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2023.12.17
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カテゴリ: 神社仏閣・御朱印
長い参道を持つ武蔵一宮氷川神社、先に掲載した一ノ鳥居から三ノ鳥居の続きとなる今回は、神池畔に鎮座する氷川稲荷神社から氷川神社社殿を掲載します。
まずは、神橋の手前から左に伸びる参道の先に鎮座する氷川稲荷神社に向かいます。

新池南側の緑濃い杜のなかに、鮮やかな朱の奉納鳥居と幟が連なる稲荷神社が見えてきます。

石の明神鳥居をくぐると奉納鳥居が連なる朱のトンネル。

拝殿全景。
銅葺屋根の切妻平入で千鳥破風、唐破風向拝が付く。

いかにもいなりらしい佇まいの拝殿、その前には倉稲魂命の使い狐の姿がある。

拝殿から先の本殿には「右廻り一つ稲の丸」の紋幕と両脇にも稲を護る狐の姿が見える。

拝殿右脇の稲荷社。

脇参道から社殿眺める社殿全景。
拝殿から本殿を覆う覆屋は一体となり、本殿上の屋根には千木と3本の鰹木が施されており、覆屋の下には本殿以外に両脇に額が付けられた鳥居が見え、それらも含めて覆っているように見えます。
本殿正面の写真から両脇の鳥居を拡大すると右が「苑宮」、左が「震宮」と書かれているように見えますが、本殿の造りや覆屋の構造、由緒等の詳細は良く分からない。
氷川稲荷神社
創建 / 不明
祭神 / 倉稲魂命

氷川稲荷神社の向かい、神池に浮かぶ小島に鎮座する社が宗像神社。
まだ訪れた事はありませんが、福岡県の宗像市に鎮座する宗像大社を本宮とする宗像神社の一つで、三柱の女神を祀る神社。

木造の明神鳥居を構え、赤い神橋の先に本殿が祀られています。

神池の中ほどに建てられた本殿は一間社流造で、棟には5本の鰹木と外削ぎの千木が施されています。
祭神は宗像三女神の多起理比売命、市寸島比売命、田寸津比売命をお祀りします。

新池左側から眺める宗像神社全景、左の赤い橋が三ノ鳥居から楼門に続く神橋。
新池の水面に写り込む社の姿、紅葉や雪の時期には趣のある姿を見せてくれれるだろう。
この光景は江戸名所図会にも描かれています。
宗像神社
創建 / 不明
祭神 / 宗像三女神

写真は西駐車場から楼門へ続く参道に架けられた神橋。
その下を流れる細い流れは蛇の池から神池に注がれている。

神橋を渡り楼門に向かう参道沿いに龍が描かれた水盤。

楼門前の手水舎。

荘厳な佇まいの楼門、左右の廻廊は社殿域を囲い楼門に繋がる。
江戸名所図会が描かれた当時にはこの廻廊や楼門は描かれておらず、HPの年表によれば現在の本殿・拝殿・舞殿・幣殿・楼門は昭和15年(1940)の竣工とされ、過去に遡ると徳川幕府、源頼朝などから庇護されてきた。
古めかしい社殿を求め氷川神社を訪れるとものたりないかも知れない。
氷川神社は埼玉県・東京・神奈川県下だけでも280社を数え、当社はその本社で祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三柱をお祀りする。

楼門から境内。
正面に見えるのは舞殿。

境内全景。
右から舞殿、拝殿、本殿。

入母屋銅葺屋根の妻入りの舞殿。

舞殿右から拝殿、本殿の眺め、ここの右には東門があり門客人神社に繋がります。

舞殿から拝殿の眺め。

入母屋銅葺屋根の拝殿。
氷川神社の創建は伝承によれば孝昭天皇の御代3年(BC472)の創立と云われ、2500年近い歴史を誇る。
社名の由来は二つの説があるとされます。
一つは、出雲の国の杵築大社(出雲大社)を遷して氷川神社の神号を賜ったことから、出雲の大河である斐伊川からちなんだ。
もう一つは、鎮座地の「高鼻」が、見沼の低地に突き出た大宮台地上にあり、古代からの湧水地で、清冽な泉は原始の氷川祭祀の対象で、古語で霊験あらたかな泉を表す氷川が社名となったとも云われます。


往古の当地は見沼と呼ばれた大きな沼があり、その畔に現在の氷川神社、中山神社(中氷川神社)、氷川女体神社が祀られ、その三社を合わせて氷川神社と捉え、氷川神社を男体社、氷川女体神社を女体社として称したとも云われる。
また、氷川神社と氷川女体神社の双方が武蔵国一宮を称しているのは、三社一体の捉え方によるものかもしれない。
いずれにしても二つの一之宮は、全国一之宮マップ塗り潰しを目論むかみさんにすれば、御朱印の懐具合と旅行の行程を作る上で悩ましいようだ。
こうした例は他でもあることですが「一つじゃいけないの」と以前も言っていた気がする。

江戸名所図会の挿絵には読みにくいが男体社・女体社・簸王子社と記されているが、これと先の三社は別物だとも云う、ならば挿絵の三社のその後はどうなったのかは良く分からない。

拝殿右の神輿舎と後方の本殿。

神厩舎横の力石(上)と歯固め石。

神厩舎から拝殿側面。

本殿左の神饌所。

舞殿から楼門の眺め。
参拝に訪れる人波は途切れることがない。

舞殿左から見る楼門と廻廊の眺め、昭和の竣工とはいえ、荘厳で美しい姿であることに違いはない。

東門から境内を出た左に鎮座する二社は摂社の門客人神社(左)と御嶽神社。
氷川神社本殿が現在の形となるまで御祭神の男体社、女体社、簸王子社には其々本殿があったが、女体社の本殿は右の御嶽神社に、簸王子社の本殿は天津神社の社殿となったようで、何れも旧本殿と云われ、寛文7年(1667)に造営されたもので市の文化財に指定されているそうだ。

御嶽神社から門客人神社の眺め。
銅瓦葺の三間社流造で旧本殿と云われれば、前回記載した天津神社に通じるものがある。

門客人神社
創建 / 不明
祭神 / 足摩乳命、手摩乳命
御嶽神社
創建 / 不明
祭神 / 大己貴命、少彦名命

御嶽神社から更に右に進めば瓢箪池を経て大宮公園に至ります。
「大いなる宮居」として大宮の地名の由来になった氷川神社は規模・歴史ともに埼玉を代表する古社だった。

武蔵一宮 氷川神社
創建 / 第5代孝昭天皇3年
祭神 / 素佐之男命・大己貴命
境内社 / 稲荷社、宗像社、門客人神社、松尾神社、御嶽神社など
所在地 / 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町 1-407
大宮駅から徒歩 / ​ ​約1時間
参拝日 / 2023/09/26
関連記事 /
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・​ 武蔵一宮 氷川神社(一ノ鳥居から三ノ鳥居まで) 





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Last updated  2024.05.06 20:17:48
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