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皆様、お久しぶりです10ヶ月ぶりのブログ更新です一年近くも放置していたなんて・・・!!母が入院していたり、仕事が慌しかったりで書こう、書こうと思っているうちに時間は過ぎていき・・気になったニュースなどなどたくさんあったけれど、いつの間にかそのニュースが過去のものに・・母もだいぶ回復しました。日常生活全て、とまではいかないけれど、外にも出れるようになったし買い物にも行ける様になりました。最近はリハビリの一環として東南アジアに送る古絵本の訳文貼り、させてますくわしくはコチラ♪コレ↑少しお金はかかりますが、楽しいですよくわしくはもうちょっと要領得たらアップします。...................................少し状況が落ち着いてきたので、今は週一度中国語習ってます。まだまだ初心者なので発音と簡単な単語と作文のみ。発音にはかなり梃子摺ってます独学じゃ無理だな~~とつくづく思う。。発音は半年かけて習うらしく、基礎・しっかりやっておかないと。うまく口がまわらず、本当自分駄目だな~~・・と思う事もしばし。。こんな駄目な私でもキレイな発音を身につける事ができたら先生たちには感謝してもしきれないなぁ・・・壁はたくさんあるだろうけど、頑張らず楽しんでやっていこうと思う。...................................大好きな台湾にも一年以上行けてない!もう少し母がいろいろできるようになったら絶対行く!!!!!それまでに少しは北京語でコミュニケーションとれるようになりたいなぁ・・自分で読み返してみて、なんだかぎこちない文章!(笑)またちょくちょくアップしていきます。またよろしくお願いしますm(_ _)m
2007年07月21日
もうタイから帰ってきてはや2週間以上あわただしくしているうちにもう10月。タイはごはんもおいしいし、めったにできない旅行ができましたみんなで大笑いした思い出ばかりです。タイでは友達の親戚にお世話になりましたが、皆様使用言語はタイ語のみ(@。@)英語はyes no程度しかわからないらしく。。。。台湾では漢字で筆談でだいぶカバーできましたが、タイではそれができず**思っていたよりコミュニケーションがとれませんでしたが、ボディラングレッジで楽しく過ごせました初対面の私にもとってもよくしてくれて・・・もっとコミュニケーションとれればよかったのになぁ・・・。。毎朝6時起きで、夜は毎晩外に連れ出してくれたのですが・・あまり夜遊びは得意でない私にはちょっと辛かったなぁ**(夜は寝たい派)毎晩3時過ぎまで酒を飲まされ(笑)「もうお腹いっぱい」と言っても食べろ食べろ、と夜中に油物のオンパレード!!(笑)絶対5キロくらい増えただろうなぁ・・と思っていましたが・・帰国して体重計に乗ってみるとマイナス1キロ!(もう元通りですが)言葉がうまく通じない環境に思った以上にエネルギーを使ったんだろうし、カプサイシン効果もあったのかも? ★ ☆ ★ ☆ ★私たちが帰国してタイではすぐクーデター。緊張感ゼロのクーデターらしいですが(笑)一緒に行った友人の母(タイ人)は「タクシンが首相になって街もキレイになったし、景気だって問題ないじゃない。 何が不満だって言うんだよ!(怒)」と怒ってました・・・ちなみにタクシン首相は華僑。(客家系)タイの財政界は他の東南アジア諸国同様華僑が牛耳っているそう。インドネシアのように華僑VS非華僑という対立が起こらないのはタイの華僑はすでにタイ人になっているから、らしい。(彼らのほとんどはタイ語以外の読み書きができないそう)インドネシアでは経済は華僑に握らせるが、政界への進出はさせないという政策をとっているそう。庇は貸しても母屋には上がらせない、といったところでしょうか・・・☆★ ☆ ★ ☆ ★4、5、6、7、9月と海外に行っていたので、これからしばらくは予定がないので寂しいなぁ・・☆次の海外旅行は何か目標を定めてそれが達成できた時、自分にごほうびとして行こうと思う。次はまた台湾、もしくは香港あたりを考えています☆台湾、行きたいけれど・・行くとなるとやっぱり台湾の友人たちにも会いたいしなぁ・・。。けれど会えばまた気もお金も使わせてしまう**彼女たちを一度日本に呼んで接待(?!)してからじゃないとなーーー、と思う。。。すっかり雑記ばかりになってしまった*またまた資格の学校に通う予定もあり・これから今以上に時間がなくなりそうですが、また時間があればブログ更新しますね★
2006年10月03日
早いもので明日からタイへ☆午前中に日本を発ち、夕方にバンコクに着く予定☆バンコクの空港では友人の親戚(タイ人)、それと一足先に来ていた友人の母(タイ人)が迎えにきてくれるそう旅行のメンツは予定通り、高校時代の友人、友人の上司兼元彼氏(姉歯氏似。49歳)それと私、という笑い話のようなメンツ(笑)まぁ、タイだし、たまにはこういうのもアリでしょうか(笑)また帰ってきたらブログアップしますね
2006年09月10日
こちら↓の絵本の作者・おぼまことさんは1937年日本統治下の台湾生まれの日本人。(ちなみに台湾生まれの日本人は湾生と呼ばれています。)おぼさんの幼い頃の体験をもとに書かれた絵本です。 + + + + + +おぼさんの幼い頃は戦時中であったものの・幸せな日々を過ごしていました。台湾で生まれ、台湾語も話し、当然のようにここが故郷であり生きてゆくと思っていたのですが、敗戦と同時に全てが崩れ去っていったそうです。おぼさんの父親は財産・土地・地位を失い、また幼かったおぼさんなりに大切なもの、美しいものを捨ててきたそう。。。この絵本の題名にもある「ひでちゃん」はおぼさんの初恋の人。「ひでちゃん」もおぼさんと同じく日本統治下の台湾で生まれ、おぼさんと同じように暮らしてきたのですが、お父さんが台湾人のひでちゃんは敗戦を境に「中国人」になり「ひでこ」ではなく中国名を与えられます。(終戦を境に「ひでちゃん」の服装が中華風に変わるなど、当時の様子が細かいところまで描かれております。)敗戦により台湾は中華民国の一部となり、中華民国政府は「日本人」と「台湾人」との間を遮断し、日本語の使用・日本人との接触を禁止した。それにより、「ひでちゃん」はおぼさんに対し冷たい態度をとらなくてはならなかったのですが、幼いおぼさんにはそれが理解できず・・・・・。。。 + + + + + +最後はほろっと泣かされる話です。戦時中が話しの大部分を占めているものの、血生臭い事は一切でてきません。「戦場」の外で起こった悲しい別れの物語です。日本に引き揚げなくてはならない幼いおぼさんはひでちゃんとの別れだけでなく家族の一員だった犬のムン・猫のミミとも別れなくてはならず・・・おぼさんの人生にとって一番最初の深い悲しみだったそう。犬のムンはこの絵本にもでてきますが、「ごめんねムン」という絵本としても出版されています。 + + + + + +「絵本」ですが・当時の闇市の様子や台湾らしい植物や田園風景が描かれており、台湾の地名もたくさんでてきます。台湾好きには是非一度手にとってもらいたい一冊です。 + + + + + +あとがきには10年ほど前、台湾に行った時にひでちゃんを探してみたけれどみつからなかった、とあります。あとがきが書かれたのは2003年。この絵本がきっかけとなり再会できていればいいな・・・、そう願わずにはいられません。絵本ですが、いろいろ考えさせてくれる一冊です。小さいこにはこの事情を理解するのが少し難しいかもしれませんが、いいお話しです + + + + + +台湾話し続きになってしまうのですが、次回は司馬遷太郎著 「街道をゆく40 台湾紀行」にも少し似たようなお話しがあったので紹介したいと思います。一人でも多くの方が台湾を知って、台湾を身近に感じてもらえますように・・・☆ + + + + + +最後に☆この絵本を紹介してくださったけろりーな姫さんありがとうございました。けろりーな姫さんはいつも新鮮な情報を届けてくださいます。これからも楽しみにしてますので
2006年08月14日
先月半ば、社員旅行でグアムに行ってきました。気も使うし、仕事はたまるし・・乗り気ではなかったのですが・行けるのなら行こうと(笑)けれど・・・グアムという土地に興味がわかず・・唯一興味深かった「戦争の傷跡」それすら今は公開していない。*戦死及び負傷した兵はアメリカ軍が7000名以上、日本軍はおよそ18500名以上とされる。グアムでは激戦も力及ばず、祖国日本へ『己れ身を以て太平洋の防波堤たらん』と打電し、自決。グアムといえば、横井正一さんを思い浮かべる方も多いだろうと思うが・・・横井正一さんの博物館はショッピングモールの片隅にあり、無料開放しているが・・・正直物足りなさを感じた。横井さんは地元の漁師に発見された、というのは有名な話☆地元の人に聞いたところ、横井さんは地元の方がしかけた網の中から魚をネコババしており(笑)それが発見のきっかけになった、との事らしい(笑) ☆ ★ ☆ ★ ☆ブランド品にも特に興味なし。海外来てまで買わなくても・・・と思う。ショッピングも行きましたが、サイズがでかいし、日本もセール時期。日本で買ったほうが安そう。しかも日本でも買えそうなものばかり。。。 ☆ ★ ☆ ★ ☆グアムで初sea walker、やってきました魚は寄ってきてかわいかったですが・・・この魚たちは餌付けされてんだ~~・・そんなことして生態系崩さない??そんな事を思いながらやってしまった**(どこまでひねくれているんだか・・・*)sea walkerはダイビングより手軽。カポッとかぶってさあ海へ!といったかんじ。水着の自分を見て、あとマイナス5キロだな・・と痛感 ☆ ★ ☆ ★ ☆個人旅行だったらトレッキングとか参加できたのになぁ・・。。やっぱり団体行動は時間の規制もあるし、むかないなぁ。。 + + + + + +帰ってきたらやっぱり仕事が山積み!!!!!ヒーヒー言いながらこなし、やっと通常ペースに戻ってきました ☆ ★ ☆ ★ ☆時事について書きたいこともたくさんあるのですが・・・すでに皆様きれいにまとめてらっしゃいますね*時間ある時にさくっとまとめます☆ ☆ ★ ☆ ★ ☆お盆休みは9月にとるので夏はほとんど仕事で終わりそう9月は友人とタイに行ってきます☆かなり不思議なメンツで行くのですが・・笑*友人(高校時代からの友人・タイ人とのハーフ)*友人の母(タイ人・華僑とタイとのハーフ。余談ですが、何やらバンコクには華僑とのハーフがかなり多いとの事。)*友人の彼氏兼上司。2年前離婚成立のバツ1。49歳、私たちとたいして歳のかわらぬ息子さんがいる。)そして私の4人。もちろん友人の母は彼女と上司が深い仲であることをしらない・・・。。仲のよい上司くらいに思っているらしい・・・深く考えるとちょっと胃が痛くなりそうな面子ですが・・・友人の親戚(タイ人)が私たちのお世話をしてくださる、との事お土産、また大変ですが・お金じゃ買えない経験をさせてもらえるのできちんとしたものを用意しなくちゃ☆お土産、何にしようかな~♪
2006年08月01日
またひさびさになってしまいました社員旅行でグアムに行っていたり(今年は区切りの年なので豪華にグアム)、そのせいで溜まった仕事を片付けたり・・と忙しくしていました今月まだ1回もスポーツジム行けてないよぉ~~泣台湾旅行記が終わったらグアムに関しても少し書きます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆台湾旅行記 その5の続き・・・☆夜市まで、友達の旦那様が迎えに来てくれた。友達の家では友達がマンゴーをむいてくれた。おいしい~~~とがっつく私たちを見て「日本にはマンゴーないの?」と☆「沖縄にはあるけど、私たちの住む本州では栽培してないよ。売っているものもほとんどフィリピン産ばっかり。しかも高いよ~」食べ物の話しもけっこうしたので・・・ここらへんもまた今度台湾情報アップしたときにでも☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆友達はミナちゃんの事もすごく心配してくれた。「ミナ、楽しんでる??」と何度も聞いてくれた。もちろんミナちゃんは言葉の壁なんてなんのその!筆談やボディラングレッジで楽しんでいた ☆ ☆ ☆ ☆ ☆夜中の4時くらいまで筆談やつたない英語で話しをした。ちょうど開催されていたW杯の事。家族の事。旅行の事。彼女たちは去年韓国・香港にも行ったそう。そこで日本のよさを再認識した、という。「やっぱり日本人が一番親切だし、紳士。 日本にはいいものがたくさん売っているし、街もキレイ。住んでみたい。」、そう言う。彼女たちは韓国人は態度がでかいし、韓国人にさんざんぼられた、と言う(笑)そういや去年台湾を案内してくれた日本語ぺらぺらの友達も韓国について文句を言ってたっけ(彼女に関してはここに + + + + + + +韓国に行ったことがない私はなんとも言えず。。ましてや韓国人の友人がたくさんいるわけでもない。韓国について語る資格もないので「まぁ、韓国政府はアホだと思うけど、韓国人とは付き合いがないからわからないなぁ。。」と言っておいた。韓国人を知らずに批判もしたくないのであたりさわりなく返しておいた。知らずに批判はしたくはないけれど、日韓の間の問題も説明したかったなぁ。。日本人側の意見を知っておいてもらいかたったなぁ。。もっと英語力があればもっと濃い話も説明できたのに・・・聞いてほしいことはたくさんあったけれど・言葉が足りずに誤解はさせたくないのでそのことについては話をしなかった。 + + + + + + +韓国はともかく「香港、よくなかったよ」と彼女たちが言うのに少し驚いた。香港は彼女たちと同じ中華アイデンテティの地域。「日本人は台湾と香港、区別がつかない人もいる。(実際みなちゃんも「台湾、ディズニーランドできたよね?」や「反日デモすごかったよね?」とか言っていた・・)たぶん同じように見えるんだと思う。だから、私たちは勝手にあなたたちは親近感がある、と思っていた。」そう言うと彼女たちは少し驚いたよう日本人の台湾への知識のなさを申し訳なく思う。。「彼らは私たちと使う言葉も違うしね。(香港は広東語・台湾は主に北京語) むしろ日本のほうが身近だよ」と言う。 + + + + + + +気がつけばもう4時!!眠らなきゃ!とみんなで焦り、就寝☆ミナちゃんは筆談をしていたらしく「とても楽しかった~~寝るのもったいないよ~~」と言っている。ミナちゃんと小声で話しをしていたけれどいつのまにか二人とも・・・ZZZZ朝はゆっくり9時起き朝ごはんを屋台で食べて・友達の会社へ。ここでもなぜか歓迎してもらって・・空港へ出発台中から中正国際空港までは150キロ近くある。何キロ私たちのために車を走らせただろう。本当に感謝感謝(-人ー)友達のご子息・建和くんも一緒に送りにきてくれた。建和くんは幼稚園を休めることが嬉しくてしょうがないよう(笑)空港までの道のりは騒がしかったけれど・空港が近くなるとなんとなく寂しくなる。「寂しくなるね。」と友達。なんだかみんなでシーンとしてしまった。 + + + + + + +空港では私たちの荷物をみんなでもってくれた。最後までお世話になりっぱなし。搭乗口ではみんなで泣いてしまった(笑)「たった3時間だよ!また来年来るから!!」と笑いながらみんなで写真をパチリ + + + + + + +搭乗口の中に入ってもまだ泣いているみなちゃん。「すごいいい経験できたよ~~人生観、変わった。ありがとうmaiちゃん」そう言ってくれた。そう言ってくれるだろうと思っていたけど(この自信はどこから??)言ってもらえるとやっぱり嬉しいまた来年年明けにでも行こう☆それまでに全然進んでない北京語~~~!!頑張らなくちゃ!!!!!!!
2006年07月25日
夜中に台北から台中へ移動した私たち朝方、少し眠ることに・・・ + + + + + + + + +9時半頃起きると友達はもう起きてTVを観ていた私たちを台北まで迎えに来てくれて往復運転して疲れているだろうし、更には家事までしてくれている。私たちがいた2日間疲れただろうなぁ・・感謝 + + + + + + + + +ミナちゃんも起きてきて3人で話しをしながら支度をする。化粧品の話しは尽きない・・ + + + + + + + + +友達の家にみんな集まって車に乗り西欧風の公園へ☆その中にあるレストランで食事をするここ・・・台湾なのに高級**一人700NT$(2400円くらい)くらいする・・*私たち二人分奢ってくれて・・・支払うよ!!とカバンの中にお金をねじこんではみたけれど「大丈夫!台湾は物価安いから!」と頑として受け取らない・・いやいやここ高いじゃんよぉ~~本当なにもかも支払ってくれて・・友達へのお土産すら買ってくれる、と言うそんなわけにいきませんってばそんなんで友達へのお土産は買えなかった私・・・笑公園で散歩☆ミナちゃんは友達とすっかりうちとけたようで楽しんでいた「ミナ、顔小さいね!足長いね!」とみなから絶賛「あたし、台湾うけよくない??!」と、ミナちゃん更に上機嫌かたや岩山をよじのぼっていた私は「maico、孫悟空」と言われ・・・笑次はなぜか友達のだんな様の職場へ。公私混合じゃないの??いいの?!と心配になる私たち。友達は「全然気にしないで~~」と言う・・・☆旦那様の職場では友達の息子さん、建和くんも幼稚園帰りらしく・くつろいでいる**旦那様が仕事途中に迎えに行ってくれたそう。子供のことは母親にまかせっきりの日本とは違うのかな??「いい旦那様だねぇ~、優しいよ。」と言うと「全然!優しかったのは結婚前まで!」と言う(笑)旦那様の仕事場の次は市場に行く。「maico,フルーツ食べたかったよね?」と両手に抱えきれないくらいマンゴーとライチを買ってきてくれたミナちゃんも大興奮私の好きなタピオカのミルクティーも買ってきてくれたおいしい~~~、と食べっぱなしの私たち・・・更にTea timeにしよう、と屋台に入る芋円(タロ芋やさつまいもで作った団子)を買ってきてくれたここでもやっぱりお金を受け取らない芋円はおしるこみたいな味。なんだか懐かしい感じがする。昼ごはんといいフルーツといい、かなりお腹いっぱいの私・・・せっかく買ってきてくれたものを残すわけにいかない、と必死で食べる私ふと横を見ると全く手をつけていないミナちゃん・・・。台湾人の友達も「ミナ具合悪い?」と心配してくれている・・・。。「どうしたの?」と聞くと・・「口にあわないの・・・」・・・・しょうがない**ミナちゃんの分も私が**、と必死に食べていると「無理しないで~~」と友人が言ってくれている。 + + + + + +中華圏のもてなしは食べきれないほどの量の食事を出し、もてなされている側は残すのが礼儀と聞くけど・・・本当なんだろうか??「米粒一つたりとも残すな!!」と育てられた私にはイマイチ違和感が・・・再び友人の家に戻ると旦那様が帰宅している。旦那様が私たちを夜市まで送ってくれ、更に建和くんのおもりもしてくれていると言うすごい理解のある旦那様・・・☆旦那さまにもたくさんお世話になりました夜市には洋服、DVD、CDなどなどたくさん売っている!昨日の基隆ではゆっくりみれなかったので、ミナちゃん興奮ミナちゃんの興奮っぷりに「日本には夜市ないの?」と「こういう何でも売っている夜市はないかな??食べ物だけならたぶん少ないけどあると思う。」と答えておいた。正しかったかな・・・??夜市で豚の血を固めたものが入っているスープを飲む。別に食べれなくはないけれど・・レバーよりくさいかんじ臭豆腐も苦手じゃないし、台湾料理、駄目なものって今のところないなぁ・・・納豆は絶っっ対食べられないくせに**ごはんを食べながらなぜか台湾の民族の話になる。ここらへんの話しは書けば10000字を超えてしまうのでまた別の機会に・・・♪そうこうしているうちに友達の携帯に息子さんの建和くんから「ママー!お腹すいた!!」と電話が・・☆とりあえずお腹もいっぱいになったし、友達の家でまた話そう、ということになり友達の家へ移動・・・☆続きはまた次回にでも♪では仕事に戻ります☆!
2006年07月11日
台中から迎えにきてくれた友達の車に乗り込んだ私たち。車の中ではやはりミナちゃんご機嫌ナナメ*しょうがない部分はかなりあるまず、疲れているだろうし、彼女にとって初めて身近でふれる日本語の通じない外国人。息苦しさもあったんだろうそれと、出発3日前くらいになって「泊まりに行くこと、やっぱり断って!!」と言いだしていた。。だから納得いかなかったんだろうもちろん、友達の家に泊まる、というのは私一人で決めたのではなく、ミナちゃんの了解も得ていた。「ほんとぉ~?いいのぉ~?悪いねぇ~」なんて言っていたし、私にとっても彼女にとってもいい思い出になる、そう思ったので台中の友達に「ありがとうお世話になります」とお願いしたのに・・手がかかるこじゃ・・・「今更無理だよ。もういろいろ準備だってしてくれているだろうし、あっちの顔潰すことになるし。」と、ミナちゃんを説得したけれど「台北から台中まで180キロでしょ??移動時間だって無駄だよ!」と言っていた。コラコラ、わがまま娘め・・・、そう思ったけれど頭にはこなかった。彼女が断って!と言う一番の理由は不安からだろう、とわかっていたし、台湾に行って、台湾人の友達や私のペースにのせられてしまい・彼女も楽しめる自信があった彼女は最初は「宿泊費浮く」くらいしか思っていなかったんだろうけれど、よく考えてみたら不安になったんだろうなぁ・・・笑彼女は毎日のように「友達に泊まりいけないって断った?」とメールがきていた。最初は返事を返していなかったが(笑)さすがに毎日のように来るメールを無視できなくなり、「断る努力はしてみるけど、無理だと思うよ」と返していた。が・・・もちろん断る努力なんてしてません 帰国する時には「いい思い出になった~~maiちゃんありがと~~!!」なんて言ってんだろうなぁ・・・と思っていたし、英語が全く駄目な彼女だってコミュニケーションだって問題はない、と思っていた。私たちは同じ漢字の文化圏だし、筆談だってけっこう使えるコミュニケーションに一番大事なのは伝えようとする気持ちだし、辞書をもっていればだいたいのことは問題ないそれに彼女たちだって英語をうまく話せるわけではない。だからこそわかりやすい英語なのだ私たちのbroken English、英語圏の人間が聞いたら怒るかな?きちんとした英語を身につけないといけないよなぁ・・この台湾旅行では、大丈夫だよ!、と何でもチャレンジさせてしまったがミナちゃんにとっては緊張の連続だったかもしれない・・・ 車の中で私たちは話しをしていたがミナちゃんは爆睡疲れていただろうし・・起きているのは気まずかったのかも?彼女たちは道がすいている時間に私たちをむかえにこよう、と思って急遽夜中にむかえにきてくれたらしい・・・☆感謝感謝・・・台北から180キロ、台中まではあっという間!ひさびさだったし、くだらないことを話していたからかな最近覚えた日本語、北京語などなど披露しあっていて、本当にくだらない話しばっかりなんだけど・・台中は台北よりごちゃごちゃしていなくてキレイに感じる。1997年の地震により古い建物は崩壊してしまったのだろうか??(台中の地震のことは書けば長くなるので今度また取り上げてみます。)地震のこと、少し興味があったけれど・・やっぱり失礼だから聞けなかった。。。「お腹すいた??」と友達。「うん、少し・・」と言うとサンドウィッチを大量に買ってきてくれた寝不足の胃袋には辛く食べ切れず・・「TAKEOUTしてもいい??」と聞くと「いいよ!」と。ミナちゃんはごはんを食べながら少し打ち解けてきた様子。やっぱり食事の力はすごい☆朝ごはんの後、「少し眠りな~」と部屋に案内してくれた。私たちの為に新品の薄手のブランケットや枕・タオル、それと水まで用意してくれているいつもは幼稚園に通う息子さんのお部屋らしい・・・☆アンパンマンやトーマス・ドラえもんのグッズが並ぶ・・日本と変わらないや☆息子さん(建和くん)ごめんね~~、と思い眠りにつこうとしていると何やらドアのむこうから寝起きの子供の声が・・・!!顔をみようとドアを開けると・・登場!建和くん☆友達が日本語での挨拶をしこんでおいてくれたのか私をみるなり「おはよう」と・・建和くんへのお土産はアンパンマンのグミ1ケース☆「一日1袋だけね」と言って渡すと喜んでくれた(何言っているか理解していないと思う)まだ5歳。外国人の私を怖がることなく北京語で話しかけてきてくれている。理解できなくってごめんね旦那様も起きてきた朝早くにすみません、よく眠れましたか?と聞くとちょっとあわてながら大丈夫、と言ってくれた。旦那様にも挨拶をしたし、さて・寝ようと思ったら今度は建和くんのぐずる声が・・「何事」と思い行ってみると(おせっかい*)幼稚園に行きたくない、とぐずっているそう。どこの国の子供も一緒ね~パパ・ママに説得され、幼稚園へ。私もしばしの睡眠を・・・続きはまた次回以降に・・・♪
2006年07月08日
台湾旅行記★その1 2006年6月24日~27日台湾旅行記★その2 2006年6月24日~27日続きを・・・☆お腹もすいてきたので、基隆(キールン)へ☆基隆市には台湾第二の港があり、貿易で栄えている。基隆は鄭成功一派の拠点にもなった港町でもあり、日本統治時代以前から対外貿易の拠点となっていたそう。しかし、港湾の水深が浅く岩礁も多かったため大型船の停泊には適さず、近代的な港としては限界があった。そこで日本は1895年から台湾統治を開始すると、その4年後から浚渫(しゅんせつ)工事と防波堤の建設などを進め、1万トン級の船舶が停泊可能な港へと改造したそう。同時に基隆は台湾縦貫鉄道の北側の起点とされ、その重要性はさらに高まった。事実、基隆は日本海軍が所在する軍港であり、要塞地帯にも指定されていた。基隆は台湾北部という地勢のため、日本本土との貿易港としても繁栄した。内地から移住する日本人も多く、急速に都市化が進展していった。1925年には市制がしかれたが、その頃の人口は約7万、そのうちの4分の1が内地人(日本人)であった。ちなみに鄭成功とは中国明代の軍人、政治家。日本の平戸で商人として来日していた父鄭芝竜と日本人の母田川松の間に生まれた。後に彼の名声が日本まで伝わり、近松門左衛門の人形浄瑠璃作品の一つである「国性爺合戦」は、彼をモデルとして作られた。日本とは関係が深いところなのです夜市が有名らしく、ぐるっと回る。人が多い~~お腹がすいたのでまずはお腹をみたそう、ということに。屋台に警戒心があったみなちゃんもマンゴー食べたさにとうとう屋台解禁!おいしい~~~とがっつく・・単純なこなんです・・マンゴーで慣れたのか次は麺類が食べたい、という*屋台で牛肉麺を食べる。おいしい~~とはしゃぐみなちゃん・・・屋台でおいしいものを食べて落ち着いたので次は猫空(マオコン)という御茶屋さんが集中している地区へ。猫空は台北市内にあるものの、山の中にあり少し不便なのでシャオくんの家に彼のおうちの車を借りにいくことに。シャオくんの家では一家で迎えてくれたお茶とお菓子をいただき、車をお借りして猫空へ。シャオくん家にも何かお礼送らなければ・・・そうそうちょっと余談ですが、今回、これだけ台湾の方々に親切にしてもらってとってもいい経験をしたことを友人に話したら「自分も行きたい!」という。「お~~全然いいよぉ~!!案内するよ!友達紹介するよ!」と私。「台湾では全部おごってもらえるんだもんね!安く旅行できるじゃん!!」と友人は言うも~~~~お金じゃ買えない経験だけど、それなりの経験をしたければ労力とお金を使わないといけないんだよ!安くすむから、なんて言語道断「それなら安いツアー探してあげるよ・・」と言っておきました。話しはそれましたが・・・猫空(マオコン)に話しを戻しましょう♪猫空、この地名を見た時、なんてかわいい地名だろう・・・と思った。地名の由来は・・・猫空山渓谷の石が、水の流れにより穴が開いた様子が、猫がひっかいた痕のように見えたため「猫の穴(空)」と呼ばれるようになったそう。猫空にはたくさんの御茶屋さんがあるので迷う~~その中でしゃおくんの日本語の先生が気に入っているお店へ♪ここ、すっごくいい♪自然の中にあって季節によってはいろいろな顔を見せてくれそうココも写真載ってます♪ただ・・・蚊が多い念の為、と持っていった虫よけスプレーが大活躍日曜日の夜だからかあまり人はいない。ペット連れできている人、大勢でトランプをしている人、和やかな時間が過ごせました。ちなみにここは24時間営業ゆっくり台湾に滞在できればここで朝焼けも見たいなぁ・・・♪ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆猫空から帰ってきたのが夜中2時しゃおくんにお礼を言い、ここでお別れ☆ 感謝、感謝猫空の居心地のよさにゆっくりすごしてしまった。鍵を受け取ろうとするとフロントが私宛にメッセージを預かっているという。翌日会う予定の台中の友達から折り返しTELください、との事だった。会えなくなっちゃったかな?と思い、フロントで電話を借り携帯に電話してみると今もうこっちに向かっているという夜中3時くらいにこっちに着く、という。びっくり 約束は朝9時だったのにナンデ?!と聞くのは失礼だ、と思ったので理由は聞けず・・これは英語力のなさゆえ、うまい言い方を知らずとりあえずまたすぐTELするね!と電話を切り・ミナちゃんに報告せねば、と思いすでに部屋に戻っているみなちゃんに報告☆ミナちゃんは疲れもあったのか・・・半ギレ 「なんでよ?!朝9時って言ったじゃん!!」と・・・「まぁまぁ、片道2時間の距離をわざわざ来てくれるんだから、とりあえずお風呂入って待ってようよ」となだめ・・・台湾人の友人にTEL折り返し、「待っているね」と言いTELを切る。TELだとうまく聞き取れず、うまく話せない自分の英語力のなさにフーッとため息英語力のなさゆえに焦ってしまい「気をつけてきてね」といい忘れてしまった・・・。。とりあえずお風呂に入り、荷物をまとめてフロントで待っていると・・すぐ友達が到着~♪お疲れ様~!と駆け寄り「お土産いっぱい買ってきたよ~」と部屋に案内ミナちゃん・・・やっぱりこわばっている・・・「ごめんね。彼女緊張している」と言うと「大丈夫よ!」と言ってくれる台湾人の友達。一人こわばっているミナちゃんの手をひいたり荷物を持ってくれる。感謝・・・♪そんなこんなで車に乗り、台北から約180キロ離れた台中へ3日目以降の事はまた次回に♪
2006年07月07日
台湾旅日記♪台湾旅行記★その1の続き☆2日目。昨日寝たのは2時過ぎだったけれど、6時過ぎに目が覚めてしまった。待ち合わせは9時にホテル・ロビー☆一応目覚ましをかけていたものの、万が一目覚ましが動かなかったら・・と少し心配をしていた。ひさびさの台湾ってこともあり気がはっていたのかな?2度寝をして起きれなかったらまずいので起きて活動することにした。友達は(名前をあかしてしまおう!みなちゃんといいます。)ぐっすりだったので、こっそり顔を洗い、歯磨き、メイクをして散歩に出掛けた う~~~~~~~ん!!!天気のよい朝って本当気持ちいい!!ネットカフェに入って情報収集しよう、と思ったので人に聞きながら探す。やっとみつけたもののCLOSEコンビニでお茶を買いまたブラブラ・・・☆気がつけばもう8時!みなちゃんは支度順調かな?と思い戻ると・・・爆睡!!!みなちゃんは何やら目覚ましを12時間間違えてかけていたらしい・・(私の目覚ましは止めていってしまった*)私は一人ロビーで待つことに。今日案内してくれるのは去年からメル友のシャオくん。去年の一人旅では案内してもらわなかったものの、メールは続けていた。日本人の彼女がいたらしく、日本語が上手日本語ができる人のほうがみなちゃんも楽だろう、と思って彼に案内をお願いしたというのもあるんだけど・・・断りきれなかったという事も大きい*「また台湾に行くんだ~♪」とシャオくんにメールを軽い気持ちでしたら・・・滞在中は全て案内してくれる、と言う台中に住む友達にも会いたかったし、何度も何度もはっきり断ったものの・・出発前日まで「全部案内する!!!!」と言う*もちろんありがたいけれど・・・ありがた迷惑と感じたのも事実日本人は一度やんわりと断れば通じる。相手を察しあう能力に日本人は長けているんだなぁ。。でもこういう温かさが台湾人の魅力でもある日本人の皆様、こういう場面に遭遇したらイライラせずに何度も断ってあげてくださいませシャオくん登場!彼は私たちにお土産(お茶)を用意しておいてくれた。台中の友達のお土産の事で頭がいっぱいだった私はシャオくんには風鈴しか用意していなかった・・*ごめんなさい風鈴はちょっとこだわりを持って選んだつもり*篠原風鈴本舗さんで買ってきた。日本で唯一の手作り風鈴屋さん♪日本の伝統的なものなのにmade in chinaじゃ味気ない!!!そう思ったのでちょっとこだわってみたつもり♪お互いお土産はじゃまになるのでホテルに荷物を置いて出発~~今日の目的地、九分((日本語でキュウフン・北京語ではジョウフェン)は侯孝賢監督の非情城市でおなじみの街。(正しくは九イ分ですが、九分に略します)九分は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本植民地統治時代にその最盛期を迎えた。九分の街並みは日本植民地統治時代の面影を色濃くとどめており、当時の酒家(料理店)などの建物が多数残されている。しかし第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退し、一時人々から忘れ去られた存在となっていた。1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾島内で空前のヒットとなった映画「悲情城市」のロケ地として使われたことで九分は再び脚光を浴びるようになったという。この映画、オススメですよ↑こちらの「台湾監獄島」を読んでからのほうが理解しやすいかと思います。ちなみにこの九分という不思議な地名の由来は・・・もともとこの地は九戸の農家しかない集落で、町から運んできた生活物資を九つに分けた(九分とは中国語で「九つ」の意味)ことらしい☆九分へは電車とバスを乗り継いで1時間ほど。全てシャオくんに案内してもらったのでどうやっていったかあんまり覚えてない**シャオくんがネタに、と買ってきてくれた台湾名物(?)蘋果日報(apple diary)を電車の中で目を通す。(読めませんから本当目を通すだけ笑)蘋果日報(apple diary)の一面には楽天お仲間seinaちゃんの好きなレイニーちゃんの写真がでかでかと!!↑かわいい台湾のアイドル・レイニーちゃん何やらクイズ番組で南京大虐殺、抗日戦争についてちんぷんかんぷん(死語)な答えをしたらしく中国への入国や活動ができなくなりそうだ、との事そんな問題クイズ番組で出すなって・・・日本のクイズ番組で長崎、広島の原爆で何人亡くなったか、なんて出題しているところ見たことないぞ~~ + + + + + + + +シャオくんは日本の政治にも興味があるらしく「次の総理は誰?」と気にかけていた。「福田、彼いいね!!」という。なぜ福田氏なんだろうか・・・??台湾重視は麻生氏だろうに・・・あまり中国を刺激したくないのかな・・・??ちなみにシャオくんのおじいさんは台湾人日本兵だったそう。おじいさんからは日本に対して好意的な事を聞いていたらしい。日本の教育のおかげで・・・、とおじいさんはしきりに言っていたそう。台湾の親日はこの世代が支えてくれているんだろう。 + + + + + + +九分は人が多い!!人の多さにちょっと酔いそうだ・・なので九分より更に上に登り金瓜石という昔の鉱山跡へ。黄金博物館もあり、今はちょっとしたテーマパーク入り口からほど近い所に日本式家屋があり、 山の上の方には日本人が建てた黄金神社跡もあり。。黄金神社(こうきんじんじゃ)は、日本統治時代、台湾基隆郡瑞芳街金瓜石(現在の台北県瑞芳鎮金瓜石、九分の付近)にあった神社である。別名山神社。金瓜石は当時「アジア一」と言われた鉱山の町であり、この神社は鉱山を管理していた日本鉱業株式会社が1933年に建立したもの。冶金の守護神として大国主命、金山彦命、猿田彦命の三神を祀っていた。戦後廃社されたが、社殿の柱や鳥居、燈籠などが今も残る。思わず見とれてしまった。 + + + + + +ここは足を運ぶ価値あり☆!山道なので歩きやすい靴を履いていってくださいな。けっこうお腹もすいてきたので、基隆(キールン)という大きな夜市のある港町へ。基隆まではバスで行けるので是非一緒にまわってみてくださいな。 + + + + + +基隆へ移動以降のことは文字数がオーバーしそうなので、続きは次回に♪
2006年07月05日
出発は24日朝。朝9時20分のANAの便。チャイナエアラインならもっと安く飛行機のチケットがとれたのですが、チャイナエアラインはW杯イヤーはヤバイっていう説があり・・・今回は友達も一緒だし、もしも、の事があるといけないのでANAをチョイス + + + + + + +毎度の事だけど、何で前日に早く寝て翌日に備える事ができないんだろう・・・旅行の時ってだいたい寝不足・・・・ + + + + + + +スーツケースは10日間旅行クラスの大きさ半分以上お土産で埋まっている。風鈴や化粧品、CDケースやマウスパッド、Tシャツ、かわいいチョコレートやグミなどお菓子類、アクセサリー などなど。実用性を重視して選んだ・・・つもり(笑)それとスーツケースに入らなかったのが・・・・*GooTa、2種類1ケースずつ★合計24個*カップ麺2ケース、けっこうかさばりました(笑)台湾人は日本のラーメンが大好きだから喜んでくれるはず!!と思い買ってはみたものの・・・でか過ぎ!!&でかいスーツケース&カップ麺2ケースを持って電車&バスは恥ずかしかったまわりからはちょっと買って行きすぎじゃない??と言われ、迷いもあったけれど、今思えばお金と労力を惜しまず買っていってよかったなぁ・・・。。カップ麺2ケースはやはり目立つらしく、台湾についてからも「コレ何?」って聞かれ「カップ麺!」と答えると笑われたっけ・・・ + + + + + + +3時間半のフライトで台湾・中正国際空港へ。中正、というのは蒋介石の字。空港に国家元首の名前をつける=独裁者、と考えてしまうのは単純すぎるかもしれないけれど、蒋介石に関して言えば否定できないだろう。空港からはバス。1時間かからなかったかな??泊まったホテルは山水閣。フロントも狭いし、入り口はたしかにボロイ**(気にしませんが)が、部屋はそうでもない私のでかいスーツケースが広げられるスペースはありませんが、ベッドがあって お湯がでるお風呂があればOK♪ベッドはなぜかキングサイズとシングルが1つずつ。私はスーツケースで場所をとるので、ベッドはシングルを使うことに。荷物も置いて落ち着いたので、友達が調べてきた足裏マッサージのお店へ。地図もコピーしてきてくれたものの・・・やっぱり迷い、人に道を聞きながら歩く・・・聞けば皆親切に教えてくれるけれど・・・やっぱり着かないそのうち「もっと近くていいところあるから教える」という(笑)私はそこでもいいや、と思っていたのですが友達が「嫌」という。。彼女は汚い道を歩いているのも苦痛だから早く着きたい、と言う。「この道、トイレの臭いがする!」と・・・えーーーーー!!!!!?そこまで言わなくても・・・と思ったがあれだけキレイな日本にいればそう思うのかもしれない**私はこの通りにおいしそうな屋台があれば入りたかったが彼女がトイレでごはんを食べているみたいで嫌、という。。日本人よ、そんなにひ弱なのか!?!、と思ったが・・・(私も日本人ですが笑)、彼女は慣れぬアジア。彼女は一昨年初アジアで韓国に行ったが、屋台など庶民的なところは一切足を踏み入れていないそう。高級なところしか足を踏み入れていないそう。それじゃアジアの醍醐味をあじわってないじゃん!!と思ったけれど、人それぞれだろう。自分の意見をおしつけてもしょうがない*そうこうしているうちに到着!あまりにキレイなところではないが、日本人向けガイドブックにのっているだけあって少し割高*足の角質取りとマッサージで1000NT$(3500円くらい)マッサージには満足☆足も軽やかになり、とりあえず台北101へ行こう、という事に・・・☆またまた人に道を聞きながら駅へ。またも迷いつつ。MRT(地下鉄)に乗り、台北101へ☆台北101のまわりはキレイで横浜のような雰囲気三越なんかもあり、彼女はすっかり機嫌がよくなったらしく、靴を2足購入☆台北101に行ったものの・・・フードコートでごはんを食べただけ*え~~~~フードコートなら屋台で食べたいよーーー!!と思ったけれど一人旅ではないのだ。。今思えば当時の彼女にとってフードコートで食べる、は最大限できる妥協だったんだろう。フードコートでラーメンとマンゴーのカキ氷をマンゴーおいしい~~~~~幸せ~~~~!!!!!!と二人で言いながらがっつくもし私が島流しにされるようなことがあればマンゴーのとれる島がいい、と真剣に考えた*気がつけばもう22時過ぎに。私は一日フルに遊ぼう、と思っていたので 終電まで夜市に行って帰ろうよ~、と言ったのだが彼女は「明日もあるし早く寝たい」と言う。彼女は言葉も通じない国だし疲れたんだろう・・と思い帰ることに。が・・・帰り途中彼女が「今からエステに行きたい!」という24時間あいているところがある、と雑誌に書いてあったのを思い出したそう。「え~~!!?」と思ったが人それぞれ興味があることの向きが違うのだ。一人旅ではないのだ・・・(一日目こればかり思った笑 私ってよっぽど自分勝手なのかな?笑)「帰ろう」と気持ちをむけてしまっていたので面倒だったので「ホテルから電車を使わない距離ならいいよ~~」と言い遠くである事を願う**調べてみると近くないそう ヨイヨイ「しょうがないね。お風呂入って明日に備えようよ」と内心ホッとしながら言いホテルに戻った。ホテルでは日本語の上手なフロントの従業員が迎えてくれる安いのになんだか悪いですねぇ~~、と思いつつ部屋へ。TVをつけると日本の番組専用チャンネルがあるのに気がつく。なんか古い・・・?字幕を観て楽しみながら1日振り返る。私は変わり者なのか?人はそれぞれ違うにしても私はもっと26歳女らしくブランドやエステ、美容にがっつくべきなんだろうか・・・??「ナチュラルね」と人は言ってくれるが早い話色気が足りないんだろう(笑)まぁ、それが私だ。肌荒れしない為に早く寝よう、そう思い就寝・・・・+++2日目以降の事はまた次回以降に♪
2006年06月30日
も~~~本当に楽しかったです中身が濃い3泊4日でした結局台湾人の友人の家に2泊させてもらっちゃいました。外国人の友達の家に泊まるって初めてでちょっと緊張しました失礼がなかったか今更ですが気になるなぁ・・・私だけでなく、初めて会う友達にまですごーーーーーーーーーーくよくしてくれて・・・何てお礼を言っていいのかわかりません。私たちのために新品の枕やタオルを用意しておいてくれて、台北から台中まで180キロの距離を夜中に迎えにきてくれて、1日中いろいろなところを案内してくれて、ぜーーーーーーーーーーーーーーーーんぶ奢ってくれて、夜中まで私たちに付き合ってくれて、英語が全く話せない私も友達にも(私も人の事言えません!笑)すごく優しくしてくれて、お土産にチャイナドレスを用意してくれて、以前会った時は日本語を全く知らなかったのに、単語をいくつか覚えててくれて、帰りは150キロ離れた空港まで寝不足なのに送ってくれて・・・・やってもらった事、感謝する事をあげればキリがありません。帰りの空港ではみんなで号泣。飛行機を使えばたった3時間の距離なのに(笑)友達も台湾が、台湾人が大好きになったそう「この旅行で人生観変わっちゃったよ。」彼女はそう言ってくれる。本当によかった・・・旅行記は次回アップしますねでは仕事に戻ります♪
2006年06月28日
明日から3泊4日、台湾に行ってきま~す♪友達の家に一泊させてもらうかもしれませんまた帰ってきたら報告します♪まだ支度終わってないし、朝は5時半起きだし**辛い~~**
2006年06月23日
忙しすぎて・・・気がつけばエジプト・トルコから帰ってきてもう一月・・**細かいこと忘れてしまったよ~~時間ある時にさくっとまとめます*更に今月24日から台湾へ~♪今回は友達と二人で3泊4日☆若い子にありがちなのですが・・・彼女は 韓国、中国、香港、台湾の違いがよくわかっていない・・・**「台湾、去年反日デモすごかったよね?」や「ディズニーランドできたよね?」と言っていますそんな台湾に関して知識0(ゼロ)の彼女をいかに台湾好きにするか・・・ちょっと意気込んでますもちろん、台湾人の友達とも会いますよ~~去年台湾でオールをした彼女(彼女とのことについては台湾一人旅その1☆、その2☆に書いてあります)なんと同じ時期に日本旅行**今回は山梨、長野あたりをまわるらしい・・・*マイナーそうな場所に行くとは・・やっぱり知日家だ。。なので今回は会えず。帰りの飛行機で友達になった台湾人グループ、それとメル友と会ってくる予定*時間に都合がつけば3組に会う予定☆楽しんできま~す♪お土産何がいい?と聞くと女のこはやっぱり化粧品コレ↑が欲しい、との事。これ、私も若かりし頃使ってましたがよかったこのシリーズだとコレ↓オススメです。コレ使っていると肌の調子がよかったですよ「まだお土産の予算あるから他に何かある?」とメールを返しておきました。こんなストレートな言い方、下品だとも思ったのですが・・・自分のお粗末な英語でまわりくどくなんて言えないし、相手もわかりやすいかな?と思って。彼女たちは台中という台湾中部の都市から台北まで170キロの距離を車で来てくれるそれなりのものを用意しないと・・・何がいいか今悩んでいます*浴衣、と思ったのですが・・・浴衣のほとんどはmade in china。彼女たちは「日本産」が大好きなのだ。日本産の浴衣はやっぱり値も張るし・・・何より異民族の衣装をもらっても使う時ないかな? + + + + + +やばっ!NHK中国語講座、5月以降ビデオにとっているだけで観てない・・・**2回録画ミスで撮り損ねたし**北京語で買い物、自己紹介くらいしたいのに**は~~やることいっぱい。時間を有効に使わないと・・・☆
2006年06月12日
旅行記を横道それながら、になるでしょうがサクサクアップしていきます☆エジプト・トルコから帰国~♪↑こちらの続きです☆ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ 朝10時に成田に集合。南は九州から、北は東北からみなさんが集合・・・*成田にはほとんど国内線がないのでだいたいの方は羽田から電車で来ている・・・☆こういう時、日本の玄関口である成田空港が近くってよかった~~と思う13時のイスタンブール行きの飛行機に乗り12時間。イスタンブールで乗り継ぎをしてカイロへ向かう。乗り継ぎの待ち時間が4時間・・・イスタンブールから更に2時間。エジプト・・・アフリカ大陸だもんなぁ・・・そりゃ遠いよね・・・トルコ航空、エコノミーにもスリッパのサービス☆長時間のフライトにこれはとってもありがたい!イスタンブール空港(※1)・・・ここはこの旅で何度も訪れた空港なのですが・・・もうちょっと購買意欲そそられるような品揃えにしようよー※1 イスタンブール空港・・・正しくはアタチュルク国際空港→アタチュルクというのはトルコ共和国の国父。お札に肖像が印刷されてもいるし・・トルコ人への彼への敬意は短い滞在(エジプトの帰りに6日間)ながら感じました。飛行機の中でウトウトしているうちにカイロに着いたので眠れなかった人と比べたら楽だったかも・・・。でもさすがに足はぱんぱん・・・イスタンブールからの飛行機は現地の人と白人バックパッカーが多い*飛行機が無事着陸すると機内が拍手でわいている・・・**なにごと!?(@。@)と目を覚ますと隣りの席のKさんが「日本や欧米でも20年前は飛行機の着陸に成功するとこうやって拍手していたんだよ・・。」と。。 + + + + + +私が滞在したカイロはエジプトの首都。ナイル川河畔の交通の要衝として中世に建設されてより現在にいたるまで長い時代を通じてイスラム世界における学術、文化、経済の中心都市でありつづけた中東屈指の大都市。現在においてもカイロ首都圏の人口は1525万人(2004年)を数え、アフリカ大陸、中東地域いずれにおいても最大の人口を有する。 + + + + + +空港からホテルまでは車で30分☆ホテルはピラミッドで有名なギザ地区!!宿泊したホテルはコチラ☆こんな贅沢なホテル泊まったのは初めて・・・・・・でしたが・・・シャワーはお湯から水にいきなり変わるし・朝のビュッフェでは野菜炒めの中に蝿の死骸を発見・・・生野菜を食べれば砂のじゃりっとした感触があるし・・・こんなに豪華な外観でもここはやっぱりエジプトなんだ・・とみょーに安心してしまいました + + + + + + +エジプトはまさに「太陽と埃の国」。強い日差しと砂嵐・・・こりゃいろんな神々を崇めたくなるような・・・。。ちなみにエジプトの漢字表記は埃及・・・略して埃。。 + + + + + +エジプト、といえば欠かせないのがピラミッド!!行きましたよ~☆日本語が話せるガイドさんがつきました。このガイドさん(男性。35歳)・・・テキトウで笑った・・・ファラオ(王)の説明は全て「このファラオは有名です」で終わり・・・笑ピラミッドの内部はものが腐らないのはなぜか、という質問に「三角パワーです」と・・・笑ご一緒させてもらったお偉方の皆様はおっとりしていたのか・・・誰一人つっこみを入れない**観光したところについては次回にまわします!!観光地全体の印象としては・・・警察多し!!警察のくせに「バクシーシ」求めないでくれよ~~親切な警官の多くは「バクシーシ」(ほどこし)狙い・・。。(しかもニヤリと笑いながら言う。)エジプト政府はきちんとした給料を彼らに与えていないのだろうか?もしそうならきちんとした給料与えてくれよ~観光しにくいってば・・・**そして観光客へバクシーシを求めるのは禁止してくれよ~彼らに日本円で20円や100円くらいあげてもこちらの腹は痛まないが(彼らが求めるバクシーシは1ポンド(20円)や1ドル(120円))・・・一人に与えるとキリがないし、何より負けた気になるなので、バクシーシは極力与えないようにしよう、と決めていた。そのかわり、私は日本からボールペンを山ほど持っていった。もちろん中古でも全然ヨイ。出発前、ネットでエジプトについて調べていたら・・・エジプトではボールペンが人気、と書いてあるので会社・家からかき集めていった。なのでほとんどのボールペンが会社名入り(笑)店先での値段交渉にはボールペンが突破口になるし、物々交換だってできる!(私はボールペン3本とハガキ集を物々交換した)欲しい、という人には喜んであげてきました☆お礼に、と店先にあったネックレスをくれる人も子供たちにあげる時は「これで一生懸命勉強してね」と言ってあげてましたが・・・こんな言葉がでてくるなんてあたしも歳を重ねたなぁ・・・笑少し警察の話しからそれてしまったが・・・エジプトの警察が求めてくるバクシーシなどはいいとこ1ドル・・・☆南米の警察などは「財布の中身チェックする」といい平気で中身を抜き取る、という話しを何度か聞いたことがある。。。それを思うとエジプト人はかわいいものに思えてくる・・・笑そしていかに日本の警察が優秀であり、日本が立派な国家である事も知る・・・他に必需品だ、と感じたものは・・・★ポカリスウェット粉末★あの日差しは予想以上に体の水分を奪います水だけでは補えません*観光に行く時は手荷物の中に1袋は入れていってください。★ツバの広い帽子★本当に日差しが強い・・・エジプトの女性がブルカを被るのも理に適っているんだろう。厳しい環境の下で生まれたのがイスラムなのかな~・・・そんなことを思った。日本がいかに恵まれた国であるか。。しみじみ実感。雨もありがたく感じます。。(うざったさは感じるけれど)次回は訪れた観光地についてアップしますねー☆
2006年05月13日
エジプト・トルコから無事帰国しました♪♪楽しかったです1人旅みたいに刺激が強いわけではないけれど・いろんな世界や価値観をほんの少し覗いてきたような・・・☆次回以降、簡単に(とは思っているものの長編になりそう・・・*)旅で感じたことなどをアップしていきますね。治安に対し不安を抱えつつ行ったエジプト。あらゆるところに警察の姿もありましたし、私たちも緊張感をもっていたからよかったのかもしれませんしかーし・・・警察よ・・・。タバコ吸いながらの勤務はよいのか・・・?警察のくせに「バクシーシ」※1求めないでくれよ・・観光しにくいってば・・・※1 バクシーシとは金の持っているものが貧しいものにほどこしを与えることらしい。。 いわゆるチップくれ、と言った感じですかね。。(労働対価ではない) イスラムの教えらしいが・・・ちょっと現代的ではないな・・・ 独り言 富める物が貧しいものにほどこしを与えてあげるのなら、まず教育を与えてやってほしい・・。。トルコ、思っていたより近代的。イスラム文化と近代が混ざり・・中東とヨーロッパが混ざり・・・。。エジプトに気をとられあまりよく知らずに行ってしまったトルコ。もっといろいろ勉強しておくべきでした。両国とも人々は親切でフレンドリーエジプトでは、私が歩いていると子供たちがワーッと私に群がり「ハロー!ハロー!」と挨拶&タッチの嵐思わず「スリの集団か?!」と思いデジカメと財布を抱え込んでしまいました(笑)何やら社会科見学(?)中の小学生らしく引率の先生の姿も。先生までもが「ハロー!ハロー!」と私に挨拶&タッチ(笑)小学生たちが写真をとってほしい、というのでカメラを構えると先生が子供たちを押しのけて出てくる出てくる・・・(笑)もちろん子供たちだって負けていませんでしたが・・・。。撮るよ~~!!と素早くカメラを構え、パチリ素早く「ありがとー!よい一日を!」と言って走って逃げました(笑)日本の子供たちは彼らから見たら「羊のように大人しい」んだろうな・・・トルコでも似たような経験が・・・☆私が歩いていると「ハロー!ハロー!」の嵐。さすがにタッチはありませんでしたが・・・☆見た感じ小学生らしく、みんなで自己紹介の嵐。「カメラ持ってる??」と聞いてきたので「あるよ~」というとみんな我が一番!と言わんばかりの勢いで迫って来る・・・☆このひまわりのような笑顔こういう笑顔、私にはできないだろうなぁ~~・・・☆この2週間弱、私にとってすごーくいい経験になりました☆いたらないところばかり&英語もうまく話せず「あ~~~~あたしって馬鹿!!」って思うことだらけでしたが・・・しばらくは山積みになった仕事と格闘するので相変わらず「週記」になりそうですが・飽きずにつきあっていただけたら幸いです。では・・・まだもうちょっと残業頑張ります☆!
2006年05月11日
週末からエジプトですも~~忙しくて・・・・仕事も終わってなけりゃ、用意すらまだしてないよ~~自分が3人いればいいのに・・・返事もまともに書き込めていなくってごめんなさい!!時間があれば空港行く前にまたアップしま~す☆
2006年04月28日
最近、と言ってももう一ヶ月以上たってしまったものもまとめて紹介します。とりあえず今回は会計学の本2冊それと松本清張著、「半生の記」について☆会計学というとかたそうな分厚い本を想像してしまいますが・・・本も薄くさくっと読めてしまうものでないと読めませんから・・・一月以上たってしまって記憶もおぼろげ・・・**なので簡単に紹介まずは山田真也著「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」☆こちらは去年本屋で山積みになっていましたし、知っている方も多いですよね。一言で言えばわかりやすいし、よく噛み砕いて書いてあります。・・・が・・・正直タイトルほどおもしろくないかもしれません・・**タイトル負けしている感じも否めないかな??でも考える力をつけてくれる一冊☆無駄にはならない一冊です。リテール経済研究会三銃士著「潰れないのはさおだけ屋だけじゃなかった」なななな・・・?この著者名は・・・??更に思いっきりさおだけ屋はなぜ潰れないかのパクリではないか・・と思ったらなんと山田先生公認らしい・・・☆本のオビに山田先生のコメントが・・・!こちらは「潰れないのはさおだけ屋・・」以上に読みやすい!寝る前にさくっと読んで眠れそう。プリンターはなぜあんな安いのか?八丈島からの船で運んでくる意外な貨物とは?など話しのネタになるものがいくつかアリ。 御存知、松本清張の半生を記した自伝、半生の記。松本清張ファンなら楽しめたかもしれません・・・**私は勉強が足りなかった・・・**松本氏の半生を簡潔にまとめると、たくさんの家族を抱えての細い綱渡りのような日々。そして小卒ゆえの(就職)差別。まさに「濁った半生」という言葉がはまる。作品に精通している方なら楽しめる一冊だと思います。 * * * * * * * * *次回も最近読んだ本について。中国・台湾について、もしくは 最近読んだ絵本、もしくは少年犯罪について。どれから書いていこうかな・・・
2006年04月18日
の、為ほとんどネットを開いていない日々ですいつの間にか楽天ブログいろんな機能ついているし・・・**なぜ、忙しいかといいますと・・・GWにエジプト・トルコに半月ほど行くことになりました!!なので今のうちに片付けられる仕事を片付けています。と、はいうものの組合の旅行なので、全然自由に動き回れず**一緒に行く方々は他社のお偉いさんばかり。私なんかがそんなところに行っていいのか・・・しかも予算の関係でこれが最後の旅行になるらしい!私としてみりゃ非常にラッキーあまり深いこと考えずに楽しんできます!!なのでGW中は2週間ほど日本を留守にします♪♪♪帰ってきたらすっごい仕事溜まってそう・・・。。また忙しいんだろうなぁ。。。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆最近は忙しいながらも本は週5冊ペースで読んでいます。主に移動中、お風呂の中、スポーツジムで自転車こぎながら(笑)読んでいます。お風呂で半身浴しながら読むと汗びっしょり!体も温まりますが・・・あんまり集中しすぎるとのぼせますね・・・**お風呂で本を読むと本がふやけやすいのですが・本の下にタオルを置くといいですよ~もちろん濡れた手で触らないのが前提ですが★本の内容は、少年犯罪についての本が一番多いですね。それと、エジプト・台湾、中国など。かわいい絵本なんかも読んでますが・・・☆忘れないうちにアップします!! ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆最近NHKの中国語講座で北京語を勉強中*ビデオにとって時間がある時に勉強しています。勉強ってほど意気込んでやってないのですが、楽しんでやってます♪週1回の1回25分。本格的にはじめたいって人には物足りないかもしれないけど、忙しい人にはちょうどいいですテキストも発売されていて、テキストがあったほうがやっぱり勉強しやすいです。テキストは月ごと発売されていて、1月分たったの350円。スクールに通う時間もお金も今はないのでとりあえずこれでやってみます☆4月スタートの講座なので始めたい方は是非今日は仕事帰りに親知らず抜いてきます!!残り2本!今年中に抜いてしまおう・・・次は最近読んだ本についてアップしますね~☆
2006年04月12日
「本村洋」、この名前をみてピンときた人も多いはず。山口県光市で起きた少年によるレイプ目的の母子殺害事件の被害者遺族だ。少年の身勝手な欲望により、愛する妻弥生さんそして生後11ヶ月の娘夕夏ちゃんを殺され、一人法の壁そして孤独と戦っている本村さん。その本村さんと妻弥生さんが生前にかわした手紙の数々。18歳で知り合い、本村さんの高専から大学への編入によって20歳から22歳までの2年間は遠距離(と、いっても広島と北九州。)そして弥生さん妊娠により、1997年本村さん広島大学4回生の時に学生結婚。今のように携帯でTV電話なんてもちろんできないし、インターネットもここまで普及していなかった、ほんの10年前。会えない隙間を手紙で埋めようとしている二人の姿がほほえましく、また当時流行っていた事や弥生さん、洋さんが感じていたことが綴られている。やはり女性のほうがマメなのか圧倒的に弥生さんからの手紙が多い。私も手紙を書くことが好きだったから弥生さんと自分の姿をだぶらせながら、すっかり自分もその世界にはいりこんでいた。ふと、弥生さんはもうこの世にいないんだ・・・そう思うとむなしさを感じた。洋さんはなおさらだろう。この本から感じ取れる洋さんはおだやかでどこにでもいる青年だ。感情豊かな弥生さんを温かく見守っている様子が伺える。そんな普通の人たちでもこういった事件に巻き込まれてしまった。。TVで事件を必死で訴える洋さんはやはり攻撃的にも見えてしまうだろう。大切な人たちを奪われ当然だろうし、必死で自分を奮いたたせているんだろう。「殺した後のほうが犯しやすい」そんな理由から無残にも殺されてしまった弥生さん。そして異常を感じてか、死体となった母・弥生さんに泣きつくまだ赤ちゃんだった夕夏ちゃんも殺されてしまった。棺の中の夕夏ちゃんの顔は寝ているようだった、しかし弥生さんの顔は苦痛に満ちていた、と以前カメラの前で語ってらした本村さん。その言葉を口にだすのも辛かっただろうと思う。何度も二人の後を追おう、そう考えたけれど、2人の死を無駄にしない為に、この事件を社会に反映させることが2人の為にできる唯一の供養、そう思ったそう。この本のあとがきにこう記してある。私が最後に目にした二人の姿は99年4月14日、いつもの朝の出勤風景のなかにあります。会社に向かう私に「いってらっしゃい。早く帰ってきてね、パパ」と笑顔でキスしてくれた弥生。その弥生の後からハイハイでついてきて、無邪気な笑顔で私をみつめていた夕夏・・・・2人はこの時の笑顔のままで、今もきっと私の帰宅を天国で待ってくれているのだと思います。そして、私にもいつか天からのお迎えがきて2人の元に帰る日が訪れます。その時こそ「弥生、夕夏、ただいま。今帰ったよ。」そういって2人を抱きしめてやろうと思っています。その日の為にも、これからの私は2人に誇れるような人生を生きていかなければなりません。それは、「パパは一生懸命に生きたよ。頑張ったよ」と弥生と夕夏の前で言いたいからです。本村さんの戦いはまだまだ長く辛いものになるだろう。気の休まる時はないだろう。少年法について、この事件についてはまたとりあげたいと思う。情報に踊らされたくはないし、感情だけで文章は書きたくないと思うので最低10冊は本を読んでから、と思っています。私にできる事はただ一緒に考えること、それだけ。私のつたない文章をみて一人でもこの事件に関心をもってくだされば幸いです。
2006年03月23日
2月26日(2×回目のMy birthday)に行われた簿記試験の結果がきました・・・!!結果は・・・90点!合格~~♪皆様の応援に何度助けられたことか・・・☆優しい言葉やカツをいれてくださったり、本当にありがとうございました!!!とりあえず結果もでてほっとしています。次は北京語だな・・・☆、と思っていたものの・・・仕事の山が・・・(泣)一区切りつきそう、と思うとまた次の仕事の山が、といったかんじです。4月なかばにはいいかげん落ち着くかな。。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆しばらく会ってない友人の皆様とも会いたいし、親不知も抜きたい!(あと2本!)映画も観たい!!今一番観たいのはブロークバックマウンテン☆ブログも大きいネタ、とりあげたいなぁ。。米軍再編問題や少年犯罪などなど。。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆もし、簿記2級目指していて情報がほしいって方がいたらメールでも書き込みでもいいので教えてください☆わかりやすかった問題集や基本テキスト紹介します☆私がもっている資料も譲りますよ~☆ちなみに資料だけででかい段ボール1箱あり(笑)資料と気合だけはばっちり備えちゃうんですよ☆さて、明日も仕事だ・・・明日に備えて寝ますおやすみなさい・・・
2006年03月17日
今クールはけものみち、夢中になって観てました!こんなダークなドラマ9時台にやっていいの??なんて思いつつ・・・しっかり楽しませてもらいました!このドラマはご存知松本清張原作。読んだことはないけれど・・・こういった大作をドラマにするのは難しいんじゃないの??なんて思っていましたが・・・!緻密な構成、そしてキャスティングも素晴らしかった! ☆あらすじ☆鎌倉の料亭旅館『芳仙閣』で働く民子は、ジュエリーデザイナーになることを夢見ながらも、病で寝たきりになってしまった嫉妬深い夫を抱え、出口の見えない絶望の闇から抜け出すことができずにいた。そこへ、ある魅力的な男が現れ、民子に囁く。「行き先のわからない乗り物に乗ってみないか」と ―― その誘いに乗り、自宅を放火し、全てのしがらみを断ち切った民子。そんな彼女に用意されていたのは、政財界の黒幕の愛人というポジション。過去を捨て、すっかり生まれ変わった民子。しかし、そんな民子に魅了されたひとりの刑事が彼女を放火事件の容疑者として執拗に追い始める。 果たして、民子のたどり着く未来とは……!? * * * * * * * * * * *主役、成沢民子には米倉涼子。米倉さん、和服姿もとってもキレイでした。足も長い!!米倉さんが着る服も米倉さんしか着こなせないようなものが多く、いろんな着こなし・楽しませてもらいました♪お笑い番組にでてつまんない冗談を言っていた頃のイメージが強かったのですが・・・いろんなドラマに出演するうちにハクも色気もついた気がします。これからの活躍に期待!☆民子のパトロン・そして裏社会の根っこ、鬼頭洪太には平幹二朗。この迫力・・他に誰がだせるでしょうか・・口臭まで漂ってきそうなこの迫力・・・!目の下のクマ(メイク?)も迫力に一役かってましたねぇ。鬼頭の元愛人・米子には若村真由美。いつみても華のある女優さんだと思う。仮面の下に隠れた人間くささが上手に演じてましたね。プライベートの怪しさ(怪しい教祖との結婚)もこの役をひきたたせていましたね。若村さんは女の私から見てかなりセクシーな女性だと思う。セクシーというと・・・最近はセクシー=倖田クミという公式ができているようだけど・・・私から見て彼女はセクシーとは違う。もちろんスタイルはいいし、ダンスは上手だし、話しも上手!ちなみに彼女のこのPV、衣装もかわいいし・最近のお気に入りSOULHEADも前から好きだしね☆話しがだいぶそれてしまったけれど・彼女はむしろかなり体をはっているので、やる事は違えどお笑い芸人と変わらないのでは・・・??(そこがうけているんだろうし、頑張ってほしいと思う) 私の思うセクシーは艶っぽさ、なので若村さんや藤あやこさんにセクシーさを感じる。ちなみに参考までに藤さんの画像↓うーん艶っぽい。。。ドラマからかなり話しがそれてしまった。。。こういうどうでもいいセクシー論とかはそこらへんの若者より深そう(笑)このドラマの2大女帝、二人とも「米子」「民子」と時代を感じる名前なのですがそれが新鮮でよかった!若い人が「ヨネ」とか「タミ」でもかわいいですよね鬼頭専属弁護士 秦野には 吹越 満冷酷ながらツメの甘い悪。わかりやすい気持ち悪さもばっちり!!なんだかこの吹越さん・・・なんとなく阿部サダヲさんとかぶりません??謎の権力者 小滝を演じるのは佐藤浩市!!あんまりいろいろ書くとネタバレになってしまうのであえて書きませんがこのドラマの鍵を握る人物。このドラマを観るきっかけは、やっぱり佐藤浩市さん観たさでした。小学生の頃から好きな俳優さん♪(まわりの友達と比べるとちょっと渋めでした)やっぱり素敵~~~素敵な人は素敵に年を重ねる・・・!!皆様御存知の通り、佐藤浩市さんは三國連太郎さんの息子。ちなみに佐藤さんは2番目の妻との間の子であり、三國さんは4度の結婚経験があるそう。三國さんも歳を重ねても素敵若い頃出演したビルマの竪琴を観ましたがやっぱり素敵~この三國さん、自身が被差別部落の出身であることを公表しており、著作、講演を行っているそう。ちなみにこちら↑三國さんの著作。これも近いうちに読んでみます。またまた話しがそれてしまいました松本清張作品は今まで縁がなく読んだことがなかったのでこれを機に読んでみようと思います。松本清張氏は共産党員としても有名なのですが・・・なぜ地位も名誉も手に入れた松本氏が共産党員になったのか・・・そういった点にも興味がわいたので手始めに松本清張氏の自伝「半生の記」を読んでみることにしました。まだまだ読み終わりそうにないので、読み終わったら最近読んだ本の感想と一緒にアップします☆
2006年03月14日
今週号のNEWSWEEKに興味深いコラムがあったので抜粋してみます私は読みながら思わずクスっと笑ってしまったコラムを書いたのは英国出身・来日14年目、英ディリー・テレグラフ東京支局長コリン・ジョイス氏。英国人のイメージ通りサッカーとビールをこよなく愛しているそう。そういえば・・・大学の時、英国人の教授(日本語ペラペラ。)が「トヨタカップ開催中は授業なんてできないから。トヨタカップ開催中は試合を観戦して、寝ないで同郷の仲間とビールを飲むんだから休講!」って言って本当に休講にしてたなぁ。。。余談でした☆補足*ディリーテレグラフは(英国内での)発行部数1位。 右翼的新聞として知られているそう。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆僕を悩ませ続ける東京暮らしのミステリーちょっとすみません。僕はイギリスの新聞記者の記者ですが、質問に答えてもらえませんか?日本暮らしの長い僕はいっぱしの日本通になったつもりでいる。それでも解けない謎がある。いや、誤解しないでほしい。僕はこの国が大好きだ。でも不思議に思う事がある。日本の食べ物はおいしいと思うし、東京はグルメの街だと思う。でもなぜミルクティーを注文すると、牛乳ではなくコーヒー用のクリームがでてくるのだろう。もんじゃは焼くのにあんなに手間がかかるのに、ちっとも報われないと思わないか?見た目もなんとかしてほしい。レストランの外に並ぶプラスチックの料理サンプル。日本人はあれを見て食欲をそそられるの?それともあれは外国人が指をさして注文する為に置いてあるの?サンプルを見て料理を作るの?それともその逆?東京に安い公営プールがたくさんあるのはいいけど、決まった時間になるといっせいにプールから上がって休憩を取らされるのはなぜ?頭の禿げた人まで水泳帽をかぶらされるのは?東京には緑豊かな公園もあれば、ショッピングに最適な場所がいっぱいある。なのになぜ池袋に行く人がいるのだろう。天気のいい日にパチンコ店にいる人たちも気になる。彼らは何かの罰ゲームを受けているのか。僕は苦労して日本語を学んだが、美しい言語で会話できるのだからその甲斐はあったと思う。でも漢字、平仮名、カタカナを交ぜ書きするのは、悪い冗談?せめてカタカナを廃止するわけにはいかないのか。それからよく耳にする「やっぱり」という言葉。あれをどう英語に訳すのか教えてほしい。日本語の次は、ジャパニーズイングリッシュを是非学びたいと思う。小さなアパートに○○マンションとか○○パレスという名前をつけるのは何かのギャグなのか。ジンギスカンや海賊のバイキングが食べ物になるのはどうして?日本には特有の音や風景がある。でも、焼き芋を売っている人は夏場どうやって生計を立てているのだろう。日本人の健康の秘訣についても知りたい。あんなにタバコを吸い、酒も飲むのに、なぜ長寿なのか。OLたちは甘いものに目がないのに、なぜあんなに細いのか。車が走っていなくても歩行者が赤信号を守る国は日本だけじゃない。けれども、僕が信号を無視して道路を渡りはじめると、みんながぞろぞろついてくるのはなぜ?どう見ても緑なのに青というのは?ガイジンに必ず「納豆好きですか?」と聞くのはどうして?日本の猫はしっぽが短いけれど誰が何の為に切っているの?「クマのプーさん」というくせに、「ミッキー・ネズミ」と呼ばない理由は?これで最後の質問。あなたはなぜそんなに辛抱強いのですか?NEWSWEEK日本版 2006年3月8日号より抜粋 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆最近はやっぱり忙しいものの、充実している日々。ジムにも通ってますよ~~☆体を酷使するような運動はしてませんが・・・笑花粉症、去年ほどではないものの・今年も悩まされてます(>_<)薬で・ある程度抑えているものの、鼻をかむ回数はいつも以上。ティッシュごときにお金かけてたまるか!、と思っていたものの・・・これ↑一度使ってみたらやみつき・・・☆鼻の下がカサカサしませんよ~今年はだいぶこれに助けられています☆では、忙しいので仕事に戻ります♪
2006年03月07日
皆様、またまたお久しぶりです。試験も日曜に終わり、やっと一息です☆今は試験前に溜め込んだ仕事を片付けています。週末も出勤してなんとか今週中にいつものペースに戻さないと・・・・・とほほ。。試験も手応えアリでした!☆自己採点だとバッチリ・・・なのですが、なんせうっかり、せっかち、そして極楽トンボの私。合格発表までデカイ事言っちゃいけない・・・**(もう言っている・・・)応援してくださった皆様、本当にありがとうございました!合格できたらまた改めてお礼に伺います。試験日は私の誕生日でもありました☆メールやらカードやらありがとうございました♪お礼が遅れててごめんなさい。落ち着いたらゆっくり連絡しますね!誕生日・・・毎年もうHappyなBirthdayじゃないよ~~って思う。いつからこう思うようになったんだろう・・・?と思い返してみると17歳からすでに言っていた記憶が・・・**17の自分は若さしかとりえのない自分が歳を重ねることが怖かったっけ。18歳は18歳で、もう免許もとれてしまう年齢か~・・なんて思ったなぁ。いつまでも子供でいられないなぁって。20歳は20歳で・もう法律さえも私をしばってくれないのね・・なんて思ったっけ(笑)まぁ、酒はあまり飲めないし、タバコは嫌い。いろんな手続きが楽に済むようになったし、20歳超えるとその点楽だなぁ。二十歳になって「もう二十歳にもなるんだから・・・」と思いミニスカートをはかなくなったっけ。今思えば22歳くらいまでバンバンはいときゃよかったと思う(笑)スカートってはかなくなると本当はけなくなる。去年、ふーみんさんと「ブリジットジョーンズの日記」を観て主演のレニーゼルヴィガーのミニスカート姿がかわいさに、「やっぱりミニスカートはかなくちゃ!」なんて盛り上がっていたクセに・全くはいてない・・・**【DVD】ハイパーセレクションブリジットジョーンズの日記きれそうな私の12か月今年こそミニを・・・!!☆ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 徒然ばかりになってしまいましたが、とりあえず、区切りと考えていた試験が終わってホッとしてます。合格発表までは何とも言えませんが(これで駄目ならへこむなぁ・・)それまでに溜め込んだ仕事を片付ける予定。合格発表は14日。合格できていれば次へ進める!☆ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪やりたいことはたくさん。テキトーにいじってしまっているPC。何かトラブルがあれば強制終了。こんな事繰り返してたらいつか壊れそう・・・**PCもきちんと基礎知識つけないとなぁ~笑それと北京語!☆北京語ができる女って絶対かっこいい・・・・! ☆ ☆ ☆ ☆ ☆とりあえず今年はアクティブに動いていこうと思う。まずは運動不足でなまっている体をなんとかしよう、と大学時代に通っていたジムに再入会!☆このでか尻と二の腕なんとかしないと~!!整体も行きたいよ~~~!!髪も短く切りたい!!忙しくて会えなかった友達とも会いたいなぁ。読みたかった本も一気に読もう。観たかったDVDもたくさん!返せていないメールや手紙の返事も書かなくちゃ。自分を充電しようっと☆またちょくちょくブログ更新していきます。またよろしくお願いしますm(_ _)m
2006年03月01日
台湾人メル友とのやり取りで得た知識、感じた事、興味深かった事を少しずつ書いていこうと思う。今日は一番幅広ーく話しをしているミンくん(ニックネーム)の事を中心に書いていこうかな☆ミンくんは23歳の大学5年生。なぜ5年生か・・・というと徴兵逃れの為、わざと留年したそう。もちろん留年したって卒業した後は兵役に行かなくてはならない。兵役に行く前に日本語を勉強したくて留年したそう。まだ日本語を勉強し始めて1年半、というが・・・かなり上手!!「あれ?私の文章理解できなかったかな・・・?」って思う事もあるけれど。過去・未来・現在の表現を少し苦手にしている様子。日本語の勉強を始めた一番のきっかけは1年半前に九州&東京を旅し、すっかり日本が気に入ってしまったそう。それと、幼い頃から当たり前のように日本文化が身近にあったことらしい。ここらへんの日本文化の話しはまた今度くわしく・・・☆ * * * * * * * *彼の言う「日本大好き!」の中に台湾人としてのコンプレックスも見え隠れしている。台湾には台湾にしかないよさもあるのに・・・☆ * * * * * * * *日本より台湾が勝っているもの、といえばまず「学歴」だろう。台湾は非常に学歴社会だ。日本は学歴社会だ、と思っていたが、彼らから言わせれば「日本は能力社会だ」そう。大学進学率は日本を上回っているし、むしろ大学だけでは足りない、と言う。まだまだ先進国との物価の差はあるものの、海外の大学院へ留学する人も多く(実際メル友にシアトルの大学院に行っている人がいる)エリートが優遇されているよう社会のシステムができているそう。その中でもアメリカ・日本は人気だ。学歴主義が根付いているなぁ・・と強く感じる事があった。台湾の現総統・陳水扁を支持できない理由に「海外留学経験がないから」という理由を何人からも聞いた。・・・とはいえ、陳氏は台湾の東大、ともいえる台湾大学出身であり、大学在学中に弁護士の資格を取得した秀才だ。 ★陳総統に関してはコチラ★ちなみにこの台湾大学も日本統治時代に作られ・旧帝国大学。 大戦中日本国内の旧帝国大学に通っていた台湾人は戦後無試験で台湾大学に入学できたそう。ちなみに大戦中・京都帝国大学に通っていた李登輝前総統は戦後台湾大学に入っている。対して、陳総統の対抗馬・馬英九国民党主席。馬氏は尖閣諸島問題や歴史問題などで日本を牽制する発言を行っている事でお馴染み。馬氏は香港出身であるものの、台湾大学を卒業した後・国民党の奨学金を得て、アメリカへ留学。ニューヨーク大学で修士号、ハーバード大学で法学博士号を取得したのち、弁護士としてアメリカの複数の法律事務所に勤務した。その後、蒋経国総統の個人通訳をするなど経歴は華やか。彼ら曰く「陳総統は国家元首にふさわしくない学歴だ」という。私が「いや、むしろ純台湾産みたいでいいじゃない」と言うと「英語も話せないし恥ずかしいよ」と・・・★・・・・うーーーん・・・(-_-:)もちろん支持しない理由はそれだけでなく、対中対策の迷走が大きい。次の選挙ではまた国民党が政権をとって・馬氏が総統になるだろう、彼らはそう言う。彼らは香港出身の馬氏が国家主席になる、という事に違和感は感じないらしい。馬氏は温和・清廉なイメージと俳優並のルックスを持つため人気もきわめて高く、次期総統の最有力候補とマスコミに持ち上げられる事も多い。馬氏に関してはコチラ★台湾はもともと住んでいた原住民が2%17世紀頃~大戦終了までに大陸から移民してきた漢民族 82%(以上、84%は日本統治時代を経験した台湾人。本省人、と呼ばれています。)そして、大戦後・大陸から移民 16%(外省人と呼ばれています。)元々よそ者ばかりのこの国柄、という事もあるのだろう。陳総統率いる民進党は今まで政治の表舞台に立つことができなかった本省人で結成された政党だ。問題は多いものの「頑張れ」と思わずにはいられない。 * * * * * *彼らの本音としては「中国は嫌いだけど、戦争は嫌」なんだろう。彼らが中国が好きではない、というのに少し驚いた。彼らは学校で中国大陸に関してどのように教わっているんだろうか・・??興味がある。。。ちなみにこんな意識調査を発見★↓*2000年に行った中華民国国民に就いての意識調査*自分自身のアイデンテティについて。台湾人であり、中国人ではない=42.5% 台湾人であり、中国人である=38.5% 中国人であり、台湾人ではない=13.6% 私は彼らから聞いた話しだと、独立はどうかと思うけれど、現状維持できたらいい、そう考えている人が多かった。「独立したい」という意見はまだ直接聞いた事がない。「独立というと聞こえはいいが、台湾人同士(本省人と外省人)の対立を煽るだけだ。」という意見もあった。台湾には日本同様、中国からの不法入国が絶えず・彼らが犯罪を起こすことも多いそう。ミンくん曰く「日本にはもともと犯罪がなかったのに、中国人が不法入国してきて・中国人が日本人に犯罪を教えた。だから日本では犯罪が増えている」んだそう・・・(苦笑)彼は兵役を終えた後、日本で働きたいと考えている。。。日本をすごくいい所だ、と思っている。。。どうしよう。。。(@。@)「どこの国だって馬鹿はいるよ。日本だって、台湾だって、アメリカだって、馬鹿はいるからね。」と言っているけれど・・・。。。もちろん彼は中国人=悪者、という偏見だけで批判しているわけではなく「中国は都市部以外はうんと貧しいから、彼らは犯罪を起こすんだ。」とも言っている。ちなみに女性の密入国者はやはり性産業に従事することが多いらしい。台湾は日本と違い風俗店はNGらしい。なので店舗を堂々と構える事ができないのでマンションの一室でコッソリ営業するそう。日本でもこういう店ありますわな。中国人の他はベトナム人が多いそう。日本の性産業への偏見のなさや大っぴらさには驚く人も多く「maicoは恥ずかしくないの?」と何度か聞かれた。「恥ずかしくないよ。ああいうお店があるから日本は性犯罪が少ないのかも。」と無難に答えている。 ★ ★ ★ ★ ★ ★こちら↑ 小林よしのり著 台湾論ん?なんか違う??、と思う点もいくつかあるものの、台湾への知識を手軽に深めるのにオススメ。台湾論にもくわしく書いてあるけれど、日本統治時代を経験している世代は日本への思い入れが強い。「たまたまそういう人がいただけでしょ」なんて思っていたし、実際に足を運ぶまで半信半疑だったが、実際に行ってそれを実感した。朝、日本語の歌を公園で歌っているおじいさんも観たし(かわいい・・・)日本人とわかると何人もに話しかけられた。「日本はどぉ?小泉さんはどぉ?」などなど。。。彼らにそのことを話してみると「うん。日本の管理や体制のよさは年寄りはよく言うよ。」と。今でも日本語のカラオケのサークルや短歌のサークルがあり多くのお年寄りが活動している、との事。ミンくんは「きっと台湾だけじゃないと思うよ。アジアにはそういう思いを持った人、多いと思う。」と言っていた。・・・そっか・・・。。考えた事もなかった。。日本は日本兵として戦って亡くなった台湾人戦死者に対して充分な弔慰金を支払えていなかったり、きっと不満もなくはないと思う。けれども彼らにとってかけがえない故郷なのかもしれない。 * * * * * *ちなみにこういった話しは男の人のほうがくわしい。徴兵制度もあり、背を向けることができないのかもしれない。女のこに「台湾について教えて」と言っても「ごめんね。勉強するから待ってて。」と言われてしまう。気楽なメールもいいものなんですけれどね(^▽^)女性の目からみた台湾も聞いてみたいのが本音です。まだまだ書きたい事は山ほどあるけれど・・・キリがいいので続きはまた今度♪さて・勉強しなくちゃ・・・!次こそ合格!そして北京語始めたい!!!★
2006年02月11日
何度もこのブログで取り上げているこの詩。 しつこくてごめんなさい(@。@)手帳にもはさんでいて・何かあると見るようにしている。雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 欲ハナク 決シテ瞋(いか)ラズ イツモシズカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモイイトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒデリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハ ナリタイ 人は欲があり、人より優位に立とうとする事によって進歩するのであって、欲もなく生きるなんてきっとつまらない。だからこそこの詩は理想論でしかないのかもしれないけれど、人間のあるべき姿を書いたこの詩には何度読んでも心を動かされる。無理や期待を押し付けるのではなく、ただただ謙虚に全てを受け入れる。当時不治の病と言われた肺炎を患い、病床で手帳に書き記したこの詩。死への不安、覚悟そして生への渇望が文章からにじみでている。 * * * * * * * ☆宮沢賢治文学とは?☆賢治の芸術の根底には、幼い頃から親しんだ仏教、特に後に帰依した国柱会(※1)での法華経による献身的精神があるとされる。しかし法華経は宮沢家の宗派(浄土真宗)と違っていたので、それが父親との対立を生んでしまった。実際、妙法蓮華経に興味を示し日蓮宗へ改宗した時、賢治は家族も改宗する様に説得したという。しかし、厳格だった父はそれに応じなかった。一方、妹のとしは妙法蓮華経に誘われる前、キリスト教にも興味を示していた。だが、賢治はとしを強引に妙法蓮華経に帰依させてしまったという。賢治について書かれている本の中には「宗教にはまり・・」と否定的に書かれているものも多い。無理な上京で体を壊したのも、この対立と無縁ではなく、父子対立は賢治の文学に影を落としているとされる。(しかし賢治が死の床で法華経を印刷して頒布してほしいという願いを口にしたときには、父はそれを許している。)また特異で旺盛な自然との交感力は作品に個性的な魅力を与えた。従来、文学的側面のみが語られてきたが、「教師としての宮沢賢治」の素晴らしさを記述する考察も近年現れている。また、一生女性との性体験を持たなかったことに着目する論考もあるそう。☆宮沢賢治とは・・?☆明治29年8月27日、岩手県花巻町(現花巻市)にて誕生。(戸籍上は8月1日生まれになっています)小学校五年生の時、賢治は父親に将来何になりたいかを訊かれ、「むやみに偉くならなくてもよい。」と答え、家族全員を驚かせたそう。盛岡中(現盛岡第一高校)、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)を卒業後、稗貫農学校(のち花巻農業学校)や郡立農蚕講習所で教鞭を執りながら文学活動を続ける。15歳頃から短歌を書き始め、22歳頃から童話を書き始めます。同人誌などで活動しながら、自費出版なども行った。(初めての自費出版は「注文の多い料理店」29歳の時、草野心平と知り合い・彼の積極的な紹介により、宮沢賢治の名前は少しずつ知られるようになっていきました。ちなみに草野心平は蛙の詩でもよく知られる詩人。海外への関心が強く・慶應義塾大学を中退し、中国の広東嶺南大学(現・中山大学)に進学するも、排日運動により、帰国せざるを得なかった。1937年のいわゆる南京虐殺事件のとき、南京に滞在していたことでも知られるが、当時の彼の日記に虐殺の記録が一切見られないことが、南京事件「捏造」問題の証左のひとつとも言われている。在中時代は、焼き鳥屋をやっていた経験を持つ。そんな矢先、病床に倒れ昭和3年 32歳の若さで急性肺炎を患い以後病床での日々。敬虔な日蓮宗の信者であった宮沢賢治は亡くなる直前に自分で「南無妙法蓮華経」と唱え、また遺族の手を煩わせないようにと、自分でからだを脱脂綿できれいに拭いてから亡くなったという。最期の言葉は「今夜は電燈が暗いなあ」。享年37歳。※1 国柱会(こくちゅうかい 國柱會)は、元・日蓮宗僧侶である田中智学(たなかちがく)が還俗して明治17年に設立した法華系の新宗教。日蓮系教団の中ではエリート集団を標榜し、入会はきわめて難しい。明治36年(1903年)、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」を『日本書紀』巻第三神武天皇の条にある「掩八紘而爲宇」から造語し、大正2年(1923年)3月11日に機関紙の国柱新聞に「神武天皇の建国」においても言及した。この思想は軍部に取り入れられ、八紘一宇・五族協和思想のバックボーンの一つとして極めて重要な役割を果たした。一方で、大衆集会や演劇などや秘密結社的雰囲気が一部の知識人に受け、特に当時の文学界に一定の影響を与えている。戦後はその政治的主張を徐々に薄めつつあるが、田中智学やA級戦犯の烙印を押された東条英機の墓所を設けるなど戦後もその役割は大きい。
2006年02月08日
台湾に行く前、情報を集める為に募集した台湾人メル友。半年近くたった今、何人か途切れたものの、大体は続いている。「今はすごく忙しいので、時間のある時に返事するから!」と伝えてあるので最近あまりメールのやりとりはしていないけれど、「風邪ひかないでね」や「仕事、試験頑張って!」や関東が大雪の時は「大丈夫??」とメールをくれたり。(英語で文章綴るのはもちろん、nativeでない相手にわかりやすい日本語で文章を綴るのも、けっこう時間がかかる。)前回の試験の時はお守りのシール(?)を送ってくれたこもいた。(なのに不合格でごめんなさい・・・。。。)外人の友達というのが物珍しくて気を使ってくれるんだろう。それと「日本人は礼儀正しい」、台湾人何人もに言われた。(きっとどこの国の人もこう思うだろう)そのイメージもあってか、律儀にいろいろ気を使ってくれるんだろうか。 * * * * * *何人かとは歴史や政治・国際情勢の話しなんかもする。ここらへんもすごく興味深い。時間ができたらアップしたいと思う。お互いの国に興味があるので、本当にいろいろな話しをする。読んだ本、歴史、経済、両国の教育制度、給食の話し、ドラマ、映画・更には両国の性産業の事も(笑)日本=性への規制が緩いというイメージがあるらしい。ひどい人だと日本の女のこ=AV女優、だそう(笑)日本への偏見や勘違い。これもそのうちアップしますね☆ * * * * * * *こう考えてみると、彼女たちとのメールのやり取りで得た知識や情報でブログが作れそうなくらいある。みんなに知ってほしい事、考えてもらいたい事。それもたくさんある。やっぱり、まだブログ続けてみよう。日台の架け橋なんて言うと大袈裟すぎるけど(笑)台湾一人旅に行って、すっかりはまってしまったのもきっと何かの縁だろう。こうなったら台湾通になってみよう。北京語にも挑戦したい。(全て試験後までお預けですが)もちろん、台湾だけにとどまるつもりもありません(^▽^)いろいろな国について深く知っていきます☆もちろんこれからも、その時感じた事・興味を持った事・映画やTVなどなどノンジャンルで書いていこうかな。時々、台湾情報アップしていきます☆ * * * * * *ブログの閉鎖を考えていた理由は内容に関してのクレームが身近な人からありました。悪気はなかった事はわかります。それ以来思うように文章が綴れなくなっていました。誰の為のブログか?それ以来考えていました。閉鎖をしてまた新しいブログを開設する事も考えたのですが、それだとただ彼から逃げるだけになってしまう。そう思っていたのでこのままブログを続けるか・もう一切ブログをやらないか、考えていました。少し考えてみて、やっぱり文章を綴っていきたいなぁ、感じた事や情報を発信していきたいなぁ、と。今はまだ超多忙な日々ですが、また落ち着いたら更新します。未熟な私ですがこれからもお付き合いください☆メッセージ・メールをくださった皆様、本当にありがとうございました!!!!感謝(^人^)これからもよろしくお願いしますね☆では・これから勉強します!一日40時間欲しい~~~~~~~~~~****
2006年02月04日
今更で申し訳ないのですが・・・(^。^:)2006年皆様にとって幸多き一年になりますように・・・☆しばらく放置していたこのブログ。放置しっぱなしもよくない、と思い更新することにしました。ここ何ヶ月か考えていた事なのですが、ここの閉鎖を考えています。まだ結論はでていません。ここでは素敵な出会いもたくさん与えてもらいましたし、文章を綴る、という事は自分の為にもなる、そう思っているので・・・結論がでないままになっています(^。^:)なぜ、閉鎖を考えているか、というと自分の書きたい事がうまく書けなくなってしまいました。何のためのブログか・・・??誰の為のブログか・・・??こんな単純なことなのですが、それもちょっとわからなくなってきています(笑)閉鎖に二の足を踏んでいる一番の理由はここで得た出会い、ですかね。リンクさせていただいている方々の中にはお手紙でやりとりをさせていただいている方もいます。そして、ここではいろいろな知識やいろいろなものの見方を知りました。ブログをやらなかったら知らなかったこともたくさんあるだろうなぁ・・・。。結論はいつでるかわかりませんが、とりあえず皆様に新年の挨拶がてら現状報告を。今は超!!!多忙な日々です。次はいつネットできるかな・・・(@。@)お返事も遅れていてすみません!!時間をみつけて伺わせていただきますね~☆
2006年01月26日
前回ではいきなりの質問であるにも関わらず、いろいろなご意見ありがとうございました♪次回試験も頑張ります!!いろいろなアドバイスや励ましありがとうございました!!また2月くらいになったらブログ更新止まると思いますが4点の壁越えられるようにします☆今日は気楽に綴ってみたくなったので気楽に綴ってみます☆*最近忙しい。。仕事の合間に食べるかぼちゃアイスが仕事中の楽しみ♪ 最近夜ごはんが夜11時頃になっているし・・・(なら食べるなよ、と思いますよね。。。)絶対太る・・・!!!*最近黒タイツがマイブーム☆ストッキングじゃないですよ~タイツ!!黒タイツ何でもあうし、暖かい!!(^皿^)黒ばかりでなくカラフルにいってみよう、と思い・・・紫と濃い緑も購入!!紫、今の服と合わせやすい♪こちら好評♪濃い緑、チェックとかちょっとガーリーな服とあうかな・・・♪と思っていたものの・・・履いてみたら会う人会う人に「河童」と言われる・・・。。私の好きなファッションは優香ちゃんみたいな感じですかねー☆↓いつもかわいい格好してますね~*アボガドがマイブーム!!コクがある・・・と思ったら別名「森のバター」!脂肪分たっぷり*カロリーは高くアボカド1個(250g)327kcalもあり、ご飯約1.4膳分・・・☆アボカドは比較的簡単に種を発芽させて観葉植物として楽しむことができるそう。取り出した種をよく洗い、半分ほど水につけておく。水を時々取り替えると1週間で根が出るので鉢土に植えるとよいそうですよ☆* * * * * *野菜の種、といえば・・・・料理の時に捨ててしまう種を集めて・アフリカ、インド、アフガニスタン、ギリシャ、中国などで砂漠の緑化運動をなさっている方がいます。種まきの指導も兼ねて緑化運動をなさっているそう。捨てずに送ればその種が新たな命を育むかもしれませんね。送り先〒134-0088東京都江戸川区西葛西3-14-15-1408本間 裕子 (様)TEL&FAX 03(3869)7666資料請求などは90円切手を同封してください。☆種を送る時の注意点☆*包丁の切れ目の入っていない中身がつまったものを選ぶ。*糖分やぬめりのあるものは水洗い!*風通しのよい日陰でざるや新聞紙に広げて干す。*使用済みの封筒などに入れて種類別に植物名を明記する。*カビが発生しやすので必ず紙製の袋を使用。封は二重にしてホチキスなどで止めない。*庭木や草木の種も可。一粒からOK(^0^)最近PCの調子が悪い!いきなりひらがな入力ができなくなったり・・・(泣)そんなんでみな様のところに訪問しても素通りしてしまうこともしばし・・・**素通りになっていたら「PCの調子がよくないんだな」と理解してやってくださいm(_ _)m最近のNews week!!最近のニューズウィーク!!中国のことばっかり・・・**それだけ世界の注目を集めているんだろうけれど・・・*違うことも幅広く知りたいぞ~~~!!中国、で思い出したけれど・台湾で行われた先々週行われた統一地方選挙。中国との関係を重視、そして反独立派の国民党の大勝、独立を目指す民進党の惨敗。日々深まる中国との経済関係、中国の脅威が国民党支持を上げたのであろう。ここ何年かで台湾経済人がどんどん独立反対派にまわっていった。独立より経済の発展を選ばざるをえなかったのだろう。今回の選挙で、ゆるやかに、ではあるだろうけれど中国に吸収されていくシナリオが見えた気がする。台湾独立、は一部の人の一時の夢物語だったのだろうか。私にとって何が最善かわからないけれど・・・台湾人にとって最善の道が開けますように。。今年もあと2週間ちょっと。早いもんです。では、仕事に戻ります!!☆
2005年12月16日
簿記試験、結果がでました。。66点(;^_^A4点足らず。。。不合格!!そんなにうまくいくわけない**それでこそ我が人生**たった4点、そう思うとなんだか悔しい気がするけどこの4点が大きな壁なんだろうなぁ。。20点問題まるごと落としたわりに点数とれたなぁ・・・って一人感心してしまいました…笑私って楽天家なのかも・・・笑試験まで張り詰めていた分なんだか気が抜けてしまった。。試験勉強ってモチベーション維持が難しい!私は勢いでこなしていこうとするタイプ(そんな器用じゃないくせにー!)。でもまた自分追い詰めながら勉強ってやだなぁ。たまには余裕もってやっていきたいなぁ。駄目な私に一喝!入れてくださいm(__)mさてさて・報告の次は皆様に相談もいいですか?私は高校生の頃から同じ美容師さんに髪切ってもらっているんですけど・その美容師さんが最近結婚したんです。結婚式やら引っ越しやらでお金使っているだろうし・お祝いを渡すことによって反対に気を使わせてしまうかも・・・、と思ったのでまだお祝いを渡していないのですが、結婚は一生の一大イベント!何か渡そうかな、とも思っています。 皆様ならどうしますか?渡す?渡さない?また渡す方は何を渡しますか??いきなり質問ですみませんっ!皆様ならどうするか、お聞かせくださいませ・・・☆
2005年12月14日
最近こんな動画ばっかり紹介していて、自分のブログの方向性を見失いつつあります(爆) * * * * * *サザエさんもバックミュージック次第でここまでかっこよく・・・♪(^▽^)COOLなサザエさんはコチラ! * * * *今年もとうとう年の瀬・・・と、いうわけで紅白でのハプニング!!☆こちら!!若大将何言っちゃってんのよ!!笑 * * * * *乱入シュート!!笑衝撃!笑 * * * * * *動画ではありませんが、私お気に入りに登録しているニュース(?!)サイト☆京同通信社笑いつも笑わせてもらってます(^▽^@) * * * * * * * *そして・こちら、最近騒がれていますね~これも笑える、といえば笑えるのかも。。。燃える日本・・笑何の為に日本を燃やしているのか・・・?謎。。。こういう程度の低いいたずらのようなものを企業HPにでかでかと載せているという事がなんだか哀れにも感じる。。。ちなみにこちらの企業はアップルコンピュータに デザインを盗用したとして関連製品の生産と販売中止を求められている、との事。アップルは販売を中止しない場合には損害賠償請求など法的手段も辞さないとしている。 IOPSの関係者は「アップルが問題視する製品はわれわれが長い時間かけて研究し独自に開発したモデルだ」とし、 盗用ではないと主張しているそう。企業HPを見る限り説得力ないってば・・・***
2005年12月07日
前回分ブログで取り上げているうちに興味がわいたこの映画。1985年に公開された中井喜一さん主演版もあるのですが、あえて戦後すぐの1956年に公開された日活版を。モノクロ映画を観たのは初めてでした。モノクロならではの迫力もあり、また当時の役者さんの面々が今の役者さんに比べて泥臭くて、またそれもよかった。今リメイクしてもこういう迫力はでないんだろうな・・・。。 ★ストーリー★1945年の夏、敗残の日本軍はビルマの国境を越え、タイ国へ逃れようとしていたが、その中にビルマの堅琴に似た手製の楽器に合せて、「荒城の月」を合唱する井上小隊があった。水島上等兵は竪琴の名人で、土人に変装しては斥候の任務を果し、竪琴の音を合図に小隊を無事に進めていた。やがて、小隊は国境の近くで終戦を知り、武器を捨てた。彼らは遥か南のムドンに捕虜として送られることになったが、水島だけは三角山を固守して抵抗を続ける日本軍に降伏の説得に向ったまま、消息を絶った。一方、ムドンに着いた小隊は、収容所に出入りする現地の物売り婆さんに水島を探して貰うが生死のほども判らなかった。ある日、作業に出た小隊は青い鸚鵡を肩にのせた水島に瓜二つのビルマ僧を見掛けて声をかけるが、その僧侶は目を伏せて走り去った。水島は生きていたのである。三角山の戦闘のあと、僧侶姿の彼はムドンへ急ぐ道で数知れぬ日本兵の白骨化した死骸を見て、今は亡き同胞の霊を慰めるため、この地へとどまろうと決心した。現地の物売り婆さんからあの僧侶の肩にとまっていた鸚鵡の弟という青い鸚鵡を譲り受けた井上隊長は「水島、いっしょに日本へ帰ろう」という言葉を熱心に教え込んだ。三日後に帰還ときまった日、隊長は物売り婆さんに弟鸚鵡をあの僧侶に渡してくれと頼んだ。すると、出発の前日になって水島が収容所の前に現われ、竪琴で「仰げば尊し」を弾いて姿を消した。日本へ帰還当日、物売り婆さんが水島からの手紙と青い鸚鵡を持って来た。鸚鵡は歌うような声で「アア、ジブンハカへルワケニハイカナイ」と繰り返すのだった。それを聴く兵隊たちの眼には、涙が光っていた。(GOO映画よりコピー)文章にしてしまうと少しわかりにくいですが、今の映画と比べると内容はいたってシンプル。映画の中で日本の童謡がいくどもでてくる。とてもキレイ。歌にはたくさんの思い出が詰まる。きっと実際に戦地へ行った人々もこうやって日本の唄を歌って故郷を懐かしんだのだろう。以前もここで紹介させてもらったけれど・戦犯として処刑された人の遺書にこういうものがある。陸軍曹長 佐藤源治命昭和23年9月22日 ジャワ島ツビナンにて法務死岩手県出身 32歳 僕は唱歌が下手でした一. 僕は唱歌が下手でした。 通信簿の乙一つ いまいましさに 人知れず お稽古すると 母さんが 優しく教へてくれました。二. きょうだいみんな 下手でした 僕も 弟も 妹も 唱歌の時間は 泣きながら 歌えば皆も 先生も 笑って「止め」と言ひました三. 故郷を出てから十二年 冷たい風の 獄の窓 虫の音聞いて 月を見て 母さん恋しと 歌ったら 皆が 泣いて 聞きました四. 僕のこの歌 聞いたなら 頬すり寄せて 抱き寄せて 「上手になった良い子だ」と 賞めて下さる ことでせう唱歌とは・・・明治の学制以降昭和一六年(一九四一)までの学校教育における音楽教育の教科名。また、その学習活動や歌曲。どんなに日本へ帰りたかったことか・・・・。。胸がつまる。結局主人公の水島は同胞の熱心な説得には応じず、ビルマに残る。ビルマに屍として残されている同胞を残して帰れなかった。今この時代から見れば現実逃避に見えなくもないが、同胞への大きな愛、そして責任感を感じる。白黒作品は少し見難いですがおススメできる作品です。・・・・もちろん気になった点もあります。ひねくれ者の私が「あ~よかった!!」で終わるわけがありません。まずこの話の中心となる人々はイギリス軍捕虜。この作品では苦しい労働を課せられるでもなくわりとのびのびと過ごしている。・・・実際、こんな人道的に扱われていたのであろうか??もちろん現在は捕虜は国際人道法(おおまかなものは1949年発足)により人道的に扱われる権利はあるのですが・・・終戦直後にはそんなものやそんな意識だってなかっただろう。また60年も前ならば白人種の東洋人に対しての差別は露骨なものであっただろう。自身のビルマでの捕虜体験を基に書いた会田雄次著「アーロン収容所」にはこう記されている。「はじめてイギリス兵に接したころ、なんという尊大傲慢な人種だろうとおどろいた。なぜこのようにむりに威張らなければならないのかと思ったのだが、それは間違いであった。かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、タバコをあたえるときに床に投げるのも、まったく自然な、ほんとうに空気を吸うようななだらかなやり方なのである」会田氏によれば、イギリス人は、ヨーロッパでの牧羊者が羊の大群をひきいていく感覚でアジア人を家畜として扱っていたという。そういう感覚が長い間の植民地支配で身に着けてしまったのだろう、と。この映画で日本兵は対等ではないものの、それなりに人道的に扱われていた。戦後すぐ製作された映画だけにそういった表現はできなかったのだろうか・・・??その点に違和感を感じた。それと、気になった点はもう1つ。主人公は水浴び中の高僧の袈裟を盗み高僧になりすまし、みなが待つ収容所まで旅をするのだが・・・水浴び中に袈裟を盗まれた高僧は素っ裸で外にいなくてはならないし・・・隙を狙うような行動は・・・「美しくないな~~」と一人画面に向かいツッコミ。それともう1点。この映画で大きな役割を果たす竪琴。実際ビルマでは僧侶は音楽を禁止されているそう。音楽がなければ成り立たない話である分、こういった事実は目をつぶるべきでしょうかね(笑)点数をつけるなら80点!白黒の映像に新鮮さを感じたのも高得点の理由かも。この映画には若き日の三國連太郎が・・・!!やっぱり素敵な人は年を重ねても素敵(^*^)♪おススメできる作品です。機会があれば是非手にとってみてください☆ * * * * * ビルマ(ミャンマー)の現状について宮武外骨さんのブログで取り上げてらっしゃいます。その1その2とても勉強になりましたm(_ _)m
2005年12月06日
何日か前のニュースになってしまうのですが・ちょっと気になったニュースだったので調べてみる事にしました。スー・チーさん軟禁、半年延長ミャンマー軍事政権は27日、アウン・サン・スー・チー国民民主連盟書記長(写真)に対する自宅軟禁を6カ月間延長することを決めた。今回の決定でスー・チーさんの軟禁は来年5月27日まで続くことになる(EPA=時事)18時37分更新「アウンサンスーチー」名前は知っているけれど・どういう人かはあまりよくわかっていない。そしていまだに軍事政権の国、ビルマ。ビルマといえば そして・アウンサンスーチーの父・建国の父と崇められる「アウンサン将軍」これくらいしか思いつかなかった。いつか行ってみたい国でもあるし、ちょっと調べてみました☆アウン・サン・スーチーとは・・・★(Aung San Suu Kyi・1945年6月19日生)ミャンマー(ビルマ)の首都ヤンゴン(ラングーン)に生まれたミャンマーの非暴力民主化運動指導者である。1991年ノーベル平和賞受賞。*補足*ミャンマーとビルマの呼び方の違い1989年に現在政権を握っている軍事政権は国名の英語表記を、Union of BurmaからUnion of Myanmarに改称した。軍事政権が代表権を持つため国連と関係国際機関は、「ミャンマー」に改めた。また日本政府は軍政をいち早く承認し、日本語の呼称を「ミャンマー」と改めた。日本のマスコミは多くが外務省の決定に従ったが、軍事政権を認めない立場から括弧付きで「ビルマ」を使い続ける社もある。アウンサンスーチーやNCGUB(※1)など軍事政権の正当性を否定する側は、改名が軍事政権による一方的なものだとし、英語国名の変更を認めていない。タイの英字紙、英BBC、『ワシントン・ポスト』などの有力英語メディアの一部、および主要な人権団体は「ビルマ」の呼称を続けている。アメリカ合衆国、イギリス、オーストラリア政府などは「ビルマ」とし、EUは「ビルマ」と「ミャンマー」を併記している。※1 NCGUB・・・ビルマ連邦国民連合政府。アメリカ・メリーランド州のロックヴィル(Rockvill)を本拠地とするミャンマーの亡命政府。現在の政府元首は、アウン・サン・スー・チーの従兄弟たるセイン・ウィン。)イギリスからの独立を主導したアウンサン将軍の娘。1948年の独立を目前とした1947年7月に暗殺された同将軍は、「ビルマ建国の父」として今も敬愛を集めている。1960年に母親のキンチーがインド大使に着任。スーチーはインド大使であった母とともにインドに渡り高校・大学生活の一部をインドで過ごす。デリー大学レディ・スリラム・カレッジで政治学を学ぶ。この時にインド建国の父、ガンディーについて学んだ。*またまた補足・ガンディーとは・・・*インド建国の父であり、「スワラジ(非暴力)・スワデジ(不服従)」を提唱した。この思想(彼自身の命名によりサッチャグラハ・真理の把持と名付けられた)はインドを独立させ、大英帝国を英連邦へと転換させただけでなく、政治思想として植民地解放運動や人権運動の領域において平和主義的手法として世界中に大きな影響を与えた。特に彼に倣ったと表明している者にマーティン・ルーサー・キング、ダライ・ラマ14世等がいる。性格的には自分に厳しく他人に対しては常に公平で寛大な態度で接したが、親族に対しても極端な禁欲を強いて反発を招くこともあったという。またナチスのホロコーストに関し、ユダヤ人にも一貫して非暴力・不服従を説いたとされる。ちなみに日本では彼を「平和のヒーロー」とする傾向が強いものの、彼は実際には差別の根源であるカースト制度そのものを否定することはしなかったという。1964-67年にはイギリスのオックスフォード大学セント・ヒュー・カレッジで哲学、政治学、経済学を学び、学士号を取する。スーチーはオックスフォード大学在学中もビルマの民族衣装ロンジー(巻スカート)をはいていたという。なお1990年には名誉フェローに選出された。ロンドン大学の東洋アフリカ研究所 (SOAS) で研究助手を務めた後、1969-71年にはニューヨークの国際連合事務局行政財政委員会で書記官補となる。1972年にチベット研究者のイギリス人マイケル・アリス博士と結婚し、アレキサンダーとキムの2人の息子をもうける。息子二人はイギリスで生まれていますが、2人ともビルマ国籍を取得している。ブータン外務省研究員、オックスフォード大学ボーダリアン図書館の研究員を務める。その後1985-86年には京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として来日し、父アウンサン将軍についての歴史研究を進める。来日は当時小学生だった次男とともにしており、次男は京都の公立学校に通ったそう。日本滞在中に「ビルマの竪琴」を観たそう。感想は・・・「中井貴一ってハンサムね」だったそう。。。。たしかにビルマを知る人が観ると違和感を感じるという。きっと彼女もそうだったんだろう。。(ちなみにアウンサン将軍と日本の関係は深い。1943年3月にはアウン・サンは日本に招かれ、わずか28歳の若きリーダーと称えられ旭日章を受章している。第二次世界大戦当時日本軍と共にイギリス軍と戦っていたものの・インパール作戦の失敗などで日本の敗戦が濃厚となってきた為イギリス側に寝返っている。)1988年4月、ビルマに病気の母を看護するために戻る。87年9月の高額紙幣廃止令などをきっかけに、学生を中心に始まった反政府運動は、デモ中の学生が虐殺された3月以降に激化した。7月には1962年の軍事クーデター以来、独裁政治を敷いていたネ・ウィン将軍・ビルマ社会主義計画党議長が辞任した。戒厳令下では学生、市民らが大規模なデモを行った。アウンサンスーチーは8月26日にシュエダゴン・パゴダ前集会で50万人に向け演説を行った。9月18日には国軍がクーデターを起こし、ソウ・マウン議長を首班とする軍事政権(国家法秩序回復評議会、SLORC)が誕生した。民主化運動は徹底的に弾圧され、数千人の犠牲者が出たとされる。アウンサンスーチーは9月に、翌1990年に予定された選挙への参加を目指し、国民民主連盟の結党に参加する。全国遊説を行うが、1989年7月に自宅軟禁された。国外退去を条件に自由を認めるともちかけられたが拒否したと言われる。軍事政権は1990年5月27日に総選挙を行い、アウンサンスーチーの率いる国民民主連盟 が大勝した。しかし軍政側は権力の移譲を拒否した。激しい国際的な非難を招き、アウンサンスーチーは91年にノーベル平和賞を受賞した。賞金の130万ドルはビルマ国民の健康と教育のための基金の設立に使われた。1995年7月10日に自宅軟禁から解放される。週末に自宅前集会を行って大勢の聴衆を集めたが、最終的に軍政により中止に追い込まれる。国民民主連盟は同11月に制憲国民会議のボイコットを決断し、軍政は、対抗措置として同党側委員を除名した。会議は事実上休眠状態となる(2003年に再開)。国民民主連盟は1996年5月、アウンサンスーチー釈放以後初の党大会を計画したが、軍政側は国会議員235人を拘束する弾圧策に出た。軍政はアウンサンスーチーにラングーン外への移動を禁止していた。アウンサンスーチー側は1996年と1998年にこれに抵抗したが、いずれも妨害された。国民民主連盟は1998年9月、国会招集要求を無視した軍政に対抗し、アウンサンスーチーら議員10人で構成する国会代表者委員会 (CRPP) を発足させる。1999年3月、夫マイケル・アリスが前立腺がんで死亡。ビルマ入国を求めた夫・アリスの再三の要請を軍政は拒否した。再入国拒否の可能性があるアウンサンスーチーは出国できず、夫妻は再会することができなかった。アウンサンスーチーは2000年8月24日、ダラーの国民民主連盟青年部への訪問を再び阻止される。抗議の篭城を行うが、9月2日に首都ラングーンに強制送還された。同月22日にマンダレー行きを試みたが、再度拘束され、翌22日から再度自宅軟禁された。同10月から、ラザリ国連事務総長特使らが仲介し、アウンサンスーチーと軍政との間で国民和解対話に向けた前段交渉が始まり、2002年5月6日に自宅軟禁は解除される。その後国民民主連盟の党組織再建のため、各地を遊説し、訪問先で熱狂的な歓迎を受ける。2003年5月30日、ビルマ北部を遊説中に軍政による計画的な襲撃に遭い、活動家や支援者に多数の死傷者と逮捕者が出た。襲撃の責任者が現首相のソーウィン中将とされる。その後は軍施設に連行され、三度目の軟禁状態に置かれる。外部からの訪問はほぼ完全にシャットアウトされた。同9月に手術入院した後は自宅に移され、自宅軟禁状態となっている。・・・と、だいぶ長くなってしまいました。。ちなみにビルマへの最大の援助国は日本。これまでの援助総額は4000億にも上るという。このためスーチーは「日本の援助がビルマの軍事を支えてきた」と日本の援助に対し常に批判的であったが・2002年5月に自宅軟禁から解放されてからは援助に理解を示す発言もしています。補足として・もう1点☆ミャンマー国軍では歌詞こそ違うものの、軍艦行進曲が国軍の公式行進曲として現在でも使用され、国軍所有のテレビの朝の開始音楽として毎日のように放送されている。軍艦行進曲はここで聞けます。「歌ってよし」をクリック☆ちなみに韓国ではこの曲を使用した反日歌が十数種存在している。 * * * * * * * *まとめているうちに「ビルマの竪琴」が観たくなり・今日からレンタル半額のツタヤに行って日活版ですが・借りてきました!!感想アップできる余裕があったらしますね☆
2005年12月03日
まだ真相はわからないが・・・・政治の世界から去らなくてはならないのは非常に残念に思う。西村元議員は拉致問題に全力を尽くしている数少ないうちの一人だ。西村議員の人気を支えていた数々の過激発言(辻本議員に対し「お前がレイプされても助けてやらん。」笑 小泉首相に対し「射撃されてもいい」笑)また、右翼団体との関係も指摘されていた。過激発言・付き合う相手を選んだほうが政治家として賢い生き方だろうに・・・と危うく思っていた。西村議員はマスコミ、国も拉致問題に目もくれなかった頃から献身的に活動をしていた。蓮池透著「奪還」を読むとよくわかるが、世論が高まる前、まともに相手にしない議員ばかりであった。そんな中(西村議員と平沢議員は)懸命に活動をしてくれた、とある。被害者家族たちをまともに相手にしなかった議員たちが自分の手柄のように話す姿には怒りを超えて寒気さえする。また西村議員は台湾、チベット独立に関しても積極的に活動している。大阪府警に向かう際、胸にはブルーリボンがあった。活動は続けていく、という意思の表れだと信じたい。また政治の場に戻ってこれるよう願う。西村議員は国会議員として初めて尖閣諸島に上陸、日本国旗掲揚した。「ただのパフォーマンスだ」という人もいるがそのパフォーマンスもできない政治家ばかりだ。この期に及んでまだ「話せばわかる」そんな寝言みたいなことを言う議員も多い。全部が全部納得できる発言ばかりではないが、やはり必要とされる議員だと思う。弁護士という責任のある立場でありながら軽はずみにも思える行動をとってしまったことには変わりない。きっちりカタをつけてからの復帰を願う。。。簡単につれづればかりですみません。
2005年11月29日
試験が終わっても多忙な日々です。。書き込みくださった皆様の所にまだ訪問できてなくってごめんなさい**週末にゆっくり訪問させていただきますね☆今日は愛犬フクの誕生日でした。ケーキを買ってきて簡単にお祝いを♪ケーキを食べるのは私なんですが・・・笑 * * * * * * *笑えるかも?、という動画をいくつか集めてきました☆夜中に見るとなぜか笑えるっていう程度ですが・・・★ハゲからマゲへ以来大爆笑っていうのは見つけられないなぁ・・・ ★ ★ ★ ★毎度お騒がせのパリス・ヒルトン出演の全米ハンバーガーチェーン・カールスJrのCM。こちらのCM「セクシーすぎる」為に放送禁止に。ちなみにこのカールスJrは過激なCMでお馴染みの会社との事。コチラ放送禁止のパリス主演のCM。う~~ん。このCMを見て食欲ってわくんでしょうか??エロかっこよさ(?)が若者にうけてイメージアップにはなるのかな・・・??いつも思うのですが「バカでセクシーな女」を完璧に演じきっているパリスってすごい。自分が求められているものを知っていて、それを巧みに演じている。さすがです・・・☆そして・ここからが本題(?)コチラ!まぁ、まず見てください(笑)一応これは求人広告のCMみたいですね。こういうオチがあるとホッとしてしまうのは私だけでしょうか・・・?? * * * * * *「日本で役立つとっさの一言」コチラ☆夜中に見ると爆笑・・・☆最近こんなんばっかりだな・・・。。。時間に余裕ができたらちゃんとした話題も取り上げます。しばしお待ちくださいm(_ _)m
2005年11月25日
一ヶ月半ほど更新を怠っていました。心配してくださった皆様、ありがとうございました!!!ここ2ヶ月くらいは簿記2級の勉強と、仕事で忙しくしていました。「ただ今簿記2級勉強中、落ち着いたら更新します」それだけでも更新しよう、とも思ったのですが、PCの前に座るとダラダラと長居してしまうし・どうせなら「簿記勉強頑張っていました。頑張った甲斐があって合格できそうです」と報告したいなぁ~~なんて思っていました・・・・が・・・人生そんなにうまくいかない・・・・***解答用紙95%は埋まりました。試験終了20分前には全て解き終わって・確認もできました。。・・・が20点問題、やっぱり計算方法間違っているし・・・(泣)同じく2級を目指しているピングー参上さんと前日にお互いの資格スクールの情報交換を。双方のスクールとも予想はだいたい同じ。「また明日、笑って報告しあいたいですね~」なんて言っていたのですが・・・ピングーさんもうっかりミスをしてしまったらしく・・・**試験後「2級の壁は厚いなぁ・・・」と溜息まじりでお互いの報告。せっかく情報を交換していたのに双方のスクールの予想も当たらず・・・。やっぱり幅広く勉強された方(努力された方)の勝ち、ですね。完敗です。結果は12月6日。希望は薄いですが、結果がどうであれまた報告させていただきますね。駄目であってももちろん諦めるつもりはありません。今の状態を簿記風に言うなら 借方 貸方 <2級仮勘定> <学習>(前払い)ってとこでしょうかね~~ <2級仮勘定> <学習>(更に積み上げ)・・・と積み上げていって・・・最終的には<2級> <2級仮勘定>としたいものです。2級という資産がほしい~~ できる限りの禁欲をすれば結果が少しでもよくなるような気がして意味のない禁欲をしていまい意味もなく自分を追い詰めてしまった(笑)駄目だとしても・上手に息抜きしながら計画的に(ここ、最も重要!)合格を目指そうと思う。ここ1ヶ月くらいの間に携帯、PCにいただいていたメールもほとんど返せてなかったので少しずつ返信していかなくちゃ。試験後に気が付いたのだけれど、台湾でできた友人たちも試験前日に頑張れメールをくれている・・・ありがたいなぁ。。経験者ならではのアドバイスをくださったみちょさん、きちんと予告していたわけでもないのに覚えててくださったhawaiiloveさん、気にかけてくださった☆かよさん、ありがとうございました♪ * * * * * * 試験前に溜め込んだ仕事を今は一刻も早く片付けなくては・・・(@。@)しばらくは余裕をもてそうにありません。衣替えもまだ半分しかしていない**少しずつ片付けていきます☆今夜みな様のところにおじゃましますね~では・仕事に戻ります!!
2005年11月22日
またまたひさびさの更新になります。体調はだいぶ戻りましたー☆(体重も・・・泣)今はちょっと忙しいので、しばらくは手抜き日記になりそうです。もっと要領よく生きたいなぁ・・・。。。* * * * * * * * * *今回はレイザーラモンです。ファンじゃないんですけどね(笑)笑っていただけたら、嬉しいです。レイザーラモン・ハードゲイゲーム??!!こちらをクリック☆音楽とのギャップが・・・爆誰だ・・・こんな愉快なもの作ったのは・・・笑笑っていただけたら嬉しいです♪(^▽^@)これから皆様のところにお邪魔しますね~♪
2005年10月11日
ちょっと体調のよくない日々が続いていました。。。下痢と吐き気が治らず・・・今日とうとう病院に行ってきました。もともと腸が弱く何かとお腹を壊しているので最初は気にしなかったのですが・・・気がつけば肌はガサガサ・体重は1週間で4キロ減・・・(=_=;)母もそんなみすぼらしい私をみて「未亡人みたいになってるわよ。」と・・・(=皿=*)それもそのはず、吐き気のせいで食欲もなく主食はポカリスウェット(笑)こんな状態じゃないと痩せられないのかよ!!と自分につっこみ・・・笑我慢できずにとうとう病院へ。点滴をうってもらい薬を処方していただいて・・・食欲も戻り!!明日には元気になれそう(*^_^*)こんな状態で痩せてもちっとも嬉しくありません!!太ってもいいから健康的に~~と今は体の欲する分だけ食べてます!!元気になったら皆様のところに遊びにいきますね!!★とりあえず報告まで♪
2005年10月03日
3日目・・・もう帰国日・・・。。短すぎる・・・!!次は1週間くらい来たいなぁ・・・。台湾は九州ほどの大きさ。時間があればまわってみるのもいいかも。 * * * * * * * *今回も台湾旅日記★1.台湾から帰国しました2.台湾一人旅☆その13.台湾一人旅☆その24.台湾一人旅☆その35.台湾一人旅☆その4以上↑の続きです。長くってすみません!!そしてこんな駄文に目を通していただける事を嬉しく思います♪ * * * * * * * *少し早起きをしてホテルのまわりを散策。公園で太極拳をやっている!!日本でも見れる光景だけれども・・・★お店はだいたい9時からだけど、屋台なんかはあいている。台湾人はひょっとしたら日本人より働いているかもしれない。。。休日は日本のほうが多いし、朝も日本人より早い。特に学生さんの朝が早い気がする。ふと、我が家に来たカナダ人留学生が「日本人働きすぎ」そう言っていた事を思い出した。彼女の両親は9時から17時で仕事を終わらせ、18時には家にいる、と言っていた。多くのカナダ人はそうだ、と言っていた。極端な話し・・・やはりカナダだから可能な話しなのか・・・??国土の広さ、資源の多さ・・・ひょっとしたらアングロサクソン国家だから・・・??極端すぎる話しだけれども、やっぱりこの世はアングロサクソンが生きやすくできているのか・・・??私の狭い視野では答えがでない。台北は朝から活気を感じる街だった。どうかいつまでも、いつまでも平和でありますように。 * * * * * * * *朝9時、飛行場までの迎えのバスが来た。サヨナラ台北~~~!!また来るよ~~!!!!!!帰りもキャセイパシフィック。また遅れているらしい。時間があったので、私のために時間をさいてくれた二人にお礼の電話を。 * * * * * * * * *あ~ぁ・・・楽しかったなぁ・・・そう思いながらちょっとがっかりした気持ちで飛行機へ。が・・・これで旅は終わりません(笑)飛行機の席、なにやら私は台湾人ツアー客に囲まれてしまって、なんやかんや話しているうちに仲良くなった。私が日本人だと知ると台湾人の一人が「創価学会って知っているか??」と聞いてきた。な~~んてマニアなんだ、この人は、と思いちょっと苦笑いしながら「知ってるよ。」と返すと「私と家族は創価学会だ。」と・・・(@。@)「素晴らしい教えをいただいている。」だそう・・・。。日本と韓国でのみ活動していると思っていたら台湾にも信者がたくさんいらっしゃるそう。。彼女らとは年齢も近く、すっかり仲良くなった。彼女らは伊豆、東京、千葉とまわるらしく・千葉での滞在先は私の家のすぐ近くだったので会う約束をして携帯番号を交換した。空港で「また会おう!!」と別れ・・・彼らが滞在中2回会ってきました(^。^@)1回は差し入れをして、恋愛のこと・TVのことなどなどくだらない事を話し・・・★言葉って伝えようと思えばけっこう伝わるもの(笑)うまく言えない自分にじれったさも感じますが。もう1回は千葉を案内しました。その後空港まで送りに。身につけているものを互いに交換して泣いている自分たちに笑えてきたりして(笑)泣き笑いで送り出しました。 * * * * * *大事と思える友達もできて、その国の雰囲気も好きで。本当に行ってよかった。また絶対行こう。 * * * * * *さて・こんな恐いもの知らずに見える(実際にそうですか・・・??)私ですが、★移動は絶対公共機関(バス・電車)★人通りの少ないところへは行かない。★待ち合わせは人通りの多いところこの3つ心がけました。私は今回無事でしたが、これから行かれる方充分に気をつけてください。気のいい方の多い国ですが犯罪率は日本より高いし性犯罪率も高いですよ!!充分に気をつけていい旅を~♪ * * * * * * *台湾がいつまでも、いつまでも平和でありますように。そう強く、強く、願います。
2005年09月21日
1.台湾から帰国しました2.台湾一人旅☆その13.台湾一人旅☆その24.台湾一人旅☆その3続きです!!ひっぱりすぎちゃってすみません~~!!中正紀念堂をすみずみまで拝見し・・・・お腹もすいてきたのでごはんに・・・☆次の目的地は故宮博物院!!故宮博物館へは駅からバスに乗っていきます。バスはだいたい15NT$でしたよ。(日本円で50円くらい)故宮博物院には地下鉄士林駅という駅からバスです。ちなみにこの地下鉄(MRT)はかなり使えます。台北観光をするなら絶対おススメ!!1日乗り放題で200NT$(50NT$は預かり金。実質150NT$)台湾にお越しの際は是非この地下鉄ご利用ください☆さて、士林駅を降り・・・バスに乗る前にごはんを。私は屋台で台湾料理とか食べたかったのに・・・なぜかパスタ屋ときかない・・・(-_-;)一応こんな色気のない私でも女として意識していたからなのか、と後で気がつく。パスタ屋さん、大学生が多い。日本と同じですね~。ごはんを食べながら小学生の頃読んだ漫画の話し、観ていたドラマ、学校の事、勉強の事などなどくだらない事を中心に話しをしていた。彼も東京ラブストーリーが好きだったそう。あの頃老若男女、国籍も関係なくみんな保奈美さんの虜だったのね~(^。^@)ふと、歴史教科書について話しが及んだので冗談っぽく「ねぇ、あなたも 日本鬼(リーベンクィ)って習ったの??」と聞いてみた。彼は突然悲しい顔をして「何でそんな言葉を知っているの??」と聞いてきた。この言葉は何年も前に中国からの留学生から聞いた言葉だった。中国の教科書には日本兵は「日本鬼」と記してあるそう。台湾でもそうなのか、と疑問に思い聞いてみた。そう伝えると「そんな事を言う中国人は嫌いだ。そんな言葉忘れてくれ。」と。・・・・・。。。。。ありがたい気持ち、それとなんだか申し訳なさでいっぱいになった。 * * * * * * * * *さて、故宮博物院へ。**故宮博物院とは・・・**この博物院には中華民国政府が台湾へと撤退する際に故宮博物院から精選して運び出された美術品が主に展示されており、その数が合計60万8985件冊にも及ぶことから世界四大博物館のひとつに数えられている。博物院では3カ月に1回の割合で展示品の入れ替えがあるが、膨大な所蔵量の為に、全ての所蔵品を見るためには8年余りもかかると言われている。なお、現在では台湾中部にある嘉義市にアジア文化をテーマとした南部分院が設立されており、博物院の機能の分散化が図られている。この博物院は1960~70年代に中華人民共和国で生じていた文化大革命から貴重な歴史的遺産を保護するという役割を持っていた。が、同時に中華民国政府が中国(China)の唯一合法的な政府であることの象徴と、日本の統治から離脱したばかりの台湾において中華ナショナリズムを強調するための装置として中華民国政府に利用されていた。その為に現在では、早期の台湾独立を求める泛緑連盟勢力の一部から独立と引換えに故宮博物院の文物を中国に返そうという主張が出ているが、実現の可能性はほとんど無いそう。 * * * * * * * * * *ここには日本から送られてきたものも多い。「日本から」というとやっぱりじっくりみてしまう。いろいろな説明より実際に見てもらうのが一番いいかと思います。台湾にお越しの際は是非足を運んでください(^▽^@) * * * * * * * * * *故宮博物院も観たし・・・次は台北市内から電車で30分ほどかけてお隣の市淡水へ。ここ、淡水には「紅毛城」があります。「紅毛城」は1626年にスペイン人が作ったお城で、その後1861年には英国が領事館を設置したという台湾の第一級古跡。バスに乗っていけば海も見え・遊覧船に乗って夕日を眺めてみました。ガイドをしてくれている彼は海軍に所属していたらしくその時の話しなんかを聞かせてくれた。やはり若いうちに2年、という時間を国により拘束されてしまう事にだいたいの人は憤りを感じ、時間の無駄、という意見も多いらしい。「でもこの経験は無駄にならない。」そう言っていた。・・・・あまりに幼い自分が恥ずかしくなった。私は同じ立場だったらこう思えただろうか・・・。。。また、中国の脅威にも話しが及んだ。「攻め込まれたらきっと駄目だと思う。」誰がみても一目瞭然だが、改めて言われてしまうとなんだか泣きたくなってきてしまった。が、戦わねばならぬ人の前で涙を流すなど失礼なことはない、そう思い必死でこらえた。 * * * * * * * * *気がつけばもう7時過ぎ。台北市内に戻りごはんを食べて、さぁ・解散、と思ったものの・・・やはりホテル前まで送ってくれる、との事。ありがたい、と思ったものの・・・暗く無口になっている彼に重苦しい雰囲気を感じ・・・(-_-:)やはり解散の時に泣かれてしまった。お昼くらいからそんな雰囲気は感じていた。好意をもってもらっても、それに答えるつもりは毛頭なかったし、彼氏の話しをわざとたくさんしてみたりしていたのだが・・・。。慰める言葉をかけるのもおかしいし、無理矢理明るく「また会おう!!」とさわやかに握手をし、背中を叩き送り出した。帰国してからも彼から好意のメールをいただくが彼は「私」に恋しているのではなくて「日本人」というブランドなんだろう。「日本人女性」というだけで価値があるのかもしれない。部屋に戻ったら、気も緩んでほっとした。シャワーをあびてすぐに就寝。もう翌日は日本に帰るんだ・・・そう思うとせつなかったが無事この一人旅が終わるという事にほっとした。「こんないい旅になるんだから心配せず楽しんできなよ」、そう出発前の自分に教えてあげたくなった。 * * * * * * また絶対こよう、そう思える国でした。いつまでもこの国が平和でありますように。そう願ってやみません。次回も旅日記続きます!!
2005年09月20日
あんまり横道それていない割に長くなってしまってますね・・・(^。^:)1.台湾から帰国しました2.台湾一人旅☆その13.台湾一人旅☆その2続きです♪さて・2日目・・・☆30分だけ寝て2日目の行動へ!!8時にまた別のメル友との約束があったので寝坊は許されぬ・・・!!!目覚ましを何重にもかけて、バタンキュー***・・・・30分、あっという間。今日も一日充実させるぞ~~!!と飛び起き(仕事だったらこんな風に元気に起きれない・・・。。)支度をしてホテルのロビーへ。今回の待ち合わせはホテルのロビー。5分前に着くと。。。もういる!!!今日のメル友は男のこ。歳は私と同じ。大学生。大学に入る前に軍隊に入っていた為私と同じ歳でも大学生らしい。台湾は徴兵制度ありです。日本語3 英語7 での会話。日本語検定の勉強中で、検定試験に合格して旅行会社に就職したいらしい。英語でいえばいいのに。。。という事も一生懸命日本語を使ってくれたり、と日本語に対してのやる気を感じました。すんなり言いたい事が伝わらないことも多かったけれど、だいたいはわかった。語学。。。避けてきたけど、やっぱり大事なんですよね。彼は全然かっこよくもなく華もないタイプでしたが(笑)メールでのやりとりで人柄のよさを感じたので、彼にガイドをお願いしました。彼は一生懸命プランを考えてくれました。。。感謝!!まずは彼にお土産を渡した。風鈴、箸置き、そして東京の写真集。彼にはお土産を持っていく、と伝えていなかったのでとても喜んでくれていた。彼も私にお土産を用意してくれていた。フタ付きのコップ。地元の市場に売ってそうな感じ(^▽^@)こういう素朴なものが一番嬉しかったりする。 * * * * * * *「お土産」なんて律儀な事(自分で言うな!!(笑))するのは日本人くらいだろう、と思っていた。私の外国人の基準は我が家にホームスティしていたカナダ人の女のこになってしまっている。それを基準にするのは無理があるのはわかるけれど、何ヶ月も一緒に暮らしていたのでどうしても彼女が基準になってしまう(笑)(彼女に関する話もこれからたくさん書いていこうと思っています☆彼女の話しここに書いてます☆)そんな先入観もあった為、私は何度も台湾人の律儀さに驚いた。そのことも後で書いていこうと思う。 * * * * * * *最初は中正紀念堂へ☆中華民国(台湾)の初代総統である蒋介石の死を偲んで1980年に建設された。なお、建築名にある「中正」は蒋介石の本名であり、介石は彼の字(あざな)である。蒋一族は独裁政権だった為、反発していた人々は、中正紀念堂を「中正廟」や「ハゲ寺」と呼んで揶揄するそう。蒋介石とはどういった評価を受けているか・・・ネットで調べてみました。*台湾*中華民国(台湾)の指導者として尊敬の対象とされるが、一方では二・二八事件など数々の白色テロを起こしたとして、特に本省人の中では根強い拒否反応を持つ人も多い。 *二 二八事件とは・・・1947年2月27日、台北市でヤミタバコを販売していた老婆を国民党政府官憲(密売取締員)が発見。公道でその老婆を射殺するという惨事が起こった。 これにかねてから不満があった市民の怒りが爆発。翌28日以降、それに対する抗議行動が台湾全島に拡がり、もともと台湾に住んでいた本省人は、戦後台湾に移住して強権をほしいままにする外省人と、外省人によって成り立っていた国民党政府に対して抗議活動・襲撃等を起こした。このとき、台湾人がラジオ放送局をジャック。日本語で「台湾人よ立ち上がれ!」との放送を行った。当初、国民党政府は本省人側にたいして対話姿勢を示していたが、実際のところそれは時間稼ぎに過ぎず、翌月、多人数の援軍が大陸から到着してからは、国民党政府による大弾圧が始まった。日本統治下で高等教育を受けたエリート層の多数が逮捕・投獄され、国民党軍は一般市民にも無差別的な発砲を行っていたとする証言が多数ある。約3万人が殺害・処刑されたといわれ、死者数を確定しようとする試みは、いまも政府・民間双方の間で行なわれている。*本省人・外省人の定義*本省人の定義は、1945年(昭和20年)に日本が大東亜戦争(太平洋戦争)に敗戦し、中華民国へ台湾が帰属(光復)する以前から台湾に住んでいた漢民族と、その子孫の事。なお本省とは台湾省を指す。多くの本省人は明代の頃から日本統治時代にかけて台湾へ渡来し定住したと言われている。福建系と客家系があり、台湾原住民(高砂族など)との混血も進んでいる。光復後に台湾へ移住してきた漢民族はもともと本省以外に籍を持っていたため外省人と呼ぶ。*日本での評価*太平洋戦争終結後・「以徳報怨」(徳を以って怨みを報ず)という寛大な対日政策に基づき日本兵の中国大陸からの復員に対し最大限の便宜を行い、多数の在中日本人の命を救ったことで今でも好意的に評価する日本人も多い。しかし、近年では台湾での治世に関して独裁的であったとして非難される事も多い。 * * * * * * *ガイドをしてくれている彼の祖父母は日本語教育を受けていたから日本語を話せる、と彼は言っていた。・・・・が、何と反応していいのかわからなかった。今回この旅で何度も「自分の親、もしくは祖父母は日本語教育をうけているから日本語を話せる」という言葉を聞いた。彼らはこちらを責めるつもりではなく、日本人である私との接点を探して言ってくれたんだろう。 * * * * * * * * *祖父母が日本語教育を受けている、という事は彼は本省人なんだろう。蒋介石の事はどう思っているのか気になり「蒋介石はどういう人物なの??」と聞いてみた。彼は「言うならばリンカーンのような人だ。」と・・・。。意外な答えだった。「台湾人は228により、たくさんの人が亡くなっているから・・・彼は評価されていないかと思った。」そう言うと「悲しい事はあった。 しかし、彼がいなければ今の台湾はない。」と・・・・。。これは南国の「台湾人気質」なのだろうか。彼らは歴史を一つの段階としてみている。* * * * * * *それにしてもこの中正紀念堂。広いし、豪華だ。。。中には蒋介石の乗っていたキャデラックが展示してある。これまた豪華。こんな建物にお金かけるならもうちょっと違うところにもまわせばいいのに・・・、と一瞬思ったが・・・ここは「国の誇り」なんだろう。豪華にするだけの価値はあるんだろうなぁ。。。いろいろなことを考えながら見てまわった。自分が寝不足、そんな事なんてすっかり忘れていた。すっかり長くなってしまった・・・!!!続きはまた次回に~♪これから、風邪をひいたという彼氏のところにお弁当を届けてきます!!余計具合悪くなったり(笑)では車で40分の道のり!!行ってきま~す!!
2005年09月19日
初日大遅刻の末に会えたメル友。結局始発まで遊んでしまった。彼女と待ち合わせをしたのは人通りの多いお寺の前。駅前にあるお寺でお寺の名前が駅の名前にもなっている。台北で一番古いお寺、龍山寺。お寺の前に駅もありすぐ近くに夜市もあるのですごくにぎやか。人通りも多いし、私は彼女が全然わからなかったけれど、彼女はすぐ私がわかったそう。彼女は「日本人はおしゃれだからすぐわかる。」と・・・☆・・・・(*^_^*)♪近くの夜市は華西街夜市 というアジアンな雰囲気たっぷりの夜市。彼女とそこでご飯を食べる事に。おかゆやら、麺類やら、かなり食べた~~!!旅行来ると満腹中枢いかれますね・・・(苦笑)彼女とは5分かからないで打ち解けた。日本にいる時に一番親切なメールをくれたのは彼女だった。いろいろな事を事細かに教えてくれた。私に何の義理もなくこんなによくしてくれていいの??と思った。彼女は「日本にいる時に日本の方に大変お世話になった。だから自分も日本の方を助けたい」と言っていたが・・・話しがうますぎやしないか??と少し疑っていた。会ってみたら本当は男の人で会ったらすぐに拉致されて、売り飛ばされたらどうしよう・・・とか少し考えていた(爆)が、実際会ってみて彼女とはすぐ打ち解けた。いらん心配をしてました(笑)屋台で嫌韓流、それとお土産を渡し・・・・何でこれ読みたいと思ったの??と聞くと「今台湾は韓流ブームだから。maicoは好きじゃないの??」と。「興味ないなぁ。韓国の映画って服装ださいんだもん。 シルミドとかはおもしろいと思うけど。」と返した。台湾でも韓流ブームにのっているのはおばさん方らしい。彼女は日本に留学した時ルームメイトが韓国人だったそう。その時にさんざん韓国がいい国だ、ハングルは素晴らしい文字だ、などなど聞かされうんざりしたそう(笑)彼女は「韓国人って馬鹿みたいだよね。 日本海の呼び名とか竹島とかこだわって。」と言っていた。「日本が相手だとヒステリックですごいよ、本当。」と返した。歴史認識問題とかその他諸々、聞いてほしい事はたくさんあったけどどこまで言っていいのかわからなかったし、嫌韓流を読んでもらえばわかると思ったのであえて言わなかった。母国語じゃない言葉で難しいこと言われても疲れさせちゃうかな、とも思ったし。「もし、嫌台流があれば読んでみたい」と言っていたので「う~ん。日本は今中・韓2国だよ。 反米もかげをひそめてるし。 台湾に対して好意的な本ならあるよ。」そう言うと「知ってる。小林よしのりの台湾論でしょ。 こっちでもだいぶ話題になったんだよ。 でもさ、この人中国嫌いだからでしょ? 中国嫌いな人って台湾好きじゃない??」↑小林よしのり著・台湾論。「うん。そういった部分はあると思う。 同情というより嫌中仲間を探している部分あると思う。」「中国」という言葉はださないつもりだった。けれど彼女からでてきたので「あのさ、嫌な気にさせたらごめん。あなたのアイデンテティは中国人?台湾人??」と、聞いてみた。「台湾人でもあり、中国人かな。でも留学ビザを発行した時にCHINESEってなっているのを見て複雑な気持ちになった。これから台湾人っていうアイデンテティは強くなっていくんだと思う。」・・・・聞きたい事はたくさんあったけれど・・・外国人の私がどこまで聞いていいかわからなかった。台湾というアイデンテティにこだわる事によって戦争が起こってしまう。。。それも嫌だ、と思ったが・・今の中国に呑まれてほしくない、とも思った。しかし、彼らからしたら中国は同じ漢民族の国。彼らにとって一番いい方法はなんだろうか・・・・??自分が当たり前のように「日本人」である事。幸せなことなんだ・・・。複雑な気持ちになった。 * * * * * * *話しのネタに、と持ってきた写真。友達の写真をみて「日本人やっぱりかっこいいねー!!かわいいねー!!」と絶賛!!友達一人一人の説明をしているうちに島国でありながらクォーター・ハーフの多さに改めて気が付かされた。やっぱり一番多いのは米軍とのハーフだ。当たり前のように感じていた事に彼女が一つ一つ驚く。米軍基地のない国では考えられない状況なんだ。。。 * * * * * * * *なんやかんや話しをしているうちに咽喉も渇いていろいろなところでお茶を飲んだけれど・・・ほとんどが砂糖入り!!ストレートのお茶が恋しい、と言うと「日本人は砂糖なしのお茶ばっかりだもんね。日本人はラーメン以外薄い味が好きだよね。日本人は薄味だし、水がおいしいから長生きするんだよ。」と・・・。え??水がおいしい??我が千葉県は水が不味いとよく言われるのに・・・(彼女も日本に留学している時千葉に住んでいた)「千葉は水が不味いって言われるよ。」と言うと「全然。日本は水がおいしいよ。」と・・・☆気がつけばもう5時前・・☆車・人通りの多い道を選んでけっこう歩いてきてしまったので、駅方向を目指して歩く事に。歩きながらまた屋台に入ったりもして・・・もう朝なのでこっちでも少しくらい日本の選挙について新聞に載っているかな・・?と気になっていた。その話しを彼女としていたら現地のおじさんに「日本は小泉さん勝ったよ。」と日本語でいきなり話しかけられた。「この首相強いからね。日本は景気よくなるよ。」と・・・☆異国で日本の批評を聞くって少し不思議な気分だった。おじさんからさわりだけ聞いてしまったので余計に気になった選挙。屋台をでてコンビニに行くと・・・大きさは違えどどの新聞も一面に日本の記事が・・・・!!えー!!?日本のことが一面に載るなんてあるの??と聞くと「うん。けっこうあるよ。」と・・・☆どの新聞も大きく笑顔の小泉首相が載っている。試しに一部買って目を通してみると・・・何やら選挙以外のことでも日本のことがのっている。彼女に「これ何て書いてあるの??」と聞いたものの・・・うまくにごされてしまった・・・☆きっといい事が書いてなかったんだろう。なおさら聞きたかったなぁ(笑)始発に乗りホテルへ。私は方向音痴だから、とホテルの前まで送ってくれた。また会う約束をして抱擁をして別れた。私も彼女も涙ぐんでしまった。日本人同士だと恥ずかしい抱擁だけど他国の人となら男女関係なくすんなりできる。なかなか会えない、っていうのがわかるからだろうな・・・。部屋についたのは朝6時半。シャワーをあびて30分だけ寝て2日目の行動へ・・・・☆2日目以降についてはまた次回に・・・♪
2005年09月17日
私はこれ爆笑しました(^▽^@)なのでみな様にも紹介♪コチラ♪また後で追記するかも・・・☆
2005年09月15日
たった2泊3日。しかも1日目は夕方日本を出る飛行機、3日目は午前中台湾を発つ、というなんとも短い旅。でも、いろいろな出会いもあり・とっても刺激的な2泊3日でした。行ってよかった。 * * * * * * *まず、出発日。台風の影響で飛行機が飛ばないかもしれない、と前日に旅行会社から電話があったので半分諦めていた。・・・しかし、朝成田空港に確認をしてみると予定通り運行、との事!!念の為yahoo 台湾でも天気を確認。曇り時々晴れ!!!☆急いで荷物をまとめて・荷物を持ったまま選挙へ。選挙をすませてそのまま電車に乗り成田空港へ!!・・・・と、ここまでは順調・・・。。。成田空港には2つターミナルがあって、飛行機会社ごとにターミナルが分かれています。第一ターミナル・第二ターミナル。降りる駅が違うのですが・・・・。。私は2回に1回はこの間違いをしてしまうんです。。。また今回も間違えてしまった。。。日本でさえこんなドジしているのに・・・果たして無事に帰ってこれるんだろうか・・・(-_-:)少し不安に(笑)飛行機の搭乗口にはギリギリ1時間前にCHECK。あぶないあぶない。。。ごはんを食べる暇もなく、出国審査を済ませ飛行機へ。飛行機はCATHAY PACIFIC☆2005年エアライン・オブ・ザ・イヤーに選ばれたというこの会社。期待していたのですが・・・・ごはんはおいしくない。。。飛行機は行き、帰りともに1時間半の遅れ。(ディズニーランドの影響か・・・?)映画や音楽もイマイチ。。。もっといい会社ならいくらでもありそうなものですが・・・(=_=:)食事には特にがっかりしました。「中華文化圏の飛行機会社のごはんはおいしいだろう」って期待していましたし・・・☆ちなみにBEST5はこちら↓Airline Of The Year 2005 1 キャセイパシフィック航空 2 カンタス航空3 エミレーツ航空 4 シンガポール航空 5 ブリティッシュ・エアウェイズカンタスも乗った事ありますが、イマイチだった記憶が・・・。キャビンアテンダントがあまり働いていませんでした(笑)ちなみにこの飛行機、東京→台湾→香港。台湾経由の飛行機は一日一便飛んでいるそう。台湾へは約3時間。近いなぁ・・・☆ * * * * * * * * *さて・台湾に着いたのは予定よりも一時間半遅れで夜8時。飛行場からホテルまでは車で1時間。メル友と夜8時半の約束だったので、入国審査の前に急いでメル友の携帯に電話。「すみません!!!」を連呼しまくっていた私。時間を1時間遅らせてもらって更に待ち合わせ場所も私の泊まるホテルから徒歩3分のお寺の前に(笑)ホテルのロビーでもいいよ、と言ってくれたのですが、それだとなんだか誠意がないかな??なんて変な判断をしてしまって(なんでこんな変な判断したんだか自分でもわからない。)待ち合わせ場所をホテルから少し歩いたところに。彼女とやっと会えたのは夜の10時・・・(@。@)歩いて3分にも関わらず迷ってしまい・・・結局現地の方が待ち合わせ場所まで一緒に歩いて行ってくれました。。。。地図の読めない女って私の事だな・・・。。。しかも、10時って・・・人と会う時間じゃないですね。。。「はじめまして」の後は「待たせてすみません!!」を連呼。いいよ、いいよ、と笑ってくれました。彼女は日本に一年留学していたし、大学院での専攻「日本文学」だそう。日本語も上手だし、日本人のメンタルもけっこうわかっているだろう、と思い一番最初に会うことにしました。歳は私の一つ下でした。彼女へのお土産はリクエスト通り「嫌韓流」!!それと今流行りのNIKEのラバーバンド☆喜んでくれていました。彼女もお土産を用意してくれていました。「台北walker」!!☆角川文庫の現地法人から発行されています。日本の情報もたっぷり☆前は2週間に一度の出版だったそうですが、今は月1の発行だそう(笑)10時に会ったので・1時間くらいしか遊べないなぁ・・・、なんて思っていたのですが、結局始発まで遊んでしまった・・・(^。^:)日本の事、台湾の事、自分のアイデンテティ、家族の事、美容の事。。。話すことは尽きなかったなぁ。お酒1滴も飲まずに初対面の人とこんなに話しがあるなんてなぁ~2人でいろいろなものを食べ歩きしながら、空いているお店を探したり・公園のアスレチックで遊んだり。日本でさえ始発まで遊んだりしないのに、こんなに遊んだのは初めてでした。話しをした事はまた次回にでも・・・♪
2005年09月14日
今、帰ってきました!!も~~~~すっごい楽しかった・・・!!!書きたい事はたくさんあります☆「もやし」の私。人に頼ってばかりの私。こんなんじゃいけないなぁ・・・と思って一人旅をしてみようと思った。自分一人でもやっていける、そういう自信が欲しかった部分もあり。・・・・が、結局・現地のいろいろな人に助けられ、一人じゃなにもできないんだな~・・と改めて思った。出発が台風の為少し危ぶまれていた。朝飛行機が飛ぶ事を確認して、あわただしく用意して大きな荷物を背負って選挙に行ってそのまま成田空港へ。「行ってきます。」ブログ・それだけでも更新したかったのですが、時間がなくって。。気にかけてくださった皆様、ありがとうございました。 * * * * * * *台湾でも・もちろん感じの悪い方もいました。が、それ以上に人の温かさに触れてきました。現地の人やメル友ともいろいろな話しをしました。たくさん友達もできました。帰りの飛行機の中でも友達ができました(笑)帰りの飛行機の隣の席だった女のこは日本へ旅行。泊まるホテルが私の家の近くなので・滞在中・会えたら会おう、との話し。現地の方と政治の話しもしました。しないつもりだったんだけれども・・・行く所、行く所政治と切り離せない場所ばかりでしたので・・・笑* * * * * * * * *嫌な顔せずきちんといろいろ答えてくれました。台湾人みなそれぞれ違う考えを持っていました。ちなみに今回の選挙・自民圧勝は現地の台湾人の方から聞きました。選挙結果が気になってコンビニで新聞を買おうかと思っていたところでした(笑)「日本はこの首相を信じてついていけば大丈夫。この首相、強いから。」と。外国の方から日本の批評を聞くって少し不思議な気分でした。* * * * * * * * *現地の方との触れ合いも含めて・これからゆっくり、旅日記更新していきますね。台湾行ってみて改めて「この国がいつまでも平和でありますように。」そう強く願う。「FORMOSA」 台湾の別名です。1544年、航海中に初めて台湾を発見したポルトガル人が、その美しさに感動して「イラ フォルモサ!(Ilha Formosa!:麗しの島)」と叫んだ事に始まると言われています。本当に美しい国、島でした。* * * * * * * * *さて・明日から仕事、気持ち入れ替えて頑張ろう。旅行記は少しずつ更新します☆横道たくさん反れると思いますが・・・。。。これから洗濯しま~す!!
2005年09月13日
・・・の、為明日の飛行機は飛ぶかちょっと微妙らしい、と旅行会社から電話がきました。。。行けた、としても大雨・・・(T_T)もし、飛行機が飛ばなかったら旅行代金は全額返金、との事なので・・・また機会をみつけていけばいいのですが・・・いつになるやら。。。中国語も勉強してたのにな~~(涙)忘れてしまいそうです(:_:)まぁ、次行く時はもっと長期滞在できる時狙って行ってもいいか。。台風のこなさそうな時期を狙えばいいですよね。飛行機が飛ぶか飛ばないか明日にならないとわからないそう。ちょっと気がぬけてしまった。。。せっかく会う約束をしたメル友たちにお土産用意したのにな~~結局二人会う事にしました。一人は日本語勉強したい、との事で日本文化にも興味があるそう。Broken Englishでメールのやりとりしています(笑)風鈴と箸置用意しました。* * * * * *もう一人は日本に留学経験もあり、日本語堪能。お土産何がいい??、と聞いたら・・・嫌韓流がいい、との事・・・***ちょっと意外でした(^。^:)渡す時にいろいろ聞いてみようっと。。。* * * * * * *岡田さんの画像集発見しました。興味があったらこちらご覧になってください。岡田さん、昨日は田中真紀子氏と街頭演説していたんですね。。なりふりかまわず、なのでしょうか。。目を覚ませーー!!
2005年09月10日
台湾に行くまで後2日!!仕事を片付けたり、台湾情報仕入れたり・・・台湾人メル友もたくさんできました!!何人か会ってきます。滞在時間がすごく短いので・限られた人数としか会えないけれど・・・。。いろいろ話したいこともあるし、台湾について聞きたい事もあるので・・・楽しみ♪話題の中で「中国」はやっぱり禁句だろうな。。独立思考にしても統一思考にしても。★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ちなみに日本で人気のある台湾人、といえば・・・インリン。。。インリンちゃん、美脚だし・かわいいんだけれども仕事っぷりが過激なので(詳細はこちら。これが公式HPってちょっとすごい。。)話題だしにくいなぁ・・・笑しかもインリンちゃんは日本でのみの活動だし・・・日本人は変態だ、なんて事にもなりかねないか・・・??笑日本でも人気のあったビビアンスー。今は台湾で人気があるみたいです。それと、やっぱり台湾人といって一番最初に思いつくのは李登記前総裁。日本には李登輝友の会なんてものもあるくらい人気がある。李登輝前総統人気は日本統治時代(1895年~1945年)の功績を評価し、親日路線を敷いているところが一番の理由だろうなぁ。。。ちなみに友の会、本部は東京都千代田区。会員数はおよそ1500名。日本全国に8つの支部があり・本部直轄の青年部もある。初代会長は、作家の阿川弘之(現在は名誉会長)。2代目会長は前拓殖大学総長の小田村四郎。副会長は、元ブリヂストンサイクル社長の石井公一郎、元駐タイ王国大使でNPO法人岡崎研究所を主宰する岡崎久彦、外交評論家の加瀬英明、杏林大学客員教授の田久保忠衛、京都大学教授の中西輝政の5人。隔月で機関誌『日台共栄』を発行しており、随時、講演会を開催するなど、日台交流の推進に活動しているそう。こんなコスプレもしていましたね(笑) 「魁!男塾」・塾長コスプレ。「魁!男塾」とは私が小学生の頃人気を博していた漫画です。塾長のイラストはコチラ↑(笑)ちなみに 李登輝前総統の台湾の改革は以下の通り。前総統蒋経国の改革路線を継承し台湾の本土化を推し進めた。このため総統就任初期は台湾で絶大な人気を集めたそう。憲法を改正し、万年地位を保証されていた外省人国会議員の特権を剥奪し、台湾史上初の総統直接選挙を実現させた。総統の任期はアメリカと同様に「一期四年、連続二期」の制限を付け、独裁政権の発生を封じた。その反面、台湾での李登輝政権の評価の中には蒋経国政権時代まではほとんどなかった汚職が激増し、「黒金(金権)政治」とも呼ばれる状態を招いた事や、彼自身の汚職疑惑などの負の側面を指摘する声も聞かれる。李登輝氏については本も読んでみました。この本で李登輝氏は蒋介石・蒋経国親子を直接非難していません。毛沢東率いる中国共産党に破れ、台湾に逃げこんだ蒋介石の国民党。228事件という台湾国民にとって大きな傷を残しはしたけれど、今の台湾の土台を作った、と。彼らがいなければとうに台湾は中国にのまれていただろう、と。中国、そしてこれからの台湾。本当は一番興味があるとこなんだけど。。。興味本位で人の心をかき乱すような事を聞いてはいけませんね。台湾の方にとっては死活問題。外国人の私が簡単に聞く事じゃない。たわいない事聞いてこようっと。ちょっと仕事に戻ります!!また追記できたらしま~す!!中途半端ですみません!!
2005年09月09日
沖縄or台湾・・・と迷っているうちに沖縄便空きがなくなってました(爆)そんなこんなで台湾に決定~♪初めて乗るキャセイパシフィック☆機内食どうだろう・・・??ちなみに今まで一番機内食が美味しかったのはチャイナエアラインかな~☆1日目の夜、台湾に着いて・3日目は午前中に台湾を発つので・・・短い~~!!!しっかり楽しむ為には、しっかり情報収集・・・と、思ったので台湾の情報サイトにBrokenEnglishで(笑)「再来週、台湾一人旅に行くのですが、オススメの場所があったら教えてください」と書き込んで・・・メールがそのサイトを通じて届くように設定したのですが・・・メールが届く届く・・・!!☆昨日の夕方設定したのですが・・・1日でもう20通以上届きました!!中国語でメールをくれる人、つたない日本語でメールをくれる人(ローマ字書きやひらがな。それぞれ)英語でメールをくれる人・・・☆中国語はエキサイトを使って訳しているのですが・・・正確に訳せてはいないんだろうなぁ~(^。^:)漢字なのでなんとなくニュアンスは伝わるのですが。中国語でいただいたメール・返事どうしようか考えています。「メールありがとう。私、中国語わからないから英語でメールください」とでも返すかな・・・☆メールの内容は*あなたと友達になりたい。*台湾自分が案内してあげるよ。*台湾に来たらここは行くべき*日本大好き・・・・、といった内容が多い~~!!なかには自分と日本とのつながり(自分の家族は日本の企業で働いている、や友人が日本に留学している、など)を書いてきてくれる人も。まだまだメール全部は返せていませんが、1件1件返していこうと思っています。台湾にはいつくるの??案内してあげる、というメールをたくさんいただいているのですが・・・何回かメールのやり取りをしてみてどうしようか決めようと思います。ちょっと困ってしまうメールは「車で案内してあげる」といった内容。みず知らずの人の車には乗り込めません~~!!せっかく旅行に行くなら現地の人ともふれあいたいし、一緒に屋台でごはん食べたりなんかもしたいし・・・☆(こういった考えは無防備・・・??)その前に、台湾に行くまでにきちんと仕事終わらせないとな~~☆台湾についてもいろいろ知っておかないと☆楽しみ~~♪
2005年09月02日
すでに皆様事細かに書いておられますね。。。「沖縄ビジョン」わかりやすいフラッシュはコチラどうぞ~♪何書いてもパクリになってしまいそうなので・・・(@。@)自分の考えのみ簡単に。民主党沖縄ビジョン、簡単に言うと・沖縄の経済的自立・そして基地からの自立目指す法案だ。中身としては50%賛成意見の部分もある。けれどあまりに無防備で理想論でしかないと思う。米軍基地からの自立を目指すなら失業者対策をしっかり練らなくてはならないと思うし、その案があまりに大雑把だ。もちろん米軍がいなくなった際の東シナ海有事に備えて武装も必要である。米軍がいる今も、「米軍によって守られている」というのは幻想でしかないと思うが・・・☆黄色人種の私たちを白人主義の国が命をかけて守るとは思えない。日本の米軍基地は中東対策の為に使われているようにしか思えない。話しがそれてしまったが、米軍基地脱退後は外交力の武装も必要だと思う。何も起こさせない為の武装。外交力と武装は別だ、というのはキレイ事でしかない。こんなキレイ事は日本の地盤沈下を早めるだけだと思う。イスラエルの人や中東の人々が国を守るためにあれだけ必死になっている。あの姿を見る度に当たり前にある国の存在をありがたく思い、また守らなくてはならないと思う。もちろん、中国をはじめ東アジアを敵、と仮定して武装してしまうのも何か違う。それこそアメリカの中東戦略に加担してしまっているような気がする。同じアジアの民であり、本来は協力しあうべき国なのだと思う。しかし、中国の現状をみる限り油断は絶対にできない。台湾の知識人は何年も前から「中国は台湾を手中に収めた次は沖縄を狙うだろう。」と言っていた。実際に最近、沖縄日本帰属論に意義を唱えてきた。沖縄を、日本を守る為に政治家は何をすべきか??体裁だけを気にする政治家はいらない。日本を守る、そういった信念を持った人のみ政治家になるべきだ。沖縄ビジョンについてもう2点ほど・・・☆*独自の通貨・・・??沖縄の経済はどうなってしまうのか??きちんとしたビジョンはあるのか??*英語、中国語習得のマルチリンガル化・・・??日本は中・高の6年間、週何時間英語にさいているだろう。それでバイリンガルになれた人は何人、何%いるだろうか??更にこの学力低下が叫ばれる中、中国語の習得??そんな余裕どこにあるんだ??もちろん中国語、これからもっと必要になってくるだろうし、私だって日常会話くらい習得したいと思う。・・・が、そんな余裕などないだろうし、ただの理想論でしかないだろう。今回の選挙の民主党の公約はたしかに魅力の感じるものもある。しかし、理想論でしかないことは一目瞭然だ。(それでも他の野党に比べていくらか現実味はおびているが・・・☆)追う側、追われる側の立場の違いを感じさせるものでしかない。さて・・・選挙・・・どこに投票しようかな。。。郵政に関してはまだ自分の意見は決まっていません。・・・考えないとな~~(>_<)
2005年09月01日
9月半ば4連休がとれる事に♪なので、ちょっくらアジアにでも・・・、と思い計画を立てていたのですが・・3~4日じゃ行ける所限られてきてしまう・・・!!台湾にでも行ってこようかな、と思ったのですが・・・なかなかいい時間の飛行機もとれそうになくって(行きは夕方日本出発で帰りは午前中台北発の飛行機)・・・それなら沖縄なんかどうだろうか、とも思いはじめてきています(^▽^@)海目的ではない沖縄なんかもいいなぁ~♪台湾で大好きなタピオカを山ほど食べてくるのもいいなぁ~♪料金はどちらでも大差ないのです。女1人旅~♪さぁどこに行こうかな~♪また後で追記します♪ ***おまけ*** この画像、ネットでみつけて吹き出してしまいました(笑)民主党の言う「沖縄ビジョン」について明日書きたいと思います。わかりやすいフラッシュはこちらからどうぞ☆隣国が安定した普通の国であるならあってもいい案なのですが・・・チベット弾圧、反国家分裂法成立をみてわかる通り民主の案は平和ぼけとしか思えない。ましてや、尖閣諸島について緊張感のある時期。何を考えているのか・・・??(反国家分裂法についてはここに書きました。)
2005年08月29日
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