全2230件 (2230件中 1-50件目)
Facebook(以下、FB)の投稿にコメントをもらえるのは単純にうれしい。ただ中にはちょっと困ったものもあったりする。①コメントに対して私がレスを返すと、そこにまたレスがついて、結果的にチャットみたいに延々と続いてしまう。FBはある意味公の場だ。それを私的な会話の場と勘違いしたり、そうでなくともその場のノリで何となく会話を続けるのは、他の人から見ても見苦しいことこの上ない。ましてや他にコメントを寄せた人には会話のたびに通知音が鳴ったりするので、こうなると迷惑以外の何物でもない。②投稿に対してそれ以上のボリュームで、自分の主義主張を滔々と述べたり、時にまったく無関係なコメントをしたりする。自分自身の主義主張は自分のタイムラインで表現すればいい。③特に幼馴染にありがちだが、昔の付き合いの延長上のような感覚で語りかけてくる。よそよそしくならないように、という気持ちは理解できるが、前に書いたようにFBはある意味公の場だから、そういうところは配慮してほしいと思う。ましてや昔のニックネームで呼びかけるなどありえないことだ。私自身の投稿に限らず、見回してみると他の投稿者に対するコメントにも似たようなものは結構見られる。もちろん傍観している私も少なからず不快に感じることが多い。しかもこういった困ったコメントをする者というのは、押しなべて高齢者に多い気がする。FBから若い人が消えつつあるのはこういったことも原因のひとつにあるのかもしれない。
2026年04月17日
コメント(0)
このところ「高校野球の7回制への移行」ということが話題になっている。もちろん賛否両論あって、双方の意見を聞いていると正解など無いのかもしれない、と思える。私個人的には、長年野球を観戦してきた身としてやはり「9回制」になじみがあるから、これを続けてほしいという気持ちはある。しかし合理的に考えれば「7回制」に落ち着くのもやむなし、とも思っている。最初は違和感があっても慣れれば気にならなくなるかも、という気もする。考えてみれば、事の発端は夏の甲子園の厳しい暑さにあるわけだから、その対策さえ講じれば済むのではないか、という考え方もあるが、何も高校野球は甲子園だけではない。地方大会、ひいては普段の練習や練習試合も含めて考えるべきだろう。そもそもここ数年の夏の暑さは異常で、とても屋外でスポーツできる環境ではないのだから。7回制を支持する根拠としては、前述した夏の暑さ対策ということのほかに、他の競技に比べて1試合の時間が長すぎる、という声もある。また本場アメリカの高校野球はそもそも7回制だともいう。反対に9回制堅持を支持する声の大半は、総合的に言えば「野球とはそういうものだ」というところに集約されるだろう。イチローはじめプロ野球OBは概ねこれを支持しているようだ。高校野球関係者やプロ野球も含めた有識者が様々な立場でこのことについて論じているが、当の選手の声も聞くべきだ、という意見も見られる。確かにそれは正論だが、果たして適切なのかどうかは別問題だ。なぜなら高校球児などの現役選手は得てして自らの立場を否定的に語ろうとはしないと思われるからだ。そして過去に野球選手を経験した多くの人々もおそらく9回制を支持すると思われるが、それは多分にノスタルジー的な感覚が混じっていることだろう。ここで問題になるのが、「誰のためにこの(7回制の)問題を論議しているのか」ということだ。現役の高校球児が対象であることはもちろんだが、彼らはあと1~2年で去っていく立場でもある。となると考えるべきは「次の世代」、つまり小中学生、そしてその次の世代だ。ここで高野連がどの方向を向いているかが問われる。つまり、当座の厄介ごとをなんとかできればいい、と考えているか、あるいはこれからの何十年、野球というスポーツが生き残っていくためにどうしたらいい、と考えているかだ。私は野球というスポーツを愛しているから、競技人口がこの先減っていって尻すぼみになるのは見るに堪えない。野球をしようという子供たちを増やすにはどうしたらいいか、7回制の議論はこの1点でしてほしいと思っている。
2026年03月25日
コメント(0)
今回のWBC、楽しみにしていたのだが、中継がNetflix独占だという。私はNetflixに入っていないので観られない。だから日本ラウンドはもっぱらニッポン放送のラジオ中継で楽しんだ。そして日本が1次ラウンドを通過して、準々決勝に駒を進めるに当たって、どうするか悩んだ。Netflixには魅力的なコンテンツも多いので、入ってしまえばWBCが終わってからも色々楽しめるのは間違いないと思えるのだが、如何せん私の場合は視聴する時間が決定的に足りないので、宝の持ち腐れとなるのは目に見えている。まったくスルーすることも考えたが、結局Netflixに入ってしまった。そしてWBCを決勝まで楽しんだ。いつの間にか料金が498円になっていたので、すぐに解約してもあとくされないと思ったからだ。ただ解約する前にどうしても観ておきたい作品があった。樋口真嗣監督、草彅剛主演の『新幹線大爆破』だ。元々は1975年に公開された映画のリメイク版だ。これがNetflix制作と聞いたときには非常に落胆したものだが、このチャンスに観ておきたいと思った。そして観た後に解約しようとも。で、今日この作品を観た。思っていた以上の出来だった。プロットもさることながら、高速で走る列車で繰り広げられるあり得ないようなオペレーション、バイオレンス、そして爆発...これらの迫力あるシーンがこれでもかと息つかせぬままに繰り広げられる。ただ、やっぱり思った。これだけの迫力のある映像は、やっぱり劇場で観たい。この作品はNetflix限定であり、今後もそういう作品は増えていくと予想されるが、そうなると今後は劇場の大きなスクリーンと大音響で迫力ある作品を鑑賞する機会が失われていくことになるのだろうか?
2026年03月21日
コメント(0)
先日若い男性が店に駆け込んできて、「角ハイボールありますかー」と訊いてきた。「はい、ありますよー」と言いながら彼をリーチインの角ハイボールの前に誘うと、なんだか怪訝な表情をしている。「いや、これじゃないです」と言いながら店内あちこちをさまよった末に、「あ、これです!」と言って指したのは...「サントリー角瓶」(700ml)だった。この時私は初めて、一部の若い人に「サントリー角瓶」が「角ハイボール」と呼ばれていることを悟った。確かに今どきウィスキーが「水割り」や「ロック」でなく、ハイボールでしか飲まれていない状況下で、「サントリー角瓶」は若い人には馴染みがないよなぁ。今や「サントリー角瓶」は「角ハイボール」を作る材料でしかないのだ。さらに驚いたことには、当店が納入しているある飲食店でのこと。ここは大人数のパーティーもできる大きなところなのだが、ある時ここの若いスタッフから言われたこと。「明日はウィスキー好きな人が多そうだから、“角ハイボール”を多めに入れておいてもらえませんか?」この店に納入しているのは、業務用の「サントリー角4Lペット」だ。ペットボトルだからもはや“角”ではなく“丸”なのだが、やっぱり名前は“角”なのだ。そのことに関してその彼が疑問を持っているのかいないのかよくわからないが、もはや“角”という文字が独り歩きしていると思わざるを得ない。じゃあなんでそれを“角”と呼んでいるのか...その由来から説明しなければなるまいな。
2026年03月06日
コメント(0)
ミラノ・コルティナ冬季オリンピックたけなわである。日本人選手の活躍も目覚ましいが、彼らの競技をいちいちリアルで追いかけるのは正直疲れるので、それなりにニュースでチェックする程度にしている。逆に夜中にテレビを点けた時にたまたまオリンピック中継をやっていると、そのままボーっと見入ってしまうことがある。日本人選手が出てなかったり、日本人にあまり馴染みがない競技だったりすることも多いが、かえってそれがとても心地良かったりもする。こうやってボーっとオリンピックを眺めているといつしか俯瞰的な視点になって、すべての競技が「雪」と「氷」でつながっているのだなと改めて思わされる。その一体感こそが“心地良さ”の源なのかもしれない。「雪」と「氷」は冬季オリンピックのアイデンティティーだとも言える。昨今、夏季オリンピックの相対的な肥大化や夏場の気候の観点から、一部競技を冬季に持ってきてはどうか、ということが議論を呼んでいる。公式なコメントは出されていないが、たとえば夏場には厳しい「マラソン」とか、元々冬季にリーグ戦を行う「サッカー」などが候補になっているとも聞く。なるほどそれも一理ある話ではあるが、個人的には違和感しかない。先ほど書いたように「雪」と「氷」が冬季オリンピックのアイデンティティーだと考えているからだ。競技が多すぎれば削ればいいし、夏の暑さが異常なら時期をずらせばいい。もちろんそれが簡単にできない事情もいろいろあるんだろうが、いちウォッチャーとしては冬季オリンピックのアイデンティティーを損なうだけの正統性が感じられないのだ。
2026年02月18日
コメント(0)
先日の衆院選で自民党が圧勝した。まあ相当取るだろうな、とは思っていたが、戦後最多となる316議席というのはまったくの想定外の数字だ。ある意味高市総理個人の人気に阿った選挙であって、そこにはいろんな落とし穴はあろうが、選挙である以上これは民意だ。謙虚に受け止めて従わなくてはいけない。しかしその行方はしっかりと見ておく必要はある。以前の投稿に書いたことがあるが、物事は均衡が取れている状態が最も健全で、ある方向のみに偏るのが度を越してしまうと、取り返しがつかなくなるものだと考えるからだ。為政者たるもの、出来るだけ多くの声に耳を傾けていくことが肝要と思ってもいるが、解散が決まってからの総理の言説を聞いていると、まずそういったことはあまり期待できない、と思える。いや、期待できるようならこんなタイミングでの解散はしていないだろうに。
2026年02月10日
コメント(0)
高市早苗氏が首相に就任した際にこんなブログを書いた。その中で「私が彼女に対して何らかのアクションを起こそうと思っても、次の国政選挙まではどうしようもできない」と書いたのだが、早くもその機会が巡ってきた。いや、巡ってきた、というよりは、「強引に持ってきた」と言った方が適切か。本人の言葉を借りれば「私、高市早苗が内閣総理大臣で良いのかどうか」を問う選挙らしい。なるほど、確かにスジは通しているのかもしれない。しかし就任してまだ間もないこのタイミングで彼女のことを評価できるはずも無いではないか。振り返ればこれは2014年の12月に行われた解散総選挙が思い起こされる。あの時は当時の安倍首相が「アベノミクスの中間決算」などとわけのわからない理屈で、前回の総選挙から2年という時期の、しかも皆が忙しい歳末のタイミングで強行した、単なる「議席増加」を目論んだものだったと言える。今回の総選挙も同じだろう。来年度予算の審議という大仕事を後回しにしてでも、高市内閣の支持率が高い今のうちに総選挙を仕掛けて、議席をさらに増やして政権基盤を盤石にしようという意図が透けて見える。しかし「解散権」は総理の専権事項になっているとはいえ、自己都合で好きにして良いわけでもあるまい。 高市総理は先日の会見で「国論を二分するような大胆な政策、改革にも、批判を恐れることなく果敢に挑戦していきたい」とも言っていた。何だそりゃ? 「国論を二分するような大胆な政策」って何なんだ? それを明らかにしないままに賛同しろと? 今回の総選挙で自民党が勝てば私は信任を得た、そうしたら「私の考えていることはすべて実現できる」、そういうことになるではないか。つまりどんなとんでもない法案が出てきても、「私は国民の信任を得たんだから文句言われる筋合いはないでしょ!」ということになる。国民は彼女に100%のフリーハンドを与えたも同然で、彼女のやることに異を唱えることが出来なくなる。それでみんないいと思っているんだろうか?もしも今回の総選挙でどこに投票するか迷ってる人がいたら言いたい。「何があっても私は高市さんについていく!」という人は自民党に入れればいい。しかしわずかでも「それでいいの?」という疑問を持った人なら他党に入れた方がいいと思う。とにかく今回は「高市氏にやりたい放題にさせることを認める選挙」ということがはっきりしているんだから。
2026年01月21日
コメント(0)
ウチも含めて昔からの酒屋って、どうしても自分が体を動かすことに対価を付けられないきらいがある。だからいきおい休みが少なく長時間労働になりがちだし、配達することに手数料を徴収しようという発想にならない。こんなんではいけない、と思いつつも、なかなか現状を変えるきっかけがつかめない。そうやってもう何年も経っている。
2025年12月30日
コメント(0)
ロシアの作曲家ラフマニノフの中でも有名な作品だ。パガニーニとはイタリアの作曲家・バイオリニストである「ニコロ・パガニーニ」のことで、超絶技巧で知られる彼は「その腕と引き換えに悪魔に魂を売った」とも言われるほどだ。なんだか同じように「十字路で悪魔に魂を売り渡して引換えにギターのテクを身につけた」と言われる伝説のブルースマン、ロバート・ジョンソンみたいだが、いつの時代もそういう伝説というのは生まれるものなのかもしれない。それはさておき、パガニーニの代表作である「カプリース第24番」、この曲自体多くの人が一度は耳にしたことがあると思われる有名な曲だが、この曲の旋律をモチーフにして作られたのが、ラフマニノフによる「パガニーニの主題による狂詩曲」だ。ここら辺、著作権などの権利関係はどうなっているのだろう、という単純な疑問も浮かぶが、まあそんなことを考えるのも無粋で、今でいうところの「サンプリング」程度に捉えればいいのかもしれない。内容としては「主題」とそれに連なる24の「変奏曲」から成っている。24の変奏曲をつぶさに聴いてみるとそれぞれが結構バラエティに富んでいで、原曲の雰囲気をとどめているものからとどめていないものまで実に様々だ。そしてその中の白眉ともいえるのが「第18変奏曲」で、旋律的に一番原曲からは遠いのに世間的には一番有名なのだ。これは映画のBGMによく使われていることもあり、これもおそらく多くの人が耳にしたことがあると思われる。一番異端なものが一番有名、というのも皮肉なものだが、それだけ人々の心を掴むキャッチ―なメロディーだということに他ならない。実際私もこの曲を知ったきっかけは某映画作品だったから。もっともその時は前述したような曲の成り立ちまでは知らなかったが。この「第18変奏曲」がだけがなぜ原曲からほど遠いのか、私にも今までよく分からなかったのだが、最近それがようやく分かった。この曲だけ原曲のメロディを上下正反対にしているらしい。つまりパガニーニの原曲のメロディをごく簡単に書くと「ラドシラミ」となるところを上下反対にすると「ソミファソド」となる。それに肉付けをしたのがラフマニノフの彼の曲なのだ。私が今になってわざわざこのことをブログに書いているかというと、先日この曲を演奏しているテレビ番組でこの仕掛けを知って、いたく感動したからなのだ。
2025年12月22日
コメント(0)
わたしには今、孫がひとりいる。遠方に住んでいるのでまだ数回しか会ったことはないが、写真や動画は頻繁に送られてくるので、いつも近くにいるような感覚にはなっている。ところでのっけから「孫」というワードを使ってはいるものの、正直なところ自分の「孫」と言っても全くピンとこない。「息子の子供」だとは認識しているが、「孫」という感覚からはちょっと遠い。おそらくこれは私が彼を「孫」と認識するのと、彼にとって私が「おじいちゃん」であると認識させられることがイコールだからではないだろうか。それゆえに私の頭が無意識にそれを拒否しているのだろう。まったく勝手なもんだな(笑)
2025年12月19日
コメント(0)
「ビートルズ・アンソロジー4」がいま発売されている。私もビートルズは大好きなので興味はあるが、さすがに買おうとは思わない。それはこのアルバムがほぼ既存曲のアウトテイクで占められているからだ。アウトテイクというのは、それなりに興味深いものだ。コアなファンなら当然押さえておくべきものだろう。しかしそれは何度も何度も繰り返し聴くものだろうか?何度も聴くと飽きてこないだろうか?正規版のものもある意味聴き飽きるほど聴いてきたものだが、それは時のプロデューサーがベストだと思ったものだから残ったのであって、時を経てもベストなものに違いない。アウトテイクがそれを超えることは断じてない、と私は思っている。
2025年12月06日
コメント(0)
先日クルマを買い替えた。仕事で使う商用車ではなく、プライベートで乗ってるクルマだ。もうかれこれ19年乗ってきていて、まだまだ乗れないこともないけれど、ここらが買い替え時かな、と夫婦で見解が一致したことで、買い替えることにした。私たち夫婦と3人の子供+その配偶者たちで作っているLINEグループがあるのだが、ここでクルマを買い替えたことを報告した。今まで乗っていたクルマと今回購入したクルマの両方の写真を添えて。私としては今まで乗ってきたクルマに愛着は感じているものの、正直気持ちは新しいクルマに行っている。しかしLINEグループに書き込まれた子供たちのコメントは、ほとんどが手放したクルマに対する惜別の気持ちをつづったものだった。「お疲れさま」とか「長い間ありがとう」といった具合に。このクルマは私にとっては人生で3台目の愛車であり、1台目や2台目と同じレベルで愛着を感じているが、子供たちにとってはそうでもなかったようだ。3台目のこの車を購入した時、子供たちはそれぞれ13歳、10歳、8歳で、多感な時期にこのクルマに接していただけに、このクルマには格別の愛着を感じているようだ。特に末娘にとってはそれ以前のクルマの記憶が無かったようだから尚更だ。考えてみれば3人の子供たちがそれぞれひとり立ちして家を離れていく際にも、一杯に荷物を積んで引越しをしたのもこのクルマだった。また彼らが運転免許取りたての時にさんざん練習に使ったのもこのクルマだった。その他にもこのクルマでみんなでいろんなところに旅行したし、数え上げればキリがないほどの思い出が詰まっている。今は皆それぞれ離れた土地で暮らしているが、引退の際にこうやって思い出してもらえるこの「3台目」は幸せ者なのかもしれない。
2025年12月03日
コメント(0)
以前から自分の家を持ちたいと言っていた私のムスコから、とうとう先日住宅購入の契約をしてきたという報告があった。新たに造成される土地にこれから建設される建売住宅だ。当然そういう話を聞くとどんなところか見たくなる。ということで私の要らぬ血がにわかに騒ぎ出した。ムスコからは大まかな町名しか聞かされていない。で、早速地図を見てみると、当該の町名は結構広範囲にわたっている。ムスコから送られてきた不動産会社の資料には具体的な場所が記されていない。ドローンでの空撮映像もついているが、それだけでは何の手掛かりにもならない。ただその資料には近隣の環境に関する記述はあり、最寄りの小中学校までの距離は記されていた。そこでまず近隣の小学校と中学校を探した。そこからの距離を勘案するとおのずとエリアは絞られた。そしてそのあたりで、件のドローン映像に写った道の線形に近いところはないか、とあれこれと探ったら、なんとか確定することができた。Googleストリートビューで見ると確かにそのあたりは何もないところで、これから家が建つところに違いないということが確信できた。ただ見ている限り公共交通機関からはちょっと離れているような気がしたので、そのあたりを調べてみた。近隣のバス停を調べて、そこからターミナル駅への路線と時刻表を調べると、とりあえず某私鉄駅までは頻繁に本数が出ているということが分かった。とりあえず通勤にはさほど不便は無さそうだ。ただこの地域には鉄道の延伸計画があり、新しい駅ができればそこは歩いていける距離なので、そうなると利便性は格段に向上する。映像で見てみるとちょうどいい具合に自然が入り混じっている区画で、近くに大きな公園もあり、環境的には子育てにも何かと良さそうだ。そして不動産会社の資料に載っていた小中学校についても調べてみた。小学校までは600mとまずまずの距離だが、中学校までは歩いて2km弱とちょっと距離がある(もっともこれは公立中学校なので、ここに通うことは確定ではないが)。ちなみに小学校は10数年前にできたばかりのホヤホヤで、中学校にはOBに某有名俳優や某有名野球選手が名を連ねている。あたかも自分が住むかのような行為を見て、妻が一言、「アナタが住むんじゃないんだからね!」私がこんなことやってるとムスコ夫婦が知ったら、きっと引いちゃうだろうな(笑)
2025年11月26日
コメント(0)
最近この楽天ブログで不具合があったようで、アクセスしても全然つながらなかったり、つながっててもやたら重い、そんな状態が続いた。とりあえず4~5日で解消したようだが、ごくたまにしかアクセスしない私にとっても気が気ではなかった。もとより「無料で使わせてもらっている」わけだから、運営者の都合で突然打ち切り、ということになっても文句は言えまい。現に他社のブログでそういう例は多々あったようだし。しかし書いている立場からすると、今まで書き溜めたものが突然見られなくなるということになると、ちょっと焦ってしまう。ブログを書いている人皆が皆そうかというと、そうでもないかもしれない。たとえばブログを書き続けるのをやめた人の中にも、放置したままの人もいれば、潔く削除してしまう人もいる。削除してしまっては過去ログが全く見られなくなるわけだが、それはそれで割り切っているのだろう(「削除せざるを得ない」という状況の人もいるかもしれないが)。私は、もし書き続けることをやめたとしても、さすがに削除するという勇気はない。「未練たらしい」と言われればそれまでだが、今回で2217回目となるそのひとつひとつが自分にとっては宝物なのだ。実は時々アトランダムに過去ログにアクセスしては、「あの時はこんなこと考えてたんだ」と感慨にふけったりもする。私にとってブログというのは、そういうものなのだ。
2025年11月14日
コメント(0)
職場で「〇〇ちゃん」と名前を呼ばれたのはセクハラだとして、佐川急便の営業所に勤めていた40代女性が年上の元同僚の男性に約550万円の慰謝料を求めた訴訟の判決で、東京地裁は23日、「許容される限度を超えた違法なハラスメント」と認定し、22万円の支払いを命じた。(共同通信)とまあ、こんな記事が出ていた。ただよく読むとこの女性社員、件の男性上司の「ちゃん付け」だけでなく、「かわいい」とか「体形いいよね」といった言葉も受けているようなので、一概に「ちゃん付け」だけの問題ではないのだろう(個人的にはむしろ「かわいい」とか「体形いいよね」の方がずっと問題だと思う)が、とりあえず現状問題になっている形に沿って考えてみた。まずはそもそも「ちゃん付け」で呼ぶこと自体に問題があるかどうかだ。結論から言えば、個人的にはそのくらいの自由度はあってもいいと思っている。上司から見て明らかに「見下した」ような言い方(呼び捨てとか)は、それこそ「パワハラ」とされてもおかしくない要素を有しているだろうが、「ちゃん付け」はまだそんなレベルではないと思う。問題は状況とか言い方とかそういった付随する条件、そして個人差、ではないか。たとえばサラッとした言い方なのかねちっこい言い方なのか、一瞥して言うのかいやらしく見つめながら言うのか、そういった条件次第で受け取り方は全く異なる。あとは誰が言うか、イケメン若手上司と脂ぎった中年上司とでは、受ける感覚もまた違ってくる。そして受け手側の問題。中には堅苦しいのは嫌だからむしろ「ちゃん付け」で呼ばれたい、という女性もいるかもしれない。こうなると条件次第でいくらでも状況は変わってくる。これを十把一絡げに論じることに危うさを感じないでもない。ただ社会の趨勢は、「少しでも誰かが傷つく恐れがあれば未然に防がなければいけない」という流れになっているから、わずかでも危険性があれば「アウト」判定となってしまうんだろう。昨今の「○○ハラ」って、みんなそうやってできているのだ。でもそういう社会って、なんか息苦しくないか?何かを言われて嫌な思いをする人がいる。それは厳然たる事実だし、被害者の方はお気の毒だと思う。それならそういった恐れのある言葉は全て封印しましょう。それもひとつの方法だ。ただそれは言い換えれば「臭いものにフタ」、あるいは「事なかれ主義」とも言える。それは事を未然に防ぎはするかもしれないが、根本的な解決にはなっていない。逆にどんどんエスカレートする恐れもあり、最終的には職場でいうっかり口もきけないような状況になってしまいかねない。効率重視ならそういうのもアリかもしれないが、職場ってある程度の「潤い」は必要だと思うし、言葉がその大きな要素であるのは間違いない。今のこの「○○ハラ」の流れって、ある意味「言葉狩り」の様相を呈しているような気がする。まあこういった問題は「根本的解決」などどだい無理だろう。それならそれで「対症療法」に切替えてみるのも手ではないか。前にも言ったように「ちゃん付け」されたい人もされたくない人もいる、「ちゃん付け」で呼んでほしい人も呼んでほしくない人もいる、そう考えると、いやな人はそう思った時点で「やめてください」と拒否する。拒否された人は今後やめなければいけない。確かにそう言いづらい職場的な雰囲気があったり、言った相手の上司に怨恨が残ったりといった要素も考えられるから、事はそう簡単ではないだろう。でも何でもかんでも十把一絡げにして「アウト」認定してしまうよりも、臨機応変に対応していく方がベターだろう。例えは適切ではないかもしれないが、青少年のバイク事故を無くすためにはバイクを禁止するよりも正しいバイクの乗り方を教育する方がいい、ということをよく聞く。これと同じ考え方で、アウトと思しき言葉を片っ端から排除していくのではなく、言葉が適切に使われていない状況でそれに異を唱えられる環境づくり、そしてそれに起因するパワハラなどを監視する社内的機関の整備、等々こういったところから手を付けていった方がいいように思う。とかく「○○ハラ」というのは、それが該当しないような環境下でも言葉だけが独り歩きしかねない。そういう流れがある意味社会の閉塞感を助長していると感じるのは考え過ぎだろうか?
2025年10月28日
コメント(2)
高市早苗氏が女性初の総理大臣に就任した。ガラスの天井がついに破れたわけで、それはそれで大変画期的なことだ。またいわゆる「2世議員」ではなく、苦学生からのし上がってきたという部分は評価できる。ただ私は、高市早苗という人物自体、以前からあまり好きではない。まずは私が極めて苦手としている「日本会議」、この系列(?)の「日本会議国会議員懇談会」の中心メンバーで、ここの思想にどっぷりと染まっていること、これが大きい。そして数年前に彼女が総務大臣だった時の、「あまりに公正性に欠ける放送局は電波止めるよ(少々意訳)」という、恫喝ともいえるような発言、これも大きなインパクトを以って私の頭の中に彼女のイメージを形作った。かといって私が彼女に対して何らかのアクションを起こそうと思っても、次の国政選挙まではどうしようもできない。否が応にも下駄は預けざるを得ない。ここはひとつ、彼女のイヤな部分が顔を出さないように祈りつつ、かつこの国が少しでもいい方向に動くことを祈りつつ、その動向をしっかりと見届けようと思う。その人の性格や人格と政治手腕は全く別物だし、嫌いな人間だからといってその人を全否定することが無くなる程度には、私も相応の齢を経て丸くなっていると思う。
2025年10月24日
コメント(0)
アサヒビールが先月末にサイバー攻撃を受けてからおよそ半月が経った。当初はシステムが完全に復旧するまで生産・出荷はまずできない、とみられていたが、システムに頼らないアナログ方式―――つまりは昔のように紙の伝票を使ったりするのだろうが、それにより多少は出荷されているようだ(焼け石に水ではあるが)。そしてこのアサヒの出荷停止に伴って、従来アサヒを使用していた飲食店が一斉にほかのブランドに流れ始めた。これにより他のビール会社も需給がひっ迫して、ついには各社出荷制限が掛けられることとなった。私たちも通常取引している各卸売会社に発注しても商品が入ってくることはあまりなく、どれだけ問い合わせても「わからない」の一言で片づけられる。まあ向こうも向こうで情報が錯綜しているのだろうから仕方ない。とりあえずウチとしても在庫は限られているから、得意先から受注した分をそのままのべつ幕なしに出荷するわけにはいかない。まったく先が見えない中で、現在庫とこの後入荷する見込みの分を合わせた数量を各得意先に按分して少しずつお出しする、そんな綱渡り的状況がこのところ続いている。こんな状況で各得意先から一様に多めの注文でも来た日には、こちらもやりくりに忙殺されて他の仕事まで手が回らなくなってしまう。そんな懸念も当初はあったが、いざフタを空けてみると、皆さん押しなべて冷静に対応していただいている。「状況が状況だから仕方ないよね」「モノが無いなら無いでお客さんにそう言っとくから心配しないで」「できる範囲で構わないからね」「ウチみたいな小さい店にも回してもらえるの!?」報道でさんざん見聞きしているということもあるのかもしれないが、昔だったら文句のひとつも出たかもしれないような状況で、私たちの立場にまで配慮してくださるお取引先には、本当に感謝しかない。とにもかくにも年末の最需要期も間近に迫っていることだし、一日も早くシステムが正常に戻ることを祈るしかない。
2025年10月17日
コメント(0)
中日ドラゴンズの2025年シーズンが終わった。今期の成績は「63勝78敗2引分け」の4位だ。2012年からずっとBクラスが続いている。専門のジャーナリストや解説者の方々はいろいろと分析をして、様々な媒体でその原因に触れているが、私もこのところのドラゴンズの試合を見ていて自分なりによく感じることがある。単なるアマチュア目線ではあるが、気になって仕方がないことで、かつ抜本的な対策が提言されていないものばかりだ。①特定チームに異常に弱い最近では言わずと知れた「DeNAベイスターズ」だ。ちなみに今期は8勝17敗で、他のチームに対する借金が多くても「2」であることを考えると、これはずば抜けた数字だ。単に「苦手意識」というだけでは片付けられない、相当に根深い問題だと思う。②他チームの新人に弱い特に先発投手。巨人なんかもよく「初物に弱い」と言われるが、それ以上だと思う。他チームの投手に「プロ初勝利」をいくつ献上しただろうか? 実際に他球団首脳陣は「新人投手を投げさせるならまずドラゴンズ戦」と思っているのではないか、と勘繰りたくもなる。まったくお人好しにもほどがある。③相手ピッチャーに球数を多く投げさせられない毎試合観ていて思うのだが、双方の先発投手が同じイニング投げていても、たいてい相手投手の方が球数が少ない。私の感覚では1イニング15球というのが標準だと思っているが、たいてい中日はそれ以上で、相手チームはそれ以下だ。要は中日の攻撃が淡白で、相手チームには粘られている、ということか。④2軍で素晴らしい成績を残している選手を1軍に上げてもからっきし他のチームはどうかよく知らないが、こんなに落差が大きいというのはどういうことなのだろう?それだけレベルが違うのか? いや、プレッシャーを感じるのか?せっかくいい選手をドラフトで獲れてもこれでは宝の持ち腐れだ。戦力は他と比べても遜色ないと思うので、このあたりが解消されれば充分首位争いできるだろう。こういった疑問を的確に解明してくれる解説者はいないものか?
2025年10月03日
コメント(0)
今さら言っても仕方ないことだけど、今さら言ってもどうしようもないことだけど、いや、今さら言うべきことではないことだけど、いや、もはや言ってはいけないことだとは思うけど...昨年のドラフトで中日ドラゴンズが4球団競合の末引き当てた金丸夢斗投手。今シーズンの成績は、15回の先発で96.2イニングを投げて防御率2.61。新人としては例のないほどの好成績ながら、それでいて「2勝6敗」...。ちなみにこの時競合したのが巨人・阪神・DeNA...いずれも強力な打線のチームだ。ドラフトのくじを引き当てたのが他の3球団だったら、彼は今年のセ・リーグ新人王の最右翼となっていたことだろう。井上監督はくじを引き当てたのと引き換えに、金丸投手の一生に一度のチャンスを奪ってしまったのかもしれない。
2025年09月30日
コメント(0)
先日私の住んでる地域でとんでもない集中豪雨があり、ウチの店も浸水した。と言っても水位は8cmで、一番低い商品棚のすぐ下くらいで止まってくれたから、商品在庫や設備機器などに被害は無かったのが不幸中の幸いだった。実は私が子供の頃は地域の排水システムが整っていなかったため、この程度の浸水は日常茶飯事で年間1~2回は浸水していた。子ども心には楽しかった。もっとも記憶の限り2回ほど、小上がりを越して水が来て畳をひどく濡らした時にはさすがにビビったが...。私の中ではその2回が「床上浸水」、そしてその他年中行事のようにやってきた方が「床下浸水」となっている。だから今回のは言うまでもなく「床下浸水」だ。しかし嫁いでから初めて店の中に水が入ってきた光景を目の当たりにした妻は違っていた。メディアの報道を見て心配した遠方の友人たちが連絡して来るのに対し、「床上浸水した」と言い放っているのだ。それは違う、床下だろう、と異議を唱える私に対して、「店の床の上に水が来ているんだから床上以外の何物でもない」と言い張る妻。私は小上がりがひとつの基準になっていると考えているので、「じゃあ(妻の理屈では)ウチの店で床下浸水とはどういう状態を指すのか?」と質すと、そもそも床下浸水はない、と答える。このままでは埒が明かないので、AIに聞いてみることにした。「大雨で店舗の中に8cmの高さまで水が入ってきたが、これは床下浸水か床上浸水のどちらになる?」との質問を投げかけたら、答えは単純明快だった。(以下引用)<店舗内に水が「8cmの高さまで入ってきた」という状況は、床上浸水に該当します。><床下浸水は、建物の床下(基礎部分)まで水が入るが、室内には達していない状態><床上浸水は、建物の床面より上に水が達し、室内に水が入る状態><つまり、「店舗の中に水が入ってきた」という時点で、床面を超えて水が侵入しているため、床上浸水と判断されます。><もし、床材の下に水が入り込んだだけで、室内の床面には水が見えない場合は「床下浸水」となります。今回のように「店舗の中に水が入ってきた」と明言されている場合は、床上浸水と考えてよいでしょう。>(引用終わり)というわけで長年の私の感覚はAIの前に粉々に砕け散ってしまった。
2025年09月24日
コメント(0)
そういえば最近「ファン」という言葉をとんと聞かなくなった。先日もある趣味の団体の中で若いメンバーが「自分の“推し”の俳優が出ているドラマは欠かさず観る」ということを言っていた。言い方としてはまったく間違いはないものの、以前だったら「そこは“ファン”と言っていたよなぁ」と直感的に感じた。「私はだれそれのファンです」「私の推しはだれそれです」これって「ファン」が単純に「推し」に変わっただけなんだろうか?個人的には「ファン」と「推し」には大きな隔たりがあると感じている。「推し」と言えば「推し活」という言葉と不可分な関係にあると思っているが、私が普段メディアなどで見聞きする「推し活」というのは、正直言って常軌を逸している、というか自分にはついていけない、という気持ちを抱かせるレベルだったりする。もちろんメディアなどで紹介されている「推し活」というのが、かなりエキセントリックな部分だけを取り上げているというのは分かってはいるが、それでもその言葉の持つ先入観は私の違和感に直結する。私も各分野(主に芸能界やスポーツ界)において、ファンになっている人物はそれなりにいる。しかし彼らのことを「推し」だと思ったことはない。別に彼らの追っかけに多くの時間やおカネを費やすわけでもないし、四六時中彼らのことを考えて生活しているわけではない。ただもし今後「ファン」という言葉が廃れていくとすると、「推し」というのもはばかれるような“ライトな好き”は市民権が無くなってしまうのではないか、という危惧はある。まあ別に自分の「好き」を公言する必要もないから、根本的にはどうでもいいことではあるが。
2025年09月17日
コメント(0)
公職選挙活動において「投票用紙には○○とお書きください!」というフレーズをよく見かけるが、こういうのを見るたびに怒りが込み上げてくる。「つべこべ言わずに○○って書けよ!」と、有権者に思考停止を強いているように感じるからだ。
2025年09月06日
コメント(0)
テレビのクイズ番組を観ていると、回答が人名の場合に「〇〇〇〇さん」とさん付けで回答するのをよく聞く。昔はほとんどつけてなかったような気がするし、このところ急に増えてきたような印象もある。そんなことが背景にあるのか、先日ネット上のとあるコミュニティで、「クイズの回答が人名の場合にさん付けするべきか?」といった問いかけがなされていた。そしてその回答としては「現在存命中の人にはさん付けした方がいい」というのが多数を占めていた。もちろんテレビ番組などのようなオープンの場と、仲間内でやってるようなクローズドの場とではまったく事情が違うだろうが、私は単純に「めんどくさい世の中になったな」と感じた。さん付けをすることが多くなった背景には、クイズ番組自体の変化があると思う。最近はいわゆる「視聴者参加番組」が減って、回答者が芸能人ばかりになってきた。回答者が芸能人だと、クイズの回答が同じ芸能人だった場合、先輩後輩の関係も関係して呼び捨てにしづらい状況が生まれる。そしてそれが一般の回答者にも伝染する。それに加えて今は何かと「無難にやり過ごす」ことがスタンダードな時代だ。呼び捨てにすることでどこかから批判を受けるよりは、さん付けにしておいた方が無難だ、という思考になってしまうのも無理からぬことかもしれない。でもクイズの答えは答えでしかない。「クリープ現象」も「ラムサール条約」も「桑田佳祐」も「御成敗式目」も等しくクイズの回答なのだ。この中で「桑田佳祐」にだけさん付けする必要があるんだろうか? もちろん目の前に当の本人がいる場合はこの限りではないが、そんな状況はまずないだろう。基本的にさん付けしようがしまいが、回答者が好きにすればいいだけのことだ。しかしヘンな忖度が一般化して、単純に「さん付けしないのは非常識」という状況になってしまうのだけは勘弁してもらいたいと思う。
2025年08月19日
コメント(0)
再来年2027年からセ・リーグでもDH制が採用されることが決まった。元々私はDH制があまり好きではなかった。というのもたまに見られる投手のヒットやホームランが、意外性という要素も相まってワクワクさせられたからだ。そんな気持ちは今でも変わらないが、他にいろいろと不都合があることにも気が付いてきた。たとえば投手が出塁してスコアリングポジションまで進んだとする。次の打者がタイムリーヒットや犠牲フライを放った時、本塁突入が微妙なタイミングだと、普通の野手なら突っ込ませるところを、投手だと大事を取って留まらせることになる。そう、要は投手がランナーだと走塁のダイナミズムが損なわれるのだ。あとは前から言われていることだが、打順が来た時にどうしても代打を出す必要に迫られたために、好投していても降板せざるを得なくなることが往々にしてある。これが無くなることは投手には好結果をもたらすだろう。そういうわけで私は今回の決定には大賛成だ。ただ欲を言えばMLBで採用されている「大谷ルール」も認めてほしいと思う。投手といえどもその打撃も見てみたい、と思える選手は少なからずいるからだ。
2025年08月05日
コメント(0)
ヒトラー率いる「ナチ党」が世界史上類を見ない最悪の政党であったことは、今さら誰も否定することの無い事実かと思う。ただその成立と伸長がまったく正当なものであったことも確かなことだ。「ナチ党」こと「国民社会主義ドイツ労働者党」が成立したのは、第1次世界大戦直後の1920年。ドイツは前年に制定・施行された「ヴァイマル憲法」下にあり、「ナチ党」もこの流れの中で合法的に成立した。しかしドイツは当時、第1次世界大戦敗北による多額の賠償金により経済は困窮し、民衆の中には不満が渦巻いていた。そんな中で、「民族主義」「反ブルジョワジー」などといったスローガンを掲げた「ナチ党」が疲弊した民衆の心をつかんだ。折りしも世界恐慌によってアメリカからの資金調達が困難になるに至り、民衆の社会不安を背景に「ナチ党」がどんどんと支持を伸ばし、ついには第1党にのし上がった。そして党首であるヒトラーが首相に就任し、「反ユダヤ」を旗印にして未曽有のホロコーストに及んだことは誰もが知るところだ。以上が「ナチ党」に対する私の認識だ。歴史学者ではないので間違っているところもあるかもしれないが、「当たらずとも遠からじ」くらいのつもりではいる。世界最悪の政党がこうした「社会不安」とか「排外主義」といった要素を背景にしてごく自然にのし上がってきた事実を考えると、今の日本で急激に支持を伸ばしている某政党についても、どうしても不安を隠しきれない。
2025年08月01日
コメント(0)
バナナマンの日村やタレントのLilico、そして元侍ジャパン監督の栗山英樹らがCMに出演している、スケッチャーズの「スリップ・インズ」。私も愛用している、と言いたいところだが、実際のところは某靴量販店の廉価の類似商品を使っている。それでもコンセプトは同じなので、特に問題は無かろうということであえて言わせてもらうが、これは世紀の大発明ではないか、と思っている。なんで今までこんな商品が無かったんだろう、とさえ思っている。以前のブログにも書いたが、私は仕事の都合上、商談と配送を両方担当することから、身につけるものもビジネスとカジュアルの中間的なスタイルにならざるを得ない。だから履くものもスニーカーとビジネスシューズの両方の要素を兼ねてないと都合が悪い。しかも配達先に、いちいち靴を脱いで上がらないといけないところが少なからずある。お座敷のある和食店なんかがそれに当たるが、そんなところでは両手に重い荷物を抱えたまま靴の着脱をしなくてはいけない。脱ぐ時は何とかなっても、履くときはやっかいだ。運ぶのが瓶モノだけにうっかりすると大怪我につながってしまう。本来靴紐は履くたびに結ぶのが常識だということは以前のブログで触れたが、我々の業務上そんなことはとてもやっていられない。そんな状況下で「スリップ・インズ」(の類似品)は救世主のような存在なのだ。何度も言うが、なんで今までこんな商品が無かったんだろう?
2025年07月25日
コメント(0)
最近どうも明け方に目覚めることが多くなった。それだけなら何てことも無いのだが、その後がどうもなかなか寝付けない。寝苦しい、というのではなく、寝付けないのである。以前ならそんなことはほとんどなかったのだが...。私は昔から朝に弱い、ということを強く自覚しているので、年寄りになると早起きになる、という世間一般の言説に接しても、自分は絶対そんな老人にはならないだろうな、と強く思っていた。ところが現実はこんなところから少しずつ違う顔をのぞかせ始めているのかもしれない。
2025年07月22日
コメント(0)
先日、大坂・関西万博に行ってきた。日帰りで時間も限られていたので、見られるものは限られている。かといって見たいと思っているものが見られるとは到底思えない。私も不勉強だったが、パビリオンの予約が何段階にも分かれており、達人はそれをうまく使いこなしているようだ。でも事前予約が上手くできなかったことで、開き直って行き当たりばったりでいいじゃないか、という気にもなった。かくしてほぼノープランで行くことになった。万博は大まかに分けて「テーマ館」「企業館」「海外パビリオン」に分かれていると思うが、私が興味があるのは圧倒的に「海外パビリオン」だ。そういうわけで当日は、唯一事前予約が取れた某企業館を除き、すべて海外パビリオンを巡ることにした。私が海外パビリオンにこだわるのは、滅多に海外旅行に行けない身にとって、海外の国々に関する知見を得るのに絶好の機会だからだ。確かに「テーマ館」や「企業館」の展示も興味深いのだろうが、海外の国々への憧憬に比べれば今一歩遅れを取ってしまう。そういうわけで当日は海外パビリオンばかり7か所廻った(何ヵ国かが同居している「コモンズ」にも2か所行ったが、それは除外)。もっとたくさん廻りたかったが、すでに120分以上の待ち時間だとか、そもそも入場打ち切りだとか、そういう所が多くなかなか行きたいと思ったところには行けなかった。さてそういうことで私は7か所の海外パビリオンを回ったわけだが、当然のごとくそれぞれ違う。ただひとつ思ったのは、その国が今こんなことに取り組んでいてこんな成果を上げている、ということをアピールしているものと、その国はこんなところですよというありのままの姿をアピールしているているものの、ふたつに大きく分かれるということだ。ただ私としては海外パビリオンの価値は、その国に行ったような気になれるかどうか、というところに集約されるので、前者のようにその国がいまどういうことに取り組んでいるとか、そういうことにはあまり関心がない。むしろ後者のように「ウチはこんな国なんですよ~!来てくださ~い!」とアピールしている方がずっと興味がある。そんな私が今回最も好感を持ったのは「インドネシア館」だった。当初まったく計画に無く、陽も暮れて夕食も済ませ、水上ショーを待つ間の暇つぶしをしようと考えていた時にさしたる期待もなく入った所だったが、これが思いのほか良かった。インドネシアの“今”を奇をてらうことなくありのままに見せてくれたように思えた。何よりスタッフが皆カタコトの日本語で一生懸命応対しようとしていた姿が何とも健気で好感が持てた。何ならもう一度足を運びたい、とも思えた大阪・関西万博だったが、たぶん2回目はないだろう。ディスっているわけではなく、金銭的な事情と、今後の気象条件を勘案してのことだ。私が行った日は曇り空で暑くも寒くもなく、こういった場所で長時間屋外に居るには理想的な環境だったが、おそらくこれ以降は梅雨だとか猛暑だとかで大変な状況になるのは目に見えているからだ。
2025年06月12日
コメント(0)
実はあまり褒められたことではないが、私は今までクルマの運転をする時、「一時停止」の表示のある個所できちんと静止したことがなかった。もちろんそういうところを止まることなく通るということではなく、停止しないまでもなくゆっくりと用心しながら通っていた、ということだ。ただ最近、ある動画を見たことがきっかけになって、一時停止できちんと止まろうという気になった。免許更新の時に見せられるようないわゆる啓発ビデオだったが、なんだかそれが妙に心に刺さったのだ。それくらい衝撃的なものだったのだ。そういうわけで一時停止できっちり止まるようになって2週間ほど経過したが、この間に「一時停止していなかったら絶対に危なかった」であろうシーンが2度ほどあった。今までのパターンだったらかなりヒヤッとしていただろうな、というレベルだ。きちんと一時停止していて良かった、と心から思った。単なる偶然かもしれないが、「一時停止、侮るべからず」と再認識した次第だ。
2025年05月15日
コメント(0)
オリンピックとか万博といった「国家的イベント」には常に賛否が付きまとう。今回の「大阪・関西万博」でも誘致の過程ではかなりの反対の声が上がったし、それを後押しするような報道も少なくなかった。そして実際に開幕となった今、メディアが一斉にお祭りムードの礼賛姿勢になっていることに批判的な声が上がっている。あの時あんなに反対していたのに今さら「手のひらを返したように」...という感じで。個人的にはイベントを誘致するかどうかの姿勢を後々まで貫け、という方が無理筋かと思っている。例えば私自身は東京2020オリンピックの誘致には反対だった。当時東北の復興がまだ道半ばだったことと、基本的に未開催の都市が優先されるべきだという見解があったからだ。しかしその思いとは裏腹に東京での開催が決まった。そこで私が思ったのは、「決まったものをとやかく言うのはやめよう」ということだった。開催が決まった以上、なんとしても成功してもらわないといけない、とも思った(そのあたりは以前のブログにも書いた)。ただあの時も、選手の頑張りを報じるマスコミに対して、「あんなに批判していたくせに」といった論調も少なくなかったと記憶している。それはそれ、あれはあれ、でいいじゃないか、と思ったものだが、どうも世の中、画一的な二元論に陥る人が多いと見える。オリンピックにしろ万博にしろ、「賛成派」と「反対派」は常に対立していなければいけないと思っているんだろう。すると誘致に反対した人が会場に足を運ぶなんてとんでもない、とでも思っているんだろうか?開催が決まったらお互い「ノーサイド」でいいじゃないか。互いに足を引っ張り合うのではなく、成功に向けて力を合わせる、ということに注力すべきだと思う。ただもちろんその裏で不適切な行為が行われないように監視するのももちろんだが。とはいうものの反対派も反対派でそれに固執しすぎるのは困ったものだ。わざわざ万博会場まで赴いてゲート前で「万博反対」を訴える某政党など、ハッキリ言ってどうかしてる。万博を楽しみに来ている人たちにそんな主張をしても何も響くはずはないのは明白なのに...単に目立ちたいだけとしか言いようがない。
2025年04月19日
コメント(0)
ウチの店ではクレジットカード決済を行っているが、今どきはほとんどが「タッチでピッ!」とするタイプだ。しかし今日来られたとあるお客さんはそのタイプのカードではなかったので、カードリーダーに差して暗証番号を入力するという、従来からの方法で決済した。ところがこともあろうか、そのカードをお客さんにお返しするのを忘れてしまったのだ。さあ、困った! 馴染みのお客さんで連絡先が分かっていれば問題ないのだが、その方はおそらく数回目くらいのご来店で、素性は全く分からない。その方が紛失に気付いて当店に問い合わせてくるかもしれないとも思ったが、気が付くのが果たしていつになるのかもわからない。それまで放っておいていいものか...。一計を案じた私はカード会社に連絡をした。事情をイチから説明しどうするべきか相談した。するとカード会社の窓口の人は「こちらからその方に連絡を入れて、お宅の店で保管している旨をお知らせいたしましょう」と言った。私もそれがベストだと思った。しかし次の一言に私はちょっと戸惑ってしまった。「とりあえずカードは一度止めますので、お客様には再発行の手続きを取っていただきます。」いや、紛失とかではなく、目の前にあるんだよ...、お客さんが来るまで責任もって保管していれば、問題ないじゃん...、もしかしてウチの店信用されてないの?そんな感じで抗弁したが、窓口嬢曰く「いえ、そういうわけではなくあくまでも規則として、カードがお客様の元から離れたと分かった段階で即座にお止めしなければならないんです」とあまりにも杓子定規な返事。まあ彼女も会社の内規に背くわけにはいかないのは解かってはいるのだが、私もお客さんにカードを返し忘れたのは自分の責任であって、何の咎もないお客さんに面倒な再発行の手続きを取らせるわけにはいかない、という思いから何度も食い下がった。で、とりあえず上司に相談するということで電話を置いた。果たして30分後くらいにカード会社から電話がかかってきた。窓口嬢曰く「お客様に連絡を取って、そちらのお店に取りに行って頂くことになりました。再発行の件に関してはご了解いただきました。もちろんリカーマンさんがそれを申し訳なく思っていらっしゃるということはお伝えいたしました」とのこと。話がすっ飛んでしまったことには多少憤慨したが、とりあえずこういう展開になってしまった以上、このまま飲むしかない。数時間後、件のお客さんはやってきた。こちらも平身低頭謝罪したが、その方もその方で、自分が受け取るのを忘れたのがそもそも悪いのだと仰って、かえって恐縮してしまった。かくしてこの件は片付いたわけだが、何となくモヤモヤしたままだ。カード会社の対応は如何にも杓子定規だと感じたが、まあ私がその立場であれば何の疑問もなくそうするだろうし、これ以上とやかく言うわけにもいくまい。
2025年04月11日
コメント(0)
店で商売をしている以上、支払い時に大きい札を出してくるお客は一定数いる。ただその一方で細かくキッチリ出してくれる人もいる。この両者のバランスが取れていることが理想的ではあるが、現実にはそうはいかないのが何とももどかしい。当店の売れ筋である商品は、単価がだいたい1,000~2,000円台だ。キッチリ出してくれる人はいるが、いきなり大きいお札を出してくる人も多い。ただその時に出てくるのは得てして5,000円札ではなくて10,000円札だったりする。だからお釣りとして5,000円札を出さざるを得ない。この状況が続けば、当店からは5,000円札が流出するばかりとなってしまう。かくして当店では慢性的に5,000円札が不足している。しかしこれは何も当店だけの状況というわけでもあるまい。全国各地の商店が同じような悩みを抱えている、ということも想像できる。だとしたら、5000円札というのはいったいどこに流れているのか...?
2025年04月09日
コメント(0)
NHK-BSで時々放送されている「街角ピアノ」「空港ピアノ」「駅ピアノ」といった一連の番組が好きだ。わざわざ録画してまで観ようというわけではないが、たまたまチャンネルを回した時に放送されていれば、思わず時間を忘れて見入ってしまう。そんな私と同じように思っている人はきっと多いだろう。中には自分が経営している何かしらの空間でぜひやってみたい、と考える人も多いと思う。ちょうど高級ホテルのラウンジでピアニストによるピアノ演奏が流れているが如く。ただ先に挙げたBS番組、収録である以上、かなりの編集はされていると見るべきだろう。オンエアではいい感じに収まっているが、おそらく現場ではいい加減な演奏をする輩もいるかもしれない。パッと見では想像できないが、冷静に考えてみれば酷い状況が現実としてあるのかもしれない。そういった「現実」(見てないから何とも言えないが)を見ずして、理想を頭に置いただけの状況では、そりゃギャップも生まれるよね。でもそれを「現実」として受け入れないと、あえてやる資格はないとも思えるんだが。
2025年03月26日
コメント(0)
先日クルマの運転中、ちょっとヒヤッとした出来事があった。交差点の赤信号で停止した時のこと。ちょうど私が停止した左隣(歩道脇)にハザードランプを点けて路駐していたクルマがあった。具体的には私のクルマより少しだけ前方、という位置だった。そしていざ信号が青に変わり、前のクルマに続いて私が前進しようとしたその時、私の左で停車していたそのクルマがいきなり私の前方に割り込んできた。思わずぶつかりそうになり慌てて急ブレーキをかけたが、そのクルマはそのまま行ってしまった。直後は「いきなり飛び出してきやがって!」と私はいきり立ったが、後で冷静になってみると、こういう可能性もあるなと思えてきた。私が停車中に、そのクルマがハザードから右指示器に切り替えたということが。私の位置からでは、件のクルマがハザードから右指示器に切り替えたとしても、まったく同じように見えるからとても気が付かない。ただ私自身も身に覚えがあるが、駐車している状態から発信しようとするときには、「①まず右方向指示器を出し、②ハザードランプを消す」という手順を取りがちだ。というか、それを体が覚えてしまっているフシもある。ということは、私自身も過去に同じようなケースの逆の立場で、他のクルマに迷惑を掛けていた可能性もあるということになる。それなら自身も対策を取る必要がある。ということでこれからは、ハザードを点けて駐車している状態から発進する際には...①まずハザードを消して②それからおもむろに右指示器を出すということを徹底しようと思った。
2025年03月11日
コメント(0)
自宅のブルーレイレコーダーが壊れてしまったので、先日新しいのを買いに出かけた。とりあえず現在使っているものと同じメーカーで、ほぼ同レベルのスペックのものが使いやすいだろうと下調べをしていたので、購入するものはほぼ決まっている。その上で近所にあるA店とB店の2店を見て回った。どちらも似たような価格だろうなとは予想していたものの、これが全くピッタリ同じ価格だったのだ。そうだろう、今どきは「他店よりもお安く」と標榜し合う状況下での商戦だ、行きつくところは同価格ということか、ということなのだろうと理解した。ただ私はB店のアプリを取得していて、そこに出ているクーポンを使えば「50,000円以上のお買い物で5,000円引き」となるので、迷わずB店を選んだ。しかしいざ会計の段になると「このクーポンは使えません」という無常の通告。店員も申し訳なさそうに指し示した私のアプリを改めてみると、「指定価格商品は対象外です」との文言が確かにあった。店員曰く、「すいません、このメーカーは一切値引きしないということになっているので、このクーポンも使えないんです」とのこと。もちろんそこで異議を唱えることもなく、納得して定価で支払っていった。私としては別にどうとは思わないが、これって以前なら「ヤミ再販」とか「価格カルテル」などという言い方で公取に目を付けられていたやつじゃなかったっけ?時代は変わったってことなのかな?
2025年02月27日
コメント(0)
年賀状じまいのことについてはまだまだ思うところがある。私自身は年賀状じまいなどする気は今のところない。ただ仕事上取引のある業者やお店とやり取りするものについては、「年賀状じまい」などという言葉が出てくるずっと前から虚礼そのものだと思っていたから、ここから先はあくまでプライベートでの年賀状についての話だ。なぜみんな年賀状じまいをしたがるのか? これは毎年年賀状のやり取りを楽しみにしている私にとってひとつの疑問だった。考えられることをざっと挙げてみると...①以前から年賀状を面倒だと思っていたから②郵便料金が上がったから③SNSでの代替が可能だから④年賀状じまいがある種ブームになってきたからこんなところだろうか。①の場合はもうやむを得ない。ただあとの3つについては、私の感覚とはあまりにかけ離れている。もっともだからと言って否定するわけではない。②に関しては、1枚22円だからこれは確かに大きい。とはいえ所詮1年に1回だ。100枚出したとて2,200円。これを高いと見るか安いと見るかは見解が分かれるかもしれないが、私としては年賀状自体をやめるきっかけになるレベルではない。出す相手を絞って枚数を減らすくらいのことはするが、全廃までは考えない。③に関しては、正直その手法がよく分からない。例えばインスタ・X・フェイスブック・LINEグループなどへの投稿で一斉におめでとうと言うのか、あるいは個別にDMするのか。いずれにしてもその場限りという感覚は拭えないのでちょっと寂しい気もするし、個別DMだとかえって面倒ではないだろうか。④に関しては、たぶん複合的な要因の一部だとは思うが、これだけの理由だとしたらあまりにも安易だと思う。まあ以上が裏を返せば、私が年賀状じまいをしない理由にもなる。そもそも正月に年賀状をもらうことをこの上なく楽しみにしているので、もらう以上はこちらから出す、という当たり前の理屈だ。もうひとつ、「年賀状だけでつながっている人」という存在が年賀状じまいによってなくなってしまうことも悲しい。知り合いの皆が皆SNSをやってるわけではないから。もっとも何度も言うように、これはあくまで私の感覚であって、年賀状じまいをする人を否定したりするものではまったくないので、そこは念のため。
2025年02月04日
コメント(0)
今年も配達された年賀状の中に、いわゆる「年賀状じまい」を告げるものが何通かあった。郵便料金も上がったことだし、なんとなく察しは付いてはいたが...。年賀状を排する流れはごく自然のことだと理解している。ただ年賀状でそれを宣言するのは、個人的にはなんだかなぁと思ってしまう。新年を寿いでいい気分になったところで、その直後にネガティブな話を聞かされるのは、あまり気分のいいものではない。どうせやるなら喪中ハガキと同じように、年末に済ませてしまった方がよくはないか?
2025年01月07日
コメント(0)
初夢から3夜連続で同じような夢を見た。状況は各々別なのだが、いずれも仕事上で(夢の中ではサラリーマンになっている)ヘマをやらかしてしまい、明日眼が覚めたら朝一でああしなきゃこうしなきゃ...と頭を抱えているといったストーリーだ。で、実際朝起きたら何事もなく、夢だと気付いてホッとしている。これは何かを暗示しているんだろうか?
2025年01月04日
コメント(0)
「飲食店で料理の写真を撮るのはマナー違反だ」「飲食店で料理の写真を撮る時は店の許可を得ないといけない」このようなことがよくネットなどで言われている。でも私は「なんでそんなめんどくさいことを言うんだろ?」と思ってしまう。飲食店の料理というのはお客の前に出された瞬間に「公開」されると考えているから、それをどうしようが文句言われる筋合いはないのではないか、というのが私の見解だ。まあ自分の見解ばかり言っていてもしょうがない。ここはひとつ飲食店側の立場にも立ってみよう。そもそもすべての飲食店の方々が写真を撮られるのを嫌がっているとは到底思えないが、嫌がる理由をとりあえずいろいろ考えてみた。①料理をおいしいうちに食べてほしいから。...これについてはネットなどでよく指摘されていることだが、写真を撮るといったってせいぜい10秒かそこらだと思うので、さすがにこれは的外れではないだろうか。あまりに食べ始めるのが遅い人がいれば、写真のためかどうかに関係なくその観点で注意すればいい。②他のお客が映りこむと迷惑が掛かるから。...そもそも料理単体の写真を撮ることと他のお客が映りこむようなアングルの写真を撮ることは同一とは考えにくいから、料理の写真を拒む理由にはならない。③自分の料理に自信が持てず恥ずかしいから。...そんなことなら飲食店やめてください(笑)④そもそもそういう風潮が嫌いだから。...嫌いかどうかはアナタの考え方の問題なので、それを客に押し付けるべきではない。⑤写真を撮る行為が他のお客に不快に映るかもしれないから。...これは確かにあるかもしれない。特に高級で格式ばったお店では配慮が必要だろう。ただそうでもないお店でよほど他のお客に目に見えて迷惑が及ばないのであれば、それは許容範囲内かと思う。⑥SNSで拡散されたくないから。...結局はここに集約されると思う。それに関しては理解できる。ただそれを望むなら「写真撮影そのもの」というよりは「SNSにアップするのはご遠慮ください」とアナウンスするべきではないか。私は外食した時はほぼ毎回料理の写真を撮っている。SNSへの投稿はまったくしないわけではないが、あくまでも仲間内でつくるグループ程度の範囲であって、グルメサイトみたいなところには一切投稿しないし、ネガティブな感想を持った時には仲間内にすら公開しない。私が写真を撮るのはあくまでも自身の記憶の補助のためだ。携帯カメラが今ほど普及していなかった頃には、美味しいものを食べても記憶にとどめておく術がなかったが、今は撮り溜めた料理の写真を見ながら「あれは美味しかったなぁ、また食べに行きたいなぁ」と振り返ることも多い。また他人との会話の中で食事の話題になった時、過去に撮った写真を見せて「これが旨かったんだよ!」と話題を共有することもある。こういうのは料理人にとってもマイナスではないだろう(これ以上お客が増えたら困る、という繁盛店は別として)。そう考えると冒頭に出した「マナー」っていったい何なんだろう?誰が何のために作ったんだろう?あえて乱暴な言い方をさせてもらえば、いわゆる「マナー講師」的な方々が「事なかれ主義」を貫いた結果ではないかと思う。マナーのプロフェッショナルとしては社会的に新しい事象が起きれば対応しなければいけない。ただそれは得てして社会的に確立しているとは言い難い案件であり、だからこそ講師ごとに振れ幅が生じたり、講師の主観も大きく影響してくる可能性もある。翻って今のご時世、何か言えば“叩かれる”ことも多い。それゆえに誰もが発言には気を遣っている。ここから先は憶測でしかないが、マナー講師にしても同じではないだろうか。仮に私がマナー講師なら、「誰が実践しても誰にも迷惑が掛からないような」無難なマナーを提唱することだろう。これまでに存在しなかったマナー、それを論じるなら「無難」にまとめるのに越したことはない。しかし今のご時世、ある種の「権威」的な人が言うことは既成事実として独り歩きしやすいのも事実だ。例えば西欧料理のテーブルマナーとか、各種宗教の礼拝時のマナーなどのように、歴史あるマナーというのはその長さゆえに普遍性を持ち合わせていると言える。しかし今話題にしている「飲食店の料理の撮影」なんてのはここ数年のことであって普遍性もくそもない。だからそんな「無難な」マナーなら誰かが言ったことがそのままスタンダードになってしまう危険性もある。そう考えたら、受け取る方も話半分くらいの気持ちで聞き流した方がいいんじゃないだろうか?
2024年12月18日
コメント(0)
現在世界野球「プレミア12」が開催されているが、TBS系列でのその中継を見ていると、画面上に様々な野球用語の解説が掲載される。専門的な「申告敬遠」「ピッチクロック」とか、変化球の種類である「ツーシーム」「スプリット」などはともかくとして、ごく基本的な「送りバント」「犠牲フライ」とか、日頃何となく使っている「引っ張る」「逆方向」みたいなワードまで、事細かに解説している。とりあえずこれを見て感じるのは、こんな当たり前の用語まで解説されなければいけないのか、ということと、ひいては野球が一般的に身近なスポーツではなくなってきたのだな、ということである。そういえば私のムスメが中学生だった時の話。体育の授業でソフトボールをやる機会があったそうだ。ところがいざフタを開けてみると、女子はともかく男子でもルールを知っている者があまりにも少なかったそうだ。私のムスメはソフトボール部だったから、何人もの男子に対してルールの説明をしたそうだ。私ら世代の子供の頃は、男の子は野球のルールくらいは知ってて当たり前、という感じだったから、隔世の感がある。もっとも我々世代の子供の頃と今とでは、環境があまりにも違い過ぎるから仕方がない。私たちが子供だった70年代は、ゴールデンタイムには当たり前のようにナイター中継があって、子供が野球に親しむ機会も多かった。その延長で公園や校庭で見様見真似で野球のまねごとをやっていた。だから全く違う状況下での比較をすること自体、無理がある。とはいえ、今の子にも野球に親しんでもらいたい、とは思う。スポーツの多様化によって、サッカーをはじめとするほかのスポーツにパイを奪われている現実もあるだろうが、「野球って本当に面白いスポーツだ」ということを分かってほしいと思う。ただその一方で他の球技に比べてルールが複雑だという点は否めない。たぶん何のスポーツのことも知らない人種にイチからルールを教えようと思ったら、サッカーやバレーボールなどに比べるとかなり骨が折れることだろう。他の球技と野球との決定的な相違点。それは「点の入り方」だろう。サッカーをはじめとするほとんどの球技は、「あるエリアにボールが入る、もしくは通過する」ことにより点が入るというシンプルなものだが、野球はボールがどこに飛ぼうが入ろうが関係なく、あくまでも「プレイヤーがホームベースに還る」ことで得点となる。複雑だがそれだけにゲーム性は格段に飛躍する。ややこしくてとっつきにくいかもしれないが、そんなところを堪能してもらえばきっと好きになってもらえると思うのだが。
2024年11月22日
コメント(0)
私が考える国会の、最も理想的でプリミティブな形態はこうだ。各選挙区から選出された国会議員が一堂に会する。政党は無し、としよう。首班指名選挙で選ばれた首相が組閣をする。政党は無いから適材適所で任命する。国会が始まったらひとつひとつの法案に関して、議員各々の立場で議論する。もちろん質問通告など無い、丁々発止の議論だ。そして採決の際には、政党は無いわけだから党議拘束もない。議員各々で判断する。つまりすべてが「是々非々」ということになる。もちろん現状を鑑みれば、こんなことは夢物語でしかないだろう。しかし与党が過半数を取っていればなんでもフリーパスで決まってしまう、という状況も決して健全ではない。政権交代というのも今の日本では現実的になかなか厳しい...そんな中での今回の衆院選だ。期せずして国民民主党がキャスティングボードを握る状況が訪れた。別に私は彼の党の支持者ではないが、国会に「是々非々」を持ち込む存在としてうまく立ち回ってくれれば、という期待はしている。そんな状況はここ数年なかったことで、それだけで国会に緊張が走ることにも期待するからだ。もちろん多くの人が危惧しているような、「そのまま与党入り」という展開にならなければ、の話だが。ところでここへきて国民民主党の党首の不倫問題がクローズアップされている。もとより私は政治家のみならず、芸能人、知識人、その他の著名人の不倫が、すべからく社会的制裁を受けることを残念に思っている。もちろん私自身、不倫を肯定するわけではないが、これはあくまで当事者間の問題であって、部外者がどうこう言う問題ではないと思っている。だから国家の行く末に関わる局面で不倫ごときの些末な問題が足を引っ張り、党自体が沈んでいくことにでもなれば、それは適切だとは思えない。個人にペナルティが与えられるだけで充分である。
2024年11月13日
コメント(0)
ドナルド・トランプが大統領選で勝利を確実なものとした。前回(2016年)の時もそうだったが、私の周りではどちらかといえば否定的な声が大きい。「なんであんな奴が...」といったところだ。これはおそらく私の周りだけが特別なのではなく、日本全土見回しても同じような状況だと思われる。そう、日本人は(皆が皆とは言わないが)トランプが(たぶん)好きではないのだ。しかしアメリカ人はトランプを選んだ。選挙制度のあやというのもあるかもしれないが、とにかく彼の国の民意だから外野がとやかく言うことではない。しかしこれが日本の選挙だったらまずトランプは当選しないだろう、という予測は立つ。では日本とアメリカは何がどう違うのか? 気になったのでいろいろ考えてみた。①共和党の支持基盤の強固さトランプが好きだろうが嫌いだろうが、そんなことはどうでもいい、とにかく共和党しか支持しない、という岩盤層が一定数いるということ。日本でも同じように(誰が総裁でも)とにかく自民党に入れる、という人は多いだろう。②それはそれ、これはこれなんだかんだと悪評高い人でも、自分が一番何とかしてほしいと思っている課題を解決してくれる人が自分にとって最優先である、という人が多いのだろう。③道徳意識の違いあまり声高に言うと「民度」とかいう謎のワードで断罪されかねないのでちょっと気が引けるが、日本人は道徳的にダメとの烙印を押された人は社会的に抹殺されかねないのに対し、アメリカ人の方が寛容なのかもしれない。まあこれは②とも関連することだろう。④自国主義の強さ世界のことなどどうでもいい、とにかくアメリカだけでもなんとかしてくれ、という人が多いのだろう。もっともこれは責められるべきものではない。世界的視点で忖度することが自らの生活に優先すると思うのは自然ではない。まあ所詮他国のリーダー選びだから、と言ってしまえばそれまでだが、これがことアメリカだけに日本に及ぶ影響も少なくない。ここはひとつ冷静に今後の動向を見守りたいと思う。
2024年11月06日
コメント(0)
現在横浜DeNAベイスターズと福岡ソフトバンクホークスの間で日本シリーズが行われている。私は「アンチ巨人」なのだが、それでも日本シリーズにはリーグ優勝したジャイアンツが出るべきだったと、今でも思っている。そこんとこだけは決してブレない。
2024年10月30日
コメント(0)
かつてウチの店を袖にしたとある飲食チェーンが、このところ不祥事続きでネットでぶっ叩かれているのをみて、思わず「ざまあみやがれ」とほくそ笑んでいる。すみません、所詮私は心の狭い人間です。
2024年10月24日
コメント(0)
先日NHK総合テレビで『おいしいトコどり! 朝ドラ名場面スペシャル』という特番が放映されていた。朝の連続テレビ小説の数多の作品の中で、特に「食」にフォーカスした作品の名場面をいろいろ集めて、スタジオの出演者で盛り上げていこうという趣向の番組だ。NHKの朝ドラの中で「食」にクローズアップしたものはいろいろあれど、私個人的に最も印象深かったのは2013年の『ごちそうさん』だ。フードスタイリストとして活躍目覚ましい飯島奈美さんが全面的にかかわったこの作品は、全編を通して「食」への愛にあふれた、素晴らしい作品だった。おそらく他の視聴者の方の多くも、同じ期待をしていたことだろう。ところが、というか、やっぱり、という感じで、この作品はカケラも登場しなかった。理由は言うまでもない。この作品の主演の杏の夫役にして、その後リアルでも夫婦になった東出昌大が不倫騒動を起こし杏とも離婚し、世間から総スカンを食らったからだ。コンプライアンスに敏感はNHKとしては、彼の出ているドラマを流すのはさすがに憚られるだろう。なんせ準主役だけに、カットのしようがない。しかしながらそんなしょうもない理由で(一般論として)「名作」と誉れ高い作品がお蔵入りになっていいモノなのか?NHKとしてはこの作品を放映することで、過敏な視聴者からクレームが来ることを恐れているのだろう。それは分からないでもないが、それと同程度、いやもしかするとそれ以上にこの作品を観たいという声は多いかもしれない。そういう声は無視されてもいいのか?これが例えば傷害・殺人事件のような、社会的な衝撃が大きい事件ならハナシは別だと思うが、たかだか不倫ではないか(不倫を正当化するわけではありません)。テレビの向こうの視聴者としてはいい気はしないだろうが、少なくとも迷惑は被っていないはず。不倫を毛嫌いする人たちが「観たい」と思う人たちの権利まで奪う道理があるはずはない、と思うのだが。
2024年10月10日
コメント(0)
新幹線のスマートEX、もうすっかり定着していて、私の子供らもそれぞれ関東に住んでいる(or住んでいた)こともあり日常的に使用している。なので存在自体は知っていたものの、私自身めったに新幹線に乗る機会もないので、今までまったく縁のないものだと思っていた。しかし便利なものならとりあえず試してみようということで、先日初めて登録してみた。そして先日、たまたま妻と一緒に関東方面に出かける機会があったので、早速出番が来た。乗るべき列車の予約もスイスイとスムーズに進んでいって、後は当日改札を通るのみとなった。そして当日、なにがしかの不安に苛まれながらもICカードで新幹線改札を通ろうとしたら....まさかのエラー!とりあえず近くにいた駅員に状況を説明し、彼の言うままにスマホのスマートEXアプリを動かそうとするも....まさかのログイン失敗!乗るべき新幹線の発車まであと数分....という状況で焦りまくっている中、なんとかFaceIDでログインすることができ、駅員の言うままにアプリを操作していったら、エラーの原因が分かった。紐付けするべきICカードの登録をアプリ自体にはしていたものの、実は利用する列車ごとにしなくてはいけないとのことだったのだ。なんとかその場で紐付け作業を終わらせ、発車1分前にようやくホームに上がることができた。利用するたびに紐付けしないといけない、ということを知らなかったのは確かに私の責任だが、そのような記述を見たような気もしなかったし、同じようなケースで列車に乗れなかったという人もそれなりにいそうな気がする。そんな時に救済措置などあればとも思うが、そういうわけにもいくまい。つくづくITとは自己責任の世界だなと思った次第。
2024年10月03日
コメント(0)
私はどうも昔から新幹線があまり好きではない。特に急ぐ必要のない時以外は、あまり利用する気になれない。自分でもそのモヤモヤした気持ちの正体がよく分からないままでいたのだが、先日新幹線に乗った時に「そうか!これか!」と図らずもそれが解明した。新幹線って、圧倒的に窓が小さいのだ。普通の車両だと(ロングシートは除外するとして)、一般的に2列分にひとつの窓が宛がわれているが、新幹線は1列にひとつなので、相対的に窓が小さくならざるを得ない。当然視界も狭まる。とにかく列車に乗ったら外の眺望を楽しみたい私にとって、窓の小ささはストレスにつながる。よって私は新幹線が苦手なのだ。あれはただ移動するだけの道具と割り切った方がいいシロモノだと思う。
2024年09月27日
コメント(0)
このところ自民党の総裁選挙や立憲民主党の代表選挙がメディアで盛り上がってきている。ただなんでどの社もそこまで懸命に報道しようとするのかよく分からない。どんなに盛り上げたところで、我々有権者には全くどうすることもできないことなのだが....
2024年09月10日
コメント(0)
またまた高校野球ネタで恐縮だが...近年の未曽有の酷暑を鑑みて、ここ数年の甲子園大会では様々な施策が行われている。準々決勝以降で日程を空けるべく休養日を設けるとか、延長戦にタイブレークを導入するするとか、5回終了時に10分間のクーリングタイムを設けるとか、午前と夕方の2部制にして気温ピークの時間帯の試合を避けるとか(3日間だけだったが)...どれも一定の効果を上げているとは思うし、否定されるべきものではないと思う。また他にもドーム球場を使用するなどの案も出てきている。ただいずれも小手先の施策であって、本質はそこではないとも言いたい。私は甲子園大会よりもむしろ地方大会の方が好きで、テレビでもよく観戦している。そこでよく目にする光景は、選手が足をつるなど熱中症と思しき症状に見舞われるシーンだ。そしてそのたびに試合は中断する。場合によっては結構長時間になったりするが、これは甲子園大会だけ見ていてはお目にかかれない光景だ。もちろん地方大会においても暑さ対策としては様々な施策がとられているとは思うが、それでもこういった現実があるとすれば、これはもう「この時期に野球大会をやるべきではない」ということなのではないだろうか。甲子園に出場する球児よりも地方大会で散る球児の方がはるかに多い。しかし今は甲子園に出場する49×20=980人だけにスポットを当てた論議だけがなされているような気がしてならない。
2024年08月29日
コメント(0)
今年も夏の甲子園大会が行われている。開会式もテレビで観ていたが、直後の試合に出場する2チームを最後に入場させるなど新しい施策が見られたのが興味深かった。ただそんな中で毎年のように引っかかっていることが相変わらずであった。選手宣誓である。いつのころからか、選手宣誓は「宣誓」ではなく「スピーチ」になってしまったと感じる。別にどうでもいいじゃないか、と言われそうだが、物事の本質を踏み外してしまうことは「教育の場」としては看過できないことではないだろうか。ましてや今年は「大会会長挨拶」「文部科学大臣祝辞」などよりもはるかに長い2分40秒にも及んだと聞く。話を簡潔にまとめさせることも国語教育の重要な要素だろう。誤解のないように言っておきたいが、私は選手宣誓を行った選手個人を貶めるつもりは毛頭ない。むしろあれだけの大観衆の中で一言一句間違いなく話すことのプレッシャーはハンパないだろうし、それを考えたら称賛に価すると思う。要は方向性の問題で、これは誰の責任でもない。選手宣誓といえば、定型フレーズがある。「宣誓!私たち選手一同はスポーツマンシップにのっとり、正々堂々と戦うことを誓います!」昔のことはよく覚えてないが、かつてはずっとこんな感じだったと思う。それがいつのころからか、せっかくやるなら「独自色」を出したい、という流れが出てきた。その流れの中でたとえば英語を織り交ぜたりといった試みもあったと記憶している。そのうち宣誓フレーズに「感謝」といったワードが出始める。「家族や周りの人々」や「野球をやらせてもらえる環境」に感謝する宣誓が増えてきた。この流れを加速させたのが「阪神淡路」や「東日本」といった大震災だろう。野球をやりたくてもやれない球児の話を聞くにつけ、自分の境遇が如何に恵まれているかということを痛感するのだろう。さらに選手宣誓する選手はよりオリジナリティを求めだす。少なくとも昨年のものを上回りたい、くらいのことはみんな考えるだろうし、結果としていろんな要素をあれもこれもと詰め込んで、より長くなっていく。さらにこれは肝心なことだが、選手宣誓については皆が100%素晴らしいと称賛する。ケチをつける人はいない。だからこの流れで間違いないとみんな信じてしまうから、その結果さらに「スピーチ化」はエスカレートする。もっとも私自身は違和感を持つにせよ、聞いている人が皆これでいいと思うなら、私がとやかく言うことはない。ただこの流れはたぶん止まらないから、来年以降もエスカレートするだろう。臨界点を超えたところで、今まで称賛しかしてこなかった高校野球ファンやスポーツマスコミが止めることができるのだろうか?さらに言えば気になるところがもうひとつ。今回の宣誓でも触れられていたが、「自分たちのプレイが見ている人たちを元気づけたり夢を与えられるものでありたい」といった内容に言及することが多い点だ。これは宣誓のみならず、普段の選手へのインタビューでも頻繁に聞かれる。内容的に問題があるわけではないが、なんでそんなところまで選手が背負わなきゃいけないのか。これはマスコミの取り上げ方にも原因があるのかもしれない。選手達はみんな高校生、子どもだ(いま18歳で成人だが、それはそれ)。しかもスポーツは基本的に自己実現のためにやるものだ。世間のあれこれを背負う必要などない。ところがマスコミがいたずらに高校野球を美化するものだから、選手の側に変な義務感が芽生えてしまっているしか思えない。もっとも当の選手たちはもっとあっけらかんとしているのかもしれないが、それはそれで表の顔と裏の顔をとの使い分けが巧みだということだろう。いずれにしても選手達には他の誰かのためではなく「自分自身のため」に精一杯のプレイをしてもらいたいと願う。
2024年08月10日
コメント(0)
全2230件 (2230件中 1-50件目)