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家のすぐ近所の「手打ちそば 葉菜」に行きました。雨が降っていて寒かったので、山菜そばをいただきました。石臼挽きのおそばの方は、手打ちそばよりちょっと高くて、900円くらいかな。でも、美味しかったです。店内で、石臼が3台、そばを挽いているところが見られます。
2011.05.30
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今日は、仙台の中山にある康正庵に行きました。いただいたのは、田舎そば。歯ごたえのある太麺で、そばの香りがとてもよく、今まで食べた田舎そばの中ではダントツに美味しかったです。ガイドブックにもよく紹介されているお店のようで、そば粉での手作りスイーツなども、セットにはついているようです。
2011.05.15
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今日も石巻にボランティアに来ました。 今日はお掃除ではなく、イベントの手伝いです。 移動相談会の会場で、物資を配給しました。 最初は女性用下着を担当し、 後半はオレンジを配りました。 お雑煮の炊き出しがあって 両手がふさがっている人には、 手持ちのバックや袋にオレンジを入れてやると、 みんなにこやかにありがとうと言ってくれました。 終了後、バスは日和山に行きました。 市内が一望に見渡せる観光名所です。 その眺めはやはり凄まじいものでした。
2011.05.14
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先輩が、「うつ」のために病休を取ったという報せが!なぜ!?明るくて、強い先輩なのに!まさか、本人に聞くわけにはいかず、友だちづてで、家族や身内の人に聞いてもらうことになりましたが、信じられない気持ちです。今日の職場からの帰り、今順調に、あまりにも順調に仕事を進めている自分、そしてボランティアをしなければ、と焦っている自分、どこかで壊れないかなあ、無理していないかなあ、と自分自信に心配になっていたところでした。何だか力の抜きどころを見失っているような。ちょうどそんなことを考えていたので、かなり先輩の報せにはどきっとしました。先輩が私にも忠告を与えてくれたのかもしれません。早く、良くなってくれるといいのですが・・・。
2011.05.12
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今日は母の日。お店でお花を探したら、カーネーションはあまりいいものがなかったので、今年はカラーにしてみました。たまには違うものもいいかな。あとは、夕食は炊き込みご飯で、食後に母が大好きなモンブランを出せば完璧!
2011.05.08
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今日は気仙沼市に行って来ました。三陸道は、今日はあまり混んでいませんでした。市内は、被害が酷いところがまだ通行止めになっていて、入れませんでした。すぐに海沿いの45号線を南下して、石巻に向かいました。でも、やはりあちこちがひどい被害でした。向洋高校は、4 階まで波が来たようでいた。リアス式海岸の海沿い地区は高低差があり、なんでもない地区があったと思うと、数十メートル進むと酷い地区があったり、交互に被害がある地区とない地区が並んでいます。本当に紙一重の差で運命が二分されたようで、見ていて胸が締め付けられるような残酷さを感じました。石巻市内もまだまだ通行止のところが多く、石ノ森マンガ館の所で引き返しました。中州に建っているマンガ館も被害が酷いようでした。でも、夜のニュースで、今日イベントが行われていたことを知り、びっくりしました。子供達の笑顔を取り戻すために、必死の思いで準備をしたとのこと。頭が下がる思いでした。三回の被災地巡りで、宮城県のほとんどの被害の様子を見て来ました。写真に撮るかどうか迷ったのですが、悲惨な状況の前で、撮ろうという気持ちになれませんでした。でも、しっかりこの目に焼き付けて来たので、折に触れていろいろな人に伝えて行きたいと思っています。
2011.05.05
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今日も夫と、被災地を回ってきました。まず、東松島市の奥松島。何度か宿泊したかんぽの宿は、すっかり1階が浸水。周りもがれきの山でした。野蒜海岸は、すっかり堤防が壊され、道路もアスファルトがはがれてひどい状態でした。奥松島縄文村は、建物自体は全然被害がありませんでしたが、自衛隊の方が復旧の基地にしているようでした。海岸沿いの民宿などは、全壊状態でした。石巻市内は、かなり混んでいるようなので、河北町に向かいました。北上川沿いの道が通れるか心配でしたが、ずっと河口を目指して大川地区に向かいました。新聞やニュースで大きく取り上げられた大川小学校は、無惨な状態でした。実は、私の初任地なのです。職業がばれてしまいますが・・・。花を手向けながら、早く行方不明の教員や児童が見つかってくれと願わずにいられませんでした。飯野川に戻り、避難所をいくつか見ましたが、名簿では教え子を確認できませんでした。結婚して姓が変わっていたり、もうこの地にいないことも充分にあり得ます。北上川の反対側の川岸を通り、南三陸町に入りました。戸倉地区では、やはり教員仲間が亡くなっています。避難する人を誘導しながら、自分も波にのまれてしまったそうです。最後まで、一生懸命生きた彼の勇気をたたえたいです。でも、生きていてほしかった!町の中は、ニュースで取り上げられた通り。町全体が壊滅です。お世話になっているダイビングショップも、お店は流されてしまいました。でも、皆さんご無事と言うことは掲示板で確認しました。回っていて、こんなにも広範囲でひどい被害だったことを改めて実感します。どれだけ大きな津波だったことか。本当に、何から手を付けたら? と言う状態です。残りは気仙沼地区。明日行ってみる予定です。 写真は、我が家のスモモの木の花。剪定をさっぱりしてないので、毎年小さな実しかなりませんが。
2011.05.03
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ダイビングショップから携帯に着信が何回かあり、どうしたのだろうと思って電話してみると、悲しい報せがありました。4年前、パラオへのダイビングツアーに一緒に行った方が、今回の津波の犠牲になられたというのです。掲示板で、行方不明の方がいて探している、と言うのを読んだのですが、彼女のことだと気づきませんでした。数日前に遺体で見つかったとのこと。絶句してしまいました。お姉様もまだ行方不明なのだそうです。14日に、ダイバー仲間でお別れ会をするというので、参加させてもらうことにしました。生き残ったご両親に、何と声をかけたらいいのか・・・。本当に悲しく辛いことです。芝桜のように、落ち着いていて、でも芯の強さを感じさせられる、すてきな女性でした。ご冥福をお祈りします。
2011.05.02
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