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古鏡に関する本を読んでいると鏡の名前が色々出てくるが、いっぱいありすぎて初心者には訳わからんということになるので、鏡の名前をリスト化した。鏡の名前は便宜的につけられた物である。本によって分類や呼び方が違っていたりすることもある。名前はだいたい主な文様、縁の形、副文帯、銘文やその組み合わせで呼ばれる。以下は古墳時代までの鏡のリスト。 おじさん作成、元データはこちら キーワード:多鈕細文鏡 多鈕鋸歯文鏡 多鈕粗文鏡 獣形鏡 捩文鏡 乳文鏡 珠文鏡 素文鏡 狩猟文鏡 家屋文鏡 勾玉文鏡 渦文鏡 鈴鏡 直弧文鏡 鼉竜文鏡 草葉文鏡 重圏彩画鏡 羽状地文鏡 蟠螭文鏡 星雲文鏡 重圏銘帯鏡 連弧文銘帯鏡 単圏銘帯鏡 銘帯鏡 八禽鏡 獣帯鏡 虺龍文鏡 方格規矩四神鏡 内行花文鏡 蝙蝠座内行花文鏡 盤竜鏡 双頭竜文鏡 神獣鏡 画像鏡 上方作系浮彫式獣帯鏡 飛禽鏡 夔鳳鏡 獣首鏡 画文帯神獣鏡 斜縁神獣鏡 三角縁神獣鏡
2015.01.31
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前回は『交流する弥生人』を参照して、日本列島での文字使用が紀元前に遡る可能性があるということを書いた。その中でも取り上げられていた墨書・刻書土器は列島での文字使用を示す最古の例だと思われる。墨書・刻書土器が盛行したのは奈良、平安時代だが、もっと早い時期の列島で書かれたと思われる文字資料に以下がある。 長野県木島平村根塚遺跡「大」(3世紀)千葉県流山市市野谷宮尻遺跡「久?」(3世紀末)滋賀県長浜市大戌亥・鴨田遺跡「卜?」(3世紀中)三重県津市大城遺跡「奉?、幸?、年?、与?」(2世紀前半)三重県松坂市片部遺跡「田?、虫?」(4世紀初)三重県松阪市貝蔵遺跡「田」(2世紀末~3世紀)福岡県糸島市三雲遺跡「竟?」(3世紀中)熊本県玉名市柳町遺跡「田□□□」(4世紀初)鹿児島県種子島廣田遺跡「山」(3~7世紀、中国から持ち込まれたものとの見方もある)列島の最古級文字資料分布図 現在のところ三重県にやや偏在し、また当時の沿岸部に多いように見える。どれももともと一文字か、明確に残っているのは一文字のみだ。多くは文字であるか自体に議論があるが、おそらく文字だったのだろうと私は思っている。 墨書土器の文字については『墨書土器の研究』(平川南)で祭祀・儀礼に使われる記号としての性格が強調されている。上に挙げた初期の文字の例もやはりそういった性格のものであると思われる。日本列島で漢字は本来の性格に先祖返りしたということだろう。「奉」、「田」にはまじないに使われていた文字という指摘があり、「竟」、「久」、「大」、「卜」なども吉祥もしくはまじないに使われる可能性の高い文字だと思うがどうだろう。文字が一文字だけで使用され、字体が崩れていることも、まじないの記号としての使用を裏付ける材料といえる。たしかに文字は2、3世紀ごろには使われてはじめていた。地下にはまだまだたくさんの文字資料が眠っていて今後も古い時代の文字資料はさらに増えるだろう。しかし、それは意味・物事を記録し伝えるという性格のものではなく「呪」を込められた記号であったという大勢はかわらないと予測する。すくなくとも先にあげた文字のいくつかは判別に異論があり意味を伝えることには失敗している。土器に文字を書いたのが墨書・刻書土器だが、絵を書いたものは絵画土器と呼ばれる。絵画土器は『弥生人の鳥獣戯画』によると271例あるという。1996年の本なので現在ではかなり増えているだろう。一つの土器にいくつもの画題を描いたものもある。四世紀以前について言えば墨書・刻書土器とは比較にならないほど多くの絵画土器が存在する。もし、文字使用が一般的で普及していたならば、もっと多くの墨書・刻書土器が出土しているべきではないだろうか。弥生時代の木製の遺物(農具、矢板、建材)は全国でかなり出土しているが文字が記されていた例は聞いたことが無い。後の時代の木簡のようになぜ文字を書かなかったのか。銅鐸に絵が書かれている例は多いが文字が書かれていたという話は聞かない。なぜ祈りの道具の銅鐸に「呪」のこもった文字を書き込まなかったのか。弥生時代の遺物は祭祀目的の文字使用が例外的にあったものの、全体的には文字がほとんど普及していなかったことを強く示唆していると私は考える。次回は古墳時代の文字使用について検証する。参考サイト 漢字の前に記号あり/仏教も漢字も西暦588年前後百済から/蘇我氏は政治王7~8世紀の列島の文字世界(PDF)広田遺跡
2015.01.28
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イスラーム国による日本人人質事件に反応して、自己責任論が花盛りなようだ。おぢさんも「イスラーム国による日本人人質事件に関する『自己責任論』と『首相責任論』の狭間」(yahoo!ニュース)という記事を読んでみた。そしてそれに対するfacebookのコメントというより悪口の数々。何も考えずに悪口を書くだけなら簡単だからこういうコメントが氾濫するのだろう。「自己責任論」というより単に理由も示さず批判してるだけの無駄なコメントが多い。コメント(悪口)を書く動機は「身代金なんてもったいない」といういことかな?おぢさんは今回の事件に限らず政府が何でもかんでも無限に責任を取るということには反対だ。二人の解放を訴えるべきではあるが、身代金2億ドルも払うべきではないと考える。しかし、二人を批判するコメントにはまったく同意できない。まず二人は日本政府に助けてくれなどと一言も言っていない。後藤さんのお母さんが救出を訴えたが後藤さん本人としては不本意ではないだろうか。「イスラム国」日本人人質事件 政府、湯川さんと後藤さんと判断(15/01/21)←シリア入り前の後藤さんの談話あり(FNN)このような事が起これば日本政府が対応せざるを得なくなるのは政府にとっては迷惑な話だろうが、しっかりと注意喚起をしている以上最悪何もしなくても日本政府には責任はない。シリアでの取材に際する注意喚起について(その 10) ←外務省海外安全ホームページより助けてくれとも言われてないのに日本政府が勝手に責任を感じる必要は無い。日本政府に責任が無い反面、拘束された二人には危険な場所に行って死ぬ権利が認められるべきだ。死ぬ権利が認められないということは結果的に生きる権利も認められないだろう。「自分のケツも拭けない」そんな不自由な世の中をおぢさんは望まない。
2015.01.25
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くだらない。面白くない。偏向。税金の無駄遣い。ありとあらゆる非難を浴びるNHKですが、おぢさんはたまにNHKの番組を見ます。最近久々にNHKの番組を割とまじめに見て少しはいい番組やるよね~。と思った。おぢさんが見たのは「シリーズ日本新生 ニッポン"空き家列島"の衝撃 ~どうする?これからの家と土地~」(2015/1/10)おぢさんの歩く道にも空き家や廃墟が目立つ。これからも空き家は急増が予想されている。かつてのニュータウンが空き家だらけの街になっている。空家率は13.5%を超えているのに農地を潰して新しい住宅街を作っている。日本中に空き家だらけの街が広がる。コンパクトシティを目指す動きもあるが、難しいようだ。この問題の根本にあるのは人口減少だ。 「ネクストワールド 私たちの未来 第2回 寿命はどこまで延びるのか」(2015/1/4) によれば先進国では1日あたり5時間ずつ平均寿命は延びているといい。30年後には100歳を突破するという。ガンとの戦いに人類は勝利しつつあり、若返りも夢ではないという。寿命の延びはある程度で頭打ちになると予想していたが、間違いだったようだ。まだまだ寿命は順調に伸びそうだ。人間が死ななくなれば人口は増える。老人の割合も恐ろしく増える、年金制度は今でさえ国家による詐欺だが、廃止するしかない状況になる。そもそも昔の老人ほど老化しないとしたら年金を給付する理由もない。自分で働いて稼げばよいだけだ。なんてシナリオが浮かぶのだが、そこでも前提が崩れる。 「ネクストワールド 私たちの未来 第1回 未来はどこまで予測できるのか」(2015/1/3) たしか、番組では弁護士?がコンピュータと異なる判断をすると評定が下がる場面が取り上げられていた。人間と機械は今あらゆる場所で立場が逆転してきている。機械の指揮者から、機械に指揮される立場になりつつある。このブログでも触れたが「技術的特異点」が来て人間を超える知性が労働をするのならば、人間が労働する意義は既に無い。分配さえうまくいけば現在の人口ならば誰も働かずに暮らすことができるはずだ。実際にそうなるだろうか?人口に関しては技術革新が起こり新しい文明システムが社会に広がる過程で人口が増えるというパターンが過去において繰り返されている。人口が増えないと仮定してもばら色の未来が思い描けないのおぢさんの人間不信のなせる業でしょうか?
2015.01.14
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鏡に関する研究は膨大な蓄積があるが、2015年現在の素人研究者が遡るべき出発点は古典ともいえる小林行雄氏の『古鏡』だろう。それ以降の鏡に関する書籍リスト。書名著者出版社出版年古鏡小林 行雄学生社1965古鏡樋口 隆康新潮社1979古鏡図録樋口 隆康新潮社1979図説 中国古代銅鏡史複数中国書店1991三角縁神獣鏡王 仲殊学生社1992三角縁神獣鏡綜鑑樋口 隆康学生社1992古鏡銘文集成―日本古代史研究要覧三木 太郎新人物往来社1998三角縁神獣鏡の時代岡村 秀典吉川弘文館1999三角縁神獣鏡新鑑樋口 隆康学生社2000シンポジウム 三角縁神獣鏡複数学生社2003三角縁神獣鏡の研究福永 伸哉大阪大学出版会2005宮内庁書陵部所蔵 古鏡集成宮内庁書陵部陵墓課学生社20053次元デジタルアーカイブ 古鏡総覧橿原考古学研究所、橿原考古学研究所学生社2006鏡笵―漢式鏡の製作技術橿原考古学研究所八木書店2009三角縁神獣鏡研究事典下垣 仁志吉川弘文館2010古代の鏡と東アジア複数学生社2011三角縁神獣鏡と東アジア世界川勝守汲古書院2012 おぢさん作成 元データはこちら
2015.01.12
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ヤマトが東海・北陸・関東を蚕食していったのは三世紀後半以後ということを前提として、ヤマト襲来を考える事としたが『三角縁神獣鏡の時代』(岡村秀典著)に、その前提を否定するような記述があった。「倭奴国王」の冊封から五〇年をへた一〇七年、生口一六〇人を献じて安帝に朝貢した「倭国王師升等」については、その読み方に諸説あるが、「奴」や「伊都」を盟主とする北部九州の連合体制であるこことではほぼ意見の一致をみている。しかし、その「倭国王師升等」を通説のように倭の諸国を統合した王の意味に読んだばあい、その「倭国」はどれほどの範囲をふくむものであったのかについて、漠然と北部九州圏という以上に議論されることは殆ど無かった。 ≪中略≫日本列島から出土した漢鏡5期(後一世紀後半)の計二〇〇面近い鏡が、製作からあまり時間をおかずに流入し、その地で伝世したとするなら、九州とそれ以東ではほぼ均衡した数となり、その分布する北部九州から北陸・東海におよぶひろい地域が「倭国」の範囲とみることができる。 p.110,111 『後漢書』東夷伝の記事に出てくる「倭国」は引用文にもあるように北部九州圏というのが現在でも通常の理解だろう。しかし、ここで岡村氏は漢鏡の分布状況から東海・北陸を含む範囲が倭国の範囲として想定できるとしている。そうすると、二世紀はじめの時点ですでに東海・北陸は「倭国」として統合されていたということになり、東海・北陸が蚕食されたのは三世紀後半以降であるという前提は否定されることになる。私は倭国の範囲に関する岡村氏の想定に関して以下の疑問を持った。1.外国へも移動できる鏡を元に「倭国」の範囲を想定するのは問題がある。2.漢鏡の分布が北部九州と以東で均衡としているが、密度は依然北九州が高い。3.鏡以外の文物でもサポートされる想定か。4.倭国大乱より前にそれだけ広範囲の国家を想定すると小国家の成長も遡るが可能か。 これらの疑問についてはいずれ調べたいが、 いまのところ東海・北陸が蚕食されるのは三世紀後半以降と想定してヤマト襲来を考えていこう。ただし、倭国大乱以前の広範囲な「倭国」成立の可能性も頭の隅に入れておきたい。つづく
2015.01.03
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