全413件 (413件中 101-150件目)
このシーズンになりますと我が家では毎年上海蟹を食べることにしています。昨日購入してきた蟹を深夜拝見しました。なかなかの大きさでした。昼前友人が来宅一時頃より蒸し始め食べました。久しぶりの昼間からの酒に大変疲れました。昨日遅くまで飲んでいた所為で朝より体調不充分でしたが、勢いで呑んでしまいました。お酒が好きだからと日本酒を持参され日本酒も美味しく戴きました。上海蟹は聴いたことのある人は多いのでしょうが食した人は少ないのではないでしょうか。小ぶりの蟹で実が大変引締っています。小ぶりのため食べる為には根気が必要です。レストランこのような面倒な食物を提供されると自分でも嫌なのではないかと想像します。いっぱい食べて終わりにしました。子供たちも日本の蟹より此方の蟹が美味しいと話して居ます。
2005.11.03
コメント(0)
なんとなく古書店を見ているうちに同書の文庫本を見つけ読み始めました。話題の人、邱永漢「金儲け自伝」と同様のジャンルではないでしょか。読み進み内容を考えると意外性の無い書籍だと思いました。本人の話題性とギャップがあるように思うのは私だけでしょうか。考えてみるに金儲けに秘伝は無く当たり前に近い事を実行する人、出来る人と幸運に見放されなかった人が成功し、特段秘蔵の秘訣は無いのが本当なのかもしれません。よって誰でも指摘しそうな話柄がこの人の口から出てくると詰まらなく感じてしまいます。お断りをすれば堀江氏について殆ど知らず、書籍の感想を書く資格も無いのが本性です。寝ながら金儲けの出来る秘訣があれば多くの読者の関心を引き付けられるでしょうか。多くの読者と同じようにこの種の書籍を読破しても赤貧洗うが如き生活を抜け出す事は出来なさそうです。
2005.11.01
コメント(0)
最近のテレビを見ていますとクイズ番組、タレントの司会者との雑談、占い師の独断の会話のような番組が氾濫しているように見られます。食事の際見るとも無く、聞くとも無く見ているのみで話題は殆ど解りません。また、顔は見たような記憶があっても誰なのか殆ど不明です。子供までがタレントのことをよく知っていることに驚くことがあります。余り人のことは申せませんが詰まらぬ番組を見ていて飽きないことに不思議を通り越し呆れを覚えます。今日は見たい番組ばかりだなどという言葉を聴くに付け困ったものだと嘆くのは私だけでしょうか。何処かの会社に乗っ取りを掛けられあわてていた放送局がありました。その局のどの番組が視聴者の共感を得ていたのでしょうか、視聴者の納得を得られる番組があり、そのポリシーを邪魔されるので反対だというのであれば考えは理解出来ますが、少ない知識の中でその様な姿勢が有った局とは到底思えません。自分の安泰を邪魔されては大変だと守旧にすがりついたように思えます。金を掛けず安直に24時間放送を流し、世の中の動きを忘れるため、時間を浪費するためにテレビを漫然と見る人たちは実に政治においても、テレビ局においても大事な人びとなのでしょう。ローマ帝国でも人民を楽しませる競技が毎日繰り返されていたそうです。それが皇帝の権力の維持につながっていました。また、その時期に帝国の崩壊が始まっていたのです。
2005.10.31
コメント(0)
朝から人間ドッグにいきました。最近明け方胃が痛むことが有り先週より酒を控えめにしていました。充分に自覚症状が有る状態でした。最後の胃カメラ、既に17回目のカメラです。診察中も眼鏡をかけて小さなモニターをずっと見ていました。医者はよく独り言を言う人で絶えずぶつぶつと話して居ました。返事はしないように、気にしないようにと前置きをするくらいですから、推して知るべしです。粘膜に初期の潰瘍がありそこともう一箇所組織の採集をしました。組織の検査は昨年もしており費用が掛かるだけのため無駄だと思いながら、自分の意思を表明することなく進行しました。追加費用7500円昨年より少し安い物の余計な出費でした。診察中再度「幕末維新の経済人」小栗上野介の記事を読み直しました。少し整理がつきました。診察後指定された店で昼食を取り、その後ひどい頭痛に悩まされました。帰宅後そのまま横になり夕方まで待ちましたがひかず、頭痛薬を服用し痛みを抑えました。
2005.10.28
コメント(0)
ペルリ提督日本遠征記以来外国と交渉を持った日本人の記録を興味を持って読んでいます。成田和雄 河出書房 1990年3月発行の文庫本です。捕鯨の途中で流され鳥島に漂着した乗組員は米国の捕鯨船に救助されハワイへ到着する。その後一番若い万次郎だけが本人の希望でホイットフィールド船長に誘われ米国マサチューセッツ州フェアヘーブンで学校教育を受ける。その後金鉱の発見で沸き立つカリフォルニアに帰国資金を稼ぎに行き、ハワイに渡る。その後沖縄に帰還する。波乱に富んだ人生を送った中浜万次郎を資料豊富に記述して居ます。話題が多すぎ途中より事実の羅列になったきらいは有りますが幕末の興味ある漂流記だと思います。その後中浜万次郎は咸臨丸に乗りニューヨークへ、遣欧使節に同行しホイットフィールド船長を訊ねたそうです。鎖国の時代から時代は急激な変化を見せ外国に数度派遣され二度と会えないと考えていた、人生、命の恩人に再会する光栄を得た数奇な運命の物語ではないでしょうか。読後感 当時の日本の万次郎を活躍の舞台に立たせなかった固陋さを残念に思います。また本人自体が政治家ではなく時代の大きな舵取り場面に登場出来なかったことを不思議に感じました。後半生は表舞台には出ず家族と暮らしていたそうです。
2005.10.27
コメント(0)
書籍を返しに行き、運よければ再度貸し出しを希望しました。期間が過ぎた書籍は一度返却してくださいとの回答でした。人に寄れば貸し出しをしていただける場合が有ります。この図書は偶々出かけた先で借用した物で何時も行く近くの図書館では在庫がありませんでした。この区では一人一つの図書館で10点、全て合計で20点まで貸し出しをしています。また期間が3週間と長いのが特徴です。一頃古典落語のテープを聞いていた際、絶えず2つの図書館で20点のテープを借りていました。現在もコピーをしたテープを所有しています。余り聴く機会はなくなりましたが、時間が有るときは流しています。
2005.10.20
コメント(0)
来週人間ドックが有ります。その準備のため血液検査に行きました。人間ドックは是まで16回行っています。胃カメラは、よって16回行った事になります。この病院でも6度目のような記憶です。人間ドックは収益の良い部門なのでしょうか実に簡単な検査をアルバイトまがいの女性が行っています。結果を聞きに行くことはありませんが贈られてくる書類は拝見しています。またご丁寧に診察を促す手紙が送られてくることもあります。一度眼底に出血有りの診断が有りました。当時眼の疲れがあり近くの眼下に出かけて診察を致しました。結果眼底は異常が無く出血も無いという結果でした。以前の病院では両目を撮影していましたがこの病院では片目のみ撮影します。以前胃カメラで私の前の方が医者の問いに6度目ですと余裕の返事をしていました。しかしその方は診察後車イスで出てこられました。私の番で診察を受けましたが熱心な先生で何度も胃の中からチューブの出し入れを行いました。私も長い診察に疲れました。車イスで退室はしませんでしたが。
2005.10.19
コメント(0)
午後新宿を出発甲府に向かいました。午前中は深谷まで行きすぐに引き返し、午後3時45分新宿駅のホーム待ち合わせでした。間に合わないかと心配しました。ホームが解らず二つのホームを走りました。自由席の方向に歩き乗車するとすぐに待ち合わせの同僚に会いました。同僚も心配をしており、指定席を取得したのかと思いましたといわれました。注文の書籍を探し始めましたがなかなか見つかりません。一日彼方此方をひっくり返し探しました。お陰でヨット関係の書籍を殆ど一箇所に集める事が出来ました。21冊の注文で量は可也あります。ヨット関係の書籍は比較的人気が有りお得意様が数名居ます。最近は余り依頼はありませんが。夕食後再び倉庫に行き、書籍探し。友人が来宅し帰宅する時刻に駅まで行き20分喫茶店で談話を交わしました。中国語を勉強しており週末来宅します。雨の夜、再び倉庫に帰り書籍の整理に追われました。
2005.10.15
コメント(0)
四カ国の艦隊は大阪湾で示威行動を行い幕府に開港を迫った。老中阿部豊後守、松前伊豆守は自分達の責任で決断し、兵庫開港を四ヶ国代表に約束した。小栗は横浜開港の失敗をくりかえしてはならない、と思った。「兵庫商社」の構想が此処に始まった。文久元年、小栗は「国益会所」という構想を幕閣に建議している。安政六年の開港以来輸出額が激増しているが、その利潤はほとんど外国商館独占されている現状を憂えた。それは資本力の無い日本商人の売り込み競争の起因していた。兵庫を開港する場合長崎・横浜にみる方法では、開港ごとに莫大の損失を招く、商人が組合の法を設けず、自分達の利益にの追求するためである。貿易の発達、財政の融通を図るため大阪の商人を貿易商社を組織し、大資本をもって外人と競争させる、また三年間に限り商社に金札発行を許可しその資金をで社会インフラを整備することを提案している。商社は大阪中ノ島におかれ「商社会所」と呼ばれた。しかし商社が実際に事業活動を行ったのはわずか半年であった。鳥羽伏見の闘いがおこり政情の激しい変化が活動を中断させた。
2005.10.12
コメント(0)
小栗は挫折の日々を送っていた。しかし「御軍政御用取調方」に任じられた。強力な海軍を創設必要を主張していたが意見が採用された。しかし勝海舟に出鼻をくじかれる。大会議で小栗の云う海軍の創設は500年の後でなければ出来ないと横槍を入れられたこそれである。海軍は海舟の掌握するところとなり小栗は勘定奉行と新設の歩兵奉行を兼務させられた。小栗が出世できなかった理由は開国論者であったこと、直情経口で有ったこと。元治元年長州藩が薩摩藩に奪われた京都での勢力の巻き返しのクーデターを企てた。「禁門の変」である。長州藩と気脈を通じ、神戸に海軍操練所と称し脱藩浪人を集め反幕行っていると海舟に対する疑惑が深まった。海舟が軍艦奉行を罷免された日、小栗は宿願の横須賀製鉄所建設の認可を受けた。念願の工業近代化への想いが実現しそうで有った。フランスより技術協力を得て計画を発表すると、幕府内部、外部より猛烈な反対の意見があげられた。横須賀製鉄所は列強の侵略から日本の独立を守る悲願であった。しかし歓声の予定日慶応4年11月は永久にやってこなかった元号は明治に変わり、小栗は世を去った。
2005.10.11
コメント(0)
小栗上野介の功績 小栗上野介は東京神田の駿河台、現在主婦の友社のあたりで誕生した。学問は安積艮斎の塾で学んだ。塾は小栗の屋敷内にあった。万延元年、小栗は外国奉行に任ぜられた。万延二年ロシア艦ポサドニック号が対馬に侵入、乗組員が不法に上陸するという事件がおきる。小栗は昼夜兼行で対馬に急行した。しかし、艦長ビリレフは退去要求に応じない。小栗はロシア軍人を退去させることはできなかった。江戸に戻り次の二点を上申し辞表を提出し家にひきこもった。1.対馬を幕府の直轄領とすること2.交渉相手をロシア領事とすべきこと。この経験は小栗と、日本経済、軍事にとって大きな意味を持った。ロシア軍艦の無法を排除できない屈辱感、日本の経済力、軍事力、工業力の無さを痛感し、経済力を先進諸国のように至急追いつかせる必要を痛感した。それが彼の短い生涯をつらぬく至高の課題となった。あるサイトでこの書籍の復刊を望む声があることを知りました。
2005.10.10
コメント(0)
中公新書726 坂本藤良著先見力・決断力・指導力 第一章に取上げられた経済人は小栗上野介と兵庫商社です。何故小栗上野介と疑問に思うのは私だけでしょうか。浅学の為小栗に関しては遣米使節、それも海舟の乗船した護衛艦咸臨丸の話題の端役として出てくるくらいです。小栗32歳、海舟36歳。生涯この訪米の経験が大きなインパクトをもって先見力を醸成させたものと思われます。その先見力の故に不幸な結末を辿った小栗上野介。筆者は不遇な生涯を思いつつその先見力を高く評価しています。時代、また歴史からも忘れられているこの人物を取上げ、現代人に関心を止めてもらっても良いと考えています。時代は皮肉な物で優秀であることが、幸福な人生とつながら無いことを実証しています。無常という他に有りません。
2005.10.09
コメント(0)
当日は生憎朝までドシャブリでした。雨天の際は近くの小学校の体育館で行われることになっていました。弁当を準備している間に時間が過ぎ急いで保育園に向かいました。玄関前に先生が迎えに来ており早く、と遠くで見えた瞬間に呼んでいました。如何にか保育園で開催することとなりました。到着後すぐに入場行進が始まりました。既に父兄の方は銘々自分の席を確保しており早い人は朝7時から席を確保していたそうです。等保育園は虫の名前でクラスが分かれており幼児のクラスの踊りでも控えの席で、年長の男も女も一緒に踊るしぐさをしておりました。感情を表現する手段としてダンスも重要なものだと思いました。 午後の食事を屋上で取り午後の分が始まる頃少し雲の動きが激しさをまし雨となりました。しかし、父兄児童は臆することなく競技を進め、最後のリレーでは雨も上がりました。園長先生の言葉の中で朝早く父兄の方が来られ、濡れたグランドに新聞紙を敷きコンディションを整えにたそうです。親の熱意を感じました。息子も金メダルを戴く際少し泣いたと申していました。0歳から通い、毎朝背中に負って連れて行きました。朝7時30分には到着何時も早い子供数名が居るだけでした。昔のことですが、昨日の事のように思い出されます。
2005.10.08
コメント(0)
その日のスケジュールで関東あらゆるところに行きます。予定はその日に組むこともあり、事前に組んでいることも有りますが気紛れです。三鷹は良く行くエリアで昼時に合うとこのラーメン店に寄ります。小さな店でカウンターが奥と入口にありそのほか席が数箇所あるくらいでしょうか。元気な娘さんが注文を受けると大声でオーダーを通します。醤油ラーメンを何時も注文します。私には少し辛すぎる味です。また、量が少し多すぎます。ひとりで行動をするため、ゆっくり座る場所では食事がしずらい為一人で席を取得してもよさそうな食事を取ることになります。また郊外では外れる店に入ると、大変悲惨なことになります。ラーメンは余り外れの無い種類の食事ではないでしょうか。タイミングにより割引券を頂きました。また、5日は麺類は100円引きでした。一度入ると同じエリアに出かけた際如何しても同じ店に入りがちです。探究心が無いわけでは有りませんが、時間の制約があり知っている店が安心できるからでしょう。
2005.10.03
コメント(0)
会場は大変日当たりがよく当日は真夏を思わせる日照りが生徒、父兄を照らしていました。私が会場に到着したときは既に最初のプログラムが進行して居ました。暫く入場門のあたりで観戦しましたがその後子供の後ろに移動をしました。ひとりの父兄が子供の後ろに席を占め暑い日照りをものともせず座している姿が印象的でした。その方は多くの父兄がビデオ、カメラを手にし一生懸命撮影をしている情景とは無縁で、ただ子供の姿を見つめておられました。帰宅後娘が○○さんのお父さんはどうしてずっと座っていたのだろうかと聴きます。子供の運動会を熱心に見ていたのだろうと答えました。また、そういう親を持ったことは幸せだと話すと、パパは出来ないからねと言います。子供にも印象的情景であったようです。運動会の最後まで見届け最後は泣いていたようだと娘は話して居ました。
2005.10.02
コメント(0)
朝より張り切って居るのがはた目でも解りました。息子も友人の同級生と会えるとのことで楽しみにしていました。東京は快晴、真夏を思わせる陽気でした。遅ればせながら家族で会場に行き娘の出番を待ちました。一番見てほしい種目はフラフープの演技だそうです。最初は入場門の辺りで観戦していましたが、移動をし良かれと思い席を確保した場所が生憎メインイベントには不向きな場所でした。演技者の背中ばかりを見ている状態でしかも娘遥か反対のエリアで演技をしているようでした。顔をあわせたときビデオを撮影してくれたと聞かれましたが、撮影しなかったと答えると、少しがっかりしていました。演技者以上に父兄の気合の入れ方に圧倒されながら午後の演目が終了後帰宅しました。息子と帰宅の道を歩いていると、歓声がまだ聞こえるねと聞いていました。友人の同級生におもちゃを貸してあげればよかったね。ずっと遊んでいたからねと云いました。貸してあげればよかったじゃないかと答えました。おたふく風邪をひいたのかその子は元気がありませんでした。来週は息子の運動会があります。父兄の方にまた来週と挨拶をされお別れを致しました。
2005.10.01
コメント(0)
ユーパックのサービスカードの廃止が決まり本日が最終日でした。カードは何かに使用しようと思いながら、無駄な郵送では郵送料が無料になっても無駄が発生しそうと考え諦めていました。午後より注文が入りそれを当日のうちに送付すれば送料が無料になるため全てを処理することに決めました。夕刻食事後本局に荷物を持ち込み発送をしました。以前よりアジアの書籍は人気があり良く売れていました。特に香港が人気でしたが最近は香港は余り掲載していません。しかし本日の販売は殆どアジアの書籍ばかりでした。旅行日程からすれば日本人が気楽にいけるエリアはアジアではないのでしょうか。また生活の習慣が比較的似通っており親近感が有るのかもしれません。それに欧米と比較すると国民的に優越感を持てる地域なのかも知れません。偏ったシーズンのみ移動を行う習慣をなくすれば遥かに多くの人がアジアを訪れる機会が増える物と思われます。日本人の企業意識も最近大きく変化をしています。金持ち日本と云われながら生活は精神面でもアジアより貧しい現状を考えるとより多くの人が機会をつかまえ海外に出かけ、よくも悪しくも近隣地域の実情を経験し今後の国際交流が広がることが相互理解の基本かもしれません。
2005.09.30
コメント(0)
最近よく2時に目が覚めます。なぜか2時なのです。せめて4時なら諦めて事務整理でも始めるのですが2時では体力気力から翌日無理が出ます。酒は嫌いでないため良く飲んでいました。最近は余り美味しいと思うことは有りませんが、呑み始めるとついつい昔の力瘤が出て深酒をしてしまいます。嫌いでない分止める時期を失い惰性でコップを重ねるのです。その結果翌日体力が無くなり気力を萎えさせ無駄な時間を送る始末と成ります。病は気力で回復と申しますが病は体力がなえれば気力が無くなり気力では回復不可能です。でも若いときのように美味しく酒が飲める体力がほしいものです。
2005.09.29
コメント(0)
生憎多くの方が欠席されており朝中止をお願いしたのですが夕方連絡が付かなかったといわれ、予定通り開催されました。何時も多くの資料を戴き労働契約の基本的考察を伺いました。憲法でも、労働法でも文章は美しく権利、平和、平等と有りますがいざ具体的懸案となりますと、そう簡単ではありません。簡単ではない命題を限られた時間で、人生で解決をしていかなければならないとすれば、面倒になり話柄をそらしてしまいかねません。道路公団の発言では有りませんがもう少しまともな役員を相手にしていればそんな難問ではないのでしょうが。
2005.09.28
コメント(0)
旅行には案内が必要であります。ツアーで全て添乗員が案内をしてくれる物は別にして、自分達で何かをしたいと思えば先達の記載した案内書を片手に旅行を考えるほうが通常でしょう。しかし案内書も意外と情報量の割りに便利な物が少ない事も経験上感じます。よく読み出かけたところが期待はずれであったり、思わぬイメージの違いに気が付いたりです。私もよく旅行案内書を販売していますが、書籍が綺麗か汚いかを質問されるケースがあります。一度きりの旅行折角購入した旅行所は折り曲げ印を記載し使い勝手の良いノートとして捨てる前提で使用したい物です。記念に残しておいても時代と年月を経れば無意味な過去の異物となるに間違い有りません。地図は絶対に必要だと思います。地図の読めない人は別にして町の概観を知りどちらの方向に行けば目的地なのか位は絶えず確認していたと思います。旅行所と同時に旅行談を読むことも有意義ではないでしょか意外と貴重な記録を残している人も居ます。
2005.09.27
コメント(0)
出来れば安いシーズンに生きたいのですが横並び社会日本休暇が取得できる時期はいずれも割高です。それでも広い世界多くの地域を目指し渡航する人たちの映像を見て金持ち日本を実感します。しかし、金持ち日本といいながら生活が豊かかと云えば決して簡単に頷くわけには参りません。しかしシーズンの谷間はそれなりの価格で海外に出かけることが可能なような気がしています。例えば年末でであれば学校が修業する前の期間、また年明けでは年始の休暇が終了した後でしょうか。しかしプランを拝見していますと、余り割安の感じは有りません。学校を休ませることに余り抵抗が無ければいいシーズンを狙い同じ旅行でも少しでも割安で行きたいと思うことは人情です。この処毎日夕刊のスポット、インターネットの確認を行い絞込みを考えいます。出発日が近づけば定員割れした航空券の割引があるのかもしれないと期待しながら。
2005.09.26
コメント(0)
大崎ゲートシティで米良美一のコンサートがあると聞き出かけました。午前中は近くで買物をしその後ホールに寄りました。一時からの開演でしたが着いた頃には既に始まっていました。一曲目が終わり、二曲目はヨイトマケの歌を歌いました。大変迫力のある歌でした。大きな広場で150名位の人が聞いていました。ホールが多きだけ物寂しさを感じました。また専用ホールと違い人の動きなどもあり落ち着いて聞く雰囲気ではありませんでした。集中して聞けばもっと迫力が有ったのではないかと思いました。学生時代美輪明宏さんの歌で深夜聞いたものです。大変印象的な歌で子供心に今でも残っています。演奏は2曲で終了でした。もう少し聞けるものと考えて出かけたため拍子抜けでした。台風の影響も有り外出を控えたのでしょうか人出は何処でも少ないようでした。
2005.09.25
コメント(0)
倉庫に行く途中寄り道をして商店街のうどんやさんへ寄りました。生憎店舗は閉まっていました。以前より奥様が病に侵されておりよく店を閉めていることが有り数週間前寄った際暫く休業の張り紙が有りました。今朝は張り紙は無く開店前か思いました。二階より窓をあける音がしました。暫く待っていると奥様の顔が現れました。奥様の顔を見るとは思いませんでした。「今日はお休みですか」と聴くと。「お父さんが脳梗塞で亡くなったの」と答えました。驚きました。しかも一カ月経っていました。何時もの笑顔が昨日の事のように思い出されました。お子様が居ないのか私達の子供に何時も声をかけて戴いていました。奥様が上げたサツマイモを何時もサービスで袋に入れて貰っていました。お正月にはお年玉を戴いた事も有ります。「私が病気だったので、忙しかったのが原因だろう」と奥様は話していました。奥様の病気の際「母ちゃんの殺さないでね、と医者に話したんだよ」と笑っていました。大丈夫だよて云われた、でも揚げ物を出している間は大丈夫だよ。しかしその後も何度か店を閉めているようでした。お得意先の出荷があり、店を開かないときも中では製造をしていたようです。何時も購入に行くと「有るよ」と答えていました。讃岐風のうどんが何時も私の購入するうどんでした。ひとたま110円で、沢山作ると売れ残るので数は沢山作らないと話していました。購入する人は決まっているからねと。子供たちも叔父さんのうどん、おじさんは優しいねと話していたのに、残念です。2005年09月25日雨は上がったようです。
2005.09.24
コメント(0)
何時の頃からか著者の書籍を読むようになり機会あるごとに収集をしていました。わが上司 後藤田正晴 決断するペシミスト 佐々淳行 文藝春秋社 2000年6月 定価1524円情と理 上下 後藤田正晴後藤田正晴 講談社 1998年6月 定価3400円政と官 役人とは何か 後藤田正晴 講談社 1994年10月 役人とは何か/政治家とは何か/政治と役人/官僚主義を許すもの/決断と情報収集/トップの条件/政治の原則/政治の目標 価1500円政治とは何か 後藤田正晴 政権をとること、動かすこと講談社 1988年3月ヤケ 政権をとること、動かすこと/田中角栄元首相と私の関係/最高権力者の孤独/今世紀までに準備すること/政治とは何か/優秀な官僚組織を破壊するな/選挙制度の改革が必要 定価1200円 内閣官房長官 後藤田正晴 政権の出発講談社 1989年12月 政権の出発/行政改革の推進/外交/日米経済摩擦/戦後政治の総決算/衆議院議員定数是正/税制改革/田中派の崩壊/政権が目指すもの 定価1300円私の履歴書 支える動かす 後藤田正晴日本経済新聞 1991年7月初版 定価1300円等が見つかりました。多くの政治化が権力の亡霊に取り付かれ老害を呈する中もの言うペシミストでとうされた生涯に合掌致します。
2005.09.23
コメント(0)
後藤田正晴 田中派初期の選挙での選挙違反続出のイメージでした。その後著作を沢山読み、また最近の論調を読むにつけバランスの良い人だなと何時も感じていました。本人の意思で密葬を済ませたの知らせにも人柄が偲ばれます。政治は道徳ではない。しかし道徳と大きく離れると如何。
2005.09.22
コメント(1)
日本百名山を開き自分の好きな山はどれであろうかと考えてみた。黒部五郎かなと考えながら、ふと鷲羽岳も百の中に入っていることに気がつき鷲羽を一番にあげてみた。初めて鷲羽岳に登った日は夕暮れであった。野口五郎を越して午後赤岳の小屋で美しいお花畑を小屋の整理をされている青年と一緒に眺めた。小屋を出て祖父岳に向かう乗越で荷物を降ろし夕景の鷲羽岳に登った。縦走で登っただけに余り険しいという印象を持たなかった。当日は乗越のすぐ黒部源流よりにテントを晴れる場所を見つけそこで露営した。翌朝再び鷲羽岳に登り朝日に輝く薬師岳、三俣蓮華岳、槍ヶ岳等を遠望した。二度目の登頂は兄弟で太郎平から黒部五郎を越して登攀をした。三俣蓮華から見る鷲羽岳は大変鋭い登攀で登れないような錯覚を受けた。その頃より体調が悪く先の露営地で幕営し、翌日太郎平へ向かった。鷲羽岳は黒部の源流のであり、山の可也上部まで水が補給でき露営するには誠にいい場所のような気がします。勿論禁止行為ですが。小屋からも遠くひとりで夕景を眺めながらコーヒーを飲んだ記憶が今でも鮮やかに残っています。
2005.09.21
コメント(0)
マッターホルンに関しては以前ウインパーの「マッターホルン登攀記」を岩波文庫で読みました。氷河に関する考察、また何度かの試登を経て成功、その後の悲劇また登攀者の不幸な結末とう話題は物語に欠きません。写真で見る限り秀麗な山容が鮮やかな記憶となって残る山だと思います。自分で見たことも登頂したこともありません。小西氏はいまさら申し上げることはありませんが小岩の町の山岳会に属され、その山岳会を一躍日本の最強といわれるレベルまで持ち上げた方です。他の書籍を拝見していますと登攀者というより組織を強化することに、より長けた方ではないでしょうか。規律を重んじ登攀を第一に会員を心身ともに強化、指導されたように思えます。最近、山岳会は余り元気がありません。若者の山離れが進むとともに世界の秘境といわれる山も無くなり落穂ひろいのように初登攀を求めるようになりました。そんな所為かも知れません。どの世界でもひとりのスーパースターが現れると勢いを増しますがスターが居なくなれば次第に弱くなる物です。スターが組織を引き上げ、業界を世間に認知させるものです。今後の山岳会は如何なる道を辿るのか大変難しい問題ではないでしょうか。無論此処で云う山岳はハイキングの同好会とはまた違うレベルのものを指しております。
2005.09.20
コメント(0)
アメリカでトップクラスのファンドマネージャーとして活躍している大竹慎一さんの書籍です。東邦薬品松谷義範会長の著作「経営思想と計数的展開」を参考にしながら経営のなにたるか論述しています。良書はどれでも共通している事は解りづらい内容を平易な文章で書き下さしている点だと思います。松谷義範会長の文章は大変論理的記述で平易に経営に関する要点を丁寧に解説されています。原書は読んだ事が有りませんが大竹氏の引用からそう判断できます。しかし、最近大竹市の著作を余り目にしません。何処かのホームページで講演は費用が大変高いと聴講した方の文章を拝見しました。どんな活躍をしておられるのか気になります。
2005.09.19
コメント(0)
夜半目が覚め眠れませんでした。仕方なく娘の部屋に移動し同書を読み始めました。エドワード三世辺りから家系図が無ければ、誰がどうなっているのか頭の中が混乱してきました。プランジニット家から分かれてランカスター王家、ヨーク王家につながるあたりです。それまでも世界の王との婚姻があり多くの家系がヨーロッパの王族と繋がっています。婚姻は政略の婚姻で王同士が親しいからという意味では有りませんが。午前中息子と近くの公園に行きました。暫くサッカーボウルを蹴飛ばしていました。ふと気がつくと蝉の鳴き声が全くありません。あんなに精一杯鳴いていた蝉が全くいないことに驚きました。桜の木は青青とした硬い葉っぱを持していますが日差しを浴びて、秋らしい雰囲気を察しました。
2005.09.18
コメント(0)
前半のさわりを読み始めました。過去に読んだことがあり思い出しました。現在のフランスあたりに住む現地人の一世紀頃の記録です。民族は原始的生活をしており、好戦的で名誉を重んじることが簡潔な文章で表されています。カエサルのガリア戦記を読みましたがこのあたりの民族の抗争が良く表されており、大移動の中で記載された文章の見事さを驚きを持って読みました。現代と違い山、河川による生活の分断が大きく影響をしており遠征の内容は大変興味が尽きない物です。
2005.09.17
コメント(0)
線路の上の橋で遠くを眺めている人がいました。朝のタバコをうまそうにふかしながら。遠く品川の遠景を見ているようでした。倉庫の前は環七の通りです。環七の下を電車が走っており路線敷きは見えませんが線路に沿って遮る物が無く遠くまで見通せるのでしょう。 早朝は大型のタンクローリーが快速で何台も何台も通り抜けていきます。なれとは恐ろしい物で今は音のなど全く気にならなくなりました。今朝は寒いくらいの朝でした。秋を感じます。
2005.09.16
コメント(0)
ある会社を訪問しました。初対面の方に今後の方針等をお話した後小説の話となり堺屋太一、山田智彦氏二人の作家の著作を薦められました。実は私は両方の著者の書籍を一度も読んだことが有りません。早速読む旨を伝えました。その方の書評では山田さんの文章は会社員である立場から大変納得をさせられるとの話でした。清水一行さんの書籍は少し露骨で余り好きではないと感想を述べられていました。堺屋氏の著作は相当読まれたとのことでしたが、沢山読んでいると論調が総て同じのように感じ少し飽きてしまったということでした。薦められた書籍はすぐに読む方針でいます。
2005.09.15
コメント(0)
株価に関心があり読んだわけでは有りませんが必要に迫られよく財務関係の書籍を購入します。この書籍は図書館で見つけ数度図書館で借用後古書店で購入しました。わかり良く財務諸表の見方を説明しています。出版は産業能率大学著者は嶋田浩至です。すいせんの言葉を和光証券会長苫米地和夫が次のように記載されています。すいせんの言葉株式投資の基本は企業を知ることから始まります。激しい環境変化の中で、投資対象を選択することは大変難しいことです。しかし、どのような時代でも基本を守ることが大切です。この書は著者の長年の実務経験に基づき、企業の分析手法を事例を多く取り入れながら、わかりやすく解説されています。ぜひ多くの方々にお勧めしたい書です。と
2005.09.14
コメント(0)
最近富に思うことは昨日のことがもう思い出せないことです。改めて考えなければどうだったのか不明です。況や、一週間前のことになると記した予定表を見ない限り思い出せません。単調な毎日の繰り返しの所為でしょうか。書籍も昨日読んだ内容が誰だったのか、どんな人生だったのか解らなくなります。読書力が無くなるのでしょうか。これでは学びてまた是を学ばなければ忘却の彼方に全てを没して仕舞いそうです。王の名前、王妃の名前は同名の人、また何世を称する人が多く余計に混乱します。どの事跡がどの王の話で有ったか、読み返し確認をしています。
2005.09.13
コメント(0)
英国史ばかり読んでいます。この書籍はウィリアム一世より書き始め歴代の王を簡単明晰に記載されています。 まえがきに記載が有りますがエリザベス二世が訪日された際、宮中の晩餐会で「わが国は父祖ウィリアム征服王以来云々」と述べられたといわれたそうです。上巻はウィリアム一世からエリザベス一世までの歴史が記載されています。英国は王国といいながら、国家が単一民族ではなく、ある時代はフランス人の王家、ある時代はドイツ人の血の極めて濃い王家による支配や君臨が続きながら、なんら異とされなかった。日本単一民族からは理解しがたい現象でしょうか。
2005.09.12
コメント(0)
第一番目の妃キャサリン・オブ・アラゴンは離別された。二番目の妃アン・ブーリン、エリザベス女王の母は処刑された。三番目の妃はジェーン・シーモアお産をこじらせ死亡。四番目の妃アン・オブ・クレーブ。五番目の妃キャサリン・ホワードは処刑。六番目のキャサリン・パーはヘンリー八世を見取った。ヘンリー八世は自分の食卓に26名の女性を、別の食卓には35名の女性をはべらせ食事をした。自分の食卓にはべる貴婦人の一人ラティマー夫人キャサリン・パーに注意を引かれた。二度の離婚歴がある未亡人であった。キャサリンはラテン語の読み書き、ギリシャ語の知識、フランス語、イタリア語を流暢に話した。キャサリンのモットーは「力の及ぶ限り皆の役にたちたい」だった。メアリー、エリザベス、エドワード三人の子供達が顔をあわせ、一緒に時を過ごすように気を配った。エドワード王子と同じように二人の王女にも同じ教育を授けた。三名の子供達はキャサリン・パーをとおして、家庭の温かみ、家庭の優しさにつつまれた。キャサリンは二人の夫を看病した経験をいかしてヘンリーの看護に尽くした。ヘンリー八世の生涯でこのような女性が現れたことは唯一の救いではないでしょうか。
2005.09.11
コメント(0)
選挙戦最終日ですが宣伝カーの音を聴きません。選挙区では3名の方が立候補をしているのみで少数激戦?でしょうか。倉庫は大通りに面していますが朝から宣伝カーの拡声器の音は有りません。駅頭では朝早く候補者の演説をしている姿を見ましたが住宅地の最寄り駅で、余り見栄えがしませんでした。何時もターミナル駅で大声を張り上げている候補も、最寄駅頭ではトーンを上げず小さな声でアピールをしていました。選挙戦の論点はいま少し国民の切実な問題と焦点がずれているように感ずるのは私だけでしょうか。いわんや天下分け目の決戦の様相はまるで有りません。決戦の雰囲気に欠ける選挙は現在主流派といわれる人たちが有利と言わざるを得ません。反対者には対抗者を、これを解り良いといえば簡単ですがそれだけのものでしょうか。これまでの反対者もどこかで妥協をし大きく離れなかった過去の状況を好とはいいませんが世界の注目を集める選挙戦では無いようです。世界に注目を与える国であるためには国家の選択が世界に与える影響を無視できない体制と、政策が必要な気が致します。国民に主権があります。言葉だけではなく主権は国民にあります。主権を行使できる簡単な機会が選挙です。一票は数は少ないのですが集合すれば行使が出来ることに間違いは有りません。選択は少ないにしても行使は致しましょう。
2005.09.10
コメント(0)
夜半目が覚めました。娘の体が熱いのに驚き額を何度も触ってみました。気の所為かと思いましたが手足は高温でした。朝食時喉が痛いといっていました。今日は休んではいけないかとも話していました。しかし兎に角行かせることにし何時も登校する友人と一緒に出かけていきました。しかし、矢張り高熱が出たとのことで学校より連絡が入ったようです。夕食時熱を測りましたが40度くらい有りました。余り辛そうでは有りませんでしたが氷枕を準備し寝ていました。小さい頃風邪で学校を休むとひとりで寝ておりました。障子のヤブレた穴より風が入り、避けた紙の揺れる様を見るとも無く、見ていました。その破れた形がいろいろな物の姿に見えることが有りました。何時間も熱でうなされながら見ているのですから印象的でした。
2005.09.09
コメント(0)
チューダー王朝の始まりから書き始めた歴史ものです。ヘンリー七世の薔薇戦争から書き起こしています。平易に、イギリスの歴史の要点を纏めていると思います。 ヘンリー七世の母マーガレット・ボウフォートの賢母ぶりが印象的でした。しかし書籍の要点はヘンリー八世とその妻、その子供の複雑な権力闘争をメインテーマとしています。矢張りこの展開がドラマなのでしょうか。キャサリン、アン・ブーリン、メアリー、エリザベス1世、ウルジー等の話柄が興味深く記載されています。
2005.09.08
コメント(0)
著者があとがきに記載していますが、「この書籍にあるのは私生活、むちゃくちゃ乱暴な生き方です」と。取上げられた王はヘンリー八世、エリザベス一世、ジェームズ一世、チャールズ二世、ジョージ一世、ジョージ四世、ヴィクトリア女王、エドワード八世です。書籍を読んだあと誰が誰だか解らなくなりました。どの王も同じような行状で誰が誰でも同じような気がします。表題から期待した王室は何処にもありませんでした。読者が喜ぶ内容だったのかもしれませんが、歴史の中に読者の読みたい内容とは若干違和感があるように思います。他の書籍は知りませんのでまた機会があれば著者の書籍を読んで見たいと思います。
2005.09.07
コメント(0)
一年前くらいより着火が上手くいかなくなっていました。最近バーナーを遮断していた版が破損し一部の壊れより火が直接焼き物に当たるようになっていました。愈愈ダメかなと思っている矢先今度は蓋が完全に閉まらなくなりました。中を覗くと着火の基盤が本体より剥離しそれが蓋を遮って居ました。同じメーカーに問い合わせをしましたが、工事は特約店が行う旨の回答でした。量販店でも販売しているとのこと。早速数箇所の店に連絡をして見ました。工事代金は何処でも同じ金額でした。器具は店によりばらつきが有り、一番割引の大きい近くの量販店で依頼をしました。現場を確認に来て、それから工事日を決めるとようです。
2005.09.06
コメント(0)
息子が泣きながらやってきてクワガタが死んだと云いました。シーズンが終われば死ぬ運命なのだから、また来年掴めればと諭しましたが、あのクワガタが良かったと申していました。クワガタはせまい虫かごの中で仰向けになったまま動かなくなっていました。外に帰してあげようと云いましたが、蟻に食われるかも知れないといいそのまま篭のなかにおいて置くこととしました。捕獲して以来殆ど土の中に隠れていました。偶に与えた餌を食して居たようですが最近は動きが緩慢になり捕獲当時の元気さは無くなっていました。何時か返り道甲虫を沢山保有している子供の虫かごを見て羨ましそうにしていたそうですが、家の虫を毎日観察しているようでも有りませんでした。生き物の尊厳を少し理解したのかもしれません。
2005.09.05
コメント(0)
午前中に仕事のキリが付き午後息子に虫を見に行こうと誘いました。大変喜んで二人で出かけることにしました。行く先は告げて居りませんでしたが途中から新宿御苑でしょうと聴いてきました。新宿の駅を降りた頃から雨が降り始めましたがそのまま入園し、門の右側辺りの林の中に入りました。林の中は道というか、踏み跡がありそれをたどって奥に入りました。様々な大木があり幹にはプレートが結ばれていました。最初から幹の周りを見ながら進みましたが、虫らしき姿を見ることは有りませんでした。私は枯れ枝を拾い行く先を絶えず棒でかき回しました。くもの巣があり気持ちが悪い所為です。途中倒木を積み上げた場所がありその株辺りで虫を見つけました。黒い艶のある虫でしたが名前は不詳です。株を転がしてみました。中から二匹のおなじ虫が這い回る様子が見られました。一匹を掴み上げましたが、再び放しました。藪の中のため私も、息子も足に数匹の蚊が止まり叩いても叩いても吸い付いてきました。藪から出ましたがその後の痒さは堪りませんでした。息子も足を叩いたり掻いたりむづがっていました。途中胡桃の木の葉に止まっている虫を見たこと、蝉を捕まえ再び放しました。外周を歩き千駄ヶ谷門に至りました。息子は疲れたといい持参のシートを広げるとすぐに仰向けに寝転がりました。持参のサイダーを飲み、足を組んで気持ちが良いといいました。息子を見ながら、アウトドアー派かなと思いました。もう虫は探さないのかと聴くと、「見に行かなければ来た甲斐がないじゃーないか」と答えました。再び新宿門に向かい最初の森の近くを探しました。生憎虫らしき虫を見つけることが出来ませんでした。森も知らない息子のこと、藪の中を散策した事も良い思いでに成るのではないかと自分にいい聞かせました。
2005.09.04
コメント(0)
昨日電車の中でイギリス王室物語を読み始めました。講談社の新書で現在の王室とは内容が違います。第一に取り上げられたヘンリー八世の物語のみ読み終わりました。その後は電車で睡魔に囚われ読むことが出来ませんでした。歴史上の人物は善人でなくとも魅力に溢れた人物がいます。悪事の多くを見てもなおかつ魅力的な人物です。過去の記事でその人物を懐古的に見るからかもしれません。事実同時代に生きていたものはきっと鼻持ちならぬ気持ちが強かったのではないでしょうか。教養が有り、判断力に富、精力的で短い生命を燃焼させたその記録を読むと人生の矛盾を感じます。
2005.09.03
コメント(0)
駅から降りるとすぐ遊歩道が有り夏の終わりを惜しんでセミが精一杯鳴いていました。ふと見上げるとアキニレノ木があり思わず木の幹の見上げました。遊歩道には数本の木がその後見つかりました。東京では余り見かけた事が有りません。この夏伊東で甲虫狩りに行きましたが最後の公園でミヤマクワガタがいる木だとの説明が有りました。樹木を見上げましたが暑い夏の日差しの中で油蝉が止まっているのみでクワガタの姿は見つけることが出来ませんでした。大変大きな木で上部は覗けませんでした・幹は皮が厚くひび割れざくざくの様子でした。伊東の公園の樹木は若木でそんな様子は全く有りませんでした。木の高いところに止まっているとの説明でしたが干からびた幹から想像が出来ませんでした。伊東でつかまえたクワガタは現在も生きており時たま箱に入れた木に登りじっとした姿が見られます。息子も時たま覗き活きていたと確認しているようです。甲虫を購入してあげようと思いながらそのままとなって仕舞いました。池袋の百貨店で見た虫は元気が無く無残な形をしていました。説明に曰く虫は親の理解が無ければ飼育は出来ません。子供だけでなく理解をもって育ってください、と記載されていました。生き物は飼育が大変です。見るのみでなく生態を理解し生かせる事は幼い子供の精神に幾許かの生命の尊厳を訓えるものなのかも知れません。我が家のクワガタも何かの運命で廊下で生息しています。
2005.09.02
コメント(0)
月初め、如何しても書いて置かなければ月の結果が知れそうで記載をします。本日の漫歩メーターは27673歩でした。確かに良く歩きました。また大変暑く眩暈がするほどででした。山男何のこれ程と思いますが確かに疲れました。初めて会う方一法人有りました。他は数度会った方ばかりです。朝の電車では英語の日常会話の書籍を読みました。午後からは労働法の判例集の切抜きを読みました。朝厚いマキャベルリの書籍を持参しましたが、目を通すことなく終わりました。読書も暫くお預けです。
2005.09.01
コメント(0)
書籍を運送して来ました。途中数度連絡があり自宅の近くで再度連絡が入りました。住宅街のため解りづらいのでしょうか。二人の店員が来ていました。途中まで迎えに行き、車に同乗し倉庫に搬入しました。追加で購入した書籍が一部有りませんでした。店員はすぐに店に連絡をしていましたが、積み忘れたようでした。一冊一キロはある書籍で約四十巻、自分で運ぶ事が出来ないため大変助かりました。
2005.08.31
コメント(0)
比較的検討したほうです。休みが多い割にということで実績から行くとお粗末でした。ざっと見るとカメラ関係の書籍が金額でも大きく貢献しています。趣味でもカメラは金額の掛かる趣味です。山に行き始めカメラを三台購入しましたが一台20万円以上しました。それにレンズを購入すると出費は半端では有りません。レンズにより描写力が大きく違います。このレンズがまた高価で、用も無いのにすぐ購入したく見回るものです。私の得意分野である山関係は殆ど開店休業です。山に行く人が減っているのか、また山に趣味を有する人は費用を節約しているものか、私が良いと思う書籍も殆ど関心を示されていません。暑い夏倉庫でよく時間を費やしたものだと考えながら疲労と、無気力の放心状態です。
2005.08.30
コメント(0)
書店で見かけた書籍が廉価であったこと、これまで実績のある書籍であること等購入することにしました。店員に声をかけ取り出した後送付依頼をしました。一冊一キロはある雑誌で40冊ほど有りました。その後夕刻連絡があり送料は4000円ほど掛かるとの話でした。致し方ないとは思いますが見積もりでは3000円ほどと考えていました。費用が多きのでそのまま止めているとの事です。判断を仰ぎその後決めたいとの話でした。鳶魚江戸文庫も二冊購入しとりあえず全巻揃いました。
2005.08.29
コメント(0)
先週は旅行を含め一週間の休みでした。帰国後も連休で少しのんびり出来るかな考えていましたが思うほど寛ぐことが出来ませんでした。時間が有れば倉庫に出かけまた自宅に帰りの繰り返しでした。何かをやろうとしても気力が湧かず、無駄な時間を浪費しているばかりです。岩波文庫のミケランジェロの生涯が販売できました。ロマン・ローランの著作で一連の偉人ものの一つです。最近私も読み直しましたが感銘を受けました。またインディアンの書籍バウワウが売れました。不思議にインディアンに関する書籍は売れ筋です。何時も掲載すれば販売できています。以前より販売後の書籍探しに苦労を体験している所為で再掲載はやめようと決心しています。手元に並べ一つ一つ新たに掲載するように改善しました。その方が探す手間が省ける分だけ無駄が有りません。
2005.08.28
コメント(0)
全413件 (413件中 101-150件目)