星とカワセミ好きのブログ

2019.06.28
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カテゴリ: 美術 / Art
2019年6月22日、東京上野の国立西洋美術館に行き、松方コレクション展を見ました。

国立西洋美術館60周年記念として、松方コレクションの約160点が展示されています。フランス政府が日本に絶対返還しないと決めた、ゴッホの有名な「アルルの寝室」を見ることができたり、2016年にパリで発見され、上半分が失われていたモネの「睡蓮、柳の反映」につき、1年かけて現存部分を修復した絵を見る事ができました。

松方幸次郎氏(1866-1950)ですが、総理大臣・松方正義氏の3男で明治維新の直前に鹿児島で生まれました。父親が明治政府に呼ばれたので東京生活をし始め、共立学校(現開成高校)から東大予備門に進みますが、寮生のストライキに参加して放校処分を受けます。その後アメリカのラトガーズ大学に行き、エール大学に転学します。民法の博士号を取った後、ヨーロッパを巡り、帰国後は父親が松方内閣を組閣したので秘書官を務め、父の退陣後は保険会社の副社長や銀行の発起人になり実業家となります。

川崎正蔵氏は鹿児島生まれて川崎造船を興し、松方正義氏の依頼で幸次郎氏の留学のスポンサーになっていました。その縁で松方氏は川崎造船所の社長になります。
その後は第一次世界大戦の造船需要を先読みして船を大量に建造し、大きな利益を得ます。それを絵画購入資金にします。本物を見た事がない日本人のために東京に美術館を作る目的で、絵画、彫刻、タペストリー、日本の浮世絵など3,000点以上を購入します。

しかし、1927年に昭和金融恐慌で造船所は経営破綻に陥り、日本に送っていたコレクションは「欧州美術展覧会」でオークションによる売立てが行われます。ヨーロッパに残っていた絵も、イギリスのパンテクニカン倉庫の絵画は火災で焼失し、パリで保管していた絵はドイツ軍の侵攻のため、日置釭三郎氏がパリの西80キロのアポンタンという村の家に隠しました。第二次大戦後、絵画は敵国資産としてフランス政府に差し押さえられました。

1951年9月にサンフランシスコ平和条約が調印され、吉田茂首相はフランスのシューマン外相に松方コレクションの返還について申し入れをしました。フランスからの返還条件の中に、美術館での絵画保管があり、国立西洋美術館を建設して、松方コレクションを展示することになりました。ただし、松方コレクションの中でも重要とされた17点は、フランス政府は返還を認めず、パリのオルセー、ルーブル美術館に飾られています。返還されなかった絵の1枚が、ゴッホの「アルルの寝室」です。

オランダに住んでいた頃、よくパリのオルセー美術館に行っては「アルルの寝室」を見ました。松方氏が当時留学中の美術史家の矢代幸雄氏と画廊でこの絵を見つけた時、矢代氏は松方氏に絶対買ってくださいとお願いしたのに、松方氏が買うそぶりをしなかったので怒って別れたが、その後に松方氏がこの絵を購入しており驚いたという逸話があります。この絵を東京で見ることができるのは、なんだか不思議な気がします。

作家の野上弥生子さん(のがみやえこ:1885-1985)が「真知子」という長編小説を書いていますが、欧州美術展覧会の松方コレクションについて記載している所があります。「真知子」を読みましたが、昭和初期(1928年~1930年頃)の世相、プロレタリア思想、女性の結婚について色々書いてあります。とても重いテーマでした。

私が初めて買った野上弥生子さんの本は、岩波文庫の「欧米の旅(上、中、下)」です。ヨーロッパについて書いてある本は少しずつ買って集めていたのですが、野上さんが1938年(昭和13年)から1年以上、海外旅行をし、その道中について詳しく記されています。野上さんの夫は法政大学文学部名誉教授で、日英交換教授として渡欧することになり同行されました。本の目次は次の通りです。
「上海、香港、シンガポール、ジョホール、ペナン、コロンボ、アデン、紅海、ポートサイド、エジプト、東地中海、イタリア、イギリス、オランダ、スイス、フランス、ドイツ、ハンガリー、ドイツ再び、スペイン、落人日記、アメリカ一瞥」。

当時は日中戦争中であり、ヨーロッパ旅行中はスペイン市民戦争でフランコ軍がマドリッドを占領し、ドイツ軍がポーランド侵攻を開始して第二次世界大戦が勃発しており、読むとその雰囲気や空気を感じることができます。
この旅行記で一番印象に残る部分は、ニューヨークの摩天楼を見ながら想像している部分です。摩天楼が次々に火を吐き、鉈で切られる樹木のようにすっ飛んでいく怪奇と壮絶の光景についての想像が書いてあります。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの、ニューヨーク貿易センター爆破事件の映像をテレビで見た時、この記載部分をすぐに思い出しました、野上弥生子さんの「想像力」に驚きました。
(欧米の旅(下)野上弥生子著 岩波文庫 ニューヨーク P341~P342より)




↑ 松方コレクション展 (国立西洋美術館開館60周年記念)


↑ フィンセント・ファン・ゴッホの「アルルの寝室」。(パリ・オルセー美術館蔵)


↑ 東京上野・国立西洋美術館。 クロード・モネの「睡蓮」

国立西洋美術館は、建築家であるル・コルジュビエ氏の設計で、2016年にユネスコ・世界文化遺産に登録された。


↑クロード・モネの「睡蓮」(部分) 国立西洋美術館の松方コレクション。









↑ 松方コレクション展のパンフレット。


↑ 流転の大コレクション 激動のドラマ。


↑ 松方幸次郎氏。 川崎造船所(現・川崎重工業株式会社)社長。




↑ ゴッホの「アルルの寝室」。ゴッホは同じ構図の絵を何枚も書いているが、自分の耳を切り落としてゴーギャンと別れた後、最後に描かれた寝室の絵。




↑ ピエール=オーギュスト ルノワールの「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」。
当初フランス政府はこの絵を日本に返さない予定であったが、日本の粘り強い交渉により、日本に返還された。

↑ クロード・モネ。「睡蓮、柳の反映」。2016年にパリで発見され、国立西洋美術館に寄贈された。縦2メートル、横4.25mで、発見時に画布の上半分は失われていた。


↑ 1年かけて修復して絵が甦った。


↑ 美術館で購入したカタログ。「The MATSUKATA COLLECTION   A One-Hundred-year Odyssey」。表紙には、修復して甦った「睡蓮、柳の反映」が印刷されている。



↑ 世界 名画の旅2 フランス編Ⅱ 朝日文庫 /朝日新聞日曜版「世界 名画の旅」取材班 / 朝日新聞社。
P44~P57は、ゴッホの「アルルの寝室」の記事がある。松方コレクションの事が書いてある。

P56には、ゴッホの「アルルの寝室」が日本に返還されなかった事について、オルセー美術館学芸員の次のコメントが紹介されていた。
「この絵を熱望した日本の方々のことを思うと複雑な気持ちになります。何といえばいいのか。どうか理解してください。フランスの美術館関係者がどうしても手放す気になれなかった作品なのです」。



↑ 本には、ブラングイン作の「松方幸次郎氏の肖像」や、パリ・ロダン美術館の庭にある「考える人」の写真がある。 ブラングインは船の絵を多く描き、松方氏が初めて購入した絵はブラングインの絵だったと言われている。二人は懇意であり、イギリスのパンテクニカン倉庫で保管していた絵の多くは、ブラングインの絵であった事が判明している。

(2016年2月に、「パンテクニカン倉庫保管絵画等リスト:松方幸次郎氏資産」と題するリストが発見され、焼失した作品の全容が分かった。松方コレクション展に、そのリストが展示されている)

ブラングインは松方氏の美術館建設構想のために「共楽美術館」のデザイン図を描いた。東京麻布の仙台坂の松方家所有の土地が美術館の候補地となっていた。松方コレクション展で、ブラングインの「共楽美術館構想俯瞰図、東京」が展示されている。



↑ 幻の美術館 甦る松方コレクション / 石田修大 / 丸善ライブラリー。

この本を読んで、松方幸次郎氏の事、コレクションの歴史、コレクションの内容がよく理解できた。とても勉強になった本。いまだに何度も読み返している。



↑ 「幻の美術館 甦る松方コレクション」より。P62~P63。



↑ 野上弥生子全小説7 真知子 / 野上弥生子 / 岩波書店。


↑ 野上弥生子さんの長編小説 「真知子」。


↑「真知子」P63~64で、松方氏蒐集欧州美術展覧会の絵を見た事が書いてある。
小説内で松方氏は「M」となっている。

1)「セガンチニの「羊毛刈」の画に向かう時、彼らは板小屋の前で一匹の羊の毛を刈っている女の背中、腰、羊を押さえつけた左の腕と鋏を動かしている右の腕の素晴らしさにまず驚かされる」。

↑ 松方コレクション展で、ジョヴァンニ・セガンティーニの「羊の毛刈り」が展示されていた。

2)「ロゼチの三つの作品の前では、二人ともその心を言葉に出し合った。(途中省略)
婦人の半裸像が、顔面と首の特異性によって、疑いもなく詩人なる画家の妻で、若くして逝ったジダルであったことは、画の価値以外になつかしい興味であった。

↑ 松方コレクション展で、ダンテ・ガブリエル・ロセッティの「夜明けの目覚め」が展示されていた。
ロセッティの事を小説では「ロゼチ」と書いてある。



↑ ラ ミューズ 第34号 テイト・ギャラリー/講談社/1993年10月12日発行。

上記雑誌の表紙には、ロンドンのテイト・ギャラリーにあるロセッティの「プロセルピナ」の絵がある。
モデルは妻のシッダルではなく、友人ウィリアム・モリスの夫人ジェーン。シッダルが麻薬に溺れて死んだのは、ロセッティがジェーンを愛していたためと言われている。


↑ 左はロセッティの「ベアタ・ベアトリクス」。モデルはアヘンの大量服用で亡くなった妻のジッダル。右はロセッティの「プロセルピナ」でシェーンがモデル。


↑ 私が初めて買った作家・野上弥生子さんの本は、岩波文庫の「欧米の旅(上、中、下)」だった。
野上さんが1938年(昭和13年)から1年以上、海外旅行をし、道中について詳しく記されている。野上さんの夫は法政大学文学部名誉教授で、日英交換教授として渡欧することになり同行した。

本の目次は次の通り。
「上海、香港、シンガポール、ジョホール、ペナン、コロンボ、アデン、紅海、ポートサイド、エジプト、東地中海、イタリア、イギリス、オランダ、スイス、フランス、ドイツ、ハンガリー、ドイツ再び、スペイン、落人日記、アメリカ一瞥」。



↑ 野上弥生子さんの作品で、読んだ本。


【国立西洋美術館の庭に設置されている、松方コレクションのオーギュスト・ロダンの作品】

↑ オーギュスト・ロダン(1840年ー1917年)の「考える人(拡大作)」。松方コレクション。


↑ オーギュスト・ロダンの「カレーの市民」。松方コレクション。


↑ オーギュスト・ロダンの「地獄の門」。松方コレクション。









↑ オーギュスト・ロダンの「アダム」。 松方コレクション。


↑ オーギュスト・ロダンの「エヴァ」。 松方コレクション。









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最終更新日  2019.06.30 09:50:48
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