日本語で話そう

April 4, 2008
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カテゴリ: 東海道五十三次
東海道中二日目

昨日ギブアップした品川駅に降りる。
東京を背にして十分ほど歩くと京急線の踏み切りをわたるところ、品川宿の入り口になる。してみると、昨日は品川宿に到達していなかったことになるか。
ここからは同じ東京でもがらりと様子が変わ。高いビルは無くどこの町にもあるようなちょっとさびれかけた商店街。道幅は当時のままだそうだ。いたるところに商店街の人が東海道を保存しようとする心意気が感じられる。

shinagawa1

shinagawa2

shinagawa3

おせんべい屋や駄菓子屋にお休み処と看板が掛かっていて、外に風情がある椅子が旅人のために用意されている。その一軒で通行手形を買った。さあ、これで箱根の関所は越せる。

増上寺の交通安全お守りと通行手形

omamori

街道の両側には当時の松並木の名残の松がところどころに、そして歴史上の人物のゆかりの碑がある。両側の商店街は現代だけれど歩いているとだんだんに江戸の時代を歩いている気がしてくる。何故か寺も多い。まさか行き倒れた人のため?いやいや旅の安全祈願のためにと思おう。

kamaya

shinagawasakura

昔は宿場の入り口に見附といわれる入り口の門が有ったという。江戸寄りに有るのが江戸方見附、京都側にあるのが上方見附。
それにしても品川の宿に入ってから歩くこと一時間まだ商店街のところどころの表示には品川宿とある。なかなか宿場を出られない。まだ江戸を出発したばかりなのにどうしてこんな大きな宿場が必要なんだろうと考える。そうか、私は江戸を出発したけれど、上方から来た旅人は江戸に入る前に必ずここで宿泊したに違いない。江戸を目前にして、はやる心を落ち着かせ江戸に入る準備をしたのだろう。親戚に手紙を書いて江戸に来たことを知らせたかも知れない。まだ見ぬ江戸の情報をこの宿場で集めたかもしれない。江戸に入るかどうか躊躇していた旅人もいただろう。品川の宿場で待てと江戸藩邸から言われた地方の藩士もいただろう。品川は最初の宿場で有って、最後の宿場だったのだ。

青物横丁を越えたあたりが品川の宿の終わりだと言われている。
そして立会川にかかる涙橋。
その先にある鈴が森刑場に曳かれていく罪人がここで家族と涙の別れをした所。
あの有名な八百屋お七や天一坊が処刑された場所だ。
東海道は旅人だけでなく人生の週末の旅をした道でも有った。
行きかう旅人とそこで生活する人と悲喜交交のドラマを含んだ道だった。

江戸を発つこと17キロ。本日は梅屋敷、蒲田駅にてギブアップ。

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Last updated  April 4, 2008 12:27:42 PM
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