九州出身者がつくる九州情報館。

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2018年01月21日
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カテゴリ: 九州の話題
今年のNHK大河ドラマ 『西郷(せご)どん』 ですが、
物語は第3話にして、薩摩藩そのものを揺るがす お家騒動 である
『お由羅騒動』 が後半で取り上げられました。
おそらく来週にはその結末が描かれると思いますがネタバレになると思いますので、
とりあえずこの事件が起こるきっかけとなった背景について書こうと思います。

3話時点の島津家の藩主は島津斉興ですが、その祖父に当たる 島津重豪
斉興の息子・斉彬のように西洋(オランダ)の学問や技術に大変興味を持ち、
藩校・造士館 を設立したり、暦学や天文学の研究施設を作りました。
この研究施設の名前が、現在鹿児島の繁華街として知られている 『天文館』 です。
天文館

重豪は後に家督を長男の斉宣に譲って隠居しますが、実権は握ったままでした。
しかし斉宣は薩摩藩の財政が悪化したことから家臣が緊縮財政を敷いたことに反対し、
『近思録崩れ(きんしろくくずれ)』 というお家騒動が発生しました。
その時の家臣は切腹を命じられ、家督は斉宣の息子である斉興が継ぎました。
なおも重豪が実権を握っていますが、晩年になってようやく財政改革に取り組み、
この時に下級藩士出身の 調所広郷(ずしょひろさと) を登用しました。

広郷が家老になった当時、薩摩藩は 500万両 の借金を抱えており、
財政は破綻寸前となっていました。
(江戸後期の貨幣価値から1両5万円と換算して約2500億円。)
この状況に対して広郷は大胆な政策を行いました。
・琉球や清との密貿易
・砂糖(黒砂糖)の専売化
・借金を無利子250年払いにするよう商人を脅迫

密貿易はドラマの中でも取り上げられていましたが、
借金250年払いがもし今でも続いていたら、返済は2088年頃になっていました。

こうした広郷の政策のおかげで薩摩藩は財政立て直しに成功しました。
しかし、斉彬にかつての重豪にも似た蘭癖(西洋かぶれ)ぶりから
斉彬が藩主になったらまた財政が悪化するのではないかと懸念して、
家督を斉彬の義弟である久光に継がせるべきだと考えるようになりました。

一方、斉興がいつまで経っても家督を譲らないことや、
広郷のやり方に不満を持った若手藩士は斉彬を支持するようになりました。
そしてドラマのように西郷吉之助(隆盛)が何度も薩摩藩の窮状を訴えたためか、
斉彬はついに動きました。

まず斉彬は江戸幕府の 老中・阿部正弘 に対して、
密貿易の事を密告 したのです。
これが明らかになれば、薩摩藩そのものがお取り潰しになるかもしれないだけに、
この行動は斉彬にとってある意味『賭け』だったのではないかと思います。

幕府は広郷を江戸に呼び、事情聴取を行いましたが、
その後 広郷がすべての罪をかぶり服毒自殺 したのです。
斉彬の本来の目的は 広郷の失脚と斉興の隠居 を達成させる事でした。
広郷の失脚は本人の服毒自殺によって達成されましたが、
肝心の斉興の隠居までは実現されませんでした。

広郷が死んだ事を聞かされた斉興とその側室・お由羅の方(久光の母)は、
斉彬派の仕業 と決めつけ、斉彬派の家臣を次々と処罰しました。
そして西郷・大久保ら若手藩士らが慕っていた斉彬派の重臣である
赤山靭負(あかやまゆきえ) にも 切腹 の処罰が下されました。

顛末については来週放送後に書こうと思いますが、
ここまでの一連の流れはすべて、これからの薩摩藩に繋がっているなと感じました。
その内容が来週の話でどのように描かれるか楽しみですね。

それでは、今日はここまで。



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最終更新日  2018年01月21日 20時56分11秒


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