全4410件 (4410件中 4251-4300件目)
< 1 ... 81 82 83 84 85 86 87 88 89 >
「ウサギを獲って食べる!」と言った少年がいました。当時の私は、心のなかのどこかで“無理だろう”と思ってしまいました。だけど、この「ウサギを獲って食べる!」というひと言を受け取れなかったという思いが、ずっと残っていました。この言葉を深めることができたら彼の学びに触れ一緒に考えていく時間を持てたと思うのです。“ウサギをとって食べる”ということを考えてみました。まず、ウサギをどうやって獲りましょうか。ウサギを知らなくては、ウサギを見つけることも難しいかもしれません。ウサギの生活を知れば、どうやって獲ったらいいかは見当がついて、わかるかもしれません。ウサギの生活をどうやって調べましょう。ウサギに詳しい専門家に話を聞いてみたり本で調べたり、フィールド調査をしたりしてウサギのことがわかってくるかもしれません。うっすらとウサギのことがわかって捕まえ方も同じように調べたり、試したりなんとか捕獲に成功したウサギはどうしましょう。生きたウサギを肉にするには、どうしたらいいのでしょう。きっとウサギは跳ねるでしょうしつぶらな瞳でこちらを見つめるでしょう。私たちの目にウサギは、可愛く映ってしまうかもしれません。食べるのか、食べないのか殺すのか、生かすのか物凄い葛藤に苦しむかもしれません。肉にする方法を知ってどうにか勇気を振り絞って、決断して肉にすることができたらその肉にどんな気持ちを持つのでしょう。そして、その肉をどうやって食べましょう。ウサギをどうやっていただいたら美味しくいただけるのでしょう。生きた命を前に“命をいただくこと”そのものを少年と一緒に真剣に語りあう時間を持つことの意味を感じています。将来同じ少年には、出会えなくとも“無理だろう”と始めからあきらめずに一緒に考えてみる姿勢を持ちたいです。できるできないでは量れない世界が広がっているのだなぁと少年のそばに寄り添いたいです。先日ラジオから「どうして食べ物を残したら “もったいない”のかわからない。」そういう子どもの声が聞こえてきて私はドキッとしました。どうして“もったいない”のか(それとも“もったいなくないのか”)一緒に考えてみたいと思いました。ウサギをとってみたい少年に出会えたこと感謝しています。
February 2, 2006
コメント(4)
シャーマントラップをつかったアカネズミの個体数調査のデモンストレーションに参加しました。シャマーントラップとは、ネズミなどの捕獲に使われる箱ワナです。5cm×5cmぐらいの間口に奥行き10cmぐらいの金物の箱でネズミが中に入ると入り口のふたがパチッとしまる仕掛けワナの箱です。箱の中には、あらかじめエサ用の押し麦と防寒用(ネズミを生け捕りするため)の真綿(脱脂綿は濡れてしまうので防寒には不向きとのこと)を入れておきます。シャーマントラップを100個を調査箇所に仕掛けて1日に9回すべての仕掛けを調べてネズミが引っかかれば、そのネズミに印をつけ逃がし個体数をカウントします。これを3日間繰り返すことでその森のおおよそのネズミの生息数を測ることができるという調査方法です。デモンストレーションでは、20個のシャーマントラップを1回だけ仕掛けましたがどの仕掛けも空でした。“3日間、ネズミのことを中心に考えて 生活する時間持ってみたい♪”そんな夢を感じさせてくれるデモンストレーションでした。そうそう。なぜ、ネズミを数えるか? ↓ネズミは捕食されやすい動物です。 ↓だから、“量(食料)”で換算する…森の豊かさの指標のひとつとなるわけです。“3日間、ネズミのことを中心に考えて 生活する時間持ってみたい♪”他人に話すと笑われてしまいますけど、心からそう思っています。
February 1, 2006
コメント(2)
数年前、青森のとある森のなかで私は、山の神童と思える木の根を見つけてしまったのです。草笛を吹き、天を仰ぎ、笑顔で手をあげていました。レンズを覘けば、覘くほど、その顔がはっきりと見え私は、とてもどきどきしました。これまで森に敬意を表し接してきたつもりの私でもいくら何でも、山の神童を見つけてしまうだなんて私は、頭か目でもおかしくなったような気もしました。この森での出来事がそろそろ風化してしまいそうなときある森の間伐作業などを伴う会に参加しました。そこの先生が、山の神さんに挨拶すると言って腰袋から、お神酒とお米を取り出してこれから切る木にお供えしてみんなで手を合わせました。みんな黙って、その木が切られるのをじっと見つめました。しばらくして、ダッダーンと倒されたその木のてっぺんのまだ青々とした枝を切って切り株にナタで切れ目をつけそこへ切った枝をさして手を合わせたのです。木を切るということと、命ということが繋がっていくようなそんな儀式に立ち会いました。やっぱり私が会ったのは、山の神童だったのかもしれないそう思ったときでした。
January 31, 2006
コメント(2)
誰かが食べ残した葉っぱです。いっぱいいっぺんに食べちゃうと毒気にあたったら大変なのでちょっとづつ食べて身体を守るそうです。“空とぶ座布団”滑空が得意な彼のお食事痕です。寒さのなか、彼の巣穴の前で日の入り30分前ぐらいに待っているとキロロロロロ…と甘えた声で鳴いて、元気に飛び始めます。飛んでいるというより、落ちてくる…滑空の似合う彼はだれでしょう。久しぶりに会いに出かけてみたくなりました。
January 30, 2006
コメント(2)
パカッとわれてニコニコ笑ってたんだよ。枝先にね、しっかりとついてね花を咲かせるみたいに開いてねパカッとわれてニコニコ笑ってたんだよ。緑のツツジたちの葉を見ればココがとってもあったかいってすぐわかったんだ。おひさまが斜めに照らしてね枝が真っ白になってね枝先についた割れた茶色の実がねナツツバキの実がね少し暖かな夕刻色の光に包まれて太陽みたいにオレンジ色に輝いていたんだよ。北風に揺れる、ナツツバキがね寒さを忘れて温かさをくれたんだ。パカッとわれてニコニコ笑ってたんだよ。
January 29, 2006
コメント(2)
カマキリの卵のうを見つけに出かけてみたくなりました。ちなみに“卵のう”とは、あぶくみたいな包みのなかに複数の卵を包み、卵を保護する役割を果たす袋のことです。カマキリの卵のうからは、おおよそ150匹の子カマキリが生まれ生き残るのは、1~2個体だそうです。S先生にカマキリの卵のうの見分け方のお話を伺ったところ・ハラビロカマキリ→楕円の卵のう・チョウセンカマキリ→細長の卵のう・オオカマキリ→シュークリーム!!に大まかですが、分けられるとおっしゃっていました。見分け方を伺い、見つけるなら、断然“シュークリーム♪だ!”と、ついニヤニヤしてしまいます。「オオカマキリの卵のう」を見つけてぜひ、“シュークリームかどうか”この目で確かめてみたいのです。求む)昆虫少年。 「オオカマキリの卵のうの探し方を教えてください。」オオカマキリのシュークリーム卵のうを見つけられるといいなぁ…と思っています。まず、オオカマキリが“卵のう”をどこで作るのかから調べなくては!!「シュークリーム見つけ!!」と叫んでみたくなりました。
January 28, 2006
コメント(2)
小さな花壇に植えられたスイセンがいつの間にか、緑の葉を伸ばしてすっとすっと背をまっすぐにしています。おばあちゃんが植えたスイセンです。おばあちゃんとおじいちゃんが大好きなスイセンです。いつも春一番に、いい香りを届けてくれるスイセンです。“おばあちゃんが好きだから、 おじいちゃんはスイセンが好きなのかな。”“おじいちゃんが好きだから、 おばあちゃんはスイセンが好きなのかな。”「ねぇ、おばあちゃんはスイセン好き?」「そうね。好きよ。」「どうして、好きなの?」「いい香りだから、かしら。」おばあちゃんは、女の子にもたずねます。「うん、好き。」おばあちゃんは、女の子の真っ黒で真ん丸い目を見て、とても嬉しそうに笑っています。女の子も、おばあちゃんの真っ黒で真ん丸い目を見て、とても嬉しそうに笑っています。女の子は、一生懸命おたずねを考えて「ねぇ、どうしてラッパなの?」と、スイセンの話を続けています。寒さに負けず、葉を伸ばしたスイセン春の香りを届ける準備開始です。あまりにまっすぐなので“こんなに胸を張って、私、褒めすぎたかしら。”膝を折り、じっと眺めてみました。
January 27, 2006
コメント(2)
先取りです。ものすごい先取りです。真夏に準備される翌年の冬芽です。春に花をつける木は、花芽も葉芽も真夏に作られるというのです。なにを基準に樹木は、冬芽を準備していくのでしょう。そういえば、祖父が育てていた桃、年毎に味が異なっていました。そういうことと、関係がきっとあるのでしょう。冬芽が大きく目立ち始めた木々たちを前に独り言です。
January 26, 2006
コメント(2)
A先生にお話を伺ったとき「常緑樹の葉は一年かかって、すべての葉が生えかわるのです。」と、ご説明いただきました。「さて、広葉樹と落葉樹と どちらが落葉の量が多いと思いますか?」今まで考えたこともない視点でした。「広葉樹はいっぺんに葉が落ちるから多く感じるけど、常緑樹の葉は、厚く一年かけて生えかわるので量は、乾いた葉の状態でどちらも300g~500gです。」とおしゃっていました。“同じ量の葉を落とすのね。”目の前のちょうど同じ大きさぐらいの広葉樹と常緑樹を前に葉っぱをじっと見比べなんだか新鮮に感じました。今頃になって気になっているのですが、300g~500gの落葉ってどの大きさの木で量ったのでしょう。また、お話を伺いたくなりました。A先生また教えてくださいね。
January 25, 2006
コメント(2)
雲も青空でのんびり。青空は、おひさまに照らされてすっきり。あたたかな陽射しが地上を照らし春を待つ生き物たちは、喜びに満ちて小さくジャンプ…はできないけどきっと、きっとこの光をじわっじわっと全身に受けて太陽の時間を自分の中に刻んでいくのでしょう。大地に熱がつたわり雑草と呼ばれる草たちが芽吹くのもあと少し。白い雪の下で太陽の時間を数えている声が、そっと聞こえてきそうです。
January 24, 2006
コメント(0)
まだ堅い殻を破れない・破らないこげ茶色のコブシの花芽がありました。「ごめんね。」と謝って、ぎゅっと握ったその花芽の殻を剥いてみるとその殻の下では、フサフサのコートをまとった花芽ができています。「皮の剥けた枝からいい香りがするのよ。」笑顔で渡されたその枝の香りをかいでみます。「えっと何の香りだっけ?」コブシの枝の香りは、どこかでかいだことのある香りがします。「気持ちのいいハーブの香り。」そんな声を聞きながらもっと具体的に思い出そうしても思い出せません。そこで、コブシの香りについて調べてみました。『・・・アイヌ民族では、枝や樹皮を煎じてお茶やかぜ薬、 疫病を追い払うまじない用に用いられた・・・』“えっアイヌ民族!!”思い出そうとしても思い出せない記憶の香りに小さなロマンを感じてしまいます。“私のルーツって?!”香りからいろんな想像が膨らみます。考えてみたけど、やはり、どうしても思い出せない香りです。コブシの樹皮と枝は、さわやかな気持ちのいい香りをさせています。“コブシの樹皮や枝から何の香りを感じますか。”
January 23, 2006
コメント(0)
真っ白い真っ白い世界でみつけました。ぽっと頬をピンク色に染めて、青い空の下、香る早春の香。白い帽子をとって、「こんにちは。」と挨拶を受けました。手を伸ばし、目を閉じすっと深呼吸まぶたに映る春の景色真っ白な雪の世界で受け取った春の招待状です。森に春の招待状が届いています。
January 22, 2006
コメント(4)
雪の日を迎えました。枕元でシャリシャリとした音が窓から聞こえてきて飛び起きました。朝起きたら、3~4cmの積雪となっていました。夏からずっと咲きつづけているひまわりが今日もこうして元気にしています。「何にもいらない」というひまわりにおせっかいをして、傘をさしました。長寿のひまわりへ、私からのお祝いです。次の花も楽しみにしています。
January 21, 2006
コメント(8)
つくるということは、吸収することなんだなぁと思えてきました。昨年の春に東京近代美術館で行われた『大人の工作の時間』のワークショップである物体から連想してその物体のもつ「場所、アイテム、背景、家、お話」をつくるという取り組みを行いました。イマジネーションの連鎖、他人がつくった“もの・こと”から受けた感じを次の形につなぐという作業から“創造していく取り組み”を凝縮したような印象を受けています。刺激を受けることで、次のものを発想・創造していけるのだなぁと思うのです。絵画を探求されてきた堂本尚郎さんは、入院中病院の壁の白、白衣の白、シーツの白を見ながら「白という色はなんだろう。」と考えていたと語られています。探求し続け、自分のなかで統合されていく自己の表現からさらに新たな探求へと続いていくのだろうと感じたのです。堂本尚郎さんの作品の軌跡に触れ一度獲得したように思われることもこれでいいのかと振り返り、次のステップへと続いていく“自己との戦い”(堂本氏の言葉)を感じました。ここでこうして日記を書かせていただくことを続けてきて感じていって、自分を透過して、自分を通して新たな創造物となってその力を自分自身と誰かが受け取り連鎖してつながっていくのだろうなぁと感じています。つくるということは、吸収することのように私自身も刺激を受けて、記していっているのだなぁと思うのです。生き物が生態系のなかでつながりあって生きていくような気持ちの連鎖を感じています。
January 20, 2006
コメント(4)
丸い丸い葉っぱがリズムよくついています。丸い葉は、すこし白い感じがします。乾いたカサカサとした葉音と質感です。アロマの効果もあるという清涼感のあるその香りが、ふんわりと漂います。幹も枝もまだ細く、コデマリやユキヤナギのように柔らかです。葉っぱは、びっしりと幹をおおいしなやかな曲線をよりなめらかに、よりしなやかに見せています。育て方を調べたけど、あまり詳しいこともわからずどこに置いたらいいのかさえ考えてしまうほど育て方をしらない私ですが手探りでユーカリの木を育ててみます。今日から、この子との暮らしが始まります、“はじめまして、よろしくお願いいたします。”お友達のym0914さんからの贈り物です、ありがとうございます、育ててみます。オーストラリアの森の風はどんな香りがするのでしょう。小さな丸い葉っぱにたずねてみます。“あなたは、どうやって暮らしているのですか。”
January 19, 2006
コメント(4)
今週末の天気予報とうとう恐れていた“雪”の予報が発表されました。“越冬ひまわり”のつぼみ、もう少しで次の花が咲きそうなのです。このごろの様子をみているとつぼみが膨らみ黄色の花びらが見えて咲きそうになってからずいぶん時間をかけて花を咲かせるようなので開花予想をおおよそ2月1日あたりと見ています。“いくらこの激冬を生き抜いてきた越冬ひまわりとはいえ もとは普通の園芸用品種、やはり心配・・・。”このところの雲を眺めて雪でも降りそうな色をしていると思っていたのですが・・・。やはり、“雪”の予報が出されました。“なんだろう、もう家族みたいに 心配になっている“越冬ひまわり”への気持ち。”そもそも冬を生き抜いてきたのは、ひまわり自身の力なのです…わかっているつもりではあるのですが、見守る・・・という時間がときに苦しいこともあります。充分頑張ってきたひまわりへ“それでも、生きて欲しいと願わせてください。”全国の大雪の被害にあわれ大変な思いをされている皆様に心よりお見舞い申し上げます。
January 18, 2006
コメント(2)
動かない蝶がいます。ウラギンシジミといいますが、羽を立てると白に見えます。白だけど、ウラ銀というお洒落な名前の持ち主です。見つけるのは、難しいかもしれませんが朝見つけたら午後同じところを通ってもこの季節なら動かず、そのまま同じところで見つけられます。秋に成虫になり、果実などから十分な栄養をとり風当たりの少ない日当たりのいい場所を選んでじっとじっと冬をやり過ごすのですがそれでも冬を越せる個体は少ないといいます。“じっとじっと動かないウラギンシジミよ どうして、成虫越冬を選ぶのですか。”思わず、話しかけたくなります。きっと寒すぎて動きだせないのだと思うのですがどうしても、寒そうです。冬でも暖かな日には、飛び立つこともあるそうです。固まったようにじっとしている蝶をみているとえさや水や排泄はどうしているのか不思議なことばかりです。冬眠のように代謝をぎりぎりまで下げているのでしょうか。ちっとも動かないでそのまま成虫越冬する姿が不思議でわたしもウラギンシジミの前でじっとじっと考えてしまいます。“春が恋しいね。”“暖かい春をまつウラギンシジミよ、何をみているのでしょうか。”
January 17, 2006
コメント(2)
「森の宝物がほしい。」このところのあこがれです。じつは、とても綺麗なグリーンの繭があるのです。カマス型の繭です。カマス型といっても近頃は、カマス自体が生活から遠のいてそれがよくわからなかったりします。アオバズクのようなシルエットで指の第2関節分弱ぐらいの大きさの緑色の繭があるのです。この繭の絹糸だけを集めた織物もあり大変貴重な高級品だそうです。この繭は、葉のなくなった枝にちょこんとニクらしいくらいに美しい緑色を輝かせています。ウスタビガの成虫は、その緑色の繭に自分の卵を産み付けるのだと近頃知りました。真っ黒な小さな卵を緑色の繭に産みつけ自分の将来の子どもをたくします。手に届かない高い場所にあるウスタビガの繭本当に綺麗なグリーンです。森のなかで見つける、ウスタビガの繭の色は心に明るい色をさしてくれるのです。卵を産み付ける繭は、繭全部ではないにしろ枝先の緑色の繭は命を背負って輝いているのかなぁと思えてその分余計に光輝いて見えました。繭は、その命の重さを背負ってしっかりと枝についているのかもしれません。わたしは、“あまりに綺麗なウスタビガの繭が欲しい。 そして宝物にしたい。”と思っていました。だけど、生い立ちを知って森の宝物は、森でみたいと思うようになりました。またどこかで見つけてあの輝く緑色から、不思議なパワーを感じたいと思ったのです。越冬できない成虫が緑色のゆりかごに未来をたくした黒い卵また大きくなって、夏には飛び立って欲しいと思います。届かない森の宝物、輝く緑色の繭を未来の空でも見たい、それが私の願いです。
January 16, 2006
コメント(4)
家庭・家族を感じる森のフィールドサインを見つけました。冬の森は、鳥たちの古巣が探しやすくなっています。空き家になった小さな鳥の巣です。両手にちょうど収まるくらいの大きさの巣です。使われたのかどうかはわかりませんがこの小さな巣からぬくもりを感じます。たぶんそれはこの巣を作った鳥の気持ちの分の温かさです。“卵はいくつ産んだのかな。”“雛はここで育ったのかな。”“なんという鳥がこの巣を作ったのかな。”“小鳥たちは、どんな暮らしをしていたのかな。”“親鳥は、どんな子育てをしたのかな。”“何を食べたのかな。”“雨の日はどうしたのかな。”小さな古巣を前に想像が膨らみます。家庭・家族を感じる森のフィールドサインを見つけました。来月、結婚する弟へ。新しい家庭を築いていく二人の幸せを願っています。
January 15, 2006
コメント(8)
女の子には、おばあちゃんとの秘密の場所があるのです。まだ春早いその場所には、いつも綺麗な水が流れています。ちょっと早いかなと思っていてもたぶんあるのです。おばあちゃんがこっそり教えてくれた秘密の場所です。前におばあちゃんと一緒にかごを持っていったあの場所です。“あれをとってきたらみんな喜ぶかな。”だれにも内緒で、かごを片手に出かけていきます。長靴をはいた足でついついスキップを踏んでしまいます。道端にはロゼット状の草が出ています。“ペタッと地面に張り付いて お日様を浴びて、冷たい風をよけているんだよね。”道端のロゼットが綺麗な放射線状に葉を伸ばしています。放射線状に葉を伸ばして、うまいこと太陽にあたっています。“こんなにペチャンとしていたら踏まれちゃうのになぁ。”心配になって、少し慎重に歩くことにします。ロゼットになる植物は、ヒメジョオン、ハルジオン、オオアレチノギク、ヒメムカシヨモギ、コウゾリナ、メマツヨイグサ、キュウリグサ、ナズナ、イヌガラシ、オニノゲシ、ノゲシ、ハハコグサといった草が生えているはずなのです。だけどわかるのは、ハハコグサとオニノゲシぐらいです。「大きくなったら何になるの?」思わず、ききたくなります。お返事のない草に「春になったらわかるよね。」とだけ話しかけます。この辺で奥に入れば、おばあちゃんに内緒で教えてもらった秘密の場所のはずです。“あるかな。あるかな。”どきどきしながら、そっとそっと近づきます。チョロチョロチョロ…今日も水の流れる音が聞こえてきます。もう何度もおばあちゃんと一緒にきたこの場所に見間違えることもない草が生えています。ぬかるみに足を取られながらしゃがんで、はじから大きいのだけをつまみます。「他の植物は、まだみんな大きくならないのに この子だけは早起きだね。」“こんなに水が流れていても、寒くないのか。”不思議に思いながら、摘んでいきます。この草、独特の香りが漂います。大人はみんな「いい香り、春の香りだね。」と喜ぶ香りです。“みんな、よろこんでくれるよね。”期待で胸が膨らみます。だけど、ゆっくり摘まんでいるのにまだそんなに多く生えてはいないからかごはいっぱいにはなりません。「だけど、全部はつまんじゃいけないのよね。」おばあちゃんが、言っていたことを独り言のようにブツブツ言っています。自分は食べもしないこの草をとってみんなを喜ばせたくて“大人になればわかる味”とよく大人が言うこの草をかごに摘んで帰ります。いつもは押さないドアの呼び鈴でお母さんを呼んでみます。「見てみて。これ採ってきたよ。」ちょっと得意げに見せてみます。「まぁ。春の香りがするわね。」お母さんは、とてもニコニコしながらかなりオーバーに喜びながらそう言ってくれます。ちょっとオーバーすぎるので「洗ったりお料理するの大変かな?」とも、たずねてみます。だけど、ニコニコの笑顔で「そんなことないわ。 ほら本当にいい香り。春の香りでしょう。」とお返事してくれます。お母さんと一緒に鼻を近づけて目を閉じ、春の香りで深呼吸です。“味は苦いから食べれないけど、香りはいい香り。 早く大人になって美味しく食べてみたいな。”おばちゃんもやってきて「よく採ってきたね。」と褒めてくれます。「秘密の場所だよ。だれにも言ってないよ。」ヒソヒソ声でお話します。「あのね。おばあちゃん。 他の草が、まだみんなペシャンとしているのに この子は、どうして大きくなったの。」「あそこには、水が流れていたでしょう。」「うん。」「大地から湧き出てくるお水はね、暖かいのよ。 一年中ほとんど同じ温度なのよ。」「えっ!じゃあ。あそこは、植物にとっては“暖かい”の?」おばあちゃんは、ニコニコしながら「だから春の香りがいただけるのよ。」と頭をなでてくれました。天然のセリは灰汁が強くて大変だけど香りも味も濃厚で小さなかけらがホウレン草のおひたしのなかに混ぜてあるだけでも充分楽しめる春の味です。「これくらいなら、食べられるよ。」ホウレン草と一緒になら、苦さも薄れて子どもにだって食べられる春の味になります。“大人の仲間入りをしたみたいで嬉しいな。”
January 14, 2006
コメント(4)
一枚一枚お布団をはがすみたいに大地の枯れ葉をよけていきました。カサカサと乾いた葉っぱの擦れる音がします。めくればめくるほどちょっとづつ小さな細かな葉っぱの破片が出てきます。プーンと湿った土の匂いが漂い表面は乾いているのに葉っぱのお布団がこの森の湿気をしっとりと保っています。この葉っぱで保たれているこの湿気のなかでいったいいくつの命が養われているのでしょう。せっかくの葉っぱのお布団をよけられて小さな命がさっきから、チョコチョコと右往左往と姿を見せて私に挨拶をしてくれています。「お邪魔して、ごめんね。もう少しで元にもどすからね。」花などなくなったこの森ですっかりドライフラワーになったクリーム色の枯れ草のフワフワとした種が風に揺れています。「すてきなお花をお持ちですね。」乾いた森のなかで揺れるそのクリーム色の枯れ草に言葉をかけて挨拶をします。その素敵な草の根元はどうなっているのかと枯れた葉っぱをそっとよけて姿をみせてもらいます。「羽がついている!」思わず、大きな声が出てしまいます。手袋で触るクリーム色の枯れ草のその白い羽は触るとポロポロと羽が取れてしまうのです。慌てて手袋をはずしドキドキしながらその羽に触れてみます。「うふふ。素敵な羽をお持ちですね。」触れば気がつく“氷の羽”です。乾いた大地にそのままゴロっと横になりその真っ白な羽をじっとじっと見つめてみます。「枯れ草に、真っ白な羽。 今日まで知りませんでした。 枯れ葉のお布団のなかで こんな真っ白な羽があるのですね。」乾いた森の葉っぱのなかの綺麗な秘密をみつけてしまいました。今度また、この森を訪ねたら葉っぱをよけて探してみます。小さな生き物が道案内役を務めてきっとこの美しい羽を教えてくれると思うのです。「次もまた見せてくださいね。」この森に小さく会釈して、お願いをしてみました。
January 13, 2006
コメント(2)
つぼみが、ふっくらふっくらしています。黄色い花びらのいったんが、チラチラと見えてきています。ずっとぎゅっとぎゅっと握ってきた手のひらをゆっくりと開いてみせる赤ちゃんみたいにもう少しで花を開きますよとチラチラみせる黄色い花びらで小さなお知らせです。あとに続いてこの子の弟・妹分のつぼみも大きくなっています。この子たちは、あたらしい緑色の服をきてぎゅっとしたまま2cmぐらいの大きさになっています。来週には、大寒をむかえる地上で花を咲かせようとしているひまわりのことです。つぎの花が咲くのはいつごろかしらと…今一番の楽しみです。
January 12, 2006
コメント(4)
雪の上でみつけた輝く命です。その姿に思わず「どうやって暮らしているの?」問わずにはいられません。雪の降り続く真っ白な森の真ん中で暮らしている森の住人に出会えました。先日、雪のうえの虫なぞなぞで紹介した虫の写真が焼けたので再度、紹介いたします。この虫は、なんと言う名前でしょうか。つたない写真で恐縮ですが、ご存知のかた教えてください。
January 11, 2006
コメント(6)
土をふるいにかけ、白いシートの上に薄くのばしじっと見つめると小さな生き物たちが太陽に照らされ動き出します。土壌動物で名前を知っているものは、ヤスデ、ムカデ、モグラ、ヒミズ、ミミズといったところの私です。何もいないとあきらめたころに暖かくなって生き物が動き、動いたところをピンセットでやさしくつまみ容器に移していきます。容器の中でうごめく生き物。これまで見たことのない生き物がたくさん現れていきます。私の見つけた5mmにもみたない小さなミミズのような生き物を“もう少し珍しいものを見つけたかった”と私はがっかりしていたのに「生き物は、生き物だから。」と先生は、大切に容器にしまってくれました。この言葉に、はっとさせられました。「命の大切さにかわりはない。」そう教えられているように思えたのです。小さな生き物がたくさん入った容器を持って一個体いち個体ずつシャーレに移して実体顕微鏡でのぞいていきました。大きくしてみると、目では見えないものが見えます。数ミリの土壌動物の目を見ました。目をみたというだけで見えなかったものを見た気持ちになりました。「目が合った!」思わず口にしてしまいます。小さなザリガニのような生き物がいました。体は赤く、触覚はありません。足は六本です。大きな鋏をこちらに向けています。「威嚇しているの?」数ミリの生き物が、見せる刃です。この生き物はカニムシといい、肉食だというのです。そして種類としては、サソリなどに近いというのです。鋏の先に、感覚毛が生えているらしく、何かにぶつかると鋏を体にひきつけて後ろに海老のように飛ぶのです。その様子から、“アトビサリ”とも呼ばれるそうです。この小さなからだでトビムシやダニなどを捕食するといいます。土壌の暮らしは、どういったものなのでしょう。小さな土の粒も、カニムシの大きさになれば、適度な空間や地下通路に感じられるのかもしれません。暗闇と想像する土のなかで、他の土壌動物をどうやって探して食べるのでしょう。食物連鎖は、土の中でも繰り返され自然界の底辺の広がりが豊かな森を作り出していくんだと宇宙のような広がりを、目の前に感じられました。赤いカニムシが威嚇していたかどうかはわかりませんが、“数ミリの生き物が鋏を向ける”この行為を私は、すごいと思いました。(カニムシ:節足動物門鋏角亜門クモ綱カニムシ目 )
January 10, 2006
コメント(8)
朝陽のオレンジ光を浴びて、順番に朝を迎えていきます。こぶしを天に向かって突き上げ浮き出る血管、がっちりとした筋肉をもつ力強い彫刻にスポットライトが当たっています。その彫刻は、よく見ると金色に光る枝、金色に光る幹で出来ています。金色に光る枝や幹をもつそれは真夏にピンク色の華やかな花をつける百日紅です。花も葉も落とした冬の百日紅は、陽の光をうけ、幹や枝をあらわにし力強さが一段と強調されていました。自然のつくりだす造形美の世界に引き込まれた瞬間のことです。
January 9, 2006
コメント(0)
里山を歩いていました。カサカサと落ち葉の乾いた音が心地よく耳に響きます。この森の生き物を探すため丁寧に枯れ葉を手でよけて、土をピンセットで崩します。凍りながら冬を地下でやり過ごす、冬眠中のシデムシムニョムニョうごめく、ミミズ、ヤスデ、ムカデ、カニムシ名前もわからぬ分解者たちが、どんどん見つかります。表皮をぼろぼろと崩すなどして古木を観察してみるとたくさんの命が見つかります。ボロボロの古木は大地のゆりかごのように我が身を森に捧げていました。その古木は他の古木とは違い、すっと森に立ちボロボロの表皮を風にさらしながらそれでも森を見つめています。森に光が差し込み、ある命を照らし出しました。母なるこの木に真新しい命が根を伸ばし始めていました。
January 8, 2006
コメント(0)
まっすぐに伸びる線の世界が広がっていました。「まっすぐな線だなぁ。 ぼくだって“まっすぐ”は、得意なんだ。」“まっすぐ”に自信のある森に住むあの子がこっそりと“まっすぐ”に挑戦です。木々の描く“まっすぐ”は太陽と影の力を借りて何本もの気持ちのいい線を描いています。「ようし。ぼくだって!」森の作り出した“まっすぐ”の道をわざと横切って森の住人は、自分の道をまっすぐ歩いていきます。おとぎ話では、意地悪な役回りの性格に描かれることの多いこの子の道は、雪の森で綺麗な直線を描いています。「ぼくは、誰でしょう。 “まっすぐ”がぼくのヒントだよ。」雪の森にすむものたちの足跡をたどってみると森の景色が生き物目線で広がっていきます。
January 7, 2006
コメント(2)
もう少しで夕暮れです。日暮れ前には、帰ります。あと少し、あと少し、後ろ髪を引かれる思いです。森に入ると風は和らぎ、陽射しの暖かさを頬に感じます。雪原は、陽の光に応えキラキラと呼応するのです。雪原のきらめきにすっかり魅せられ入る木立のなかは薄暗いと感じました。そしてなんだか心に沁みたのです。斜陽をそのまま映し出すまっすぐの影が伸びていてきらめきとは反対に思える影がそのまま目に飛び込みもう少しここにいたいと思いました。
January 6, 2006
コメント(8)
とうとうと流れ、枯れることのない水水浴びをする鳥静かに歩き、魚を見つける鷺すっと水面に近づき、すっと戻っていくカワセミ小さな川魚たちが、上流を向いて泳ぎ動物たちが、水をもとめて集まります。清らかな水がとうとうと流れてきます。自然の情景が色鮮やかに、まぶたに映ります。自然への思いを曲にたくすること素敵だなぁと思いました。ヨハン・シュトラウスさんあなたの感じた心の川私の心で感じさせていただきました。一緒に隣に座って、川を眺めてみたいです。そして、心に感じたものを伝えあいたいそんな夢を抱いています。
January 5, 2006
コメント(4)
タンポポの綿毛です。寒空に咲く季節はずれのひまわりの花のまんなかにタンポポの綿毛がちょこんと座っています。大きな花の真ん中に座って、空を見つめています。「これから僕はどこへいくのだろう。」見上げる冬空は、雲が多く雪でも降りだしそうです。「君はどうしてこんなに寒いのに咲いているんだろう。」ひまわりは、ただ優しく大きな花を開きタンポポの綿毛の話を聞いています。「僕はタンポポのお母さんのもとを旅立ってから風に吹かれて君のところへやってきたんだ。君は、こんなに寒いのに立派に花を咲かせているのをみて僕は北風にここへつれてきてもらったんだ。僕は旅をずっと続けてきたんだよ。だから、こんなに寒くなったのにまだ旅を続けているんだ。空から眺める地上風になって飛ぶ空すっかり空になったつもりだったけどやっぱり手の届くことのない雲暖かな太陽にも手は届かない。僕はどこへ行くのだろう。空は僕のすみかじゃない。だけど空の色に僕はいつも見せられるんだ。青、水色、白色、ピンク色、茜色、赤紫、青紫、曇りの日だっていつも違う色をしているんだ。僕は、どこへいくのだろう。」タンポポの綿毛は旅の途中季節はずれのひまわりの花のまんなかで一休み。独り言なのか、ひまわりに話しかけているのか私には、どちらかはわかりませんが季節はずれのひまわりとタンポポの綿毛が仲良く揺れてなんだか楽しそうでした。
January 4, 2006
コメント(2)
森にドカ雪が降っています。真っ赤なナナカマドに白いとんがり帽子ふんわりです。渋柿も白いとんがり帽子ふんわりです。歩いた道もあっという間に消されていきます。鳥が群れをなして何度も何度も旋回しています。こんな雪の日にも鳥たちは群れをつくりとびまわり暮らしています。この森に暮らしているものがいる吹雪の森で感じる生がより強く感じられ迫ってきます。
January 3, 2006
コメント(8)
鹿道は一本すうっと続きます。何頭もの鹿が一列になって、移動していくというのです。何故、鹿たちは同じ道を歩くのでしょう。雪道のラッセルは大変だから…ですか?どうしてなのでしょう。未来の私へ今日の疑問の覚え書きです。いつか今日の私に教えてください。
January 2, 2006
コメント(4)
空を見つめるひまわりです。あなただけをみつめています、なんと情熱的な花言葉を持っているのでしょう。寒空に負けず、毎日冬日を堪えて明るく咲くひまわりです。あなたに何度励まされたでしょう。コートを着る季節になってからもあなたは夏と変わらず明るい黄色の花をつけてきました。知らない誰かに真新しい花をつまれてもじっと耐えて次の花を咲かせました。私が、“ひまわりは夏に咲くもの”と思いこんでいたのを知っていたのか自然の在り様をそのままにみつめてみてごらんとまるでさとすようにあなたは北風にも負けず、顔色ひとつ変えないで今日もつぼみを膨らませていますね。あなたの真っ白な産毛のような毛がどんなコートより暖かくあなたを包んでいるのでしょうね。生きていくのに必要なものを自ら身につけ自分自身の力で生き抜いているあなたに感動しています。冬の暮らしは楽ではないと思いますがあなたは、“生きています”とまるで胸をはり喜びをかみしめるように優しく微笑み空を見つめていますね。あなたは、素敵です。あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。新年をひまわりと一緒に迎えています。カメラ付き携帯の画像です。
January 1, 2006
コメント(10)
うちでは、寒空のなか、サルビアも元気に咲いています。近所の子どもたちが来て「あのね。この花美味しいんだよ。」と話しています。もうひとりの男の子が驚いて目をまんまるくしているとニコニコして花をひとつまみして口元に当てチュッと吸ってみせました。あんまり驚いているので、もう一度やってみせるともうひとりの男の子も勇気を出して花をつまみ口元に当てて「吸うの?」と友達に聞いてみます。友達は、「うん。」とうなづきその男の子がどう思うか心配でじっとじっと男の子を見つめています。「わぁ。甘い。」男の子は、友達にニッコリ微笑みました。二人は、蜜蜂にでもなったつもりで「ブーン!チュッ。キャハハ。」「ブーン!チュッ。フフフ。」と、かわいくやっています。赤いサルビアもなんだか照れくさそうですけど男の子たちに気に入ってもらえて嬉しそうでした。明日は、いよいよお正月、ひまわりと一緒にカウントダウンです。
December 31, 2005
コメント(6)
スノーシュー(雪を歩くためのかんじきのような道具)のベルトが緩んで靴底とスノーシューが擦れてキュッキュッキュッ…と鳴りました。“ベルトが緩んでしまったから、直さなくっちゃ。”としゃがみます。すると遠くで、鳥が同じように「キュンキュンキュン…キュキュ」と鳴いたような気がしました。“今の鳴き方 私のスノーシューと靴底の擦れる音とそっくりね。”ベルトを直す前に、遠くの鳥とお話をしたくなってもう一度、足をスノーシューに擦りつけるようにキュッキュッキュッ…とやってみます。森は、シーンとしていて“やっぱり気のせいだったのかしら。”とちょっと残念に思いました。遠くから小さな鳴き声が「キュンキュンキュン…キュキュ」と聞こえます。期待に胸を膨らませながらもう一度今聞いた鳴き声を真似てキュッキュッキュッ…キュキュのリズムで足を動かしてみました。そしたら、さっきより近くから同じように「キュンキュンキュン…キュキュ」と聞こえます。まるで、鳴き方を褒められているような気持ちになってもう一度キュッキュッキュッ…キュキュのリズムで足を動かしてみました。またさっきより鳴き声が近くなって「キュンキュンキュン…キュキュ」と鳴いています。姿を見つけたくて木の枝の上のほうを探してみますがなかなか見つけられません。鳥の言葉がわかったらいいのに…でも今はお互いを呼び合えているような気がして何度も何度も私は足を動かしキュッキュッキュッ…キュキュとやってそのたびに「キュンキュンキュン…キュキュ」と鳥は丁寧に答えてくれています。お互いに恋人が見つけられないようなもどかしい気持ちになって身体をあちこちに動かします。なんどもキュッキュッキュッ…キュキュとやっているうちに間違えたリズムの音を出してしまいそのあと、遠くへその鳥が飛び立っていく姿が見えました。鳥とお話が出来たようなそんな興奮した感覚が残りました。雪の森を歩き鳥と話してみたい…私はそんなことを思いました。 森の一員になりたい 森と話してみたい 森の気持ちを知りたい 生きていくこと、生き抜いていくこと 死んでからもなお森の一員として 命を次の世代につないでいくこと 互いの関係で命が成り立っていくこと そのことを森のなかで見つけて感じていきたいと思っています。森のことばをきける五感を身につけるにはまだまだ鍛練が必要です。森のことばをきけるようになりたい、私の夢です。祖母が、自然から学び動植物を育てたように私も森の声に耳をすませることができるようになりたい森を歩けば歩くほど強くそう思うのです。
December 30, 2005
コメント(8)
寒く寒く冷え込んだ朝日の出前から雪原をお散歩してみました。さすがに頬をさす風は冷たく身をかたくちぢこまらせながら歩いていきます。深く深く降り積もった雪をふわっきゅ…ふわっきゅ…と踏みしめて歩くのは心地よいです。雪のなかから、木の先端部だけが顔をだしています。“きっとこの木は本当は、もっと高い木なのでしょうね。”その枝にはびっしりと翼のような薄くてギザギザした氷がついています。これは、最低でも-10℃以下にならないと見られないとても冷えこんだ朝にだけ見られるものなのです。透き通る氷の翼は、キラキラと輝いています。“この翼は、いったい誰の落し物なのかしら。”ひとつの翼が見つかり姿勢を低くしてあたりを見回すとたくさんの翼が見つかります。美しい氷の翼を見ればみるほど魅せられ本当に自然が創り出したことなのかしら…とどんどん不思議に思えてきます。私は、自分を納得させようと“天使の羽”と呼んでいます。気持ちが踊るまま、雪原にひざまづき雪原に寝転んで氷の翼をじっくり眺めます。朝陽のあたたかな光が、天使の羽をなお一層キラキラさせています。“天使の落し物なのかしら…。”この超自然的な自然現象はファンタジーの世界に私を連れて行ってくれるのです。天使が舞い降りる冬の朝を探してみませんか。
December 29, 2005
コメント(2)
本日は、数年前の1月、戸隠の森での出来事をここでお話させていただきます。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆真っ白な雪に包まれ、森はシーンとしています。雪の上に残された、動物たちの足跡。よたよたとしたタヌキ。まっすぐつづくキツネ。鳥が飛び立ったあとの羽のあと。ウサギが方向をピョンとかえた足跡。アカネズミが、一番近い木と木の間を往復した尻尾と小さな前足の足跡。風が通り抜けた風紋。見ているだけで楽しい気分になります。谷間を動く、小さな葉っぱのようなものがチョロチョロしています。そっと近寄り、じっと見るとカヤネズミがお食事をしています。雪に閉ざされた世界では小さな実ひとつが大切な食料です。カヤネズミは、冬が来ても枝に残っていたキブシの真っ黒の実が強風で落とされ雪の上にバラバラと落ちたのを見つけたのです。しばらく栄養らしい栄養もとっていなかったカヤネズミにとってこの堅くて吹きさらされてすっかりシワシワになったキブシの実は、ご馳走です。カヤネズミは人目も気にせず真っ赤にかじかんだ小さな両手でその手にちょうどぴったりの黒いキブシの実をつかみガリガリとやっています。ひとつまたひとつと沢山落ちてきたキブシの実を必死に食べています。あんまり必死だったので、傍にだれがいるのも気にせず食べることに集中しています。足も手も冷え冷えでしたがそれでも夢中になって食べたかったので片足・片手を順番に宙に浮かせながらなんとか体温を維持しています。冷たい手や足でキブシをつかみ勢いよくガジガジと食べています。気がつけば、キブシの木には喉が桃色のウソの集団も集まってきています。集まる動物たちみんな雪原に残されたこの貴重な食料が目当てなのです。みんなで小さなキブシの実をつついています。カヤネズミは、周囲のことなどお構いなしで小さな足や手を順番に宙に浮かべて温めながら相変わらず必死で食べています。雪の森のお食事風景は、なんだか賑やかです。冬の森での食料探し鳥や小さな動物になって森を歩いてみたくなりました。この森で生き抜いていくこと、容易いことではないのでしょう。しかし、彼らの生きている姿がまぶたから離れません。雪の森で生き抜いていく彼らの姿を感じに今年も森へ通います。
December 28, 2005
コメント(6)
咲き続ける我が家のひまわりのことです。朝は、ひまわりに「行ってきます。」と声をかけて出かけます。夜は、ひまわりに「ただいま。」と声をかけて家に入ります。真冬になっても毎朝、毎朝よく咲いている屋外育ちのひまわりです。12月になってからもつぼみがまた増えていたりして本当に驚かされます。今夜は、雲もありますが、夜空には星が綺麗に輝いています。ひとつひとつの星の色の違いをながめているだけであっという間に時間が過ぎていきます。今宵も大好きなオリオン座が夜空にドーンと登場です。星空を眺めつつ我が家にちょうど着くころいつものひまわりが花を咲かせて待っています。こんなに寒い晩に花を閉じることなく咲き続け夜空を見つめるひまわりです。“あなたは、星空と何を話していたの?”声をかけてみます。小さなひまわりたちは、宇宙に向かって咲き続けています。星空をながめ、小さな花を咲かせるひまわりはなんだかロマンチストに思えるのです。“寒いでしょう。だから今夜は、ますます星も綺麗ね。”星を見つめるひまわりと一緒に、あと少しだけ星空散歩です。明日の朝もきっと咲いている我が家のひまわりです。明日の晩もひまわりたちは星空をきっと楽しみにしていると思います。
December 27, 2005
コメント(3)
見慣れたはずの森に雪が降り森は、こんもりと枝に雪をのせた白い木のおばけでいっぱいです。昼間のあたたかな太陽、あたたかな空気で次々と雪が溶け出し陽だまりにある針葉樹の森ではときおり、ドーンドーンと雪の塊が木のうえから落ちてきます。雪の塊が落ちるとき、他の枝にあたりながら粉々に砕け、太陽に照らされ冷たい花火が爆発して細かい粉塵のような雪となって雪の森に砕け散っていきます。その落ちるさまは、ドーンという派手な音とともに数秒後にキラキラとまばゆい光を放ち針葉樹の森を輝かせてゆきます。この雪の森のまだ若く小さなヒノキは、その枝に沢山の雪をのせ陽もたいして当らず、雪を落とすことも出来ないでただじっと雪の重みに耐えてしなっています。若いヒノキの前に膝をつき“その雪の重さに耐えることができるのか。 次の春を迎えられるのか。”たずねてみます。若いヒノキの小さな枝に積もらせた雪は、お化けというほどの迫力はなく「イルカの親子のファーストキスのようね。」とわたしは、その若いヒノキに声をかけてみました。辺りの大人のヒノキたちもその若いヒノキを風から守るように立ち並び「元気出せよ」と、ときおり勢いよく雪花火を打ち上げていました。まだ雪深い森で若いヒノキとともに森と空を眺めたら、春が待ち遠しくなりました。
December 26, 2005
コメント(6)
真っ白な真っ白な雪のうえ、どこからきたのか歩く虫。“なにを食べているの? どうして凍らないの? 仲間はいるの? 恋人はいるの?”どうしたってたずねずにはいられないのです。あなたは、どうやって暮らしているのですか?そして一番たずねてみたいのは“誰ですか?”ということです。見えたもの:透明の羽、6本の長い足、触角2本、大きさは足の長い羽蟻といった感じ。あまりにひどいですが、携帯で撮れたものも添付してみます。雪の上であなたは、どうやって暮らしていっているのでしょうか。生きている!そのことにこんなに驚かされるのですね。雪の降り続く真っ白な森の真ん中で暮らしている森の住人に出会えました。「ありがとう。ありがとう。ありがとう。」あなたに私の声が届きますように。
December 25, 2005
コメント(0)
森のなかで見つけました。カメラ付き携帯の画像で失礼します。
December 24, 2005
コメント(2)
3日間で森もすっかり真っ白になりました。雪の中から枝がぬぅとつきでています。熊笹もすっかり見えなくなっています。“草や木は雪をどう思っているの。暖かいのかな…冷たいのかな。”そんなことを思っていました。冷凍みかんを作りたくて、こどもたちは、実験をはじめます。雪の上と雪のなかにみかんをおいて凍るかどうか実験です。なるほど…!こどもたちは、翌朝その答えを知りました。
December 23, 2005
コメント(0)
鳥の糞を見るたびに不思議でした。“どうして、鳥の糞は、白いのでしょう。”ちょっと恥ずかしくて糞のことなんてきけないなぁと思っていました。ところが、最近本を読んで知ったのです。魚は、体内のアンモニアをそのまま排出しています。私たち人間は、体内で有毒なアンモニアを無害な尿素に変えて、水分と合わせて尿として排出します。鳥は、摂取する水分を制限して排出する水分も制限して軽量化をしています。鳥は、水をたくさん飲むと体が重くなり飛ぶのに不利になるので尿として体内においておかないのです。鳥は、血中のアンモニアを尿酸に変えます。尿酸は水に溶けないので押し出されて尿管を通り排泄腔に降りて排便のときに糞と一緒に尿酸も排出するのだそうです。鳥の糞の白い部分は、尿酸のかたまりなのです。鳥の糞が白いわけをはじめて知ってすごく嬉しくなりました。イブ イブ イブの夜に 白い糞の秘密でした。失礼いたしました。参考)『おもしろくてためになる鳥の雑学辞典』 著:山階鳥類研究所 2004 株式会社 日本実業出版社
December 22, 2005
コメント(4)
川にいつもよりたくさんのユリカモメが集まっていました。一羽が飛び立つと、続いて2羽3羽と目に見えない螺旋の階段をすうっと連なりながら飛んでいくのです。とても綺麗な螺旋で上昇気流が目に見えるようです。上昇気流をつかんだユリカモメはお互いに均等な間隔を空けながら上へ上へと飛び立ちます。海辺の高層マンションの20階部を超えたころふと、なにかの合図でもあったように川の上流のほうへスースースーとみんないっせいに飛んでいきました。あたたかな陽射しをうけてユリカモメの真っ白な鳥柱は、白く白く輝いていました。
December 21, 2005
コメント(2)
寒風吹きさらしのなか夏からずっと咲き続けている功労ひまわりのことです。12月の初旬にふくらませはじめたつぼみを今は咲かせています。先日は、とうとう氷点下を記録したのに今日も変わらず咲いています。今朝、新たにつぼみをつけていました。お正月あたりに咲きそうな感じです。ここまできたら、どうぞ凍みませんように・・・。
December 20, 2005
コメント(4)
雪の上のウサギの足跡をぴょんこら・・・ぴょんこら・・・ついていってみました。あっちこっちの足跡を追いかけていくとやがて木の根元に辿りつきます。根元の雪が掘られてちいさな雪洞になっています。うさぎの巣穴として使われた証拠のように入り口に丸くて真ん中のつぶれたウサギの糞とウサギのお小水で雪が黄色く変色しています。この証拠を肉食獣がみつけてしまうのではないかとウサギの親のような気持ちになってしまいます。ウサギのすむ森に入って、ウサギの目線になって森を眺めます。雪に覆われた森では、食べ物が極端に少なくなってウサギの背の高さで届くほとんどすべての植物の芽などはスパッとナイフで切られたような噛み跡がつけられています。“もうすこし探さないと、今日のご飯はなさそうだなぁ。”“ご飯をさがしているうちに 自分がご飯になってしまうかもしれないなぁ。”“もう食べるものは、ないかもしれない。”とお腹をすかせて、すっかりあきらめ気分であたりをキョロキョロしています。前足を上げて遠くまで眺めようとすっかり雪で覆われた森をみるとおひさまが雪原を照らし雪がおひさまにこたえるようにキラキラとしています。もう食べるものもないかもしれないとあきらめていたウサギですが、なんだかおひさまに励ましてもらったような気がしてキラキラした雪のなかへもう一度ピョーンピョーンと跳ねて行きました。
December 19, 2005
コメント(2)
ときどき行ってみる公園の花壇があります。その花壇は地域の方がそれぞれ楽しまれているようでいろんなものが植えられたり生えていたりします。いつものように通りかかったところぜったい無視できない奴がこっちにむかって「よっ!」と声をかけるのです。自然のなかの不自然、人工的な自然であるからこそ奴は、ヌウっと現れたのだと思うのですが…。都市公園の花壇の片隅で大きな葉っぱがニョッキリ顔をだしています。田畑のある場所なら、あってもめずらしくありません。お話のなかでは、カエルや熊などが、傘かわりにさしていたりします。この辺りでお気づきの方もいらっしゃるとは思いますが、そうなんです。道路に向かってサ ト イ モが、ニョキーンとしていたのです。サツキやツツジの植え込みの中で、すまして、よそ行きの顔であの大きな顔をバーーーンとだしてだれより目立っているのに、なぜかすましているのです。その目立ちたがり屋ぷりに思わず笑ってしまいました。サトイモ科のなんという品種かまではわかりませんが(この季節だとヤツガシラかなにか?)あの大きな葉っぱを公園で見つけてしまったこの感覚…衝撃です。
December 18, 2005
コメント(0)
お気に入りのケヤキのそばを歩きました。空は、青く澄んでいます。雲もなく、風もなく、おひさまが明るく照らしています。風にのってほとんどの葉は、地上へ舞い降りていったのでケヤキの葉は、だいぶ少なくなっています。枝に残ったケヤキの葉は考えています。“いつ飛び立とうかしら。”ケヤキの葉は、雨に打たれたり風にあおられたりしてそれぞれ飛び立った仲間たちのことも見てきました。ケヤキの葉は、自分で“このとき”を決めて飛び立ちたいと小さな夢をみていました。毎日、毎日、風が吹き、自分が吹き飛んでしまいそうで心も足元もグラグラしていましたがぐっとこらえて過ごしました。枝にいるより、地面に降りたほうがきっとあたたかです。枝にいれば遠くまで見渡せいろんな鳥たちが羽を安めにも来てくれます。お日様にあたろうと伸ばした枝先は、居心地のよい我が家です。太陽にもより近く暖かな場所です。だけど、もうここにいても光合成をして栄養をつくることはできません。枝も、これまで自分へ栄養を作り与え続けてくれた葉っぱが大好きでしたので一緒にいられるのがうれしかったのです。葉っぱは、考えていました。“いつかは、旅立つのだけど、自分で旅立ちたい。”“腐葉土になって、多くの命を育んで生きたい。”枝を離れるのには、遅いのはわかっていましたが、どうしても自分で決心したかったのです。風もなく、お日様の照らすあたたかな今日お気に入りのケヤキのそばを通ると茶色のプロペラが素敵に ふわり ふわり くるり くるりと空から舞い降りてきたのです。女の子は、“風もないのに落ちてくるなんて”と思いました。葉は茶色くほかのケヤキの葉と何の変わりもないのですがその舞い降りかたが、あまりに優雅で美しく風もないのに、そっと降りてきたことに惹かれてしばらく立ってながめてみました。青い空と、風のない今日を選んで自ら飛び立った目の前の落ち葉、一枚の姿が目に焼きつきました。“空がね。気持ちいいの。 空気の匂いがね。葉っぱの間を抜けていくの。 大好きな枝がずっと見ていてくれて。 仲間の葉っぱが大地のクッションを広げて待っていてくれる。 クルクルまわって地球がまわっているのか 自分がまわっているのか もうどっちでもいい感じにフワフワしていて 鳥になったような…雲になったような。 すごく緊張していたのに。 飛び立ったら、とってもとっても気持ちよかったの。”
December 17, 2005
コメント(4)
真っ白な雪の森のできごとでした。夜の森の探検に出かけます。“夜は、怖いなぁ・・・。”そんなことを思いながら、スノーシューを履きます。表に出ると、満月がキラキラと夜の森を照らし影が出来ています。月の光が雪原を照らしています。葉の落ちた枝の間から明るい月の光が真っ白な雪を白く青く照らしています。風もなく静かな青白い森の景色雪と真っ黒な木と、木の陰限られた色彩と、限られた音の夜です。雪を踏みしめる音だけが耳元にザクッ・・・ザクッ・・・と聞こえます。静かな夜だなぁと思っていると近くの枝に積もっていた雪の塊がドドンと大きな音を立てて落ちていきます。ときどき木が裂けるピキッ・・ピシッ・・・という音でどっきりしています。“静かな夜だけど、森が生きている音がするのね。”もう少し進めば、昼間作った雪だるまのそばを通ります。真新しい雪の上に小さな足跡が続いています。うさぎの足跡です。広い雪原に出て、ターンして方向を変えて相手をくらませようとした足跡が残っています。木の根っこから木の根っこへ小さな足跡と長い尻尾の跡を残す、アカネズミの足跡はこの森で生き抜くために、精一杯の疾走のあとです。タヌキは、酔っ払ったような千鳥足でヨタヨタしながら水辺へ降りていっています。キツネの足跡は、まっすぐまっすぐ一本に続いていっています。雪の上にできた新しい森の地図を辿りながら雪だるまに到着です。明るい満月の晩の雪の森歩き青白い世界を歩いたときから私の森歩きが始まりました。今夜の満月を見ながら、雪の森への思いをめぐらせてみます。
December 16, 2005
コメント(6)
カラスのなくどんぐりの森ちょっと暗くてちょっと怖い。だけどね。落ち葉いっぱいの地面にゴロゴロ落ちているどんぐりを拾おうとしたらね。みつけたの。こんなに寒いのにね。どんぐりね芽を出していたんだよ。それもね。ひとつじゃないのいっぱい。あっちにも。こっちにも。気がついたらね。みんなどんぐりの芽だらけでね。足をどこに置いていいのかわかなくなってね動けなくなっちゃったんだ。寒いのにねどんぐりがぱかっと割れてなかから赤い芽が出てこようとしているんだ。
December 15, 2005
コメント(4)
全4410件 (4410件中 4251-4300件目)