな国だ。なんだかんだいってもなぁ...そんな私もパソコンいじってパン焼いてバザーなんてやってられっけどさ。ごめん前まで独身OLだった私はなんか、すごく複雑な気分で、つい日本の経済のことまで考えちゃったよ。でもこういう奥様方見てると日本は景気回復してると思うよね。すごいパワーだね
2006年11月06日
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今日は市内の文化祭だった。市民の皆さんの作品をいろいろ展示したり、名産品のコンテストをしたりする。たぶんどこの市でも同じようなことはしてると思うよ。が、正直、私はそれらにはあまり興味は無い。ただ私はとくちゃんのたてたお茶を頂きに行ったのである。メインイベントは同時開催のお茶会だったのだ。もう1ヶ月も前から本人から絶対来るようにって言われてたし、昨日もお茶の先生に明日の1時からですよって確認してあったのに、今日12時50分から待ってたら、とくちゃんが居ない!なぜ?...出番の名前のところにも書いて無い。先生に聞いたら、急遽お休みになってしまったんだって。あーあ残念この日のために新しい袴を新調したらしいのに。お披露目出来なかった。見たかったなぁ...なぜかというと、とくちゃんなんて呼んでるけど本当は彼は偉い偉ーいお坊様なのでした。急なご葬儀が入ったらしいです。みなさん群馬県の某有名山寺に行くと、とくちゃんにもれなく会えますよせっかくなので綺麗なお姉さんをパチリいいですねー 次は昔懐かしい福引をしました。4等インスタントラーメン。今日は町がすごく賑わっていました。お天気も良かったし、連休の終わりだし、市内の人が全員外出しているのではないかと思うくらいの人出でした。ちなみに故郷に帰ってきてエレベーターを2回待ったの初めてです。それってすごいことなんですよ。
2006年11月05日
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なんだか昨日から母が芳香剤くさい。それも昔の。気になったから聞いてみた。そうしたらトイレに入ったからだと言う。そりゃそうでしょうよ、芳香剤がおいてある所ったらトイレ位だもん。でもうちのトイレはそんな芳香剤は置いてない。あやしいので突っ込んで聞いてみたら「お店のトイレ入ったんだもん。」だって。 1回ぐらいで?そんなに匂う?おかしいよね。なぜかと言うと、じつは、母は年甲斐も無く大の香水好きなのだ。以前私が会社を辞めたり、彼氏もいなくてデートの用事も無いので、まあ、女性ならこの気持ち分かっていただけると思うが、この先金輪際使わないと思って思い切ってそれまで持っていたたくさんの香水を全部処分しようとした時に「捨てるんだったらお母さんにちょうだい」と言って全部持ってちゃったことがあった。で。思うに、香水だって古くなるだろうし、その人によって匂いも違ってくるでしょ。しかも母は香水付ける時、浴びるほどつけるんだよね。本人は鼻が悪くて分からないって言ってるけど、周りに迷惑なんだよね。だから、あの芳香剤のにおいは古い香水が母の体臭と混ざって強烈になったにおいだと思う。あ、お風呂には入ってもらいましたよ。今日。どう思う?
2006年11月04日
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小学校5年生の時、児童会委員をしていた。放送委員もしていた。ユネスコ合唱団も入っていたし、バレエも習っていた。いわゆる優等生だった。なのになぜか思いっきりいじめられていた時期がある。クラス替えがあってすぐだったから仲のいい友達と別のクラスになったから、初めは友達はいない。ある日落ちてた鉛筆を拾った。そうしたらすぐさま誰かが「あー!盗んだー!」って大騒ぎを始めた。それからいじめが始まったのだ。こんちくしょう。負けるもんか。何が理由なのか。その中の1人の子の親が、私の家の事を片親だから、って言ったんだって。小学5年に何が分かる?単にいじめるきっかけが必要なだけだ。私は勉強に拍車をかけた。委員会活動も孤独にやった。だんだん友達が出来てきた。最近のいじめのニュースを母と二人で見ていた。「やっぱりいじめられる子って弱いのかねぇ。」って母が言った。唖然とした。そうか、このくらいの年の人はそういう感覚なのか、って。私達の頃は、強い子、優等生、友達が多い子だって何かの切っ掛けでいじめられるのに。ニュースに出てくるコメントする人や、校長先生もこの程度の認識しかないからいつまでたってもいじめが無くならないんだって思う。ほんと分かってんのかなって思う人がまだまだ教育現場にはいるらしい。確かに自殺は弱いと思う。もう少し強くなれば生きて行けるのに。それを教えるのも学校じゃないのか。だんだんいやんなってきた。だって世の中には病気で生きたくても生きられ無い人もいるんだから。
2006年11月03日
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例えば「ちょっとそこのバスの地獄表(時刻表)取っとくれよ。」とか「ついでにデバート行って来るよ。」とか。なんか気にして聞くと気になる。
2006年11月03日
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まあまあの出来栄えかな。食パンは何回作っても納得いくのが出来ません。今までに1回だけだな、これだって言うのが出来たの。その時はなんで出来たのか分からない。手捏ねだからかな。オーブンのせいかな。いろいろ悩んでるんだけど。わからん。今日はシンプルなレシピです。 しかし下に敷いたレース編みが昔懐かしいでしょ
2006年11月02日
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3年前から障害者で思うように動かない体。でも、頭はまだまともに動いてる。時たま意識不明になる。もうすべてがストレスだ。生きるためにするべきことが。
2006年11月01日
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私の通ってたのはお寺の幼稚園だった。ご察しの通り通学路はお墓、というか墓地の脇を通る。今の霊園とかみたいに整備されてないので、無縁仏みたいのもあって子供心にちょっといつも怖かった。遠くの子は幼稚園バスで帰ったり、お母さんが迎えに来たりするんだが私達家が近くの子は子供たちだけで、その怖い道を歩いて帰っていた。先生には「お墓で遊んじゃ駄目」って言われてるけどそんなの聞くわけなし。が、ある日誰かがほんとにお骨見つけちゃって、すっごいびびった。腰が抜けたね。昔のお墓はそのまんま入ってたりするんだ。それ以来中まで入って遊ぶ勇気は無くなった。遊び場が無くなった私達は帰り道に落ちていたどんぐりの実を拾って遊ぶことにした。誰かが「どんぐり食べるとどもるんだって。」って言ったら「うそだぁー!じゃああたし食べてみる!」ってちょっと当時いじわるだった女の子が言った。だから私も止めなかった子供心にもまっさかーと思ったが...ななななーーーーーんんと、どもったのである!これは取り返しのつかないことをしてしまった、と思い、それぞれの家にすっ飛んで帰り泣きながら親に言ってその子の家まで謝りに行ったんだと思うが、その後その子のどもりはどうなったんだろう。覚えてない。でも ほんとに どもったんだよ。 そんなことないって思うでしょ。
2006年10月31日
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今月から週1回になったリハビリ。家で出来ることは自分でやらなきゃね。わかってるんだけどさ。ついつい。先生に「昨日のフィギュアスケートのミキティーみたいになりたいねえ。」なんて言ったら思いっきり背骨ぎぃーってやられましたよそれから指を伸ばして、股関節直してもらって今日はおしまい。立ち上がりの練習は少しだけだったのに、なぜかちょっと疲れて昼寝してしまった。こんなことでもし就職決まったらちゃんと働けるんだろうか。不安だ
2006年10月30日
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今日は暖かかったねー。絶好のフリーマーケット日和だったね。家の近くのビジネスホテルの駐車場で、今年初めてのフリーマーケットが開かれるっていうんでさっそく見に行ってきた。初めてにしてはお天気が良かったせいか人出が良かった。そこでまた小学校の時の同級生に会って声かけられてすぐだれか気づかなかった。ショック...先週もちがう子のことすぐ思い出せなかったんだよね。あーあ、ぼけてきたかなあ。ま、あんまり悩まないことにしよう。で、今日はかわいい手作りピアス購入 1つ300円 安いね。そのあと友達とちがうホテルでランチした。ランチのデザートが、なんとかカンとか、とかいう洒落た名前だったから3人ともそれを頼んだら何のことは無い、ただの小さいだった。ま、所詮いなかのシチィホテルだもんねアイスコーヒー頼んだ私はなんだかなあ、って感じ。
2006年10月29日
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今、母は水泳のコーチの試験に行っている。どういうシステムか分からないが、彼女は昔からいろんなところで水泳を教えている。ほとんどボランティアだ。市で頼まれて、お年寄りとか小学校の夏休みや障害児とか、あとは個人的な時もある。今回も定期的な試験でべつにたいしたことではないんだが先週からちょっと練習しすぎたらしくあちこち筋肉痛らしい。もう5○歳なんだからさ、無理しなさんなってそれにしても自称国体選手はホントかな?候補くらいだなたぶん。私も小さい頃よく泳がされたっけ。
2006年10月28日
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昨日の夜11時過ぎ、そろそろ寝ようかなーなんて思ってたら突如「おっすー!飲もうぜい!」なんて、変な人が部屋に乱入してきた。彼女の名はMKという。幼馴染だ。幼稚園の頃から一緒だったらしいが私は記憶に無い。彼女いわく当時の証拠写真があるらしい。そこからまたしばらく間が開いて小学校高学年で仲良くなる。そして今に至る。昔はほんとに2人でよく飲んでたもんだが、ここんとこ2,3年彼女が結婚して出産したり私が病気したりで、なかなかゆっくり飲めなかったのだ。だからって突然今日?そう。そういう子なの。あの子は。もともとお酒が強かったんだけど、やっぱ飲まないと弱くなるね。だんだん絡み始めてね、「Missy最近冷たいんじゃなーいきィ!だってちっとも遊んでくれないじゃん...もうあたしのこと好きじゃないんでしょ。」そんなことないのに。もー。支離滅裂、ワインはこぼすはテーブルの下にもぐって出て来ないは、もう大変。ついには私の顔中にチュウしまくりで。でも2人とも酔っ払いだな、仲良く1個ずつワイングラス割っちゃったし。結局3時まで飲んじゃって、8時に向こうのお母さんから電話がきて慌てて帰ったよ。MKもこれを読んでると思う。大丈夫、そんなあんたが大好きだからね。
2006年10月28日
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今日はいつもの英会話教室の外人ティーチャーからたくさんべーグルの注文が来たので、朝から大忙しプレーン 15個 オニオン 10個レーズン 10個くるみ 10個 ふぅ...ちょっと疲れた我が家の分まで手がまわらなかった。また明日焼こう。今くらいの季節になるとオーブン使うと暖かくていいね。昨日は食パン焼いたけど写真はいまいちだったのでのーせない。でも味はいいよ
2006年10月27日
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明日で面接を受けてから一週間経つけど、まだどちらの病院からも返事が来ない。ふと考えたら、私ってもう10年位面接って受けて無かったんだ。返事って待つんだっけ?それともこっちから問い合わせるものだったっけ。心配なのでいつものリハビリの先生にそれとなく聞いてみたら「うーん、上の人と会議とか開いてからだからね、ふつうは。だからもう少しかかるかもね。 向こうから連絡くれると思うよ。」って。明日で今週終わりじゃない。こんなに面接の返事って遅いんですかだれかわかる人いたら教えてください。気になって眠れません。
2006年10月26日
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今ニュースで脳内ナビっていうのをやっていた。サルの脳を使って実験したかなんかで、要は、忘れていた道も脳内ナビで行けることが発見された、みたいなことだった。司会の女性が「じゃ、私いつもお酒飲んだ日は脳内ナビで帰って来てるってことですね。」って言ってた。なるほどー。そーゆーことねー。だったらなにもいまさら発見したって大騒ぎすることでもないじゃん。私も病気になる前はよく記憶無くなるまで大酒飲んでたけどいつもちゃんと家に帰ってたよ。ところどころ記憶無かったり、まったく覚えて無い日もあったけど、朝は家で目が覚めた。で、会社行ってみんなにその空白の時間を聞くのが恐怖でさ、でも今までに忘れてしまいたいーっていうほどのことは無かったな。よかった。ていうかみんな気を遣って言わないでいてくれただけ?ということで私は脳内ナビによってほぼ毎日無事(?)に家路についていたんだな。
2006年10月25日
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昨日友達から電話があって、今週でフラガール終わっちゃうよ、って言うんで急いで今日見に行った。とってもよかった。みんな一生懸命踊ってた。感動した。常磐ハワイアンセンターに行きたくなった。いや、行ってみんなとフラダンスが踊りたくなった。ほんとに行ってみようかな。前に外人さんが踊ってるのをハワイで見たことがあるけどそういうのとやっぱ哀愁が違うと思うなあ。それって浅草サンバカーニバルにも言えること?あれももともとリオデジャネイロだよね。でもとにかく楽しく幸せになれればいいってことだよね。ハワイアンセンター考えた人すごいな。その頃の日本人がほしい物全部集めた所だったんだろうな。
2006年10月24日
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みなさん信じてましたか。コマーシャルのこと。今日は月1回の神経内科の検診の日。先生がにこやかに「お変わりありませんか。」といつものように聞かれた。私は「相変わらず食欲がなくて、パンかお肉かケーキしか食べてないんですけど このままじゃ血液ドロッドロになって、また病気が悪化しませんか? 野菜とか食べなくて大丈夫ですか。」と答えた。すると先生は「うーん、温野菜にしても駄目なら、市販の野菜ジュースでいいですよ。 いまいいのが出てるから。そのかわり血液検査して異常が無かったらね。」検査結果は大丈夫と思うが、それより、今売ってる野菜ジュースである程度栄養補給できるってほんとだったんだ。なにげなくいつもコマーシャル見て、所詮ただのジュースでしょ、なんて思ってたけど先生が言うと説得力あるよね。うんうん。ジュースなら飲めるかもしれない。青汁は無理明日からいろいろ買ってこよう。だから縁あってこれを読んだ人で、食欲がない、野菜嫌いの人は、少しだけ心がけて市販の美味しい野菜ジュースを飲んでみたら。某大学病院神経内科の若い美人女医先生のアドバイスでした。
2006年10月23日
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度肝を抜かれたね。のんきにカラオケ大会だと思ってたら大間違いだったよ。プログラムにもちゃんと「芝オケ」(芝居カラオケの事)って書いてあった。今日はいつも通ってる病院の文化祭だった。初めてだしリハビリの先生たちのバンドが出るというので、どんなもんかいとそれを楽しみに見に行ったのである。その前のカラオケ大会に、いつもお世話になっているボランティアのおじさんがまあいつものスナックで歌ってるのと同じくらいの調子で歌ったあと、度肝を抜かれた!な、な、なななんだーーー!なんなんだーーー!突然ナース姿のおばあちゃんが登場!愛染かつらというのを1曲踊った。(歌無し) でもちょっとかわいい。まじで?ふざけてないの。本人は真剣に踊っております。あの衣装、掛かりつけの看護士さんから借りたんだろうな。携帯しかなかったから良く写せなくて残念。他にも次郎長じいさんとかたくさんいた。みんな元気だな。たのしそうだった。みんな来年も元気で生きててください。来年はますます芸に磨きがかかってそうだなぁ。今日は思いのほかすごい変な一日だった。
2006年10月22日
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もう夕方になっちゃった。ちぇ。今日は母が朝から踊りの発表会を見に出かけたのさ。だから家に私一人。久々の孤独。くーしびれるぅ。なんという開放感だろう。たまらない。なにをするでもないけど気持ちがすーっとする感じがするんだよね。いつも家にいるとずっと一緒に居たがるし、ここのところ外出はいつも一緒だったし、それでなくても私一人暮らし慣れちゃってたからさ。いまさら母親とはねぇ,そろそろうんざり、、、、、って言ってたらもー帰って来ちゃったよー!もっとゆっくりお夕飯でも食べてくればよかったのにィ。あーあ、今日も一日終わっちまいました。
2006年10月21日
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今日はただ説明会を聞くだけだと思って行ったらすぐに「履歴書はお持ちですか?」と聞かれて慌てた。何も用意してなかったので、言われるまま出された用紙に記入すると何枚かの募集要項を渡され2つ3つ質問に答えたら「じゃあ、この中で面接したい会社があったら言ってください。この後面接に入ります。」って。役所にしては手際がいいじゃん。今回障害者を受け入れる企業は全部で7社あった。その内の2つが市内の病院だった。他にはふつうの工場とかホテルの清掃だったけど、そういう所はやっぱりわりと軽い障害者募集っていうか、車椅子の人は無理らしく私としても病院の方がかなりというか絶対自分の体にも安心なのでその病院2つに面接してもらった。両方の担当者の方はとても熱心に45分くらいずつ面接してくれた。当初私は障害者の募集なんだからパートしか取らないんだろうな、なんて思っていた。だが向こうは本気で働けるフルタイムの社員を募集している。ちょっと驚いた。いや、すごくおどろいた。初めは私もまだリハビリもしてるし通院もあるからパートでいいやなんて思ってたけどいろいろ話してるうちに私も本気で働く気になってきた。しかしたくさん面接来てたし、まだ受かるか分からないから今からあんまりその気にならないようにしないと。でも病院の仕事って大変そうだよなー。だから障害者でもフルタイムで雇うんだね。後日合否はご連絡しますとのこと。みなさんにもご報告いたしますのでお待ちください。
2006年10月20日
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アメリカ人の彼氏がいた頃は頻繁に英語の夢を見ていたものだが、別れてから数年経って、仕事をやめて実家に帰って来てからほとんど日常で英語を使わなくなったら英語じたいを忘れてしまって、今では咄嗟に話せなくなってしまった。なのに昨日久しぶりに英語の夢を見た。というのも、先日何かのテレビを見ていたら某有名歌手のバックで昔の友達がギターを弾いていた。彼は若い時から日本で音楽をやっているアメリカ人で日本語と英語どっちが得意?って聞いちゃうくらい日本語が得意だったので彼とは主に日本語で話していた。その彼を含む当時の外国人の友達が何人か夢に出てきたのである。そのせいか何故か英語で話しているんだけど、不思議なことに夢の中の私の英語レベルも、今の現在の日常レベルなのだ。だから夢の中でしどろもどろ、いらいらしてる。話したい事が言葉に出来ない。なのにあくまでも英語でしゃべろうとしている。目が覚めて一人で笑っちゃった。いつもはあんまり夢なんて覚えてることなんてないのに。しかし私は凡人だ。ってつくづく感じた。夢の中でも自分の出来る範囲内のことしか出来ない。なんかかなしい。良く夢が現実になりましたぁなんて人いるけどこれじゃ現実が夢にまで押し寄せて来ましたぁ。だ。夢っつうくらいだからもっと大きな夢が見たい。今日はいい夢見れるかな。天才っていう人たちはどういう夢を見るんだろう。
2006年10月19日
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午前中リハビリ行って、午後は家にカイロプラクティクの先生が来てくれた。リハビリは毎週病院に行って保険の範囲内で受けるのだがカイロは全くの自費なのでけっこうするから、たまに来てもらっている。私はリハビリ、カイロ、整体、指圧、マッサージとかいろいろあるがどこがどう違うかほとんどわからない。じゃあ何故そのカイロの先生に今でもたまに診てもらっているかというと、3年前私が足の具合が悪くなって、初めてその先生に診てもらった日にちょっと私の足をさわってすぐに「明日県内の大学病院の神経内科に行きなさい。」その時は神経内科ってなんですか?私まだそんな年じゃないんですけど、足の筋肉がつってるだけじゃないんですか。でもすぐに念のため大学病院に行った。そして今に至るのである。もしそこで気づいてもらってなかったら、いまごろ寝たきりかもしれなかった。ほんとギリギリセーフだったのだ。おそるべしN先生。先生ありがとう。そして今日久しぶりに体チェック。「背骨曲がってきたみたいだよ。このままだと内蔵も悪くなーる。」ほんとN先生が言うとびびるよなー。
2006年10月18日
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よかった。今日はとってもお天気がいい。しかもあたたかい。うれしい。なぜかというとこの前行った谷川岳の気持ちよさに虜になった母はここのところ毎日のように、また行きたい行きたいと言っていました。うざいくらい。と、そんなところにちょうど友達が新車を買ったのでじゃあ新車初乗り会と行きますか、ということで独身女性(母含む)4人でまたまた谷川岳に行って参りました。連休明けの平日だから空いてるよねーなんて思ったら大間違い、観光バスがいっぱい。あと幼稚園と小学生の遠足です。今日はみんなでお弁当を作って持って行って、駅長さんの分も作っていったんですが、あまりの忙しさに一緒に食べられませんでした。でもそんな忙しい中でも車椅子を押してくれたり、とっても親切です。 制服がすごく素敵です。ロープウェイで登ってお弁当食べて景色見て写真撮ったりしてだいたい2時間くらい、3時くらいになるともう肌寒い感じです。下りのロープウェイの方が少しこわいかな。ちなみに朗報です。谷川ロープウェイはわんちゃんオーケーだそうです。なぜならば、駅長さんが犬好きだから。ぜひ雪が降る前にお出かけください。
2006年10月17日
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今月から週1回になっちゃったのに、行ったら担当の先生がお休み。予約してあったのに、事前に分かっていたらしい、が。ほかの先生が、「せっかく来たんだから何か1人でも出来ることをしてってください。」って。そうは言ってもねー。しょうがない、少し台につかまって立ち上がりの練習してたらその先生がマットでいざりの練習もしたらって言ったから、「私あの、いもむしみたいな練習嫌いなんですよね、、、。」って言ったら、突然そばにいたおばあちゃんがめそめそ泣き出しちゃった。「嫌い」って言う言葉に反応したらしい。相当家族にいじめられたのか、先生はいろいろ慰めながら病室につれていった。かわいそうだけど、ああはなりたくない。あんまり長生きも考えものだ。幸い私は長生きは出来そうもないし、よかった。
2006年10月16日
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もう温風ヒーターつけてる?我慢しないでつけようよ。寒くてたまらん。まったくさー、みんな風の子すぎるぜ。学校卒業してからずっと東京で暮らしてて、そのまま入院しちゃったから実家に帰って来た時の寒さといったら。ぎょぇー!た、たすけてくれー!病院でもいい、帰りたい!病院暖かかったなー。また2度目の冬がやって来る。無事乗り越えられるだろうか。大丈夫負けるな、去年乗り越えたんだ、今年の方が慣れてるはずだ。でもさー、学校で群馬県は関東地方だって習わなかった?ちがうね、うちの市はほとんど東北。だって温風ヒーター10月から5月まで使うし、大雪も降る。母は言う。「そんなこと言ってるけど子供のころはここに住んでたんだからね。」人間は進化(退化?)する。私が負けじと「東京の気温とか病院の生活に慣れちゃったからさ。」っていうと「地球温暖化でここの気温も昔よりはるかに暖かくなってるんだよ。」「よわむし。わがまま。」ってきぃー!頭にくる。わかりましたよ。今年もこの冬乗り越えてやろうじゃない。
2006年10月15日
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そう言われた時は笑った。でもあの頃はやっぱり変だったと思う。月曜から土曜まで働いて、朝まで飲んで、ちょっと寝たらすぐ起きて友達に電話して朝の8時からどっか遊びに行ったりとか、一人でコンサート聞きに行ったり、突然旅行にいったり、とにかく何かをしていないとたまらなかった。何もすることが無いんだったら仕事でもいい。だから休日出勤で、しかも残業。あとは疲れてお酒でも飲んで寝る。寝る時間がもったいなかった。で、友達に言われた。「あんたと付き合ってると死んじゃうよ。休日くらい家でゆっくり休めば。 何、そんなに生き急いでるの。」そうかなーって。その時は笑ったけど、それから3ヶ月して私が入院するなんてだれも思って無かっただろう。それから1年間入院して、退院した今は、もうそんな焦りの気持ちは全然無くなった。私は運命とかそんなに信じないが、この頃の事を思い出すとやっぱり感じる事はある。自分がこうなることが決まってたんだとしたら、そしてなんとなくそれが分かるとしたら、だったら私は今のんびりしてるからまだ死なないだろう。
2006年10月14日
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この間からパソコンにデジカメをつなぐようになったら、すぐ電池が無くなるので、別売りの内蔵用のバッテリーを、近所の有名大型家電量販店に買いに行った。するとバイトの女性らしき人が係りのお兄ちゃんを連れて来たのである。私もそのバイトの人もよく分からなかったので、よしよし、これで安心とカメラを渡したら、そのカメラを持ってどっかに消えちゃった。待つこと15分。結構長い。で、帰ってきたと思ったら突然説明を始めた!その説明がめちゃくちゃ小難しくて長い!自己満足してる。悦に入ってるっていうの?カメラ小僧?(古ーい)私が止めなきゃ延々としゃべっていそうな勢いだ。また15分。合計30分。バッテリー買うのに?要するにさ、私のカメラが古いので、合う形のバッテリーが無いから、充電式の電池にすればいいってことなんでしょ。ほら、2行で書けるじゃん。今カメラのコーナーなんて、普通の私みたいなしろうとがたくさん買いに行くんだからああいう店員さんじゃ困っちまうな。やっぱり同級生の電気屋さんに頼めば良かった。だって今日電話したらその電気屋のお父さんが「うちより○○電気で買った方が早いよ。」って言ったんだもん。まったく商売っ気ないよね。おじさーん。
2006年10月13日
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やっとキャンセルしたよ。いったい母は何を考えてるのか分からない。かつらをベレー帽と勘違いしてんだから。毎日自分の髪の毛も綺麗にセットしない人が、かつら被れば簡単だからっていう理由で、中途半端な値段で(セールで29,800円だって。それもうさんくさい)注文なんかしてるから、それも私に内緒で。なんでバレちゃったかって言うと、そのかつら会社からの確認の電話を私が受けちゃったんだよねー。で、本人に問いただすと「ちっ、ばれちまったか。」「寝癖ついててもはげ隠しになると思ってさー。あれってそのままかぶればいいんでしょ。」やっぱりなー、思ったとおりだ。かつらをベレー帽かなんかと勘違いしている。それでも本当に薄毛を気にしていたり、きちんと手入れして格好よく被れる自信があるのかって聞いたら、、、そうでもないらしい。中年女性のただの衝動買いだった。直ちにキャンセルだ。すぐ電話した。そしたら向こうのテレフォンセンターが出て「お客様、こちらの商品はキャンセル出来ない決まりがありましてぇ、、」そんなわけないだろ。法律があるじゃん。「じゃぁ届いてからクーリングオフしますっ。」て言ったら、あわてて「折り返しお電話します。」って1回切って。その後少し年配の女性から電話が来て、何だかんだ言って無事キャンセル出来たんだけど、なかなか1回では断らせてくれないもんで、こうやって世のおばさんたちはテレフォンショッピングにハマッテ行くんだなと思った。最後に母が一言「あの電話聞いたらホント断って良かったと思ったよー。 いんちきだねあのかつら屋は。キャンセル受けないなんてさ。」ていうか、なんか違わないか、断った理由が。あー疲れた、、、
2006年10月12日
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1週間ぶりにリハビリに行ってきた。自分としてはまあまあ悪くなかったが、先生いわく股関節が硬くなっているそうだ。今はいいけどそのうち立ち上がることも出来なくなるぞ、と、脅された。なのでリハビリの無い日は家で自主トレしなくちゃならないんだけど、ふと考えた。もともと運動神経が良くて運動が何でも出来た人や、運動が好きな人とか運動選手と、私みたいに、そもそも運動おんちだからからなのか運動が嫌いで、小学校からずっと体育は2の人が、同じ片麻痺や脊髄損傷などで体が自由に動かなくなった時を比べた場合、最初からもって生まれた運動能力やセンスが違うから、リハビリでの回復力なんかも違うのだろうか?私は絶対に差があると思う。私のリハビリの先生は気を遣って「そんなことないよ。」なんて言ってくれるけど、いや、あるね。今年の24時間テレビの車椅子のトライアスロンの選手も、元何かの運動選手だったし。たしかに筋トレとか体が硬くならないように自主トレはしなければいけないけど、それと生まれ持っての身体能力は違うことだと思う。どう思いますか?私は、もともと運動神経のいい人は障害者になってもある程度センスはいい、って結論なんですけど。
2006年10月11日
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今日は今上映中の「ワールドトレードセンター」を見てきた。内容は素晴らしかった。特に男同士の信頼関係は大好きなので最後に助かると分かっていても気持ちいい。なんて今はのんきに映画を見て感動してますが、2001年当時私は女友達と2人で暮らしていました。そしてあの9,11の夜、家で別の友達と話しながらお酒を飲んでると、そこへ同居している友達のお母さんから電話が。「今すぐテレビつけて見て。ニューヨークのS子が勤めてるビルが爆破されてるみたいなんだけど、おかあさんわかんないから、、、」咄嗟にテレビをつけるとどこも全部同じニュースです。一瞬、なんだこれは、なんかの映画か?と思いました。S子は同居してる友達の妹です。あいにくその友達は外出してたのですぐ帰ってきてもらい、そのあとニューヨークのアパートに連絡したり携帯に連絡したり、向こうの知り合いに連絡したりでもぜんぜんだめでした。テレビのニュースも悪くなる一方で進展しないし、本当に映画と同じく運を天に任せて、あとは祈るよりほか無い。夜も白々と開け変わり果てたニューヨーク。彼女に「S子だいじょうぶだったような気がしない?」って言ったら「絶対そう思う」って言った。「生きてる気がする」って。翌日元気な声でS子から電話がかかって来ました。人がこんだけ心配したのによー。彼女は今ニューヨークでバリバリ働きながら最近結婚もしました。日本には帰ってくる気はないようです。阪神淡路大震災の時にもやっぱり別の友達が大変な思いをしましたが、やっぱりそこの土地を離れる気持ちは無いみたいです。一生に残る貴重な体験をしたら、その思いを一緒に味わった人がいるところがいいんですね。私ももしニューヨークにいてあんな経験したら、みんながどんなに帰って来いって言っても帰らない。いや、まてよ、、、でもみんなどうなんだろう。もう嫌な思い出のあるところは逆にやだって思うんでしょうか。でもそれは生きているから言える事なんだよね。死んじゃったらそんなこと言ってられないもんね。
2006年10月10日
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昨日のバーベキューは10代の時からの友達たちとしました。私たちはさんざんアバレテ来ましたが今はもう落ち着いて、みんなはそれぞれ家業を継いだり結婚したり、もうばついちになったりしています。そしてその後私が高校卒業して家を出てから、病気で戻ってくるまでほとんど音信不通でした。だからお互いその間のことはほとんど知りません。でも昨日はもうそんなことはどうでもよくて昔話に大盛り上がりです。当時聞けなかった裏話や忘れていた昔話がなぜあんなに楽しいのでしょうか。年をとった証拠でしょうか。社会に出てからもいい友人がたくさん出来ました。でも子供の頃のいい意味での無責任な関係の友達って、なんか特別だなって思いました。またあらためて、しばらく離れてた故郷に帰って来たんだな、これからずっとここで暮らして行くんだな、と、しみじみ関係ないけど思いました。私は友達とべったりするのが子供の頃からあまり好きじゃありません。というより苦手です。仲良しの子とおそろいの物を持ったり、女子がトイレに二人で行くのが嫌でした。でもやっぱり友達は必要です。矛盾したわがままな考え方かもしれないけど。だから私が本当に必要だと思う、本当に心の底から好きだと思える人だけを友達、友人と考えます。仕事上の付き合いが一切無くなった今、3年たってようやくシンプルに考えられるようになりました。無駄な人と付き合っている時間も体力も無いです。
2006年10月09日
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昨日の話の続きじゃないけど、今日晴れたら友達とバーベキューする約束でした。目が覚めたらまだ雨が降っていて、こりゃだめかなと思ったけど、よく聞くとかすかに鳥のさえずりが聞こえる。今日は晴れるぞ。間違いない。都会で忙しく働いてる時は気づきもしませんでしたね。30分後案の定もう晴れました。このままだったらいい天気です。またたくさん食べられるでしょう。続きはまた。5時間後やっぱり雨降ってきちゃったよ。でもラッキー!ななななーあんと、生まれて初めてちゃんとした半円形の虹を見ちゃった!しかも2重の。見たことある人いますか?いないだろうな。写真撮っとけばよかった。残念,,,,
2006年10月08日
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それでも朝食はすこしおなかがすいた気がするのでいいほうだ。昼食なんか一人でいたらほとんど忘れていて食べないし、夕食はたまに気持ち悪くなる。それでも薬を飲むのに何か食べないと胃に良くないから無理に何か口にする。おなかすいたっていう感じがあんまりない。まあ体動かさないからそんなにおなかがすかないのかもしれないけど。だからもともとそんなに好き嫌いがあったわけじゃないけど、今は好きなものをほんとに少ししか食べられない。始めは母も躍起になってあれこれ作ってたけど、最近はあきらめてるし、主治医の先生もべつにいいんじゃない、っていってくれてるし。今日のお昼はケーキだった。おやつっていうのか。なのにどこかのお節介おばさんが(母の友達)夜、私のところにずかずか上がって来て、分厚い本と何枚かコピーを持って、一瞬何かの宗教の勧誘か?とびびったが、「私の父はねっ、これで治ったのよっ!」なんて体にいい食品の説明を延々2時間ですよ。食欲がない人にどうやって60品目の食品を1回の食事で取れっていうんだ。食べれるんならこんなに悩まない。いくら知り合いのおばさんだからって、おばさんにも、2時間も我慢してた自分にも腹が立ってついに「あなたに何が解かるって言うんですかあ!」って言っちゃった。それでもおばさんはあきらめないねー。また来たらどうしよう...でもこのあいだ友達とバーベキューをした時はすっごくたくさん食べられた。もともと大酒飲みなので記憶喪失になるくらい大酒も飲めた。翌日そんなにつらい二日酔いでもなかった。ということは食欲はすべて気持ちの問題なのか。楽しくて気持ちよければたくさん食べれて飲めるのか。脳の病気をしてから体が原始的になったのか!ということはこれから健康に生きるには60品目の食品をたべるより楽しく気持ちよく生きればいいんじゃないか!やっぱり先生の言うとおり 「べつにいんじゃない...」 だったらしい。でも私みたいな、食べたほうがいいのに食欲が無い人はみんなどうしてるんだろう。
2006年10月07日
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シリアルミックス、くるみ、プレーンの3種類を焼きました。少しべーグルにしては過発酵ぎみですが、母は歯が弱いのでソフトな方がいい事にします。私はお米よりパンの方が好きなので、ほとんど朝食はパンなんですが、自分で焼いているパンでもいつも美味く焼けるとはかぎりませんよね。とくに食パンなんて納得いく焼き上がりの時のほうが少ないくらいです。天然酵母なんてはまったときには明け方起きてみたり、へとへとです。今でも食パンの時は時間かかってあんまり良く出来なかったりしてへこむんだけど、その点べーグルは失敗がないしいろいろ混ぜれるし、早く出来るし、ストレス溜まらなくてとってもいいパンですね。いま友達がまたバザーのお話をもってきてくれました。たまにこのべーグルをバザーに出したりしてます。がんばるぞ。 今日は初めて写真をいれてみました。難しかったーー.....本人もまだ良く解かってません。
2006年10月06日
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3年前のこと、入院している間にあれよあれよと言う間に具合が悪くなっていき、障害者手帳とか、高額医療費の事とか入院中にやらなければならなかったので、全部その病院のソーシャルワーカーさんに任せていました。結局1年以上も入院しなくてはならなくて、晴れて退院した時は住民票も変わっていたし、一人暮らしのアパートも引き払われているし、こんな体じゃ仕事にはもどれないし、と、途方にくれました。やはり気になるのが退院後の収入です。出来れば働きたいけど車椅子は受け入れるところがありません。入院中にも何度かソーシャルワーカーさんに相談したんですがだめで、であれば障害者年金というのはもらえませんか?と調べてもらったら、なんと入院する前に会社を辞めてるからだめだって言うじゃないですか。病気が原因で会社を休んで、3日後に退職、そのまま1年間入院、そのあげくに厚生年金がその日で切れてるから年金は1円も貰えないっていうんです。しかも今後のことを考えて半額免除にしたから払えっていうんです。その時は信じて払いましたが、退院してから、すっごく納得いかなくて、だって私は働けないのに年金だけ60歳すぎまで払い続けるわけ?今まで普通に払ってきた分はどうなっちゃうの、病気なんだから早く死ぬ確立高いわけじゃん。なんかあわない......で、さっそく図書館に行って専門書を読みあさりました。すると私はちゃんと貰える条件だったんです。それからは社会保険事務所に通う日々になりましたが、とても大変で何度も書類の不備だのなんだのでやり直しをさせられました。ついにねをあげた私は社会保険労務士の先生に頼んでしまいましたが1年後はれて年金が貰えることになりました。以前ニュースで生活保護か年金がもらえなくて死んでしまった親子のことやっていたけど、たくさんそういう人がいると思います。私が入院していた大きな大学病院のソーシャルワーカーの知識の足りなさや社会保険事務所の対応の酷さは本当に目に余るものを感じます。そして今日ようやく年金との戦いとも終止符と思った矢先、またわけのわからない書類が社会保険庁から送られて来たのです.....
2006年10月05日
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ブログに写真が入れたいー!ペンタゴンがぶっ飛ばないと見に来ないんだな、ってくらい忙しい電気屋さんが今日写真の入れ方を教えに来てくれました。友達は洗濯機が1年も壊れたままだって。でもそれは部品を買えばいい話だと思います。違うかなあー。彼とは同級生で勉強をいろいろ教えてくれました。今日はいろいろ教えてもらったけど、まだ完璧に出来ない。
2006年10月04日
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こんなとこに柿の木があったっけ、っていうくらい存在感の無い柿の木です。高校卒業してすぐ実家を出てしまい、盆暮れ正月しか帰って来ないので気にも留めた事がありませんでした。一昨年体をこわしてやむなく実家に帰って来て、久しぶりにこの柿を食べたんです。柿なんて一人暮らしじゃスーパーでなんて絶対買って食べないからたまにはうまいじゃんと思いました。そしたらなんと去年は渋柿だったんです!おととしは甘柿だったのに?なぜ・・・そしてついに今年は絶滅したと言われている(私だけが思ってるらしい)アメリカシロヒトリが発生しているではないか!だから今年はまともな実はなりません。なぜなの?今後この柿の木はどうなるの?ムショウに気になります。母に聞いてみると「知ーらない。去年までのぶちゃんが手入れしてたからぁ」そりゃないぜ・・・のぶちゃんて隣の去年亡くなったおじさん・・・のぶちゃんはもう帰ってこないんだあ。今後この柿の木はどうなるのでしょうか。毛虫は来年も発生するのでしょうか。甘い柿の実はなるのでしょうか。
2006年10月03日
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今日昼間テレビを見てたら母がスーパーでカットメロンを買って来たんです。ちょうど世にも奇妙な物語のクライマックスで小西真奈美から目が離せませんでした。後10分で終わるところです。ようやく見終わっていつものように後味悪いなあ、さあてメロンでも食べて気分転換だとおもったら。なああああーーーい!ヒトカケラもなあああーーい!全部食べられてる。あまりの速さにびっくりして思いっきりもんく言ったら敵もさるもの、あたしはいつもはヨーロッパ風に生ハムメロンをフォークでいただくのなんて言うから、そりゃーオーストリアとオーストラリア違いでカンガルーのステーキの方がお似合いだあ!なんだかもうめちゃくちゃですが二人して大笑いした後もう一度用事のついでにメロンを買ってきてくれました。で、食べたらそんなに食べたくなかった。
2006年10月02日
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昨日は絶好の秋日和で、20年ぶりくらいでしょうか、母と友達と3人で谷川岳に行って来ました。高校のとき行ったきりで、当時はとても車椅子でなんかいける所ではなかったのが、母の友人が今は谷川ロープウェイの駅長さんで、彼の強い強ーい勧めもあり、それではひとつ駅長さんを信じて行ってみようか。ってなことで。そしたら20年間見ない間にきれいになって。車椅子でもすーいすいです。空気も綺麗でお花も見れたし、また来週おべんともって行こうかなって言ってるくらいです。今でも歩いて登る人もたくさんいますし、私も高校生の時は遠足で半分くらい登りました。あのもちろん毎年遭難者が出る高い方じゃなくて、手前の低い方なんですが、すごく辛かった思い出があります。高校生の遠足にしては厳しすぎやしませんか。でも今は車椅子なので歩かなくて済んで楽して楽しめて、こういうときには良かったなって変なしあわせ感じます。係りの人も皆親切で最後は50段くらいある階段を持ち上げてくれました。まるで気分は江戸時代の籠に乗った町娘ですよ。もう娘じゃないか。ははは。皆さんもこの秋谷川岳にお出かけください。
2006年10月01日
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